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2008年8月16日 (土)

並木の雨

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:高橋掬太郎、作曲:池田不二男、
唄:ミス・コロムビア

1 並木の路に 雨が降る
  どこの人やら 傘さして
  帰る姿の なつかしや

2 並木の路は 遠い路
  いつか別れた あの人の
  帰り来る日は いつであろ

3 並木の路に 雨が降る
  どこか似ている 人故に
  後ろ姿の なつかしや

《蛇足》 昭和9年(1934)7月に、コロムビアからレコード発売されました。
 
ミス・コロムビアの本名は松原操。

 戦前、クラシックを教える音楽学校はどこも、歌謡曲という「低俗な音楽」をレコーディングしたり、舞台で歌ったりする学生は、退学処分などのペナルティを科せられるのが普通でした。
 たとえば、東洋音楽学校
(現・東京音大)出身の淡谷のり子は、歌謡曲を歌ったのが卒業後だったにもかかわらず、母校の名誉を汚したとして卒業生名簿から削られてしまいました(のちに復籍)

 こうしたことを考慮して、コロムビアレコードは、東京音楽学校(現・東京芸大音楽学部)を卒業したばかりの松原操を、ミス・コロムビアという覆面歌手としてデビューさせました。

 覆面歌手というのは、正体をいっさい公表しないだけでなく、レコードジャケットや宣伝写真に載せる顔写真も目隠しして売り出すといった作戦です。
 これは、やはり東京音楽学校の卒業生だった小林千代子
(『涙の渡り鳥』などのヒット曲がある)を、日本ビクターが金色仮面という覆面歌手として売り出し、ミステリアスな魅力で人気を得ていたのに倣ったもの。

 作戦は図にあたり、ミス・コロムビアは以後、『十九の春』『並木の雨』『旅の夜風』『一杯のコーヒーから』『目ン無い千鳥』などのヒット曲を連発します。

 昭和15年(1940)、カタカナの芸名を禁止する内務省の指令により、本名の松原操で歌うようになります。太平洋戦争中は多くの軍国歌謡を歌いました。

 戦後も人気は衰えませんでしたが、夫の霧島昇を支え、家事に専念するため、昭和23年(1948)の『三百六十五夜』を最後に芸能界を引退しました。

 作曲の池田不二男は、原野為二、金子史郎ほか、複数のペンネームを使っています。『並木の雨』のほか、『花言葉の歌』『片瀬波』などの佳作を発表し、将来を期待されましたが、38歳で亡くなりました。

 「並木の路」というと、かつてみごとな柳並木のあった銀座通りが浮かんできます。ティールームかどこかから、別れた恋人に似た人を通行人のなかに見かける、といったイメージです。

 失った人の面影を人混みのなかに見つけるというのは、よくある話です。しかし、ただの知り合いもしくは友人の1人にすぎないのに、その人によく似た人を街中で頻繁に見かける、ということはありませんか。
 もしあったら、自分の心の中を一度よく探ってみたらどうでしょう。もしかしたら、それまで気がつかなかったその人への特別な感情を発見するかもしれません。

(二木紘三)

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コメント

昭和14年といえば私の生まれた年ですが、この歌詞をすんなり歌えます。ということは〔並木の雨〕かなり長期間ヒットしていたのですね。

投稿: おキヨ | 2008年8月17日 (日) 00時51分

この頃の歌は、ラジオで聴き覚えたらしく、メロディ-を聞くと、すんなり唄えます。

投稿: Hikoさん | 2008年8月17日 (日) 06時45分

中学生時代。雨の日、休憩時間中の学校の廊下、窓外の通りを見ながら「♪♪どこの人やら傘さして」と歌っていましたら、後ろに先生がいました。ニヤリと笑って「そこに立っとれ」と言われ、1時間くらいほど立たされました。

「♪なにがわるいのか 今もわからない」という歌の文句がありますが、今もその感じです。

今期の芥川賞「時の滲む朝」に、中国の大学の学生寮の一室で4人の学生がテレサテンの「月亮代表我的心」のテープを音声や声を潜めて聴き、歌詞の内容に顔を赤らめ、亡国(腐敗)の歌であると議論する箇所がありました。

