うちの女房にゃ髭がある
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作詞:星野貞志、作曲:古賀政男、唄:杉 狂児・美ち奴
1(男)何か言おうと 思っても 2(男)朝の出がけの 挨拶も 3(男)姿やさしく 美しく 4(男)地震 雷 火事 おやじ パピプペパピプペ パピプペポ |
《蛇足》 昭和11年(1936)12月公開の日活映画『うちの女房にゃ髭がある』の主題歌。
映画は和田邦坊のユーモア小説をベースに作られ、主題歌の歌詞はサトウハチローが星野貞志の別名で書きました。もう1つの主題歌『あゝそれなのに』のレコードは販売禁止になりましたが、こちらはお構いなしでした。
美ち奴(写真)は、芸者歌手として戦前戦後に市丸や小唄勝太郎、新橋喜代三などと人気を競いました。
恐妻家を歌った歌です。恐妻家という言葉は、「駅弁大学」「一億総白痴化」「口コミ」「太陽族」「男の顔は履歴書」など、かずかずの名言・名句を造った評論家・大宅壮一が考案したといわれています。
また、この映画公開の翌々年、徳川夢声が共済組合のもじりで恐妻という言葉を使って流行らせたという記録があります。
古今東西、恐妻家にまつわる話は、枚挙にいとまがありません。古代ギリシアの哲学者ソクラテスが妻クサンチペに虐げられていたという話は有名ですし、徳川二代将軍秀忠も、正室・於江与に頭が上がらなかったと伝えられています。
男権社会にあっても、強い妻は存在していたわけで、「妻という座の不思議さよ」というほかありません。
(二木紘三)
コメント
鬚はないですが
怖いことは怖い
てな 思いを
団塊も
することがあります。
投稿: 二宮 博 | 2007年10月22日 (月) 00時56分
家もでぇーす
投稿: 益子 良夫 | 2007年10月28日 (日) 16時51分
わたしは1945年生まれですが、この歌は記憶に残っています。
それにしても、1937年から70年経ったというのに、
妻の怖さというか扱いにくさというか、
夫の弱さというか、
何ほども変わっていないのだと思いました。
投稿: 水谷重秋 | 2007年11月18日 (日) 13時47分
昔通っていた【きっちゃてん】で、この曲が流れていました
当時はレコードやCDなのに、なぜかSP版で
マスターは「好きだから」って言っていたのを憶えています
普段はテープなんですけれど
あたしが行くと
たまに掛けてくれて
凄い雑音や針飛びで
笑いながらも感動したもんです
投稿: サトP | 2011年1月11日 (火) 05時03分
それぞれの曲を聴きたいたいのですが、その方法を教えて下さい。
例えば、「うちの女房にゃ髭がある」の曲を聴くためには、どうすればよいですか。教えて下さい。お願いします。
投稿: 花房 太一 | 2011年4月 1日 (金) 16時22分
花房 太一さん 今晩は
うちの女房にゃ髭がある
トップページの左側 ア行をクリックしてみれば
あります。
題名が解れば その行クリックすれば ありますよ。
題名不明なれば 出だしの歌詞を検索すれば
おおよそ 題名もわかります。
投稿: 青果 | 2011年4月 2日 (土) 23時48分
昭和9年1月生まれの喜寿です。子供のころ家にビクターの手回し蓄音器とこの「うちの女房にゃ髭がある」のレコードもありました。「ああそれなのに」も覚えていますので、A面とB面だったのかも知れません。子供心にどこに「髭が生えているのだろう」と変な想像をしたのを思い出します。
投稿: 林 一成 | 2011年4月 3日 (日) 10時25分
子供のころから面白い歌だとは思っていましたが、男の哀れさがこれほど表現されている歌はないでしょうね。妻を追い出しても、女房に逃げられた亭主になってしまうし、自分から出て行っても女房に追い出された亭主になってしまうし、浮かぶ瀬もないとはこのことなのでしょうかねぇ。
最も、「嬶天下と威張ちゃいてもたかが家来は俺ひり」という川柳もありますね。微妙な力関係、高等数学でも解けそうもないですね。数学の先生、解けますか。
投稿: ハコベの花 | 2011年4月 3日 (日) 12時07分
