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2010年4月 3日 (土)

はしばみ谷のネリー

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞・作曲:G. Friedrich Wurzel

     Hazel Dell
 (Nelly of the Hazel Dell)

1. In the Hazel Dell
   My Nelly's sleeping,
   Nelly lov'd so long !
   And my lonely,lonely watch
   I'm keeping,
   Nelly lost and gone;
   Here in moonlight often
   We have wander'd
   Thro' the silent shade,
   Now where leafy branches
   Drooping downward,
   Little Nelly's laid,
    (CHORUS:)
      All alone my watch
      I'm keeping,
      In the Hazel Dell,
      For my darling
      Nelly's near me sleeping
      Nelly dear, farewell.
      (repeat)

2. In the Hazel Dell
   My Nelly's sleeping,
   Where the flowers wave,
   And the silent stars are
   Nightly weeping,
   O'er poor Nelly's grave;
   Hopes that once my bosom
   Fondly cherish'd,
   Smile no more for me,
   Ev'ry dream of joy,
   Alas has perish'd,
   Nelly, dear, with thee.
    (CHORUS:)

3. Now I'm weary, friendless
   And forsaken,
   Watching here alone,
   Nelly thou no more
   Will fondly cheer me,
   With thy loving tone.
   Yet forever shall
   Thy gentle image
   In my mem'ry dwell,
   And my tears thy lonely
   Grave shall moisten,
   Nelly, dear, farewell.
    (CHORUS:)

《蛇足》 恥ずかしながら、ってこともないけれども、50年来の「赤毛のアン」のファンです。大の男が少女小説に夢中になるかといわれたこともありましたが、男っぽい小説を書いたマーク・トウェインやキプリングも、熱烈な「赤毛のアン」ファンでした。

 最後にeのつくアンこそ、ルーシー・モード・モンゴメリが生み出した奇跡のキャラクターであり、人生は生きていくに値するものだということをしみじみ感じさせてくれる伝道者でもあります。

 私はたぶん20回前後はこのシリーズを読んだと思います。もっとも、それだけ読んだのは、第1巻『赤毛のアン(Anne of Green Gables)』、第2巻『アンの青春(Anne of Avonlea)』、第3巻『アンの愛情(Anne of the Island)』だけで、それ以降の巻は2、3回しか読んでいないと思います。

 つい先月も、グーテンベルグ・プロジェクトから"Anne of the Island"をダウンロードして読んだばかりです。久しぶりにアンやフィリパに会ってきました。

 前置きが長くなりましたが、このシリーズにはいくつか歌が出てきます。第1巻の最初に出てくるのが、『はしばみ谷のネリー』です。正式なタイトルは"Hazel Dell"ですが、一般には"Nelly of the Hazel Dell"と呼ばれていたようです。

 村岡花子訳からその部分を引用しましょう。松本侑子氏の新訳もありますが、私が読み続けてきたのは、言葉遣いの古い(讃辞です)村岡訳なので。

(1)第12章でバーリー家のダイアナと友達になったようすを興奮してマリラに話す場面。
「……ダイアナの目はとても精神的だと思わない? あたしも精神的な目だったらいいのにな。ダイアナはあたしに『はしばみ谷のネリー』という歌を教えてくれるんですって。……」

(2)第14章の冒頭。
「……アンはしみ一つないテーブルに向かって豆のさやをむきながら、『はしばみ谷のネリー』を歌っていたが、その元気いっぱいの歌いぶりといい、歌いまわしといい、ダイアナの指導の手なみのほどがうかがわれた」

 私はこの歌は作者が適当に作ったタイトルだろうと思っていましたが、最近実際に存在することがわかり、歌詞と楽譜を入手できたので、紹介することにしました。
 ちょっと引っかかるのは、(2)の引用部分でアンの歌い方が「元気いっぱい(vigor)」と表現されていることです。上掲の歌詞を見てもわかるように、とても悲しい歌で、元気いっぱいに歌うような内容ではありません。

 かつてフジテレビで放映されたアニメ版『赤毛のアン』で挿入曲として使われた『はしばみ谷のネリー』は、歌詞は「花かおる野辺に 小鳥は歌い……」という明るい内容で、メロディも快調なものでした。
 これはたぶんアニメ用に新しく作詞・作曲したものだろうと思っていたら、プリシラさんの情報により、曲は聖歌396番
(讃美歌495番)『十字架のかげに』を編曲したものだということがわかりました(下記投稿参照)

