芭蕉布
(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo
1 海の青さに 空の青 2 首里(しゅり)の古城の 石だたみ 3 今は昔の 首里天(しゅいてぃん)加那志(がなし) |
《蛇足》 昭和40年(1965)発表。
ハワイ三世の歌手・クララ新川の歌として企画されました。当初は1番をヤマトグチ(通常の日本語)、2番を英語、3番をウチナーヤマトグチ(沖縄弁)で歌う予定になっていましたが、この歌詞がなかなかできなかったため、しばらくはそのままになっていました。
のちに、地元で中学校の教師をしていた吉川安一が上記の詞をつけたことにより、沖縄はもちろん、全国で歌われるようになりました。ことに昭和40年代の歌声喫茶では、最も人気のあるナンバーの1つでした。
平成17年(2005)のNHK紅白歌合戦で、長山洋子が歌いました。
作曲者の普久原恒勇は、昭和7年(1932)、大阪市で生まれました。沖縄音楽に惹かれ、西洋音楽の手法を取り入れて、新しい沖縄サウンドを作り出した人として知られています。
近年人気が高まっている沖縄サウンドの基礎を築いた人で、沖縄では古賀政男と並び称されています。
吉川安一は、昭和14年(1939)、沖縄の竹富町鳩間島に生まれ、『芭蕉布』のほか、『ふるさとの雨』『本部町音頭』『ニライの苑』など、沖縄歌謡の傑作を書いています。
芭蕉布は芭蕉の葉から取り出した繊維を編んだ織物で、麻に似たさっぱりした風合いが特徴です。着物地や帯のほか、座布団、ネクタイ、袋物などに使われます(写真)。その技術は、国の重要無形文化財に指定されています。
3番の加那志は敬称で、首里天加那志は琉球国王様という意味だそうです。「がなし」の「が」が転訛して「ぢゃなし」と歌うこともあるそうです(谷あんさん、米澤さんからの情報を参考にしました)。
(二木紘三)
コメント
二木紘三先生有難う御座いました。
この歌の謂れを始めて知りました。美しい沖縄の歌ですね。
家内もコーラスで歌っています。幾度となく繰り返し聞いています。
歌のリズムとメロディーに魅せられています。波路拝。
投稿: 波路 | 2007年11月 8日 (木) 19時51分
この歌の 歌詞は 考えさせます。
「上納ささげた」
どこに?
薩摩? それでも 沖縄は
すばらしいですね。
なんで われわれに 共鳴させるるのか?
先生 いつも 有難うございます。
投稿: 二宮 博 | 2007年11月 9日 (金) 01時43分
二木先生こんにちは、いつも楽しませて頂いております、そして待ってました、この美しい”芭蕉布”のメロディ聴きたかったです、うれしくて懐かしくて涙が出てきます。二年前、石垣島に旅行に行き、市内の音楽スナック「芭蕉布」での楽しかった思い出がよみがえりました。ありがとうございました。
投稿: まいづるのV | 2007年11月10日 (土) 07時48分
二木先生、いつもすばらしい音楽を有り難うございます。
無料で聞かせていただき恐縮しております。
また、58歳でありながら、うかつにもこの歌の存在を知りませんでした。
歌声喫茶で人気だった由。1967年の上京時には、歌声喫茶はもう下火で、歌なんぞ歌っていられるか、という気持ちもあって、誘われるまま二度ばかり行きましたが、歌うことなく、気まずく帰ったと記憶しております。
「芭蕉布」は沖縄が日本にあってよかったとしみじみ思う名曲だと存じます。繰り返し聞かせていただいております。
先生の益々のご健勝、ご活躍をお祈りいたします。
投稿: 横浜の鞍馬天狗 | 2007年12月16日 (日) 17時36分
この歌は、近隣の老人クラブのカラオケ同好会でおぼえました。恥ずかしい限りですが、三番の一行目の歌詞「今は昔の首里天ぢゃなし」を何の疑問もなく「今の首里天は昔の首里天じゃない」という意味にとってずっと歌っていました。今頃になってこりゃどうもおかしいと思うようになり、「首里天の時代もいまになってみれば、もう昔のことですよねぇ」という意味なのかと思うようになりました。どなたかほんとの意味を教えていただければ嬉しいのですが・・・・。
投稿: 林 一成 | 2008年8月14日 (木) 10時25分
はじめまして、フラのレッスン曲が芭蕉布なので、芭蕉布の歌詞が知りたくて、捜していたところ、二木先生のブログ大変参考になりました。芭蕉布がハワイ3世の歌手のために作られた曲であることを知りませんでしたので、「あ-そうなんだ-」と納得!!ありがとうございました。二木先生のブログを私のブログで紹介させて頂きました。他にも曲にまつわるエピソードなど読ませて頂き、まだまだ知りたい曲があるので、これからも訪問させて頂きます。
