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2008年6月25日 (水)

倖せはここに

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞・作曲・唄:大橋節夫

1 秋の夜は更けて すだく虫の音(ね)
  疲れた心いやす 吾が家の窓辺
  静かにほのぼのと 倖せはここに

           (間奏)

2 星のまばたきは 心の安らぎ
  明日(あす)の夢をはこぶ やさし君が笑み
  静かな吾が窓辺 倖せはここに

3 静かに静かに 街の灯もきえた
  遠い空見てごらん 明日の夢がある
  小さな小さな 倖せはここに

《蛇足》 昭和34年(1959)6月に東芝レコード(東芝の音楽事業部)より発売。
 作品はその数年前にできており、クラブなどで歌っていた可能性があります。
 日本におけるハワイアン音楽の草分けのひとり、大橋節夫が自ら歌いました。

 大橋節夫は大正14年(1925)生まれで、子どもの頃からハワイアン音楽に親しみ、やがてスチールギターを弾き始めました。慶應義塾大学法学部を卒業後の昭和23年(1948)「大橋節夫とハニーアイランダース」を結成、以後ハワイアン音楽一筋に歩んできました。
 平成18年
(2006)6月7日没。享年81歳。

 『倖せはここに』は、石原裕次郎や五木ひろしがカバーし、いずれもヒットしています。

 上記mp3は、大橋節夫の歌い方を参考にしてアレンジしたため、音の長さが原譜と違っている箇所が少しあります。

(二木紘三)

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コメント

大橋節夫さんは有名・有能な方だったんですねぇ。
会社の付き合いで若い頃連れて行かれたキャバレ-にいらしてました。
勿論バンドの仕事で。。。
こういう有名な方とは知らず…生バンドが入ってるんやなぁと思っていただけだったので
知っていたらもっと違う気持ちで曲も聴けたかなぁ?と言う気持ちです。
なんせ…若かったので
若気の至りと言うのは年とともに感じる不思議な皮肉ですねぇ。

投稿: sunday | 2008年6月26日 (木) 07時14分

この方の裏声は綺麗でした。だからこう言う名曲が出来、歌えたのでしょう。イントロをちょっと聞けばこの曲と解る、
これがヒット曲なんだと思います。

投稿: M.U | 2008年6月26日 (木) 13時30分

昭和34~5年新宿歌舞伎町にラセーヌと言う劇場喫茶店がありました。映画館ミラノ座の2階です。
そこへ生演奏を聞きに行きました。大橋節夫とハニーアイランダースもよく出演しており『倖せははここに』は思い出の1曲です。
来年古希を迎えますが、この歌詞が当時より一層感じられます。

投稿: かつきひろゆき | 2008年7月 9日 (水) 05時54分

最近までこの唄のワンフレーズが気に入っていましたが、題名はもとより歌詞までは知りませんでした。
このたび偶然にもその全貌が判明して喜んでいます。
最近の風潮を見るにつけこのような心休まる唄が多くの人に
理解されることでよい社会になって欲しいと思います。

投稿: 修さん | 2008年7月 9日 (水) 21時03分

昭和38年群馬県館林市の喫茶店の二階にダンスホールがありそこでバンド演奏したときのなつかしの曲でもあります。46年も経過した今もさわやかに響くこの曲は
青春時代の懐かしいメロデイです。
アレンジによっても一味違う雰囲気で聴けるのも又いいもです。

投稿: KOBATASHI.Y | 2008年8月 5日 (火) 10時51分

昭和39年頃、東京の有楽町駅近くにフードセンターがあり、その2階の不二家で聞いたのを思いだします。
日曜たびに「今日は誰が出てるか?」って、楽しみに通いました。
場所柄アベックが多くて、独身(当時20歳)の自分は早く彼女が欲しいと思ったものです。
蛇足ですが、今は孫が2人おります。

投稿: hideo | 2008年10月31日 (金) 22時07分

詞と曲と歌手が揃えば売れると言う見本の様な歌ですね。それも一人でやってのけた。「恋人よ」もそうですが。

投稿: 海道 | 2012年10月26日 (金) 18時22分

昭和40年、当時はフォーク ロマン演歌 GSなど 百花繚乱時代。私は早稲田近く(東西線地下工事中)の4畳半下宿で1F居住の部屋からウクレレギター美声が聞こえ胸が熱くなり、思わずノック。山口からの田舎者を歓迎してくれた牛島さん(お元気かな)48年前の青春回顧です 正に一期一会、感謝の一言。今では我が家、同窓会 釣り仲間の前では十八番の名曲で Gmイントロからはじまるエンデイングまでを暗譜 ギターソロ ウクレレエレクトーンで東京を思い出します。70歳前の応援歌です。大橋節夫さん 牛島さん 心より有難う。

