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2007年11月25日 (日)

大阪ラプソディー

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:山上路夫、作曲:猪俣公章、唄:海原千里・万里

1 あの人もこの人も
  そぞろ歩く宵の街
  どこへ行く二人づれ
  御堂筋(みどうすじ)は恋の道
  映画を見ましょうか
  それともこのまま 道頓堀まで
  歩きましょうか
  七色のネオンさえ 甘い夢を唄ってる
  宵闇の大阪は 二人づれ恋の街

2 昨日よりまた今日は
  別れづらくなりそうよ
  戎橋(えびすばし)法善寺
  どこも好きよ 二人なら
  嬉しい筈でも
  あなたといる時 なぜだかこの胸
  痛んでくるの
  店灯り懐かしく 甘い夜を呼んでいる
  宵闇の大阪は 二人づれ恋の街

        (間奏)

  覚えておきます 小さなことまで
  あなたとすごした 大事な夜は
  七色のネオンさえ 甘い夢を唄ってる
  宵闇の大阪は 二人づれ恋の街

《蛇足》 昭和51年(1976)のヒット曲ですが、大阪演歌の代表曲として今も愛唱されています。
 
明るく快調な歌で、何か屈託があるときに歌うと、気持ちが晴れます。

 歌ったのは、兵庫県淡路島出身の姉妹漫才師・海原千里・万里。2人とも結婚して芸能界を引退しましたが、千里はまもなく、本名の上沼恵美子で復帰しました。頭の回転が速く、毒舌家ですが、どういうわけか女性にも人気があります。

(二木紘三)

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コメント

私の家は2世帯、息子夫婦 孫は名もない大学に入学1人は教員です
実は妻が 脳の血腺があるとのことで 入院しています
私も毎日様子をみにいつています。夫婦ソロつていちばん いいですね
ひまをみて先生のうた 聞かせています、今後とも 宜しくお願いします

投稿: 小手川和幸 | 2007年11月25日 (日) 14時43分

うちの 怖い嫁さんも
 fanです。関西で 芸能情報
番組を 円ひろし と やってます。

ところで 元気の出る曲という連想では
武田節があります。
 滅んだのに 元気出る
 不思議です。

投稿: 二宮 博 | 2007年11月28日 (水) 02時20分

 こんにちわ、この音楽・歌詞ともに軽快な曲で記が落ち込んだりしたときに歌っております、鼻歌程度ですが。
私は大阪の町は知りません、しかしこの曲を聴いていると町の情景が見える気がするのは不思議ですね。またお便りさせていただきます。

投稿: トクラテス | 2008年2月17日 (日) 12時22分

私は大阪城や道頓堀には行った事がありますが、大阪の夜は知りません。
今度韓国の女性(「友人)が団体で来日しますので、私も2泊3日の旅程を立てて大阪で彼女と再会します。
大阪の夜を、この歌のように思い出深くなるように楽しみたいと思って聴かせて頂きました。
 憶えておきます あなたと過ごした夜は
 思い出の夢を唄っている 宵闇の大阪は
 二人の友情の街・・・♪

投稿: 香西 千鶴 | 2008年5月10日 (土) 23時39分

『大阪ラプソディー』カラオケに行ったら必ず唄う歌がコレです。なんといってもノリが良くってお気に入りのお相手を気軽にデュエットに誘えますからね
それに、歌詞も結構気に入っています。
じっくり味わってみるとなかなかのものですよ。
『歌は心の走馬灯 人生絵模様 うた舞台』

投稿: パンプキン | 2008年8月 3日 (日) 23時51分

このサイトすばらしい

投稿: 角田朝男 | 2008年11月 1日 (土) 18時35分

海原千里(上沼恵美子)は、漫才になる前は喉自慢あらしだったそうですね。だから歌がうまいですね。

私は男なのに、この歌を好きで歌う曲の上位にいつも入れています。カラオケ会社のDAM,UGA,ハイパーJOY,3社の機種は、すべて私の場合、キーを+4で歌います。

いかにも大阪の明るさが感じられる、演歌の名作のひとつだと思っています。同じような感じのものに、西川峰子が歌う「あなたにあげる」がありますね。これは私は+5か6で歌います。

投稿: 吟二 | 2008年11月 2日 (日) 20時56分

明るく、楽しく、心弾む軽快なメロディーで思わず、口づさんでしまいます。

大阪らしいのりのいい歌は他に永井みゆきさんの
「大阪すずめ」が大好きです。

いつかここに取り上げていただきたいです。

投稿: 赤い寒天 | 2009年4月26日 (日) 07時29分

赤い寒天さん

コメントを見て、永井みゆきの「大阪すずめ」を聞いてみました。確かに軽やかなテンポのいい曲ですね。17年前位にこの歌で新人賞を取ったようですね。覚えて歌いたいと思います。有難うございました。

