遠き山に日は落ちて(家路)
(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo
作曲:アントニン・ドヴォルザーク
遠き山に日は落ちて 1 遠き山に 日は落ちて 2 やみに燃えし かがり火は 家路 1 響きわたる 鐘の音に 2 やがて夜の 訪れに Goin' Home Goin' home, goin' home, It's not far, jes' close by, Mother's there 'spectin' me, Home, home, I'm goin' home. Mornin' star lights the way, Dere's no break, ain't no end, Goin' home, goin' home, |
《蛇足》 チェコ・ボヘミア生まれの作曲家ドヴォルザークの『交響曲第9番ホ短調作品95』の第二楽章のメロディに歌詞をつけた歌です。
この作品は、ドヴォルザークの最後の交響曲で、『新世界より』というタイトルがついています。
第二楽章『ラルゴの主題』は、荘厳なコラール(詠唱)風の序奏で始まり、イングリッシュホルンによる郷愁に満ちた演奏に移ります。このメロディが『遠き山に日は落ちて』または『家路』として知られている部分です。
フルートとオーボエによる中間部から、緊迫感の強い第一楽章の第一主題が加わったクライマックスへと移り、最後に再び『遠き山に日は落ちて』のメロディがゆったり流れます。
ドヴォルザークは1892年にアメリカに招かれ、95年までの4年間、ニューヨークの国民音楽院の院長として滞在しました。この期間に作ったのが『交響曲第9番―新世界より』で、ほかに『弦楽四重奏曲第12番 ―アメリカ』や『チェロ協奏曲ロ短調』なども作曲しています。
ドヴォルザークのたいていの評伝には、これらアメリカでの作品について、次のような趣旨の説明がなされています。
すなわち、ドヴォルザークは、アメリカで黒人やインディアンの音楽を初めて聴いて強い感銘を受け、もって生まれた東欧的な音楽感性と西欧古典音楽の教養によって、アメリカ・東欧・西欧の3種類の音楽を融合させて、新しい音楽へと昇華させた――というのです。
この説明では、『交響曲第9番』全体の成り立ちや特徴はわかりますが、第二楽章になぜあのような素朴で安らぎに満ちたメロディを入れたのかはわかりません。
素人考えで、多分に独断が入っていますが、私は次のように考えました。
アメリカは1776年に建国して以降、猛烈な勢いで国作りを進めてきました。人々は先を争って西へ西へと進み、東部に残った人々は次々と新しい産業を興しました。
そのエネルギーの基底にあったのは、「強いこと・大きいこと・勝つこと」を3本柱とするアメリカ独自の男性的価値観でした。優れているとは強いこと・大きいことであり、勝たなければ意味がなく、負けたものには何の価値もないとするのが、支配的な考え方でした。
ドヴォルザークがアメリカに来た頃、エジソンはレコード、電球、活動写真などを発明し、新しい鉄道や道路が建設され、自動車が走り、大都市では高層ビルが建ち始め、ジェネラル・エレクトリック社など、のちに世界企業となる会社がいくつも設立されていました。
ドヴォルザークは、こうした目覚ましい物質文明の進展とそれを生み出す活力に感嘆し、それを自分が生まれ育った旧世界=ヨーロッパに伝えたいと思ったのではないでしょうか。それが、『新世界より』というタイトルにつながったのでしょう。
しかし、ヨーロッパの繊細で洗練された文化風土のなかで人間形成をしてきた彼が、アメリカの猛々しいほどの活力や男性的価値観を何の抵抗感もなく受容できたとは考えられません。感嘆する一方で、精神的な疲れも感じていたのではないでしょうか。
若い時分なら、そうしたものに適応できたでしょうが、アメリカに行ったとき、彼はすでに52歳でした。
1893年の夏休み、ドヴォルザークはアイオワ州に出かけました。第二楽章の大部分は、このときに書かれたといわれています。
アイオワ州はボヘミアからの移民がとりわけ多い土地ですから、彼は多くの同郷人に会ったはずです。同郷の人々が維持していた生活習慣、話しぶり、人との接し方、ひょっとしたら食べ物などによっても、彼の精神的疲れが和らげられたと思われます。
