ふるさとの丘の小径は
(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo
作詞:宮川哲夫、作曲:加藤光男、唄:宇都美 清
1 ふるさとの 丘の小径は 2 ふるさとの 丘の小径は 3 ふるさとの 丘の小径は |
《蛇足》 昭和28年(1953)発表のNHKラジオ歌謡。きれいなメロディですが、あまりヒットしなかったようです。
森や林、田畑、野原、小川などが点在するふるさとの光景のなかに、丘が1つあると、それがアクセントになって、イメージがより鮮明になります。多くの人が、思い出のなかに1つは丘をもっているのではないでしょうか。私にもあります。
(二木紘三)
コメント
この歌は初めて知りました。
山陰の山奥で生まれ育った中学生の頃でしょうか?
私の思い出の丘のひとつには、弱い胃がお世話になった「千振・センブリ」が群生しており、母に言われて毎年一握りだけ摘んだことや、初秋にごくうすく控えめな微かな紫色の尖った小さな5弁の花びらの記憶が懐かしく思い出されます。
それにしても素朴と言えるこの歌詞・素直できれいなメロディ・・・何故ヒットしなかったのでしようか?
この歌を7年前に発足した<みんなで700曲歌おう会“さくら草”>のレパートリーに致します。
二木先生、消えそうになったいい歌を有難うございました。
投稿: 尾谷 光紀 | 2009年8月 6日 (木) 15時59分
初めて聞きました。歌詞も曲も素晴しく優しく穏やかな世界すいこまれるようです。歌いたくなり友人の何人かに聞いたのですが、みな知らないとのこと。レコードか楽譜か何かありますか。
投稿: 山口 美津江 | 2009年8月19日 (水) 09時34分
春風や闘志抱きて丘に立つ 高浜虚子
私の「思い出の丘」は、この歌の雰囲気とは少し違うかもしれませんが、郷里の町の丘です。我が小学校のすぐ隣が熊野神社の小山、そこから何百メートルか東に寄った小山が公園になっていました。
子供の頃、桜の見頃や紅葉の季節よく同公園に登りました。頂上より少し低い一部が真っ平らな広場になっていて、小高い丘といった具合で、その際に立つと晴れた日には置賜(おいたま)盆地上のおらが町がよく見渡せました。
南(みんなみ)に開く国原(くにはら)
吾妻嶺(あづまね)と呼び合う飯豊(いいで)
置賜は四季美しく …… ……
我が中学校の校歌ですが、作詞は歌人の結城哀草果(ゆうき・あいそうか)です。斎藤茂吉に師事した人ですが、茂吉ほど有名ではありません。しかし昭和初期東北地方を襲った大冷害の惨状を詠んだ『すだま』は、当時の歌壇でも高く評価されました。その中に衝撃的な短歌があります。
貧しさはきはまりつひに歳ごろの娘ことごとく売られし村あり
郷土の歌人の歌業に敬意を表して、私のブログで7月同歌の鑑賞文を公開しました。
投稿: Lemuria | 2009年8月23日 (日) 00時53分
山口美津江様
レコードについてはわかりませんが、楽譜は「思い出のラジオ歌謡選曲集」(全音楽譜出版社)のなかにあります。
投稿: 管理人 | 2009年8月23日 (日) 01時01分
「ふるさとの丘の小径は」を<みんなで700曲歌おう会“さくら草”>のレパートリーにしようと、教えていただいた「思い出のラジオ歌謡選曲集」を取り寄せて先生の音源と小型のキーボードで練習を始めました。
若かりし頃、某コーラスグループや年末の大阪城ホールでの「1万人で第九を歌おう」に参加された方も、この歌のいちばん高いE♭を昔の伸びのある声で出そうと喉に筋をたてて懸命に練習の後、フゥーと心地良い疲れを楽しんでいました。
今年のクリスマスコンサートには間に合うでしょう。楽しみにしています。
投稿: 尾谷 光紀 | 2009年10月17日 (土) 17時36分
私が住んでいる家の西側に丘が見えます。三方ヶ原の合戦で知られる台地です。丘は車で10分ほどの所にあります。昭和30年代、この丘に友人の家がありました。松林と小川と麦畑が連なっていました。散策するにはもって来いの丘でした。大きな官舎に住んでいた彼女の家を、私たちは自分の家の様に使い、詩集を作ったり、歌を歌ったり、恋を語ったりして、高校時代を思い切り楽しんだものです。合戦の時、武士の首を洗ったという池もありました。人生を一番楽しんだ丘です。開発から逃れた僅かな松林を眺めながら、青春時代を懐かしんでいます。この歌を聴いたことはありませんが、この丘に住んでいた友人に歌詞を送ったら、感激しておりました。一度、宇都美 清の声で歌を聴いてみたいです。