「大阪ラプソディー」へのコメントは前に書きましたので、違う曲のコメントですみません。

投稿: 吟二 | 2009年4月27日 (月) 01時11分

大阪の歌の中ではもやもやを吹っ飛ばすには一番気に入った歌ですが・・・。
全国の中でも最も厳しい内情を抱えている大阪の大改革に、若い橋下徹知事の孤軍奮闘を見て微力ながら応援していましたが、6/17に知事公館への呼び出しがあり「OSAKAミュージアム構想」に関し、大阪の魅力向上に寄与したとの感謝状をいただきました。
近年中にはみんなで大ジョッキを手に「乾杯の歌」と若い人たちと「大阪ラプソディ」を心おきなく歌える日を待ち望んで頑張ります。

投稿: 尾谷 光紀 | 2009年7月15日 (水) 22時18分

メロディーも明るく後味の良い歌ですね。今から40年前の学生時代、女友だちと真夜中過ぎに御堂筋を大阪駅まで歩くと言う冒険をしたのを思い出しました。

投稿: Bianca | 2009年7月16日 (木) 19時27分

 この歌を聴くと30年前の大阪暮らしの時代を思い出します。知り合いの人がよく聞いてました。あの当時は演歌がたて続けにヒットしてましたね。 大人も学生も同じ歌を共用してましたね。いい時代でした。町を歩いていたらよくかかってました。

投稿: alude2500 | 2009年9月18日 (金) 20時56分

若い時、5年ほど大阪で暮しました。
いわゆるキタよりミナミが好きやったです。
嫁はんとも大阪で出会ったし、いまだに「おおきに」「あかん」「ほかす」なんて言ってしまいます。
ところで2番の歌詞に 戎橘(えびすばし)とあるのは橋じゃないかと?

投稿: ええなぁ | 2009年12月25日 (金) 16時57分

ええなぁ 様
直しました。ありがとうございました。

投稿: 管理人 | 2009年12月25日 (金) 17時11分

作曲者の猪俣公章さんは福島出身で医者になるため東京の開成高校で学んだと聞いております。あまり大阪に縁がなさそうなのにどうしてこのように立派な大阪の歌を作れるのでしょか。何かご存知のことお教えください。

投稿: 釈 浄慶 | 2010年10月16日 (土) 16時54分

65才になりこの曲を聴き大阪で3年間過ごしたひと時がなつかしく思い出されます。故郷広島でこの唄をを歌っています。明るい曲ですが、意外とつらく切ない詩と相まって涙の唄になる時もあります。熟年の上沼恵美子さんの唄が聴きたくなりました。

投稿: kado | 2010年10月16日 (土) 23時48分

迂闊にも最近まで気づきませんでした。この歌は「東京ラプソデイー」に、曲名だけでなく、導入前奏、間奏、ご当地讃歌、青春謳歌、大都会の雰囲気と、そっくり同じですね。勿論、歌詞もメロディーも全く違うので何の問題もありませんが、これは間違いなく「東京~」に対抗して<大阪の大阪讃歌>を目指して制作されたものと思います。
この二木先生の歌物語でも「東京○○」と付く歌は主として戦前から昭和30年台までで、一方「大阪○○」はこの「大阪ラプソディー」の昭和50年あたりから、「大阪ロマン」、「大阪の女」、「大阪しぐれ」、「大阪ふたりづれ」、「ふたりの大阪」などと大阪物の大ヒットが続き、東京~を凌ぐようになりました。
兵庫出身の山上路夫氏や海原姉妹の意気込みもあったでしょうが、経済・文化を含め、当時の大阪の高らかな東征宣言だったように感じます。まさに、歌は世に連れ・・・の典型?

