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2008年11月27日 (木)

北国の春

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:いではく、作曲:遠藤 実、唄:千 昌夫

1 白樺 青空 南風
  こぶし咲くあの丘 北国の
  ああ 北国の春
  季節が都会では 分からないだろと
  届いたおふくろの 小さな包み
  あの故郷(ふるさと)へ帰ろかな 帰ろかな

2 雪解け せせらぎ 丸木橋
  落葉松(からまつ)の芽が吹く 北国の
  ああ 北国の春
  好きだとお互いに 言い出せないまま
  別れてもう五年 あの娘(こ)はどうしてる
  あの故郷へ帰ろかな 帰ろかな

3 山吹 朝霧 水車小屋
  わらべ唄聞こえる 北国の
  ああ 北国の春
  兄貴も親父似で 無口な二人が
  たまには酒でも 飲んでるだろか
  あの故郷へ帰ろかな 帰ろかな

《蛇足》 昭和52(1977)年2月にミノルフォンから発売されました。発売後しばらくは大した反応がありませんでしたが、2年後、爆発的な人気を博しました。
 日本のみならず、アジア全域で愛唱されたことは、よく知られているとおりです

 なお、「こぶし咲くあの丘 北国の ああ 北国の春」という箇所は、遠藤実のオリジナルではこうなっていました。これを一般に歌われているように改めたのが遠藤実自身なのか、編曲者なのかはわかりません。
 しかし、この改変により、単純になった一方で、歌いやすくなったことは否めません。

 いではくは、八ヶ岳の東麓に広がる長野県南佐久郡南牧村(みなみまきむら)の出身で、本名は井出博正。県境を挟んで群馬県側に同じ漢字の村がありますが、こちらは「なんもくむら」と読みます。

 早大商学部を卒業後、作詞家を目指して遠藤実に師事しました。
 この歌が最大のヒット作ですが、そのほか杉良太郎の『すきま風』や森昌子の『信濃路梓川』などの佳作も生んでいます。

 この歌は、南牧村の野辺山高原の春をイメージして作詞したものといわれます。

 私は大学2年(昭和37年〈1962〉)の8月、野辺山で行われた1週間の合宿に参加しました。場所は、日本最高地点の鉄道駅・野辺山駅から7,8分のところにある信州大学農学部の付属農場でした。

 当時は、駅のすぐ前から畑や野原、林が広がる、のどかで美しいところでした。1駅小淵沢寄りの清里はペンション街のようになっているそうですが、野辺山駅周辺も相当変わったでしょうね。
 思い出深い場所、忘れられない年です。
 

(二木紘三)

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コメント

千 昌夫の歌は年中聴いて耳たこであまり懐かしいとは思わないけど、こうした演奏で聴くと、昔、大阪の研修センタと寮の往復で、京橋駅前で、中国の揚琴による中国人のライブ演奏を聴いて感動して、カセットテープを買ったが品質が悪くかすれる音に妙に情感がこもっていた。逆輸入で教えられた感じ。感じが似ていて非常に懐かしい。こうした聴き方は日本では今でも難しい。

投稿: araichi | 2008年11月27日 (木) 18時55分

〔北国の春〕が私がよく行く八ヶ岳山麓野辺山高原をイメージして作られたとは知りませんでした。そうと知ってがぜん〔北国の春〕に親しみを感じます。

今年6月に八ヶ岳山麓に行きましたが、野辺山はさほどの変化はなく風景は昔のように美しいです。
一時ブームになった清里周辺は今は余り観光客がありませんでした。
日本最高地点鉄道 野辺山駅の映像を持っています。明日UPいたしますのでよろしかったらご覧くださいませ^^

投稿: おキヨ | 2008年11月28日 (金) 01時47分

大好きな歌です。カラオケでもずいぶん歌いましたが、歌詞に何度も「北国」とあり、千昌夫が岩手県出身なので東北地方をイメージした曲だと思っていました。野辺山高原をイメージしていたとは知りませんでした。
温かみのある本当に日本的な歌で、これを聴いていると、また居酒屋に行って歌おうかと思ってしまいます。

投稿: 矢嶋武弘 | 2008年11月28日 (金) 17時45分

今日は作曲者遠藤実氏の訃報が伝えられました。幾多の名曲を残された氏の御冥福をお祈りいたします。
話は全然別ですが、何時も美しい音楽を楽しませて頂いて感謝しています。ところが最近このページ「二木のうた物語」で不審なことがあります。realのページが開いてソフトウエアがありませんと演奏してくれません。「北国の春」のページの解説(蛇足)欄にある「こうなって」をクリックするとこれだけは音がでます。ほかの曲も演奏しません。それと記事欄の右側が切れて表示されません。他所の音楽ページ(MIDI.MP3など)は演奏してくれます。どうなっているのでしょう。

