« ポーリュシカ・ポーレ | トップページ | 霧笛が俺を呼んでいる »

2009年6月29日 (月)

マギー若き日の歌を

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:G.W.ジョンソン、作曲:J.A.バターフィールド
日本語詞:堀内敬三

1 いにしえの春よ マギー
  思い出の路よ
  小川には水車 マギー
  林には小鳥
  紅の花や マギー
  さみどりの空や
  まぶたに浮かぶ マギー
  ありし日の姿
  (*)年は過ぎ今は マギー
     思い出はあせても
     歌おう声低く マギー
     若き日の歌を

2 山かげの町よ マギー
  思い出の町よ
  安らかな住居(すまい) マギー
  うるわしいちまた
  そよ風は渡り マギー
  朝日かげさして
  まぶたに浮かぶ マギー
  ありし日の姿
  (*繰り返す)

 When You and I Were Young, Maggie

1. I wandered today to the hill, Maggie,
   To watch the scene below:
   The creek and the creaking old mill, Maggie,
   As we used to, long ago.
   The green grove is gone from the hill, Maggie,
   Where first the daisies sprung;
   The creaking old mill is still, Maggie,
   Since you and I were young.
      (Chorus:)
       And now we are aged and grey, Maggie,
       And the trials of life nearly done,
       Let us sing of the days that are gone, Maggie,
       When you and I were young.

2. A city so silent and lone, Maggie,
   Where the young, and the gay, and the best,
   In polished white mansions of stone, Maggie,
   Have each found a place of rest,
   Is built where the birds used to play, Maggie,
   And join in the songs that we sung;
   For we sang as lovely as they, Maggie,
   When you and I were young.
      (Chorus:)

3. They say that I'm feeble with age, Maggie,
   My steps are less sprightly than then,
   My face is a well-written page, Maggie,
   And time alone was the pen.
   They say we are aged and grey, Maggie,
   As sprays by the white breakers flung,
   But to me you're as fair as you were, Maggie,
   When you and I were young.
      (Chorus:)

《蛇足》 原詩を読み、さらにメロディを聴くと、気持ちよく歳を重ねてきた老夫婦が若き日々を回想している歌のように思えます。設定はそのとおりですが、この歌には、実は哀切な物語が秘められています。

 1859年のこと、ひとりの青年がカナダ・ハミルトンの町にやってきました。ジョージ・ワシントン・ジョンソンという20歳の青年で、ハミルトンのグランフォード地区で教えるためでした。

 ハミルトンはオンタリオ湖の西南岸に広がる町で、今でこそ人口70万人以上の大都市になっていますが、当時は中心部に小さな市街地があるだけのひなびた町でした。グランフォードは、その中心部からはさらに離れたところにありました。上の写真は1859年のハミルトンの町です。

Hamilton 

 ジョンソンは教員資格を得たばかりで、初めての赴任校がこの地区の中央学校(Central School)でした。中等程度の教育を施す学校でしたが、学制が確立する前の時代だったため、生徒たちの年齢はまちまちでした。

 そのなかにマーガレット・クラーク、愛称をマギーという女生徒がいました。年齢はジョンソンより3歳下の17歳。物静かで、眼のきれいな女性だったといいます。
 ジョンソンは一目で彼女に惹かれ、マギーもそれに応えて、2人は恋に落ちます。

 やがて2人は婚約に至りますが、そのときすでに、マギーの胸は結核に冒されていました。病と闘いつつも、2人はさらに愛を深めていきます。

 あるとき、マギーはついに重態に陥ります。打ちのめされたジョンソンは、2人でよく散歩した岡に登りました。
 ハミルトンは、中央部を走るナイアガラ断崖によって高地と平地とに分断され、高地を流れるナイアガラ川の分流によって、いくつかの滝ができています。
 そのうちの1つ、アルビオン滝のかたわらに、製粉を行う水車小屋がありました。そのあたりは2人がとりわけ好きな場所でした。
 そこでジョンソンが作ったのが、この『When You and I Were Young, Maggie』でした。

 1864年、ジョンソンは『カエデの葉』(Maple Leaves)という詩集を刊行しました。そのなかに、この詩も収められました。

 マギーはかろうじて危機を脱し、2人は1864年10月21日に結婚しました。
 しかし、そのわずか7か月後、1865年5月12日にマギーは亡くなってしまいます。わずか23年の生涯でした。遺体は、グランフォードのホワイト・チャーチの墓地に眠っています。