「あなたを愛する私の深い愛は、あの月です」くらいの歌詞です。1998年ころの中国ですが、・・・。

投稿: 景山 俊太郎 | 2008年8月19日 (火) 09時44分

おキヨ様
申し訳ありません。『並木の雨』のリリース年をまちがえていました。昭和14年ではなく、昭和9年(1934)でした。
 60代以上の人には、幼児期どころか、生まれる前に流行った歌を歌える人が少なくありません。50代にもそういう人がかなりいるでしょう。メディアの数が少なかったせいで、1つのヒット曲が長く歌われたからでしょう。ある意味で、これは幸せなことだったかもしれませんね。(二木紘三)

投稿: 管理人 | 2008年8月21日 (木) 00時20分

私は昭和22年生まれですが、この曲は幼い頃から親しんでいました。昔は、一つの曲が永く歌われたのは、二木先生が仰るように、メディアの数が少なかったのが一番の理由と思いますが、それとは別に、当時の作家の曲を作るに当たっての姿勢の違い、つまり作品を商品として作るのではなく、作品の芸術性という点をより重視したことも、ひとつの理由ではないかという気がします。

投稿: くまさん | 2008年8月21日 (木) 23時06分

 私は二木先生のフアンの一人です。
人間が生きていくうえで出会いもあれば必ず別れもあり、思い出は心の中に人それぞれにあります、この曲はそれにぴったりなのではないでしょうか。 
 先生の人間性も伺える曲についての評論など、偏らない心の広さに何時も感心しております。
 ご自分では毛もない胃もない根性もないとご謙遜しておられますが年齢も私が少し下程度、アクセス数がフアンの多さを表しておりますね、と同時に先生の人間性に引かれた方がほとんどではないかと感じております。
 これからも末永くお元気で続けてくださいね。
 

投稿: トクラテス | 2008年8月26日 (火) 08時07分

昭和元年生まれの私は先生のページでどれだけ楽しませていただいたことか・・。本当に有り難う御座います。これからも益々のご発展を・・。おと

投稿: おと | 2008年10月 7日 (火) 12時41分

久しぶりにファイルを開き、「並木の雨」を偶然かけてみました。この曲は母がよくうたっていたものです。二木さんの演奏も情感がでていて、とても懐かしい思いでした。早速うる覚えですがたどたどしくうたってみました。段々とメロディに合うようになり、母のこころの片鱗に触れられたようです。母はどんな思いでこの歌をうたっていたのでしょう。
そして、二木さんの解説を読んで、当時の時代背景も重なってこの歌の切ない思いがよけいに忍ばれます。
ちなみに戦後生まれの私ですが、同年代や諸先輩と昔懐かしい曲をカラオケバーなどで存分に歌い合いたいものです。

投稿: ヒロ | 2008年10月14日 (火) 00時04分

二木先生有り難うございます。常常、情緒豊かな、かぐわしい、歌の数々を、しみじみと聞かせて頂いております。 「並木の雨」は数年前にお願いさせ頂いた歌の一つです。 「並木の雨」は、私にとっては、懐かしく、そして悲しい歌の一つです。若かりし頃、友達(女性)の一人の兄上(文系の大学生)もこの歌が好きだっそうですが、学徒出陣で戦地に赴き、そのまま帰らぬ人になってしまったと、その友は、しばしば、この歌を並木の下で涙ぐみながら歌っていました。私も何時しか、この歌を覚え、好きになり、一緒に歌っていました。しかし、その友も今はなく、「好きだけれど悲しい歌」だけが私の心の中に残っています。

投稿: 小花 隆司 | 2008年11月10日 (月) 17時36分

 子供の時兄姉たちがよく唄っていました。私も唄うことができるようになりました。終戦後、青年団素人演芸会がよく演じられていました。親に黙って見に行きました。化粧した男女が演ずる舞踊は「並木の雨」でした。若い男女が傘をさして、もつれて舞う姿に皆溜息と拍手のあめでした。楽団の演奏するレコードの並木の雨の歌には、子供心にも心地よい響きでした。
 並木の雨を唄うとき、聴くとき何故か、心が安らぎます。この歌は私の心の若さのエネルギーです。