まるで故郷に帰ったときのような安堵感から、あの暖かく素朴で安らぎに満ちたメロディが自然に湧き出てきたのではないか、と私は想像しています。
1922年、ドヴォルザークの弟子のウィリアム・A・フィッシャーが詩をつけ、『Goin' Home(帰郷)』という題の歌曲を発表しました。
フィッシャーがドヴォルザークから「このメロディのモチーフは故郷だ」と聞いていたかどうかはわかりません。
しかし、彼がそう聞いていようがいまいが、また実際には違うモチーフだったとしても、このメロディから自然に浮かんで来るのは、懐かしい故郷や暖かい我が家のイメージです。
日本語の2つの詩も同じでしょう。ほかの各国でこのメロディにつけられている詩も、その大部分は、故郷や我が家をテーマとしたものだろうと思われます。
(二木紘三)
コメント
私は、中学校で「家路」という題で習いました。
歌詞はたしか、“遠くけむる野辺のはて めぐる川の銀の帯”といった出だしでした。
画家・安野光雅氏の、懐かしい歌とその歌にちなんだ絵にエッセイを付した「繒本歌の旅」という本に、「家路」も載っています。
題は家路ですが、歌詞は“遠き山に日は落ちて”です。
絵は、ドボルザークの生家を中心に描いたチェコのネラホゼヴェスという村(プラハの北50km)の風景画です。
その本のあとがきで、氏はこういうことを言っています。
『子どものころうたった歌は、そのころの空気といっしょに密封されていて、ちょうど缶の蓋を開けたときのように、その時代のいろんな時間などといっしょになってもどってくる。・・・中略・・・
大人になってふりかえれば、その歌詞の意味を読み取ろうとするが、缶を開けて出てくる歌は、軍歌だろうと、恋歌だろうと、歌詞の意味はあまり問わない。「あいつは共産党なのに、酔うと軍歌を歌う」といわれた男があるが、彼にとっては軍歌は青春の歌だったのだ。意味は問わないのだから、軍歌をうたうなというのは気の毒である。・・・後略・・・』。
投稿: 周坊 | 2008年3月24日 (月) 13時45分
寒昴(かんすばる)昇るを見つつ家路かな (拙句)
私にとっての『家路』といえば、やはり郷里での思い出ということになります。
高校時代の三年間を私は、郷里の山形で汽車通学をしておりました。
学校からの帰りの汽車を降りて、地元の駅から、私がお世話になっていた母子寮までは、東西に伸びた数キロの、町で何本かの大路の一つでした。それを私は、ほぼ真東に向けて、町外れまでの家路につくことになります。
晩秋から冬にかけては、日が沈むのが早いですから、いつもとっぷりと暮れた中を帰っておりました。
昭和四十年代初頭頃の、まだ街の灯りも乏しかった東北の田舎町です。道にそった東の空を見上げると、それはそれは見事なばかりの、満天の星空です。オリオンも、シリウスも見えすぎるほど、煌々と煌いていました。
するとそのうち、東の真正面の中空に、いつも決まって薄ぼんやりと煙ったような星の塊りが浮いていることに気がつきました。『あれっ。何だろう?』。何回もそうしてその星の塊りに出くわすうちに、興味を持って天文図鑑などで調べてみると、それが「昴(プレアデス星団)」であるということが解りました。
冒頭の句は、その頃の感懐を思い出して、数年前句にしたものです。
現居住地でも、明るすぎる夜景の上空に、目を凝らして見ようとすれば見えますけれど、あの頃の「寒昴」のインパクトとは、およそ比べものになりません。
投稿: 大場光太郎 | 2008年3月24日 (月) 19時08分
大場光太郎様
星を見上げながら家路につくというちょっとした感動は誰しもあるんですね。
山形と九州では星空の様子が違うものかどうか知りませんが、宵の口に東に向かって歩けば冬の星座はほぼ正面から上ってくるのではないでしょうか。
私は最近視力が落ちて、肉眼では昴が見えなくなりました。
歌を通じてさまざまな思い出や感動を吐露したり、人様の感想を知ることができることは有難いことだと思います。
今後ともよろしくお願いします。
投稿: 周坊 | 2008年3月24日 (月) 20時45分
周坊 様
お便りまことにありがとうございます。
まず「冬の星座はほぼ正面から上ってくるのではないでしょうか」というご指摘ですが、私の文意は、オリオン星座やシリウスがやや南の方向に位置しているのに対して、「昴」はほぼ真東に位置している。そのような意味合いでした。なお、「東の真正面の中空」は、単に「東の中空」だけでもよかったかもしれません。
