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2008年6月18日 (水)

東京の屋根の下

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:佐伯孝夫、作曲:服部良一、唄:灰田勝彦

1 東京の屋根の下に住む
  若い僕等は しあわせもの
  日比谷は 恋のプロムナード
  上野は 花のアベック
  なんにも なくてもよい
  口笛吹いて ゆこうよ
  希望の街 憧れの都
  二人の夢の 東京

2 東京の屋根の下に住む
  若い僕等は しあわせもの
  銀座は 宵のセレナーデ
  新宿は 夜のタンゴ
  なんにも なくてもよい
  青い月の 光に
  ギターをひき 甘い恋の唄
  二人の夢の 東京

3 東京の屋根の下に住む
  若い僕等は しあわせもの
  浅草 夢のパラダイス
  映画に レビューに ブギウギ
  なつかし 江戸のなごり
  神田 日本橋 キャピタル東京
  世界の憧れ
  楽しい夢の 東京

《蛇足》 昭和23年(1948)12月にレコード発売。

 歌詞は、前年に封切られた黒澤明監督の『素晴らしき日曜日』を思い起こさせます。
 貧しく若い恋人同士が新宿から上野、日比谷へとデートする1日のようすを描いたモノクロ作品です。夕暮れの日比谷野外音楽堂で、2人だけでコンサートのまねをする場面は、フランスで絶賛を浴びたといいます。
 舞台は焼け跡闇市の残る敗戦後の東京だし、登場人物も日本人だけ。それなのに、パリのテイストを感じさせる映画でした。上の写真はその1シーン。

 この歌も、タイトルといい、歌詞といい、シャンソンの『パリの屋根の下』や『パリの空の下』の東京版という感じがします。

(二木紘三)

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コメント

懐かしい歌ですね。
戦後、灰田勝彦の歌はよく聴いたものです。大好きな歌手の一人で『森の小径』や『新雪』『野球小僧』などは忘れられません。
黒澤明の『素晴らしき日曜日』は見たのかどうか記憶にありませんが、この曲はまだ焼跡が残る東京に、戦後の自由な空気があふれているようで好きです。
食べるものもロクになく全てが貧しい時代、「なんにも なくてもよい」と若い二人がそぞろ歩く姿を思い浮かべます。
我々の先輩はこうして、昭和20年代の愛を育んでいったのでしょう。

投稿: 矢嶋武弘 | 2008年6月19日 (木) 14時25分

はじめまして

〔東京の屋根の下〕は昭和7年生まれの夫の好きな歌です^^
東京深川生まれの夫は戦災で酷い目に遭いましたが、戦後のこのような明るい歌に励まされたのでしょう。景気も上回り明るい兆しが見えてきた時代の歌ですものね。

私のほうは、今から27、8年前だったと思いますが、絵を一緒に習っていた方が灰田勝彦さんとゴルフ仲間というのでお目にかかったことがあります^^


投稿: おキヨ | 2008年6月27日 (金) 00時00分

ご無沙汰しています。いつも参考にさせてもらっています。
小生も今この歌の記事を書いたところですが、2点、訂正をお願いしたい件があります。一つは解説文の直後に、昭和23年(1938)とありますが、これは1948年です。
また、2番の歌詞で「青い月夜の 光に」とありますが、灰田勝彦の歌を聴き、他のいろいろなサイトを検索した結果、どうしても「青い月の~」が正しいようです。
念のため、以下に灰田勝彦の歌声をリンクしておきます。
ますますのご活躍をお祈りしております。

http://www.youtube.com/watch?v=di8zrjDmJqQ

投稿: 矢嶋武弘 | 2011年10月 7日 (金) 05時55分

映画「素晴らしき日曜日」を、最近見た様な気がします。

音楽会のチケット売り場の列に、ダフ屋が登場しました。
恋人同士、貧しげな飲食店で飲み食いして、お金が無いのでコートを置いて行くようなシーンを記憶しております。
終戦直後の荒涼とした東京で、未来は見えないような二人でしたが、無人の音楽堂で、二人素晴らしき日曜日でした。

