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2008年3月 4日 (火)

春の唄

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:喜志邦三、作曲:内田 元、唄:月村光子

1 ラララ 紅い花束 車に積んで
  春が来た来た 丘から町へ
  すみれ買いましょ あの花売りの
  可愛い瞳に 春のゆめ

2 ラララ 青い野菜も 市場に着いて
  春が来た来た 村から町へ
  朝の買物 あの新妻の
  籠にあふれた 春の色

3 ラララ 鳴けよちろちろ 巣立ちの鳥よ
  春が来た来た 森から町へ
  姉と妹の あの小鳥屋の
  店のさきにも 春の唄

4 ラララ 空はうららか そよそよ風に
  春が来た来た 町から町へ
  ビルの窓々 みな開かれて
  若い心に 春が来た

《蛇足》 昭和12年(1937)に「国民歌謡」の1つとしてとして発表されました。

 「国民歌謡」とは、NHK大阪中央放送局文芸課長だった奥屋熊郎の発案で、家庭で歌える明るく清新な歌を普及させようという目的で制作・放送された一連の歌を指しています。

 昭和11年(1936)から昭和16年(1941)まで、ほぼ1週間1曲のペースで放送され、そのなかから、『春の唄』をはじめ、『朝』『椰子の実』といった傑作が生まれました。
 しかし、戦局が深刻化してくると、だんだん趣旨が変わってきて、『愛国の花』『暁に祈る』『海ゆかば』といった戦時歌謡や軍歌が主体になってきました

 戦後は、「国民歌謡」本来の趣旨に戻り、「ラジオ歌謡」として、数々の佳作が放送されるようになりました。

(二木紘三)

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コメント

今の季節にぴったりの歌。寒かったこの冬もやっと春を迎へそうです。昭和12年は旧制中学最上学年、人も季節も春でした。ラジオで聞いたのを思い出します。題名は忘れましたが「人は青春 時は春 向丘に夢闌けて……」高専受験を目差したころを思ひだします。

投稿: Y.N | 2008年3月12日 (水) 17時30分

すばらしい国民歌謡です。あの緊迫した時勢に、このような平和な長閑な歌が流れていたのですね。今でもこのメロディーをテレビやラジオで聞きたいものです。有難う御座いました。

投稿: 波路 | 2008年4月 9日 (水) 21時35分

♪ラ・ラ・ラ♪ 気分爽快の時などにこの歌がよく出てきます。すっかり疲れの取れた朝には「朝だ・あっさーだーよー」と、歌いながら階段を下りてきます。
その時そのときに合う歌があるものですね。

落ち込んだとき、心を回復させる歌は?う~ん‥


投稿: 高木ひろ子 | 2008年8月 3日 (日) 16時51分

私は1952年5月12日生まれです。当然戦争は知りません。しかし春の生まれなのか「春の歌」と聞かれたらこの歌です。私の結婚披露宴で歌い「マザコン」とブーイングを受けたのは屈辱でした(笑

投稿: 大海和彦 | 2009年4月 6日 (月) 07時22分


 こんばんは。

 月村光子のオリジナルを聴きました。ポリドールレコード独特の、スチールギター?東海林太郎のレコードに多用されていましたね!)の間奏がいいですね。

投稿: こうちゃん | 2010年4月30日 (金) 21時21分

今年は春が遅いですね。それでも木瓜の花が咲き、チューリップの芽も伸びてきました。近所の白モクレンの蕾が真っ青な空の中に白く光ってみえます。「春の唄」を歌っているようです。風にも暖かさが感じられます。春色の花を一輪、今日は買ってこようと思います。皆さんの胸にも春色の花が咲きます様に。

投稿: ハコベの花 | 2012年2月27日 (月) 10時40分

こんにちは。ちょっとお尋ねしたくて書いてみました。
最初の「ラララ」のところですが、二木先生は四分音符で演奏されてますが、Youtubeで聞いた月村光子さんの歌では、八分音符で歌っているようです。私の持っている抒情歌集の楽譜では八分音符になっています。でも私も自分の記憶では四分音符で覚えていました。Youtubeで聞いたフォレスタというコーラスグループも四分音符で歌っていました。元は八分音符だったけれど、四分音符で広まった、ということでしょうか。 アケママ

投稿: 明田久美子 | 2014年4月11日 (金) 19時42分

明田久美子様
音の長さについては、必ずしも音符通りに演奏・歌唱されるとはかぎりません。同じ音符でも、演奏者や歌手、指揮者がgatetime(durationとも)やテンポをどうするかによって聞こえる長さが違ってきます。
ラララの個所を私が使った楽譜で確認しましたら、八分音符3つでしたが、私は最初のラを本来のテンポの35%に、2番目と3番目のラを45%に設定していました。それで四分音符に聞こえるのでしょう。要するに、音符の違いではなく、表現法の違いということになります。(二木紘三)

投稿: 管理人 | 2014年4月12日 (土) 03時54分

二木先生、お返事頂き有難うございました。すぐに頂いたのに、私のほうが疑問を出しっぱなしで数日家を空けたりしたので、お礼を申し上げるのが遅くなり、失礼いたしました。
歌いだしは、倍のテンポくらいにゆっくり歌う歌い方が、かなり一般的に広まっている、ということですね。前奏の感じからかな~、とか思いました。
≪蛇足≫を興味深く読みながら、楽しく聞かせていただいています。どうぞこれからも曲を増やしてください。
有難うございました。