なおこのたびは、私の出すぎた所見のために、周坊様、能勢の赤ひげ様を巻き込ませてしまい、大変申し訳ございませんでした。同コメントの中で「一身でお受け致します」と加えましたのは、これはあくまでも私個人の問題提起であり、他のどなたも巻き込ませたくはないな、という思いからでしたが。
ただ私と致しましては、『うた物語』運営上の二木先生の基本方針を明確に確認させていただき、かえって良かったかなと、考えております。
ともあれ、周坊様のおっしゃるとおり、「歌を通じてさまざまな思い出や感動を吐露したり、人様の感想を知ることができることは有難いこと」ですね。
周坊様。こちらこそ、今後ともよろしくお願い申し上げます。 大場光太郎拝
投稿: 大場光太郎 | 2008年3月25日 (火) 01時28分
こんばんは。はじめまして。
昭和40年代に、歌声喫茶で聴いた曲で、「別れたひと」と記憶しているのですが、ご存知でしょうか?ご存知でしたら、歌詞その他を、是非お教えください。よろしくお願いします。
投稿: クレージー・アーロン | 2008年3月26日 (水) 23時05分
「家路」は55年前に学校で教わりました。カラオケで唄えるかなと思って、カラオケ本で検索しましたが出ていませんでしたので諦めていましたところ、最近偶然に「遠き山に日は落ちて」というタイトル名を見つけたので、時々唄っています。
郷愁を誘ういい歌ですね。
投稿: 秋山勝浩 | 2008年4月30日 (水) 05時47分
若い頃。。。天王寺で遊びまわっていた私は、夕方5時になると通天閣からこの曲が鳴り響くのを知りました。
通天閣あたりは新世界と呼ばれているし。。。あのあたりには関東方面から来られている方が沢山いらっしゃいました。まさにぴったりの選曲でした。
そして遊びまわっていた私も神戸に帰えらなきゃと言う気持ちになったものでした。
あれから。。。幾星霜。。。今も通天閣ではこの曲がなっているのでしょうか?
天王寺には行くのですが。。。夕方までゆっくりしている暇がありません。
投稿: sunday | 2008年4月30日 (水) 06時25分
懐かしい曲ですね。中・高時代には、一番よく口ずさんだ曲 でしょうか。
キャンプファイアーの時、必ず火を囲みつつうたった歌---別に何も考えずとも歌詞どおりの気持ちに導いてくれた曲、自然と一体にさせてくれた曲 そういうものだったように記憶しています。
sunday様、今でも通天閣からは、この曲ながれるそうです。でも、時間は午後8時-----時代のながれでしょうか??
投稿: 能勢の赤ひげ | 2008年5月 6日 (火) 12時05分
そうでしたか?
午後八時からですか?
真面目な学生のつもりで居ましたが。。。。今自分が親になってみると
危なっかしい子供でしたねぇ。
それでも。。。家路を聞くと家に帰らなきゃと思って孝行娘のつもりでいたんですねぇ。
投稿: sunday | 2008年5月 6日 (火) 16時47分
最近は曲名を聞いても直ぐメロディーが
出てこないのですが・・・
曲が流れて・・・♪思わず鼻歌が♪
投稿: き~ちゃん | 2009年9月23日 (水) 07時07分
懐かしい歌です。学校での音楽の時間でなく
小学校6年生の時の担任のM先生がガリ版刷りで10曲
ぐらいの歌集を生徒に配り 歌ったのです。
先生は受け持ちの生徒を愛し 日曜日など
希望者をサイクリングに連れて行ってくれたり
本当によく指導していました。
私にとっても懐かしい先生と名曲です。
有難うございます。
投稿: 青果(川本) | 2010年1月26日 (火) 22時01分
帰りの音楽にも安心しました!
投稿: 日曜夜10時30分は「報道特集」 | 2010年3月12日 (金) 22時11分
学校の音楽の時間、これはドヴォルザーク作曲のクラシック音楽の一部だと聞いて、やっぱりどこか違うな、余韻に品があるな、なんて感じたことを思い出しました。その時私が習ったのは、以下のような歌詞だったと思います。いろいろな歌詞があるのでしょうか。下記の詩をどなたか、訂正していただけたら嬉しいです。
森のこずえ暮れ染めて
ねぐら急ぐ鳥の声
夜ごと漏るるともし火に(の?)
