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2008年12月 6日 (土)

星の界(よ)

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:ジョセフ・スクリヴン、作曲:チャールズ・コンヴァース
日本語詞:杉谷代水

1 月なきみ空に きらめく光
  嗚呼(ああ)その星影 希望のすがた
  人智(じんち)は果(はて)なし
  無窮(むきゅう)の遠(おち)
  いざ其(そ)の星影 きわめも行かん

2 雲なきみ空に 横とう光
  ああ洋々たる 銀河の流れ
  仰ぎて眺むる 万里のあなた
  いざ棹(さお)させよや
  窮理(きゅうり)の船に

 いつくしみ深き友なるイエスは

1 いつくしみ深き 友なるイエスは
  罪とが憂いを 取り去りたもう
  心の嘆きを つつまずのべて
  などかは降ろさぬ 負える重荷を

2 いつくしみ深き 友なるイエスは
  われらの弱きを 知りてあわれむ
  悩み悲しみに しずめる時も
  祈りにこたえて なぐさめたまわん

3 いつくしみ深き 友なるイエスは
  変わらぬ愛もて みちびきたもう
  世の友 我らを捨て去るときも
  祈りに答えて いたわりたまわん

What a friend we have in Jesus

1. What a friend we have in Jesus,
   all our sins and griefs to bear!
   What a privilege to carry
   everything to God in prayer!
   O what peace we often forfeit,
   O what needless pain we bear,
   all because we do not carry
   everything to God in prayer.

2. Have we trials and temptations?
   Is there trouble anywhere?
   We should never be discouraged;
   take it to the Lord in prayer.
   Can we find a friend so faithful
   who will all our sorrows share?
   Jesus knows our every weakness;
   take it to the Lord in prayer.

3. Are we weak and heavy laden,
   cumbered with a load of care?
   Precious Savior, still our refuge;
   take it to the Lord in prayer.
   Do thy friends despise, forsake thee?
   Take it to the Lord in prayer!
   In his arms he'll take and shield thee;
   thou wilt find a solace there.

《蛇足》 詩はアイルランド系カナダ人のジョセフ・M・スクリヴン(Joseph M. Scriven 1819~1886)によって書かれました。

 スクリヴンは、信仰上の意見の相違から家族と疎遠になっていたのに加えて、婚約者が結婚前夜に溺死した衝撃から、1846年にカナダに渡りました。カナダでも恋人得て結婚の約束をしますが、彼女も肺炎で急死してしまいます。
 打ちひしがれた彼は、以後、未婚のまま、信仰と人びとへの無償の奉仕に生きる生涯を送りました。

 1860年(諸説あり)、故国に残してきた母が重病にかかったという知らせを受けたスクリヴンは、彼女を慰めようと、"Pray Without Ceasing(ひたすら祈り続けよ)"という詩を作って贈りました。

 "Social Hymns:Original and Selected"(H.L.Hastings著、1865年刊)という本に載ったこの詩に感動したアメリカ人の法律家で作曲家のチャールズ・C・コンヴァース(Charles C. Converse 1834~1918)が曲をつけ、自ら編纂した日曜学校唱歌集に、"What a friend we have in Jesus" という題で収録しました。

 やがてこの曲は、
全米で、さらに各国のキリスト教徒に讃美歌として愛唱されるようになりました。タイトルは国によって異なり、日本では『いつくしみ深き友なるイエスは』というタイトルで歌われています。

 わが国では、杉谷代水(すぎたに・だいすい)が宇宙の雄大さをテーマとした『星の界(よ)』という歌詞をつけました。この詞は明治43(1910)発行の『教科統合中学音楽(二)』に掲載されました。
 むずかしい歌詞ですが、戦前に教育を受けた人びとには大変懐かしい曲のようです。

(二木紘三)

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コメント

二木さん 有難うございます。

クリスチャンでもありませんが この讃美歌 メロディがとても きれいで 好きです。
家内が結婚前 キリスト系の幼稚園に勤務しており時々 口ずさんでいましたので覚えたのです。

年配のメル友さんに この曲添付して送信したら
懐かしいと とても喜んでくれました。

とても 清々しい気持になります。

投稿: (青果) 川本 | 2008年12月 6日 (土) 20時52分

昭和21年生まれですが、この曲は小学高学年か中1に習った記憶があります。
タイトルは思い出せないのですが「澄み行く美空に夕日は落ちて--------ねぐらを指し行く名しらぬ鳥のその音もあわれや秋の訪れ」といった歌詞で、良いメロディーですね。
学校のブラスバンドがマーチに編曲して盛んに演奏しておりました。

投稿: 山ちゃん | 2008年12月 7日 (日) 21時27分

これほど多くの歌詞が付けられた曲は無いのではないでしょうか。
私(67歳)が中学時代に習ったのは、タイトルは忘れましたが(どなたか覚えていたら教えて下さい)、古い都を偲んだ歌詞でした。「近江の湖に栄えし都の・・・麗し人びと裳裾を引きて 月見に集いし姿ぞゆかし」といったものでした。
ですから後に、アメリカ映画で讃美歌で歌われていたのを聞いた時も驚いたし、まだ若い(?)のでこの歌詞を初めて知った次第です。『冬の星座』を連想しますね。
清らかな名曲は様ざまに歌われていることを思い知りました。

