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2009年7月 7日 (火)

霧笛が俺を呼んでいる

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:水木かおる、作曲:藤原秀行、唄:赤木圭一郎

1 霧の波止場に 帰って来たが
  待っていたのは 悲しいうわさ
  波がさらった 港の夢を
  むせび泣くよに 岬のはずれ
  霧笛が俺を 呼んでいる

2 さびた錨に からんで咲いた
  浜の夕顔 いとしい笑顔
  きっと生きてる どこかの町で
  探しあぐねて 渚に立てば
  霧笛が俺を 呼んでいる

3 船の灯りに 背中を向けて
  沖を見つめる 淋しいかもめ
  海で育った 船乗りならば
  海へ帰れと せかせるように
  霧笛が俺を 呼んでいる

《蛇足》 昭和35年(1960)の日活映画『霧笛が俺を呼んでいる』(山崎徳次郎監督)の主題歌。
 歌ったのは主演の赤木圭一郎。共演は芦川いづみで、吉永小百合も主人公の友人の妹役で出ています。
 映画には、船員、船、波止場、酒場、麻薬取引、拳銃、刑事と、日活アクション映画おなじみのアイテムが取りそろえられています。

 赤木圭一郎は日活第4期ニューフェイスとして入社、何本か準主役を務めたあと、石原裕次郎、小林旭に続く「第三の男」として売り出しました。ハリウッド俳優トニー・カーチスに似ていたことから、トニーの愛称で親しまれ、急激に人気を高めました。

 しかし、昭和36年(1961)2月14日、撮影の合間に乗ったゴーカートで運転を誤って鉄扉に激突、救急車で病院に運ばれ、一時持ち直したものの、結局1週間後の21日亡くなりました。21歳でした。

 容貌と体躯に恵まれていましたが、どこか寂しそうな影があり、日活の無国籍アクションには合っていなかったと思います。別の映画会社なら、名作路線に乗れた可能性もありますが、夭折という運命は変わらなかったかもしれません。

(二木紘三)

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コメント

赤木圭一郎の唯一にして未だ衰えぬヒット曲… 私は今でもカラオケでよく歌います。裕次郎がとても可愛がっていたそうですね。

昔、目白の千歳橋に近い我が家の横に日活のロケ隊が来まして、電源を貸してあげました。2階から見ていたら、ハンガーをギターに見立てていきがっている男がいました。「殺し屋ジョー」こと宍戸錠でした。その横に、上下黒い服で小道具さんかなと思った地味だがいい男がいました。よくみると赤木圭一郎でした。更によく見ると、細身ながらがっしりとした体躯で、なんともかっこいいのです。それからファンになりました。撮影所内でのゴーカートによる衝突事故は、当時のジェームスディーンの死とオーバーラップして、いつまでも忘れられない俳優となりました。

投稿: 吟二 | 2009年7月 8日 (水) 10時34分

 弱冠二十歳くらいの若者がこのような哀愁漂う大人の歌を歌ったとは。驚きです。かくも深みのある名曲を歌えただけで、赤木圭一郎は幸せ者だったと言うべきです。
 「神々の愛(め)でにし者は夭折する」とは西洋の誰かの言葉です。ジェームス・ディーンも赤木圭一郎も、夭折によって永遠の青春性を獲得したと言えないでしょうか。

投稿: Lemuria | 2009年7月 9日 (木) 23時59分

 赤木圭一郎の歌はヘタくそでしたので、当時は誰にでも歌いやすく、友達もよく歌っていました。
 「明日なき男」もかなり流行っていましたが、カラオケにはこの「霧笛が俺を呼んでいる」1曲しか入っていませんので、カラオケでこの歌はよく歌っています。団塊世代以降の人は余り知らないようで、珍しがられます。
 この頃の日活は本歌とりの面白さが売り物で、この映画は「第三の男」の焼き直しであり、ラストシーンは「第三の男」のシーンを「霧の波止場」に置き換えたものでした。芦川いずみが相手役で、吉永小百合も赤木圭一郎作品出演第3作目でした。

