シューベルトのセレナーデ
(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo
日本語詞:堀内敬三
秘めやかに闇をぬう 我が調べ ああ 君聞くや 音にむせぶ 夜の鳥 ああ 深き心をば 君や知る ドイツ語詞 Leise flehen meine Lieder Flüsternd schlanke Wipfel rauschen Hörst die Nachtigallen schlagen? Sie verstehn des Busens Sehnen, Laß auch dir die Brust bewegen,
My songs beckon softly The rustle of slender leaf tips whispers Do you hear the nightingales call? They understand the heart's longing, Let them also stir within your breast, |
《蛇足》 シューベルトの歌曲集『白鳥の歌』の4番目の作品で、レルシュタープの詩に曲をつけたもの。単独で演奏されることも多い人気曲です。
セレナーデは英語ではセリネイド、フランス語ではセレナド、イタリア語ではセレナータ。
語源は、イタリア語のsera(夕方,夜)から出たとする説が有力ですが、ほかにもいくつか説があります。
ドイツ語ではゼレナーデですが、これはフランス語からの外来語で、本来のドイツ語ではシュテンチェン(Ständchen)といいます。レルシュタープの詩のタイトルも、シュテンチェンとなっています。
日本語のセレナーデは、ドイツ語のゼレナーデをローマ字読みしたものではないかと思われます。漢語では小夜曲と呼ぶのが一般的です。
ルネサンス期、男性が恋する女性の窓の下に立ち、求愛や讃美の歌を歌う風習がヨーロッパ中に広まりました。シュテンチェンは、この「立つ」(standen)から生まれた言葉のようです。
求愛者本人が楽器を奏でながら歌うのが普通でしたが、友人たちが加わって合奏し、重唱することもままあったといいます。
上の絵はシュテンチェンを描いたハンス・ベーメ(1905-1982)の作品。
このように演奏し、歌われる曲がセレナーデと呼ばれました。セレナーデは曲形式ではなく、演奏の方法や機会を指す言葉であったため、曲の種類は多岐に及んでいます。
求愛の歌のほかに、17世紀から18世紀にかけて、王侯貴族への表敬や公的な祝賀の際に演奏されたセレナーデもありました。このタイプのセレナーデは、大人数で歌うオペラやカンタータに近い曲でした。
また、同時期にオーストリア帝国を中心とした地域で演奏された器楽曲のなかにも、セレナーデと呼ばれるものがあります。このタイプのセレナーデは、多楽章の合奏曲ないしオーケストラ曲で、やはり慶事の場合に演奏されました。
19世紀に入ると、表敬や祝賀の音楽としての意義が失われ、しだいにモーツァルトのオペラの挿入曲などを手本とした娯楽的な楽曲を指すようになりました。現代でもセレナーデは作られますが、伝統的なジャンルとの関係はほとんどなくなっています。
(二木紘三)
コメント
高校2年の時に習いました。あの頃は「セレナーデ」を何曲か続けて教わったと思いますが、その中でも『シューベルトのセレナーデ』が取分け好きで、よく口ずさんでいました。当時のあれこれが、懐かしく思い出されます。
『うた物語』の良さの一つは、単に歌謡曲や流行歌にとどまらず、このようなクラシック曲もカバー出来ていることです。ありがとうございました。
投稿: 大場光太郎 | 2008年11月 7日 (金) 19時49分
いろいろな「セレナーデ」がありますが、シューベルトのこの曲が最も印象に残っています。なにか“切なさ”を感じさせるような旋律が堪りません。
解説には「ルネサンス期、男性が恋する女性の窓の下に立ち、求愛や讃美の歌を歌う」風習があったということですが、なんともロマンチックですね。