投稿: 山口 こうめい | 2013年5月27日 (月) 19時20分

この歌は昭和40年代結婚式でよく唄われました。
結婚前は父の気持ちを思い、結婚後は夫を思い おいしい夕飯をと心掛け、帰宅を待ちました。今は二人の息子が良い家庭を営んでいることを思わせる歌です。
また 石川啄木の歌「友がみな 我より偉く見ゆる日よ 花を買い来て妻と親しむ」を連想する歌です。
秋になり 庭の草むらから虫の鳴き声が聞こえる頃になると自然と口をついて出るうたです。

投稿: かっこやん | 2015年8月30日 (日) 20時10分

 こんないい歌、1ヶ月前まで知りませんでした。高校生の頃に出た歌で、大橋節夫も有名な人でした。やっぱり歌の嗜好というのは、独断で選んでいるから、好きな歌にだけ、回遊魚のように、行ったり来たりして聴いているんですね。
町の食堂に入っても、同じものばかり注文する自分がいます。すぐ横のメニューに挑戦しようとしない、ぐうたらな自分がいます。
名曲・名歌はたくさんあるでしょうが、嗜好の独断性によって阻まれ、自分一人が知りうる名曲・名歌は少ないだろうなあと少し暗い気持ちになったしだい。

 この歌詞はとうていハワイアンとは思えない。「すだく虫の音」まるで、庵か野中の一軒家だ。西行法師か兼好法師でも出てきそう。また「ヤシの木陰」も「熱い砂浜」も「波の音」も登場しない。斬新な歌詞とバックに流れるハワイアンメロディーとのアンバランスが不思議な魅力だ。

「静かな吾が窓辺 倖せはここに」という歌詞は、私には、なにやら人生訓のようにも聞こえます。日本のマイホーム主義はどこへいったんでしょうね、うまくいったんでしょうか。どうも内向きの幸福追求の姿勢だけでは、人生の幸せを感じることは難しいのではないかと実感しています。

投稿: 越村 南 | 2018年8月19日 (日) 02時31分

1961年から1968年頃、よく新宿歌舞伎町のジャズ喫茶「ラ・セーヌ」へ出かけました。ハワイアン、ラテンの演奏日に出かけました。特に、ハニー・アイランダースの大橋節夫の「幸せはここに」は心地良い曲でした。中学3年から大学2年にかけてでした。

投稿: 河島長義 | 2020年9月16日 (水) 23時49分

大橋節夫さんには
村上一徳さんと言ふ、師匠の存在を忘れることはできません。

投稿: 本城弌彬 | 2021年8月14日 (土) 23時23分

二木さんにお尋ねします
この曲(倖せはここに)のレコード発売が昭和42年とのことですが、大橋節夫のユウチュウブでは、曲の発表が昭和35年となっておりました。
第一回日本レコード大賞の受賞を「黒い花びら」と競いあったと言う話を聞いておりますが事実でしょうか? 随分昔の事で申し訳ございません。
よろしくお願いいたします。

投稿: マサミ | 2023年4月24日 (月) 20時24分

マサミ様
「うた物語交流掲示板」の2023/04/25 (Tue) 17:17:38の投稿をご覧ください。

投稿: 管理人(二木紘三) | 2023年4月25日 (火) 17時23分

二木様
早速のご回答有難う御座いました。
不確実な情報をお尋ねして申し訳ございません。
再度、確認したところ、
大橋節夫とハニーアイランダースの元メンバー河田信秀さんが
徳島サンセットクルーズのなかで『倖せはここに』を歌っており
その時、「この曲は昭和31年頃に発表され、昭和32年に
日本レコード大賞が発足しました。もしも、『黒い花びら』が大ヒットしなかったら、この曲が大賞を受賞してたのことです。
自分が小学5,6年の頃の事なので真偽のほどはわかりません」と話しておりました。
河田さんの勘違いかもしれませんね。 

投稿: マサミ | 2023年4月25日 (火) 20時57分

マサミ様
『倖せはここに』の発表年について、ユニバーサル・ミュージックに問い合わせたところ、次のような返事が来ました。

お問い合わせいただきました<大橋節夫とハニーアイランダース>「倖せはここに」ですが、当時の発売・発表の年などの詳細につきまして、当窓口よりご案内できる情報はございません。