投稿: トニー | 2009年7月27日 (月) 17時30分

もう4,5年前になりますが、このサイトがmidi歌声喫茶といっていたころ、ある歌謡曲のある音が覚えていたのと違うような気がして、二木先生にメールを出しました。(当時はコメント投稿欄はありませんでした)私は音符がわからないので、歌詞のこの言葉あたりが気になりますと書きました。するとすぐ先生から「シャープをつけ忘れていた、よい耳をお持ちですね、また変な音があったらお知らせください」と丁重な返事が来て恐縮しました。
みなさん、二木先生もミスをします。大量の曲と文章をひとりで作っているのですから、多少のミスは当たり前。音でも文字でも気がついたら、メールでお知らせして、このサイトをどんどん充実させていきましょう。こういうサイトがあるおかげで、私たち高齢者?も楽しめるし、若い人たちに昔の歌の良さを知ってもらう機会にもなるんですから。

投稿: カツヤ | 2009年8月21日 (金) 00時10分

私は先生と郷里が同じなので、県人会の会報に先生の解説(蛇足)を使わせて欲しい旨御伺いしたら、出典を明確にして「どうぞ」と返事を戴きました。仲間にはこのような素晴らしいサイトにアクセス出来ない人が沢山おられるので。

投稿: 海道 | 2009年8月23日 (日) 07時44分

まるこの俳句の管理人です
赤木圭一郎さんは高校の時、テレビで拝見して
すごく強烈な魅力のとりこになりました。
石原裕次郎さんも魅力ありますが、トニーはまた
違った魅力で私の体にしみこんできます
チカちゃんと家族の間では呼ばれていたそうですね。ずいぶんプロマイドあつめましたが 今は整理して手元にはありませんが いつか鎌倉のトニのお墓に行ってみたいと思っています

投稿: まるこ | 2009年10月12日 (月) 08時53分

赤木圭一郎は日活の看板スターでありながら、生前よりも死後に人気が出て来た稀有な俳優でした。日本人離れしたマスクと、アメリカ俳優トニー・カーチスに似ていると言うので、トニーと愛称されていましたが、ゴーカートによる衝撃的事故で若い命を自ら絶ってしまいました。惜しい俳優でしたね。かれには、人気スターになる要素はいくつかあったのでしょうが、ちょっとした表情や何気ない仕草の一つ一つに見られる、あの寂しげな影はかれをスターダムに押し上げるにはむしろマイナスに作用していたように思われます。これはかれを知っている友人から聞いた、かれが俳優になる前の話です。かれの夢は‘船乗り’になりたかった。しかし家人が反対するので、横浜港から密航を計画したが、幸か不幸か予定していた密航船に乗り遅れてしまったというんです。実際は、乗り遅れなくても計画が成功したとも思えませんが、このエピソードは、かれが根っからのロマンチストだったことを彷彿とさせます。誰からも、何物にも縛られない自由人になりたかたんですね。事の成り行きで俳優にはなったけれども、それはかれの本意ではなかったんでしょう。かれの寂しげな影は、おそらくそこに由来するのではないでしょうか。

 老婆心ながら一言。鎌倉の長勝寺にあるお墓は、実は慰霊碑で、静岡県富士宮市上条の日蓮正宗総本山大石(たいせき)寺にあるのが、実際のお墓です。誤解されているファンが多いようですが、長勝寺の慰霊碑もなかなか立派なもので、献花が耐えないようです。

投稿: ひろし | 2009年10月12日 (月) 14時32分

♪霧笛が俺を呼んでいる♪…日活映画の主題歌でした。ラストシーンの波止場の別れ。芦川いづみさんと赤木圭一郎さんの別れの台詞の遣り取り。そのBGMで流れてました。最後の「終」のテロップが出るまで…でした、確か。なんか、切なく哀愁が漂ったラストがよかったのを憶えております。今の映画には、こうした感情を与える映画が少ないようです。
 さて、この映画、残念ながら映画館ではなく、テレビ放映で観せて戴きました。金子信雄さんの悪役も印象的でした。赤木さんは和製ジェームス・ディーンの感が強かったですね。どちらも早逝されたのが残念です。

投稿: 水本爽涼 | 2009年10月17日 (土) 22時08分

追伸

 前の投稿ですが、キャスト表を調べてみますと、共演の悪役さんは西村晃さんだったようです。私の記憶では、金子信雄さんだったのですが、どうも勘違いしておったようです。早計の至りで、誠に申し訳ございません。改めて、訂正させて戴きます。たぶん、同時期に観た金子さんが御出演されていた他の作品と混同したのでしょう。

