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2010年3月24日 (水)

峠の我が家

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


アメリカ民謡

(日本語詞1:久野静夫)

1 空青く山は緑 谷間には花咲き
  幼い日ひとり遊ぶ 懐かしのあの家
  (コーラス*)
   ああ我が家 峠の我が家
   楽しい日 悲しい時
   思い出のあの家

2 紅の空を高く 鳥は鳴き飛びゆく
  山の端に月はかかり 夜の香は漂う
  (コーラス*)


(日本語詞2:龍田和夫)

1 空は青く緑の野辺 懐かしき我が家
  悲しみも憂いも無き 微笑みの我が家
  (コーラス*)
   おお故郷 耳に馴れし言葉
   むれ遊ぶ羊の群れ
   晴れ渡るこの空

2 花の香り流れに沿い 花白き水鳥
  夢のごと静かに またさやけく真白に
  (コーラス*)

3 空は澄みて爽やかに 吹くそよ風かぐわし
  懐かしき峠の家 またとなきふるさと
  (コーラス*)


(日本語詞3:藪田義雄)

1 角笛はこだまする 山のかなたに
  わが夢は虹のごと きらめき揺れるよ
  (コーラス*)
   ああ楽し 峠の我が家
   うるわしき 明け暮れ
   共に歌わな

2 サボテンの花は散る 牧(まき)の草生(くさふ)
  小羊は鈴鳴らし 家路へ急ぐよ
  (コーラス*)


(日本語詞4:岩谷時子)

1 あの山をいつか越えて 帰ろうよ我が家へ
  この胸に今日も浮かぶ ふるさとの家路よ
  (コーラス*)
   ああ我が家よ 日の光り輝く
   草の道 歌いながら
   ふるさとへ帰ろう

2 あの山を誰と越えて 帰ろうか我が家へ
  流れゆく雲の彼方 ふるさとは遠いよ
   (コーラス*)
   ああ我が家よ 日の光り輝く
   丘の道歌いながら
   故郷へ帰ろう


    Home On The Range
                         作詞:Brewster Higley (1876)

1. Oh, give me a home where the Buffalo roam
   Where the Deer and the Antelope play;
   Where seldom is heard a discouraging word,
   And the sky is not cloudy all day.
     (Chorus*)
      A home! A home!
      Where the Deer and the Antelope play,
      Where seldom is heard a discouraging word,
      And the sky is not clouded all day.

2. Oh! give me a land where the bright diamond sand
   Throws its light from the glittering streams,
   Where glideth along the graceful white swan,
   Like the maid in her heavenly dreams.
     (Chorus*)

3. Oh! give me a gale of the Solomon vale,
   Where the life streams with buoyancy flow;
   On the banks of the Beaver, where seldom if ever,
   Any poisonous herbage doth grow.
     (Chorus*)

4. How often at night, when the heavens were bright,
   With the light of the twinkling stars
   Have I stood here amazed, and asked as I gazed,
   If their glory exceed that of ours.
     (Chorus*)

5. I love the wild flowers in this bright land of ours,
   I love the wild curlew's shrill scream;
   The bluffs and white rocks, and antelope flocks
   That graze on the mountains so green.
     (Chorus*)

6. The air is so pure and the breezes so fine,
   The zephyrs so balmy and light,
   That I would not exchange my home here to range
   Forever in azures so bright.
     (Chorus*)

《蛇足》 1871年、医師ブリュースター・ヒグリー(Brewster Higley)は、インディアナ州からカンザス州に移住、小さな土地に小屋を建てて暮らしていました。

 ある日、彼は小屋の近くを流れるビーヴァーの川岸に腰を下ろし、目路をかぎりの豊かな草原を楽しんでいました。そこかしこで群れ遊ぶバッファローや鹿、アンテロープなどを眺めているうちに、一つの詩想が浮かびました。

 彼はそれをノートに書きつけ、小屋に帰ってから"My Western Home"(『西部の我が家』)という詩に仕上げました。1872年秋のことです。
 これがのちにアメリカ中で、さらには世界中で歌われるようになった"Home on the Range"
(『峠の我が家』)の原詞です。

 彼はこれを発表するつもりはとくになかったのですが、ある日訪ねてきた地元民のT.リーズという男がこれを読んで大感激し、ぜひ歌にすべきだとヒグリーを説得したのです。
 たまたまヒグリーの友人にダニエル・E・ケリー
(Daniel E. Kelley)というヴァイオリン奏者がいて、彼が作曲を引き受けることになりました。

