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2010年8月30日 (月)

夜の調べ

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:V.ユゴー、作曲:C.グノー、日本語詞:近藤朔風

1 あわれゆかしき 歌の調べ
  夕べはるかに 胸に聞けば
  心はかえる 楽し昔
  ああ歌えや君よ 永久(とわ)に歌え
  いざなつかし君 歌え
  歌え歌え ああ永久に

2 朝(あした)綾なす 雲の如く
  君が笑(え)まいの 浮ぶ見れば
  いつかうれいの 影ぞ消ゆる
  ああ笑まずや君よ またもまたも
  いざなつかし君 笑めよ
  笑めよ笑めよ ああまたも

3 夜半にあでなる 君が寝顔
  見ればうれし うつつか夢か
  似たりほのかに 愛の君に
  ああ眠れや君よ 眠れ眠れ
  いざなつかし君 眠れ
  眠れ眠れ ああ君よ

   Sérénade
Quand tu chantes,bercée
Le soir entre mes bras,
Entends-tu ma pensée
Qui te répond tout bas?
Ton doux chant me rappelle
Les plus beaux de mes jours.
Ah!
Chantez,ma belle,
Chantez toujours!

Quand tu ris,sur ta bouche
L'amour s'épanouit,
Et soudain le farouche
Soupçon s'évanouit.
Ah! le rire fidèle
prouve un coeur sans détours!
Ah!
Riez,ma belle,
Riez,toujours!

Quand tu dors,calme et pure,
dans l'ombre,sous mes yeux,
ton haleine murmure
des mots harmonieux.
Ton beau corps se révèle
sans voile et sans atours... -
Ah!
Dormez,ma belle,
Dormez toujours!

《蛇足》 ヴィクトル・ユゴー(Victor Hugo) が書いた詩に、シャルル・フランソワ・グノー(Charles François Gounod)が曲をつけたもの。出版は1857年。

 原題は『セレナーデ』ですが、わが国では近藤朔風の日本語詞『夜の調べ』として愛唱されてきました。
 セレナーデの特徴については、『シューベルトのセレナーデ』の蛇足で触れています。

 グノーは、ゲーテの『ファウスト』第1部に基づく同名の作品をはじめとするオペラ、交響曲、劇音楽等を書いた大作曲家ですが、歌の分野でユゴーが出てくるのは珍しいので、彼の作品に関して思い出したことを書いておきます。

 ユゴーといえばまず『レ・ミゼラブル』ですが、私が最初に全訳を読んだのは高校2年のときで、訳者は豊島与志雄でした。ひどい直訳調で読むのに苦労しましたが、現在は同氏自身による改訳版が岩波文庫に入っており、青空文庫にも収録されています。これは名訳です。

 個性的な人物が何人も登場するなかで、初読時にとりわけ強い印象を受けたのがガヴローシュです。
 ガヴローシュは悪党テナルディエの長男ですが、両親から愛されるどころか、養育放棄されたため、幼いときから街頭で暮らすようになりました。今でいうストリート・チルドレン、浮浪少年ですね。
 冬、せっかく手に入れたショールを街角で凍えていた浮浪少女に与えたり、自分も何日も食べていないのに、養母が逮捕されて道で途方に暮れていた7歳と5歳の兄弟に、なけなしの1スーでパンを買い与えたりします。

 このガヴローシュがねぐらにしていたのが、バスティーユ広場の南東の隅にあった象型の巨大建造物です。木と漆喰で造られた高さ12メートルほどの建造物で、長年放置されていたため、崩壊寸前でした。
 いちおう公共の建物のため、塀で囲まれ、立ち入り禁止になっていましたが、ガブローシュは秘密の出入り口を見つけ、象の足からよじ登って、腹の中で寝泊まりしていました。

 彼は前述の兄弟をそこに泊め、浮浪少年としての生き方を教えます。ガヴローシュは知りませんでしたが、
実はその兄弟は赤ん坊のとき、テナルディエ夫婦によって売り飛ばされた自分の弟たちだったのです。

 この象ですが、私は長いことユゴーの想像の産物に違いないと思っていました。後年、フランス近代史を読んで、この象が実在したことを知り、感動しました。バスティーユ広場にいったとき、7月革命記念塔の下から広場の南東を見て、あそこにあの象があったのかと感じ入ったものでした。
 それでは、象は何のために建造されたのでしょうか。