こんな経験はもちろん私にはありませんが、窓から顔を現わそうかと思いつつ、もっと焦らして差し上げようとする女性、ひたむきに歌う男性・・・そうした情景が目に浮かんできます。
投稿: 矢嶋武弘 | 2008年11月 8日 (土) 15時44分
シューベルトのセレナーデを聴くとやはり高校時代を思います。この曲を久しく聞いた事がなかったのですが、いまこうして聞いていますと50数年前の教会のある校舎をすぐに思い浮かべる事が出来ます。音楽室から乙女の祈りやこのロマンチックなセレナーデが流れていました。心は乙女^^に返って拝聴しております。
投稿: おキヨ | 2008年11月 9日 (日) 00時53分
セレナーデと子守唄には、それぞれにたくさんの名曲がありますが、私はどちらもシューベルトが好きです。好みの問題でしょうが、一番飽きがこない気がするからです。
ゲーテの詩「野ばら」もウエルナーとシューベルトの曲が特に有名ですが、どちらもいいけれどやっぱりシューベルトがいいです。
二木先生のこの演奏がまた好きです。ピアノの後ろを埋める女性コーラス?がいいです。
投稿: 周坊 | 2008年11月10日 (月) 20時35分
広い庭園のある豪邸の窓の下でこんなロマンチックなセレナードを聴けたらと、乙女は夢を見ます。けれども、下町の往来の激しい道沿いに住む少女には無理な夢でした。
しかし、勇気ある青年がいました。夜中、私の2階にある部屋の下の道を口笛を吹きながら,何回か行きつ、戻りつした人がいました。ただし、セレナードではなく「嗚呼 玉杯に花うけて」でした。窓を開けて顔を見る勇気はありませんでしたが、多分素敵な美青年だったと想像しています。鬼瓦のような顔の人かもよと言った意地悪な友人がいます。もう50年も昔の事です。今でもロマンをくれた青年に感謝しています。
投稿: ハコベの花 | 2008年11月10日 (月) 23時49分
私には文学的なことは全く解りません。しかしこのメロディ
は体の中に染付いていて、一寸したきっかけで、出てきます。こう言う曲を名曲と呼ぶのでしょうか、自分で憶えた記憶が無いのですから。
投稿: 海道 | 2008年11月11日 (火) 15時49分
現在は後期高齢者のグループに入りますが、ニキビ面の高校2年の頃、この歌を習いました。なんと面白くない歌だなと思いましたが、何回か聞くうち、この歌の良さがわかってきました。人間と同じで、いつまでたっても味わいのある曲が名曲でしょうか。いつか老人会で大奥の老女相手この歌を歌い、口説いてみようかと思っています^^。・・・若いころより失恋続きの老楽手より。
投稿: 三瓶 | 2008年12月 4日 (木) 19時14分
きのうある映画を見ていたら、しきりとこの曲が流れます。たしか「~~闇を縫う我が調べ」だったなと思っていたところ、御ブログ「マリア マリ」から「シューベルトのセレナーデ」だと分かりました。(映画は「ヴィクトリア女王」です)ああ、すっきり。
投稿: Bianca | 2010年10月15日 (金) 12時25分
私のお葬式にセレナーデをとふっとひらめいて、私の持っているCDを聴いてみました。歌声がちょっと感覚的にあっていなかったのでがっかりしました。昔持っていたレコードのセレナーデは歌詞がここに載っているのと同じで女性歌手の声が繊細で美しかったのを思い出しました。お葬式にセレナーデ、と皆笑います。「そう、あの世で素敵な人に会いたいから」なんて・・・私は真剣なのですが、笑われています。この間、テレビで「人間だって死ねばゴミなのよ」と話していた女性の言葉にも納得しているのですが、まだこの世にも未練があって、しばらく気に入ったCDを探してみようと思っています。
投稿: ハコベの花 | 2015年11月 8日 (日) 11時05分
これもまた我が青春の名曲なり。
二木先生のおかげで忘れていた諸々のことが蘇りました。
今日はハコベの花様に導かれてこの曲に再会しました。
遠い昔に耽溺した曲をすっかり忘れてしまうとは!
