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2008年6月 4日 (水)

リンゴ追分

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:小沢不二夫、作曲:米山正夫、唄:美空ひばり

リンゴの花びらが 風に散ったよな
月夜に 月夜に そっと えええ……
津軽娘は ないたとさ
つらい別れを ないたとさ
リンゴの花びらが
風に散ったよな あああ……

   台詞
   「お岩木山のてっぺんを綿みてえな白い
   雲が、ポッカリポッカリ流れてゆき、
   桃の花が咲き、桜が咲き、そっから
   早咲きのリンゴの花ッコが咲く頃は、
   おら達のいちばん楽しい季節だなやー。
   だどもじっぱり無情の雨コさ降って白え
   花びらを散らすころ、おらあ、あのころ
   東京さで死んだお母ちゃんのことを
   思い出すて……おらあ……、おらあ……」

津軽娘は ないたとさ
つらい別れを ないたとさ
リンゴの花びらが
風に散ったよな あああ……

《蛇足》 昭和27年(1952)4月、ラジオ東京(現TBS)の開局を記念して、連続ドラマ『リンゴ園の少女』が放送されることになりました。その主題歌として作られたのが、この歌です。

 同月、美空ひばりは歌舞伎座で第1回リサイタルを開き、そこでこの歌を発表しました。歌舞伎座でリサイタルを開いたのは、「歌謡曲の歌手」としては美空ひばりが最初です。このとき彼女はまだ15歳、中学3年生でした。
 その1か月後、『リンゴ追分』のレコードが発売され、たちまち70万枚、最終的には130万枚を売り尽くすという爆発的ヒットとなりました。

 このラジオドラマは松竹で映画化され、同年11月に封切られました。『リンゴ追分』はこの作品の挿入歌としても使われました。この映画では、同じ米山正夫の作曲になる『津軽のふるさと』という名曲も使われています(レコード発売は翌28年1月)

 『リンゴ追分』はテンポがゆったりしているうえに、長く伸ばすところが多いので、けっして歌いやすい歌ではありません。テレビの歌番組や美空ひばりの追悼番組などで、中堅・ベテラン歌手がこの歌を歌いましたが、そのうちの何人かは音を外していました。
 また、ほかの歌手によるカバー曲の多くは、美空ひばりのオリジナルより、かなりテンポが速くなっています。テンポを速くすると、歌いやすくなるようです。

 その意味で、この歌は歌唱力を測るバロメーターになるかもしれません。アカペラか、主旋律が入っていないプロ歌手用の伴奏で正確に歌え、かつ十分な情感が表現できれば、実力は一級といってよいでしょう。

 私見を言えば、美空ひばりの歌は、デビュー時から『リンゴ追分』『津軽のふるさと』あたりまでが最高です。
 といっても、子どもの頃にラジオで聴いた彼女の歌声をずっと覚えていたわけではありません。中年になってから、当時のひばりが歌っている映画やレコードをテレビで見聞きして、子ども時代の美空ひばりって、こんなに歌がうまかったんだ、と仰天したものでした。
 ひばりファンの反発を承知のうえで言うと、大人になってから、ことに円熟期に達してからの彼女のベタッとした発声は、私は好きではありません。
 にもかかわらず、「ひばりの前にひばりなく、ひばりの後にひばりなし」には賛成します。

(二木紘三)

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コメント

先生のおっしゃる事に私も同感です。成人前は美声でしたが、変わりました。美声だった頃の歌は体にしみ込んでいますので自然に唄えてしまいます。

投稿: M.U | 2008年6月27日 (金) 13時11分

私は、ひばりと同じ年です。彼女の歌から勇気をもらって人生を歩み古希を迎えました。ひばりにつづく戦後歌謡には、戦後復興と経済成長という日本の変革期を、のり越えていくエネルギーがあった。そのエネルギーの根底には戦争から解放された格別のうれしさと、差別のない社会をつくり、そこに生きられるという喜びをがあった。平和な社会を希求する哲学があつたのではないか。戦後63年たったが、今の世の中、前途が見えない。しかし今こそ私たちが経験した戦後の風・エネルギーを再び吹かす時代ではないのか、私は、そう思いながら近所の人たちと戦後歌謡を歌いつづけています。

投稿: 浅尾(寛) | 2008年7月 1日 (火) 10時40分

 ひろし様。そうでした。6月24日は美空ひばりの忌日でしたね。私は当日別の件でこの日に関することをネット検索していて、それを知りました。平成元年(1989年)のご逝去ですから、あれからずいぶん長い歳月が流れたのですよね。今では美空ひばりの忌日は、大ヒット曲であるこの歌から「林檎忌」、またはひばりの名前から「麦の日」と呼ばれることがあるようです。
 古くは松尾芭蕉の時雨忌(しぐれき)、近年では芥川龍之介の河童忌、太宰治の桜桃忌、三島由紀夫の憂国忌など。著名な文人・作家には特別な忌名を冠することはあつても、芸能人に対しては皆無とは言えないまでも極めて稀なのではないでしょうか?
 生前凄い光芒を放っていた人は、死してなおその光いや増すばかりですね。私は両親から本名に「光」をつけてもらった割には、身の光(オーラ)に乏しくて。いやはや、どうも失礼致しましたというところです。
 