 できあがった歌は、たちまちその地方一帯の住民たちに愛唱されるようになり、さらにその地を通過する移住者や牧童たちによって、西部各地に広められていきました。

 歌詞は自然に恵まれたふるさとを恋うという人間の普遍的な感情を歌ったもの。そのため、自分のふるさとを歌った歌詞が付け加えやすく、"My Colorado Home"(『コロラドの我が家』)や"My Arizona Home"(『アリゾナの我が家』)といったヴァリエーションが続々と生まれました。

 さまざまな歌詞が広まっていくうちに、もとの作詞者・作曲者の名前はすっかり忘れられてしまいました。

 原作者が問題になったのは、1920年代に入って、レコードが発売されたり、ラジオで流されたりするようになってからです。2人組のアリゾナ人が、曲は自分たちが作ったものだと主張して、NBCラジオやレコード会社を訴えたのです。
 そのため、
"Home on the Range"は、放送もレコード販売もできなくなってしまいました。

 被告側も黙っていませんでした。弁護士を雇ってオリジナルを探させたのです。弁護士は、ミシシッピからカンザスまで中西部各州を歩き回り、ついにヒグリーのオリジナル"My Western Home" の1876年版を発見したのです。
 これにより、原作者問題は決着がつき、放送もレコード販売もできるようになりました。

 ヒグリーは1911年、ケリーは1905年に亡くなっていた(ケリーは自殺)ので、このドタバタ騒ぎを知ることはありませんでした。

 この歌は、フランクリン・ルーズベルト大統領が1932年に、最も好きな歌だ、と述べたことで有名です。また、1947年には、この歌がカンザス州の公式の州歌となりました。

 ところで、"Home on the Range"は、日本語詞ではいずれも『峠の我が家』となっています。しかし、rangeには峠という意味はありません。
 rangeは連なりとか範囲を示す言葉で、地形について言えば、山脈とか高地、平原、草原、広野、牧草地などを意味します。ですから、
"Home on the Range"をそのまま訳すと、「草原の我が家」とか「牧場の我が家」といった言葉になります。

 だいいち、カンザス州はプレーリーのまっただ中にあり、峠らしい峠、少なくとも日本人が峠と感じるような地形はほとんど見当たりません。州全体が、西のコロラド高原から東のミズーリに向かって緩やかに傾斜する大平原です。

 それでは、日本語詞の作詞者たちは、なぜ「峠の我が家」としたのでしょうか。

 大平原が広がるアメリカ中西部やモンゴルなどと違って、山の多い日本では、ふるさとから出て行くにしても帰ってくるにしても、多かれ少なかれ峠を通ることになります。もちろん今はトンネルや道路が整備されて、峠越えしなくてはならないところはあまりありません。

 しかし、日本人の長い生活史のなかで、ふるさとは峠のイメージと密接に結びついています。そこで、あえて『峠の我が家』としたのではないでしょうか。
 『峠の我が家』には、峠にある我が家という意味のほかに、峠の先にある我が家という意味も含まれていると思いますが、いかがでしょうか。

(二木紘三)

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コメント

中学2年の音楽の教科書に載っていたのは、津川主一さん訳詩の「牧場のわが家」で歌詞は下記のとおりでした。
1.水牛は群れさすらい カモシカはたわむれ
  野に山に光満ちて 空も晴れ渡れり
   なつかしや 牧場のわが家
   野に山に光満ちて 空も晴れ渡れり
2.流れゆく小川の水 銀の砂を運び
  白鳥は夢のごとく 川の面に浮かぶ
   なつかしや~

外国の訳詩の歌はどうしてか、一番最初に覚えた歌詞を好きになってしまいます。
その時に感動した心や、思い出に惹かれてしまうからでしょうか。

投稿: コーデリア | 2010年3月24日 (水) 11時25分

『うた物語』、毎回楽しみにしています。音楽は心地よく、《蛇足》は読み応えがあります。今回の「峠の我が家」は大好きな一曲です。四人四様の日本語詞、訳詩家それぞれの「心の我が家」なのでしょうか。訳詩があることを知りませんでした。お教えいただき有難うございます。この曲、私のホームページ「楽蜻庵」のテーマ曲にしていることもあり取り上げていただき嬉しくなりました。これまでに拝読した《蛇足》の中で特に印象に残っているのは5年で廃校になった「最後の旧制高校」旅順高校がでてくる『北帰行』の文章です。