投稿: 中島泰國 | 2008年12月 6日 (土) 20時09分

遠藤 実氏逝去の報に接し、非常に残念ですが、ご冥福をお祈りしたいと思います。
「音が出ない」..という件については、大半の方はWindowsMediaPlayerに関連付けされていればそのようなことはないと思います。一度関連付けをご確認下さい。
RealPlayerは必要があって削除したいとき、簡単でないので意図的に避けています。なお、画面の右はこちらでも出ません。

投稿: araichi | 2008年12月 6日 (土) 21時49分

中島泰國様
以前は普通に聞こえ、表示されたのなら、システムにエラーがたまっている可能性がありますので、エラーチェックをしてみてください。
(1)エラーチェックの方法
マイコンピュータ(Vistaはコンピュータ)のアイコンをクリックしてCドライブの上で右クリック→プロパティを選ぶ→ツールタブをクリックし「チェックする」をクリック→オプションを2つともクリックし「開始」をクリック→パソコンを再起動する。

(2)液晶モニターをお使いの場合は、そのモニターで表示できる最大の解像度に設定してください。
(二木紘三)
 

投稿: 管理人 | 2008年12月 6日 (土) 23時19分

Araichi様
管理人様
早速の御指導有難う御座います。この欄に書き込むのは本筋ではないと思いますが、行き掛かり上ここに書かせて頂きます。記事の右側が切れるのは、表示タブで全画面表示を指定して直りました。管理人様に教えていただいたエラーチェックを行いましたがまだ音がでません。ネットであちこち覗いていた祟り、うっかりRealに触ってしまったようです。それらしいプログラムを消去したり試みましたが、Araichi様の言われるようにRealPlayerはしつこく、随時随所に顔をだし悪女の深情けに悩まされる感じです。関連づけを断ち切る工夫をします。

投稿: 中島 泰國 | 2008年12月 9日 (火) 14時25分

araichi様
管理人様
御心配頂きました演奏、WindowsMediaPlayer11をダウンロードしましたら、見事に「北国の春」の流麗なメロデーが流れました。おかげでニ木先生の素敵な音楽を愉しませて頂けます。それにしても以前は何が演奏を聞かせてくれていたのでしょう。くれぐれも御心配をお掛けしたことをお詫びし、御指導にお礼申し上げます。

投稿: 中島 泰國 | 2008年12月 9日 (火) 17時53分

管理人様
araichi様
いつも素敵な演奏を聴かせて頂きありがとうございます。二木先生の「蛇足」で歌の背景を知り、皆さんのコメントに感動したり毎日楽しませて頂いていました。実は12月6日の中島泰國様と同じトラブルが発生しています。プレイヤーはrealに関連づけていますが演奏ボタンを押すと「「選択したクリップを再生するためのプラグインがない」エラーメッセージがと表示されます。realのサイトに確認しても解決せず、紹介されていたシステムのエラーチェックも実行しても解決しません。WindowsMediaPlayeはインストールされてますので関連付けしたいのですがコンピュタに詳しくないので方法がわかりません。場違いなコメントで申し訳ありませんが再び演奏を楽しみたくご教授をお願いいたします。

投稿: 橋本利正 | 2008年12月 9日 (火) 23時38分

今日はNHKで遠藤実氏追悼番組があり、いではく氏と千昌夫氏の思い出話やアーカイブスの数々の名曲を堪能しました。そして締めくくりはやはり「北国の春」でしたが、いで氏の話でこの歌の出だしを遠藤氏の要望で手直ししたとのことでした。具体的には良く分かりませんでしたが、歌詞の手直しで解説欄の「こうなって」の曲の変更とは別のことでしょうか?一寸気になりましたので。

投稿: Y.N | 2008年12月14日 (日) 13時24分

   野も山も木々が渦芽(うずめ)を舞ひにけり  (拙句)
 この歌の詞が、信州野辺山高原の春をイメージして作られたこと、私も初めて知りました。どおりで歌の出だしが「白樺」なわけです。この歌が大ヒットし始めた頃、『あれっ?』と思いました。『ウチの郷里には、白樺なんていうハイカラな木はなかったけどなあ。岩手にはあんのかなあ?』。
 それはそれとして。北国で10数年以上春を迎えた者として、この歌の詞も曲も、雪解(ゆきげ)して長く待たれた北国の春の訪れの頃の雰囲気を、見事に伝えてくれています。吉幾三の『津軽平野』と共に、最高の「東北アピールソング」だと思っています。