昭和35年ごろ小生も登場するのですが、神田の明大と靖国通りの隘路に「越GO屋」という質屋が有りました。上品な女主人が対応して、裕福そうな店内でした。

投稿: 俊太郎 | 2011年10月12日 (水) 18時12分

この歌を聴いていたら、やはり「素晴らしき日曜日」の映画を思い出しました。テレビで観たのですが、懐かしい貧乏が面白かったですね。日本中の皆が貧乏だったので面白くて楽しかったのですが、今、だったら貧乏を恨み、貧乏を楽しむなんて考えられませんね。日本も豊かになったものです。もう一度あの映画を観たくなりました。

投稿: ハコベの花 | 2013年3月12日 (火) 17時04分

お世話になっています

投稿: まさじ | 2013年5月17日 (金) 10時00分

この歌を知ったのは4年前、2009年11月21日です。NHK-BSで放送されていた「どれみふぁワンダーランド」の服部良一さんの特集でした。
宮川彬良さんが音楽監修、出演されていて興味深い番組でしたね。オーケストラ演奏で歌はなかったんですが、いい歌だなとしみじみ感じました。
まだ焼け跡の広がる東京で、若い夫婦が生きていく。
歌詞の中の「なんにもなくてもよい」は心に沁みます。

オリジナルももちろん何回も聞いていますが、灰田勝彦さんは新宿を「しんじく」と歌っているように聞こえます。気になるので調べたら、東京方言ではこういう風に発音するらしいですね。

投稿: ろくろう | 2013年11月30日 (土) 16時53分

この歌が流行ったときは未だ小学生でした。ハイカラさを感じる服部メロディと灰田勝彦の生き生きとした艶のある歌声がよく調和して、人を元気にさせる何かがありますね。
 戦後まもなくの復興もこれからという時代背景のもと、辛かった戦中時代から解放されて、貧しくとも、希望あふれる将来を目指す若者を明るく謳っている青春讃歌であると、自分なりに想像を膨らませています。
 東京での学生時代の後、関西で就職し、以来50余年の長きにわたり関西に居住している”関西人”ではありますが、”空気読めない”かなと多少気にしながらも、カラオケでは時々この歌を歌います。藤山一郎の「夢淡き東京」、岡晴夫の「東京の花売娘」等、”東京”のつく好きな歌についても同様です。 
 昨今、TVのコーラス番組で、若い音楽大学の学生さんたちが戦後の歌謡曲を溌剌と歌っているのに出合います(「東京の屋根の下」もありました)。懐かしく感じるとともに、よい歌は歌い継がれてゆくものだなあと心強く感じております。

投稿: yasushi | 2016年1月13日 (水) 15時09分

前回投稿から、はや1年が経ちました。
 日頃、歌謡曲は、戦前のものや戦後歌謡曲黄金期のものを中心に聴いて楽しんでいますが、「東京の屋根の下」につきましては、灰田勝彦さんによるオリジナルのもの(CD)のほか、音楽大学の学生さんたちによるのコーラス(最近TV放送番組を録画したもの)や、オペラ歌手の五郎部俊郎さんの歌(CD)も、お気に入りです。
 やや脱線かもしれませんが、歌詞の中に少し気になる言葉があります。♪上野は 花のアベック♪の”アベック”です。当時、青春時代を過ごした私達には、苦もなく、”二人連れ”、あるいは、”カップル”と受け取れますが、最近の報道によれば、今の時代では、もはや、”アベック”は死語扱いになっているようです。老婆心ながら、歌謡曲が好きな若い人たちがこの歌を歌うとき、”アベック”の意味を正しく理解されるだろうか、多少気掛かりです。
 ほかに”アベック”がないかとざっと眺めましたら、もうひとつ見つかりました。私の好きな歌の一つである、「マロニエの並木道」(矢野 亮 作詞、中野忠晴 作曲、松島詩子 唄 昭和28年)の一節に、♪むらさきの ほのかな アベック・タイム♪とありました。
 時代が変わろうと、良い歌が、歌詞が正しく理解されて、受け継いで行かれてゆくことを、願わずにいられません。 

