バイヤ・コン・ディオス
(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo
作詞・作曲:Larry Russell、Inez James、
Buddy Pepper、日本語詞:不詳
夜の静寂(しじま)に 閉ざされし街 Vaya con Dios Now the hacienda's dark, the town is sleeping, |
《蛇足》 L.ラッセル、I.ジェームズ、B.ペッパーのトリオによって1953年に発表され、レス・ポール&メアリー・フォードの唄でレコード化されました。発売はキャピトル・レコード。
同年6月13日にビルボード誌のヒットチャートに連続して載ったのち、8月8日には同チャートの1位になり、以後、合計9週にわたって1位に輝きました。
この曲は、パット・ブーン、ビング・クロスビー、コニー・フランシス、フリオ・イグレシアスなど、数十人ものアーティストがカバーしており、スタンダードナンバーのなかでもとりわけ多くの人に愛された作品となっています。
歌詞の最初にhacienda(ハーシエンダ、スペイン語読みだとアーシエンダ)という言葉が出てきます。これは、中南米のスペイン語圏で、オーナーの大邸宅を中心に、小作人または牧童の集落があるような大農場または大牧場を指します。同じものを、ポルトガル語圏のブラジルではfazenda(ファゼンダ)といいます。
歌詞は、何かの事情でその農場を早暁に旅立つ恋人か夫を女性が見送る、という筋書きになっています。
"Vaya con Dios."は比較的長い別れの際の決まり文句で、Dios(神) con(とともに) vaya(行きますように)という意味。"Vaya con Dios"の次に歌われる"May God be with you."と同義です。
日本語では、「つつがなき旅を」とか「気をつけて行ってらっしゃい」といった意味になりましょうか。
日本では江利チエミの唄でヒットしました。
(二木紘三)
コメント
懐かしい歌思い出しました!
とても綺麗なメロディなのでハミングか口笛でならと本箱を探したところ、高校時代に下宿していた街の「銭湯の帰りの1956年12月2日(日)に買い求めた」と記入した欧米楽譜出版社「ジャズアンドジャズ1956年特集」¥100.が出てきました。
その32・33ページに上記と全く同じ歌詞が載っていましたが、記憶にあるのは“街の灯りがひとつづつ・・・・・バイヤコンディオスマイダーリン”との歌詞しかどうしても思い出せません。
やわらかいハスキー風の歌もさることながら、楽器好きな自分はクラリネットでのメロデイが今また記憶の中に流れ始め、古ぼけた歌の本に遠い青春時代への思いと今の自分を繋ぎ合わせ、つくづく <幸せだなァ、幸せだった> と改めてかみしめました。
先生、忘れていたいい歌をありがとうございました。
投稿: 尾谷 光紀 | 2010年7月14日 (水) 22時43分
二木先生、今朝一番に開いて目に飛び込んできたこの曲名夢かとばかりの喜びでした。1955年に結婚した私達がその前2年ほど二人で楽しんで耳にしたこのメロディ、それを聞いた場所小さな喫茶店の片隅、そんな光景が広がりました。やさしい微笑みを浮かべがら迎え入れてくれたお店のマダム、まだ一杯のコーヒーが50円の時代でした。
17年も前に旅立ってしまった主人も、このパソコンから流れ出る懐かしいメロディを、一緒に聴いていてくれることでしょう。若い頃の主人の顔が目に浮かぶような今朝、梅雨明けを思わせる青空と共に、嬉しい一日のスタートとなりました。この懐かしいメロディを、あちらこちらと探しましたが耳にすることが出来ずに過ごしておりました。
本当に嬉しく、有難うございました。またもう少し元気に、残された人生を歩き続けてみる元気が出てきました。
投稿: れいこ | 2010年7月15日 (木) 07時11分
♪街の灯りも消えはてて・・でしたら
「スリーグレイセス」が歌詞付きで唄っていますよ。
曲名の表示は「ビァイア・コン・ディオス」になっています。
投稿: なち | 2010年7月15日 (木) 08時23分
歌詞が違いました。
江利チエミさんは♪ひとときよ・・ではありませんね。
字の表示が違うので色々検索するとあるのですが・・
「ヴァイヤ・コン・ディオス」
http://www.youtube.com/watch?v=8uIjsCRwIVw
http://www.youtube.com/watch?v=f3CANenHtB8
投稿: なち | 2010年7月15日 (木) 08時57分
なちさん!