投稿: 楽蜻庵 | 2010年3月24日 (水) 16時46分

二木様の「峠」についての含蓄ある解釈に目から鱗です。実は過去に、この原詞について調べたことがあるのです。そのとき、のっけから「range]でつまずいてしまいました。英語で「峠」は「pass」ですから、米語で「range」を「峠」というのかと、辞書をいろいろひっくり返して見ましたが、「峠」という文字はついぞ発見できず、己の語学力のなさを嘆いたものです。やはり「range」には「峠」の意味はないんですね。日本人の「my home」(故郷の意)が、意識的、無意識的に「峠」と結びついていると喝破された二木様の慧眼に脱帽です。ありがとうございました。
 さらに、この歌の中身に入って驚いたのですが、いきなり「give me a home」(おれに家をくれ)ですから、わたしはヒグリー(作詞家)はてっきり西部に流れ込んだ「ならず者」の類かと思っていましたが、医者だったんですね。かれをはじめ、この地に流れて来た者は、大平原のこの地を終生自分の住む土地にしたいという思いは強かったんでしょうね。また、もともとインディアンのものだったこの土地を、多くの白人の犠牲を払って得た土地だから、われわれは当然その分け前にあずかれるはずだという暗黙の了解があったんでしょうか。この歌の歌詞を原語で辿ると、郷愁に満ちた訳詞とはうらはらに、裏面にアメリカの西部開拓史における影の部分が見えて来るように思うのは、わたしの僻目でしょうか。

投稿: ひろし | 2010年3月25日 (木) 15時51分

ひろし様
ヒグリーがカンザスにやってきたのは、1862年制定のホームステッド法(自営農地法)に従って土地を取得するためだったといわれています。
ホームステッド法は、一定の条件を満たせば65ヘクタールの土地を無償で払い下げる、という法律で、移住者たちは少しでもよい土地を獲得しようと競争を繰り広げました。もしかしたら、これが"Give me a home……"というフレーズにつながったのかもしれません。
しかし、それではあまりに生臭くて、詩情が損なわれるので、「神よ、我に自然豊かなふるさとを与えたまえ」といった素朴な祈りの言葉だったと私は解釈しています。(二木紘三)

投稿: 管理人 | 2010年3月25日 (木) 16時58分

二木様 
 そう言われれば「ホームステッド法」という西部開拓を推進するための法律がありましたね。リンカーン大統領のときでしたか、受験の世界史を思い出しました。それはそうと、わたしの原詩に対する読みはうがち過ぎでしたね。現実が生臭いが故に、それを詩情というオブラートにくるむことも人生を豊かにするには必要なことで、芸術とはそういうものなのでしょうね。いろいろ示唆に富むコメントをいただきありがとうございました。

投稿: ひろし | 2010年3月25日 (木) 22時35分

作詞者のお医者さんヒグリーがどういう生涯を送ったのか知る由もありませんが、「蛇足」から受ける感じでは独り者だったのではないでしょうか。彼がすでに小屋を建てていたとすれば、give me a home の home は家というより家庭、家族、というニュアンスではなかったかと思います。
また、Chorusの冒頭部はHome Home On The Rangeと記憶しているのですが・・・。

投稿: 周坊 | 2010年3月26日 (金) 15時48分

周坊様
コーラス部分の1行目は、ヒグリーの1876年版と、William & Mary Goodwinが1904年に発表した歌詞では、" A home! A home!"ですが、John A. Lomaxが1910年に発表した歌詞では、"Home, home on the range,"となっています。日本ではこちらがよく歌われたのでしょう。(二木紘三)

投稿: 管理人 | 2010年3月26日 (金) 16時10分

二木 様
早速教えていただいて恐縮です。
入力ミスには見えず、何かあるんだろうとは思っていました。有難うございました。

投稿: 周坊 | 2010年3月26日 (金) 17時20分

郷愁をそそる名曲です。

投稿: 三瓶 | 2010年3月29日 (月) 15時24分

二木先生があえて訳詩ではなく日本語詩とされている訳が、この歌の原詩と四人の日本語詞の作詞者の作詞との乖離で理解できます。素朴な疑問ですが原詩の「Where seldom is heard a discouraging word」はどのような表現で日本語詩として提示されているのでしょうか。このフレーズこそがブリュースター・ヒグリー(Brewster Higley)がもっとも強調したい心境なのではと思っています。