投稿: yasushi | 2017年1月13日 (金) 17時36分

このブログで取り上げられている「おさななじみ」永六輔作詞 にも アベック が出てきます。

投稿: Hurry | 2017年1月15日 (日) 23時42分

「アベック、アベック、ラッタッタ」若い男女のあいびき場面に遭遇した幼い子供たちの反応です。顔を真赤にした男性に追いかけられ、ワーッと逃げ去る子供たち。小学校に通報されて、先生にさんざん怒られ、帰宅の時間が遅くなったと、同級の女子の作文にありました。アベックという語にその古い作文が蘇りました。しかし男女の姿もいま思えばもまともでつつましいし、その後の展開も、社会教育・学校教育が機能していたまだ良き時代だったと思いますね。

投稿: Bianca | 2017年1月16日 (月) 14時20分

「受験生ブルース」 中川五郎作詞 にも 「行けばアベックばっかりで」というのがあります。 

投稿: Hurry | 2017年1月16日 (月) 15時15分

なんて明るくて楽しい曲なんでしょう。

初めて聞く曲ではないとは思うのですが、今あらためて感動しています。 この歌、僕の歌ですよ。1970年代の中頃、東京が好きだったものですから、毎週、土日は藤沢から新宿に遊びに来て、新宿の高層ビルの鉄骨が高く組みあがって行くのを眺めていました。それから、本屋さんとか喫茶店をぶらぶらして・・・。恋人はいなかったものですから今歌詞は次のように変えて歌っています。

 ♪ 一人ぽっちでもよい
  口笛吹いて ゆこうよ
  希望の街 憧れの都
  僕の夢の 東京 ♪

当時、好きが高じて新宿のアパートに移りました。朝5時に起きて藤沢まで通勤しました。しかしこの生活、半年しか耐えられなかったです。その後、念願かなって都心に住めることになりました。

投稿: yoko | 2017年1月18日 (水) 11時42分

まだ焼け跡が残る占領下の東京。そんな中でも希望と夢を失わず、明るく生きる終戦直後の人達が目に浮かぶような曲ですね。3年前に「日本名曲アルバム」で初めて聴き、すっかり気に入ってしまった曲です。現在の東京の姿を暗示するかのような「キャピタル東京 世界のあこがれ」というフレーズ。当時はGHQの支配下で「首都」とは言えない状況だったのに、このポジティブ思考には胸のすく思いがします。どんな時代になっても人はこうでありたいですね。

投稿: RASA-X | 2017年5月 2日 (火) 12時04分

灰田勝彦さんの「東京の屋根の下」(S23)が世に出たとき、私はまだ子供でしたが、その頃以来の愛唱歌です。この歌を聴くと、いつでも、心が明るくなります。 

今で言う、ご当地ソングの一つと見られ、歌詞1番には、日比谷、上野が、歌詞2番には、銀座、新宿が、そして、歌詞3番二は、浅草、神田、日本橋が登場します。

昭和30年代半ば、東京の郊外で4年間の大学生活を送っていましたが、これらの地域のうち、浅草には、ついぞ、行く機会はありませんでした。(その後、一昨年に、東京での同窓会の際に、バス・ツアで雷門の前を通りました。)
この頃流行った「東京の人」(佐伯孝夫 作詞、吉田正 作曲、三浦洸一 唄 S31)も、寮生活の中で、よく歌いました。
歌詞1番に、銀座が、歌詞2番には、日比谷、隅田、新宿、浅草が、そして、歌詞3番には、渋谷、池袋が登場します。

両歌とも、同じ佐伯孝夫さんによる歌詞ですが、「東京の人」では、日比谷、銀座、新宿、浅草が不動の地位を占め、一方、新たに、渋谷、池袋が登場するなど、”歌は世につれ”を思わせて、興味深いです。