ご教示頂いたお陰で今夜はぐっすり眠れそうです。
江利チエミを連続5回聴き “街の灯りも消え果てて・・・・・” とハッキリ思い出しました。
昨年引退された原信夫氏率いる「♯s&♭s」のバックでの演奏はあまり目立たなく、チエミがあくまでも主役でと当時は地味な演奏のようでした。
しかし1965年11月「Lover Come Back To Me」の美空ひばりのバック演奏では、間奏(?)にA.サックスとT.サックス8小節づつのエキサイティングなソロと、彼女のJazzへのエネルギッシュな思いが溢れて“ウオー”と叫びそうになりました。
ひばり(様)の全560曲のギネス的シングル盤以外のEP・LP盤にもこれからアプローチをと思っています。
投稿: 尾谷 光紀 | 2010年7月15日 (木) 22時19分
1956年つまり5歳ごろの幼児体験ですが近くのお宅にあったSPレコードでバイアコンデウスマイダーリンという外人の歌を聴いたのを覚えています。たぶんパットッブーンの声でした。おなじころパテイページのハウマッチズザドッグインザウインドウも聴いていました。なぜか耳に残っています。そのころは神戸にも進駐軍のGIがたくさんいました。
投稿: 吉川健太郎 | 2010年11月17日 (水) 22時13分
スペイン語の歌詞が付いた楽譜が見つかりません。
知っている方がいましたら、ご教示願います。
投稿: 田村 至 | 2016年6月18日 (土) 14時45分
長調の明るく美しいメロディの中に、哀愁感を漂わせる「バイヤ・コン・ディオス」は、大好きなラテン音楽(歌)の一つです。
若いころ聴いた、江利チエミさんの歌う日本語歌詞(音羽たかし 訳詩)は、一部分憶えています。
♪町のあかりも 消えはてて
つらい別れの その時よ
Vaya con Dios,my darling
Vaya con Dios,my love
かすかに響く 鐘の音
心にしみる 歌声も
…♪
時が経って、2年半ほど前、「テネシー・ワルツ」での投稿(’17-6-29 拙投稿コメントをご参照)をきっかけに、英語歌詞で歌う「バイヤ・コン・ディオス」に巡り合いました。アン・マレーさんのソロやスリー・グレイセスの女声コーラスでした。
何度も繰り返して聴いているうちに、英語歌詞の押韻(rhyme)部分の心地よさに気付きました。
つまり、最初の連の1、2行目の末尾が、それぞれ、sleeping、weepingと、同じ発音で終わっています。同様に、次の連も、ringing、singingと、更に、一つ飛ばして最後の連も、tomorrow、borrowと、同じ発音で終っているのです。
なお、英語の歌詞と日本語の歌詞(前出)を対比して眺めますと、原詩の意を組んで、うまく訳詩を作っているなあと、音羽たかしさんの高い能力を感じます。
ついでながら、ハリー・べラフォンテさんやトリオ・ロス・パンチョスが、スペイン語で歌う「バイヤ・コン・ディオス」も、スペイン語を理解できないながらも、なかなか魅力的と感じます。スペイン語が分かるようになれば、一層、魅力が増すであろうと想像するのですが、…。
投稿: yasushi | 2019年12月30日 (月) 15時19分
1940年生まれの私が子供だった頃に聞いた歌ですが、哀愁に満ちたメロディに心が惹かれます。個人的なことで恐縮ですが、家内が先日病没した後で聞くと、涙が流れてしまいます。時が去り、住む場所が異なっていても、「辛い別れ」が改めて身に沁みました。
投稿: 堺秀人 | 2022年9月28日 (水) 14時03分
堺様と同年代ですが、中高生のころ流行りの電話リクエストでよく聞いた曲です。この度改めて二木先生の解説と英語の歌詞を拝見して、歌の背景を知り自分の勘違いを恥じています。うろ覚えの歌詞は「まちの灯りも消え果てて、つらい別れのベルの音・・・」で「夜のプラットホーム」みたいだと思っていました。歌の舞台はまだ明けやらぬ農園、一日の始まりを告げる教会の鐘、その中で二人の思い出を胸に秘めた別れだったのですね。
毎回皆様のコメント、先生の蛇足には目からウロコが落ちます。yasushi様の言われる押韻も詞を格調高くしていますね。最後のborrowがまだ理解できませんが。
失礼ながら堺様に拙作を(百人一首風ですが)
よをへだて あいがたきみを なげくよの
つきとほとほし なれなほとほし
投稿: しょうちゃん | 2022年9月28日 (水) 18時44分
「バイヤ・コン・ディオス」と言えば、レス・ポール&メリー・フォードの夫婦コンビを思い出す方も少なからずおられると思われます。メリーはレスとコンビを組む前は、コリーン・サマーズの名前(本名かな?)でハリウッド中心とした地域で最も有名であったカントリー音楽のライブ・ラジオ・ショウ(歌うカウボーイトップ・スター、ジーン・オートリ―が主役)の花形でした。
私は当時の番組の音源をCD化したものを数枚所持しておりますが、メリーの優しく、品のいいヴォーカルに魅せられ、今でも時々ひっぱり出しては聞いております。このコンビは「バイア・コン・ディオス」の他にも、「ハウ・ハイ・ザ・ムーン」というヒットもありましたね…。50年代終盤頃には夫婦の亀裂からコンビを解消し、その後、離婚しました。
コリーンはその後、再婚したようですが、アルコ―ル多飲から体調を崩し、亡くなったと報じられていました。因みに、本名であったコリーンは、「可愛い少女」といった意味があるアイリッシュ言葉だと記憶します…。
投稿: ジーン | 2023年12月11日 (月) 11時25分