投稿: 矢嶋武弘 | 2008年12月 9日 (火) 19時35分

「月付きなきみ空に」と冬の夜空を見上げながら
公衆浴場の帰りにこの歌った頃は昭和36年頃と
記憶しています。
当時は銭湯通いが普通で、東京の夜も澄み切っていて
本当に星がきれいに輝いていました。
宇宙の広さが想像できないほど大きいと認識して
人間はなんとちっぽけなものだろうと感じ悩み
始めた頃です。
当時中学2年生の昭和22年生まれの団塊の世代の
男性です。様々な歌・唄・詩に思いをめぐらして
このうた物語を楽しんでいます。

投稿: 修さん | 2008年12月 9日 (火) 23時16分

星の界にコメントされた方

皆さんと同じように 昭和20年 上海生まれ
いわゆる引き揚げ者です。

星の界で検索してみましたが 皆様が知りたい項目は
記載されていませんでした。
と同時に 教科書に載っていた時もあったようですが
私は覚えていません。いいメロディですね。

矢嶋様 とても素晴らしいHPですね。時々覗いて
感心しています。日英両軍兵士の66年ぶりの再会
とても感動しました。工藤俊作さん 素晴らしい人
がいたのですね。
終戦前 外務省に背いてまで ユダヤ人を救った
杉原千畝さん といい 日本人の品格を上げてくれました。
待望します、政界にもこのような人が出現する事を。

投稿: (青果) 川本 | 2008年12月11日 (木) 11時00分

川本様 「星の界」と直接関係ありませんが、拙ブログを読んでいただいたことに、この場を借りて御礼申し上げます。

投稿: 矢嶋武弘 | 2008年12月11日 (木) 13時58分

二木先生いつも楽しませて頂いています、この美しい曲子供の頃よく聴きました、とっても懐かしく涙が出てきます。題名が判らなかったのですがやっとわかりました、ありがとうございました。ちなみに私も昭和20年生まれです、

投稿: 儀間 彦二郎 | 2008年12月12日 (金) 17時44分

  天狼(シリウス)のクリスタルめく煌めきよ  (拙句)
 高2の晩秋頃、宇宙への興味が昂じて、天体望遠鏡という当時としては超高価なものを、アルバイトと育英会の特奨を貯めたお金で買いました。知識としては知っていても、土星に輪があること、肉眼では一つにしか見えないシリウスが実は連星であることなど、望遠鏡を覗いて実際に確かめた時は、大感激でした。
 ところで今の冬空にひと際輝く、シリウスのお話を―。アフリカのドゴン族は、なぜか大昔から、シリウスが連星であることを知っていました。そして壁画に描かれたある絵が、シリウスAとシリウスBの長期間に亘る両星の軌道とピタッと一致することが、前世紀後半確認されました。どうしてこんなことがあり得るのでしょう?ドゴン族では、「自分たちの祖先は、悠古にかの星から飛来してきた」と言い伝えているそうですが。
 最新天文学の成果で、銀河系、銀河団などでびっしり埋まった「宇宙地図」が作成され、「無窮の遠」の果ては137億光年彼方(=ビックバンの始まり)とか。しかし共に、ドゴン族とシリウスとの関わりにも、大いにロマンが掻き立てられます。

投稿: 大場光太郎 | 2008年12月12日 (金) 20時50分

二木先生の解説や、みなさまのコメントに啓発され、この年になって新たな知識を得られる幸せをいつも感謝しております。この曲も子供のころに母から教わりましたが、母に「うた物語」を見せてやったらどれだけ驚いたことでしょう・・・。

投稿: 林 一成 | 2008年12月12日 (金) 22時59分

はてどんな曲だったかと聞いてみたら、おなじみのメロディーでした^^。賛美歌の312番とか。若いころ、プロテスタント教会の聖歌隊に3年くらいいました。多分そのとき歌っていたと思います。ちなみに私は宗教心が希薄で、墓は作りましたが、墓石の横に「千の風五吉・♪と○・●」を彫りました^^。

投稿: 三瓶 | 2008年12月13日 (土) 22時01分

星の界として、また賛美歌として、子供のころ自然に身の回りにこのメロディーが流れ、いつの間にか覚えて歌っていました。「無窮の遠」などの難しい言葉も、子供なりに想像を巡らし理解しようとして・・・。私は終戦の年の生まれで、世の中は決して豊かではありませんでしたが、物質ではない美しいものをこうした歌の中に探していたような気がしています。

投稿: nobara | 2008年12月15日 (月) 23時06分

 『きよしこの夜』『ああベトレヘムよ』などと共に『いつくしみ深き友なるイエスは』も、ある年のクリスマスイヴに米軍厚木基地(綾瀬市)内で歌った記憶があります。昭和40年代半ば、厚木市民コーラスに所属していた頃のことです。
 会場は基地ゲートを入ってすぐくらいの建物の一階ホールでした。観客はきちんと制服を着こなした将校クラス、そしてその家族たちだったと思います。なにせ賛美歌などは初めてで…。一応練習は重ねてもお世辞にも上手とは言えない、私たち20代前半の日本人男女10数人のコーラスを、じっと聴いてくれました。最後の歌を終わると、惜しみない拍手を送ってくれました。その後30分ほど、その人たちに混じって片言のコミニュケーションをしたことを覚えています。
                       *
 この歌、その時はあまり気にもしていませんでした。しかしその後、私の半生の中で何度かピンチに見舞われました。その度なぜか、この歌がふと思い出されました。
 「罪とが憂いを 取り去りたもう」…「われらの弱さを 知りてあわれむ」…「世の友の 我を捨て去るときも」。口ずさみながら、この3ヶ所のうちのいずれかで必ずつまってしまいます。涙がどっと溢れてきて、続きを歌えなくなるのです。
 こういう経験は私だけではないと思うのですが、いかがでしょうか?

