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2008年10月10日 (金)

イヨマンテ(熊祭)の夜

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:菊田一夫、作曲:古関裕而、唄:伊藤久男

  アホイヤー ラハハ……
  ラハハ…… イヨマンテー

1 イヨマンテ
  燃えろ かがり火
  ああ 満月よ
  今宵 熊祭り
  躍ろう メノコよ
  タム タム 太鼓が鳴る
  熱き唇 我によせてよ

2 イヨマンテ
  燃えろ ひと夜を
  ああ 我が胸に
  今宵 熊祭り
  可愛い メノコよ
  部落(コタン)の 掟やぶり
  熱き吐息を 我に与えよ

  ラハ アアア
  ラハハハ アアアー
  ラハハア アホイヤ
  アホイヤ イヨマンテ

《蛇足》 昭和24年(1949)に、連続ラジオドラマ『鐘の鳴る丘』の挿入曲「山男のテーマ」として作られたのが始まり。当初は歌詞がなく、ア~ア~というスキャットだけで歌われていました。

 このメロディが気に入った菊田一夫が、アイヌの習俗をテーマとした歌詞をつけ、大人の歌に作り替えました。伊藤久男の唄でレコードが発売されたのは、翌昭和25年(1950)1月のことです。

 アイヌを扱ったのが珍しかったうえに、伊藤久男の大声量の歌声が曲にぴったりで、大ヒットとなりました。
 この年、NHK「のど自慢素人演芸会」では、この歌を歌う男性が続出しましたが、スキャットの部分がむずかしく、鐘1個で終わる者がほとんどでした。

 この歌で、アイヌに熊祭という行事のあることが広く知られるようになりましたが、実際の熊祭は、この歌のイメージとはだいぶ違うようです。
 この歌では、熊祭りは満月の夜に行われることになっているし、曲は南国的な官能性に満ちています。
 しかし、実際の熊祭は、新春1月の昼間に行われ、夜もかがり火は焚かれないそうです。

 アメリカの人類学者アルフレッド・I・ハロウェルの論文(1926年)によると、熊祭は、北半球の高緯度森林地帯で暮らす狩猟民にほぼ共通して見られる習俗で、その趣旨や方法は相互によく似ているとのことです。

 すなわち、熊祭とは、捕らえた熊を(1)殺害し、(2)その肉を食い、(3)その霊を神の国に送る(=甦り)の3場面から成り、場面ごとに決まった呪言や禁忌のある儀礼――と定義されています。
 所によって、いずれかの場面が強調されることがあり、方法も種族によって若干異なるようです。

 北海道やサハリン、アムール川下流域に住むアイヌ民族は、熊祭をイオマンテと呼びますが、これは「イ(それ=霊)・オマンテ(送る)」を意味しています。イヨマンテは、これがなまった言葉です。
 「霊を送る」が儀式の呼び名となっていることから、アイヌ民族は第3の場面をとくに重視していることがわかります。このことから、日本語では熊祭を「送りの儀式」とか「霊送りの儀式」とも呼びます。

 こうした熊祭の基盤になっているのは、次のような信仰だといわれます。

・熊は野獣の王であり、森のあるじ、またはその使者である。
・元は人間で、人間の言葉がわかるから、悪口や手柄話は禁物。熊と呼ばれるのを嫌うから、おやじとかお袋、親方、じいさん、ばあさんなどと呼ばなくてはならない。
・元は人間だから
、猟師に殺されることによって毛皮から解放され、本来の姿に戻ることができ、熊もそれを望んでいる。
・甦りは骨によって行われるので、熊の骨、とくに頭骨はたいせつに保全しなくはならない。

 なお、東北地方などの狩猟集団マタギも、簡易な熊祭を行うことがあるそうです。しかし、今も行われているかどうかはわかりません。

(二木紘三)

