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2009年12月 2日 (水)

大阪しぐれ

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:吉岡 治、作曲:市川昭介、唄:都はるみ

1  ひとりで生きてくなんて できないと
  泣いてすがれば ネオンが
  ネオンがしみる
  北の新地は 想い出ばかり
  雨もよう
  夢も濡れます ああ大阪しぐれ

2 ひとつやふたつじゃないの 古傷は
  うわさ並木の 堂島(どうじま)
  堂島すずめ
  こんなわたしで いいならあげる
  なにもかも
  抱いてください ああ大阪しぐれ 

3 しあわせそれとも今は 不しあわせ
  酔ってあなたは 曾根崎(そねざき)
  曾根崎あたり
  つくし足りない わたしが悪い
  あのひとを
  雨よ帰して ああ大阪しぐれ

《蛇足》 昭和55年(1980)に発表された浪花演歌の傑作の1つ。同年、第22回日本レコード大賞最優秀歌唱賞を受賞しました。

 都はるみは昭和39年(1964)、『困るのことヨ』でデビュー、2曲目の『アンコ椿は恋の花』で第6回日本レコード大賞新人賞を受賞、いきなりスター歌手の座を獲得しました。

 『アンコ椿は恋の花』『大阪しぐれ』のほか、『涙の連絡船』『好きになった人』『浮草ぐらし』『夫婦坂』などのヒット曲は、いずれも市川昭介の作曲になるものです。

 昭和51年(1976)には、阿久悠作詞、小林亜星作曲の『北の宿から』で第18回日本レコード大賞・FNS歌謡祭最優秀グランプリなど数々の音楽賞を受賞しました。

 『天城越え』『さざんかの宿』『細雪』『命くれない』など数々の名作を世に送った作詞の吉岡治は、平成22年(2010)5月17日没。76歳でした。

(二木紘三)

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コメント

二木様、始めまして、
小生、昭和21年生まれ、懐メロ・カラオケ大好き人間です。
今年6月より、下記のアドレスで「リュウちゃんの懐メロ人生というブログを書いています。
http://plaza.rakuten.co.jp/0511katutyan

その際、二木様の当ホームページをよく参考にさせて頂いています。11月30日にUPしたブログでも、灰田勝彦の「鈴懸の径」で、詞の成立に関する事で、参考にさせて頂きました。有難う御座いました。

小生のブログに関しまして、何か間違いがあるとか、二木様のホームページからの引用に問題がありましたら、メールでご指摘並びに御叱責賜りますよう、お願い申し上げます。

投稿: リュウちゃん6796 | 2009年12月 3日 (木) 09時22分

二木先生、この曲 大阪が涙が出るほど懐かしく思い出されます。今から37年前28歳時に大阪に転勤で参りました。我々東京勢は自分達だけで飲む時は専ら北新地、堂島 曽根崎ばかり、そして地元の代理店の方々にはミナミで大阪弁いっぱいでご馳走になったものです。
どこにいっても大阪は狭い小さな町で東京銀座と一肌ちがった人懐かしさ、やさしさにとても嬉しかった記憶がございます。
つい最近ナンバの懐かしい居酒屋さんのあった横丁に行きましたら、なんとキンギラギンの東京原宿のようになっていました。先生、私は浦島太郎そのものでした。

投稿: 浜のぼくちゃん | 2010年1月 3日 (日) 16時21分

懐かしくききます

呑み仲間と酔うと必ずリクエストしました。

手拍子で盛り上がったころが思い出されます

投稿: はるちゃん | 2010年1月 6日 (水) 16時24分

都はるみの歌で、一番好きな歌です。 北の宿から、浪速恋しぐれもいいですね。

投稿: 堺 修介 | 2013年1月 3日 (木) 22時42分

 やはりいい歌ですね。何回も聞きました。2,3年前大阪で中学校の同窓会がありました。カラオケになり「アカシアの雨」と「大阪しぐれ」も歌いました。
 歌詞の本をめくっていて大阪の文字が目に入り選びました。みんなうまい中で昔の音楽を思い出しながら歌いました。「大阪」にふさわしい?と思ったのです。あまり泊まった思い出もなく、一泊したのもはじめてでした。
 二番の「一つや二つじゃないの 古傷は・・・」このフレーズはどこにいても何年たっても同感するものです。