 上記の詞の意味を書いておきましょう。

1 はしばみ谷に私のネリーは眠っている
  愛したネリーよ、さようなら
  私はひとりぼっちで通夜を続けている
  ネリーは先立ち、逝ってしまった
  私たちはよく、月光のなかを
  静かな木蔭を抜けて歩き回ったものだった
  今そこでは、葉の茂る枝がうなだれ
  かわいいネリーが横たわっている
  (合唱)私はたったひとり、はしばみ谷で
      通夜を続けている     
      最愛のひとのために
      ネリーはかたわらに眠っている
      いとしのネリーよ、さようなら
       (繰り返す)

2 はしばみ谷に私のネリーは眠っている
  そこでは花々が波うち揺れ
  無言の星々が夜ごとすすり泣いている
  哀れなネリーの墓の上で
  かつて私の胸に優しく宿っていた希望は
  もう私のために微笑まない
  すべての楽しい夢は ああ 消え去ってしまった
  いとしのネリーよ、おまえとともに

3 私は今、疲れ果て、友もなく
  見捨てられて、ひとりここで通夜をしている
  ネリー、おまえはもう、その愛の籠もった声で
  私を優しく元気づけてはくれないのだね
  でも、おまえの優しい姿は永遠に
  私の胸に宿っている
  そして私の涙はおまえの寂しい墓をぬらしている
  愛しいネリーよ、さようなら

 作詞・作曲者のG・フリードリッヒ・ワーゼル(G. Friedrich Wurzel)は筆名で、本名はジョージ・フレデリック・ルート(George Frederick Root)。ほとんどの曲は本名で発表していますが、この歌は筆名で発表し、1853年に出版されました。
 モンゴメリがこの本を書いた1904年
(出版は4年後)には、プリンス・エドワード島でも、よく歌われるようになっていたのでしょう。

 Wurzelはroot(根っこ)のドイツ語形で、ドイツ語読みだとヴルツェルとなります。名前からわかるようにドイツ系ですが、マサチューセッツ州シェフィールドの生まれ(1820年8月30日~1895年8月6日)

 フォスターと同時期に音楽活動を行い、彼のライバルと目されていました。フォスターより多作でしたが、南北戦争中の北軍の軍歌として歌われた『自由の雄叫び(Battle Cry of Freedom)』が代表作で、フォスターの作品ほど多くは記憶されていません。

 しかし、その人生はフォスターよりはるかに恵まれており、ウィーン、パリ、ロンドンに音楽留学したし、帰国後はソングライターとしてのほかに、音楽教育者として高く評価されました。また、シカゴ大学で最初の音楽学博士の称号を得ています。

(二木紘三)

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コメント

「はしばみ谷のネリー」懐かしい響きだと思ったら、アンの中に出て来るのですね?早速、手元の文庫本で「赤毛のアン」12章と14章を当たって見ました。ついでに「ブローチ事件」も読んで大笑いし、ダイアナとの誓いにしんみりし・・・アンは私が13歳の時以来、友だちです。しかし、文字は小さくて読みづらくなったことに歳月を感じますが。男性のかたでお好きだと聞くと、心の距離が縮まったような親しみを感じます。

投稿: Bianca | 2010年4月 3日 (土) 18時55分

悲しいはずのアンの気持ちをこうも明るく爽やかな曲
で表現されていて不思議な気もしますが、常に夢や希望
に満ち満ちて前を向いて生きているアンだからこそこの
ような曲が生まれた・・・そんな気もします。

「Anne」は腹心の友と、大切にされている方は多い
と思います。私は全巻読み通してはいませんが、沢山
傍線を引き引き読みました。

漫画家のサトウサンペイさんもアンファンで、逆境に
あった孤児のアンについて「人は悲しみの涙があふれ
ているときは、その涙を通して物事がはっきり見える」
「逆境は財産です」と仰っています。
42~3歳の頃読まれたそうです。
茂木健一郎さんも「赤毛のアン」が大好きで何度も読ま
れたとか・・・。

*いつか、アンがマリラにこう言ったことがあった。
 「けっきょく、一番幸福な日というのは、すばらしい
  ことや驚くようなこと、胸の湧きたつようなできご
  とがおこる日ではなく、真珠が一つずつそっと糸か
  らすべりおちるように、単純な小さな喜びを次々に
  もってくる一日一日のことだと思うわ」