投稿: 亜浪沙 | 2010年3月29日 (月) 16時40分

亜浪沙様
滝田和夫の「悲しみも憂いも無き 微笑みの我が家」が"Where seldom is heard a discouraging word"を多少意識したヴァースではないかと思います。

投稿: 管理人 | 2010年3月29日 (月) 18時46分

歌詞で一番好きなのは岩谷時子さんの訳詩です。

投稿: 三瓶 | 2010年4月 1日 (木) 08時56分

[日本語詞4:岩谷時子]の1番の2行目の歌詞は
私の記憶では
 帰ろう  わが家へ
ではなくて
 帰ろうよ わが家へ
でした。
2番が
 帰ろうか 我が家へ
なので、(漢字をひらがなに直せば)字数もぴったりです。

投稿: 山本健司 | 2010年6月 4日 (金) 21時24分

山本健司様
ご指摘ありがとうございました。
さっそく修正しました。(二木紘三)

投稿: 管理人 | 2010年6月 5日 (土) 02時09分

日本語詞2の「滝田」は「龍田」あるいは「竜田」ではないでしょうか?

投稿: 和生 | 2010年6月 5日 (土) 19時28分

和生 様
ご指摘の通り、龍田和夫でした。
著名な英文学者ですね。
ありがとうございました。(二木紘三)

投稿: 管理人 | 2010年6月 5日 (土) 21時59分

カンザス州の新聞The Wichita Eagleのホームページを開くと2011年1月16日付けのニュースでヒグレーの小屋が現在も保存されていることが紹介されており、写真を見ることも出来ます。
http://www.kansas.com/2011/01/16/1676538/historic-kansas-cabin-an-elemental.html
このホームページでみる限り、この小屋は傾斜地に建っており、下の方から写したヒグレーの小屋と暮れなずんで行く空を動画で見ることも出来ます。on the rangeという原題はさておき、“丘の上”hill topという表現が最も合っている風景です。
では何故“峠”という訳になったかですが、私はvale(谷)とmountainsという単語からの連想ではないかと思います。久野静夫の訳詞では、『空青く山は緑 谷間には花咲き』とあります。私はかつてミズーリ州に住んでいました。ミズーリ州の東側をミシシッピー川が流れていますが、ミシシッピー川は源流のロッキー山脈の流域を除き、大平原をゆっくりと流れる川幅の広い河です。しかしながらこの流域全体を現地ではMississippi Valleyと呼びます。valleyには低地という意味があり、ミシシッピー川に限らず、アメリカではたとえ平坦であっても川の流域をvalleyと呼ぶのが一般的です。一方日本人の感覚では、谷や山という言葉から連想するのは山間の地です。実際に現地に行くこともできず、今日のようにホームページで閲覧することもできない時代には、詩の翻訳の過程で連想される情景が違ってくるのは当然とは思います。

投稿: Yoshi | 2011年6月 1日 (水) 20時53分

はじめまして。
曲数も情報量も多い二木さんのブログにはいつも驚いています。
小生のようなものがここにコメントさせていただくのは誠に恐縮なのですが、我がブログにリンクを張らせていただきましたのでご了承いただけるかとお伺いいたしました。
二木さんの今後のご活躍とご健康をお祈りいたしております。

投稿: とらじろう | 2011年12月17日 (土) 12時23分

始めまして。

「峠の我が家」の歌詞を調べたくてこちらに来ました。
驚きました、様々な訳があるのですねぇ。
私が習ったのは下記の歌詞です。

峠には緑しげり そよ風さやさや
思い出す母の笑顔 我が家はなつかし
いつの日も心のふるさと
白い雲遠く流れ 空青く光るよ

谷あいは雨にけむり 静かな夜にも
笑い声常に満ちた 我が家はなつかし

大好きな曲で、いつも口ずさんでいます。
歌詞はほぼ間違いないと思います。
が、二番のこの後がどうしても思い出せず、もしかしてと思い検索してみました。
この歌詞はどこにも出てきません。
昭和28年生まれの私が、三重県津市の中学校で習った歌詞です、昭和38年~40年頃でしょうか、その頃の音楽の教科書はどこの物だったのか・・・
こちらで他の歌詞を拝見して、二番の後半は一番の繰り返しなんだ!と思い長年の疑問が解けたようで嬉しいです。しかし何か違う歌詞になっていたような気もするのです。
音楽の教科書を残しておけばと悔やまれます。