投稿: 明田久美子 | 2014年4月17日 (木) 21時05分

明田久美子様
私は中学音楽の時間に明田様と同じように「ら〜ら〜ら〜」と学んだ記憶が有り、現在もそのように歌っています。
 童謡・唱歌のことを大変詳しく研究なさっている池田小百合さんのウェブサイトに〔なっとく 童謡・唱歌〕というのがありまして、『春の唄』のところで「ラララ」の音の長さのことについての説明があります。 作曲者の内田元が楽譜に音の長さの変化について、指示してあるそうです。「ラララ」の上にrall.ラレンタンド、だんだんゆっくり。「あかい」の上にa tempoアテンポ、もとの速さに。‥‥‥‥です。 私も内村光子盤を聴いてみました。「ラララあか〜い」と歌っていますね。 どうやら明田様の覚えてらっしゃるとおりに、管理人様の演奏テンポで楽しく歌いましょう。 「ラララ」は内田元の希望によって付け加えられたものだそうです。

投稿: かせい | 2014年4月18日 (金) 00時41分

かせい様
池田小百合さんの「なっとく童謡・唱歌」をお教えいただき、有難うございました。
この歌は、可愛い花籠を積んだ荷馬車に乗って自分も進んでゆくような楽しさがありますね。聞いている皆さんと声を合わせて歌いたい気分です。歌を聴きながら楽しい会話もできて、喜び倍増となりました。有難うございます。

投稿: 明田久美子 | 2014年4月22日 (火) 10時30分

もう一つ疑問が出てきました。国民歌謡には「その花」の部分が「ファ~ファ ソソラ」となっていますが、手元にあるのばら社の唱歌の譜には「ファ~ファ ファソラ」となっています。二木さんも「ファ~ファ ファソラ」と演奏されていますね。こんな小さなことに拘るべきではないのでしょうか。

投稿: 豊田 錫 | 2014年8月29日 (金) 21時21分

 私の生まれた年に世に出た「春の唄」は、今聴いても、決して歌古臭い感じはせず、春の到来を悦び、明るく歌い上げたところがとても好きです。
 特に、4番の、♪ビルの窓々 みな開かれて♪のフレーズは、寒い冬が終わった解放感が感じられて、琴線に触れます。

投稿: yasushi | 2017年3月27日 (月) 10時32分

これも又「春の唄」でしたね。
この歌のことは忘れていいました。
もう一方の「桜の花の咲くころは~」で始まる歌は時折
思い出しては郷愁に浸ったものです。

この明るい曲を聞くと雪に埋もれた日々からの
開放感が込み上げてきます。
とはいえ 当地は今日も雪空です。
ホッカイロを背中とお腹に貼ってストーブも焚いています。若い頃は主に秋の歌に惹かれたが、人生の晩年に足を踏み入れたこの頃は春の歌に惹かれます。
一本刀土俵入りの 皆様方のコメントにも共感の胸を熱く致しました。このような素晴らしいサロンを提供くださる二木先生に感謝感謝です。
折々にお邪魔、会話のできるカフェ的存在です。

投稿: りんご | 2017年3月27日 (月) 10時58分

冬が到来したときは、”冬来たりなば、春遠からじ”と心を宥めましたが、今は厳寒の時期で、より一層、春に近づいていると、自分に言い聞かせております。

春到来の喜びを、私流に端的の表しますと、”自然の優しさ”、”花は咲き、小鳥は歌う”ということになります。

「春の唄」にも、花と小鳥が登場しています
歌詞1番に、♪すみれ買いましょ あの花売りの…♪、そして、歌詞3番には、♪姉と妹の あの小鳥屋の…♪とあり、春を喜ぶ情景が溢れているように思います。
春の到来が、待ち望まれる昨今です。

投稿: yasushi | 2019年1月 5日 (土) 14時30分

 以前にも書きましたが、何年生だったかは忘れましたが中学の音楽授業で習いました。(昭和37年〜39年)
 教科書には1番と3番の歌詞が載っていたと思います。 Yasushi様が言われてますように、春の自然を象徴する『花』と『小鳥』ですね。
 昭和12年といえば、あの二・二六事件の翌年です。
 そういう頃に『国民歌謡』として、この胸ふくらむような明るい歌が
放送されていたとは思いもしませんでした。 この後、大東亜戦争という戦雲に日本が呑込まれて行くとは、この歌を唄い、聴いていたおおかたの人々がとても想像し得なかったことだと思います。
 

投稿: かせい | 2019年1月 5日 (土) 19時37分

以前から時々ここを訪ねていましたが、こんなに楽しい談話室があったとは知りませんでした。この[春の唄]は確か兵庫県のとある駅の駅前を描写したものだと聞いたことがあるのですが、今調べてみるとありました。
阪急西宮北口駅だそうです。ただ残念なことに阪神大震災ですっかり壊されて昔の景色は無くなったそうです。
昔ラジオで何度か聞いた記憶がありますが、この唄のあと、
[花のかおりーお乳の泡立ち牛乳石鹸よい石鹸]と続いていたような気がします。なお私は1946年生まれ。

投稿: まーちゃん | 2019年7月18日 (木) 23時15分

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