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2008年7月15日 (火)

哀愁日記

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:西條八十、作曲:万城目正、
唄:初代コロムビア・ローズ

1 山のひと夜の ゆきずりの
  愛の言葉を 忘れかね
  涙ぐみ 清い優しい
  眸の君を
  呼べば都の 夕陽が赤い

2 雨の降る日は 窓の外
  風の吹く夜は 星の空
  あの人は いつもどこかで
  私を見てる
  泪ぐむよに いとしむように

3 弱い乙女の ゆく道は
  いつも砂漠の ひとり旅
  幸福は見えぬ小鳥か
  消え行く虹か
  愛の泉の 湧く街恋し

《蛇足》 昭和29年(1954)9月に松竹映画『哀愁日記』の主題歌として発表されました。

 コロムビア・ローズは群馬県桐生市出身で、本名は松本光世(旧名はマツ江)
昭和26年
(1951)秋の第2回コロムビア全国歌謡コンクールで優勝し、日本コロムビアに入社しました。

 翌27年、覆面歌手として『娘十九はまだ純情よ』でデビュー。覆面歌手といっても、単に本名や正体を明かさないまま活動するというだけのことで、売り出すための1つの宣伝方法でした。
 戦前、霧島昇と『旅の夜風』をデュエットした松原操が音楽学校にばれないようにミス・コロムビアという仮名で歌って人気を博したことにヒントを得た宣伝方法でした。

 コロムビア・ローズは、女性歌手のなかでもとりわけ個性的な声質をもち、歌唱力もあったので、そんな宣伝方法を採らなくても、十分売れた歌手でした。
 デビュー後、『渡り鳥いつ帰る』『どうせひろった恋だもの』『東京のバスガール』などを次々とヒットさせたことにその実力が現れています。

 その後彼女は、精神的な疲れからか、結婚して芸能界から遠ざかりますが、昭和40年代の懐メロブームのころから、マイペースで歌手活動を再開しました。

 なお、彼女が芸能界から遠ざかっている間に、コロムビアは二代目・三代目のコロムビア・ローズをデビューさせています。

(二木紘三)

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コメント

「哀愁日記」は、昭和20年代の終わり頃「平凡」に連載されていたのは覚えています。映画も小説も中味は知りませんが、歌だけは強烈に覚えています。
二木先生も書かれているようにすばらしい歌手だったと思います。個人的には、「どうせ拾った恋だもの」が好きです。

投稿: 周坊 | 2008年7月16日 (水) 17時39分

コロンビアローズは生まれ故郷が近いのでよく知っています。
発声がオーソドックスで、クセが無いので、あるTV局での放送のとき、音声ミキサーが”マイクによく乗るので仕事が楽だ、と言っていたのを未だに記憶しています。
「娘十九はまだ純情よ」を聴くと、ほんの50年足らず前では、未だそうだったんだなと、それからの娘さんたちの劇的な変貌振りをみるにつけ、感慨深いものがあります。
「かりそめの唇」が好きなので、機会があったら採り上げていただければ嬉しいです。

投稿: 風花爺さん | 2008年7月17日 (木) 12時25分

どんな歌だったかしら?
出だしを聴いて直ぐ歌えました。不思議なものですね。
「流行歌を歌ってはいけません」と言う親でしたから、歌った記憶はないのですが耳がしっかり覚えていました。番茶も出花のころでした。
それとは逆に、今は新しい歌がさっぱり覚えられません。
しばらくは「哀愁日記」がBGMの座を占めそうです。