投稿: 中林みのる | 2009年9月14日 (月) 17時23分

並木の雨。この歌を聴くといつも二階の窓から並木道を眺めている女性のイメージが胸にうかびます。しっとりとした日本人がかつてもっていたこころの情感。歌詞は長い必要がないですね。
先の大戦中、戦地で慰安会が催されると舞台に出る人出る人みんなこの「並木の雨」を歌ったそうです。
そういえば「NHKのど自慢」は戦地ののど自慢大会がその発端だと何かで読んだような気がするのですがどうでしょう。

投稿: 堀 周市 | 2010年4月14日 (水) 02時30分

私は昭和6年生まれのもう直ぐ80歳、荊妻はこの曲が世に出た昭和9年生まれでしたが3年前に他界。生前、何故かこの歌を台所に立ちながら、何時も口ずさんでいました。私も二木先生のこの演奏を聴くと、本当に懐かしく、生前の元気な頃の愛する妻の姿が脳裏に浮かび、涙が滲んで参ります。でも、これからまだまだ元気に生きなくては!!

投稿: 藤本 忠男 | 2011年6月29日 (水) 14時13分

堀 周市 さまの投稿を拝見して、驚いています。
実はわたくし、毎日二階の窓から家の前を通る道を眺めております。
道は遠く南に走り、ひとけの少ない、とても静かな道です。
6か月前に他界した夫は通院中、この道を丁寧な運転で帰ってきました。
いまも、哀しさで眠れぬ日があって、しらじらと明けゆく道を、また、黄昏の道をながめては「並木の雨」を聴きながら、夫を偲んでおります。
生前は、買い物のときなど、夫の運転する車の助手席に乗って、わたくしはいつもこの歌をうたい、夫はじっと聴いていました。後から生まれてくる、わたくしのために、3年早く生まれてきてくれたのではないかと、思えるほど、優しい夫との生活を、いまは幻のように思えてなりません。

投稿: 麻友子 | 2012年7月 9日 (月) 00時16分

藤本忠男さま 『並木の雨』は数年前に亡くなられた昭9年生まれの奥様が台所仕事の合間によく口ずさんでおられた愛唱曲だとか。昭23年生まれの私とは年の離れた長兄がやはり昭9年生まれで、小学校が『国民学校』となったり、男女別学から同学へと大きな変化があった生年だと何度も繰り返していました。長兄と国民学校同級生たちの男の子はかわいい模擬銃を持って兵隊さんの匍匐訓練の真似ごと、女の子たちはその後ろで従軍看護婦の扮装で慰問袋に入れるために昭16年ころに撮った写真絵葉書が我が家のアルバムにセピア色になって残っています。その長兄も四年前に74歳で彼岸に旅立ちました。藤本さまのご健勝を心よりお祈りいたします。

投稿: 乙女座男 | 2012年10月13日 (土) 15時36分

 乙女座男様 コメントを拝読し、改めまして4年前に他界した愛しい荊妻との想い出を熱く篤く脳裏に浮かべております。今、この名曲【並木の雨】の名演奏を聴きながら
拙文を記していますが、二木先生による演奏・曲の選定について何時も感謝しています。末筆になりましたが御長兄の御冥福を祈念しつつ擱筆いたします。藤本忠男拝

投稿: 藤本 忠男 | 2012年10月16日 (火) 16時27分

二木先生、お元気にお過しのことと存じ上げます。また、以前ご投稿を頂いた乙女座男様には御健勝でしょうか?
 今回は2012年以来の投稿ですが、前回から約3年が経過してしまいました。
 でもこの名曲・名演奏の「並木の雨」を聴く度に、私を置いて旅立ってしまった亡き荊妻への思慕の情は深く募るばかりです。
 想いもかけずに。私は間もなく82歳の馬齢を迎えますが、亡き妻の在りし日の愛しい「写真」を見、そして「並木の雨」を聴きますと、悲しさの中にも生き続けて、社会の為に小さな奉仕を続ける勇気が湧いてまいります。藤本忠男 拝