投稿: rose | 2009年7月18日 (土) 07時33分
はじめまして。この芭蕉布を唄いたくてオケをお借りしました。
編曲もしてしまい申しわけありませんが唄いたかった歌なので頭出しがはっきりしたオケなので使わせていただきました。
いつもお邪魔しております。
ありがとうございましたm(_ _)m
投稿: 霧子 | 2011年1月15日 (土) 22時55分
この歌の持つ意味を、このブログで理解したように思います。ありがとうございます。
沖縄は「琉球」として、国としても民族としてもしっかりとしたアイデンティティを持っていたにもかかわらず、歴史の波はこの島を呑み込んで、あるときはアメリカの一部に、そしてさらに日本の領土にと、ある意味物のようにやりとりされました。(基地問題などはその続きですね)そんな中にあって、自分たちの変わらない魂を歌ったのが、この『芭蕉布』なのだと気づきました。
ちょうど、ミュージカル『サウンド・オブ・ミュージック』で歌われた『エーデルワイス』と同じですね。
意味の深さに打たれました
英語の歌詞をどこかで探せないものでしょうか?とても読んでみたくなりました。
投稿: あおさん | 2011年1月22日 (土) 10時05分
「唐ヲゥー」という歌詞の意味が解らないのですが、どなたか教えて下さい。
多分沖縄の言葉(方言?)だと思いますが・・・。
投稿: かっちゃん | 2011年3月13日 (日) 00時12分
はじめまして。定年後に歌を習い始めここを利用させてもらっております。さて、芭蕉布の歌詞の質問が見られますが、芭蕉布 歌詞をグーグルで検索すると 芭蕉布:たる一の島唄のまじめ研究 があります。ここに詳しく載っています。沖縄県は遠く離れた沖縄と宮古島、石垣島の三島から成っており、作詞者が石垣の竹島出身であることから 上納は沖縄の首里の大様にしたと自分は解釈しています。間違っていたら教えてください。唐ヲゥーは とーうーで 唐(中国)から渡来したうーの意味(うーとは糸芭蕉)だそうです。
投稿: 谷あん | 2011年7月 4日 (月) 10時23分
検索されない方のための追記です
しゅい(首里)てぃん(天)じゃなしの じゃなしは がなし(かなし)愛しい上級者への敬称の変化したものだそうです。
つまり、首里天じゃなしは首里王様と言うようなことだそうです。
投稿: 谷あん | 2011年7月 4日 (月) 12時37分
谷あん様
お陰さまで長い間の疑問が解けました。まったく意味を取り違えていました。知らないことは恥ずかしくても聞いてみることだと、77歳になった今つくづく思います。
ほんとにありがとうございました。
投稿: 林 一成 | 2011年7月 4日 (月) 18時00分
谷あん様のコメントに補足する形になりますが、私たちのグループでは、ウエヴで確認したとおり「首里天加那志」と漢字で表記した歌詞を使用しております。
「じゃなし」とひらがな表記にすれば、「何々ではない」と誤解されるのも当然だと思います。「今は昔の首里天ではない」となれば、首里天王宮が現在も存在するということになり、現状と矛盾します。
一般的には、ひらがな表記が多いのが現実で、いちいち訂正もできず残念です。
投稿: 米澤 九二三 | 2012年1月15日 (日) 18時05分
この歌は、沖縄在住時、数少ない「歌える曲」でございました。ほとんどの沖縄民謡はうちなーぐちなので、わたくしにはさっぱり分かりませんでした。この曲も裏から入る人が多く、拍子のとり方が半拍近くずれるので、うちなーの方々とは一緒に歌えませんでした。車の運転中に一人で歌って寂しさを紛らわせておりました。やはり、「しゅりてぃんじゃなし」と覚えました。「じゃらし」とも聞いたことがありましたがソースはありません…
>唐(とう)ヲゥーつむぎ はたを織り
唐ヲゥ=糸芭蕉から取れる繊維のことだと思います。この繊維を手作業でつむぎ、糸を作ります。それを巻いて織り糸を作り、高機(タカハタ)で機織をします。今でも、芭蕉布の里、大宜味村喜如嘉(くにがみぐん・おおぎみそん・きじょか)では、手作業で芭蕉布を織っていますね。「うーうみ」という、繊維を糸に「うむ」工程があります。元々はチョマ(苧麻)という上布の繊維を「うー」と呼ぶと思います。芭蕉布の材料の糸芭蕉は中国から来たので、「唐うー」=「唐ヲゥー」となまったと理解していました。芭蕉布も高価ですが、八重山上布、久米島上布など、コメのとれない琉球では年貢として薩摩に「上納」していた歴史を習いました。
名護博物館では、苧麻を栽培し、繊維を取り出し、「うーうみ」をして、機織していましたので、当時の経験からまなんだ知識です。
投稿: 安原昌 | 2012年12月22日 (土) 01時27分