投稿: 飯田 | 2011年5月20日 (金) 09時37分

日々、楽しませていただいております。
「長崎物語」があったらいいなと思います。
よろしくお願いいたします。

投稿: ハロー | 2012年2月24日 (金) 12時47分

おゆみ野ハーモニカで練習しています
テンポが速いので大変ですが いい曲なので
頑張っています
宮ケ原さん・コード頑張って  青木さんも
片岡さんも・・・上手く吹けますか・・
期待してます

投稿: 田中 | 2013年2月19日 (火) 19時23分

 この歌の一番好きなところは、「うれしいはずでも あなたといる時 なぜだかこの胸 いたんでくるの」です。そういう息苦しいような、うぶなデートの思い出は、遠い昔にありました。

 ところで大阪の町の評価として「庶民的、底抜けの明るさ、ラテン系、カオス的」さらに「ざっくばらん、下品、あつかましい」うーん、いちおうは正確な評価だと思います。
 ですが、関西に60年住んだ私としては、ほかの土地の人に、まあ大阪の文化、大阪人の気質は理解できないだろうな、いいや、わかってたまるものですか、という少々偏屈な気持ちがあります。
 たとえば、関西弁は、関西に住んだことのない人にはたいへん難しい方言です。有名な俳優でも苦労します。(岩下志摩「極道の妻たち」の際のインタビュー)変なアクセントだと、子どもでも笑います。
それと同じように、関西人特有の心理があります。
それは「東京が、なんぼのもんや」(東京にどれほどの価値がありますんや)という気持ちです。
 東京人といっても、生粋の江戸っ子は少なく、都意識まるだしで、お高くとまっているだけのこと。無理したら疲れますよ。もっと本音で生きてみなはれ・・。みたいな少々ひがみっぽい気持ちです。
 回転寿司は大阪が発祥の地です。値段が正確に書いています。明朗会計です。安心してお寿司を食べてください。これが大阪の文化です。

 どなたかのコメントに、「東京ラプソディー」を意識したのではないかみたいなことがありましたが、私も十分意識して作った歌だと思います。それゆえに、この歌をカラオケで歌う時、巨人軍(東京ラプソディー)をつねに意識している弱小の阪神ファンみたいな心理を感じます。

投稿: 音乃(おとの) | 2013年10月29日 (火) 18時16分

大阪人にとって懐かしい歌です。時々歌い、踊っています。side two x 2, box, back 4, for 4, vine 8, sway 2, twirl(change p.) 歌も踊りも好きです。

投稿: eOBA | 2014年9月 2日 (火) 11時50分

 神戸育ちの自分には、同じ関西人として、大阪のふんいきがよくわかる歌です。
漫才師の海原千里・万理が歌っても、違和感がなく、新人歌手のデビューとして、エールを送った記憶がある。
 1971年にぴんからトリオの宮史郎が、「女のみち」を歌った時も、ごくふつうに歌手として聴いていた。
 上品ぶっても、しょせんは人間の営み、背伸びしてもタカが知れてる、「歌手も漫才師もいっしょや」、という哲学が、上方(かみがた)の文化にはあるように思います。
同じ関西人だから共感できる・・
 ということは、東京をうたった歌は、聴いてわかったつもりでも、深いところでは、まったくわかっていないのではないか、と思ったりします。
 ご当地ソングというのは、部外者には、わかったつもりで、結局はわからない歌なんですね。通りすがりの旅行者に現地の実情、空気などわからないように・・

投稿: 越村 南 | 2015年4月12日 (日) 15時36分

神戸に住み、京都に学び、大阪で働くという理想の関西人を自負しています。大阪=関西の図式には抵抗がありますがこの曲は大好きです。しばらくぶりに帰ってきて驚いたことは、こちらのTVは故たかじんさんと上沼恵美子さんの天下になっていました。半世紀近く前、結婚前の家内と御堂筋を歩いたことを懐かしく思い出します。私の場合は淀屋橋から梅田が主でした。この曲は大阪の歌ということでミナミのイメージが強く感じられます。これの10年ほど前結婚した頃に出た坂本スミ子さんの「たそがれの御堂筋」は同じような内容でもしっとりしたキタの歌です。

投稿: しょうちゃん | 2015年4月13日 (月) 22時00分

「大阪ラプソディー」は軽快な曲にちょっぴりの切なさ(音乃様指摘)が何とも胸に響きます。時折聴きたくなるご当地ソングのひとつでもあります。
みちのくの私は大阪も、神戸も京都も奈良も好きです。上洛の折は滋賀まで足を延ばします。近江八幡、彦根、湖北と駆け巡ります。大阪には兄一家、幼馴染、高校の同級生、京都には我が長女がおり毎年複数回訪れます。美術展などは東京の混雑を避けていつも京都、神戸、大阪で観賞致します。先日も京博で狩野派展を鑑賞、友と奈良室生寺は奥の院まで登りました。思わぬ冷え込みが幸いして桜を堪能できました。大阪城の天守閣には足で昇りました。染井吉野は終わっていたが、開園を翌日に控えた造幣局の八重桜も河原から見ることができました。大阪人は行く先々の土地案内などもみんな親切でした。主に夜店の露天商の叔父さん、叔母さん、若者達。「いなば播七」イナバハリヒチのおはぎが無性に恋しくなります。

投稿: りんご | 2015年4月14日 (火) 08時00分

「大阪ラプソディー」猪俣公章が師匠の古賀政男の「東京ラプソディー」に劣らぬ名曲を”もの”にしようと作曲したと云われるこの曲を聴くと、私は爽快な気分になります!