投稿: ハコベの花 | 2010年1月 5日 (火) 23時37分
you tubeにこの歌が入っていたので聴きました。しみじみとした美しい歌声に気持ちが癒されました。歌声は鳴海日出夫となっておりましたが、今、こういう美しい歌声が歌謡番組から消えてしまったのは何故なのでしょうか。歌詞もメロディも歌手の声もすっかり昔と変わってしまい低下の一途をたどって居る様に思うのですが、歌を作っている人たちには
わからないのでしょうか。日本人の感性が変わってしまったのでしょうか。若い男性に心に沁みこむような歌があるかと尋ねたら「ない」と言下に答えてくれました。好みはそれぞれ違うとは思いますが、こういう抒情に満ちた歌もたまには歌謡番組で演奏してくれたら良いのにと思うのですが、無理な事なのでしょうか。
投稿: ハコベの花 | 2013年6月21日 (金) 22時33分
訂正します。歌っているのは宇都美清でした。粗忽者で申し訳ありません。
投稿: ハコベの花 | 2013年6月22日 (土) 00時09分
>… 美しい歌声が歌謡番組から消えてしまった …
ハコベの花さんの詠嘆に、共感できるのかどうか私自身分らないのです。覚えている歌謡番組は`シャボン玉ホリーデイ`だけですから。
ドイツにはドイツの、イタリアにはイタリアの歌謡番組があり、偶然見る時、それぞれ`おらが国らしい`メロディーの歌だと強く思います。例えばドイツ歌謡番組はBBCで放送しても金輪際受けないでしょう。それを思うと、アジア全域で人気の高い日本歌謡曲は`凄い`と感嘆したことがあります。しかし21世紀に事情は変わったのでしょうか。
歌詞に縁があって聴きました。七つの丘のうねりに住んでいますので…。しっとり綺麗な曲に左耳をそばだてました。
投稿: minatoya | 2013年6月22日 (土) 06時59分
最近の歌好き年配者は新曲を追っかける傾向にある。またテレビの番組制作者がこの種の歌まで知らない。カラオケ大会で唄っても審査員が知らない。悲しいけど、これが現実の様に思えて仕方がありません。
投稿: 海道 | 2013年6月24日 (月) 17時54分
歌はそれぞれの好みがありますから、色々な歌があって当然とは思いますが、何時の頃からか歌詞に詩情がなくなってしまいました。日記や作文に曲をつけたような歌が多くなりましたね。つぶやき歌、と言った人もいます。何だかお説教を聞いているような歌もあります。さだまさしあたりからでしょうか。藤村、白秋、露風の詩ごころが懐かしく恋しいです。最近の芥川賞の受賞作もひどい!と言ったら睨まれるでしょうか。心が震えるような美しい歌が聴きたいと思うこの頃です。
投稿: ハコベの花 | 2013年6月25日 (火) 15時51分
初めて知る歌でした。いかにも「ラジオ歌謡」という感じの楽曲ですね。歌詞の素晴しさ穏やかさに感動しました。
宮川哲夫の作品は、吉田正や利根一郎とのコンビによる「都会調」作詞が多いことは認識してましたが、この「ふるさとの丘の小径は」のような、「ふるさと・田園調」の作詞は全く知りませんでした。初期の若い時分は結構「夢あるほのぼの」とした作詞を作っていたのでしょうか。
加藤光男という名前の作曲家は初めて目にします。メロディは美しいと思いますが、もっとゆったりとしたテンポのほうが唄い易いように私は感じました…。
五七調の見事な定型詞ですねぇ。
ホロホロと 風に流れる 山鳩の
啼く音悲しく 憂いを誘う
短歌がたくさん出来そう・・
投稿: かせい | 2016年5月17日 (火) 00時49分
かせい様
確かに。遅くした叙情性が高まりますね。テンポを落としてみました。(二木紘三)
投稿: 管理人 | 2016年5月17日 (火) 03時35分
とても気持ちが和みます。ゆったりした歌をあまり聴けなくなっていますから、テンポを少し落としただけでも違うものですね。とてもうれしいです。私は1度訪ねると約束した別れた彼のふるさとをグーグルマップの地図検索で訪ねます。彼の家から出発して秋草の花を見ながら橋を渡り山に沿った径を雲を追いながら歩きます。