投稿: 大場光太郎 | 2008年12月24日 (水) 00時34分

なつかしい歌を見つけました。ありがとうございます。
中学の音楽の先生が自編の歌集のプリントに載せていらっしゃいました。ただ誤字脱字の多い歌集で、失礼にも「星の界」はてっきり「星の世界」の脱字かと思っておりました。
ところで、この題名は末尾に(よ)が付いていますが、これは「ほしのかいよ」と読むんでしょうか、それとも「ほしのよ」と読むんでしょうか?

投稿: 九鬼 隆訓 | 2009年5月24日 (日) 17時40分

九鬼 隆訓様
このブログシステムではルビが使えないので、カッコ内に示すようにしています。歌詞や「蛇足」についても同様です。(二木紘三)

投稿: 管理人 | 2009年5月24日 (日) 18時03分

即座にご説明いただき恐縮です。
「ほしのよ」と読むんですネ。
他の部分も読めば、ルビであることが分かったでしょうに、不注意な疑問を、失礼致しました。

投稿: 九鬼 隆訓 | 2009年5月24日 (日) 21時02分

私立のキリスト系学校にしばらく勤めていましたので、このメロディには馴染みがあります。この賛美歌は祈祷の際によく歌われます。賛美歌で初めてこの曲に出会った時は、半世紀も前の音楽の授業を懐かしく思い出しました。中学の1、2年の頃だったように記憶していますが、授業時間によく騒いだり、比較的真面目に授業をうけている女生徒にいたずらをしたりして、女の先生を怒らせてしまったこと、ピアノが珍しく貴重な教具だったこと(新潟の田舎の中学校でしたから)、そのピアノの伴奏で独唱させられ、途中上がってしまって歌詞を忘れてしまったことなど、偽悪趣味に走り勝ちだった年頃の自分が、今ではいとおしく感ぜられます。‘星の界’は後に‘星の世界’として小学校の教科書に掲載されたようです。歌詞が難しので書き換えられたのでしょうね。わたしも「窮理の船」を最初は「胡瓜の舟」と誤解していましたから。アップしていただいて忘れていたタイトルも思い出しました。二木様ありがとうございました。

投稿: ひろし | 2009年5月26日 (火) 13時21分

このサイト、私が子供の頃に習った歌についての解説がされていてとっても参考になります。
私も中学生(メキシコ五輪の頃)の時に習いましたが、その時の題名は’星の世界’でした。調べてみると作詞者は川路柳虹をいう人で歌詞は以下の通りです。

  ’星の世界’
(1)輝く夜空の, 星の光よ~~~まばたくあまたの, 遠い世界よ~~~更け行く秋の夜, 澄み渡る空~~~望めば不思議な,星の世界よ
(2)きらめく光は, 玉か黄金か~~~宇宙の広さを,しみじみ思う~~~やさしい光に, まばたく星座~~~
望めば不思議な, 星の世界よ

1960年代後半から1970年代前半に中学生だった人達は、この歌詞でこの歌を習ったのではないでしょうか。

投稿: Kai | 2009年6月15日 (月) 16時37分

私は1954年中一の時、当コーナー'08.12.7・山ちゃん氏投稿の歌詞「澄み行く美空に....」にてNHKTV開局1周年特別番組に学校代表で選ばれ4人の男女合唱で出演しました。昔の事で既に我が恩師もいず曲名も歌詞も忘れてしまったのでネットで広く問いかけ調べましたが回答が得られずにいます。
先の投稿者山ちゃん氏と全く同じ思い出ですが、何とか正確な曲名・歌詞が知りたいものです。
'08.12.9投稿者矢嶋氏が、多くの歌詞がつけられている珍しい曲と言われていますが、日本では何故か杉谷代水の「星の界」しか表に出てこない感じです。
調べていただけませんか?

投稿: 栗山充弘 | 2009年8月12日 (水) 16時21分

I want to hear '星の界'
Send it to me please !
Thank you in advance.
Bye ~

投稿: young chul kim | 2009年11月 9日 (月) 10時07分

山ちゃんさんのお尋ねの歌詞は、昭和28年か29年の中学の音楽の教科書にのっていました。歌詞も題名もおぼろげだったので、何人かの同級生に問い合わせてみたのですが、やっぱり皆忘れているようです。
私の覚えているのも、間違っているのかもしれません。ただ、2番のはじめの歌詞と題名が思い出せなのです。
 1澄みゆくみ空に 落ち行く夕日
  くれない燃え立つ雲間に高く
  ねぐらを指し行く 名知らぬ鳥の
  その音も哀れやおとずる秋よ(か?)
 