投稿: 水本爽涼 | 2009年12月 8日 (火) 21時38分

 昨年末、55歳で早期退職し故郷の瀬戸内海の小島に帰った会社の後輩が久しぶりに来阪し、スナックで飲んでいたときのエピソードです。
 私がこの「霧笛が俺を呼んでいる」を歌い終わったとき、来店したオッさん2人組の騒々しい一人が、したり顔で「赤木圭一郎が生きていたら日活は潰れていなかた・・・云々」と解説していましたが、思わずオッさんの薀蓄に苦笑を禁じえませんでした。

「俺に『こいつはたいへんなライバルになるな』と脅威を感じさせたのは、後にも先にもこの赤木圭一郎ただ一人。俺にとって裕次郎は、俗に言われているようなライバルではなかった。彼には彼の世界があり、俺にも俺の世界があったから、競争意識を持つ必要など何もなかった。
 赤木があのまま一人前になっていたら、日活の二枚看板は「裕次郎・赤木」になっていたろうね。返す返すも惜しい人材を失くしたよ。赤木が生きていたら、日活の低迷なんてのもなかったかもしれない。日本映画の斜陽化を踏み止まらせたかもしれない。」・・・・「さすらい」(新潮文庫・105ページ)

 「しかし現実には、たとえ赤木圭一郎が生きていたとしても、日活の低迷の時期をわずかに遅らせただけだっただろう。まして『日本映画の斜陽化を踏み止まらせ』ることなど望むべくもなかったはずだ。」・・・・関川夏央「昭和が明るかった頃」(文春文庫・142ページ)・・・・というのが、客観的な見方だと思いますが。
 オッさんは上記の旭君の著書(と称する)を読んだのか?それともそれを読んだ人から聞いたのか?受け売り(?)のウンチクはひけらかすものではないと自戒した次第です。

投稿: 考古学者 | 2010年1月30日 (土) 21時29分

私はこの歌については特に繋がる想い出はないのですが、動画でみる赤木圭一朗のかっこいい容姿と、上手くはないが彼独特の歌いかたに魅了されるのです。
この歌詞で”待っていたのは悲しい噂”とは主人公(赤木)が航海中に、好きな女が他の男に取られたのかと想っていました。ところが”過っての親友が行方不明になったことが、悲しい噂”だと他ブログで知らされ私の想いを全く否定されて妙な気持ちでこのコメントを書きました。
尚、二木先生の言われる”夭逝という運命は変わらなかった”には私も同感します。人の運命は修正はできるが生まれたときに殆ど決まっているような気がします。

投稿: 黒原大雲 | 2010年5月25日 (火) 22時09分

水本さんへ
「霧笛が俺を呼んでいる」西村晃さんは、刑事役です。
悪役は、二本柳寛・内田良平 等です。

投稿: カモメ | 2012年10月17日 (水) 22時24分

 カモメさんへ

 記憶違いの様でございます。誠に申し訳ございませんでした。

投稿: 水本爽涼 | 2014年9月16日 (火) 21時14分

彼は赤木圭一郎が大好きでした。
潤んだ美声でよく歌ってくれたものです。
同じコンビによる「旅路」という歌が特に好きでした。
二木先生に「旅路」の演奏をして頂けたらうれしいです。

家庭の事情で5人の姉達は私との結婚を未だ若いとの理由で反対。
やるせなさを「旅路」の歌に託していたことに今思い当たりました。
(放蕩な長男に見切りをつけて弟には姉たちの眼鏡に適った嫁をと画策していた)

旅路
ひとりで歩む道の淋しさ
長いいのちの旅路を君とともにたどろう
青い 青い 青い あの月見れば
あつい あつい あつい泪溢れる

今でも哀愁を含んだ歌声が蘇ります。
紆余曲折を経て結婚にこぎつけました。
後年、諸々のよそ見は姉たちの軋轢を忘れるためであった「こころはお前ひとりのものだった」と言ってくれたのも今は只々懐かしい。

長い命の旅路を全うすることなく定年間もなくして遠い国へ旅立ってしまいました。
このように偲ぶ場のあることに感謝しております。

投稿: りんご | 2015年12月14日 (月) 19時05分

在阪民放制作人気番組『探偵ナイトスクープ』は、「寝てないと言い張る父親」(麒麟田村:コタツでうたた寝しても寝てないと言い張る父親)、「ざ行が発音できない母」(桂小枝:兵庫西脇の主婦が孫の名前“禅”を“でん”でなく“ぜん”と発音できるよう悪戦苦闘)…など“名作”揃いで、下手なドラマ視るより面白い今日この頃です(個人的な感想)。
10年近く前の放送「カラオケで高得点を出す人の正体」は、登録名“沓掛時次郎”(関西弁60代)がカラオケランキングバトル(曲別全国ランキングをリアルタイム表示するコンテンツ)で唄う度に、“新小岩ブルー山田”(東京60代)が必ず3位内に入るので、“飯田の演歌王”(長野50代)とともに東京のスナックを訪ね、“新小岩ブルー山田”が『霧笛が俺を呼んでいる』で99点台を出し、大盛り上がりしたという企画でした。歌好きカラオケ好きに悪人はいないという典型です。