投稿: 藤本 忠男 | 2013年7月26日 (金) 21時05分

藤本忠男様
お元気そうで、何よりです。
あまり長いこと寂しがっていらっしゃると、空の上の奥様がご心配でたまらないでしょうが、社会奉仕なさるほどだと、きっと安心なさっているでしょう。
ウチでは、たぶん私が先に行くでしょうが、その場合、残ったかみさんにはメリー・ウィドウで暮らしてほしいと思っています。(二木紘三)

投稿: 管理人 | 2013年7月27日 (土) 17時37分

長らく御無沙汰致しておりますが、二木紘三先生にはお元気にてお過ごしのことと存じます。
 私は昨年末に82歳の馬齢を迎えましたが、間もなく六回忌を迎える荊妻の類い稀でした愛情と、その姿を偲びつつ淋しさに耐えて、下水道局関連のPRボ活動支援に精進しております。
 PCは、Windows-8.1に移行して、荊妻の大好きでありました名曲「並木の雨」の二木先生の銘演奏を毎日聴かせて頂き、荊妻を偲びつつ、昔日を想い出して元気をいただいております。心から感謝!!

投稿: 藤本忠男 | 2014年1月13日 (月) 14時35分

二木絋三先生、御健勝ですか?当方事、不思議に元気を頂き、この年末には私は83歳となります。荊妻の故容子がこの世から去って、今年で7回忌を迎えましたが、この「並木の雨」を聴いておりますと、彼女の生前、元気な頃を思い浮かべては、悲しみとともに、本当にこの私の拙い心が癒され感謝しております。

投稿: 藤本忠男 | 2014年7月14日 (月) 21時35分

曲もさることながら、詞も素敵ですね!
作曲された「池田不二男」さんは、佐賀市出身の戦前期の作曲家でした。今の国立音大を卒業され、コロムビアに入社、デイレクター兼作曲家として活躍されました。
 主な曲には、幌馬車の唄・片瀬波・花言葉の唄・雨に咲く花・東京セレナーデなどがあります。
 昭和18年に御病気で亡くなられましたが、時おり蓄音機で懐かしい名曲に出会っています。
 
 

投稿: 宮原 章 | 2015年1月19日 (月) 21時32分

 いつの頃「並木の雨」を覚えたかは定かではありませんが、昭和10年代前半に生まれの私にとって、好きな歌の一つです。
 短調の美しいメロディに乗せて、雨の並木道を往く人を眺めながら、別れた人をしんみり、しっとり思い起こす情景が心に響きます。
 また、タンゴ調のオーケストラ伴奏がとてもハイカラで、聞くたびに新鮮さをに感じます。世に出てから80有余年経ちますが、古臭さは少しも感じられず、今も人の心を引き付ける傑作だと思います。
 同じ作詞家・作曲家による、「雨に咲く花」(昭和10年)も、タンゴ調歌謡曲で、これもいいですね。

投稿: yasushi | 2016年10月20日 (木) 17時06分

 私がこの「並木の雨」を覚えたのは、松原操が引退してとっくに10年程経ていましたから、その後のNHKのラジオで頻繁に流されていたからでしょう。 その後昭和35年辺りからリバイバルブームが興り、『井上ひろし』がこの「並木の雨」をヒットさせました。タンゴ調編曲ではありませんでしたが。私は「松原操」と「井上ひろし」の両方を聴いて覚えたのでしょうね。
 昭和35年代、井上ひろしは歌唱力はともかく、まろやかで、柔らかい声質、そしてあの甘いマスクで人気を博していましたね。 NHKの人気TV番組『お笑い三人組にゲスト出演して、満腹ホールの前で『並木の雨』を唄っていたのを良く憶えています。いい歌です。高椅椈太郎の秀作品です。

投稿: かせい | 2017年7月15日 (土) 01時05分

ここ関西でも、今日、梅雨に入ったようです。雨空を眺めていますと、やはり、気持ちは晴れず、塞ぎがちになってしまいます。
  こんな時こそ、この「並木の雨」や、同じ高橋・池田コンビの作になる「雨に咲く花」(関 種子 唄 S10)など、雨を謳った歌をしっとり聴いて、”雨もまた愉し”という心境になりたいものです。

