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2009年5月31日 (日)

子鹿のバンビ


作詞:坂口 淳、作曲:平岡照章

1 子鹿のバンビは かわいいな
  お花がにおう 春の朝
  森のこやぶで 生まれたと
  みみずくおじさん いってたよ

2 子鹿のバンビは くり毛色
  せなかに白い てんてんよ
  細いあんよで かけだせば
  野原のちょうちょうも こんにちは

3 子鹿のバンビは 元気だね
  ちらちら雪が 降りだして
  池に氷が はるころは
  とんすけうさぎと スケートよ

4 子鹿のバンビは やさしいな
  弱虫いじめ しないもの
  今に大きく なったなら
  すてきなぼくらの 王様だ

《蛇足》 1942年8月、ディズニーのアニメ映画『バンビ』(写真)がアメリカで公開されました。
 日本での公開は、敗戦からだいぶ経った昭和26年
(1951)5月。このときは字幕版でしたが、4年後の昭和30年(1955)に日本語吹き替え版が上映されました。

 原作は、オーストリアの作家フェリクス・ザルテンが1923年に発表した『バンビ、森からの伝記』(Bambi,Eine Lebensgeschichte aus dem Walde)で、1928年に『バンビ、森の生活』(Bambi,A Life in the Woods)というタイトルで英語に翻訳されました。
 原作では、主人公は中欧の森に棲む小形のノロジカでしたが、ディズニーの映画では、北米大陸の森で成長する大形のアカシカにと設定が変えられています。

 昭和20年代の小学生にとって、ディズニー・アニメは、まさしく夢の世界でした。

 毎年1、2度、先生が上級生に手伝わせて体育館の窓に暗幕を張って即席の映画館を造りました。そこで上映された『白雪姫』『ピノキオ』『ダンボ』『バンビ』……当時の日本映画がほとんどモノクロだったのに対して、ディズニーは総天然色。加えて、ディズニー・アニメ独特のくにゃくにゃしたキャラクターの動きが、虚構のおもしろさを小学生たちに存分に味わわせてくれました。

 作詞家の坂口淳も『バンビ』に非常に感動して、この詞を書く気になったといいます。
 いっぽう、作曲を託された平岡照章は、自分のイメージで作りたいからと、映画の粗筋と詞だけを読んで作曲に臨みました。そのようにして、この明るく弾むようなメロディー生まれたのです。

(二木紘三)

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コメント

総天然色と言う言葉が時代を感じさせます。ハイカラな
物語だったと記憶しています。

投稿: 海道 | 2009年6月 1日 (月) 12時56分

小学生から中学生にかけて、ディズニーの映画はよく見ました。アニメはもちろんですが「砂漠は生きている」などの記録映画も素晴らしかったと思います。総天然色には目を奪われましたね。
「小鹿のバンビ」と言うと、映画「仔鹿物語」も思い出します。あの頃はまさにアメリカ映画に育まれていました。今や日本もアニメ大国ですが、このデイズニーのアニメが大戦中の1942年に作られたとは、文化面でも日米間に大きな格差があったことを思い知らされます。
You Tubeを検索したら古賀さと子の「小鹿のバンビ」を発見、懐かしくて聞き惚れました。

投稿: 矢嶋武弘 | 2009年6月 2日 (火) 12時13分

楽しい童謡まで載せて頂き有難うございます。
一目惚れならぬ、一聞き惚れして娘が生まれて間もなく、第一号に買ったレコードがこれでした。その娘も早人生半ば、遠い懐かしさで一杯です。「みかんの花咲く丘」と共にこの名曲がもっと演奏されることを望んでおります。

投稿: k | 2009年6月17日 (水) 17時21分


 こんばんは。

 古賀さと子 が唄う 「小鹿のバンビ」 当時(昭和27年)のままの音源が手に入ります。
 コロムビアファミリークラブの通販(1995年発売)「甦る童謡歌手大全集(CD10枚組み)」です。Web検索すればヒットします。「月見草の花」にコメントしましたが、この全集は、大正時代の「本居みどり」から、芹洋子の「思い出のアルバム」まで、発表された当時のままの、オリジナル音源がふんだんに収められ、貴重な音源です。