投稿: 今でも青春 | 2015年1月19日 (月) 16時04分

私の大好きな一曲です。以前、カラオケでよく唄いました。しっとりとしていて、心が和むようです。
 懐かしくその頃を想い出しています。

投稿: 宮原 章 | 2015年1月19日 (月) 20時07分

留学生です。毬藻の歌を検索したときこのブローグと出会いました。最近は都はるみの歌に夢中で、色々調べて聴きました。日本音楽について婉曲の印象を破った情熱はすごく印象的です。ありがとうございます(゚∀゚)

投稿: コアラ | 2016年3月28日 (月) 08時52分

市川昭介(故人)と言えば本曲の他に、『皆の衆』(村田英雄)、『散る桜残る桜も散る桜』(鶴田浩二)など多彩な作曲活動でしたが、猪俣公章と同じく福島県出身です。二木先生の解説「浪花演歌の傑作の1つ」であることは間違いないところです。猪俣公章も『大阪ラプソディー』を作曲しており、同じ福島県出身作曲家が大阪舞台の歌謡曲を作曲していることは偶然とはいえ興味深いところです。
大阪は新幹線で“通過”(新大阪駅には停車)しただけで大阪とは無縁ですが、昔から大阪弁も大阪漫才も大好き人間で、普段からカミさんに“今日の晩御飯うまかったで”とか、飼い犬に“そこかじったらアカンで”とか下手クソな大阪弁をつこてる、しり上がりナマリの北関東弁が抜けない北関東在住者です。

投稿: 焼酎百代 | 2017年1月17日 (火) 21時03分

本日の宅配業務を終え、先ほどまで「芋焼酎」で乾杯をいたしたところです。
今パソコンに向かい「掲載一覧」を見ていたところ、この曲「大阪しぐれ」が目に留まりました。
ホントに懐かしく若き日の頃を思い出しています。
いわゆるカラオケが流行りかけたころ、仕事帰りに行き付けの「居酒屋」によく通いました。
歌う曲はこの「大阪しぐれ」だけ・・ときより自作の「セリフ」を入れながら歌ったものでした。
その当時は、佐賀の街でもネオンが輝き道行く人も多かったように思いまが、今現代では「シャッター通り」に変身、寂しい限りです。
今一度昔のような輝きのある街並みが蘇るよう祈るばかりです。 

投稿: 一章 | 2019年5月27日 (月) 21時10分

「大阪しぐれ」この作品にはネオン街で生きる女性の切なさ・健気さ・奥ゆかしさが見事に表現されており、私はこの唄を聴いてると、大阪の女性が思わず愛しく思えてくるほどです!

この唄が発売された昭和55年は、私が一念発起して転職をした頃で、服飾品の管理及びバイヤーをしていました。その関係で大阪へは先物展示会や現物仕入れをかねて私は頻繁に出張に行きました。
大阪での宿泊先は当時会員でもあった梅田の東急インでしたが、当時は取引先からの接待も数多く、南の繁華街や北新地のネオン街へもよく出かけましたが、ある店ではこの曲を歌っていたホステスさんの姿も時たま見かけました。今では多忙を極めていたそのころの自分のことが実に懐かしいです。

「大阪しぐれ」この作品をはじめ、数多くのヒット曲を世に輩出した、作詞家・吉岡治と作曲家・市川昭介、この二人は本当に偉大だった。ここでこのメロディを聴いていると、改めて私にはそう思えてきます。

投稿: 芳勝 | 2021年9月 5日 (日) 17時18分

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