投稿: yasushi | 2018年6月 6日 (水) 13時11分

この曲「並木の雨」は、私にとっては戦前戦後を通じて流行歌・歌謡曲の変遷の流れの中でも、何といっても一押しのランクにリクエストしたいのがこの曲です。
全体の曲の流れがゆったりとした旋律で高橋掬太郎の見事な詞にぴったりの雰囲気が柔らかく感じ何とも言えない居心地のよさで別世界に誘われているような気分になってしまいます。

池田不二男さんは、旧制佐賀中学から現国立音大に進学~ココムビアでディレクター兼作曲家兼歌手として活躍され日本歌謡史に残る数々の抒情的な名曲を世に送り出し,1943年38歳の若さで亡くなられています。
もっと沢山の素敵な心に沁みる曲を作ってほしかったと思います。残念でなりません

今から14年ほど前、偶然にも池田不二男さんがご病気で福岡の津屋崎にある療養所で同室に入院されていた方(以後~Nさん)とお会いすることができました。
Nさんが療養所で池田さんとお会いされたのは昭和13年頃のことで、池田さん本人の前でこの「並木の雨」を歌ったところ、へたくそ俺の前で歌うなと言われたことを懐かしく話されました。
Nさんは、池田さんが退院された後、福岡市内の○○医院の自宅?に招待され、鍋料理をご馳走になったことを昨日のことのように当時を想い出され話されました。

数年後、ふとNさんから聞いていた福岡の○○医院のことを思い出し、電話番号を調べ思い切って電話をしてみました。
最初看護師さんと思われる方が電話に出られ、佐賀市内に住んでいる者で作曲家であった池田不二男さんの大フアンで、ご親族の方でしたらお話を伺わせてほしい旨を言ったところ、するとビックリ、暫くしてご高齢と思われる男性の方が電話に出られたので、改めて自己紹介と突然お電話をした趣旨を伝えたところ、快く暫くお話をして頂きました。
最初にありがとうございますとお礼を言われたのにはこれまたビックリ、不二男は常日頃、作曲した曲の中でも「並木の雨」が一番の力作であっと言われました。
当然私もこの曲が一番好きであることをお話ししました。

三つ目にビックリしたことは、以前、佐賀市内に住んでおられた所が、今、私が住んでいる所から歩いて数分の近所であることに・・・
最後に、突然お電話したことの失礼とお話していただいたことについて、丁寧にお礼を述べて電話を切りました。

それ以来、特に池田不二男さんが身近に感じ、時折、自前の蓄音機で、「並木の雨」「幌馬車の唄」「別れ来て」「片瀬波」「七里ヶ浜」などで彼を偲んでいます。
また、「花言葉の歌」で伏見信子さんとデュエトで歌っている松平晃さんは、同じ佐賀市出身で旧制佐賀中学の後輩にあたります。

改めて、二木オケの素敵なアンサンブルに酔いしれています。

長いコメントになってしまい失礼いたしました。

投稿: 一章 | 2019年3月21日 (木) 15時32分

一章 様

いかにも律儀な一章様のお人柄がうかがえるような、気持ちの良いお話、それに偶然とはいえ、一章様の一押しにランクアップされるほどお好きな「並木の雨」に纏わる出会いに不思議な縁を感じます。

“昭和の歌には色艶があり、人生がある”といわれますが、いつも リクエストされる一章様の曲(歌)は、私の感性に快くマッチするものが多く、より強く同年代の親しみをおぼえてしまいます。

今夜は、久しぶりに同好の方からカラオケに誘われていますが、並木の雨 が歌えればよいが・・と、思っています。

投稿: あこがれ | 2019年3月22日 (金) 17時34分

「並木の雨」この曲は戦後に生まれた私でさえ、聴く度に詩の中に漂う切ない情景が浮かんでしまうほどで、とても素晴らしいメロディだと思っています!