 マギーが亡くなったあと、ジョンソンはクリーヴランドに移って新聞記者になり、その後トロント大学で言語学の教授を務めました。
 晩年はアメリカ・カリフォルニア州のパサデナで過ごし、1917年1月2日に亡くなりました。遺言によって、遺体はハミルトンの墓地に埋葬されました。

 1937年、地元の歴史家協会によって、ジョンソンの記念碑がハミルトンのロックガーデンに建てられました。
 1963年には、マギーが子ども時代を送った家に記念のプレートがつけられましたが、その家が取り壊されたため、プレートは地元の博物館に移されました。
 さらに2005年5月、ジョンソンのカナダ音楽殿堂入りが決定されました。音楽殿堂は、すぐれた作詞家・作曲家を称える施設です。

Gwjohnson   Maggie 
  G.W.Johnson(1839-1917)        Maggie Clark(1842-1865)

 ジョンソンの詩集刊行後、『When You and I Were Young, Maggie』は、イギリス生まれの若いミュージシャン、ジェームズ・オースティン・バターフィールドの目にとまり、彼をいたく感動させました。
 オースティンは、それに曲をつけ、1866年に発表したところ、たちまち大評判になりました。カナダやアメリカの各地で数え切れないほどの回数演奏されたといいます。

 レコード化は、C.モーガンとF.C.スタンリーが1905年に吹き込んだものが最初。これが発売されるや、この歌は世界に知られ、さまざまなジャンルの歌手によって歌われるようになりました。
 オペラ歌手のジョン・マコーマ
ックやエンリコ・カルーソー、カントリーのフィドリン・ジョン・カースン、ブルーグラスのスタンリー・ブラザーズやマック・ワイズマン、ポピュラーのぺリー・コモやヘンリー・バーなどが歌い、インストルメンタルでは、ベニー・グッドマンはじめ、多くの演奏家・ビッグバンドが演奏しています。

 1983年、アイルランドのデュオ、フォスター&アレンが歌って、全英シングル・チャート27位になったため、この歌をアイルランドの歌と思っている人が多いようです。たしかに、メロディにはアイルランド音楽の特徴が見られます。

 原詩の意味を書いておきましょう。

1 ぼくは今日、あの岡への道をたどってきたよ、マギー。
  小川とキーキー回る古い水車を見るためさ、マギー。
  ずっと昔、ぼくらがよくそうしたようにね。
  あの岡から緑の木立は消えていたよ、マギー。
  デイジーが真っ先に萌え出たあの岡さ。
  でも、キーキー回る古い水車は元のままだったよ、マギー。
  きみとぼくが若かったころから変わらずにね。
  (合唱)ぼくらは年をとり、白髪になったね、マギー。
       天に召されるときもそう遠くはないだろう。
       過ぎ去った日々のことを歌おうよ、マギー。
       きみとぼくが若かったころを。

2 町はとても静かで、ひっそりしている、マギー。
  そこでは若い人たちも、陽気な人たちも、善き人たちも
  磨き上げられた石の館に、
  それぞれに安らぎの場所を見いだしているんだ、マギー。
  町は小鳥たちがよく遊んでいた場所に建っている、マギー。
  小鳥たちはぼくらの歌に乗ってきたものだったね。
  ぼくらが小鳥たちと同じようにかわいらしく歌ったからね、マギー。
  きみとぼくが若かったころには。
  (合唱)

3 みんなはぼくが年とともに弱ってきたといっているよ、マギー。
  足取りがあの頃より重くなったってね。
  ぼくの顔は名作小説の1ページのようさ、マギー。
  それを書いたのは時間というペンだけだよ。
  ぼくらは年をとり、白髪になったとみんないってるよ、マギー。
  岸打つ白波のような白髪にね。
  だけど、ぼくにとってきみは昔のままにすてきだよ、マギー。
  きみとぼくが若かったころのようにね。
  (合唱)

 ジョンソンは、最愛の人を失うかもしれないと恐れながらも、もし2人いっしょに年をとっていけたら、いずれの日にか、こんなふうにマギーに話しかけているだろう、と思いながらこの詩を書いたのでしょう。
 2番の「町」は墓地の、「石の館」は墓石のアレゴリー。マギーが病を乗り越えて、共白髪になり、2人とも天に召されたのちのことを想像しているのだと思われます。

 なお、歌詞にはいくつかの異本があります。たとえば、ペリー・コモなどは1番を次のように歌っているようです。

I wandered today to the hill, Maggie
To watch the scene below
The creek and the rusty old mill, Maggie
Where we sat in the long, long ago.
The green grove is gone from the hill, Maggie
Where first the daisies sprung
The old rusty mill is still, Maggie
Since you and I were young.