投稿: 大場光太郎 | 2008年12月18日 (木) 00時07分

数年前より中国残留孤児国家賠償請求訴訟を応援していて、何度か孤児といっても60歳から70歳以上.年老いた孤児を励ます会に参加しました。昨年夏頃、岡山市で「置き去りにされた日本人」を考え励ます集会で、フィナーレに彼ら彼女達が壇上に上がり、思いをこめて「北国の春」を30人ばかりで歌ったとき、万感胸に迫り涙があふれました。私も残留じゃないが62年前の満州引揚者です。北鮮拉致された日本人の救援も必要とはいえ、孤児らは国策で連れてゆかれ、置き去りにされ、忘れられた日本人です。資金もありません。訴訟は政治的結着で国の責任を認めないまま和解解決でした。吹っ切れないものが残っています。

投稿: 三宅マサアキ | 2008年12月25日 (木) 22時56分

老人ホ-ム等で一番喜んで歌われている歌が”北国の春”だそうで8月7.8日ボランテイアでコカリナの演奏に行きこの唄を皆さんで唄いました。皆さんそれぞれの思いがあるのか大きな声で唄われ、こちらも元気をもらいました。
二木さんいつもありがとうございます。いつまでもお元気でUPしてください。ありがとうございました。

投稿: 服部 勇 | 2010年8月10日 (火) 20時44分

先日まで九州地方でも大雪が降り大変でした。
早く春が到来してほしい今日この頃です。
この曲「北国の春」は、現職の頃にプロから「ハーモニカ」の手ほどきを受けた時、最初に習った演歌の曲です。
懐かしく拝聴しています。
なかなか上達しませんが、今後とも練習に励みたいと思っています。

投稿: 一章 | 2016年2月 2日 (火) 21時14分

’北国’はあちこちで聞きますね。二木交響楽団を聞くうちに、’南国の春’はまずないだろうと思いつつ、かつて千昌夫の歌うのを聞いたのかどうか、まったく覚えがありません。ところが’北国行きで’と言う一つの’北国’版を思い出し、か行を探した結果、この北国の春にぶつかり、「コブシの咲く丘 北国の」がそのまま我が村に重なります。東北よりずっと緯度の高い我が村に出島から出てバタビア(現在ジャカルタ)経由で渡欧してきたコブシ末裔がたくさん植わり、その’七つの丘’を飾ります。

南より北志向が強いのは普遍的なのでしょう。ノルウェイを接頭語に持つモミジやモミ、他幾つかの樹々あり。それらは中・南の欧州に自生しない樹々ですから、きっと’雪の深い北国’出自だろうと人々の想像力を駆り立てたのでしょう。ノルウェイは文字通り’北の道’。フィヨルド海岸伝いにラップランドまで伸びる’北の道’を再び辿ってみたいです。

追伸;千昌夫も他たくさんの歌手を私は知りません。しかしなぜか朱里エイコを覚えている。もしも元気ならば彼女は古稀あたりでは。大まかながら、同世代なんです。個性溢れる日米に渡る歌手なりわいを独りで成し遂げた彼女を尊敬しています。ぜひ’北国行きで’楽団をお願い申し上げます。もちろん、朱里エイコ知られざる’’蛇足’’を心密かに期待しております。

投稿: minatoya | 2018年2月 3日 (土) 07時29分

何日か前のR1深夜便で遠藤実作品の第2弾が流れていました。好みの歌のほとんどが遠藤実の曲として紹介されていました。「すきま風」、「北国の春」などを聴くにつれ40年もまえのことが走馬灯のように深夜の目覚めた頭を駆け巡りました。「北国の春」がはやり始めたころ、不慮の事故で他界した義弟の弔いに父と末の妹が九州から青森の下北・三沢に駆けつけてきました。気分転換にと上の妹(故人の妻)の提案で私の運転で十和田湖に日帰りで出かけました。途中、奥入瀬渓谷にさしかかったとき突然父が「北国の春」を後部座席で感慨深げに唄いはじめ、奥入瀬川が進行方向に流れていると言い出しました。気を紛らわすために霊前での昨夜のウイスキーの飲みすぎだとみて同乗者の誰も反論しませんでした。この歌を聴くと平成10年に他界した父がしのばれます。

投稿: 亜浪沙(山口 功) | 2021年12月23日 (木) 13時03分

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