また、この唄を聴いていると、昔歌好きだった亡き母が、おくどで釜戸に薪をくべながら、この唄を口ずさんでいたその背中を懐かしく想い出します。

『蛇足』に記してある >失った人の面影を人混みのなかに見つけるというのは、よくある話です。しかし、ただの知り合いもしくは友人の一人にすぎないのに、その人によく似た人を街中で頻繁に見かける、ということはありませんか。もしあったら、自分の心の中を探ってみたらどうでしょう。もしかしたら、それまで気がつかなかったその人への特別な感情を発見するかも知れません。

私はこれまでの自分自身の人生経験の中で、思い当たる節もあり、上記の解説に説得力を感じます!


投稿: 芳勝 | 2020年1月11日 (土) 14時11分

 今、私の大好きなこの曲「並木の雨」に聞き入っています。
このような曲を耳にしていると、しっとりとした素敵なメロデーの上に詞が重なり心に深く沁みわたり安らぎを感じています。
 昭和初期の流行歌の素晴らしさを改めて痛感している次第です。
 いつしか二木オケの素敵な演奏に誘われ、遠い昔に過ぎ去ってしまった中学時代の片思いの彼女のことを懐かしく想い浮かべています。
 歳は重ねてもその当時心を躍らせたことを忘れないものですね!
 

投稿: 一章 | 2020年2月 1日 (土) 19時43分

認知症高齢者にピアノ演奏している30代です。
新しく楽曲を用意するときはこちらのサイトで研究させてもらっています。
コロムビアについて皆さんに尋ねますと首をかしげます。
藤山一郎さんや三羽烏に比べて、ほとんど想起されません。
女性なら高峰三枝子さんが人気です。
湖畔の宿は皆さん大好きです。
19の春はほとんど歌えませんでした。
年代は80代が多いです。見解を教えて頂けると嬉しいです。
6月になったら並木の雨を演奏したいと思います。

投稿: uti | 2020年4月 9日 (木) 23時28分

uti様には、認知症高齢者にピアノ演奏をされている由、頭が下がる思いです。
認知症高齢者の方々にとって、大きな癒しになっていることは、信じて疑いません。

私も80代前半の高齢者ですが、戦前・戦後の歌謡曲ファンの端くれです。
この「並木の雨」も大好きです(前に2度投稿しております)。
ミス・コロンビアさんの歌として、挙げておられました「十九の春」(西條八十 作詞、江口夜詩 作曲 S8)は、全く知りませんでした。今日、初めて、YouTubeで聴きました。
なお、他にも、下記の歌などは、高齢者の多くに愛されている、ミス・コロンビアさん=松原操さんが歌う名歌であろう思うのですが、如何でしょう。
「旅の夜風」(西條八十 作詞、万城目正 作曲、霧島昇&ミス・コロンビア 唄 S13)
「目ン無い千鳥」(サトウハチロー 作詞、古賀政男 作曲、霧島昇・ミス・コロンビア 唄 S15)
「三百六十五夜」(西條八十 作詞、古賀政男 作曲、霧島昇・松原操 S23)

投稿: yasushi | 2020年4月10日 (金) 11時56分

yasushi 様

 私は、北九州、小倉市の生まれ育ち(高校の2、3年は広島市在住)、今は、茨城県(在住、50年目)で、定年有機農業を営む前期高齢者です。
 この歌は、結構高齢になってから知りましたが、メロディーは昔聞いていた様な、懐かしさがあります。多分、幼時、ラジオから流れる歌声を聞くともなしに、聞いていたのでしょう。あなた様の推奨されておられる他の楽曲も、懐かしいです。歌手の「霧島 昇」さんは、今住んでいる日立市のすぐ北の、福島県いわき市高久町のご出身です。 「コロナ禍」の為に、近くの居酒屋に行く事もままなりませんが、自宅のパソコンの前で、小声で歌っています。
皆様、お元気で。