投稿: こうちゃん | 2010年2月 7日 (日) 20時41分

この歌をビブラートがかった声で明るく歌う、童謡歌手の古賀さと子さんが、私は幼い頃から大好きでした!
近藤圭子さん・小鳩くるみさん・松島トモ子さんと並ぶ大スターで、よくラジオで聴いていた、小鹿のバンビ♪ママのおひざ♪南京ことば♪などは、今でもその頃を懐かしみながら、よく聴いています。
数年前、Wikipediaで、古賀さとこさんが、慢性肝炎の急変により、1996年に55才の若さで亡くなっていたと知りました。それまで、ご健在とばかり思っていたので、その時は大変ショックを受けました。
トレードマークの大きなリボンを髪に飾った、笑顔の古賀さとこさんのレコードジャケット写真を見ていると、私は今でも残念でなりません。

投稿: 芳勝 | 2018年2月19日 (月) 18時28分

私も子供の頃、童謡歌手の中で古賀さと子の声が一番好きでした。数年前に「古賀さと子ベストコレクション」5枚組を購入しました。一番聴きたかったのは「ピーコ・ポン太郎世界めぐり」の中のエスキモーの歌でした。ラジオでお聴きになった方もいらっしゃると思います。面白い歌です。(エスキモーは現在ではイヌイットです)
 エスキモーのあいさつ知ってる 知らないの
 頭をげんこでこつんとぶつと 泣いても頭をぶちかえす
 これがエスキモーのごあいさつ
 *チョイト 変ね  とってもへんだわ ウフフ
3番まであります。このほかにピーコポンの歌もあります。
毎週楽しみに聴いていました。亡くなられたのは知りませんでした。ラジオが楽しかった時代でしたね。

投稿: ハコベの花 | 2018年2月19日 (月) 20時09分

ハコベの花様が古賀さとこファンだと知り、それだけでも私は嬉しくなりました!
実は今日は、久しぶりに日本童謡史を読みながら、ペタコ・木の葉のお船・ヤン坊ニン坊トン坊・ピーコポンの歌などを聴いていました。そうしていると、当時まだ生まれてなかった私には無理な話なのですが、それでもS27年に放送されていたNHKこども劇場「ピーコポン太郎世界めぐり」のラジオ番組をリアルタイムで、聴いてみたかったと思ってしまいます。
ハコベの花様が2012年10月29日「十五夜お月さん」に投稿されたコメント~「今の私のお母さんは7番目のお母さん」~が、私の心に残っています。


投稿: 芳勝 | 2018年2月19日 (月) 22時53分

 先日 都城市に行ってきました。
友人は 6歳の女の子と4歳の男の子の二人のお孫さんを連れてホテルに来てくれました。
 二人とも 元気が良いので私たちはホテルの庭に出ました。庭に出ると二人は 鬼ゴッコをしたり、かくれんぼをしたり・・じっとしていません。明るく可愛らしく小鹿のバンビのようでした。
 友人は「おじさんの話をきいて」、「道路に出たら危ない」と 私と話をしながらも孫の動きから目を離しません。
 
 「お姉ちゃんは 大きくなったらどんな人になりたいですか」と尋ねたら、「保育士さ~ん」と答えてくれました。「どんな歌が好きですか」と聞いたら「パプリカ♬」という返事。弟は「ぼくもパプリカ」と同じ返事。
 
 私は草笛で「パプリカ」を吹けないので「小鹿のバンビ♬」を吹きました。草笛の不思議な音色を聞いた二人はパプリカダンスを始めました。
 シニアになって「生きがいは孫の成長」と言い切る友人の気持ちを理解できました。

