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2010年7月26日 (月)

森へ行きましょう(シュワ・ジェヴェチカ)

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


ポーランド民謡、日本語詞:東大音感合唱団

1 森へ行きましょう 娘さん(アハハ)
  鳥が鳴く(アハハ)あの森へ(ラララララ)
  僕らは木を伐る 君たちは(アハハ)
  草刈りの(アハハ)仕事しに
  (*)ランラララ ランラララ
     ランラーララ
       ランラララ ランラララ
     ランラーララ
       ランラララ ランラララ
     ランラーララ
       ラララ ラララ ラララララン

2 お昼の休みにゃ 娘さん(アハハ)
  まんまるい(アハハ)輪をつくり(ラララララ)
  話をしながら おもしろく(アハハ)
  お弁当(アハハ)食べましょう
  (*繰り返す)

3 仕事が済んだら 娘さん(アハハ)
  花の咲く(アハハ)草原で(ラララララ)
  みんなで手を組み 元気よく(アハハ)
  歌いましょう(アハハ)踊りましょう
  (*繰り返す)

            Szła dzieweczka
1. Szła dzieweczka, do laseczka, do zielonego,
   Do zielonego, do zielonego.
   Napotkała myśliweczka, bardzo śwarnego,
   Bardzo śwarnego, bardzo śwarnego.
   (Chorus)
      Gdzie jest ta ulica, gdzie jest ten dom,
      Gdzie jest ta dziewczyna, co kocham ją
      Znalazłem ulicę, znalazłem dom,
      Znalazłem dziewczynę, co kocham ją.

2. Myśliweczku kochaneczku, bardzom ci rada,
  Bardzom ci rada, bardzom ci rada.
   Dałabym ci chleba z masłem, alem go zjadła,
   Alem go zjadła, alem go zjadła.
   (Chorus)


《蛇足》 1955年にワルシャワで開かれた世界青年平和友好祭の参加者が持ち帰り、うたごえ運動などを通じて全国に広がりました。参加者の1人で、九大生だった荒谷俊治が採譜し、同じく参加者だった東大音感合唱団のメンバーが帰国後に歌詞をつけたとされています。

 なお、荒谷俊治は当時九大フィルハーモニーオーケストラの指揮者で、のちに東京フィルハーモニー交響楽団等の指揮者を務めました。

 この日本語詞を見ると、私はいつも昭和36年
(1961)の日活映画『草を刈る娘たち』を思い出します。吉永小百合・浜田光夫主演で、当時の日活には珍しい文芸作品でした。
 津軽を舞台に、秋の2週間、部落総出で行う馬草
(マグサ=馬や牛の飼料)刈りが若い男女の出会いの場になっているという牧歌的なストーリーです。

 しかし、原詞は内容が少々異なっています。上記の原詞とその意味、および曲の解題は、ワルシャワ在住40数年の友人・松本照男君
(ジャーナリスト)からご教示いただきました。

 タイトルの『シュワ・ジェヴェチカ』は「若い娘が行った」という意味で、元々はポーランド西南部のシュロンスク
(シレジア)地方の民謡でした。
 ポーランド人の医師で民謡収集家のユリウシュ・ロゲル
(1819~1865)が同地方でこの民謡を採集し、『上シュロンスク地方のポーランド民謡』という歌集に含めて、1863年に刊行したことから、全国に知られるようになりました。

 ただし、現在一般に歌われている歌詞は、ロゲルが採集した元の歌詞とはかなり異なっているようです。
 現在歌われている歌詞も、かなり俗語
(古語)が多く、通常の辞書には載っていない語句がそのまま使われて歌われています。例えば、タイトルの「ジェヴェチカ=若い娘」も俗語で、通常「ジェフチナ」といいます。

 また、元の歌詞は9番までありますが、現在ではほとんど2番までしか歌われず、3番以降を知っている人はほとんどいないと言っていいほどだそうです。

 わが国では、うたごえ運動や歌声喫茶が衰退した昭和40年代以降は、あまり歌われなくなりましたが、本家のポーランドでは、今でも、若者たちの集まりでお酒が入ると、必ずといっていいほど出る歌だそうです。