投稿: 竹永尚義 | 2020年4月10日 (金) 14時00分

uti様
認知症高齢者へのピアノ演奏、yasushiさま同様に頭の下がる思いです。
この場をお借りして私の経験を述べてみます。複数の施設に紙芝居に出向き、話に沿った歌や、季節の歌を皆さんで歌います。
人気の上位は  旅の夜風。
童謡も好まれます。
ある時桃太郎を上演?それまで目を瞑ったまま首をうな垂れていたご婦人が  突然桃太郎の歌を3番まで歌われたのには胸を打たれました。幼い日の記憶は残っているのですね。

コーラスの慰問で特に女性に人気の歌
月の砂漠
あざみの歌
水色のワルツ

皆さん涙を流されます。
歌えなくとも心に響くと思います。


童謡では
嬉しい雛祭り
鯉のぼりなど
   
唱歌では
早春賦
浜辺の歌


カラオケタイムもあり、
過去にのど自慢のチャンピオン大会出場経験という方がおられ、歌の巧さに驚かされました。当然と言えば当然ですが、
千の風になって
憧れのハワイ航路他

ただ年々気力が薄れ表情が乏しくなり
歌わなくなったのは寂しい限りでした。

私も間も無く後期高齢者ですが

勿忘草をあなたに
川の流れの様に
白い花の咲く頃
北国の春  星影のワルツ
青葉城恋歌など
ピアノ演奏を聴くだけでも癒されます。

何がお役に立てたなら光栄です。


投稿: りんご | 2020年4月10日 (金) 21時19分

竹永尚義様には、茨城の地で有機農業を営んでおられる由(’20-4-10コメント)、本当にご苦労様です。生き物(植物)を育てることは、生き物に心を寄せること、つまり、この世で生きてゆくことの原点ではなかろうかと思います。

「並木の雨」に懐かしさを感じておられるとのこと、まさに、「並木の雨」は、”懐かしの昭和メロディ”ですね。
とは言え、メロディはとてもハイカラで、色褪せることなく、この令和時代でも、多くの人々に愛される名歌だと思います。

投稿: yasushi | 2020年4月11日 (土) 11時13分

yasushi様、りんご様

ご教授頂いて大変感謝いたします。
本日「並木の雨」を演奏したところ、皆さん元気よく歌われました。まさかとびっくりです。
90代後半の男性が並木路子さんの名前の由来になっているとおっしゃっていました。真実か分からない話だったのですが、本当のようですね。それほどの楽曲とは想像もしていませんでした。
おかげさまで素晴らしい時間を過ごせました。ありがとうございました。

「あざみのうた」は情緒のある美しい曲ですね。今日使わせていただきました。ありがとうございました。
「古き花園」についてですが、年代的には問題ないにも関わらず知らない方が大半でした。見解をお教えいただけないでしょうか。

自分が高齢者になったとき、青春時代の曲を歌えるのは何よりうれしいことだと思っております。さまざまな曲を研究し、持っていくと生き返ったように歌われる高齢者を見ていつも感動します。
若輩者ですが、どうぞご教授をお願い致します。

投稿: uti | 2020年5月29日 (金) 18時08分

uti様には、「並木の雨」をピアノ演奏され、高齢者の方々が元気よく歌われた由、その場面が浮かび上がるようで、心なごみます。
これから、梅雨の時期になりますと、この歌や、「雨に咲く花」(高橋掬太郎 作詞、池田不二男 作曲、関種子 唄 S10)など、雨の歌は、一層しっくりと、心に響いてくるのではなかろうかと想像します。

さて、”「古き花園」についてですが、年代的には問題ないにも関わらず知らない方が大半でした。見解を…”の件、私自身の体験を踏まえて、思いのほどを述べてみたいと思います。
私(昭和12年生まれの82歳)が、「古き花園」に親しみを感じるようになったのは、割合最近のこと、つまり、仕事をリタイアしてからでした。由紀さおり・安田祥子さんのCD『スタンダード日本 1』に、この歌が収録されていて、何度も繰り返して聴いてからでした。若い頃から知っていた訳ではないのです。
同列に論じられないとは存じますが、私くらいの年代の人たちで、この歌を知らない人が大半だとしても、不思議ではないと思うのです。