(二木紘三)

« ポーリュシカ・ポーレ | トップページ | 霧笛が俺を呼んでいる »

コメント

中学の頃覚えた懐かしい曲です。
このような秘話があったとは、少しも知りませんでした。
ジョンソンがまだ若く、マギーが生存中に書かれたと聞けば不思議な気がしますが、ジョンソンの強い願望だったのでしょうか。

投稿: 周坊 | 2009年7月 1日 (水) 17時08分

 格調高い詩と曲と。何となくアイルランド民謡の『春の日の花と輝く』が想い起こされました。じっくり聴いていると、「肉体死すとも魂は永遠なり」というメッセージが伝わってくるようです。

投稿: Lemuria | 2009年7月 2日 (木) 22時37分

はるか昔まだTVのなかった頃NHKのラジオ歌謡でこの曲が流れていました。
何ときれいな曲だろうと思いNHKから楽譜を送って貰いました。
姉のピアノで夢中になって歌い我が家のレパートリーになりました。
フォスターの曲にも通じる甘くやさしい調べ。
NHKの放送では「マギーやお互いに若かった頃」という題でした。
歳を重ねるとしみじみ良さがわかってくる唄です。

投稿: さくら | 2009年7月30日 (木) 16時03分

1958年、18歳のとき、受験浪人として西荻窪に下宿していたころ、ラジオからエノケンの歌う哀切な調べが流れてきて、良い歌だなあと感動しました。古本屋で買ってきた世界名曲集を片端から調べて、それがこの歌だということを知り、それ以来の愛唱歌です。
一昨年、急性大動脈解離で緊急手術を受け、九死に一生を得たのを機にHOMEPAGEをつくり、若いころの思い出を書き残すことにしましたので、この曲をリンクさせていただきました。

投稿: 関口益照 | 2010年7月25日 (日) 04時07分

二木先生
 はじめてメールいたします。先週の日曜日の21日に東京から高崎市のシティギャラリーで行われた柳沢真一さんのジャズのショウをわざわざ見に行ってきました。そのショウの選曲の中に「マギーの若かった頃」があり7人編成のバンドの方たちの熱の入った演奏にかって聞いた素晴らしい曲を思い出した次第です。帰宅して二木先生のホームページを開いて改めて歌詞とメロディに接することが出来ました。しかもG.W.ジョンソンがあの詩を作った経過を細かく詳述されていて彼の人となりが良く判りました。
 そして如何に多くのプロ歌手がこの歌を歌っているのも判りました。
勿論、詩に加えメロディの素晴らしさ(バターフィールドにも感謝)も相まって多くのプロが歌いつないで来たのだと思います。この歌を自分であらためて歌いながら心の安らぎと幸せを感じています。本当に有難う
ございました。一言お伝えしたくメールした次第です。
                           YOJI

投稿: 石田 羊二 | 2010年11月28日 (日) 14時18分

旋律も日本語詞も好きですが、ご解説、とりわけ二木先生がお書きになった「原詩の意味」に心を魅かれます。とても美しく優しくて…涙を抑える事ができません。かつて長い闘病を経て命の終わりに近付いた人が、時空を超えた何かを視ていると、そばに居て感じたことがありました。最愛の人を失う悲しみを、このような詩に昇華させたジョンソンに深い感動を覚えます。

投稿: 眠り草 | 2011年6月20日 (月) 23時34分

この歌でグッと胸に来ますのは、Where first the daisies sprung「デイジーが真っ先に萌え出たあの岡さ(二木先生訳)」の所です。寒い国は春が待ち遠しく、二人で岡への道を何度か歩きながら春を待ち、ある日来てみると花の群落が二人を迎えてくれた、きれいだね、きれいだったね、と二人だけの大切な思い出となったと思います。「あの岡から緑の木立は消えていたよ」に、儚いかもしれぬ二人の運命への思いが込められ、失われた花の景色の幻影が、二人の思い出を一層美しくいとおしく尊くしていると感じました。
Youtube に、ギターを持ったおじさんが、マギーさんの墓石に花をたむけて墓石のそばでこの歌を歌うのがありました。マギーさんはこの曲を聞かずに亡くなったのではと思うので、お聞かせするのは良いことと思いました。