この曲にまつわるエピソード、読ませて頂きました。
そんな事があったのですね。
本当にいい曲です。


投稿: tenten | 2012年8月30日 (木) 10時07分

拙ブログの「峠の我が家」考で、
我が家ではなく我がふるさとではないかと考察しました。
http://finedayspill.blogspot.jp/2013/03/4.html

投稿: ruriko | 2013年3月 5日 (火) 21時52分

原詩の翻訳と原詩に忠実な訳詞を作ってみました。
http://finedayspill.blogspot.jp/2013/03/blog-post_6.html
元の曲はゆったり朗々と歌い上げる曲と理解していますので、
そのような訳詞にしました。

投稿: ruriko | 2013年3月 6日 (水) 20時39分

このメロディーが何故懐かしく響くのか、分らない。習ったのでしょうかね。峠の我が家と言う歌がある、お前さん、歌える?もしそう言われるなら、私は自信を持って言います;「歌えるわけないでしょう」と。

不思議なんですが、ふたつぎさんの魔法の指から弾き出されるメロディーはどこかに留まっている記憶を呼び覚ます、それは確かです。やはり餓鬼時代に、環境音楽のように耳に親しく入っていたに違いありません。

Home on The Rangeを‘峠の我が家‘と訳す感覚というか、詩情について、正直に申し上げ、よくもやると思います。山岳国日本に峠は万とあれど、茶屋はあっても‘住まう家屋‘のある峠は皆無でしょう。観光地の峠に広場を造成して、`家族の住まい`をつくる例があり得る…、だが、それを心情に迫る我が家にするには安物普請に過ぎます。

日本言葉の歌詞を聴いた先人はあたかも峠に`愛する家族と共に住まう家屋`が存在する錯覚に陥ったのではないでしょうか。なぜなら、あまりにも詩情深い素晴らしいメロディーだから。

歩き登り、歩き下る、その中間デッドポイントに我が家(あるいは集落)は存在しない。ほんとの我が家は峠に登る手前と峠を下った後にある筈です。にも拘らず、人々はそれを信じる。プロパガンダ風な無理やり文句歌を好みませんが、普段の心を打つ普遍的な詩/歌は力なり、と思います。

投稿: minatoya | 2013年5月10日 (金) 08時12分

なつかしい。
もうすぐ83歳になる兄がよく歌ってました。
 流れゆく小川の水 銀の砂を運び
 白鳥は夢のごとく 川の面に浮かぶ……
僕は「白鳥は群れさすらい」だと思ってましたが、それは1番だったんですね。
でも思い出せるのはこの2行だけで、あとは兄に訊いても憶えてないと言います。
ご存知でしたら、この2番の歌詞の続きを教えてください。
のびやかでいい曲ですよね。
もう60年前ですか、兄が一杯やると必ずこの歌をうたってた風景が、
田舎の掘りごたつで聴いてた自分も思い出されます。

投稿: GWAN | 2013年11月14日 (木) 17時23分

峠というのは、「山の坂路を登りつめたところ、山の上りから下りへの境」と広辞苑(第2版)にありますが、こういう概念は外国語にあるのでしょうか?峠という言葉は本来の漢字にはなく、日本で作られた言葉(国字)だと広辞苑にはあります。事実、中国の友人から、日本語の峠という言葉が中国語(漢字)にないので、翻訳するときに苦労している、「峠」を表わすのに「峰」あるいは「嶺」という漢字を当てたりしていると聞いたことがあります。「ひろし」様がコメントで、峠は英語ではpassであると断定されていますが、passという言葉を辞書で引くと、「狭い通路、山道、峠」とあり、必ずしも日本語でいう峠を指しているわけではありません。passは峠を含む狭い通路、山道を指す広い意味の言葉ではないでしょうか。