〇〇〇〇〇〇輝けば
遠きかなたふるさとの
母の影の懐かしや 懐かしや
投稿: 吟二 | 2010年8月15日 (日) 13時46分
「家路」久野静夫 作詞
1 もりのこずえ くれそめて
ねぐらいそぐ とりむれて
やごともるる ともしびの
うるみうすれ またたけば
とおきかなた ふるさとの
ははのかげの なつかしや
なつかしや
2 さぎりこめて みちほそく
たどるいえじ なおはるか
しじまもるる せせらぎの
しらべあわく ささやけば
とおきかなた ふるさとの
ははのかげの なつかしや
なつかしや
「家路」高田三九三 訳詞
いえじさして かえりゆく
こころかろく かえりゆく
みちはちかく たのしいえ
うれしいまぞ わざおえて
ふぼのもとに かえりゆく
とものつどい またうれし
駄目でしたら削除してください。
楽譜からなので、平仮名のままです。
管理人さんの参考になればと思い書きます。
投稿: なち | 2010年8月15日 (日) 16時28分
懐かしい歌詞ですね。私も「森の梢暮れ染めて」で習いました。56年も前に習ったので合っているとは思いますが・・2番は全く覚えておりません。
森の梢暮れ染めて
ねぐらいそぐ鳥の群れ
夜ごともるるともしびの
うるみ薄れまたたけば
遠き彼方ふるさとの
母の影の懐かしや 懐かしや
投稿: ハコベの花 | 2010年8月15日 (日) 16時45分
「夜ごと」は(よごと)ではなく(やごと)と歌っていました。ひょっとしたら(家ごと)かも知れませんね。そのほうが歌に合っていますね。マア、歌っていれば夜でも家でも「や」ですみますからわかるまで「や」で歌っていましょうか。
投稿: ハコベの花 | 2010年8月16日 (月) 10時11分
なちさま・ハコベの花様
「やごと」は「夜ごと」だろうと勝手に判断して直してしまい、すみませんでした。(二木紘三)
投稿: 管理人 | 2010年8月16日 (月) 10時55分
昔買っていた本ですが、もう一度見たら「やごと」になっています。
歌詞を楽譜に書く人がそう書いたのかも知れませんね。
詞を楽譜にする人が「夜毎」を「やごと」と書いたのかも知れませんね。
投稿: なち | 2010年8月16日 (月) 13時06分
昭和20年代、中学2年の時初めての林間学校は伊豆達磨山でした。キャンプファイアーで歌う歌集を練習して行った中に、この「家路」もありました。
指導主任の先生が、この歌の後、今日の幸に感謝し、明日の無事を祈る、アーメン、とやりました。子ども心にアーメンやっていいのかなあ、と思いました。東京下町の、教会には縁の薄い土地柄でしたから。
皆さんの話を読むと、アーメンの締めがよく似合う歌なのだ、と思わされました。
投稿: ika-chan | 2010年8月20日 (金) 19時33分
今、友人のコーラスをやっている息子さんから、なちさんが書いて下さった歌詞と全く同じ歌詞がすべてひらがなで送られてきました。しかし、私の同級生は皆、「鳥の群れ」と歌ったと言っています。ちゃんとわかるまでドキドキします。楽しみです。
ika-cyan様
達磨山から富士山を見ましたか。私は昭和31年に学校に親が同伴すると嘘をついて、友人4人と達磨山でキャンプをしました。朝5時ごろ、山の下の霧が少しずつ晴れ、小島の浮かんだ駿河湾の向こうにドカーンと大きな富士山が現れた時は、感動で声も出ませんでした。あれ以上の美しい景色を見たことはありません。今は道路も整備されて楽に達磨山に行くことが出来ます。富士山がお好きな方、ぜひ1度行って見てください。
投稿: ハコベの花 | 2010年8月20日 (金) 21時12分
「家路」高田三九三 訳詞
家路さして かえりゆく
心かろく かえりゆく
道は近く 楽し家
うれしいまぞ わざ終えて
父母のもとに かえりゆく
友のとづい またうれし
あゝ あゝ わが家(や)
願いごと かないたり
やすけき 旅路よ・・ 楽譜は♪やすけき 家路よ
なやみも さりてよ
いまぞ 行(ゆ)くよ
家路さして かえりゆく
道は近く 楽し家
かえりゆく 家路
------
歌詞は「旅路よ」 楽譜は「家路よ」になっています。
歌詞は3個に分けてありますが、
楽譜は続けて書いてありますし、
♪願いごと・・からは編曲したような箇所があります。
歌詞のページがありました。