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コメント

 作詞、作曲、歌手の面々それに舞台が北海道なのでてっきり「君の名は」がらみの歌と思い込んでいました。
 でもよくよく考えてみますと「君の名は」以前から確かにのど自慢で歌われていました。
 熊を獲って食べ、毛皮で寒を凌ぐ。昔の人々は他の生物の命をいただくことでしか生きられないことを実感し、神(即ち自然)に感謝し畏れる気持ちを持っていたのでしょう。
 今の我々は、DNAをいじくってみたり、クローンを作っってみたり神をも恐れぬことに狂奔し、その反面、絶滅危惧種の生物を増産しています。こんなことを続けていて本当に人類は幸せになるのでしょうか。

投稿: 周坊 | 2008年10月11日 (土) 12時15分

一度だけ人前で歌った経験ですが、先生のおっしゃる様にスキャットの部分で息をつかってしまうと、その先が続きません。それ以来この唄は聞き役に徹しています。

投稿: 海道 | 2008年10月11日 (土) 16時55分

伊藤久男の迫力のある歌声が印象に残っていますが、メロディーも歌詞も良いですね。
解説を読むと「熊祭り」は昼間行なわれるそうですが、歌詞は満月の夜、かがり火が燃えるとなっています。
そこが素晴らしいと思います。これによって歌が情熱的、官能的になり心に迫ってきます。
歌詞の妙味とはそういうことでしょうか。

投稿: 矢嶋武弘 | 2010年6月27日 (日) 10時01分

ある方のブログより
「イヨマンテ~~燃えろ篝火(かかりび) 今宵満月の~~♪」。
この歌は別名「熊祭りの歌」とありますが、イヨマンテは手元の小事典によりますと「犠牲になること、熊送り」とありますので「神に犠牲としての熊を送る祭りの歌」と解釈できます。この歌には他にメノコとタムタムと言うアイヌ語が出てきますが後で紹介します。その他で身近なアイヌ語はカムイでしょうか。神とか言われていますが辞書には「熊」とあります。アイヌ人にとって熊は神と同義と解釈出来るのではないでしょうか。コタンも良く聞く言葉ですがこれは「町とか村、大きく世界」とあります。ピリカは「良い土地、結構な」とあります。アイヌとは・・なんと「人間」と言う意味です。「イヨマンテの夜」の歌詞に出てくるアイヌ語、メノコは「女の人」、タムは「刀」でした。馴染みのアイヌ語はこれくらいでしょうか。

投稿: 海道 | 2012年6月10日 (日) 07時27分

カラオケで最近練習しています

投稿: 山下輝明 | 2013年3月29日 (金) 12時33分

声量があり元気が出る 力強さもあり健康にも良い  
秋川さんの歌大好きです

投稿: 山下輝明 | 2013年6月10日 (月) 11時01分

声量があり元気が出る
気楽に探せる

投稿: 山下輝明 | 2013年7月18日 (木) 19時00分

声量があり元気が出る
karaoke
daisuki

投稿: 山下輝明 | 2013年9月11日 (水) 17時14分

伊藤久男のヒット曲のひとつですが、NHKの「のどじまん」の定番曲でもありました。ある程度の声量と情感表現がないと聴いてもつまらない曲となってしまいます。私は伊藤久男の曲が好きで、他にも「サロマ湖の歌」が大好きです。しかし残念ながら、カラオケ曲のリクエスト曲にはほとんど見当たらないのが残念です。以前サロマ湖に行ったとき年配のガイドにこの歌を知っているかと尋ねたら知らないといわれ、驚いた記憶があります。

投稿: タケオ | 2014年7月20日 (日) 21時22分

「イヨマンテの夜」伊藤久男の圧倒的な声量と歌唱力で、アーホイヨーヤー・・・と、豪快にスケール大きく歌い上げるこの歌い出しが、私にはアイヌ民族の人々の雄叫びにも聴こえてきて、この唄には胸に迫るものを感じます!