サトウハチローが小説を書いていた、この歌の作詩もハチローさんだとは知りませんでした。戦前流行したユーモラスな歌にはいいのがたくさんありましたね。戦後も三木鶏郎、その後クレージーキャッツには随分笑わせてもらいましたが、近頃はどうなのだろう、と感じるのは、私がTVをあまり見ないせいでしょうか? ところで、いつか、できれば「洒落男」を楽しませていただければと思っています。
投稿: dorule | 2015年10月14日 (水) 12時15分
dorule様
『洒落男』は外国ポピュラーのジャンルに入れてあります。このほど、戦前歌謡の部にも追加しました。
コミック・ソングの傑作ですね。
(二木紘三)
投稿: 管理人 | 2015年10月14日 (水) 17時56分
わたしは読んでいませんが、佐藤愛子(サトウハチローの異母妹)の著書「ソクラテスの妻」には、「ソクラテスのような男と結婚すれば、女はみんな悪妻になってしまう」という一文があるそうです。
ソクラテスと言えば、かの有名な古代ギリシア哲学の祖で、西洋哲学の源流を作った泰斗です。しかし、そんなかれも妻のクサンティッペにかかると、罵られ、けなされ、とどのつまりは頭から水をぶっかけられるという体たらくです。どうして彼女がこんな仕打ちをしたかというと、彼女にはヒステリー症状があったことと、夫ソクラテスに生活能力がなく、加えて奇行癖があったからです。今なら、さっさと妻の方から「三下り半」を突き付けられてもおかしくないんですが、妻のクサンティッペから離婚話が出たということはなかったようですし(当時のアテネでは、女性の地位が低かったことと関係があるかも知れませんが)、夫のソクラテスは、友人たちから離婚をすすめられても従いませんでした。この辺りが夫婦間の機微にふれるところで、傍からは「悪妻」に見えても、意外に他人に知られない愛情の交感があったのかも知れません。最後に、ソクラテスは刑死して70歳の生涯を閉じるのですが、クサンティッペは大いに嘆き悲しんだと言われています。
クサンティッペと言えば、世に悪妻の代名詞のように言い伝えられていますが、泉下のソクラテスに訊けば、「恐妻ではあっても、悪妻ではなかったよ」と応えるように思えてなりません。
投稿: ひろし | 2015年10月15日 (木) 14時23分
恐妻=悪妻ではないですね。悪妻は生まれつきの性格の悪さが影響していると思いますが、恐妻は家庭を守るために夫を更生させようとの妻の確たる信念に基づいてなるものです。私はお風呂に入って居る夫の頭からバケツの水を掛けた事があります。真冬ですから裸で追いかけられることはないと踏んでいたのです。家のローンの返済、子供の学費そのほか色々な家庭内の問題が山積みなのに、悪友どもと毎夜香水の匂いを付けご機嫌で帰ってくることに怒り心頭だったのです。これが十数年続いていたのです。我慢も限界でいろんな手を使いましたが、最後は無言の行でした。1週間目に夫は根を上げました。一緒に遊んでいた仲間は家屋敷を取られたり、家から出されて組の三下になった者もいました。自殺に追い込まれた人もいました。私は奥さんたちが甘かったと思います。恐妻は良妻に通じると思います。親は子供を育てる責任がありますから、夫の非行をやめさせることは妻の務めだと思います。夫から逃げるより戦うことが老後の幸せにつながります。恐妻万歳です。
投稿: ハコベの花 | 2017年3月14日 (火) 13時21分
ハコベの花さんの十数年間の恐妻生活実践、夫の悪友どもの末路を思い合わせて、家庭をまもる妻の信念としての恐妻の覚悟、頭が下がります。恐妻のお母さんに恵まれた子供は幸せだと思いました。もう一つ、文法的に「恐妻」の「恐」は動詞で「妻を恐れる」ことと思い込んでおりましたが、それは恐妻家たる夫の立場からの理解であり、一方、「恐」は「強」に通じる形容詞でもあって「恐ろしい妻」なのだということによやく気がつきました。
申し遅れましたが管理人さん、『洒落男』のご案内ありがとうございました。
投稿: dorule | 2017年12月13日 (水) 21時58分