投稿: 焼酎百代 | 2016年6月 8日 (水) 18時49分

戦前生まれには懐かしい『霧笛が俺を呼んでいる』は最近どこでも滅多に聴くことがない曲ですが、赤木圭一郎と共演の芦川いずみは、昭和39年公開日活映画「若草物語」では4姉妹:浅丘ルリ子・吉永小百合・和泉雅子の長女の役どころでした。
昭和34年「ミュンヘン日本映画見本市」には、東映大川恵子、東宝司葉子、大映若尾文子、松竹小山明子、日活芦川いずみ、新東宝大空真弓、当時のトップ女優が勢ぞろいという華やかさでした(Wikipedia)。キョウビ、舌足らず演技の女の子も女優呼ばわりする風潮からは考えられない豪華女優陣です。

投稿: 焼酎百代 | 2016年9月27日 (火) 14時41分

芦川いずみさん、綺麗だなぁって思ってました。
中学生の頃、従兄の家で明星って本で見たのかなぁ。
僕よりも14才も年上だとは知らなかった。
可愛らしかったもの・・・。

投稿: yoko | 2016年9月28日 (水) 16時32分

ブログを引っ越しまして、URLが変わったのを、ついそのままにし、見落としておりました。改めて再掲させていただきます。拙いブログの数々ではございますが、またお暇な折り、お寄りくださいますように…。

投稿: 水本爽涼 | 2017年7月 2日 (日) 01時48分

昭和35年から36年にかけて、我が家の長男は私の田舎の古い映画館で映写機の操作をする仕事に就いていました。そんなこともあり、幼い頃から遊ぶ相手の少なかった私は、淋しくなると、その映画館に行き、裏口から映写室に入り、兄のはからいで、無料で頻繁に映画を見させてもらっていました。
赤城圭一郎が事故死してからは、彼の映画が何本も上映された時期があり、それをいつも見ているうちに赤城圭一郎ファンになりました。霧笛が俺を呼んでいるを見た時は、共演されていた芦川いずみの素敵な姿が強く印象に残りました。不敵に笑う男、錆びた鎖など、どの作品も好きな映画ばかりなんですが、共演された女優さんの中では笹森礼子が大好きでした。あの綺麗な瞳の彼女が目の不自由な役を演じた、紅の拳銃は特に好きで、走る列車の中で赤城圭一郎と笹森礼子のセリフがなく、二人が顔の表情とたたずまいだけで演技をする別れのラストシーンは最高でした。その映画の主題歌 追憶(おもいで)も大好きでした。後年日活ビデオシリーズで発売になった時には彼の作品は全作品購入し、大切にしています。
早いもので、トニーが逝ってからもう56年の月日が流れたんですね。


投稿: 芳勝 | 2017年11月21日 (火) 17時03分

故鶴岡一人南海ホークス監督の名言(タラは北の海にしかいない)でないですが、もし赤木圭一郎が事故死しなかっタラ、大スターになっていた可能性もあった日活ホープでした。芸能評論家でもない単なる一介の庶民が大口叩いて失礼しました。
↓赤木圭一郎と吉永小百合嬢の共演シーン
http://www.youtube.com/watch?v=aiekjLzZ7kI

投稿: 焼酎 | 2017年11月21日 (火) 18時10分

焼酎様

ご提供の動画懐かしく拝見させて頂きました!