投稿: けん | 2019年10月23日 (水) 22時06分

 パプリカは今の子ども達の間ではよく歌えるようです。私の孫も先日メールで送ってきました。  

投稿: 今でも青春 | 2019年10月24日 (木) 08時39分

「小鹿のバンビ」を聴くと、若かった頃を思い出します。

昭和40年代半ば、結婚して数年たった頃、念願の小型ステレオ装置を買いました。当時の音源は、ラジオ放送かレコードが主で、テープ・レコーダーが出始めた頃だったと思います。
私は、自分用に、欧米ポップス全集:「想い出のジュークボックス(HIT POPS IN MEMORY)」(レコード10枚物)を買い求めました。この全集には、今もよく聴く「谷間に三つの鐘が鳴る」、「ハイ・ヌーン」、「第三の男」などが収録されていました。
一方、子供用には、童謡・唱歌のレコード全集を買い求めました。このときの選択基準の一つは、古賀さと子さんが歌う「小鹿のバンビ」が入っていることでした。古賀さと子さんの歌声が素晴らしく、子供たちに是非聴かせたいと考えたのだと思います。
私自身、今も、「小鹿のバンビ」の歌詞1番は、諳んじて歌えます。

今では、子供たちは、50歳台。童謡・唱歌のレコード全集は、疾うに失われてしまいましたが、「想い出のジュークボックス」は、無事、手許に残っています。

投稿: yasushi | 2021年5月26日 (水) 13時36分

懐かしい童謡歌手古賀さとこさん 子鹿のバンビ 長い間童謡歌手の皆さんの消息は分かりませんでした、10年ぐらい前蘇る童謡歌手大全集が発売され 早速通販で買いました、私古賀さとこさんと同じ世代です まだまだ貧しい時代でしたピーコポン太郎 楽しみに聴いてました、古賀さんのペタ子 木の葉のお船 戦前の珍しい歌も聞けます、このような良い歌なぜ消えたのでしょう 子供も大人の歌を歌うようになったからですね、さとこさんが55才で亡くなられていたこともその時知りました。残念です、余分なことですが田端典子さんの花時計の歌、お星さまなどとても良い歌です。誰かテレビで歌ってくれないでしょうか
川田孝子さんなくなられましたね、お二人さんのご冥福お祈りいたします

投稿: 箏 | 2022年1月13日 (木) 19時17分

小鹿のバンビーはかわいいな~とメロデイーと共にでてきます。いい歌ですね。この作曲家の平岡照章は風雲黒潮丸を作った人だと最近知ってびっくりしました。
風運黒潮丸とはラジオドラマから人気が出て映画さらにテレビドラマと作られた小沢不二夫の冒険活劇です。関ヶ原の戦いで敗れた小西行長の遺子南原夢若丸が黒潮丸という船を作って海外に乗り出してゆくという話。小学校1年生でしたが、風雲黒潮丸という曲に魂を奪われてしまった。1番の歌詞はメロデイと共に今もしっかりおぼえているんですから。
歌詞は小沢不二夫が作りました。1番の歌詞です
黒潮騒ぐ海こえて 風にはためく三角帆
めざすは遠い夢の国 ルソン アンナン カンボジア
はるかオランダ イスパニア
面舵いっぱい おお おっ おっ おおお

ルソンはフイリピン、アンアンはベトナム、面舵(おもかじ)は右にかじを切ることです
映画もぜいたく品でしたから3部作のうち1作だけ見ることができました。大きな海を進むシーン、海賊との闘いのシーンが忘れられませんでした。
学校で勉強するようになって、山田長政、高山右近、阿倍仲麻呂など異国で客死した人には特に興味深く調べました。
それに私は現在アンナン国に住んでいますから幼い頃自分の魂に刻まれたものはほんとうに強いものだと思います。

投稿: 越村 南 | 2022年5月 6日 (金) 13時01分

 とても懐かしい歌です。昭和30年というと小5ごろ映画鑑賞で学校から観に行きました。映画館ならではの大音声の音楽や小鳥のさえずり、バンビが前足から順に立ち上がっていくシーンを今だに覚えています。それと最後の方の山火事を背景に立派な角を持った大人?(成獣)になったバンビが突き出した岩場に立っている姿を覚えています。
 『ライオン・キング』の岩場のシーンは『バンビ』のこのシーンから取っているのではと思っているのですが、どうなんでしょうね。小学校時代の映画鑑賞で映画館で見たのは総天然色の『バンビ』、『ダンボ』、白黒映画が『次郎物語』、浅丘ルリ子の『緑はるかに』で『鐘の鳴る丘は』は映画館で見たのか学校で見たのか覚えていません。