 2?
  ?
  草の根深くも名知らぬ虫の
  その音も哀れやおとずる秋よ(か?)

私は最後を「おとずる秋か」と歌っていました。教科書を保存してある所があればすぐわかるのですがねぇ・・


投稿: ハコベの花 | 2009年11月 9日 (月) 14時04分

11/10日投稿ハコベの花さん、歌詞を教えて頂きどうも、2小節目の「落ち行く夕日」部分は、私の記憶では「夕日が落ちて」なのですが?いずれにせよ題名は不明ですし意外と情報時代でも調べても判らないものですね!4小節までは口ずさめたので5小節以下を憶えます有難うございました。

投稿: 栗山充弘 | 2009年11月25日 (水) 11時32分

栗山様 中途半端な歌詞で申し訳ありません。実は私は音楽が苦手でいつも教科書を立てて、陰で他の本を読んでおりましたので、歌詞もうろ覚えなのです。夫も同じ教科書だったようでやっぱり「夕日は落ちて」だったと言います。同級生にもまた聞いてみようと思っております。題名がわかると良いですね。55,6年も昔の事ですからねぇ・・ボチボチ探してみましょう。

投稿: ハコベの花 | 2009年11月26日 (木) 20時14分

「名知らぬ鳥」で検索したら「澄みゆくみ空に」が見つかりました。

「秋に寄せて」
 山崎紀一郎作詞 コンバース作曲

1.
澄みゆくみ空に 夕日は落ちて
くれない燃え立つ 雲間に高く
ねぐらを指しゆく 名知らぬ鳥の
鳴きゆく声こそ 秋のおとずれ
2.
冴えゆくみ空に 星はまたたき
山の端(は)近く 月影さして
草の根深く 名知らぬ虫の
その音(ね)もあわれや 秋のおとずれ

投稿: tenji | 2010年1月 7日 (木) 10時33分

私も山ちゃんさんと同じ昭和21年生まれですが、例の賛美歌を聞いてから、私の習った「澄みゆくみ空に夕日は落ちて・・・名知らぬ鳥の」が気になって仕方がありませんでした。そこでインターネットでかなり調べたのですが、当時は題名も歌詞も見つかりませんでした。

ところが今回”名知らぬ鳥”で検索してみたら簡単に見つかりました。これで安心して眠れます。

投稿: tenji | 2010年1月 7日 (木) 11時28分

「秋に寄せて」の歌詞について

ハコベの花さんの歌詞の正確な歌詞は、インターネットには載ってないようですが、出だしの「澄みゆく」が違うだけで他は全く同じ歌詞が投稿されており、ハコベの花さんのご記憶は正しいようです。歌詞の最後もご記憶どおり「おとずる秋か」で正しいようです。

この歌詞は、最後を「秋のおとずれ」に替える前の元の歌詞のようですね。

この詩、元々は「秋に寄せて」ではなく「秋に寄す」だったのではないでしょうか?そして最後も「おとずる秋ぞ」だったのではないでしょうか?


投稿: tenji | 2010年1月 7日 (木) 16時42分

tenji様
 今夜は安心して眠れそうです。ずっと気にかかっておりました。よくぞ、見つけてくださいました。多分、私は昭和28年にこの歌を習ったと思うのですが、題名も「秋に寄せて」ではなかったと思います。「夕日は落ちて」の処も、「落ち行く夕日」だったと思います。同級生に確かめてみましたが、やっぱり「落ち行く夕日」だったそうです。最後のところも「おとずる秋か」だそうです。何年かして少し歌詞の改訂があったのですね。お調べ下さって本当に有難うございました。分からない事が分かると本当に嬉しいものですね。感謝します。

投稿: ハコベの花 | 2010年1月 7日 (木) 20時19分

ハコベの花 様
いつかまた ハコベの花様 ほかの皆様がこのHPを訪れることがあれば、私の投稿に気づいて欲しいと思った次第ですが、まさか投稿したその日にハコベの花様からレスを頂けるなんて、本当にうれしく思っております。

私こそ「分からない事が分かると本当に嬉しいものですね。」「今夜は安心して眠れそうです。」です。

皆様も同じと思いますが、私にとってもこの歌は思い出のいっぱい詰まった「心の古里」のような歌です。


投稿: tenji | 2010年1月 7日 (木) 21時46分

ハコベの花 様

すいません。三つ前の投稿での「・・・投稿されており」の投稿内容を読み違えておりました。

この投稿者は、曲名は「おとずる秋」というタイトルだったと言っています。

投稿: tenji | 2010年1月10日 (日) 21時46分

tenji様
 題名は「おとずる秋」だったような気がします。文語調から口語調に改訂されたのだと思いますが、「夕日は落ちて」はちょっと余情が無くなるような気がしますね。「秋の訪れ」より「おとずる秋か」の方が言葉としてきれいで余韻が残ります。改訂した人の詩情が少し足りなかった様に思われます。それにしても遠い昔の自分に会えたような気持ちにして下さって本当に有難うございました。
あの頃の教科書には自然を詠った歌が多かったと思います。「浦のあけくれ」も良い歌でした。もっと、真剣に音楽の授業を受けていれば良かったと今頃反省しています。ご親切にお調べ下さって有難うございました。