 アウステルリッツの戦い
(1805年12月2日)に大勝した翌年、ナポレオンはその記念にエトワール広場(現在はシャルル・ド・ゴール広場)に凱旋門を建造するように命じます。彼が希望したのは、象の形をした凱旋門でした。
 彼は、戦象部隊を引き連れ、アルプス越えをしてイタリア半島に進攻したカルタゴの将軍ハンニバルを尊敬していました。ハンニバルと同じようにアルプスを越えてイタリアを征服した自分を重ね合わせたところから、この形を思いついたようです。

 命じられた建築家は、そのような形の凱旋門ができるかどうか悩んだ末、木と漆喰で模型を造り、確かめることにしました。これが前述の象です。
 しかし、象型の凱旋門は問題が多すぎるとわかり、廃案になりました。今の形での建設が始まったのは1806年でしたが、完成しないうちにナポレオンは失脚し、亡くなってしまいます。
 完成したのは王政復古時代の1836年で、ナポレオンがこの門をくぐったのは、セントヘレナ島からパリのアンヴァリッドに改葬されたときでした。

 なお、わが国では凱旋門といえばエトワール凱旋門を指す固有名詞になっていますが、本来は普通名詞です。凱旋門は古来世界各地で建てられており、パリ市内だけでも、カルーゼル門、サン・ドニ門、サン・マルタン門があります。あとの2つは、戦勝を記念して建てられたものではないので、厳密な意味では凱旋門ではありませんが。
 もちろんエトワール凱旋門が最大であり、地下に無名戦士の墓があって、常に衛兵が立哨しているなど、別格の扱いを受けています。

 ガヴローシュに話を戻すと、1832年6月、パリの民衆が暴動を起こしたとき、彼は革命側に立って戦い、2発の銃弾を受けて亡くなります。まだ12歳でした。
Jiyuunomegami
 ユゴーは、このガヴローシュのイメージを、ドラクロアが1830年の7月革命をテーマとして描いた『民衆を導く自由の女神』から得たとされています。旗をかざして先頭を進む自由の女神の向かって右側の少年戦士が、その発想源のようです。

 ガヴローシュは小説発表以来、多くのフランス人に愛され、その名はgavrocheとして、勇敢で侠気のある少年を指す普通名詞になっています。もっとも、今ではただの浮浪少年を指すことが多いようです。

 『夜の調べ』とは関係のない話ばかりですが、マリユスとコゼットの恋心を歌ったものとでも想像してください。

(二木紘三)

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コメント

この曲と共に思い出すのは「関屋敏子」の名です。
中学生の時、祖父の家でSPレコードでこの曲を聴き不思議な魅力を感じました。
今でも1番だけは覚えています。
しかし作詞がV・ユーゴーだとか…その詳細は知りませんでした。
レ・ミゼラブルも、もう一度読んでみようかと思います。
懐かしい曲をありがとうございます。

投稿: nobara | 2010年8月31日 (火) 00時00分

ソプラノ歌手 関屋敏子の「夜の調べ」を聴いた時、当時中学生だった私は
古風な歌い方のように感じました。それでも、「恋はやさし」などと共に
その歌声は印象に残りました。
歌に生きたこの方が、若くして自から命を絶ったことに触れ「結婚などしなければ
良かったのに…」と惜しむように言った母の言葉を覚えています。
今しみじみと三番までの歌詞を読みながら聴いていると、この歌が
亡くなった関屋敏子に捧げられた歌のように思われてなりません。
もちろん、そんなはずは無いのですが……。

投稿: nobara | 2010年9月 9日 (木) 14時28分

nobara様
 貴女の投稿、いつも楽しく読ませていただいております。多分、そういう方が多く居られると思います。静かな優しい文章で心がなごみます。次の投稿、楽しみにしております。

投稿: ハコベの花 | 2010年9月 9日 (木) 23時45分

ハコベの花様

 優しいお心遣い、暖かいお言葉に心からお礼を申し上げます。

投稿: nobara | 2010年9月10日 (金) 21時37分

ヴィクトル・ユゴー、グノー、ガヴローシュ、レ・ミゼラブル、ナポレオン、凱旋門、ドラクロア=民衆を導く自由の女神、関屋敏子、近藤朔風(ドイツ語訳のみならずフランス語訳も)・・・このコメント欄は誠に誠に百花繚乱、幕内力士揃い踏みの感あり。