投稿: KeiichiKoda | 2013年11月16日 (土) 08時23分

KeiichiKoda 様
「峠」についてご教示くださり、ありがとうございます。はしなくも、わたしの語学力のなさを露呈してしまいました。ご指摘の通り、「pass」は日本の「峠」の概念にはそぐわないようですね。では、「峠」にあたる英語は何と言えばいいのか。わたしの乏しい能力では「hilltop」くらいしか思い浮かばないのですが。
 わたしが文中、「峠」を「pass」と理解したのは、地図帳などで、たとえば「カイバー峠」やアルプスの「サンゴタール峠」などを「pass」と表記しているからで、深く考えもせず使用したものです。重ねて御礼申し上げます。

投稿: ひろし | 2013年11月16日 (土) 15時48分

GWAN様

通りすがりの者です。
私も昔、津川主一訳詩の「牧場の我が家」を習いました。

歌詞は最初のコメントのコーデリアさんが書いていらっしゃいます。
2番の3行目4行目は一番と同じです。

なお、1番のはじめは「水牛は群れさすらい」であり、
「白鳥は・・・」ではありませんので、念のため申し上げます。

投稿: 銀の砂 | 2013年11月17日 (日) 23時02分

《峠》再考――KeiichiKoda様のご指摘を受けて、少し調べてみました。本サイトの趣旨から少し外れますが、お許しください。
 
 日本語の「峠」に該当するのは、英語の「pass」ではない、と指摘されたKoda様のご意見は、ごもっともだと思います。ウィキペディアによると、山がちの日本には1万か所もの「峠」があるそうですが、その「峠」は政治的、行政的な境界以外に、民俗的、宗教的な意味合いをも強くもっているようで、一般には「峠」に祠(多くは道祖神)があり、村人が峠越えをするときは必ず手向け(たむけ)(これが転化して「とうげ」となったという説あり)をしたとのことです。ここから、この詞の訳者のように、「ふるさと」=「峠」のイメージにつながったように思われます。 
外国には、上記のような特別な意味合いをもつ「峠」はないようで、地理的な「峠」の定義では,
「尾根の特に低い所を横断する交通路」(広辞苑による)ですから、英語表記の場合には「峠」に「pass」を使っているようです(例 碓氷峠the Usui Pass、乙女峠the Otome Pass)
.

投稿: ひろし | 2013年11月21日 (木) 13時12分

「故郷の廃屋」でのKeiichiKoda様のコメントに導かれ、”懐かしのバージニア”をYOUTUBUで聴いていたところ「峠の我が家(homeonthe range(video karaoke Version))」にも行き当たりました。カラオケ版でバックコーラスも付いています。はまってしまい、毎日聴いています。美しい曲ですね。その他youtubeにあるこの曲のコーラスも良いですね。

投稿: yoko | 2015年3月26日 (木) 16時11分

今回の原詩では、省かれていましたが、以下の歌詞があります。
The red man was pressed from this part of the west. It's not likely he'll ever return to the banks of Red River where seldom if ever, his flickering campfires burn,
このred man がアメリカ原住民を意味するなら、この歌詞は”ヨーロッパ人がアメリカ原住民を追い払ってしまった”ということを意味しているように思えますが、どうお考えですか?
白人の罪の意識の表われでしょうか?

投稿: egechan | 2019年7月27日 (土) 20時51分

『峠の我が家』は、学校音楽で習った記憶はありませんが、若い頃から知っていました。
私の音源(HDDジュークボックス)には、ミッチ・ミラー(Mitch Miller)合唱団、ロジェ・ワーグナー(Roger Wagner)合唱団による歌声(原語=英語)を収録してあり、ときどき聴いております。平易な文章で表されていているからでしょうか、歌詞1番は諳んじて歌えます。

歌詞の中で、なぜか心に留まるのは、末尾の部分です。
  ♪…the sky is not cloudy all day. ♪
直訳すれば、”空には、一日中、雲一つない”ということになり、美しい青空を思い描く情景が読取れます。
なぜ、”空は、一日中、晴れている”と言わないのでしょう。
前の行を見ますと、
  ♪…seldom is heard a discouraging word, ♪
とあり、この行の表現法に合わせた表現法をとっているのかなあ、というのが私なりの受け取り方です。
つまり、うまく表せませんが、どちらも、重苦しいこと( それぞれ、a discouraging wordと cloudy)を打ち消すという表現法になっているとの解釈です。
なお、私は、”雲一つない青空”よりも、”ところどころ白雲が浮かんでいる青空”の方が風情があっていいと思うのですが、…。

投稿: yasushi | 2023年11月24日 (金) 15時42分

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