何せ、党員の担任から「誰しもがシューベルトの冬の旅云々」と洗脳され、ある時期はシューベルトに魅かれっぱなしでした。
ハコベの花様
亡くなられてみると反面美点も思い起こされるのです。
しかも,
諸々の禍々しい出来事も、元を辿れば私の天邪鬼気質が招いたことなのです。この天邪鬼気質のじゃじゃ馬を飼い馴らすのは余人には適わなかったであろうと述懐の日々です。絵に描いたような理想の男性は想像の世界にのみ存在すると思いたい私です。
投稿: りんご | 2015年11月 8日 (日) 19時22分
クラシックの美しさは格別ですね。ショパンの「別れの歌」も良いですね。
宮廷での求愛の歌ですか・・・優雅な絵になりますね。
日本の貧乏学生でも思いつめた女性の家の傍まで近寄ってみることはよくあることと思います。でもあまりうろうろしていると不審者として通報されたり、級友に見つかって指差され笑われてしまうかもしれません。ですから、結局、偶然の通りすがりを装ってビクビクオドオド足早に通り過ぎてしまうだけになります。すみません、私のことでした。
求愛の歌と言えば最近私はプレスリーの歌が好きです。特に「Always on my mind」は良いですね~。その他、「I can't help falling in love with you」とか「Are you lonesome tonight」が好きです。
先日、高校の同窓会の招集メールを受け取りました。メールの送信先に彼女のメールアドレスも載っていました。彼女は出席されるでしょうか、されないでしょうか?気になります。メールで尋ねてみたい衝動を感じます、だけどできません。そりゃそうですよね。高校一年生、15才の彼女の姿がまぶたに映ります。彼女については恥ずかしながら以前「丘の上の白い校舎」、「青春日記」に一寸書かせていただきました。
お笑いください。
♪ you are always on my mind
you are always on my mind ♪
投稿: yoko | 2015年11月17日 (火) 12時08分
4年前に他界した兄は、こどもの頃から機械いじりが好きで、時計やラジオなどはよく分解して遊んでいました。わたしたち兄妹には、かなり歳が離れて末の妹がいました。兄とは15歳、わたしとは13歳離れていました。そんな関係からか、兄はとくに妹を可愛がっていました。その妹が3歳頃になったとき、高校生だった兄は、当時庶民には手の届かなかった高級電化製品の「電蓄」を自作してしまいました。「電蓄」とは「電気蓄音機」の略で、もちろん真空管仕様のものです。市販のものと比較すれば、一目瞭然、素人の作品だと判る代物でしたが、兄にとっては苦心の傑作だったはずです。それを作って間もなく、兄は数枚のレコード(SP盤)を買って来ました。その中の1枚がこのレコードでした。新潟のド田舎で聞くものと言えば、流行歌か、民謡か、浪曲と決まりきった俗曲(?)環境の中で、場違いなクラシックのメロディが流れた記憶が今も鮮やかです。しかし、クラシックとはまったく縁のない兄がどうして「場違い」のレコードを選んだのか、今でも不思議なのですが、おそらく可愛がっていた妹に、少しでも都会的な、高尚(?)な音楽環境を作ってやりたいという、兄なりの思いやりだったのかも知れません。来年の桜咲く4月に6回忌を迎えます。
リンゴ様
党員の教師に洗脳されたとか。思想の是非はともかく、その教師は人間的には素晴らしい魅力を持った人物のようですね。しかも、シューベルトの「冬の旅」を語って生徒を洗脳するなんて、知的にも高いレベルの持ち主でよかったのではありませんか?労働歌や革命歌で洗脳されていたらどうなったでしょう。
投稿: ひろし | 2015年11月18日 (水) 15時07分
十代の私はセレナーデ(小夜曲)という文字そのものにさえ浪漫を誘われたものです。目を瞑ると当時のことが浮かんできます。
ひろし様
お兄様のお話も素敵ですね。心優しき理系少年でいらしたのですね。
確かに私を洗脳した党員の青年教師(当時28歳)は人間的にも魅力のある方でした。中学2年3年と担任であったが一度も誰をも怒った姿をみたことはありませんでした。純農村地帯へ県都山形から通勤、共通語を操るのさえ魅力的でした。後年知ったが、当時の誰もが彼のことを好きだった!