http://www.city.maebashi.gunma.jp/kbn/06900016/06900016.html
・・・・・・
次のページにもありましたので、
ここを消して、上にまとめてください。
投稿: なち | 2010年9月 9日 (木) 13時08分
左に大西洋の水平線、右に熱帯雨林が海岸までせまる幅広い海岸を散策してる時、遥か彼方の海岸山脈に陽が傾き、世界が荘厳な落日に真っ赤に染まる時、いつも思い出すのはこの"遠き山に日は落ちて"、高校(横須賀学院ー僕は1期生)でよく合唱しました。この歌こそが僕を新天地に憧れさせた張本人なのです。二木先生のうた物語に接しメロヂイーに合わせて歌い始めた時、万感胸に迫って歌えなくなりました。 うちの近くの辻堂の砂丘から見た大山、富士山そしてかすかな伊豆の山々の夕暮れと重なって..懐かしい。 ちなみに、僕は56年ブラジル着、現在77才、妻(2世)とサントスから数十km北のベルチオーガBertiogaと言う海岸の街に住んで、2人とも年金生活、悠々自適? でも、特殊児童の学校でボランチアで工作の時間を受け持って折り紙を教えたり楽しくやってます。 キミオ
投稿: 佐藤公男 | 2010年11月 7日 (日) 03時17分
楽しく聴きたい
投稿: 高橋 俊三 | 2011年4月10日 (日) 16時34分
you tubeを観て居りましたら、倍賞千恵子の歌で「家路」が入っておりました。♪森の梢 暮れ染めて ねぐら急ぐ 鳥群れて~♪と歌っております。なちさんが書いて下さったとおりでした。これで、何かすっきりした気分になりました。森の梢~は中学以来聴いて居りませんでしたから、とても嬉しく懐かしい気分です。習った通りの歌は良いものですね。吟二様 you tube 、賠償千恵子「家路」で検索して聴いてみて下さい。
投稿: ハコベの花 | 2011年6月17日 (金) 22時27分
大場光太郎様
家路を聞いてイメージするのは、薄暮、星、草原、小道、戸明かりなどですが、東の空からのぼる晩秋の星々が私はいちばん好きです。中学時代、暗い夜道の下校時、いつもぼんやりかすんだ一団の星はなんだろうと思いながらながめたことが思い出されます。後年、すばるだと知りました。ところですばるは見つけ方のコツがあるというのを最近聞きました。見つけようとしても見つけられない。なにげなく目を空に向けた時、すばるが浮かび上がってくるんだとか。禅問答っぽいですね。
大場様にはすばらしいコメントをいつもありがとうございます。江須英知
投稿: 江須英知 | 2012年5月29日 (火) 22時18分
昨夜息子が『家路』のカセットをかけておりましたので、付いていた歌詞の本をみたところ、「やごともるる」のやは「家ごともるる」になっておりました。夜より家のほうが情景が目に浮かんできますね。作詞は堀内敬三になっております。美しい歌詞だと思います。
投稿: ハコベの花 | 2012年5月31日 (木) 09時43分
今、メールして気がついたのですが、「遠き山に日は落ちて」が堀内敬三なら多分この本が間違っていて、久野静夫が正しいと思います。訂正させて下さい。
投稿: ハコベの花 | 2012年5月31日 (木) 09時51分
私はこの曲の歌詞を次のように覚えています。
大分前のことなので途中も抜けたりと正確さは全く当てになりませんが、、でもこの詩は好きなのです。
どなたか分かる方がいましたら教えて頂ければうれしいです。
家路
道ははるか 雪の原
進め友よ ひるむなく
いばら越えよ 川越えよ
、、、、、、、、 、、、、、、
やがて幸にめぐり合い
花ぞ薫る 故郷へ 故郷へ
投稿: 遠い国 | 2012年7月31日 (火) 11時22分
皆さん色んな、それぞれ違った歌詞で覚えて、このドヴォルザークの歌を唄われたのですね。 私は中学2年時に野上彰氏の「響きわたる 鐘の音に、、、」で習いました。
一日の仕事を終え、安らぎの我が家へ帰る安堵感は、万国共通のものでしょう。 1971年度製作のフランス映画「扉の影に誰かいる」という作品に使われていましたね。チャールズ・ブロンソン、アンソニー・パーキンスが競演したサスペンスものでした。中々効果的に、随所随所でながれていたようです。
パーキンスにピッタリのキャスティングだったような、いわば
一寸した「目っけもん」でした。
投稿: かせい | 2013年5月 5日 (日) 00時13分