投稿: yasushi | 2020年5月30日 (土) 10時39分

yasushi様
貴重なご見解をありがとうございます。
年代に関係なく広い世代に知られている曲はいくつも体験してきました。旅の夜風のように、ずっとカバーされ、若い世代60〜70代にも好まれるのは頭ではよく理解できます。
しかし、地域差もあるでしょうし、並木の雨のような古い楽曲が比較的若い世代にも知られ、重度の認知症になりながらも、なぜ強く心に残っているのか、世代を生きていない私にとってとても不思議です。
長い期間高齢者とともに音楽を楽しんでいましたが、年中リンゴの歌、定番化し、話題も毎年同じ、レパートリーは少ない、はつまらないので、新たな曲を持ちこむようになり昨年雨に咲く花を持ってきたところ、非常に好評でした。今年は並木の雨と共に、雨に通じる曲が一つ増えました。アドバイスくださってありがとうございます。
有楽町で逢いましょうもですが、昔の雨の曲はいくつかありますね。
これからも頑張ってヒット曲を探したいと思います。

投稿: uti | 2020年6月 1日 (月) 21時30分

今朝起きたら、久しぶりの雨でした。
雨天となれば、正直、鬱陶しく感じますが、植物にとっては恵みの雨だろうなと思うと、鬱陶しさも緩和され、心は落ち着いてきます。
雨の歌では、この「並木の雨」と、同じ作詞・作曲コンビによる「雨に咲く花」(S10)などが好きな歌です。やはり、雨の日によく似合います。

朝食後、丁度頃合いと思い立ち、散髪に行きました。
待ち時間の間、スマホに入れてある、お気に入りの『鶴岡雅義 昭和歌謡を弾く』によるギター演奏を、「並木の雨」から聴き始め、「雨に咲く花」、「南から南から」(S17)、「お使いは自転車に乗って」(S18)、「東京の花売娘」(S21)、「夢淡き東京」(S22)と聴いているうちに、順番が回ってきました。
ついでながら、鶴岡雅義さんのギター演奏を聴きながら、いつも思うのは、本当に才能の豊かな方なんだなあということです。

投稿: yasushi | 2021年8月 3日 (火) 11時16分

 並木道というのは、晴れても雨でも美しいので、私は昔から好きです。箱根や日光の杉並木、北大のポプラ並木、東大の銀杏並木などは、有名すぎて面白くもないのですが、並木のきれいな所は地方にけっこうあります。桜並木、松並木、榎並木など、おおざっぱに写してもきちんと映えていました。
 ベトナムの街路樹も両面の歩道に用意されている。それは気温が高く、バス停を降りてから、目的の店や家に行くのに、陽射しが強く、すぐ肌を焼いてしまう。そこで街路樹の木陰の下を歩く。あまり高い木は影が遠くにでき、人の頭にはかからない。木の丈が3,4mと短くとも、葉が多くなるような木が植えられている。
 しかしそういう並木道はあっても、車どおしがすれ違うだけのこと。並木道で似たような人をみかけて、はっとするのは、もっと小さな道でしょうね。車が通らないような、田舎の道でしょう。車の少なかった昭和9年頃のなつかしい歌です。

投稿: 越村 南 | 2021年8月 6日 (金) 20時57分

NHKテレビ報道によると、当地(近畿地方)は、今日梅雨入りしたようです。平年より8日早いとのことです。

さて、雨を謳った歌謡曲では、好きな歌が幾つかありますが、先ず最初に思い浮かべるのは、『並木の雨』です。
歌詞を眺めますと、あれこれ想像が膨らみます。
歌詞1番:雨の並木の路を傘をさして帰る(去り行く)人影を見て、別れたあの人も、傘をさして去って行ったなあ、と昔のことを懐かしく思い出す。
歌詞2番:別れたあの人が私のところに帰ってくるのはいつだろうか、果たしてそんな日は来るだろうか、と別れたあの人のことに思いを馳せる。
歌詞3番:雨の並木の路を去り行く何人かの人影の中に、別れたあの人にどこか似ている人を見つけ、その後ろ(去り行く)姿に殊更懐かしさを憶える。

投稿: yasushi | 2023年5月29日 (月) 15時36分

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