投稿: 乙女座男 | 2012年8月31日 (金) 20時39分

 このサイトは常連さんどうしのコメントのやりとりもあったりしてほほえましく、なんといいますか居心地のいい居酒屋か喫茶店のようですね。私はとりあげられている歌そのものは知らなくても<蛇足>という名の名解説だけを読むことが多いです。今回の名解説も管理人さんのおそるべき博学、さらに4つ、5つの小テーマを自在につなぎあわせ一つの歌ものがたりにまとめていく文章構成のうまさに感心しました。とりわけ「象の形の凱旋門」の話に感じいりました。ナポレオンがカルタゴの将軍ハンニバルを尊敬していたとは知りませんでした。地中海の貿易をめぐる覇権争いであるローマとカルタゴの戦いをポエニ戦争といいますが、第2次ポエニ戦争に登場する将軍ハンニバルはスペインから象を率いてアルプスを越え、ローマに迫ったという名戦術家ですね。日本にも桶狭間や川中島の奇襲戦法はありますが、動員された兵力の規模、あしかけ44年に及ぶ戦争の歳月の長さ、数カ国にわたる戦場のひろがりなど、日本の合戦とはスケールがちがうと思い知らされました。高校で世界史を学んだ時一番興味をもったのはこのポエニ戦争でした。不運にも負けたカルタゴの街は跡形もないほど破壊され住民たちは奴隷にされ売られます。しかしローマ帝国に戦いを挑んだフェニキア人の戦闘性はハンニバルに象徴されますが、あのナポレオンも敬意をもっていたのかと何かしらうれしくなりました。「夜の調べ」は全く知らないので歌については何とも言えませんが、あえていえば文語調の上品な歌詞で昔は多くの人が愛唱したのでしょうね。今では骨董品のような魅力がある歌詞ともいえるのではないでしょうか、いえひやかしているのではありません。「ことば」にも消費期限があって、それは案外早いものだと思います。

投稿: 久保 稔 | 2012年9月 2日 (日) 16時57分

グノーの名曲の一つでしょうね。関屋敏子さんの歌は聞いたことはありませんが、ソプラノが歌うのが最もよいのでは。

投稿: 三瓶 | 2013年9月 3日 (火) 10時49分

 すっかり「うた物語」に入り浸りになっています。投稿が止まりません。初めて聴く曲です。ロマン主義のユゴーの詩にピッタリの静かで優し気な素敵な曲ですね。心に残る旋律です。何回もリピートして楽しんでいます。
 小6の時、担任の先生が早く給食を食べ終わった子供達が騒がないように、毎日少しずづ「ああ、無情」の朗読をしてくれました。それがきっかけで漫画(特に手塚治虫)ばかり読んでいた少女に読書の面白さを教えてくれました。
 二木先生の解説、投稿されたコメントを読んで、久しぶりに「世界歴史地図」を引っ張り出して妄想の世界を走り回っています。いつもありがとうございます。

投稿: konoha | 2017年2月17日 (金) 21時53分

konoha さま

いつも熱のこもったコメントを楽しく拝読させていただいています。
多くの曲に挑戦なされ素敵だなと思います。
私もこの曲は初めて聴きますが、しっとりとした曲で、特に夜の静けさの中ではピッタリと思います。
これからも、ご遠慮なされずに楽しいコメントを楽しみにいたしております。

投稿: 一章 | 2017年2月17日 (金) 23時15分

一章様
 暖かい応援ありがとうございます。首を縮めてそっと差し出すレポートのように投稿していましたが、少しほっとしました。ありがとうございます。 「夜の調べ」は「セレナーデ」と呼ぶより「小夜曲」という字のイメージですね。心が豊かになってきます。
 このサイトで小さな小さな「思い出畑」が現れて、これ又、小さな小さな鍬で掘っています。すっかり消えていたものが「うた物語」によって掘り起こされてきているようです。すみません、もうしばらくお付き合いの程をよろしくお願いいたします。

投稿: konoha | 2017年2月18日 (土) 10時47分

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