生きるということの本質を突いているように思います。 
本当にほんとうに”いい本”です。


投稿: やまゆり | 2010年4月 4日 (日) 22時11分

本を取り出し確かめて感激、Biancaさんと全く同じことを私も思いました。

アンデルセンの「豚飼い王子」の中に出て来るメロディーが、ドイツ民謡(オーストリア民謡)として実在すると知った時以来の喜びです。
(しかも、悲しげな歌詞の「愛しのアウグスティン」は意外にも明るいメロディーで、「緑の丘に今日も来たよ…」と子供の頃に元気良く歌った懐かしい曲でした。)

これはどんな曲なのかしら…と、遠い記憶ながら物語の中の歌詞の一部などを思い返すことは度々あり、それを実際に聴く事が出来た時はとても幸せな気持になります。

投稿: nobara | 2010年4月 4日 (日) 23時48分

私のバッグの中に数冊目の「赤毛のアン」の文庫本が入っています。
気が向いたときに適当に開いたページを読みはじめると、いつもそこにアンがいます。
でも、一番好きな場面は、手違いによりグリーンゲイブルズヘ来たアンをスペンサー夫人のところへ、連れて行って孤児院へ返す相談をしているとき、ブルエット夫人を見て、マリラがアンを引き取ることを決心するところです。
それこそ、息をもつかず一気に読み通してしまう場面です。
まるで、自分自身がアンになったように・・・

だから、私のペンネームは「コーデリアと呼んでくださらない」

投稿: コーデリア | 2010年4月 5日 (月) 22時50分

子供の頃からアンが好きで、何度も何度も読んでいます。
その頃からこの曲が気になっていました

大人になってから、はじめて原作(英文)にチャレンジしていますが、ちょうど今日『はしばみ谷のネリー』の件まで読み、そういえば。。。と検索してみたのです。

20年来気になっていたことが解消されました
ありがとうございます

投稿: ジム船長 | 2010年4月 8日 (木) 21時43分

この歌は初めて聴きました。ライバル?のフォスターの”オールド ブラック ジョー”と詩の内容や曲想がよく似ていますね。明るい点では”千の風になって”とも相通ずるものを感じます。
小学校の高学年や中学校の教材としては最適でしょう。

投稿: 三瓶 | 2010年4月 9日 (金) 16時15分

「はしばみ谷のネリー」で検索していたら、偶然こちらのページに辿り着きました。
私も赤毛のアンが大好きです。原作もアニメも両方好きです。アニメ版「はしばみ谷のネリー」は、気がつくと口ずさんでいるお気に入りの曲です。

さて、コメントさせていただいたのは、とあるサイトで、『<はしばみ谷のネリー>の元歌は聖歌396番(賛美歌495番)<十字架のかげに>である』という一文を見つけたからです。
私はクリスチャンではありませんが、通っていた高校がプロテスタント系ミッションスクールだったため、手元に讃美歌集があります。さっそく楽譜を確認したところ、確かにほぼ同じ曲と言って良いものでした。

あの曲はアニメのオリジナルだと勝手に思い込んでいたので、こちらの記事を拝見して、驚きました。
そして、アニメ版の方は讃美歌が元になっていることにも、かなり驚きました。
どういう経緯で、数多ある讃美歌の中から495番が選ばれたのか、非常に気になります…。

すみません、興奮して長くなってしまいました。
乱文お許し下さいませ。

投稿: プリシラ | 2010年5月17日 (月) 18時43分

子供の時から本が友達で、「赤毛のアン」も愛読しましたが、
アニメは見ていませんでした。
私なりに描いたイメージが壊れることが怖かったからです。
でも、二木先生のご解説やプリシラさんのコメントを読んで、
アニメ版の「はしばみ谷のネリー」も聴きたくなり、
この夏「赤毛のアン」のDVDを借りてみました。
確かに聞き覚えのある賛美歌とそっくりで驚きました。

聖歌や賛美歌も時代によって新しいものが作られたり、文語から口語に
近いものに歌詞が変えられる事があるようです。
また、改編、改訂の際に外されたり、宗派や教会によっても違うのでしょうが、
あまり歌われなくなった賛美歌もあるようです。
アニメ版の「はしばみ谷のネリー」の元になった賛美歌は、比較的新しい
「賛美歌21」にはもう載っていません。
その美しいメロディーがアニメの中に使われて、多くの人の心に残った事を知り
嬉しく思っています。
お陰さまで二つの「はしばみ谷のネリー」を聴くことができました。
ありがとうございました。