投稿: Lemuria | 2009年6月26日 (金) 01時03分

この歌と「津軽のふるさと」がひばり全盛期の見事な歌唱ですね。唄いこなすのは大変困難な歌だと実感しています。

投稿: 海道 | 2012年11月28日 (水) 18時07分

 五木寛之と藤原正彦(「国家の品格」の著者)の歌謡曲をめぐる対談で、五木が「リンゴ追分」よりも断然「津軽のふるさと」の方がいいと言っていたので、はじめて聴いたら、五木のいうとおり、その気になってしまいました。好みは人それですが。「追分」の方を聴きあきていたのかもしれません。海道様の関連です。

投稿: 音乃(おとの) | 2012年11月28日 (水) 22時02分

 「リンゴ追分」は小さい頃ラジオからだったと思いますが、聞きました。テレビと混在していますが、随分長い歌だなと思ったことを覚えています。ひばりはやはり天才だったのでしょう。歌を一度聞くと覚えたそうですので。

投稿: 今でも青春 | 2017年9月23日 (土) 16時59分

美空ひばりさんの高い歌唱力については疑いもなく、私と同い歳ということもあり、殊更、親近感を持ち、高校生の頃までは、ひばりさんの新曲が出るたびにフォローして、憶えたものです。
  「リンゴ追分」も、♪花束かゝえて たづなしめて…♪の「リンゴ園の少女」(藤浦 恍 作詞、米山正夫 作曲 S27)と共に、愛唱しました。
  二木先生が《蛇足》で、”私見”として、美空ひばりさんの歌声について言及しておられますが、私もおおむね同感で、成人に達する頃までの、ひばりさんの歌声に、より大きな魅力を感じております。妙に崩したりすることなく、丁寧に歌っているところに好感が持てます。私のお気に入りで、最近、カラオケで時々歌う「あの日の船はもう来ない」(西沢 爽 作詞、上原げんと 作曲 S30)も、ひばりさんが18歳頃の歌です。
  なお、私にとって、ひばりさんの歌で、聴いて楽しい歌の代表は、♪花を召しませ ランララン…♪の「ひばりの花売娘」( 藤浦 恍 作詞、上原げんと 作曲 S26)です。上原げんとメロディが素晴らしく、心躍り、うきうきする名歌だと思います。

投稿: yasushi | 2018年1月25日 (木) 16時23分

 先日の夜、ある民放テレビ局で、「世界で愛される日本の名曲」という番組の放映があり、関心を持って視聴しました。いろいろな日本の歌・歌手が登場し、興味深く、新たな認識を覚える内容でした。
  そのなかで、美空ひばりさんの歌は、「素敵なランデブー」(1955)、「港町十三番地」(1957)、「愛燦燦」(1986)、「川の流れのように」(1989)の4曲が登場したように記憶します。
  美空ひばりさんの遺作と言われる名歌「川の流れのように」を、世界の三大テノール歌手の一人であるホセ・カレーラスさん(スペイン人)が、オーケストラ演奏をバックに、日本語で朗々と歌う映像もあり、その大いなる存在感に圧倒されました。

投稿: yasushi | 2018年8月27日 (月) 13時45分

前々回('18-1-25)投稿に関連する投稿です。
  昨日、久しぶりに、家内とカラオケで歌ってきました。
  歌ったなかには、美空ひばりさんの歌「あの日の船はもう来ない」(S30 ひばりさんが18歳頃の歌)や「長崎の蝶々さん」(米山正夫 作詞・作曲 S32 ひばりさんが20歳頃の歌)もありました。 
  「長崎の蝶々さん」に触発されたからでしょうか、帰る道すがら、いつの間にか、♪花の港のひぐれにともる オランダ船の 吊りランプ…♪と、とうに忘れ去っていた、ひばりさんの歌の一節を口遊んでいました。帰宅後、ネットで調べたところ、「花のオランダ船」(石本美由起 作詞、万城目正 作曲 S29)という歌で、ひばりさんが17歳の頃の歌でした。YouTubeも調べたら、この歌が収録されていて、ひばりさんが歌唱力豊かに歌っていました。
  ともあれ、思いがけない、懐かしい歌との再会がありました。 

投稿: yasushi | 2018年9月13日 (木) 14時43分

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