投稿: ハコベの花 | 2010年1月11日 (月) 00時35分

tenji 様 
ハコベの花様
私も以前から正確な題名、歌詞を知りたかった一人なのですが、お蔭様で胸の支えが取れた感じです。
しかし、歌詞や題名の部分的ながらの変更が途中あったようですが、作詞家はどうなるのでしょうかね?
私としては早速歌詞を憶え、仲間の集まりの際にでも、この歌に絡む話を交えつつ、アカペラで英語と賛美歌と「秋に寄せて」の夫々一番づつを披露して見ようかと思っています。
ご両名さまありがとうございました。

投稿: 栗山充弘 | 2010年1月24日 (日) 15時29分

「星の界」について様々な情報をありがとうございました。実は先月E旅行社主催のニュージーランドツアー参加いたしました。その折ワエトモ洞窟の土ボタルが光る幻想的な洞窟のなかで同行されたクリスチャンの方が賛美歌「いつくしみ深く」を歌われました。美しい歌のメロディーは信仰心などまるでない昭和22年生まれの私の脳裡を感動と懐かしさでいっぱいにしました。当時歌った歌詞等全く覚えておりませんのでこのページに書いてある歌詞を口ずさみつつ過ぎ去った若い頃を思い出しています。

投稿: NABE | 2010年3月20日 (土) 17時23分

私はクリスチャン(キリスト教徒)ではありませんが、どういうわけか、この曲のメロディーと音階が頭にインプット(入力)されています。
最近、入手しました楽譜にはイントロ(導入部)が付いていますので、このイントロの音階を追加で覚えかけています。71歳ですが、この曲をハーモニカで吹きたくなり、練習しております。

投稿: 猫西鴨一 | 2011年6月19日 (日) 14時46分

昭和22年2月生まれです。キリスト教のお通夜に初めて参加した時、讃美歌を歌いました。小学校の時か、中学校の時か思いだせないのですが、「ねぐらをさしゆーく」という歌詞だけを頼りに検索し、このブログにたどり着きました。親しい人の死をしのび、子供のころの歌を思い出し涙線が緩まりました。

投稿: 青木孝輔 | 2012年2月 8日 (水) 19時15分

昭和24年生まれの私です。若い時に秋田生まれのブラスバンドの先生がこの曲を教えてくれました。カラオケでこの曲を探していたのですが、ありませんでした。「冬の界」でさがしてました。けれど、讃美歌の「いつくしみ深く」ということを知り安心いたしました。名曲なので私のカラオケのレパートリーにいれたいです。

投稿: 北宮 栢 | 2012年10月28日 (日) 11時44分

 昔、クリスマスイブに この賛美歌を聖歌隊が歌うのを聞きました。当時つきあっていた女性が、クリスチャンで、信仰心のないこの私を 自分の通っている教会のイブの例祭に招待してくれたのです。
 彼女は養女でした。事情は知りませんが、小学生の時、子どものいなかった伯父夫婦のもとにもらわれたそうです。子どもなりにいろいろ気をつかって神経症になったこともあったとか。そんな時に心のやすらぎをおぼえたのが教会で、日曜礼拝は欠かさず通ったそうです。

 わたしたちは結局は結婚はできませんでした。彼女が熱心なクリスチャンであることに私の家族がまゆをひそめたからです。それを知り彼女は身を引きました。信仰をすてられないと言いました。かけおちでもいいじゃないかと言った私ですが、彼女も養女の立場があります。それはできませんと言いました。信教の自由といいますが、ひとつの信仰をつらぬこうとしたら、家の問題がからんで、難しいことを痛切に知りました。

 この賛美歌をきくと あの人は今幸せにしているかな、そして今も信仰をまもっているかなと思います。
 時間が経過したらいつかこの事を書きとめたかった。

投稿: 紅孔雀 | 2012年11月 7日 (水) 01時50分

この歌と「冬の星座」がなぜか対になって頭に残っています。歌詞とメロディーが、秋祭りや稲刈りも終わり、これから冬に向かうもの悲しい気持ちでいるときに、これらの歌を口ずさむことで慰められ、勇気づけられていたのかな、と思われます。メロディーはしっかりと頭に入っているのに、歌詞はところどころあやふやになるのは皆さん、同じですね。でも教科書の改訂で歌詞が部分的に改訂されているようですし、あやふやを気にせず通すのも手ですね。私は、口笛が好きで、初冬のピンと張りつめた冷気の中で、このメロディーを奏でると、すぎさりし日々が蘇り、もう一人の自分がいるのを感じ、幸福感に包まれます。

投稿: 松原 泰夫 | 2013年10月13日 (日) 07時58分

いつも楽しませていただき、ありがとうございます。矢嶋さんの投稿にあった詞は自作の歌集にありました。私も同年輩で、中学の時に習いました。題は「懐古」作詞者は草月泰子です。歌詞は―
1 月影やさしき 近江の湖に
  栄えし昔の 都をしのぶ
  美し人々 裳すそをひきて
  月見につどいし 姿ぞゆかし
2 すずかぜたちたる 近江の橋に
  夕風におえば 昔をしのぶ
  鐘の音静に 思いをこめて
  たたずむ遊子の胸にぞひびく
なお、小学校5年で習ったときは「白うめ」という題名でした。(壷田花子詞)ついでに1番だけ紹介します。
1 きよらのすがたは たぐいもあらず
  かおりぞゆかしき 白うめの花
  流れのほとりに ほほえみかわし
  寒さをしのいで さきがけてさく
たくさん替え歌があるようですね。

