悲しい色やね
(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo
1 にじむ街の灯を ふたり見ていた 2 夢しかないよな 男やけれど Hold me tight 大阪ベイブルース |
《蛇足》 昭和57年(1982)リリース。上田正樹が細い体から絞り出すように歌って大ヒットしました。
戦前から戦後にかけて、「……のブルース」というタイトルでヒットした曲のほとんどは、ブルースの憂鬱そうな感覚を日本的なもの悲しさとして移入しただけで、実質は歌謡曲でした。
いっぽう、この作品は本場のブルースに近い曲調を感じさせます。その原因は、おそらく歌詞とメロディの両方に感じられる大阪的な土着性でしょう。
大阪弁の話し言葉で語っている点は、ブルースの発生時に、黒人たちが日常生活の辛さや喜びを簡単な話し言葉で歌ったのと似ています。その泥臭さに曲がみごとにマッチしています。
ブルースが生まれたのは、ミシシッピ川下流の三角州地帯とされていますが、その中心都市・ニューオーリンズに最もイメージが似ている日本の都市はどこかといえば、大阪をおいてほかにないでしょう。川沿い、湾岸、庶民的、雑然、人間くさい、本音で生きる、古くから異邦人が多い……など。
つまり、大阪にはブルースがよく似合うのです。もし誰かが「東京ベイブルース」を書いたとしたら、歌詞も曲も洗練されたすっきりしたものになって、ブルースっぽさは薄まってしまうような気がします。
ただ、この曲には本場のブルースのような乾いた感じはなく、全体に少しの湿り気が感じられます。この湿り気は、歌謡曲っぽさと言い換えてもよいでしょう。この湿り気があったからこそ、大ヒットになったのではないでしょうか。
作詞の康珍化(カン・チンファ)、作曲の林哲司とも、大阪人ではなく、静岡県生まれというのが少し驚きです。なまじ内部にいる人間より、少し離れた場所で育ったほうが、大阪の特徴を客観的に把握できるということでしょうか。
ただし、康珍化か林哲司のどちらかは忘れましたが、数年間の大阪暮らしの経験があったようです。
(二木紘三)
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コメント
この曲が流行った頃。。。。あまりよいなぁと思わなかったのに最近は”聴ける曲”と思うようになりました。
年月が経つと思いも変わるという事ですね。
この大阪の海は南港の事だと聞いた事がありますが。。。一寸遠いですもんねぇ。イメ-ジが湧かなかったんでしょうね。
投稿: sunday | 2008年5月24日 (土) 07時12分
大阪とニューオリンズですか。確かに似ているかも知れません。
ニューオリンズは、“新しいオルレアン”であり、フランスの植民地であった場所で、他のアメリカの諸都市とはかなり雰囲気が異なります。2005年のハリケーン・カトリーナで壊滅的な打撃を受けましたが、その1年後に訪れた際、フレンチ=クォーターを中心としたダウンタウンは昔の賑わいを取り戻していました。家族連れが歩く通りに堂々とアダルトショップなどがあり、私のイメージとしては新宿歌舞伎町ですが、オープンカフェからは音楽があふれ、通りにはストリートミュージッシャンやタップダンサーも多く、黒人音楽の聖地という感じです。ニューオリンズのあるルイジアナ、ミシシッピ、アラバマ、ジョージアの4州を表すdeep southは、歴史・文化・地勢的に独特の意味で使われます。
さて大阪ですが、ご存知大阪には“北”と“南”があり、この歌は“南”を歌っているのだと思います。私は一時大阪に住んだことがありますが、よそ者には“南”は怖く、滅多に足を踏み入れないようにしていました。大阪市の南部地域の一部をdeep southと呼ぶのも偶然ではないかも知れませんね。
投稿: Yoshi | 2013年1月 5日 (土) 18時43分