東京砂漠
(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo
1 空が哭(な)いてる 煤(すす)け汚されて 2 ビルの谷間の 川は流れない あなたがいれば ああ あなたがいれば あなたがいれば ああ あなたがいれば |
《蛇足》 昭和51年(1976)のヒット曲。メイン・ヴォーカルの前川清が独特の粘っこい歌い方で、大都会での男女の出会いを歌い上げました。
「東京砂漠」は、昭和39年(1964)に発生した東京大渇水の際に生まれた言葉です。その年の6月は空梅雨で、雨がほとんど降らなかったうえに、7月に入ると、東京では摂氏31度以上の日が1か月も続き、明治14年以来という猛暑を記録、空前の水不足となりました。
その状態は、利根川・荒川からの導水が突貫工事で8月25日に完成するまで、約3か月も続きました。こうした状態が「東京砂漠」と表現されたわけです。
作詞の吉田旺は、タイトル・歌詞にこの言葉を巧みに取り入れ、東京という人間関係が希薄で、さまざまな困難に満ちている場所での男女の愛を表現しました。
(二木紘三)
コメント
いつの間にか、1千万アクセスを突破して
すでに7万を超えていますね。
ものすごい人気・・・。
二木先生に感謝している人
統計とったらすごい数になるでしょうね。
投稿: 春平太 | 2008年2月17日 (日) 21時51分
伊藤さんのご紹介で来て見ました。
曲の紹介が詳しく。。。知らずに歌っていた曲の背景まで知る事となり
曲に対する思い入れも深まると言うものです。
投稿: sunday | 2008年2月21日 (木) 10時15分
良い所に着目した名曲ですね。私も先生の解説を読むまではこの「東京砂漠」と言う意味を知りませんでした。(S38年に田舎から京浜地区に出てきたのですが。)よそ者にとって、人間関係が希薄な東京にぽつんと孤立した状態、生きてゆくのもしんどいぐらいな潤いの無い東京の生活を「東京砂漠」といっているんですね。でも「あなた」がいるから大丈夫なのですね。
都会
人間が多い=人間の代わりがいくらでもいる、集団に埋もれて逃げられる=互いに無関心、個人が大事にされない、人間関係が打算的
田舎
人間が少ない=どんな奴でもいる人間を大事にするしかない、お互いに変な真似はできない=濃密な人間関係
蛇足:「東京砂漠」に疲れたら我が信州へおいで下さい。(あずさ2号、高原の旅愁、千曲川、山小舎の灯など詞に偽りはあり ません。)
投稿: 海道 | 2012年7月31日 (火) 20時01分
バブル最盛期の頃、分譲マンションの最大手ダイア建設(株)のCMに起用されたのは有名です。
この業界もバブルの終焉とともに淘汰され、ダイアパレスも民事再生法により事実上の倒産をしました。
確か、バスケットのドリブルの映像にこの歌が流れてた記憶があります。昭和39年の東京渇水は良く憶えています。
断水で、出てくる水は赤茶けた水に当時の米国大統領候補ゴールドウォーターと錆びた水を揶揄したコラムが新聞に載っていた記憶があります。
投稿: タケオ | 2015年5月11日 (月) 19時54分
「東京砂漠」大都会東京の黄昏、その情景と女性の切ない心情を見事なまでに表現した作詞家𠮷田旺の才能をひしひしと感じさせる素晴らしい詩に、内山田洋はそれに勝るとも劣らない秀逸のメロディを付けており、私の中ではこの唄は名曲だと思っています!
内山田洋とクールファイブのシングルレコードを初めて買ったのは、今でも最も好きな歌「恋唄」で、私が18才の時でした。その後二十歳の時には「海鳴り」そして22才の時に買ったがこの「東京砂漠」です。この3枚のEPレコードは今でも大切に保管しています。
ボーカル前川清の声の良さと魅力は誰もが知るところですが、この曲を歌っているころの歌声は最高の魅力を出していると思います。
最近ではYouTubで八代亜紀がカバーしている「東京砂漠」をよく視聴しますが、彼女の歌唱法にはこの唄の主人公の黄昏感が滲み出おり、私はとても気に入っています。
私は最近まで砂漠というとこれまで砂丘を想像していましたが、ある記事を読んで、日本の唯一の砂漠は東京都の伊豆大島にあることを知りました。その「裏砂漠」という写真を見ると確かに想像していた砂丘のそれとはまったくかけ離れていました。
その記事には「砂漠は雨量が少ないためにできた岩石や砂で構成された荒地」「砂丘は風によって運ばれた砂でできた丘」と記してあり、なるほどと納得をした次第です。
空が哭いてる 煤け汚されて
ひとはやさしさを どこに棄ててきたの
上記の詩のようにこの唄が醸し出すイメージからすると、写真で見る鳥取砂丘のような仄かな明るさをどこかに感じさせる砂丘の景色ではなく、やはり伊豆大島の裏砂漠、仄かな暗さをどこかに感じさせるような、そんな砂漠の景色のイメージが私には浮かんできます。
「東京砂漠」この曲が流行っていたのは、訳あって自分が最も辛い日々を過ごしていた22才のころで、あれから43年が経ちましたが、この唄を聴く度に今でもそのころの境遇を想い出してしまう、とても心に沁みる曲になりました。
投稿: 芳勝 | 2020年4月20日 (月) 21時56分