投稿: 高木ひろ子 | 2008年7月17日 (木) 17時33分

バス旅行の時マイクだけで何も見ず歌わせられた。次は曲だけ。そしてカラオケ。若い頃は憶えられた詞をカラオケ画面
を盗み見ないと歌えません。これも老化なのですね。

投稿: M.U | 2008年7月29日 (火) 13時13分

山のひと夜のゆきずりの・・・・いい詞ですね。こういう詞が消えていくのが怖い。何故今の子供達は意味不明な言葉
を使いたがるのでしょうか。

投稿: M.U | 2008年8月24日 (日) 08時46分

「好きになってはいけないと」この唄は藤本二三代の名曲
ですがタイトルが解りません。おわかりなら教えて下さい。

投稿: M.U | 2008年9月12日 (金) 11時37分

MUさん

藤本二三代の「夢見る乙女」(花の街角有楽町で 青い月夜の心斎橋で 乙女が燃えて見るその夢は 愛の灯影のスイートホーム」や「好きな人」(夜霧の中の影のように 涙の中に浮かぶ顔 私がこんなに愛していると なぜなぜなぜあなたは知らないの」は、私の好きな曲です。でも、これらのスリーコーラスの中に「好きになってはいけないと」というフレーズはありません。

似たようなフレーズでは、西川峰子の「あなたにあげる」の3番に「好きになってはいけないならば 何で逢わせたこうまでさせた…」というフレーズがあります。

私が知らない藤本二三代のデビュー曲は「花の十九よさようなら」だそうですが、私はその歌詞を知りません。

以上思い出すヒントになれば幸いです。


投稿: 吟二 | 2008年9月12日 (金) 22時19分

吟二様

貴重なコメントありがとう御座いました。

投稿: M.U | 2008年9月13日 (土) 12時19分

吟二様

私の勘違いでした。「好きな人」でした。重ねて御礼申し
上げます。今後とも宜しくお願いします。

投稿: M.U | 2008年9月13日 (土) 13時40分

藤本二三代の「花の大理石通り」の歌詞を見つけられません。見つけ方を教えて下さい。この曲と何となく似ているように思えて。

投稿: 海道 | 2009年7月 1日 (水) 06時54分

海道様
藤本二三代の「花の大理石(マーブル)通り」http://www.youtube.com/watch?v=qvc3vHwmDX0
佐伯孝夫:作詞・吉田正:作曲
大阪の心斎橋筋のことだそうです。
歌詞は2~3回聞くと覚えてしまいますね。

投稿: araichi | 2009年7月 1日 (水) 09時13分

araichi様

早速のご返事有難う御座いました。

投稿: 海道 | 2009年7月 1日 (水) 12時07分

教えて頂いた手順で聞き写しました。
花の大理石通り
1.夢中よ夢中よ こんなに夢中 なのに貴方は 僕も  と言わない 言ってよいつも お前のものと すて  きな貴方連れてって 花の大理石 大理石通り
2.夢中よ夢中よ こんなに夢中 とっても私にゃ
  いやよと言えない そうだわ光る 婚約指輪 今日  こそ 買いに連れてって 花の大理石 大理石通り
3.夢中よ 夢中よ こんなに夢中 サイン交わした
  大理石通りよ 言ってよ いつも忘れはせぬと や  さしく抱いて連れてって 花の大理石 大理石通り

投稿: 海道 | 2009年7月12日 (日) 06時31分

最近彼女をテレビで良く観ますが代表作の中に「かりそめの唇」を入れて戴けませんか。これは個人の希望ですからいかようにも。

投稿: 海道 | 2011年3月 4日 (金) 14時05分

哀愁日記、渡り鳥いつ帰る、かりそめの唇で純情だった乙女もいつからか「捨てちゃえ、捨てちゃえ」と強い女に変身してしまうのですね。怖いですねー〇〇〇は。
「山のひと夜のゆきずりの」「別れちゃ嫌だと泣いたとて」「おんな心のちいさな湖に誰か小石を投げたのよ」・・どうせ拾った恋だって捨てちゃいけませんね。

投稿: 海道 | 2012年8月26日 (日) 16時44分

この哀愁漂う曲は、初代の数あるヒット曲の中でも私は好きで、今でもカラオケで歌っています。その後を継いだ二代目の「紅ばら白バラ」や「智恵子抄」もきれいな声で歌唱も初代のように上手でいいですね。二代目のデビュー曲である前者の歌詞は、妹分がお姉さま(初代)を思慕している歌詞ですが、これで私は初代が群馬県桐生市出身だと知りました。実存した歌手を別の歌手が慕う歌をレコード化したのはこれ以外知りません。宣伝効果を狙ったのでしょうが、それだけ初代の歌手としての存在が大きかったのでしょうね。