私が中学3年の時に習った音楽教科書では、1.道ははるか 雪の原 進め友よ ひるむなく 腕を組みて 助け合い 茨越えよ 川越えよ やがて春に 巡り合い 花園薫る 故郷へ 故郷へ 2.風は吹きど 雪降れど やがて春は 来たるべし 忍び耐えて 嘆くまじ 暗き日にも のぞ めよや やがてさちの 虹を見ん 夢に描く 青空に 青空に と云う歌詞でした。教科書は昭和39年版の 「中学の音楽3年」で作詞は詩人の 大木惇夫です。
投稿: のんたん | 2015年1月21日 (水) 18時27分
驚くほど充実したブログなので、いつも感嘆しています。藤沢市で「歌う会」のピアノを弾いていますが、先日「家路」を堀内敬三訳で採り上げました。そのとき参加者から goin' homeという英語の歌詞も有るのではないかと指摘があり、このブロクで確認することが出来ました。ありがとうございます。いつもとても有益な知識を得られるブログなので、感謝しています。
投稿: 山田光義 | 2016年4月 4日 (月) 11時07分
『家路』を聴いていて、そういえば昔の学校音楽にはクラシック曲に日本語
歌詞を付けた歌が幾つかあったことを思い出しました。
モーツァルトのピアノソナタK331 『トルコ行進曲』に
銀のお城のうえ みどりのはた
風にひらひらひらなびいてる
パララン 小太鼓打つ人形の兵隊
いちに 手を振り振り行進だ (小学3年)
ウェーバーの『魔弾の射手』に
秋の夜半の 美空澄みて
月のひかり 清く白く
雁のこえの 近くきくよ
一つ二つ 五つ七つ (小学4年)
ベートーベンの『トルコ行進曲』に
アテネの町々 トルコの兵隊進む
小太鼓先頭に 四列に並んで
足並み揃えて ザクザククザク・・・ (小学4年)
ほかに ミヒャエリスの『森の鍛冶屋』など…。
いまの音楽教科書にも載っているのでしょうか……。
投稿: かせい | 2018年7月 2日 (月) 18時00分
先程Youtubeでドヴォルザークの『新世界より』第2楽章を聴いていました。 メロディを聴きながら ♪ひびきわたる鐘の音に〜♪と自然に口ずさんでいました。 音楽の授業で習ったものは、強く脳に記憶されているんですね。 同じ穏やかな曲調の、やはり日本語詞が付けられた歌を思い出しました。『家路』と同様、4年生の教科書に載っていた『山里の夕ぐれ』という歌です。モーツァルトの『アイネ クライネ ナハトムジーク』の第2楽章に日本語詞が付けられています。作詞 小田三平
しずかに秋の日おちて
丘も野辺も次第に消える
はるかに山の日あかく
しずかに山里は暮れる
おそらく今どきの教科書には載ってはいないでしょう。
投稿: かせい | 2019年8月24日 (土) 15時48分
遠い昔の事なので日時は定かではないが,終戦後の昭和25年頃にCIE(GHQの民間情報教育局)からの指導???で、クラシック音楽のレコードコンサートが、自治体の公会堂のようなところで、週1か、月2かで定期的に開かれていた事が有った。
100余程の椅子席の会場で、小さなステージにドデカイ電蓄を据え付け、スタッフ2名がクラシック音楽を優しく解説しながら、レコードを回してくれたのである。
スタッフと言っても街の商家の音楽好きな若旦那達だった。
CIEの功罪はともかく、今から70年ばかりタイムスリップ!!!
私と兄は家から会場までの2㎞余を自転車に二人乗りをしたり、タイヤがパンクしていた時は歩いてでも聴きに行ったりしたものだった。
一回目のコンサートでの2曲目がこのドヴォルザークのシンフォニーNo.9だった。
♪♪♪ 第二楽章のラルゴ♪♪♪
先に解説が耳に入って居たが、オーボエのソロになってから、このメロディーが自分をそぉっと包んでくれるような優しさを感じたことが想い出される。
他にはガーシュウィンのパリのアメリカ人やラプソディ・イン・ブルーなども聴かせてくれた。
帰りには二人とも自転車に乗らず、覚えたてのラルゴなどのメロディーを、歌いながら夜の川端を歩いて帰った。
この当時のレコードはLPになるギリギリの時だったが、このレコードコンサートに使ったレコードがSP盤かLP盤だったかは分からない。
シンフォニーのような長い曲だと、一楽章10分以上有るとSP盤では2面以上使わねばならない。
そんなように曲が途切れた記憶がないから、LP盤だったのかな??