この曲を歌った人気漫才師の海原千里・万里は、当時の漫才ブームの中で、特に千里の方は当時のアイドル歌手南沙織等の物まねも大変上手で、また二人のかけあいも絶妙で、お笑いネタも抜群に面白く、人気絶頂だったことを憶えています。

七色のネオンさえ 甘い夢を唄ってる

宵闇の大阪は 二人づれ恋の街 ♪♪♪

そして大阪の良さがふんだんに活かされて表現されている上記の詩は、特に私の好きなフレーズです。

私がバイヤーをしていた30代40代のころ、大阪には仕事で年に20回ほど出張に行っていました。その15年の間には、梅田に宿泊する時は、業者の誘いもあり、北や南の盛り場へはよく通いましたが、当時はいつでも行けると思っていた通天閣や法善寺などへは、結局は全く行けずに終わってしまいました。
この曲を聴いていると、実にそのころが懐かしくなり、25年ぶりに大阪へ行くのも悪くないなと思ったりしています。

今では大阪を代表する曲となった「大阪ラプソディー」この唄は「東京ラプソディー」に決して引けをとらない、浪花情緒を感じさせてくれる素晴らしい唄だと思います。

投稿: 芳勝 | 2019年4月14日 (日) 00時08分

京都、大阪で8年間、その後、藤沢、横浜に23年間、そして今は東京で21年過ごしています。しかしやはり懐かしく思い出すのは大阪のことばかり。何しろ19歳から25歳までの独り身で多感なうぶな時期でしたから。

この半世紀、僕の姿には何ら向上はないように思います。

”立てば放浪、座れば茶店、歩く姿は茶店の梯子”・・・。

しかし、僕の視点は変わってしまいました。昔はキョロキョロと若い女性にばかりに目が向かっていましたが、今は幼い子供達です。可愛いなぁ・・・。

大阪に入った当初、物珍しくて大阪駅近辺をよくうろつきました。大阪駅前には低層の住居が密集していてその中に銭湯もあったような覚えがあります。その通りに入るとどこからともなくおばさんが近寄ってきて、「お兄さん、お兄さん、寄ってかない?」と声がかかります。
新聞で大阪駅前の再開発が話題になっているるのを知りました。

大阪駅前では「きみきみ・・・」と駅員に呼び止められ、駅舎の中の一室に連れて行かれました。「どこから来た。何してる、どこに住んでいる」などと聞かれました。家出少年と見間違えられたようです。

阪急電車の中津駅が最寄りの淀川べりにある小さな会社に就職しました。いつもは駅を出てから大通りの歩道を歩いて会社まで通っていましたが時に近道して住宅が寄り添っている小道を通り抜けて会社に急ぐ時もありました。小さな通りには所狭しと各戸の植木鉢がせり出しており、開け放たれた戸からは上半身裸のオジサンが蠢いているのがみえました。八っつぁん熊さんの下町長屋の風情でした。

新入社員を集めて部長さんが会社の案内をされました。4階の屋上に上がり淀川を眺めながら方角の説明をされました。この方向が”ニューヨーク”です、と・・・
その部長さんはもと商社マンでした。ニューヨークを懐かしんでおられたのでしょうね。

昨年大阪を訪れたのですが、大阪の再開発はまだまだ続いているようです。大阪駅前もその隣の街中津もすっかり変わってしまいました。

投稿: yoko | 2019年4月20日 (土) 09時58分

私が、転勤で名古屋から大阪に移り住んだのは、昭和45年の4月、およそ10年間住んだ偉大なる田舎、名古屋の町に比べて、大阪は道幅が狭くやたらスピードを上げて走る車のなんと多いことよ!と、いう印象でした。
あれから、もう半世紀ちかくを経て、キタやミナミの風景も当時とは隔世の感がありますが、御堂筋だけは今でもあまり変わっていないような感じがします。
大阪駅から南へ約4kmのメインストリート沿いのポプラ並木は、ビジネスマンで混雑する時間帯を除けば、格好のデイトコース、林立するビルの明かりのなか深夜に至るまで人通りが絶えない風景は、今も昔もあまり変わってないようです。
梅田界隈から淀屋橋辺りまでが、いわゆるキタ。本町から戎橋~難波辺りまでがミナミで、キタとミナミでは、明らかに雰囲気がちがいます。
キタは、阪急電車や阪神電車の基点で、いわゆる山の手の感じ、ミナミは南海電車や近鉄電車の基点で、もっとも大阪らしい庶民的な町並みといったところです。