初代のデビュー曲「娘十九はまだ純情よ」も好きですが、神楽坂はん子の「十九の春」や松坂恵子の「十九の浮草」もほんといい歌ですね。十九歳ものはヒット曲が多いですね。

投稿: 吟二 | 2012年8月27日 (月) 11時46分

三代目も歌はうまいですよね。「十九なかばの恋知らず十九なかばで恋を知り・・・・・夏から秋への能登半島」この歌も仲間に入れて愛唱歌にして下さい。石川さゆりの十九の純情は馴染みの薄い歌ですが、花の十九よさようなら(藤本二三代)は良い歌ですね。

投稿: 海道 | 2012年9月 1日 (土) 06時20分

この歌は、すっかり忘れていました。
”戦後第1期歌謡曲”を、ア行から順に、タイトルをチェックしていて、「哀愁日記」のところで、”はて、どんな歌だったろう?”と思い、開いて聴いてみたら、すぐに思い出しました。
♪山のひと夜の ゆきずりの 愛の言葉を 忘れかね…♪、懐かしい限りです。
当時、流行っていて、よく聴きました。昭和29年の歌とありますので、私は高校生でした。
今、歌詞を眺めながら、二木オーケストラの演奏を聴いていますと、改めて、万城目メロディの素晴らしさに気づきます。そして、歌詞も、♪雨の降る日は 窓の外  風の吹く夜は 星の空 あの人は いつもどこかで…♪(歌詞2番)などと、大詩人・西條八十さんの研ぎ澄まされた感性を感じます。

投稿: yasushi | 2020年5月29日 (金) 13時26分

yasushi様は、本当に唄が好きで1曲1曲すごく丁寧にチエックされ、大事にされているな~と、いつも思っています。
お陰で今まで何度も忘れかけていた歌を思い出させていただきましたよ。 たとえば「アメリカ通いの白い船」もそうでしたし、それ以外にも何曲かありましたが・・・・。

この曲もそうでした。「東京のバスガール」や「どうせひろった恋だもの」は、すっと口の端に乗せられても、タイトルだけ見て、はて?「哀愁日記」とは?と一瞬逡巡しかけましたが、メロデイーを聞いてすぐに “あ~この歌”と、思い出しました。
yasushi様 ありがとうございました。

《二木先生にリクエストがあります》

丘 灯至夫 作詞
古関 祐而 作曲
「みどりの雨」  大好きな思い出の歌ですので、よろしくお願いいたします。  

投稿: あこがれ | 2020年5月29日 (金) 22時25分

あこがれ様から、過分のお言葉を頂戴し、痛み入るばかりです。
確かに、コロンビア・ローズさんといえば、先ず、「東京のバスガール」を思い浮かべますね。

ついでながら、リクエストされました「みどりの雨」(丘灯至夫 作詞、古関祐而 作曲、藤山一郎 唄 S28)は、私も大好きです。ここのところ、五郎部俊朗さん(オペラ歌手)が、ピアノ伴奏で歌う、「みどりの雨」を好んで聴いております。

投稿: yasushi | 2020年5月30日 (土) 10時44分

弱い乙女は「山のひと夜の ゆきずりの愛の言葉を 忘れかね」どこへ行くのでしょう。いつも夢見る愛の泉の湧く街ですか。この歌詞はもはや一編の詩ですよね。こう言う詩が消えて行きそうですが恐ろしい事です。群馬県出身のコロンビアローズの歌だから山は榛名山でしょうか。若い時榛名湖に団体を引率してスケートに行った事があります。そこが「湖畔の宿」のモデルだなんてつゆ知らず。

投稿: 海道 | 2021年7月 3日 (土) 11時51分

第一のローズさんはもちろん 第2のコロンビアローズさんもいい歌歌いましたね、私は智恵子シヨウ が大好きです

投稿: 箏 | 2022年1月12日 (水) 22時25分

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