本当にありがとうございました。

投稿: 芳勝 | 2017年11月21日 (火) 18時51分

昭和35年・・・私が、社会人の仲間となった翌年のこと、本当に懐かしいですね!
映画そのものは観ていませんが、焼酎さまご提供の動画を拝見し、赤木圭一郎・吉永小百合の若々しいお二人の姿に接し、私自身の青春時代を想い出しました。
ありがとうございました。

投稿: 一章 | 2017年11月21日 (火) 20時08分

連続投稿で失礼します。
芳勝様と一章様には、赤木圭一郎と吉永小百合嬢(撮影当時15歳)の動画を楽しんで頂けたようで幸いです。
作曲の藤原秀行は西田佐知子のヒット曲(アカシアの雨がやむ時、エリカの花散る時、東京ブルース)が多いですが、音楽ド素人なりに「霧笛が俺を呼んでいる」はブルース調が赤木圭一郎にピッタリでないかと独断しています。

投稿: 焼酎 | 2017年11月21日 (火) 21時23分

おはようございます。
焼酎様
 夕べは焼酎様提供の動画を繰り返し
拝見いたしました。
今朝はストーブ二基を稼働してもなお寒く
部屋が温まるまで二木先生の「霧笛が俺を呼んでいる」
を聴きつつ芳勝様、一章さま、焼酎様のコメントを
再読しております。ぶっきらぼうに寂しげに歌う姿が
故人に繋がり不意に涙が込み上げました。
仏壇にはお経代わりに赤木圭一郎のカセットを供えています。青春の思い出には綺麗な涙を誘われます。
これから気持ちを立て直して小学校の朝読みに出かけます。今朝は5年生なので  イタリアのアミーチス原作
「クオレ愛の学校」から「あらそい」の紙芝居を演じます。はじめてクオレに感動した15歳の少女に戻れます。
皆様も良い一日でありますように。

投稿: 林檎畑 | 2017年11月22日 (水) 07時46分

名前の確認漏れで林檎畑となりました。
手も強張っており  変換も私に似てせっかち、先読みで
林檎畑となりました。
今朝の出がけは霜取りに苦労しました。
もう5分早く出るべきでした。
青春の余韻に浸り遅れました。
帰宅してから周辺をみたら桶に初氷がかなり厚く張ってました。
本題から外れるが  紙芝居  もう一題は
浜田広助の「ある島のきつね」を演じました。
彼の作品では「泣いた赤鬼」「ムクドリの夢」「竜の目の涙」などが有名だが、広助本人は「ある島のきつね」が最も好きであったそうです。何ともほのぼのとした浜田広助の精神が偲ばれる作品です。

投稿: りんご | 2017年11月22日 (水) 10時15分

たびたび失礼します。
芳勝様、一章様、林檎畑様から“焼酎提供動画”拝見のコメント頂戴しましたが、“提供”はおこがましい話で(笑)単にネットから動画を拾ってきただけです。
「赤木吉永動画」の提供者(作成者)は皆さん御存知の通り動画下に出ているSayuri Y.fanという人ですが、そのお陰で赤木圭一郎と吉永小百合の共演シーンなど楽しめるわけで昭和と比較すれば隔世の感です。

投稿: 焼酎 | 2017年11月22日 (水) 23時06分

焼酎様の仰るとおりで、インターネットの進化により,動画に関しても私達のこれが見たいという願望が随分と叶うようになりましたね!とても有難いです。
この赤木圭一郎と吉永小百合のスポーツカーでのシーンですが、数年前、小百合さんの自叙伝の本を読んだ時ですが、赤木さんはスポーツカーを動かす時に、緊張したみたいで何度かエンストさせていたんですよと語られていました。
赤木さんと初共演した電光石火の男の時はウエイトレスの役で、コーヒーを出すシーンの時、スターだった赤木さんを前にして緊張で何度やっても手が震えてしまって大変だったとも語られています。
吉永小百合の映画を初めて見たのは、キューポラのある街ですが、その後何作か見て、愛と死を見つめてを見た時から、サユリストになった気がします。
いつでも夢をの映画で、町医者の娘役ピカちゃんを演じた時の健康的な吉永小百合が、目に焼き付いています。

投稿: 芳勝 | 2017年11月23日 (木) 01時02分

この曲を聞くとき青春の残照の中にいるような寂しが押し寄せてきます。
亡夫がこよなく愛した歌でした。

ひろし様のコメントを再読するにつけても身の上が案じられてなりません。貴重なコメンテーターの現在が気がかりです。

投稿: りんご | 2018年8月28日 (火) 13時14分

赤城圭一郎は、拳銃無頼帖シリーズ第一作「抜き射ちの竜」主題歌「黒い霧の町」で、歌手デビューしてから半年の短期間に8曲4枚のレコードを出し、文化放送の「赤城圭一郎ショー」という番組で強力なプロモートを展開したが、人気の割合に唄の売れ行きが今一歩と思っていた矢先の初ヒットが、「霧笛が俺を呼んでいる」この曲だったそうです。(精選盤昭和の流行歌・野村耕三解説)