そして、これまでには幾人もの歌唱力のあるプロの歌手がこぞってこの唄をカバーしていますが、それでも伊藤久男の右にでる歌い手を私は未だ知りません。
ただ、そんな中でただ一人、日本のテノール歌手「千の風にのって」を歌った、秋川雅史が歌う「イヨマンテの夜」だけは別格でした。その声量と歌唱力はまさに圧巻で、私はとても感動した憶えがあります。また最近話題の小学生歌手、東亜紀ちゃんも歌っていますが、少女ながらこれもなかなかのものがありました。そしてこの唄を聴いていると、井沢八郎が歌ってヒットしていた、よく似たムードの「北海の満月」という曲を想い出すことがあります。

「山のけむり」「あざみの歌」「イヨマンテの夜」どれも私が幼い頃より聴いてきた曲ですが、伊藤久男が歌うこの三曲は、まさに名曲と呼ぶにふさわしい楽曲だと私は思っています。


投稿: 芳勝 | 2019年2月20日 (水) 01時39分

「黒百合の歌」から「イヨマンテの夜」へ飛んできて、楽しんでいます。

2012年6月10日の海道さんのコメントに、「カムイは熊と同義」とありますが、私のの知る限りでは、アイヌ語では熊(ヒグマ)はキムンであり、熊神はキムンカムイになると思います。

もっとも、ちゃんと調べたわけではなく、北海道開拓時代を描いた手塚治虫の漫画「シュマリ」(キツネの意)や、池澤夏樹の長編小説「静かな大地」などからの孫引きです。

アイヌ=人間なのは、北米のイヌイット=人間と同じ関係らしいです。
こちらは新田次郎の小説「アラスカ物語」からの知識です。

アイヌ語で和人(日本人)のことをシサムあるいは訛ってシャモやシシャムと呼ぶのは「隣の人」という意味だとか。

アイヌという呼び方は差別用語として、いつしか使われなくなり、最近はウタリという呼び名(人民とか同胞)が用いられているようですが、アイヌ=人間ですから、アイヌという呼称でも良いのではと、個人的には思っています。同じように、ウポポイ(大勢で歌うこと)が「民族共生空間」の呼び名として最近用いられていますが、これもアイヌコタン(人間の集落)の方が分かりやすくて良いのでは、などと思ってしまうのですが、如何なものでしょうか?

投稿: 遊心 | 2021年1月14日 (木) 12時02分

ガイド教本・アイヌ民族編によれば
樺太(東海岸)では、アザラシの総称を「カムイ」、西海岸では、「カムイ」はトドを指す。北海道、千島地方ではクマをさす。と書かれています。
ウタリの本来の意味は、アイヌ語で人民・親族・同胞・仲間であるが、長年の差別の結果、「アイヌ」という言葉に忌避感を持つ人が多いことから、アイヌを指す言葉として用いられることがあり、1961年から2006年にかけ、行政機関の用語としても使用されていたがアイヌは差別用語では無いようです。

投稿: 海道 | 2021年1月26日 (火) 13時54分

「イヨマンテの夜」先のコメントにも記していますが、私にはこの唄がやはりアイヌの人々の雄たけびに聴こえてきます!

最近でこそ、アイヌの人々の誇りが尊重される社会を実現するための『施策推進に関する法律の制定・2019年』等の記述がありますが、現状我々がそれを実感するには未だ乏しい感があります。

アイヌの人たち自身さえアイヌ独自の言葉を話せない人もいるという現状、そして、最近になってアイヌ独自の民族文化・またアイヌ原語を後世に残そうとする気運がアイヌ民族によって高まってきてるという記事を眼にしたりします。
アイヌの歴史についてあさはかな知識の私ですが、こうして現在も存続し、また伝統と誇りを持ち続けていると思われるこの一族の方たちへの共鳴心は益々強くなります。

ラハ アアア ラハハ アホイヤ アホイヤ イヨマンテ

「イヨマンテの夜」伊藤久男がこの唄のフィナーレで豪快に両手を広げて張り上げる上記のその歌声さえも、アイヌの歴史を思うと、何度聴いても純粋な心を持ったアイヌ民族の人々の雄叫びのように私には聴こえてくるのです。

投稿: 芳勝 | 2021年1月26日 (火) 18時37分

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