投稿: かずくん | 2017年8月27日 (日) 11時34分

続投をお許しください。
一瞬の交差を見逃すとコメントの機会を失うので敢えての続投とご理解ください。
心洗われる讃美歌の名曲に寄せられた皆様のコメントを拝読して
灌漑に浸りました。
ひろし様
謹厳実直なお人柄が偲ばれるひろしさまにも
偽悪趣味を気取る少年時代があったとは微笑ましく思えました。

紅孔雀様(越村南,音乃様)
超然とした紅孔雀さまにも切ない葛藤があったとは意外でした。
美人性悪説を立てて美人を避けて生きた紅孔雀様でも避けられない葛藤があったのですね。 紅孔雀様と別れたことによって彼女の信仰は一層深くなったと推測されます。
なお お元気でお過ごしください。

投稿: りんご | 2017年8月27日 (日) 19時25分

素晴しい歌を有難うございます。

明治43年に杉谷代水(日本の詩人、劇作家、翻訳家。 鳥取県境港出身)が作詞したそうですね。各先輩方のように博識でなく味のあるコメントは書けません。
 
  私なりのこの曲への思いです。
昔 学校で教わり透き通るような綺麗な曲だったということを覚えています。歌詞は「ラ~ララ ラ~ラ ・・」としか言えませんでした。
管理人さんのアップされた日本語詞を読んでみてビックリしました。宇宙の雄大さに導いてくれる格調の高さを感じました。
「無窮の遠(おち)」、「窮理(きゅうり)の船に」などの言葉に初めて出会ったような気がします。不勉強の我が身を恥じています。しかし 人生90歳までは20年近くありますので前向きに取り組んでいきたいと思います。
 9月に3か所の町内会・敬老会で「草笛演奏」の依頼がきています。戦前生まれの方が多い会場でこの「星の(界)よ」を演奏してみたくなりました。

投稿: けん | 2017年8月28日 (月) 11時00分

「星の界」は、最も美しいメロディの歌曲の一つで、その曲の長さは短からず長からず、文章に例えるなら起承転結が整っていて、聴く人に心地よさを感じさせるように思います。
 子供の頃、♪月なきみ空に きらめく光…♪の歌詞で覚えましたが、長じて、原曲が讃美歌の一つ(「いつくしみ深き」)であることを知りました。TV放映の外国映画の葬式のシーンで、この歌が歌われるのを視た記憶があります。
 讃美歌についてはあまり知りませんが、他にすぐに思い浮かぶものとして、「神ともにいまして(God be with you till we meet again)」(讃美歌405番 トーマー 作曲)が挙げられます。メロディの美しさは、「いつくしみ深き」に負けず劣らず、歌詞と一体となって心に深く響く、私の愛唱歌の一つです。特に、女性によるコーラスは最高に美しいと思います。なお、2部合唱で歌う時の低音パートも、高音パート(主旋律)と同様に美しく、低音パートで口ずさむことも少なからずです。

投稿: yasushi | 2017年12月 6日 (水) 11時44分

昭和19年末の生まれで、この歌はお気に入りの一つですが、何故か此処に掲載された様々な歌詞で、教わり歌ったことは一度もありません。
小生が子供時代から愛唱しているのは、ウロ憶えですが下記のような歌詞だけで、習ったのが小学校の授業だったか、ボーイスカウトのキャンプだったかもハッキリしません。
 ♪涼しき夜風は 軒場を吹きて
   仄々銀河の 流れは白し
     琴座にペガスス(ペガサスではなかった!)、白鳥星座
     更けゆく夜空に 瞬き冴ゆる。♪
この歌詞を、「友なるイエス」を英語詩で歌う音楽仲間達(アメリカン・フォーク、カントリー、ブルーグラス)に歌って聴かせても、「そんな歌詞は知らない、一度も聴いたことがナイ」と言われて来ました。
上記の歌詞の由来、或いは「正しい」歌詞をご存知の方がいらっしゃいましたら、積年の疑問を払拭するためにも是非ご教示願いたく、投稿させて頂く次第です。

投稿: Tsuka | 2018年3月25日 (日) 16時42分

曲や歌詞の歴史を含んだ、素晴らしい記事をありがとうございます。勉強になることばかりでした。

私は昭和40年代の生まれですが、幼少時にこの曲をよく聞き、歌っていた記憶があります。キリスト教系の幼稚園だったので、おそらく、最初は賛美歌として親しんだのだと思いますが、「星の界」の歌詞も、はっきりと覚えています。幼稚園で両方の歌詞を習ったのか、あるいは、父や母が教えてくれたのか。

幼いなりにも、歌詞のおぼろげな意味やエッセンスをきちんと理解していたように思います。人類の知の、探究心の素晴らしさ、未知なるものへの畏敬。前人未到の知に至ろうとする欲求とそのための飽くなき努力への賛美。余談ですが、歌詞を理解する際に、最初に誤解していた箇所(「きゅうり」を野菜の「キュウリ」と思っていた)を、親からだったか、訂正してもらったという記憶もきちんとあります。