投稿: nobara | 2010年9月14日 (火) 11時45分

つい先日、レンガ作りのゴシック風な教会で特徴あるメロディーを聞きました。後部二階にパイプオルガンが設置され、その前部に十名ほどの年輩のクワイアーメンバーの歌唱。私に分かるのはあの特徴ある短い部分だけです。この歌に違いないと信じます。歌に詳しい皆さんには、どの部分かお分かりいただけると思います。後に続く部分が綺麗な二木さん演奏と同じだったかどうか…、言語が違うせいもあり、恥ずかしながら分かりませんでした。故人をしのぶミサで、きっと大変めずらしい選曲ではと思われます。

知人は手術後の不手際でなくなりましたが、人柄から87歳の優しい笑顔を浮かべ旅立ったと思っています。賛美歌の歌詞もネリーをしのぶ悲しい切ない内容なのか、これにもまったく不明です。同行の人々もまったく知らないようでした。合掌。

投稿: TangoMinato | 2012年9月23日 (日) 07時45分

特徴あるメロディーとはリフレインされる部分です。心に刻まれるリフレインですね。音楽と無縁な輩ですが、こんなリフレインを他に知りませんので、教会賛美歌はこの歌(のオリジナル)だったのは間違いないと思います mm

投稿: TangoMinato | 2012年9月23日 (日) 07時57分

先週月曜日のある会合でNettyと言う人と初めて自己紹介し合いました。17年前に出会い顔見知りですが、たまに村で通り過ぎるだけでした。この土曜にNelや他仲間とハイデ保存地の維持ヴォランティアに汗を流しました。

同じCornelius由来女性形ヴァリエーションで、楽しきMP3演奏が思い出されました。繰り返し繰り返し、ほろ酔う気分に陥ります。わたし自身、悲しいかなメロディーを口ずさむことが出来ません。ですが、痛いほど心が動きます。

ネルは二つの自然保護法人の事務方で頑張る背丈190㎝の蘭典型ノッポ。貫禄ネッティーは若い時、細身の魅惑美人だったでしょう、、あるいはこのネリーのように。弥生七日、春らしい風に傾きつつ垂れさがるハシバミの無数の花穂、明るい黄色に染まり、満開に迫っています。

投稿: minatoya | 2013年3月 8日 (金) 08時38分

 しつこく、これでもかと毎日投稿させていただいています。この「うた物語」から離れられなくて中毒(?)になっています。
 
 すごーく嬉しいです。二木先生が「赤毛のアン」のファンなんて‼️私の第1巻はボロボロです。ページが一枚一枚バラバラです。落としたら大変なことになってしまいます。まさに先生と同じで「青春」「愛情」この3巻を何度読み直したか分かりません。それこそ何が何処に書いてあるのか分かるくらいまでになっていました。アンを取り巻く人々のエピソードも大好きです。5巻めがなかなか出版されず待ち遠しくて首が鶴になっていました。
 ここに投稿されたコメントを拝読して男性にも沢山のファンがいることに驚くとともに、とてもとても手ばなしでうれしくなりました。
 小学生の頃から長じても言いつけられた手伝いをしなく、母に手伝いをしないのなら「本を焼く」とまで言われる始末でしたが、あの世に持っていくのは「アン10巻」と「あしながおじさん」と決めています。駄目な小説を書くようになったのも、もしかしたらアンの影響かもしれません。
 子育てに一段落ついた後、郷土資料館でバイトをしました。ある仕事の取材で村岡花子さん宅へ訪れたことがあり、書斎を見せたいただきました。執筆していた当時のままでした。とても感激しました。
 年甲斐もなく興奮してしまいました。ごめんなさい。

投稿: konoha | 2017年2月15日 (水) 18時11分

私も赤毛のアンの大ファンで10巻まで何回も読み返しています。
赤毛のアンを原書で読む講座を受講していて、同じサークルの方から「ハシバミ谷のネリイ」についてのレポートをもらいました。
折しも今、東京MXテレビでアニメの赤毛のアンを放送していて今日ちょうどその歌のシーンがあったので検索してこの記事を発見!
私もこの歌が実在する歌だとはしりませんでした。
アニメのほうは明るい感じで、でもメロディはどこかできいたことがあるような…と思ったら讃美歌からとった歌だそうですね。
アンのファンの皆さんの感想を知ることができてうれしくなりました。

投稿: ともちゃん | 2020年5月 4日 (月) 20時24分

以前このページに出会ったとき、「赤毛のアン」に主題歌があったのかと思いましたが、よく読んでみると、「赤毛のアン」という劇や映画の主題歌ではなく、お話の中でアンたちが好んで歌ったものというのでした。 この歌自体は私は全然知りませんでしたが。