大阪ラプソデイーを、歌った海原千里万里は、もっとも大阪を代表するような庶民的な漫才師でしたが、この歌のヒットで一躍脚光を浴び、全国的にも知られるメジャーな存在となり、今もその片割れさん(上沼恵美子)は、関西の女帝として洋の東西を問わず恐れられた存在で、活躍をされています。
あの、頭の回転の良さと歯に布きせぬ毒舌は、彼女だから許されるのであって、他の人が真似たら大変なことになります。まあ~ たまに関西人として恥ずかしくなるようなこともままありますが・・・あれはあれでOKなのです。
今じゃ、東京のタレントさんでも、抵抗なく関西弁をおかずにしながら、しゃべっておられます(めっちゃやばい!とか、いろいろ・・・)が、巨人軍のぼんぼん監督の山の手言葉より、はるかに面白くて人情味を感じます。

もっとも、そんな偏屈人間でも、東京が嫌いなわけではありません。東京ラプソデイー、夢淡き東京などなど 東京へのあこがれは、今も尽きることはありません。

昔恋しい 銀座のやなぎ~ 仇な年増をたれがしろ~
東京行進曲も大好きです。

豊島区には、外務省勤に勤務している私の姪夫婦に超高齢で奇跡的に恵まれた可愛い一人娘がいて、今回の暴走事故が心配で電話したばかりですし、息子の勤め先も日本橋、いとこや妹達の大半が今や殆ど東京圏住まいです。

昔、出張の折に同僚に連れていかれた銀座のニッカバーや六本木のMr.JAMESは、懐かしくて忘れられません。
話が脱線し始めましたので、この辺で失礼します。


投稿: あこがれ | 2019年4月22日 (月) 13時40分

コロナで陰鬱な気持ちを元気にしてくれるこの歌を聴いています。音乃様のおっしゃる通り「嬉しい筈でもあなたといる時 なぜだかこの胸痛んで来るの」のところいいですね。女性の愛の切ない高揚でしょうか。それを感じ相手の男性も嬉しく愛おしいだろうと思います。歌に出て来る道頓堀、えびす橋(そしてそこのグリコの看板など)が醸し出す雰囲気の魅力を、私も知ってます。東京ラプソディーは一番は愛する女性と待ち合わせるときめきを歌う素晴らしい歌詞ですが、四番あたり切実感が少し薄れてしまう感じがします。対して大阪ラプソディーは最後まで一途に、デートの喜びを切なく歌うのがいいです。ある人によると大阪の国歌にしたいとか。

投稿: kazu | 2020年3月29日 (日) 22時37分

この歌は、家内が好きで、ときどき友人達とのカラオケ・タイムで歌っているようです。

ご当地ソングの部類かと思いますが、東西対抗として、
『東京ラプソディ』(門田ゆたか 作詞、古賀政男 作曲、藤山一郎 唄 S11)
を思い浮かべます。
これら二つの歌の出だしを眺めますと、
『大阪ラプソディー』では、
 ♪あの人もこの人も…♪
一方、『東京ラプソディ』では、
 ♪花咲き 花散る宵も…♪(花咲く宵も 花散る宵も…と理解)
と、似たような調子で始まり、すっと歌の中に入って行けるように思います。

ちょっと脱線ながら、東西対抗のご当地ソングでは、他にも、現在放映中のNHK朝ドラ『ブギウギ』関連で、
 『東京ブギウギ』(鈴木勝 作詞、服部良一 作曲、笠置シヅ子 唄 S22) 
と、
 『大阪ブギウギ』(藤浦洸 作詞、服部良一 作曲、笠置シヅ子 唄 S23)
実は、『大阪ブギウギ』という歌があることは、先日(10/7)放映の、NHK総合『名曲アルバム』を視聴して、初めて知りました。
また、私にとって、馴染み深い歌では、
 『東京の人』(佐伯孝夫 作詞、吉田正 作曲、三浦洸一 唄 S31) 
と、
 『大阪の人』( 佐伯孝夫 作詞、吉田正 作曲、三浦洸一 唄  S33)
両者とも好きですが、どちらかと言えば、『大阪の人』の方が、より好きです。(関西在住だからでしょうか)