実は、今、学者として生きています。振り返ってみると、人生のそこここでのターニングポイントや職業選択の折に、無意識のうちに、幼少より潜在意識の中に染み込んでいた、「知の探究心への憧れ」というものがあり、その遠因に、この歌があったのかもしれません。

学者として長年生きていると、時に自分の目標を見失いがちになりますが、この曲を聞くと、純粋な頃の気持ちが蘇ってきます。
素敵な記事をありがとうございました。

投稿: ビンゴ | 2018年9月15日 (土) 02時22分

この曲はいつ聴いても心洗われます。
この場に昭和40年代生まれの方のコメント、爽やかな一陣の風が吹き抜ける思いです。生意気ですが新入生を迎えた在校生の気分です。
二木先生の演奏と蛇足が永久に続くことを願っています。

投稿: りんご | 2018年9月15日 (土) 08時40分

りんご様

あたたかいコメントをありがとうございます。以前よりの皆様の数々のコメントを改めて読み返させていただき、それぞれの、いろんな思い出の詰まった素敵な曲なのだなということを再認識致しました。

その後、いろいろ思い返してみていたのですが、この曲の内容を私に幼少時に手ほどきしてくれたのは、父方の祖父だったのでは、という気がしてきました。

私たち孫から見れば、単なる「やさしいお祖父さん」でしたが、戦前戦後を通し、高校の英語教師を永らく勤め、英米文学や日本文学にも精通していたようですし、地元の皆さんが口をそろえて、時には理想主義、時には人生哲学のしっかりとした、筋の通った人物だったとおっしゃってくださっています。難しい語句の意味や背景を、わかりやすく説明してくれていたような気がします。

二木様、改めて、このような素晴らしい記事をありがとうございます。私もこうして、素敵な先輩方と交流を持たせていただくことができました。

投稿: ビンゴ | 2018年9月15日 (土) 23時33分

今夜は、上弦の月と土星が接近。
南の空を見上げると、ところどころ薄雲はあるものの、くっきりと上弦の月が輝いて、その左側に土星が並んで・・まさに宇宙の神秘とロマンを感じながら、二木先生の演奏を聞いています。

杉谷代水の詩も、雄大な宇宙の神秘、無窮の天をテーマに素晴らしいものですが、クリスチャンの私は、“いつくしみ深き 友なるイエスは~“(賛美歌312)と、自然に口をついて出てきます。

16日の日曜日は、あいにく仕事で六甲の山の上にいましたから、教会の敬老礼拝には行けませんでしたが、多分みんなで“いつくしみ深き 友なるイエスは~“と賛美していたことでしょう。
もっとも私は、教会であれ町内会であれ「敬老会」なるものには、一切出席したことがありません。

雄大な宇宙のスケールに比べれば、70年や80年の人生なんて一瞬の間、まだまだ「男盛り」だと、自分に言い聞かせております。

あの大実業家 安田善治郎氏の言葉
「五十、六十は洟垂れ小僧、男盛りは八、九十」を、座右の銘としていますから・・・。

またまた 話が脱線しました。ご容赦下さい。


投稿: あこがれ | 2018年9月17日 (月) 22時19分

ビンゴさまのコメントを見て我が身が恥ずかしくなりました。ところで明鏡国語辞典によると物理学のことを昔は「究理」学と言っていたとのこと。この方が洒落ていますね。

投稿: hurry | 2018年9月18日 (火) 11時29分

作詞家のイメ-ジは近江朝(天智天皇)の都である。
現在の大津市辺りらしい。宮廷歌人が活躍していた時代でもある。下記の詩が本歌であろう。つまり,草月さんはそれをもとにしたのかもしれない。
   近江の海
   夕なぎ千鳥
   汝が泣けば
   心もしのに
   古(いにしえ)おもほゆ
あの美しく,懐かしい都は消えてしまった,今はもう何も残っていない・・・。
小生は昭和16年生まれ。この歌を初めて耳にしたのは,中学生の時で,何とも抒情的な美しさに感動した記憶が残る。

投稿: 川﨑祐三 | 2019年4月 8日 (月) 21時24分

11年前にここに投稿した者です。
その時、「これほど多くの歌詞が付けられた曲は無いのでは」と申し上げましたが、私が中学時代に習った懐かしい歌詞の出所などが分かりましたのでお知らせします。
歌の題名は『懐古』で、作詞者は草月泰子さんと言うそうです。
1番の歌詞は「月影さやけき 近江の湖(うみ)に 栄えし昔の都をしのぶ 美(うるわ)し人々 裳(も)すそひきて 月見につどいし 姿ぞゆかし」ですが、2番は不明です。
これほど美しい曲も滅多にないと思うので、改めて寄稿しました。
なお、これは以下の「レファレンス協同データベース」で分かりましたので、ご案内しておきます。
http://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000178372

投稿: 矢嶋武弘 | 2019年10月 7日 (月) 10時33分

きょう投稿した者ですが、2017年8月27日(日)に投稿された『かずくん』様の記事の方が正確で、くわしい内容になっています。 小生、分かるやいなや急いで投稿しましたが、沢山のコメントがあるので『かずくん』様の記事に気がつきませんでした。どうも失礼しました。以後、気をつけます。