「芭蕉布 普久原恒男が語る沖縄・島の音と光」
によると、ハワイ三世の新川クララが英語だけが堪能だったので英語の歌詞を稲福建蔵氏と川平朝清氏に依頼したがお二人とも忙しく結局は書いてもらえなかった。と本人が述べているので、英語の歌詞はなかったと思われます。
投稿: 水出雅文 | 2014年10月 6日 (月) 06時07分
水出雅文様
その本は存じませんでした。他の資料も参照して修正しましたが、まだ不正確かもしれません。ありがとうございました。(二木紘三)
投稿: 管理人 | 2014年10月 6日 (月) 11時46分
二木先生
35年ほど前に初めて聞いて以来耳から離れない曲です。皆さんのコメントも大変参考になりました。
この本はたまたま那覇の書店で見つけて買ったものです。
投稿: 水出雅文 | 2014年10月 7日 (火) 07時30分
何年か前のある宴会で、どうしてもとせがまれて、初めてカラオケなるもので歌った歌が芭蕉布でした。この歌は私には歌いやすく、私は沖縄出身なので、「海の青さ」の「の」を沖縄方言らしく「ぬ」と歌った方が歌いやすいので、今でも「の」は「ぬ」と言い換えて歌っています。沖縄の海と空の青さを思い出させ、何か郷愁を誘う歌です。好きな歌の一つです。この歌が歌声喫茶などで、よく歌われていたということなど、後で知りました。
投稿: 上原 | 2015年5月14日 (木) 20時16分
ひょんなことからこのサイトを訪れ、他の歌よりもコメントが多いのに驚き、本土の人にも愛されていることを知り、嬉しく思います。合唱祭などの合同演奏曲などとしてよく歌われています。二木先生に感謝いたします。
投稿: 島わたぶー | 2015年5月23日 (土) 02時22分
今朝のNHKTVでやっていました。「芭蕉布」の唄は聞いた事がありますが、詳しく知らないままでした。「イトバショウ」から手間のかかる様子が放映されていました。
見られた方も多いと思います。一度でいいから本物の「芭蕉布」を見たいと思いました。
昔、クワの幹から皮を剥いで繊維をとることを教えられた事があります。ものになったかどうかわかりません。蚕は飼っていたので、クワの木は知っていますが。着物にするほど細かい繊維ではなかったと思います。むしろ縄かロープに近いものではなかったかと思い返しています。
投稿: 今でも青春 | 2015年5月31日 (日) 17時29分
那覇のスナックで聴いた、美人コーラス女子が歌った芭蕉布の二重唱の楽譜、ありませんか?
兄と三線&オカリナ&コーラスのユニットを作り信州の山国で沖縄音楽を楽しみ、まったりしてます
投稿: エンジョイ小山61 | 2016年1月29日 (金) 15時13分
「芭蕉布の3番の歌詞の意味を知りたい」をネットで検索すると、沖縄県立図書館から次のような回答がでています。①「唐ウー」は「芭蕉の繊維」のこと。『沖縄今帰仁方言辞典』(仲宗根政善)のウー(芋・糸芭蕉)の項目に、実芭蕉はトーウーというとある。・・・これから推察すると「唐ウー」とは、糸芭蕉の繊維のことで中国(唐)とは関係ないように思われます。②「首里天加那志」の「首里天」は琉球王朝の国王で、加那志は敬称。「加那志」は、「がなし」→「ぢゃなし」→「じゃなし」と変化したと思われます。
投稿: 那覇市、長嶺 | 2018年6月13日 (水) 12時36分
今から10年ほど前、リタイア後の私は、地元のコーラス・グループに入会して、男声4部コーラスのファースト・テナーを務めておりました。何曲か練習しているうちに、メンバーの提案(私もその一人)による選曲で、新たに、「芭蕉布」が取り上げられました。南国・沖縄を謳った、美しいメロディ、歌詞が好まれたのでした。
歌詞については、一部分意味不明ながらも、特に詮索することもなく、週1回の練習を積み重ね、やがては、地元のミニ・コンサートで発表することも、2~3度を超えました。
長嶺様ほかのコメントで、♪首里天じゃなし♪(このように歌っていました)や♪唐ウー♪の意味が解明され、まさに、薄雲が拭われた感じです。勉強になりました。有難うございました。
投稿: yasushi | 2018年6月13日 (水) 15時13分
翁長知事が倒れられたとかーーー
自分の病気のことも 省みず
沖縄のために 全身全霊を 注ぎ込まれての結果だと
考えています
素晴らしく 清らかな 生き様
潔しです
それにくらべ A の無様な生き方
いまだに 虚偽 虚偽 隠蔽 のまま
権力に しがみつこうとしています
郵政で 350兆 も アメリカに差し出しながら
これも 自民の 小泉 竹中 の仕業ですが
JA の 150兆も 同じように ウォール街に
差し出した??