私の育った街とは全く違う山里の風景はなぜかとても新鮮で飽くことがありません。この歌のとおりの風景です。時には一人で、時には彼と並んで歩きます。彼が好きだと言った野菊が咲いているところもあります。夢と現実が重なってとても幸せを感じます。かせい様、二木様有難うございました。
投稿: ハコベの花 | 2016年5月17日 (火) 17時06分
夜も更けて 一人静かに この優しく素晴らしい歌を聞いていると、はるか遠いあの日の想い出がよみがえってきます。
ふるさとの山や川は、今も変わることなく、あの日のように穏やかに息づいているだろうか・・・。
ふたたび 訪れることもないであろう、あの少年の日の故里へ、せめてこの歌だけでも届いて欲しい・・・
なんだか、中原中也の「帰郷」の一節を思い浮かべました。
これが 私の故里だ
さやかに 風も吹いている
心置きなく 泣かれよと
年増婦の 低い声もする
ああ おまえはなにをしに きたのだと・・・
吹き来る風が 私に云う
投稿: あこがれ | 2018年10月 8日 (月) 01時41分
抒情的な美しい歌詞と曲ですね。聴く機会がなかったのか、知りませんでした。
ゆっくりした演奏が殊に美しく胸に響き、いつのまにか涙ぐんでしまいます。
秋は私にとってホームシックの季節で、誰に会いたいと思うわけではなく、昔の札幌、殊に藻岩山がひたすら恋しいのです。
私が年老いたように、ふるさとも昔の面影はないのでしょうに……。
投稿: nobara | 2018年10月 8日 (月) 13時25分
このブログに出会って以来、”ふるさと”、”丘”、”小径”が付く多くの曲に投稿させていただいてきました。だのに、その三拍子がそろったこの曲には気が付きませんでした。静かで美しい素晴らしい曲ですね。あこがれ様、ご紹介ありがとうございました。
当ブログで紹介させて頂いたこともあるかと思いますが、私のふるさとの丘の小径からは背後に山陰地方石見の山並み、眼下および全面には故郷の街並み、日本海の大海原を見晴らせ、素晴らしい景観を楽しむことができます。
しかし子供の頃にはこんな素晴らしい景観の世界にも私には一つ不満がありました。それは広い海原に全く舟が見当たらないことです。子供の絵本や物語で海には必ず船がセットで登場してきます。”みかんの花咲く丘”にも舟が登場します。
こんなささいな不満もあって私は田舎を嫌い早く太平洋側の表日本に移りたいと願っていたものでした。
いつもの風景で見飽きて退屈な日本海も時には驚くほどの幻想的な世界に変貌することもありました。季節はいつだったか思い出せないのですが、海と空の境界が全く判別できない真っ暗闇の夜、海面一面に無数のイカ釣り漁船が漁火を灯している情景に遭遇することがありました。本当に美しく幻想的な童話のような世界でした。
時間とお金に余裕ができたら、ゆっくりと故郷山陰の旅をしてみたいなぁと思います。
投稿: yoko | 2018年10月 8日 (月) 23時49分
書き忘れたことがありますので、追加のコメントをお許しください。
2番の「ホロホロと 風に流れる 山鳩の 啼く音悲しく」について。
ホロホロは、鳴き声を描写したのではないと思いますが、私は小学生のころ、一羽の山鳩の餌や水の世話をしていたことがあります。祖父が傷付いた山鳩を偶然保護して、連れてきたのです。今では違法行為ですが。
山鳩は遠くを見つめるようにして、「デーデーポッポー」「デーデーポッポポー」と寂しげに鳴きました。
きっと早く山に帰りたかったのでしょうね
余計なことですが、ホロホロから連想する歌があります。
♪ホロホロと なく山鳥の こえきけば 父かぞとおもい 母かぞとおもう……♪ 最後まで歌えますが、耳で覚えた歌なので、表記は正確ではないかもしれません。これも寂しい歌です。
投稿: nobara | 2018年10月10日 (水) 14時30分
nobara様