。男子生徒は話せる兄貴分として、女子は異性としての憧れだったようです。上級生までが彼に夢中だったとは。ただ思想を説いたのは私にだけでした。たくさんたくさん手紙をもらいました。世の中を変える為にに立ち上がろう、騙されてはいけない、〇○帝なども懐かしい。~苦笑
進学した高校にも組織があり美貌の先輩を訪ねるように言われました。シューベルトの歌曲集「冬の旅」効果が絶大だったのですね。どの家にも蓄音機が行き渡り「冬の旅」を聴けるなんて~。♪今は昔~♪
投稿: りんご | 2015年11月18日 (水) 19時14分
音楽映画、楽聖映画の走りと言われる1933年オーストリア映画「未完成交響楽」の原題が、シューベルトのセレナーデの冒頭の句「秘めやかに流れるわが調べ(Leise flehen meine Lieder)」です。ハンガリーの伯爵家に雇われたシューベルトが令嬢に音楽のイロハを講義し始め、令嬢が渡された楽譜を見ているかと思うと、いきなり素晴らしい節回しで歌い出すので、シューベルトばかりか観客も度肝を抜かれるのがこの歌でした。終戦後まもないころの少年は知るはずもないこと、伯爵令嬢の名演を代表作とするマルタ・エゲルトは歌手としても花形なのでした。映画にはこのほか「菩提樹」「野薔薇」「アベ・マリア」が出てきましたが、このお転婆の令嬢が居酒屋に忍び込み、ロマのバンドをバックに切々と、また激しく歌う「Sag mir’s immer wieder (いつも言っておくれ、私を愛していると、たとえそれが嘘でもいいから)」に少年の心は一番強く震えました。この歌だけはシューベルトの歌曲集に見たことがなく、当時の流行歌か、それとも映画のために作られたものかと思いますが、歌詞の前半が聴き取れなくて、ドイツ語のテキストがどこかで見られないかと数十年来気になっています。
投稿: dorule | 2016年10月 9日 (日) 23時43分
昨日の続きです。
映画のDVDを観たりYouTube であれこれ探したりして、私のうろ覚えにあるのはColumbia レコードからで、映画とは少し違うことが分かりました。この歌はシューベルトの曲ではなく、どうやら映画製作の頃に流行っていたマルタの持ち歌を挿入したのだと思われます。折角調べましたのでご参考までに、レコード版です。
SAG MIR'S IMMER WIEDER: 歌 Marta Eggerth
Sag mir’s immer wieder,
sag, dass du mich liebst.
Wenn es auch nicht wahr ist,
sag, dass du mich liebst..
Weil ich ja vergehe,
wenn ich deine Augen sehe,
weil du die Erfüllung
aller meiner Träume bist.
Sag, dass du mich lieb hast,
Wenn es auch Lüge ist:
Einmal bricht der Bann,
ich weiss nicht wann,
nach soviel Tagen.
Einmal wirst du mir,
und ich werd’ dir
die Wahrheit sagen.
Einmal soll die ganze Welt
mein Geheimnis wissen.
Einmal, wenn es mir gefällt,
Will ich glücklich sein.
Sag mir’s immer wieder
sag, dass du mich liebst..
Wenn es auch nicht wahr ist,
sag, dass du mich liebst.
Weil ich ja vergehe,
wenn ich deine Augen sehe,
weil du die Erfüllung
aller meiner Träume bist.
Sag, dass du mich lieb hast,
Wenn es auch Lüge ist:
…….
Wenn es auch Lüge ist.