投稿: yasushi | 2023年10月16日 (月) 14時59分

 この曲を聞くと、中年時代、取引先の社長らと飲み歩いたとき、とある歌声バーのような所に連れていかれ、この曲を唄えと言われ歌ったことが思い出されます。うまいなぞとおだてられ楽しかった日の一コマです。
 前に書きましたが、2009年4月の「赤い寒天」さんがこの曲もいいが、これも大阪らしくて大好きと言われた永井みゆきの「大阪すずめ」もほんとにいい曲だと思います。でも曲の最後の方の「あなたー、と私は」の所の間が難しく、時々歌っていないとだめなので、その後も良く歌っています。みゆきちゃんのデビュー曲で、ネットで見る10代の彼女はとても可愛らしく、最近は年のせいで、歌っていると歌の中の若い女性の純情についほだされて涙ぐんでしまうこともあります。ご存じでないみなさん、一度聞いてみてください。

投稿: 吟二 | 2023年10月16日 (月) 21時16分

(文中一部敬称略)
『大阪ラプソディー』がヒットした1976年当時、私は小学2年生でしたが、もうひとつ同時期に発表された大阪を舞台とした楽曲として、今なお続くNHK各波の長寿番組『みんなのうた』(1961~放送中)で紹介された『ボクたち大阪のこどもやでェ!』(1976、歌唱:東京放送児童合唱団(現・NHK東京児童合唱団/当時、現・エレファントカシマシのボーカル・宮本浩次(1966~)が在籍していた)、作詞・作曲:西岡たかし(西岡隆、1944~))が記憶に残っています。
♪ボクたち大阪のこどもやでェ、町中のことなら何でも知ってるでェ…♪という歌詞で始まる楽しいメロディーと歌詞の中に出てくる「大阪城」「通天閣」「(天王寺)動物園」など大阪の名所が映像に散りばめられていたことも忘れられません(NHKの番組なので、当然通天閣は「日立マーク」の映らない角度から撮影していた)。
それと、こちらのサイトの『北へ帰ろう』(1975、歌唱・作詞・作曲:徳久広司(1948~))の項目でも昨年私がコメントしましたが、1970年代後半以降はかつての藤山一郎(増永丈夫、1911~93)の『東京ラプソディー』(1936、作詞:門田ゆたか(門田穣、1907~75)、作曲:古賀政男(古賀正夫、1904~78)/♪楽し都、恋の都、夢の楽園(パラダイス)よ、花の東京♪)や灰田勝彦(灰田稔勝、1911~82)の『東京の屋根の下』(1948、作詞:佐伯孝夫(和泉孝夫、1902~81)、作曲:服部良一(1907~93)/♪キャピタル東京、世界の憧れ、楽しい夢の東京♪)のような「東京は夢と希望の詰まった憧れの町」と謳った歌謡曲の時代は終わり、内山田洋とクール・ファイブの『東京砂漠』(1976、作詞:吉田旺(1941~)、作曲:内山田(内山田道生、1936~2006)/♪空が哭いてる、煤け汚されて、ひとはやさしさを、どこに棄ててきたの…♪)や新沼謙治(1956~)の『ヘッドライト』(1977、作詞:阿久悠(深田公之、1937~2007)、作曲:徳久/♪ふり向けばつらいことばかりの、東京は捨てたよ…♪)のような、東京に対してネガティブな歌詞が綴られた楽曲が流行るようになった感があります(後年にはなるが、長渕剛(1956~)の『とんぼ』(1988、作詞・作曲:長渕)には1番で♪死にたいくらいに憧れた、花の都大東京…♪、2番で♪死にたいくらいに憧れた、東京のバカヤローが…♪と、その両方が綴られている)。
また、イルカ(保坂→神部としえ、1950~)の『なごり雪』(1975、作詞・作曲:伊勢正三(1949~))は守屋浩(守屋邦彦、1938~2020)の『僕は泣いちっち』(1959、作詞・作曲:浜口庫之助(1917~90))とは逆に曲の主人公(男性)が想いを抱く女性が東京を離れる、という内容の曲なので、そのうちのひとつといっても過言ではないでしょう。

yasushi様

貴殿が挙げていらっしゃる「東西対抗のご当地ソング」、私も補足というかたちでいくつか挙げてみたいと思います。

黒沢明とロス・プリモス『たそがれの銀座』(1968、作詞:古木花江(=星野哲郎/星野→有近哲郎、1925~2010)、作曲:中川博之(1937~2014))×坂本スミ子(坂本→石井寿美子、1936~2021)『たそがれの御堂筋』(1967、作詞:古川益雄(1920or21~1991)、作曲:加藤ヒロシ(生年不明、存命中))
※前者は銀座の各丁目、後者は御堂筋の各々の名所・区画名が綴られているが、名所・区画名ならば先述の『東京の屋根の下』も後者の対抗曲といっても過言ではない(と思う)。