「ホロホロ」は山鳩の正確な啼き声ではないかもしれませんが、この場合は山鳩のことをいっているとみて良さそうです。 といいますのは、松島アキラが唄った歌に『湖愁』というのがあります。 2番の歌詞に♪はぐれ小鳩か白樺の 梢に一羽ほろほろと‥♪とあります。 この歌も『ふるさとの丘の小径は』と同じく宮川哲夫の作詞です。(作曲:渡久地政信) 「ホロホロ」はアバウトに『哀しげな山鳥の啼き声」と捉える見方もあるでしょうが、宮川哲夫は『山鳩』と確信して使ったのでしょうね。 『ホロホロ鳥(ちょう)』でないことは確かです。
投稿: かせい | 2018年10月10日 (水) 15時51分
かせい様
お返事。のちほど交流掲示板に投稿いたします。、
投稿: nobara | 2018年10月10日 (水) 17時29分
「ふるさとの丘の小径は」は、初めて聴く気がしす。YouTubeでも聴いてみましたが、聴くほどに、その良さが分かってくる歌のように思います。
さて、nobara様、かせい様におかれましては、”ほろほろ”の受け止め方について、コメントされていますが、私も一考してみました。
歌詞1~3番までを眺めてみますと、
むらさきの 秋草濡らし
ほろほろと 風に流れる
が一つながりとなっている構成のように見えますが、如何でしょう。つまり、”露に濡れた紫色の秋草が、二つ三つ、風にゆれている”というような解釈の仕方です。
因みに、明鏡国語辞典によれば、”ほろほろ”とは、
① 涙がこぼれ落ちるさま
② 花などが静かに落ちるさま
③ バラバラにほどけるさま
④ 雉(きじ)・山鳥(ヤマドリ)などが鳴く声を表わす語
とありますが、山鳩を雉(きじ)・山鳥(ヤマドリ)などと同類に扱うのは、やや無理のように思われます。
投稿: yasushi | 2018年10月10日 (水) 17時36分
鳩の鳴き声は確かにホロホロではありませんが、時計の音がチック、タックと聞こえるのと一緒で、優しく鳴く声を表すためにホロホロにしたのだと思います。山鳥では歌詞にすると歌の情緒がなくなります。山鳩がホロホロで静かさが伝わってきます。詩は心模様が大切です。ホロホロでこの歌がとても静かな品性を漂わせているのではないかと思います。
投稿: ハコベの花 | 2018年10月10日 (水) 22時30分
この歌から、まだ離れられずにいます。
ほろほろ談義、楽しく拝見していましたが、
yasushi 様 ご推奨の「みどりの雨」の 2番の歌詞
ゴルフ帰りの セダンが走る
乙女峠に ほろほろと
散りゆく花は 白山桜
ああ 美しの
箱根に みどりの雨が降る
ほろほろと、白山桜が散っていくとありますね。
まだ、調べれば ほかにも《ほろほろ》は、ありそうですね。
それにしても、《みどりの雨》もわからない??
*交流掲示板に 投稿すべきだったか・・・。
投稿: あこがれ | 2018年10月11日 (木) 06時58分
交流掲示板への投稿は悩みますね。
あちらの掲示板の中に本欄のほうが良かったのにと思うものも若干、私なりに思うものもありました。理由は一呼吸おいてしまうので熱量が下がってしまったからです。話題にされた歌があってのコメントです。
あこがれさまの上記のコメントはこちらで良かったと私は思うのですが。」
投稿: konoha | 2018年10月11日 (木) 09時55分
あこがれ様
旅行に行かない私でも箱根には3回ほど行ったことがあります。箱根は緑の山に囲まれています。雨は透明です。背景の山の色に染まった雨はさぞ美しい緑だろうと想像できます。
水色の雨も頭で考えた色ですね。雨は何色にも染まります。桃色の雨は桃色のコスモスに降る雨、さて、今夜降る雨は、貴方の心の色に染まるかも。
投稿: ハコベの花 | 2018年10月11日 (木) 09時59分
昭和33~34年頃のことですが、ラジオ中国の《ふるさとの明星》という番組で、歌わせて頂いていた頃、題名は忘れましたし、歌詞も はっきりとは 覚えていませんが 誰かが歌われて いい歌だな~と、記憶に残っている歌ですが・・・。
メロデイーだけは、はっきりと覚えています。
最初に みどりの風 と出てきますが、これもわかりません?
〈みどりの風〉かおる 南の海へ
歌声高らかに 〇〇〇の船は
進むよ 走るよ 喜び乗せて
あ~ マロニエの花咲く国へ
マストのかもめも 羽ばたき歌うよ~
これは、交流掲示板 行き でしょうね?(すみません!)