私がこの本を読んだのは高校に入った頃、私の「ガールフレンド」(自分で勝手にそう思っていただけの)から読んでみたらと貸して貰ったときでした。 折角貸して貰って読んではみたものの、ある一つの少女小説としか認識できませんでしたし、お話の中味は何にも記憶には残りませんでした。 そしてこのページに出会って<蛇足>で二木先生が何度も読み返したと言われるほどの意味深い本なのだと知り、以前耳にした、この本が日本の若い女性方のいわばバイブル的な存在になっているということを思いだし、ああそんなに意味深い本なのか、それなのに俺はなんとも哲学的なセンスの欠片もないんだなあと、つくづく情けなく思ったものでした。

中味は全然記憶にないとは申しましたが、ただ二点だけ覚えてはいました。 一つはアンの友達にダイアナ・バリーという子がいて素敵な美人だということ(私の記憶では、ダイアン・バーリー)。 少年は美人の事はよく覚えているものですね。
もう一つは、中に出てくる少女たちが作った詩、二編。

 1.アンへ
   たそがれがカーテンをおろし
   星のピンでとめるとき
   思いおこせよ汝の友を
    (これには少し記憶違いがありました)

 2.わたしがあなたを愛するように
   あなたがわたしを愛するならば
   私ら二人をひきさくものは
   死よりほかになにもない

先述のこのページに出会ったときに、突然この二編が頭に浮かび、どうして本の中味は何も覚えてないのに、この詩だけが頭に残っていたのだろうかとつくづく不思議に思いました。 それにしてもこんな少女的な詩編、大の男が思い出した時、なんとなく自分で照れくさくなったのでした。 苦笑してしまいました。


きのう図書館へ行きました。 洋書の欄を見ていたら
「Anne of Green Gables」が目にとまりました。 おお「赤毛のアン」だと手に取りました。
中を見ているうち、上記の詩編が出てきました。

 1.To Anne
   When twilight drops her curtain down
   And pins it with a star
   Remember that you have a friend
   Though she may wander far
      Julia
   (上記の私が記憶していた方は
     少し間違っていましたね)

 2. If you love me as I love you
   Nothing but death can part us two
      Diana

その本、少し拾い読みしてみましたが、文章が綺麗だと感じました。 几帳面な文字送りで、作家の端整な性格が表れているように思いました。 高校生の英語教科書に使ったらいいでしょうね。 英語でこんな文章が書けたら最高。
時間が取れたらこの本借りだして読んでみようかと思います。 (英語で哲学を感じとれるだろうか)


もう五十年ほども前の頃、母がニューヨークへ行ってみたいと言いだし、長い休暇を取り、米国東部へと二人で出かけていきました。 折角だからと、ニューヨーク、ワシントンDC,ナイアガラを経て、カナダへ入りプリンス・エドワード島を訪れました。 島自体は本当に美しいところです。 季節もよい時で島中花にあふれ、島中を巡りました。 母は本当に嬉しそうでした。 プリンス・エドワード島はポテトが有名ですが、お芋好きの母はもうポテトばかり食べ、パンも肉もそっちのけ。 幸せそうな母を見るのは、こちらはこちらでいい気持ちになるものです。 アンの家のそばで、木陰の下で花に囲まれて、母は一時間ほどもじっとお家を眺めていました。 二人とも一言もないまま。 母は一体何を思っていたのだろう。

<蛇足>
帰途ノヴァ・スコシアのハリファックスへ寄った。 プリンス・エドワード島が母へのついでなら、こちらの方は、私がついでながら寄ってみたかったところです。 ハリファックスは、あの名画「アデルの恋の物語」の舞台になったところです。 しかしもう当時の面影は何も残ってはいませんでした。 映画の中の英軍の城砦は、実は英仏海峡のガーンジー島の城砦で撮影したものだそうです。
しかしハリファックスという街はそれはもう実に美しいところです。 今でも、赤毛のアンの作家、モンゴメリーさんが、ダラウジー大学に通っていた時の下宿のお家が遺っています。 それから、あの「王様と私」の家庭教師のおばさん(名前は忘れちゃった)が、後年息子さんと住んだ家も残っています。 あの映画で息子さんが居ましたけれど、その人が後 ノヴァ・スコシア銀行の幹部になったのでした。 緑の大きな建物で、今はレストランになっています。 
コロナ禍も薄れ、これからプリンス・エドワード島へ行かれる方も増えてくるでしょう。 ついでにハリファックスも是非訪れられるようお勧めします。
観光案内みたいになって、すみません。

   

投稿: 田主丸 | 2023年10月16日 (月) 16時41分

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