PIZZICATO FIVE『東京は夜の七時』(1993、作詞・作曲:小西康陽(1959~))×ウルフルズ『大阪ストラット』(1995、作詞・作曲:大瀧詠一(1948~2013))
※どちらも90年代J-POPを代表するアーティストの楽曲で、前者は銀座・渋谷・新宿で、後者はなんば・道頓堀周辺で各々のボーカル(野宮真貴(1960~)/トータス松本(松本敦、1966~))が主演のプロモーション・ビデオ(PV)の撮影が行われた。

やしきたかじん(家鋪隆仁、1949~2014)『東京』(1993、作詞:及川眠子(本名非公表、1960~)、作曲:川上明彦(生年不明~2025))×DREAMS COME TRUE『大阪LOVER』(2007、作詞・作曲:吉田美和(1965~))
※どちらも遠距離恋愛をモチーフにした楽曲で、主人公の女性は曲名と反対側の地域在住である(そのため、後者の歌詞の大阪弁はやや不自然である)。

【番外】
西島三重子(1950~)『池上線』(1976、作詞:佐藤順英(1946~)、作曲:西島)×西岡たかし『上野市(うえのまち)』(1975、作詞・作曲:西岡)
※前者は東急電鉄池上線、後者は近鉄伊賀線(現・伊賀鉄道伊賀線)を舞台にしているため、厳密に言えば後者の舞台は三重県だが、曲発表当時の路線所有社(近鉄)の本社が大阪市だったので「東西の大私鉄が所有する小路線を舞台にした楽曲」繋がりで組み入れた。蛇足ながら、東急1000系電車(製造初年:1988)は東横線などの主要路線での運用を終え現在は池上線でその余生を送っている一方、一部の運用終了車両が2009年に伊賀鉄道に転籍し同社200系電車として運用されており、奇しくも両楽曲と関係の深い鉄道車両となった。

投稿: Black Swan | 2025年5月25日 (日) 13時41分

Black Swan様には、小生の拙文(’23-10-16投稿)に目を通して下さり、有難うございます。
『大阪ラプソディー』から、懐かしの名曲『東京ラプソディ』を連想し、東西対抗のご当地ソングの一つとして捉えて、書かせて頂いたものでした。

このたびのBlack Swan様からのご投稿('25-5-25)を、興味深く拝読しました。
ご説のなかで、”1970年代後半以降は…「東京は夢と希望の詰まった憧れの町」と謳った歌謡曲の時代は終わり、…、東京に対してネガティブな歌詞が綴られた楽曲が流行るようになった感があります ”との時代考証につきまして、”なるほど”と、時代の流れを感じます。
なお、Black Swan様からのご投稿を、いつも楽しく拝読しております。歌に対する情熱や、熱い研究心が伝わってきて、見習いたく思う次第です。

投稿: yasushi | 2025年5月26日 (月) 16時26分

(文中一部敬称略)
yasushi様

こちらこそ、私の論説とは言い難い駄文に対しましてお誉めの言葉をいただき有難うございます。
私は愛知県は名古屋近郊の市に住んでいるので、東京・大阪をはじめ横浜や北海道各地、長崎、更には北隣の岐阜県や長野県、北陸三県などの中部地方他県といったご当地ソングを数多く輩出している地域を羨ましく思っている次第であります。
名古屋のご当地ソングといえば、

【純粋に名古屋を歌った楽曲】
石原裕次郎(1934~87)『白い街』
(1967、作詞:内村直也(菅原実、1909~89)、作曲:野崎真一(野崎眞一、1931~2014))
※CBCラジオと東海ラジオ放送が制作に参加

北島三郎(大野穣、1936~)『なごやの女(ひと)』
(1971、作詞:星野哲郎(星野→有近哲郎、1925~2010)、作曲:島津伸男(堀信義、1935~2013))

つボイノリオ(坪井令夫、1949~)『名古屋はええよ!やっとかめ』
(1985、作詞・作曲:山本正之(1951~))

【CMソング・チーム応援歌】
楠トシエ(楠山敏江、1928~)『もぐらのチカちゃんの唄』
(1957、作詞・作曲:三木鶏郎(繁田裕司、1914~94)
※「ナゴヤ地下街」(名古屋駅地下街「サンロード」の前身)CMソング