投稿: yasushi | 2018年11月25日 (日) 15時01分

 東京の空を屋根に見立てて、その下に生きる若い我々は幸せ者だという、とても夢と希望に溢れた歌詞で、誰をも明るい気持ちにさせてくれますね。
 私は古関裕而派で、服部良一のブルース系の曲はちょっと苦手ですが、『青い山脈』や、この『東京の屋根の下』は大好きで、子供の頃からよく口ずさんでいました。 流石はジャズ畑出身の作曲家ですね、とてもリズミカルでテンポも良く、唄ってて楽しくなります。
 佐伯孝夫は15年後の昭和38年に、橋幸夫&吉永小百合のデュエット曲『若い東京の屋根の下』を吉田正と組んで作ってますね。
 ♪ 山の手も下町も 下町も山の手も
   東京たのしや  たのしや東京
   朝日がさせば  あの娘のように
   花の笑顔で   コンニチワ〜・・・
 こちらも明朗快活ないい歌です。
 佐伯孝夫 61歳の時の作品です。若々しいですね!
  

投稿: かせい | 2018年11月25日 (日) 21時47分

二木先生、この曲に投稿の皆様
 
 佐伯孝夫さんは、福島県浪江町出身の作曲家・佐々木俊一さんと組んで作詞をされていたようですが、佐々木さんが亡くなられてから、作曲家・吉田正さんと組まれる事が多くなりました。「吉田正」さんは、茨城県日立市出身。
 私は九州・小倉の生まれ育ち、就職の為、茨城に来て、もう48年。今は、「定年有機農業」をやっています。
 日立市には、「吉田正音楽記念館」と言う市立の施設があり、日立市内のJR常磐線の5駅の発車メロディは、吉永小百合さん等の上り下り、駅別の「吉田メロディ」です。
 皆さま方も、是非、「鮟鱇鍋」と併せて、茨城県北部にお出掛け下さい。私は、茨城の「観光大使」ではありませんが・・・。

投稿: 竹永尚義 | 2018年11月26日 (月) 16時11分

私の愛唱歌の一つです。

灰田勝彦さんの歌といえば、「燦めく星座」(S15)、「森の小径」(S15)、「新雪」(S17)、「東京の屋根の下」(S23)、「野球小僧」(S26)、「男のいのち」(S31)など、好きな歌が多いのですが、”一つだけ”と言われたら、この「東京の屋根の下」を挙げると思います。

この歌が生まれた昭和23年、私(昭和12年生まれ)はまだ小学生でしたが、兄達が口遊むのを聴いて、憶えたように思います。
北陸の一寒村に住み、東京へ行ったことのない私にとって、灰田勝彦さんが明るく軽やかに歌う、この青春賛歌・東京賛歌は、眩しくもあり、また、憧れの歌でもありました。

歌詞3番には、♪キャピタル東京 世界の憧れ…♪と、ありますが、空襲で焦土と化した敗戦(S20)から、わずか3年で、そう言われるほどに、東京が復興したのだろうかと、不思議に思ったりします。
一方、歌詞1番と歌詞2番の中ほどには、♪なんにも なくてもよい…♪とあります。これは、裏を返せば、(家も食べ物も着るものも)”何にも ないのだけれど”(君と一緒なら)と受け取れないでしょうか。
このように、想像を巡らせますと、この歌詞には、”世界の憧れになるよう、東京が早く復興して欲しい”という願いが込められているように思うのです。

投稿: yasushi | 2020年12月23日 (水) 15時19分

いままた、懐かしい歌を思い出させて頂きました。
まだ若いころ、よく二人で歌ったものです。 なんにもなくてもいい、二人で一緒にいる時が一番いいんだ、幸せなんだという思いを共有していました。 懐かしい青春時代、今思い返せばなんとなく目頭がじんわりしてまいります。

映画「素晴らしき日曜日」がまた「素晴らしい映画」でした。 封切りではなく、もっとあとで見たのですが、なんにもない若い二人の共にいる悦びを巧みに描く、まだ若いはずの黒澤監督の見事さを感じました。

中北千枝子がいいですね。 日本女性特有の優しさが全身からあふれているのを感じます。 後の、日生のオバチャン、これこそまさにコマーシャルの最高傑作でしょう。

懐かしい昔を思い出してしまいました。

<蛇足>
私のそれからの人生は激烈そのもので、こんなロマンチックな話とは全然関係のなかったのが、まことに皮肉なことです。

投稿: 田主丸 | 2020年12月23日 (水) 21時48分

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