大事な事だけど残念ながら、もうとても思い出せない。
投稿: けい。 | 2020年4月 8日 (水) 18時18分
60年以上前、「家路」という曲を習いましたが、その後「遠き山に日は落ちて」という曲名でよく利用したユースホステルで再会しました。
二十歳前後の頃、一人旅に出るときは料金の安いユースホステルが重宝でした。
夕食後のミーティングにはペアレントや補助者のリードで焚火を囲み
暮れ往く空を仰ぎながら「遠き山に灯は落ちて」を見知らぬ男女が肩組み合い歌うのが定番でした。
何かしら郷愁を招くこの歌はぴったりでした。
そして火が収まるころ、楽しい集いを惜しみながら、固い二段ベッドで眠りに就いたものです。
いまはユースホステルは健在なのかどうか分かりませんが、良い思い出としてこの曲を何度も聞かせていただいています。
投稿: 伊勢の茜雲 | 2020年5月26日 (火) 12時05分
伊勢の茜雲様
ユースホステル懐かしいです。私の時代はシーツ持参がルールでした。夕食後、必ずミーティングがありました。そして歌いましたね。
投稿: konoha | 2020年5月26日 (火) 19時14分
歌をやっている80歳近くになる母親が「家路」の歌詞が自分が憶えているもの(1番だけ)と違うがどの本を見ても書いていないというので、調べてここの2015年のんたん様の書き込みにたどり着きました。
他では全く見つからず、歌の先生も驚いていましたので一般にはあまり知られていない歌詞なのかもしれません。
母はたいへん喜んで毎日歌っております。
二木紘三様、のんたん様、母に代わりお礼申し上げます。ありがとうございました。
投稿: とんどら | 2021年2月28日 (日) 13時49分
明治43年生まれの父がお風呂に入ると歌う曲でした。あの頃の父の年になりました。私も歌えるようになりたい。
投稿: 大田三保子 | 2021年9月18日 (土) 19時16分
私は60年ほど前だったか、学校で習った歌詞は「灯影窓に揺らめけば母の瞳偲ばるる」で始まったかと思います。
その後は覚えていません。他の方も云っておられますが、Webや国会図書館で調べてもらってもわからないそうです。
この歌詞を覚えておられる方おられましたらよろしくお願いします。
投稿: tosi | 2023年1月31日 (火) 22時55分
二木先生の投稿には「いざや楽しき」という歌詞で書かれていますが、「いざや楽し」と覚えています。堀内敬三の元の歌詞が知りたくて調べましたが、どこにも正確な記述がありません。楽譜の文字数からすると後者が妥当な気がし、歌を聞いてもそれで歌っているのが多いです。どなたが、決定的な見解をお持ちの方がいらっしゃいましたらご教示をお願いしたいです。
投稿: 尾嶋 正由 | 2023年12月11日 (月) 23時33分
尾嶋正由様
文法的にも意味の上でも間違いなく「楽しき」です。
いざや>「さあ」という呼びかけ。
楽しき>文語シク活用の形容詞「楽し」の連体形で、次の「まどい(団欒の意)」という名詞を修飾しています。「楽し」とすると、これは終止形ですから、そこで文意が切れてしまい、「まどい」に繋がりません。
2番の「いざや 楽しき 夢を見ん」も同じで、「さあ楽しい夢を見よう」という意味ですから、「楽し」ではそこで文意が切れてしまいます。
いくつかの楽譜を見てみますと、「楽しき」の「しき」を八分音符2つに当てはめているものと、四分音符1つに2音を押し込んでいるものとがあります。前者の場合、歌い手が2つの八分音符を「付点八分音符+十六分音符」として歌うと、「き」が聞き取りにくくなって、「楽し」と聞こえてしまうことがあります。
後者も同じで、「しーき」と「し」を強調して歌うと、「き」が聞き取りにくくなることがあります。
投稿: 管理人 | 2023年12月12日 (火) 00時33分
管理人 二木様 ご教示まことにありがとうございました。ご丁寧な説明と深い洞察に敬服致しております。うた物語これからも活用させていただきます。迅速なご対応に感謝申し上げます。
