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2008年11月19日 (水)

二人の世界

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:池田充男、作曲:鶴岡雅義、唄:石原裕次郎

1 君の横顔 素敵だぜ
  すねたその瞳(め)が 好きなのさ
  もっとお寄りよ 離れずに踊ろうよ
  小さなフロアーの ナイトクラブ
  夢の世界さ

2 僕の今夜の ネクタイを
  嫉妬(や)いているのは おかしいぜ
  君は可愛いい 僕だけのものなのさ
  ギターが酔わせる ナイトクラブ
  影も寄り添う

3 逢えば短い 夜だから
  何もいわずに 踊ろうよ
  淡い灯りが 又ひとつ消えてゆく
  別れが切ない ナイトクラブ
  恋のクラブよ

《蛇足》 昭和40年(1965)にリリースされ、翌年日活で映画化されました。

 映画は石原裕次郎主演で、ほかに浅丘ルリ子、二谷英明、深江章喜などが出演しました。少女殺しの濡れ衣を着せられ、海外に逃亡していた男が、時効寸前に帰国し、真犯人を突き止めるという物語。

 昭和45年(1970)12月1日からTBS系列で放映された連続ドラマ『二人の世界』とは無関係。こちらは「木下恵介アワー」の第1弾として放映されたもので、同名の主題歌をあおい輝彦が歌いました。

 歌唱力のある映画スターは何人もいますが、情感表現の巧みさでは、鶴田浩二と石原裕次郎が双璧でしょう。

(二木紘三)

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コメント

 つい先だって「小樽のひとよ」にコメントさせていただいた際、この「二人の世界」についても触れたのですが、こんなに早い機会にアップしていただいて感激です。あんまり早かったのでひょっとして“あおい輝彦”の方かなと思いましたが、裕次郎の方でしたのでほんとに喜んでおります。
 とはいうものの“あおい輝彦”の方もいい歌で、カラオケで間違って入力した時など、そのまま歌ったりします。
 裕次郎のこの歌には高い音が2箇所ほどあって私などには苦しいのですが、“あおい輝彦”のはその点では楽です。
 ちなみに、テレビドラマの方は竹脇無我と栗原小巻が主演しましたが栗原小巻は我が北九州市の出身だそうです。

投稿: 周坊 | 2008年11月19日 (水) 21時24分

私が20代の頃、八戸の実家に里帰りした際にちょうど裕次郎が公演中でした。海辺の小さい町医者で看護師をしていた友人が朝出勤すると先生のテーブルにカルテが出ていたので何気なく見ると氏名欄に〔石原裕次郎〕と書かれていたそうです。友人が勤めを終え帰宅したあとに電話があり先生一人で出かけたと知って友人の口惜しがった様子を今でも覚えています。小さな町医者を呼んだ裕次郎の人柄に惹かれますね。

懐かしい〔二人の世界〕を聞きながら故郷での裕次郎のエピソードを思い出しました。

投稿: おキヨ | 2008年11月20日 (木) 01時36分

先生はじめ、皆さま方の高尚な、音楽談義、ただただ、感服しています!。
電気工学一筋に人生を歩いてきた私には、
まるで、別世界です。

という事で、相変わらず、音楽に対する思い出ぐらいしか書くことができず、申し訳ありません!。
さて、今朝も、ふたりの世界!、拝聴しながらの書き込みですが、

時は、昭和 40 年、私、就職して、1 年目。
その年の 6 月から、半年にわたる営業所実習がありました。
場所は、第一志望が京都、第二志望が金沢で申請したんですが、
運悪く、決定は、四国の高松でした。
支えは、京都にいた彼女からの励ましの手紙のみ!。
私にとっては、人生、初の大試練でした!。
そんな中、2 度、彼女が、高松を訪れてくれました!。
宿は、国道 11 号線(当時の)沿いの〝国際ホテル〟。
ホテルのホールで、ふたりの世界、夜、遅くまで踊った事、まざまざと思い出されます!。

翌年、事態は急変!。
悲しい別れがまっていました!。
(我が人生で、初めて、不可能という言葉を味わいました)
この年になっても、忘れられぬ、未練がましい話で恐縮です。