投稿: 矢嶋武弘 | 2019年10月 7日 (月) 16時40分

今朝たまたまNHKラジオで聴いた「星の界」が妙に頭に残ったので、ググってみるとこのサイトの記事に出会いました。
作詞家のかわいそうな境遇、それに感動して曲を付け賛美歌となり、日本に伝わって杉谷代水によって星空をイメージした新しい歌になったという物語に大変感動しました。
また、このようなHPに出会えた事にも感謝です。
明治時代の言葉の美しさ、あらためて唱歌集をめくってみようと思いました。
ありがとうございました。

投稿: めろす | 2019年12月10日 (火) 06時43分

子供の頃、音楽の時間に習ったと思います。題名は「星の界(よ)」だったかは覚えていませんが、「月なきみ空に」で始まる歌詞でした。子供心に壮大で美しい歌だなあと思いました。2コーラスを通してまるで目の前に見えるようでした。

後年この歌が讃美歌だと知りました。「いつくしみ深き友なるイエスは~」キリスト教徒ではありませんが、本当に賛美歌にふさわしいメロディで歌詞だと思いました。

現在、公民館などで「唱歌・抒情歌」の歌声講座が行われていますが、よく歌われます。ほんとに心が洗われる歌ですね。私もリクエストしています。

人智(じんち)は果(はて)なし
  無窮(むきゅう)の遠(おち)に
  いざ其(そ)の星影 きわめも行かん

古文って美しいですね。現代文だとこんなに美しく言い表せないんじゃないでしょうか。今の先生が古文を知らないからこのような歌を捨てていく。当然生徒たちもこのような美文に出会えない。どんどん人間の教養が落ちてゆくような気がします。

日本語詞:杉谷代水

1 月なきみ空に きらめく光
  嗚呼(ああ)その星影 希望のすがた
  人智(じんち)は果(はて)なし
  無窮(むきゅう)の遠(おち)に
  いざ其(そ)の星影 きわめも行かん

投稿: 吟二 | 2019年12月10日 (火) 22時00分

矢嶋さん 小生 昭和16年生まれです。ずっと1番の歌詞だけを覚えて この年まで 時に触れ 口ずさんでおりました。ただ題名と2番の歌詞が解らずどうしたら調べられるのかと 気にしながら時間をすごしてきました。
此処に来て お陰さまで知ることができ感謝しております。
 小生の記憶では 月影さやけき..... 美(うつく)し人々…であります。

投稿: 岡本 實 | 2020年2月 8日 (土) 20時22分

星の界=====亡き母の教え賜いし歌

 明治後半生まれの母は歌が好きだったようで、私の幼かった頃からクラシックの小曲、例えばシューベルトの野薔薇や菩提樹など、その他数々の歌を口移しで教えてくれた。
 そのうちの一つがこの星の界である。
 私は幼かったので歌詞の意味などは勿論分からないし、文字にする事さえも出来なかった。
 ただ、子供心に素敵な好い歌だと感じていたようだった。

 そして一昨年秋のこと、私の長男35歳と27歳の嫁女の結婚式があり、結婚会館付属の小さなチャペルで、式の冒頭に讃美歌312番を歌った。
 その頃は2・3週間ほどカラオケに行く機会が無かったので、ここぞとばかり大きな声で讃美歌を歌った。
 
我が家は先祖代々浄土真宗の仏教徒だが、母はどういう訳か女学校はミッション系のF学園(勿論旧制)。
 私の子供たちは二人ともミッション系の幼稚園。
 娘は中高一貫のF学園で、嫁女も同じF学園の後輩である。
 その結婚式は嫁女が取り仕切ったと聞いていたが、若い女性はともすればキリスト教式の結婚式に憧れるものでしょうかね。
 私の場合、初回は神式、2回目は仏式だった。

投稿: けい。 | 2020年3月 3日 (火) 16時14分

せんだって、「冬の星座」のところでコメントを書き込みしたとき、もひとつ良い星の歌があったはずだと思いながら、どうしても題名が思い出せなかった。
今日、そう、ふっと思い出したこの歌「星の界」。

冬の星座よりもっと以前に聴いたのだけれど、いい歌だなあと幼い心を捉えたのでした。 たしかラヂオで聴いたのだろう、漢字も分からず、むづかしい文語調の歌詞の情がよく解らなかった。 たしか、キュウリという言葉がわからなくて、胡瓜を想像して変な言葉だなと思い、兄から説明されてそうなのかと理解した記憶があります。

後日キリスト教会に通うようになって、この歌が讃美歌なのだと知り、歌詞も日本語と英語とで覚え、よく歌ったものでした。 実にメロディーがいいですね。 のち教会から離れてしまっても、讃美歌もこの歌もいつまでも覚えていてよく口ずさんだものでした。(歳を取って題名を忘れてしまうしまつだけれど)

この歌も冬の星座も、夜空に拡がる星座の美しさを見事に表現しているように思います。
共にほんとにいい歌曲ですね。

本日大晦日の夜、空は真っ暗、星影ひとつ見えません。

投稿: 田主丸 | 2022年12月31日 (土) 19時29分

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