恐妻を持った夫の老後の生活です。朝、7時半に起きて9時にグランドゴルフに行き、午後は寝転んで韓国ドラマをみて、整骨院に行き、夕方5時から8時までちびちびと焼酎を飲み、週に2回はカラオケスナックで仲間と歌い、飲み、騒ぎ天国みたいな生活をしています。恐妻の私は家事雑事でずっと無給のお手伝いです。こんな不公平があって良いのでしょうか。仕返しは、私が先に死んで苦渋の悲しみを夫に味あわせる事しかありません。でもコツコツ溜め込んだ私のへそくりは絶対夫に行かないようにしておきます。最も私はあの世で結婚する素敵な彼を予約してあります。今度は楽しい家庭になりそうです。ふ、ふ、ふ・・・来世が楽しみです。
投稿: ハコベの花 | 2017年12月14日 (木) 21時52分
はこべの花 様
純真無垢な乙女のようなロマンチストな顔と髭女房の怖い顔とを演じ分けられる はこべの花さんの名優ぶりが面白くて、おもわず吹き出してしまいます。
でも、どこの亭主にも心当たりがありそうな日々の生活態度・・・私も気をつけなくちゃ~。
投稿: あこがれ | 2017年12月16日 (土) 09時18分
二重人格なのでしょうかねぇ。自分でも笑えてきます。若い時は学校や母親に行儀作法を仕込まれて、外では良家のお嬢様みたいに振舞っていたのですが、家に帰ると男兄弟ばかりだったので、鉄火場のおあねえさんみたいにタンカを切って兄と喧嘩をしていました。喧嘩に負けるのは恥だと思っていました。でも、夫が飲み屋で酔っ払いの女と喧嘩に負けて帰って来て「家にあの女が怒ってきたらどうしよう」と震えているので「あんたは馬鹿か、子供の病気以外、私にゃは怖いものがないのだ」と夫を怒鳴りつけていました。そのうち髭で私の顔が覆われるかも。あこがれ様,乞うご期待!
投稿: ハコベの花 | 2017年12月16日 (土) 13時55分
(文中敬称略)
今年、この曲をモチーフにした(と自分で勝手に思っていますが)楽曲を歌った人物がふたり他界しました。
ひとりは声優の三輪勝恵(1943~2024)。
藤子・F・不二雄(藤本弘、1933~1996)の単独原作としては初となるテレビアニメ『パーマン』(白黒版、1967~68、TBS・CBCテレビ・朝日放送テレビ系=当時は朝日放送がTBS、毎日放送がNETテレビ(現・テレビ朝日)とネットを組んでいた)では主人公の須羽ミツ夫=パーマン1号の声を担当し、尚且つ主題歌『ぼくらのパーマン』(1967、石川進(1933~2012)とのデュエット、作詞:藤本、作曲:越部信義(1933~2014))も歌唱しました。
この『ぼくらのパーマン』にはサビの部分で♪パピプペ パピプペ パピプペ パーマン 雲の上♪という歌詞がありますが、間違いなく『うちの女房にゃ』のサビを拝借したのだろうと思います。
もうひとりは歌手の黒沢博(1948~2024)。
山田喜代子(1957~)と男女デュオ「ヒロシ&キーボー」を組んでリリースした『3年目の浮気』(1982、作詞・作曲:佐々木勉(1938~1985))が空前の大ヒットを飛ばしたことで有名ですが、この『3年目の浮気』に登場する夫婦も『うちの女房にゃ』の夫婦同様妻に恐れをなしてしまう夫が描かれているので、こちらも『うちの女房にゃ』をモチーフにしたものと思われます。
言うまでもなく黒沢の兄は黒沢年雄(黒沢年男、1944~)ですが、年雄の大ヒット曲『時には娼婦のように』(1978、作詞・作曲:なかにし礼(中西禮三、1938~2020))も『3年目の浮気』も、奇しくも『うちの女房にゃ』と同様に日活→にっかつで映画化(但しロマンポルノ転換後、監督は前者が小沼勝(1937~2023)、後者が中原俊(中原俊弘、1951~))された、という共通点があります(但し、博・年雄とも映画には出演しておらず、前者では主演も務めたなかにし歌唱のバージョンが主題歌に使われました)。
蛇足ながら、どちらの作品とも日活生え抜きの名バイプレーヤー・榎木兵衛(榎本兵衛、1928~2012)が出演しております。
最後に三輪勝恵、黒沢博両氏のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
投稿: Black Swan | 2024年9月19日 (木) 22時50分