天地総子(中野→岩澤総子、1941~2019)『千なりわらべ歌』
(1977、作詞:阿久悠(深田公之、1937~2007)、作曲:三木たかし(渡邊匡、1945~2009))
※名古屋の老舗和菓子屋「両口屋是清」のどら焼き風和菓子「千なり」CMソング

板東英二(1940~)『燃えよドラゴンズ!』
(1974、作詞・作曲:山本正之)
※後年、選手名を変えたバージョンが数多く作られ、中日ドラゴンズがリーグ優勝した年では1982:板東、1988:久野誠(1952~/当時CBCテレビアナウンサー)、1999:舟木一夫(上田成幸、1944~)、2004:水木一郎(早川俊夫、1948~2022)が歌唱した。

といった楽曲が浮かびますが、『白い街』と『なごやの女』は数多くのヒット曲を歌った石原と北島の楽曲の中でもマイナーな部類に入りますし、やはり全国的に知られているのは『燃えドラ』くらいではないでしょうか…(タツノコプロ製作アニメ『タイムボカンシリーズ』(1975~83、フジテレビ・東海テレビ・関西テレビ系)でもおなじみの同じ山本正之の作品である『名古屋はええよ!…』もYouTubeのフラッシュアニメで盛り上がったみたいですが)。

また、他都市も絡めたコンプレックス的楽曲では、

ハニー・ナイツ『ふりむかないで』※4番
(1970、作詞:池田友彦(生没年不明/電通のCMプランナー)、作曲:小林亜星(1932~2021))

山内惠介(山内恵介、1983~)『恋する街角』※2番
(2008、作詞:下地亜紀子(1943~2016)、作曲:水森英夫(1949~))

森高千里(森高→江口千里、1969~)/ミニモニ。『ロックンロール県庁所在地』※1番のサビ付近
(森高:1992/ミニモニ。:2003、作詞・作曲:森高)

といったところが出てきます。
ちなみに1998年1月3日に放送された『出没!アド街ック天国』(1995~放送中、テレビ東京・テレビ愛知・テレビ大阪など)の新春スペシャル「ご当地ソング地域別ランキング」(1位は横浜で、「東京」は銀座・新宿など地域別にランクインしていたため番外編的なコーナーで取り上げた)では、名古屋市及び愛知県にまつわる楽曲は全くランクインされていないどころか、当時の宣伝本部長(司会)だった愛川欽也(井川敏明、1934~2015)をはじめ出演者も誰一人として「名古屋のご当地ソングが殆どない」ことに触れておらず、愛知県民として見ていて悲しくなりました(前述の『ロックンロール県庁所在地』(森高版)が番外編的に流れた際♪愛知は名古屋♪と出てきただけだった)。

yasushi様が2023年10月16日付のご投稿にてどちらも三浦洸一(桑田利康、1928~2025)の『(東京・大阪)の“人”』を挙げておられますが、愛知県は常滑市が生んだスーパーデュオ、ザ・ピーナッツ(伊藤エミ(伊藤→澤田日出代、1941~2012)・伊藤ユミ(伊藤月子、1941~2016))も読みが同名異曲の『(東京・大阪)の“女”』をどちらも1970年にリリースしているので、それも絡めて今回も懲りもせず「東西対抗のご当地ソング」を2組挙げて今回の投稿の締めとさせて頂きます。

ザ・ピーナッツ『ウナ・セラ・ディ東京』(1964、作詞:岩谷時子(1916~2013)、作曲:宮川泰(1931~2006))×上田正樹(1949~)『悲しい色やね-OSAKA BAY BLUES-』(1982、作詞:康珍化(1953~)、作曲:林哲司(1949~))
※どちらも男女の別れを題材にした女性視点の曲で、街の情景が涙でにじむという共通項がある。

共にザ・ピーナッツ『東京の女』(作詞:山上路夫(1936~)、作曲:沢田研二(1948~))×『大阪の女』(作詞:橋本淳(与田準介、1939~)、作曲:中村泰士(1939~2020))
※奇しくも、両曲の作詞者は戦前戦後を通じて活躍した昭和の詩人(橋本:与田準一(浅山→与田準一、1905~97)/山上:東辰三(山上松蔵、1900~50))のご子息である。

投稿: Black Swan | 2025年5月31日 (土) 14時37分

Black Swan様からのご投稿(’25-5-31)を、楽しく読ませて頂きました。ありがとうございました。

投稿: yasushi | 2025年6月 1日 (日) 14時10分

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