男一匹の歌
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作詞:夢 虹二、作曲:佐藤長助、唄:岡 晴夫
1 赤い夕陽は 沙漠の涯(はて)に 2 昨日ラマ塔の 花咲くかげで 3 月の出潮は 心がぬれる |
《蛇足》 昭和14年(1939)に『赤い夕陽は沙漠の果てに』というタイトルでキングレコードから発売されました。ソ満国境で活動していた特務機関員にとくに愛唱されたという話です。
昭和23年(1948)、タイトルを『男一匹の歌』と変えて再発売され、ヒットしました。
(二木紘三)
コメント
またまた懐かしい歌をありがとうございます。わたしはこの歌を聞くと、なぜか戦時中の国定教科書で読んだ、うろ覚えの「赤い夕日の満州は‥‥」という叙景詩を思い出します。そのページには、真っ赤な夕日が高粱畑の果てに沈む画があって、こどもの心に、当時、王道楽土と謳われた満州への憧憬を強く訴えるものでした。わたしのいとこの家族が新京(現在の長春)にいたこともあって、わたしもやがては満州に行くんだ、と夢を膨らませていた頃でした。敗戦後、満州はけっして王道楽土などではなく、満蒙開拓義勇団の悲劇にみられるように国策遂行の犠牲となった鎮魂の大地であることが明るみに出ましたが。
この歌とわたしのこどもの頃の夢がなぜつながっているのか、われながら不思議なのですが、この歌の「赤い夕日‥‥」の出だしが、教科書の詩の出だしと同じだったからかも知れません。
投稿: ひろし | 2009年11月23日 (月) 15時45分
二木様
曲名を現在通用しているもので表記すると、いう二木さんの編集方針だと理解は出来ますが、ひとつ悩ましい点があります。
戦後吹き込んだ「男一匹の唄」の一番の最後「日暮れの道よ」は、戦前盤では「日暮れの風よ」になっています。この違いが起きた理由は、寡聞にして知りません。「道」のほうは、ちょっと散文的になっているかな、と感じます。
投稿: 周山 | 2010年7月 6日 (火) 11時30分
始めまして。
7月に御投稿の周山様の御指摘は大変興味深く思いました。大分、時間が経ちましたが、私の、独断的な意見を
述べてみます。
一番の「日暮れの道よ」ですが、戦前盤では「日暮れの風よ」だった由。作詩上の技術論からみますと、三番に「砂漠の風よ」とあり、なんだか「風」ばかりの風景描写になるので、そのあたりを新盤製作の時、改めたのではないかと、推論いたします。
もっとも、砂漠に「道」があったっけ?という御意見があるかもしれませんね。ともあれ、私の勝手な想像で
すので、悪しからずお許し下さい。
投稿: 絵巻 | 2010年11月18日 (木) 13時05分
私がまだ子供の頃、日頃家で余り歌を歌わない父が、♪赤い夕陽は 砂漠のはてに…♪と、この歌を口遊んでいるのを聴いた記憶があります。
歌詞1番には”砂漠”、”駱駝”、2番には”ラマ塔”、3番には”モンゴー”、”砂漠”、”駱駝”が登場し、この歌の舞台は、満(旧・満州)蒙国境付近だったのだろう、と窺われます。
この歌から、同じ歌い手さんによる、次の歌を思い起こします。
『国境の春』(松村又一 作詞、上原げんと 作曲、岡晴夫 唄 S14)
歌の舞台は、当時のソ満国境で、歌詞1番には”アムール”(黒竜江のこと)、2番には”ペチカ”、”ウォッカ”、”バラライカ”、3番には”オゴニカ”(花の名)とロシア語がちりばめられています。
旧・満州 の辺境の地に暮らしたことはありませんが、”満州生まれの満州育ち”の私(S12生まれ、S21引揚げ)にとって、これらの歌は、なぜか心に響きます。
ついでながら、改めて、二木オーケストラによる『男一匹の歌』の前奏部分を聴いていましたら、”はーて、どこかで聴いたことがあるような前奏だなあ”、との連想が頭をもたげました。
調べました結果、似たような前奏部分を持つ歌は(私だけがそう感じているのかも知れませんが)、
『人妻椿』(高橋掬太郎 作詞、竹岡信幸 作曲、松平晃 唄 S11)
でした。
私にとって、思わぬ発見でした。
なお、『人妻椿』は、ここのところ、三島敏夫さんによる歌声を好んで聴いております。
投稿: yasushi | 2023年6月 5日 (月) 17時08分
この歌を私は初めて聞きました。私の生まれる前の歌だから。でも、メロディを聞くと「あの頃」の曲だとすぐ感じますし、私の感性が「好きな曲」と言っています。このような古い歌にコメントできる方がどんどん亡くなっていらっしゃるだろうと思うから、コメントしてくれる方が絶えないことを祈っています。もっと聞いて覚えようと思います。
投稿: 吟二 | 2023年6月 5日 (月) 20時09分