思い出日記
(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo
作詞:西沢 爽、作曲:遠藤 実、唄:島倉千代子
(セリフ) |
《蛇足》 昭和34年(1959)7月、コロムビアから発売されました。
前年11月に発表された『からたち日記』の大ヒットを受けて、同じメンバーで制作されました。そのせいか、曲のイメージが似ていますが、こちらのほうがセンチメンタリティが強く感じられます。
島倉千代子の泣き節が絶頂期の作品で、ほぼ同時期に『哀愁のからまつ林』もリリースされています。
別れが辛いものであればあるほど、別れた場所やそのとき状況は心に強く刻まれて、なかなか消えないものですね。
(二木紘三)
コメント
「指がつめたい人は心が燃えているんだって… ほんとうかしら…」。この台詞は、この時代に育った人はいまだに冗談で使うのではないでしょうか。例えば「あれ?指冷たいね~」「うん、心が燃えてるから」なんて。
それほど流行った台詞ですね。歌手はまさに千代ちゃんでなければならないし。歌詞、作曲、歌手が三位一体となった名曲だと思います。
投稿: 吟二 | 2010年8月 1日 (日) 22時20分
当時の島倉さんの唄は、子供心にも何となく伝わるものが、有りました。
投稿: 月の輪熊 | 2010年8月15日 (日) 09時04分
ナツメロと美しく悲しい青春
遠いむかしがよみがえる昭和40年代の青春歌謡「ふるさとの話しをしよう」の想い出。
戦後、命からがら旧満州から引き上げてきて60数年が夢のように過ぎようとしている。
40数年も前の貧しかった学生時代の話しである。毎日徹夜で課題研究の建築の製図を必死で書いている時、偶然、深夜のラジオからながれてきた曲が北原謙二の「ふるさとの話しをしよう」であった。リクエストは、懐かしいふるさとの女学生からであった。バイトと学業との苦しい生活ではあっただけに、その時聞いたこの曲が、どんなに勇気と安らぎを与えてくれたことであろう。何気なく聞いた、うる覚えの女学生の住所ではあったが、あまりの嬉しさに恥もそこのけに、お礼の気持ちをハガキに書いて出したのである。一人暮らしの寮生活の寂しさを紛らわせたい気持ちが働いたのかもしれない。後から聞いて、名前も、住所も不正確であったが、それがなんと先方に届き返事が来たのである。その時の、嬉しさを、どのように書いていいのか分からない。その後、初めての楽しい文通が続き、苦しい学生生活がとても楽しいものになって行った。彼女が、卒業して大阪に就職して会いに出かけた。初めての経験なので勇気がなくて友人に同行してもらったのである。情けない話である。今から考えれば信じられないことであるが、そんな、うぶな頃もあったのである。今でも、初めて会った時の 事は、昨日のように鮮明に覚えている。それから、成績は下がりぱなしであったが、苦しいが、楽しい学生生活を送った。彼女の結婚で、悲しい結末に終わったが、今でも辛い反面、青春の楽しい思い出として心に残っている。この曲を、カラオケで歌う時、なんともいえない懐かしい青春の日がよみがえってくるのである。いつまで元気でいられるか分からないが、もしかなうのであれば、この曲を二人で歌える日が持てたらと儚い夢を見ている今日このごろである。
【2009/07/28 06:53】 URL | ナツメロ太郎 #eXtUxIgM [ 編集]
投稿: ナツメロ太郎 | 2010年8月24日 (火) 12時25分
思い出日記
作詞:西沢 爽、作曲:遠藤 実、唄:島倉千代子
2 心変わりを うらむより
きれいな恋の 想い出だけを
いついつまでも 抱きしめて
ああ あの人に あの人に
ここでさよなら いったっけ
絵ハガキの返事を書いた後、「思い出日記」を聞いているといい年こいて涙が流れてきた。懐かしい、悲しい、切ない、青春の日日、そのおかげで今日がある。感謝。
投稿: ナツメロ太郎 | 2010年10月26日 (火) 08時18分
私は川柳教室である日『十七の恋に恋したロストラブ』と言う句を作りました。私の先生は「それでは当たり前でつまらない。『七十の恋に恋したロストラブ』ではどうだろうか」と言われました。内容は少し違いますが、ナツメロ太郎さんのコメントを見ていたら、ふとそれもあるかなと思いました。
島倉千代子は守屋ひろしと歌った「星空に両手をあげて」までは声量・声の張りがありましたが、めっきり衰えましたね。人生色々あったようですが、歌を歌うことが元気のみなもとだと思いますから、これからもがんばって欲しいと思います。
投稿: いっちゃん | 2010年12月29日 (水) 23時14分
スケートで男性の方が上手い場合は女性が倒れそうに成ると女性を抱きかかえることが出来るので、それが目的でよく通いました。お互いに指が冷たかったのでしょう高度経済成長の波に乗り新工場が建設され、私は移動しましたが、彼女は残りました。今では御婆ちゃんでしょうけど。
投稿: 海道 | 2011年10月27日 (木) 13時28分
今から8年前に「ナツメロ太郎」さんは「今でも辛い反面、青春の楽しい思い出として心に残っている。この曲を、カラオケで歌う時、なんともいえない懐かしい青春の日がよみがえってくるのである」とコメントされました。ある曲を聴いて、たちまちあの日の事をありありと思い出し、涙したり激しい感情に襲われる、甘く悲しい青春の思い出。二木先生の「歌物語」は、まさにそのためにあり、あの日に「タイムスリップ」させてくれる箱舟だと思います。
投稿: 吟二 | 2017年11月 7日 (火) 22時57分
お千代さんが、他界されてから、もう四年の月日が過ぎてしまいました!
東京での次男の結婚式を終えて、名古屋に向かう新幹線車内のテロップに島倉千代子の訃報が流れ、それを知った時のショックと、切ない気持ちになった日が想いだされます。
1994年発売の島倉千代子40周年記念CDアルバム25枚組441曲収録「愛歌心」の本で、歌詞とお千代さんの写真を見ながら、今日はこの想い出日記♪を聴いています。
振り返ると昭和37年頃、父と入った食堂にあった白黒テレビで、着物姿の可憐なお千代さんが、恋しているんだもん♪を歌ってる映像を見た時からファンになった気がします。
この歌を初め、東京だヨおっかさん♪など島倉千代子はセリフがとても巧い歌手でした。そんな数ある歌の中でも、私には特に、何度も聴いている歌があります。石本美由紀作詞・古賀政男作曲の「広島の母♪」で、この歌とセリフだけは、お千代さんじゃないと歌いこなせない歌だと思っています。
島倉千代子亡き後、彼女に影響を受けた演歌界の石川さゆりや坂本冬美が、現在も第一線で、両輪として活躍し続けいる姿を見れる事は、私にとっての喜びでもあります。
「愛歌心」の本の中で、作詞家石本美由紀は、島倉千代子は昭和の歌謡界の中にあって不世出の財産である!と、大ファンの私にとっては、全く同感の気持ちを代弁するような、大変嬉しい賛辞を贈ってくれています。
投稿: 芳勝 | 2018年1月29日 (月) 16時07分