 越村さま、『風雲黒潮丸』懐かしいですねー。私も夢中でしたのでよく覚えています。最初の一行は記憶にないのですが、次のはよく覚えていて今だに歌えます。
   めざすは遠い夢の国 ルソン アンナン カンボジア
   はるかオランダ イスパニア
   面舵いっぱい おお おっ おっ おおお

 後年世界地図を広げて、ルソン アンナンはどこ?イスパニアはスペイン?と探したものです。山田長政も挿入絵つきの本を読み、馬ならぬ象に乗った長政の活躍ぶりに子供心にもワクワクしたものでした。この歳になって『風雲黒潮丸』に出会うなんて、思ってもみませんでした。ありがとうございました。


投稿: konoha | 2022年5月 7日 (土) 07時42分

ええっkonoha様、ご存知でしたかこの歌を。しかも夢中だったとか。ほんとにうれしい、あなたは人生の同志です。いやびっくりです。
「小鹿のバンビ」の細かいシーンまでよく覚えてますね、学校から見た映画の数々も。きっと、できる学生だったんでしょうね。
私も小中時代の映画テレビなら、「路傍の石」で意地になって鉄橋にぶら下がるシーン、吾一の気持ち、わかるような気がしました。その後担任の先生の「君の名前、吾一の意味は、吾は一人だ、この世でたった一人かけがえのない君なんだ、人生も一回きり、大事にしなくてはいけないよ」のお説教がよかった。
「次郎物語」もなんでこんなじいさん(作者の下村湖人のこと)にここまで細かい心理の動きがわかるんだろうと感心したことがあります。
「キューポラのある町」は全然わからず。川口は鋳物の街で、貧しいものには貧しいものだけが持つ豊かさがある、ぐらいはわかった。その時、吉永小百合は美人とは全然思わなかった。長い間アンチさゆりストでしたが、最近は美人だと思います、心から。
高校時代はリチャード・キンブル逃亡者に夢中。話の運びのうまさ、ジェラード警部の配置のうまさ、旅で会う人や家庭のかかえる喜び苦しみ、そして過ぎ去っていく1日1日。今もネットで見ていますよ、定年後の楽しみです。

投稿: 越村 南 | 2022年5月 7日 (土) 10時46分

懐かしい歌、みなさんのコメントに触発されました。小さいころ神戸三宮の阪急のビルの中に「ニュース映画館」という専門館があって、ニュースの他に総天然色のアニメが併映されていました。「バンビ」もあったかも。当時10円そこそこの料金だったと思いますが妹を連れて何度も行った記憶があります。日本のカラー映画は近所の映画館で見た「蛍の光」で若尾文子さん主演だったでしょうか。色とりどりの着物が印象的でした。
風雲黒潮丸、私はラジオの時代です。konohaさんのように私もいまでも歌えます。ジロリンタン物語や三太物語、新諸国物語など夕方のラジオにかじりついていました。ハコベの花さんのピーコポンピーコポンポンピーコポンも懐かしいですね。今でも耳から離れないのは「ホッテントット」という言葉で「頭に切手貼っていたら郵便屋さんがやってきてひょいと担いで行っちゃった」という歌詞です。あっていますかね。テレビが来てからは「バス通り裏」十朱さんが可愛いくて「小さな庭を真ん中に・・」も脳に沈み込んでいるひとつです。

投稿: しょうちゃん | 2022年5月15日 (日) 08時54分

  しょうちゃんさま、懐かしいラジオ番組で小5、6年頃を思い出します。我が家のラジオは低めのタンスの上にあり、それこそ私もラジオにしがみついて聞いていました。ラジオは映像がないだけに、どんなに子供達の想像力を逞ましくしたでしょうね。

 手塚治虫は『バンビ』の映画を何度も見に行ったと何かに書いていました。私の宝物の一つに手塚治虫と一緒に撮った写真があります。私が40代の頃です。

投稿: konoha | 2022年5月15日 (日) 13時38分

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