投稿: 管理人(二木紘三) | 2023年4月26日 (水) 16時53分

二木様
度々のご回答、誠にありがとうございます。
心から御礼申し上げます。
この先も愚問を発する事になるかもしれませんが
ご寛容ください。
よろしくお願いいたします。

投稿: マサミ | 2023年4月26日 (水) 18時47分

 この曲は「鈴懸の径」とともに、私が東京府中市に下宿していた頃(55年ほど前)、隣の部屋の東芝社員3人がハワイアンバンドを作っていて、よく練習をしていました。
 本当に「静かで、ほのぼのとした」雰囲気を醸し出す曲でした。繰り返し聞いていたので、なんなく覚えてしまいました。きれいな詩で、ウクレレの調べも優しく、下宿時代の良い思い出を作ってくれました。演奏者はほぼ私と同年代だったと思いますが、今もウクレレを奏でているのでしょうか。

投稿: 伊勢の茜雲 | 2023年5月16日 (火) 20時46分

伊勢の茜雲さま
私の【雨に咲く花】投稿に関しまして、寄稿していただき
誠にありがとうございます。
小生は現在、新潟県北部の小都市に居住しております。
昭和35年頃より10数年間、東京都の麻布地区に住んでおりました。昭和35年は、「岸信介内閣」の安保反対闘争が激化した年でした。その騒動で東京大学の女学生樺美智子さんが犠牲になり、岸内閣(安倍晋三元首相の祖父)が総辞職しました。元麻布は国会議事堂に近く、パトカーや救急車のけたたましいサイレンの音が聞こえきて、恐怖した記憶がありす。
その当時、茜雲さんのようにウクレレの奏でる、美しい音響に浸る機会がなくて残念です。
この曲は、大橋節夫のユウチュウブで知りました。
大橋さんのヒット曲の一つなのでしょうね。
大変、情愛のこもったいい曲目ですね。
末永く歌いつずけられる願望します。


投稿: マサミ | 2023年7月 6日 (木) 19時21分

  23年発売 と出ています。

 一番上の 流行歌一覧 http://natsumerojin.web.fc2.com/__si.htm
    ↑
  http://natsumerojin.web.fc2.com/

 発売年が違うと余計気になりますね。
この歌は調べたことはありませんでしたが、
マサミさんの夕べのコメントがあるので紹介します。
上の表はある方のサイトをそのまま引き継がれたものです。

投稿: なち | 2023年7月 7日 (金) 15時48分

「倖せはここに」私がこの歌を初めて知ったのは、1995年に購入した・CDアルバム・「石原裕次郎の世界」に収録されていた裕ちゃんの歌声を聴いたときでした!

長田暁二氏によるこの曲の解説には下記の記述があります。

『「倖せはここに」が生まれたのは昭和33年9月、翌年の6月、大橋節夫の歌でレコードが発売になった。新風俗のジャズ喫茶に流れ始めたこの曲は、若者の心をとらえハワイアン・ブームの火付け役になった。ブームは遠い思い出となったが、この曲はポピュラー界には欠かせない”秋の季語”になっている。昭和42年5月のLP「裕ちゃんのホリデー・イン・ハワイ」の中に収録されヒットしたため、今では裕ちゃんがオリジナルシンガーと思っている若者も多い。大橋節夫は長い間の功績が認められ、平成七年の春の叙勲で紫綬褒章を受章した。』

先に投稿されておられるマサミ様の少しでもご参考になれば幸いです。

「倖せはここに」私はこの歌のメロディが好きで時折このページを開きますが、夜が肌寒くなってくるこの季節になると、特に一番の歌詞が堪らなく良いですね。

投稿: 芳勝 | 2023年10月10日 (火) 18時32分

伊勢の茜雲さま
この度の投稿、誠にありがとうございます。
大変参考になりました。
今後ともよろしくお願いいたします。

投稿: マサミ | 2023年10月13日 (金) 18時57分

すみません。門外漢ですが、たまたま当該曲に行き当たりました…。(倖せはここに)が誕生した年月日等についてですが、1975年に日本ビクターから発売された”心暖まる調べ”というボックス・セットが手元にありまして、内容は、戦前~戦後にかけた日本のハワイアン音楽の歴史を新録音で再現したものです。
 本LPアルバムの解説は同音楽に造詣が深い早津敏彦氏で、本曲は昭和30年(1955)の作詞・作曲と明記されておりました…。

投稿: ジーン | 2024年1月18日 (木) 12時51分

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