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2009年1月22日 (木)

夢に故郷を

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:西沢義久、作曲:田村しげる、唄:伊藤久男

1 夕やけあかく 燃える海
  瞳にしみた 哀しさよ
  はるかな故郷(こきょう)も 港町
  思い出させる 汐(しお)の匂いよ

2 わびしい旅は 果てしらず
  波止場にひとり たたずめば
  昏(く)れる潮路を ゆく船の
  二本マストに 揺れる灯(あかり)

3 暗い波間の 鴎どり
  別れに泣いた ふるさとの
  おもかげ偲べば 散るしぶき
  せめて今宵は 夢に通えよ

《蛇足》 昭和25年(1950)に放送されたNHKラジオ歌謡。

 作詞の西沢義久は、島倉千代子の『からたち日記』や美空ひばりの『ひばりの佐渡情話』などを作詞した西沢爽の本名。
 田村しげるは、妻で作詞家の寺尾智沙と組んで『白い花の咲く頃』『リラの花咲く頃』という抒情歌の傑作を生んでいます。

 人為は自然自体の変化をはるかに上回る速さで、人の住む土地を変貌させます。誰のふるさとも、その変貌からのがれることはできません。
 ふるさとの変貌を止められない以上、自分のほんとうのふるさとには、夢で行くしかありません。
 夢で通うふるさとの、なんと美しく、かぐわしいことか。意志の力でふるさとの好きな場所に行けたらと思いますが、夢では思うにまかせません

(二木紘三)

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コメント

この曲にはなじみはありませんが、歌詞といい〔蛇足〕といい、一昨年十数年ぶりに故郷の港町へ帰ったときの思いそのままです。
故郷は何もかも近代的に変貌をして、わずかに子供の頃の遊び場だった、灯台へつづく崩れ落ちて危なげな石段や小さな祠を見つけたときは懐かしさでいっぱいになりました。今回の帰郷は時間に余裕がありましたので懐かしい場所に出かける事が出来たのです。にもかかわらず思うのは昔のままの故郷ですから不思議なものです。

投稿: おキヨ | 2009年1月25日 (日) 12時22分

 昭和25年放送とのことですが、私は中学3年でした。当時私はラジオに噛り付いていましたから,心に残る名曲は、殆ど覚えています。しかし、この曲は「イヨマンテの夜」や「あざみの歌」などの陰に隠れて、伊藤久男自身その後殆ど歌う機会が無かったように記憶しています。何十年ぶりかで「うた物語」の中でこの曲に再会できて感激しています。さすが田村しげる。なじみの有名曲に勝るとも劣らぬ名曲であることを、あらためて実感しております。おしむらくは、私にはちょっとキーが高いのが難点ですが、ヒーヒー言いながら歌っています。
 ありがとうございます、

投稿: 米澤九二三 | 2009年6月 6日 (土) 17時49分

この詞が難解だと言えば若輩者と返されそうですが、若者達の歌と違って、詞に気品を感じます。

投稿: 海道 | 2009年6月 9日 (火) 12時51分

 この歌で歌われているのは港町です。しかし山国を故郷とする者が聴いても、十分郷愁を呼び起こされる良い歌だと思います。
 私は比較的「夢」を見る方です。しかし奇想天外な夢を見ているのは(夢見の最中は)分かっていても、いざ目が覚めてみると、粉々に砕け散った宝石のように夢は雲散霧消してしまいがちです。それに近年は、「夢に故郷を」見ることがとんとなくなりました。もっともこれは、表面意識でひんぱんに故郷のことを想い返しているため、わざわざ夢に見る必要がなくなったからなのかもしれません。
 「夢が現実で、現実が夢なのです」「制限されているという感じ、これが夢なのです」とは、誰かの言葉です。確かに、制限だらけの不自由なこの日常が「悪夢」ではないと、誰が言い得るでしょう?制限無しの自由自在な「夢のような人生」を生きてみたいものです。

投稿: Lemuria | 2009年8月28日 (金) 20時08分

放送当時中学2年でした。歌詞もメロディも平凡なのに何故か心に沁みこんできます。今もカラオケ屋では時々歌っています。

投稿: ごいちゃん | 2018年7月22日 (日) 13時56分

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