投稿: kazu | 2022年6月18日 (土) 20時44分

この曲を初めて聴いたのは、今から40年くらい前、ロジェーワーグナー合唱団が、アイルランドの民謡を歌っていた歌曲集をレコードで買った時です。
アニーローリー、春の日の花と輝く、等きれいな美しいアイルランドの民謡をたくさん聴くことができました。
その時は、詳細な曲の経緯は記載がなかったと記憶しています。
二木先生ご紹介のこの曲の悲話に接して、涙が出てしまいます。
きれいなメロディー、上品なメロディー、曲の題名だけですと、春の日の花と輝く、と同じように受け止めがちですが、このような悲話があったことは初めて知りました。
アイルランドの民謡は本当に素晴らしい曲が多々あります。
すっと後世に伝えていきたいと思います。

投稿: カトレア | 2023年7月 2日 (日) 09時20分

 私はこの曲を知りませんでした。たまたまこの欄の二木先生の解説を見て感動しました。人が一番きれいな心で感動する一つは、若き日の恋心の純情だと思います。このことを強く感じるのは、若き日と老年になった時だと思います。

投稿: 吟二 | 2023年7月 2日 (日) 21時38分

こんなすばらしい曲があったのか、そして平安な日常の幸せを静かにうたった歌詞もいいですね。また<蛇足>の二木先生の文章のなんと情熱的なことか。初めて知ったページですが、しばらくは時がたつのを忘れて感動しました。
愛するマギーとの結婚生活はわずか7か月だったけど、そのまま共に生き続けたとして亡き妻に言葉を呼びかけるという詩の構想がすごいです。
ドルーリー朱瑛里、皆さんご存知ですか。今年の1月に全国女子駅伝で区間新記録をマークし、17人抜きをやった女子中学生ですが、今は津山高校の生徒。お父さんがカナダ人、お母さんが日本人です。清潔でさっぱりした性格が顔に出ています。私はファンです。ジョンソンが夢中になったというマギーという女性のイメージを、勝手ながらカナダつながりで、彼女を通じて理解したいと思っています。

投稿: 越村 南 | 2023年7月 3日 (月) 10時20分

二木オーケストラ演奏で、この歌を聴いてみました。初めて聴く歌でした。
何故か懐かしさを誘われる美しいメロディ、と感じました。

前にLemuria様、カトレア様が、アイルランド民謡『春の日の花と輝く』と関連付けてコメントされていますが、歌詞を眺めますと、確かに、ある繋がりが見えてくるように思います。私見ではありますが、…。
『春の日の花と輝く』では、 
 ♪春の日の花と輝く
   うるわしき姿の
   いつしかにあせてうつろう
   世の冬は来るとも
   わが心は変わる日なく…♪
と、青春のさなかに身を置いて、いずれやってくる老境おいても、変わることなくあなたを愛する、と謳っているのに対して、
『マギー若き日の歌を』では、
 ♪いにしえの春よ マギー
   思い出の路よ
   ・・・
   まぶたに浮かぶ マギー
   ありし日の姿 ♪
と、老境に身を置いて、過ぎ去った青春時代を思い出して、今も変わることなくあなたを愛している、と謳っています。
時は移ろうもの。『春の日の花と輝く』の若い主人公も、いずれ、年月を経て老境に達し、青春の日々を思い出し、連れ合い(今は亡き)に”今も愛しているよ”と謳う、というストーリーが描けるように思うのです。
このように思い描きますと、この歌がますます好きになりそうです。

投稿: yasushi | 2023年7月 5日 (水) 15時20分

原詩は2番になると、1番の丘の話が途切れるように感じていたのですが、よく味わいますと、丘を歩きながら二人が歌を歌ったら小鳥たちが唱和してくれた、その思い出の場所に一緒に眠りたい、と言っているのですね。そして3番の「足取りがあの頃より重くなった」も、その丘を登りくだりする様子なのですね。丘への思いのこもった詩だという気持ちが増します。

投稿: kazu | 2024年6月 6日 (木) 07時51分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« ポーリュシカ・ポーレ | トップページ | 霧笛が俺を呼んでいる »