 以下に原詞の意味を掲載しておきます。日本語詞と違って、集団デート(?)ではなく、娘と狩人との1対1の出会いの歌です。コーラス部分は、日本語詞ではランラララの繰り返しになっています。

    1 若い娘が森へ行った 緑の森へ
      緑の森へ 緑の森へ
      若い娘は狩人に逢った とても陽気な狩人に
      とても陽気な狩人に とても陽気な狩人に
      (コーラス)
        どこに住んでるの お家はどこだい
        あの娘はどこにいるの 俺の恋する娘は
        通りを見つけたぞ 家を見つけたぞ
        娘を見つけたぞ 恋するあの娘を

    2 いとしの狩人さん とても嬉しいわ
      とても嬉しいわ とても嬉しいわ
      あなたにバター付きパンをあげたいわ でも私食べちゃったの
      でも私食べちゃったの でも私食べちゃったの
      (コーラス)

(二木紘三)

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コメント

世界の草原の規模と日本の規模とでは比較にならないでしょうが、スクリーンでみせれば別ですね。「草を刈る娘」懐かし映画です。

投稿: 海道 | 2010年7月27日 (火) 12時51分

このサイトはどの曲にも二木様の「解説」があり、曲への理解が深まるとともに、これまで知らなかった曲も楽しく聴けます。
《蛇足》と書くには、いささか抵抗があり「解説」にしました。
ありがとうございます。
この歌詞から『草を刈る娘たち』がでてくるのはうれしいですね。吉永小百合の津軽娘姿と津軽弁がよみがえってきました(蛇足になりました)。

投稿: jiro.sakata | 2010年9月12日 (日) 11時23分

小生は信州の中信の田舎で生まれ育った為か山、川、森
等を美しい物と未だにとらえられません海は別です。その為か冨士山以外の山への登頂経験はありません。若い頃彼女と登ったのは丘です。今は海がある神奈川在住です。私見です。お許し下さい。

投稿: 海道 | 2010年9月15日 (水) 15時38分

歌声喫茶には一度も行ったことが無い私が、なぜ「森へ行きましょう」を知っているのでしょう…。
それは中学時代の担任の先生が、沢山のロシア民謡と共にこの歌も教えてくださったからです。
若い個性的な先生で、その国語の授業の内容は素晴らしく魅力のあるものでした。
今から50年ほど前、その頃は一つの教室に生徒が50人あまり居ました。一学年12クラスもあった中で、頻繁に全員で合唱していたのは、この先生のクラスだけだったと思います。
その頃覚えた歌はいくつになっても忘れられません。
ポーランドは私には地理的に遠い国に思われて、「花かげ」の所でシモン・イサコフスキーさんが書いていらっしゃる「高地草原」がどのようなものなのか、その規模や美しさをただ想像するばかりです。
私は日本の歌も、世界の民謡や歌曲、クラッシックも好きです。
個人的好みは有るでしょうが、音楽に国境は無いように思います。

投稿: 眠り草 | 2010年9月23日 (木) 01時29分

なお、恩師の名誉のために(?)申し添えますが、歌を教わったのは、もちろん授業時間中のことではありません。

投稿: 眠り草 | 2010年10月17日 (日) 09時20分

偶々この歌のことを書くにあたって、貴サイトを利用させて頂きました。
http://blog.goo.ne.jp/verdavojeto/e/c0dd84948e0f9c5f0fb4c1e098576935
まだ、お陰で歌えます、というコメントは無いですが、利用されていると信じています。少なくとも私自身はこの伴奏のお陰で楽しませて頂いています。
Koran dankon

投稿: verdavojeto | 2012年10月16日 (火) 05時06分

私は82歳の老人です。昔うたごえ酒場で歌った懐かしい歌に再会しました。原語で歌うと心が休まります。これからもずっと歌っていきたい。感謝。!!

投稿: 衣川壽一 | 2018年3月14日 (水) 08時15分

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