でも、その後、〝奢りはないか?、過信はないか?〟
〝油断大敵!〟が我が人生の教訓になった事だけは、間違いありません。

投稿: 寂心 | 2010年11月18日 (木) 09時47分

二木先生こんにちは、
何時も楽しませて頂いております。

鶴岡雅義作曲の「二人の世界」ですが、
東京ロマンチカを主宰する以前、鶴岡氏が自らの
ラテントリオ「トリオ・ロス・カバジェロス」の為に
作曲しリリースされました。
その後、同じテイチク所属だった石原裕次郎にこの曲が
提供されて大ヒットとなりました。
原曲の歌詞は裕次郎歌唱のものと一部異なっております。
(裕次郎に提供時、歌詞が変更されました)

裕次郎は鶴岡氏作曲で7曲ほど歌っておりますが
その他にもカバー曲が何曲か歌っております。

投稿: おばさま | 2013年2月 6日 (水) 14時02分

追記:
裕次郎がリリースしたのは1965年ですが
「二人の世界」がトリオ・ロス・カバジェロスによって
リリースされたのは1963年です。
トリオ・ロス・カバジェロスは、歌入りのものと
演奏だけのものと2種を出しています。
オリジナルはラテンタッチが強いもので、裕次郎へ
提供時に編曲されています。

投稿: おばさま | 2013年2月 6日 (水) 14時13分

古希を祝う小学校のクラス会で嬉しかったことがあります。
余韻が冷めないうちに書きたいと思いました。
N子さんに会えたことです。

N子さんに好意を持ち始めたのはいつ頃からだろうと思ってみると、おそらく小学校3年生の頃からだろうと思います。
世の片思いの男と子がそうであるように僕もずっと彼女に話しかけることはできませんでした。

彼女は私をみつけると近づいてきて、グッと首を差し出し、指で自分の顔を指して、「誰だかわかる?」と私に問いました。私は分かりませんでした。「ごめんなさい、分かりません・・・」「N子よ。」と言われてハッと気づきました。

それからというもの、小学校の時と同じように再び彼女を盗み見始めました。見れば見るほど少女時代の彼女の面影が浮かび上がってきます。どうして最初にN子さんであることが分からなかったのか不思議です。

小学校の時の彼女についての記憶は、卒業式直前に席替えがあり、彼女の隣に座ったことです。とても嬉しかった。でも何も話せませんでした・・・。卒業式の日は彼女も晴れの装いでとても可愛らしい少女であったことが思い出されます。

古希のクラス会も終わり近くになって僕は彼女に告白しました。
「・・・ずっと言おうと思っていたんですけど・・・
小学校の卒業式前に席替えがあって、僕はN子さんの隣になったことを覚えてますよ・・・」
彼女は答えました。
「中学校の時、何年生だったか・・・。一緒のクラスになったことありましたね・・・」

彼女と僕、この曲のような夢の世界になれるといいな、と思います。

投稿: yoko | 2018年6月10日 (日) 23時11分

yokoさんの小学校のクラス会でのお話。以前yokoさんが小学校のクラス会に参加することを書かれていましたので 気になっていました。あこがれのN子さんにお会いでき、当時の可愛いN子さんを思いだすことができ・・ほんとによかったですね。
 N子さんはyokoさんを気にかけていらしたようですね。 

投稿: けん | 2018年6月11日 (月) 03時49分

yoko様の古希クラス会、素晴らしいです。
鶴岡雅義はレキントギター名手で作曲家(「二人の世界」「泣かせるぜ」「小樽のひとよ」「逢えるじゃないかまたあした」(川中美幸との音声合成デュエット)…)という“二足の草鞋”多芸多才人です(現在84歳)。音痴年寄りが音楽評論家みたいな大口たたいて失礼しました。
↓casey murakami-2さん提供「泣かせるぜ」
http://www.youtube.com/watch?v=kreeQmhJA-4
↓HIRO YAMAさん提供「逢えるじゃないか…」
http://www.youtube.com/watch?v=aZ-z0TL2bn8

投稿: 焼酎 | 2018年6月11日 (月) 06時37分

けん様、焼酎様
コメント有難うございます。
多くの方と50~55年ぶりの再会でした。本当に良かったです。しかし参加者も20人以上いて再会の挨拶程度しかできなかった人、会いたかったけど会えなかった人もいたことなど心残りでした。