拳銃無頼帖シリーズ、抜き射ちの竜・電光石火の男・不敵に笑う男・明日なき男・の4作品すべて、宍戸錠との共演で、この映画に出演していた昭和35年頃の、浅丘ルリ子や笹森礼子は本当に綺麗な女優さんでした。また「電光石火の男」の作品には、初々しい15才の吉永小百合が、ウエイトレス役で出演しています。

昭和52年当時、私は名古屋市栄の繁華街にある会社に勤務していましたが、その近くにあった映画館で、赤城圭一郎の「抜き射ちの竜」と「霧笛が俺を呼んでいる」の二作品が特別上映されたことがあります。
大人になって初めて映画館で、大ファンだった赤城圭一郎の作品が観れると、はやりながらこの映画を一人で観に行った、その当時の自分が想い出されます。

この映画のラストシーンで、赤城圭一郎と芦川よしみが、霧の波止場で別れる時、芦川「さよなら」赤城「ごきげんよう」とかわしたセリフの後から、静かに流れてきた「霧笛が俺を呼んでいる」が、私の心に特別な余韻を残してくれました。

投稿: 芳勝 | 2018年8月28日 (火) 21時37分

初めて投稿しますが、「霧笛が俺を呼んでいる」は、好きな映画でした。
今はカラオケで歌って楽しんでいます。
画面に映画のシーンが映るのが気に入っています。
少しだけですが、「第三の男」に出て来る下水道のシーンと似たところがあるのが興味深いですね。
カラオケではホンの数秒ですが楽しんでいます。

投稿: 中波三郎 | 2018年12月15日 (土) 20時58分

日活の全盛期、「夜霧よ今夜も有難う」が「カサブランカ」からというのは有名。この映画の脚本は熊井啓で、ドラマのあらすじは「第三の男」がベースになっていると思われる。

投稿: 岩瀬一郎 | 2019年10月14日 (月) 13時58分

「霧笛が俺を呼んでいる」昭和36年ごろ我が家の長兄が映撮機の操作をしている映画館でこの映画を初めて観たのは私が7才の時でした!

幼かった私にはこの映画のストーリーというよりも、特に赤木圭一郎と芦川いづみとの霧の波止場でのラストシーンが強く印象に残ったことを憶えています。
また、スクリーンで活躍する赤木圭一郎に、私はすぐに強い憧れを持つようになりました。そして58年が経った今現在でも私のその思いは変わることなくそれは永遠です。
この映画はその後も幾度となく観てきましたが、やはりそのラストシーンには今も強く惹かれるものがあります。

昭和52年に当時の勤務地名古屋市栄の映画館で「抜き射ちの竜」(共演・浅丘ルリ子)と「霧笛が俺を呼んでいる」(共演・芦川いづみ)の2本立の特別上映があり、観覧後に館内で二作品の大きなポスターが発売されていたので、それを購入し実物大のパネル額に入れて、私はしばらく部屋に飾っていたこともあります。

赤木・「めまぐるしい日をつうじて悲しいことも多かったけれど、あなたと一緒で楽しい時もありました。最初の霧の晩ホテルの窓辺で初めてあなたとお会いした時の霧笛が今でも耳に残っています。」・・芦川・<さようなら>・「ごきげんよう」というこの二人の別離のシーンは今でも私は観たくなります。
1968年に結婚を期に引退されておられる、私が最も憧れを抱いてきた女優の芦川いづみさんは現在84才になられますが、近年でも日活記念の特集上映芦川いづみ映画祭としてそのスタートを飾るほどで、現役のころには100本の映画に出演した人気女優でした。またその聡明かつ可憐なその美貌は群を抜いていたと私はそう思います。

そして、これは叶わぬ私の絵空事ですが、21才で夭逝した(健在であれば80才)赤木圭一郎がせめてあと3年生きて、さらに魅力を増した24才になったその赤木圭一郎をスクリーンで観たかったと私は時々空想することがあります。

「霧笛が俺を呼んでいる」この作品は、私が永遠に憧れを持つ赤木圭一郎と、最も憧れている女優芦川いづみのその二人の姿を、一本の映画で観ることのできる、私にとっては大変貴重で大切な作品です。

投稿: 芳勝 | 2019年10月18日 (金) 00時01分

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