投稿: dorule | 2016年10月10日 (月) 14時56分
昨日は 能勢にとって 喜ばしいことがあり
その気持ちのまま 大好きな この シューベルトのセレナーデ を聞かせていただいております
この曲に関しては 述べたいこと また お尋ねしたいこともあるのですが
今日は 喜ばしいことに限って書いてみます
実は 2010年に 能勢町の今養寺(こんようじ)から盗まれた国の重要文化財の仏像「木造大日如来坐像(ざぞう)」が 売り払われ前に 発見されたのです
仏像が売却されるーーという情報を得た警察が 売人たちを捜査していて 逮捕し ほぼ無傷の仏像が見つかったというわけです
今養寺は 西山という地区にある 無人のお寺です この地域は 外部からは ほとんど 人の入ってこない土地でしたが 雨の激しい夜に 鍵をこわされ この重要文化財だけが 盗まれました 他の仏像もあるのですがーー 能勢で唯一の重要文化財でした
このところ 日本の他の寺でも 仏像の盗難がふえていますね 長崎では 古刹の主たる仏像が 盗まれ 韓国に流れ かの国で 自国のものを倭寇がかすめとっていったものだとの司法の判断がおりたりしていましたので 七年もたち 能勢の住民も ほぼ諦めていたところの朗報 とても有り難い話です
平安後期に造られたとされる仏像で その歴史を できるだけ学び 西山に大切な仏像がおられることに感謝して 世情の酷さに 憤りを感じながらも 心の平静に心がけたいと考えています
投稿: 能勢の赤ひげ | 2017年9月 1日 (金) 01時32分
「シューベルトのセレナーデ」を耳にすると、その上品で美しいメロディに心奪われます。歌(ヴォーカル)もさることながら、最近は、アントニオ古賀さんによるギター演奏のものも、好んで聴いております。
もう、六十年以上も前、「シューベルトのセレナーデ 」は、学校(おそらく中学校)音楽で学びました。歌詞は、二木先生のブログに記載の堀内敬三さんのものではなく、作詞(訳詞)者の名前はすっかり忘れてしまいましたが、うろ覚えながら、歌詞の一部分は憶えています。
記憶を辿り、再現を試みますと、堀内敬三さんによる歌詞の♪ささやく木の間を もる月影……たゆたいそ♪の部分は、
うるわしみ声に わが胸の わが胸の
秘めたる想いを 歌いゆく 歌いゆく
また、♪深き心をば 君や知る…♪の部分は、
聴け聴けうるわし この調べ
誰(た)がため歌うや この調べ この調べ
今も、「シューベルトのセレナーデ」を口遊むとき、他の部分はともかく、♪うるわしみ声に わが胸の♪のフレーズだけは、自然に口をついて出てきます。
どなたか、記憶に留めておられて、作詞(訳詞)者や歌詞(不明部分など)をご教示下されば、嬉しく存じます。
<追記>
シューベルトの歌曲では、高校2年のときに、「楽に寄す」も学びました。教科書(楽譜)には、ドイツ語の歌詞と日本語の歌詞(堀内敬三 作詞)が併記されていました。
投稿: yasushi | 2018年5月12日 (土) 13時48分
良いですねぇ。今日は何回もこのメロディを聴きました。YouTubeで歌の入ったものも聴きましたが、声が気にいらないものばかりでやっぱりこの音が私の気持ちに一番ぴったりしました。「ああ、16歳から18歳だったらどんなに幸せなことか・・・」遠い昔を懐かしんで、少し気持ちが若くなったような気がします。
投稿: ハコベの花 | 2018年5月12日 (土) 23時12分
中学に進んだころからシューベルトの曲が大好きになり、度々レコードを聴いたり歌ったり。その頃に母から映画「未完成交響楽」のことを思い出話として聞いて、いつか観たいと願いながらずいぶん長い年月が過ぎました。
今日、「未完成交響楽」のDVDが届き、ついに願いが叶いました。伯爵令嬢役のマルタ・エッゲルトの歌う、シューベルトのセレナーデが本当に素晴らしかった…。切なさの残る映画でしたが、野ばらや菩提樹、アヴェマリアなどもさりげなく流れ、良い映画でした。
今日は母の日、ベランダから白いバラを一枝、花瓶に生けて、数年前に亡くなった母への追悼の思いで聴いています。
投稿: nobara | 2018年5月13日 (日) 17時19分