投稿: 尾嶋 正由 | 2023年12月12日 (火) 10時31分
♪~いざや楽しき・・なのか ♪~楽し なのか? 60年以上、どちらだろう?と思っていた歌詞の悩みが明瞭に分かりました ありがとうございます
投稿: 土簿瑠座九男 | 2023年12月12日 (火) 19時32分
この歌の歌詞に於ける、”いざや楽しき”と”いざや楽し” についての、尾嶋様他の投稿(12/11~12/12)を興味深く拝読しました。
私自身、これまで深く考えることなく、”いざや楽し”と受け止めておりました。
改めて、YouTube検索しますと、”いざや楽しき”と”いざや楽し”、いずれの歌い方もあるようです。
文法上は、二木先生のご説のとおりであろうと思うものの、幾らかの悩ましさを感じます。
本来は、”いざや楽しき”と歌うべきところを、言葉の収まり具合、歌い易さなどから、末尾の”き”が脱落し、”いざや楽し”が出現したのかなあ、と思い巡らせております。
ご参考のため、これに類する表現法に関しまして、思い当たる3例を挙げてみました。
①『東京ラプソディ』(門田ゆたか 作詞、古賀政男 作曲、藤山一郎 唄 S11)
♪楽し都 恋の都 夢のパラダイスよ 花の東京 ♪
”楽しき”でなく、”楽し”とあります。
②『なつかしの歌声』(西條八十 作詞、古賀政男 作曲、藤山一郎・二葉あき子 唄 S15)
♪赤き灯(ひ)燃ゆ 恋し東京 恋し東京…♪
”恋しき”でなく、”恋し”とあります。
③『君待てども』(東辰三 作詞・作曲、平野愛子 唄 S23)
♪いとしその面影 香り今は失(う)せぬ …♪
”いとしき”でなく、”いとし”とあります。
ついでながら、私はこの歌を、久野静夫さん訳詞の『家路』として、学校音楽で習いました。ただ、2行目は、なぜか、”ねぐら急ぐ 鳥七つ” (”ねぐら急ぐ 鳥群れて”でなく)と記憶しております。
投稿: yasushi | 2023年12月13日 (水) 15時53分
yasushiさんの投稿を見て、文法書をもう一度見てみました。文語・口語とも、形容詞を活用語尾なしで使う用法を「語幹用法」といい、感動や驚きを表すのに用いられる、とありました。
ですから、『遠き山に日は落ちて』の該当箇所は「楽し」でもいいわけですが、堀内敬三の訳詞を使っている楽譜のほとんどは八分音符を2つ使っており、この点からも「楽しき」が正しいと思います。
ついでながら、野上彰訳の『家路』では、該当箇所は1番「花よ」、2番「中の」と3音であり、「よ」「の」には四分音符が1つ使われています。
yasushiさん、ありがとうございました。もう少し調べるべきでした。勉強になりました。
投稿: 管理人 | 2023年12月13日 (水) 17時00分
「語幹用法」なるものがあることは 、知りませんでした。
私の方こそ、大いに勉強になりました。
二木先生、有難うございました。
投稿: yasushi | 2023年12月13日 (水) 17時28分
tosi様
私も60年前の高校生でした。
学校で習った「火影窓にゆらめけば 母の瞳偲ばるる」の歌詞を長い間探していました。ネットでどこを調べてもわかりませんでしたが、ある時その話を60年来の親友にすると、「私、持ってるよ。あなたからもらったメモに書いていてあるよ」と言って、さっそく送ってくれました。
灯台下暗しとはこのことですが、歌詞カードをこんなに長い間持っていてくれた親友に感謝です。
以下その歌詞ですが、なにしろ高校生のメモなので作詞者は書いてありません。漢字も正確かどうかはわかりませんのでご容赦ください。
家路(高校の時の教科書の歌詞)
(1)
火影窓にゆらめけば 母の瞳偲ばるる
楽し我家あのあたり 心常によみがえる
たどる家路いそいそと
明日の望み我とあり 我とあり
(2)
誰もかれも灯を 仰ぐ心一途(ひとすじ)に
楽し我家あのあたり 夢は常にあやなすを
たどる家路いそいそと
明日の望み我とあり 我とあり
投稿: マイペンライ | 2024年5月 4日 (土) 08時19分