* なち 様 題名と歌詞 分かればありがたいのですが・・・。
投稿: あこがれ | 2018年10月11日 (木) 11時39分
「ホロホロ」は、擬態語でもあり、擬音語でもあります。
概して、擬態語はひらがな、擬音語はカタカナで表記されますが、どちらも許されるものがあるので厄介ですね。 私は、松島アキラの『湖愁』が強く印象に残っていたので、「ホロホロ」を山鳩の啼き音と解釈したのですが、宮川哲夫は「ホロホロと」を「流れる」にも「啼く音」にも掛けたかったのかな、と思うようにもなりました(まことに意思薄弱!)。 nobara様が記されている「デーデーポッポー」では詞にはなりませんから、「ホロホロ」にして読み手に託したのかもしれません。 ところで、「むらさきの 秋草濡らし」の主語は何なのでしょうか。「秋草濡れて」だったら、「ホロホロと」も擬態語であると確定するのでしょうが、この辺とても漠然的ですね。
この『ふるさとの丘の小径は』で一つ収穫がありました。
それは『小諸なる古城の…』のページでコメントした、5・7調の歌を見つけた事です。 7・5調に比べて圧倒的に少ない5・7調の歌、まだ10も見つけていません。 真砂なす 数無き歌の そのなかに・・の心境です。
投稿: かせい | 2018年10月11日 (木) 12時12分
皆様の投稿を拝読するうちに、私の心に変化が起きました。
山鳩(キジバト)の鳴き声デーデーポッポーは東京近郊の緑の多いところでも聞こえます。ですから、丘ならば、街中で見かける土鳩のコロコロともククウともホロホロとも聞こえる可愛い鳴き声が届いてもおかしくはないのですね?よほど人里離れた丘でなければ……。
また、ホロホロは涙が秋草を濡らすとも考えられます。
君偲び 辿る小径なのですから……。
両方にかけて、ホロホロを使ったと考えれば、すべて丸く収まるような気がしますが、どうでしょうか。
投稿: nobara | 2018年10月11日 (木) 12時50分
かせい さま
ふるさとのはなしをしよう も五七調ではないでしょうか。既にどこかにお書きになっていらっしゃれば見落しですみません。
投稿: hurry | 2018年10月11日 (木) 19時37分
《ほろほろ》と聞いて、私が直ぐ頭に浮かんだのは、 かせい様同様、松島アキラの「湖愁」と次の二つの歌でした。
①霧島昇の「旅の夜風」は、1番で♬花も嵐も 踏み越えて 行くが男の生きる道 泣いてくれるな ほろほろ鳥よ 月の比叡を 独り行く・・
②松島アキラの「湖愁」では、その2番に、♬一人旅の 淋しさは 知っていたのさ 始めから はぐれ小鳩か白樺の 梢に一羽ほろほろと 泣いて涙で 誰を呼ぶ・・
③高峰三枝子「湖畔の宿」では、♬水にたそがれせまる頃 岸の林を静かにゆけば 雲は流れてむらさきの
薄きすみれにほろほろと いつか涙の陽がおちる・・
①②では本人が悲しくて泣く様子を、鳥を身代わりにして泣かしていますが、③では、直接本人がほろほろ涙を流して泣き、悲しみを表しています。もっとも、流すと落日をかけていますが。従って、ほろほろ鳥は一種の悲しみを表す枕詞で、実際にはそこに鳥は不在でも良いのではと思ってきました。konoha様如何でしょうか・・
2018.10.11 迷える小古羊
投稿: 迷える古羊 | 2018年10月11日 (木) 22時28分
うた物語仲間の皆様のご投稿を拝読するたびに感服するばかりです。
ありがとうございます。
この歌が流行っていたころは、私が小学校卒業の年だったと思いますが、この曲を聴くのは始めてです。
こんなにもふるさとのことを想い出し、心を癒してくれる曲があったのだとは知りませんでした。
私のふるさとの丘の想い出といえば、小学生のころに遠足で行ったある公園の片隅にあった小高い丘に登った時でした。
そこから見渡す風景が今まで見たこともない「おとぎの国」のようにさえ思えましたが、未だにどんな光景だったのか想い出すことができませんが・・・瞬間的に幻想を夢見ていたのでしょうか?
投稿: 一章 | 2018年10月11日 (木) 23時33分