投稿: yoko | 2018年6月11日 (月) 10時08分

 yoko 様
 同窓会というものはいいものです。その感じはとてもよくわかります。高校生のころ中学校の同窓会を計画しては実行していました。「幹事」という言葉も知らないでただ走り回っていました。
 後年、郷里で仕事をされる方が実行委員長をしておられましたが、半年ほど前に他界されました。
 惜しい人を亡くした感じです。 

投稿: 今でも青春 | 2018年6月11日 (月) 18時10分

そうですね。クラス会の計画で奔走された方々には感謝、感謝です。級友は全国に散らばっており、病を押して参加された方々もいました。私どもの年齢で男女一緒の会となりますと居酒屋で一杯と言うわけにはいきません。やはりホテルに宿泊、会食、バスツアーの観光、としたいところです。そうすると会費、交通費が・・〈泣)。私も最初とまどい、これじゃ参加できないなぁ~と思ったものです。しかしクラスの皆に会いたい、もうこれが最後かもしれないという気持ちもあり、参加することにしました。新幹線でなく夜行バスを使い、追加の自費宿泊にはカプセルホテルを使ってやりくりしました。でも参加してよかったですね。お金が続く限り毎年でも参加したいですね。今回参加できなかった級友にも会いたいです。互いに元気に長生きしようね、と言いたいです。

投稿: yoko | 2018年6月11日 (月) 22時24分

連投で失礼します。
N子さんの隣に座れたのは本当に嬉しかったのですが、彼女には一言も話しかけることはできませんでした。彼女が私の方を向いて声をかけてくれることはありませんでしたし、私も彼女には嫌われているだろう、僕なんかが声をかけたら嫌がられるだろうという不安と恐れがありました。

N子さんの前の席にはT君が座っていました。T君は時々後ろを振り向いてN子さんと楽しそうに話しました。N子さんもニコニコとして受け答えしていました。

N子さんの隣に居ながら一言もN子さんと話ができない僕はT君に嫉妬していました。結局小学校時代彼女と話した記憶はありません。けれどもN子さんはずっと僕の憧れの少女だったのです。

そしてこのT君が「母さんの歌」でコメント(2014年6月29日 )しましたT君です。T君は亡くなりました。

つまらない思い出ですみません。級友の思い出はこれで最後にします。失礼いたしました。

投稿: yoko | 2018年6月12日 (火) 15時56分

同期会は様々なドラマがありますね。打ち明けられたりします。今更打ち明けられてもねえとは思いますが、なぜかほのぼのしてきます。みんな愛おしいですね。「かあさんの歌」再び読ませていただきました。切なさがこみ上げてきます。

投稿: konoha | 2018年6月12日 (火) 17時19分

「二人の世界」裕ちゃんならではのあの甘い声と、切れのあるレイントギター独特のその音色がこの唄の魅力を一段と際立たせていると私は思っています!

この唄は裕ちゃんのヒット曲の中でも私の好きな唄ベストスリーに入るほどの好きな唄で、またほんの一部ではありますが、裕ちゃんのファルセットが聴けるのも、ファンの私にとって堪らない魅力の一つです。

「・・作詞の池田充男は、新宿のラ・セーヌという音楽喫茶に、いいグループがいるというので見に行ったが、鶴岡雅義の弾くギターに魅了された。実はその時の雰囲気にひたって書いたのがこの作品、歌詞はナイトクラブが舞台になっているが、本当はラ・セーヌのロマンチックな情景がそのルーツである。(石原裕次郎の世界・長田暁二氏解説より)」

私が30代のころの話ですが、行きつけのスナックに行くと、いつも裕ちゃんの「こぼれ花」「夜霧の慕情」「二人の世界」この三曲を私は好んで歌いました。ここでこの曲を聴く度にその当時のことを想い出します。

そしてこれは私がいつも感じていることですが、それにしても二木先生のアレンジ能力の凄さとPC技術を駆使したその演奏力はもう素晴らしいの一語に尽きます。


投稿: 芳勝 | 2021年8月 1日 (日) 09時28分

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