差し出そうとしている??
状況のようです
国民は ほんとうに 事実を知り
いからなければ いけないのではないでしょうか
この 芭蕉布 をききながら
怒りがこみ上げてきています
国のあり方を よく考えましょう
翁長知事の 人間性に少しでも 近づきたいものです
投稿: 能勢の赤ひげ | 2018年8月 8日 (水) 19時21分
二木先生、いつも勉強させてもらっておりありがとうございます。とても感謝しております。
さて、沖縄の曲の大好きな私ですが、今、友人たちと歌うのに「芭蕉布」の歌詞を書いているところです。
悩んでいるのは「首里天加那志」のルビです。シュリティン、シュイティン、スイティン・・・。どれも間違いじゃないのでしょうが困っています。
ちなみに吉川安一さんはどう歌われていたのでしょうね?二木先生が「シュリティン」とした決め手はなんでしょう?
不躾な質問でごめんなさい。
投稿: 後藤 絵美子 | 2018年9月19日 (水) 10時19分
>二木先生が「シュリティン」とした決め手
上の歌詞では「しゅいてぃん」とルビを振っています。
私は沖縄弁については、2,3の単語を知っているだけで、全然詳しくありません。この歌をアップロードしたときには、首里天にはルビを振っていなかったような気がします。しばらくして、沖縄在住か、沖縄出身かは忘れましたが、ある方から、歌詞のなかのいくつかの単語についての読みをご教示いただきました。それに従って、「しゅいてぃん」としたわけです。
推測で申し訳ありませんが、シュリティン、シュイティン、スイティン・・・は、個人または地域による発音の違いではないでしょうか。私にはわかりませんので、正確な情報をお持ちの方にお答えいただけたらと思います。
(二木紘三)
投稿: 管理人 | 2018年9月19日 (水) 15時17分
良い曲ですね。時々うっとりと陶酔して聴いています。
故郷の丘に登って青い空と青い海を眺めながらこの曲をハーモニカで吹いてみたいですね。
同様に、「ふるさとの丘の小径」もハーモニカで吹いてみたいです。
小学校5年生の時母がハーモニカを買ってくれました。上面と下面の金属板をいつもピカピカに磨いて宝物のように大切にしていました。今はもう手元にハーモニカはないのですが懐かしくなりました。
投稿: yoko | 2018年11月28日 (水) 21時26分
昭和47年から、沖縄地区の営業担当も任され7~8年間、月に1週間のペースで、沖縄へ出張してました。
この歌を聞くと、沖縄のいろんなところが懐かしく思い出されます。本部半島の琉球藍染の工房も訪れた記憶がありますし、海洋博の仕事で2週間沖縄に滞在したこともあります。
摩文仁の丘や ひめゆりの塔等の戦争遺跡を訪れた時は、なんともやりきれない感情に襲われたことも、今思えば、懐かしい思い出です。
伊丹空港から、ゴルフバッグを抱えて飛行機に乗り込んでいたとは、さしもの会社の上司様でも気がつかなかったことでしょう??
ただ、帰阪後、会社に出勤した時、左の手だけが日焼けせずに真っ白けで、気付かれないかと、ひやひやしたものです。
芭蕉の葉が、おいでおいでと 呼んでいるようで、常夏の島に、また行ってみたいな~と、思いながら歌を聞いてます。
投稿: あこがれ | 2018年11月29日 (木) 13時49分
【芭蕉布】青い海青い空、娘が学生の頃真っ黒に日焼けしてた
美しい風景を想像して歌っています。
奄美大島の方でご夫婦とも優しくて最も日本人の魂を感じさせて下さる方々と親しくなれた御縁に感謝します。大島紬の社長さんご夫婦でこんなに良い人達が奄美大島にいらっしゃると知りました。奇麗な曲や私たちがいいなと感動するルーツがここに在るのですね。沖縄の唄数曲を毎日弾いて楽しんでおります。
投稿: 細川 和代 | 2022年8月20日 (土) 16時52分