吾亦紅(われもこう)
(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo
マッチを擦れば おろしが吹いて |
《蛇足》 作曲家・杉本真人が母親を亡くして打ちひしがれているとき、友人の作詞家・ちあき哲也が彼の気持ちを詞にしたもの。それに杉本が曲をつけ、歌手「すぎもとまさと」としてみずから歌いました。
ちあき自身もその数年前に母親を亡くしており、この曲には二人の心情が重なって反映されています。歌詞には杉本の母に対する思いがストレートに吐出されており、小説でいえば私小説のような作品ということができます。
吾亦紅は山野に自生するバラ科の多年草。地味ながら、毎年しっかり花をつけるその姿に母親の生き方を見たのでしょう。
いささか逆説的ですが、極私的なものはときに普遍性を帯びることがあります。この歌は杉本の個人的な心情の結晶であるにもかかわらず、それは、母親を亡くした多くの人びとの心情と重なり合っています。
平成19年(2007)2月、シングルがリリースされましたが、音楽会社が商業性に乏しいと判断したため、初回発売枚数は258枚にすぎませんでした。
しかし、その1ヶ月後、大きな転機が訪れます。北海道のSTVラジオでミニライブが収録されたとき、観客・スタッフに感情移入して号泣する人が続出、放送後もリスナーから多くの反響があったといいます。
その年の暮れには、オリコン総合チャートでベスト10入り。さらに、すぎもとまさとはその年のNHK紅白歌合戦に、58歳にして初出場を果たしました。
「仕事に名を借りた ご無沙汰」の一句が私の心に突き刺さります。
東京で生活するようになってから、私は仕事を口実に1年に1回、1日〜数日程度帰省するだけでした。
父が亡くなってから数年後、母が危ないかもしれないという連絡を妹からもらった日も、どうしてもその日中に渡さなければならない原稿があり、動けませんでした。そこで妻子と生後8ヶ月の孫娘を先にやり、自分は次の日、一人で行きました。
母はまだ意識がありましたから、妻子・孫だけよこして、自分は遅れてきた息子をどう思ったでしょうか。今も心が痛みます。母はそれから2日後に亡くなりました。
「……あなたに威張ってみたい 来月で俺 離婚するんだよ」がわからないという人がよくいます。離婚することをなぜ威張るんだ、というのです。
詩・詞は省略や飛躍・誇張・比喩をよく使いますから、字義通り受け取ると納得できない場合があります。
誰しも多かれ少なかれ、思い通りにならない人生を送っています。この詞の主人公も同じで、ままならないことのなかに結婚生活があったのでしょう。泥沼化した夫婦関係が生活全般に重い影を落としていたかもしれません。にもかかわらず踏ん切りがつかず、惰性で日々を送っていたと推測されます。
しかし、彼はついに決心しました。「あなたには後で恥じない自分を生きろ、と常々いわれていたけれど、やっとけじめをつけて、自分本来の人生を取り戻すことにした。胸を張ってそういえるようになったよ」と、亡き母に報告しているのです。
これが「威張ってみたい」という言葉として表現されているのでしょう。
子どもは白髪やはげ、シワだらけの老人になっても、母親の、そしてもちろん父親の子どもです。親が亡くなった後でも、苦しいとき、悲しいとき、心のなかで助けを求めるのは、いつも親ではないでしょうか。
(二木紘三)
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コメント
以前から気になっていた曲がアップされました。二木先生ありがとうございます。
私は60歳を過ぎた者ですが、母は98歳で田舎で一人で生きています。毎日ヘルパーのお世話になっているのですが、心配でたまりません。母がもう少し若い時、一緒に住もうと何度も言ったのですが、首を縦に振りませんでした。それから20年以上になりますがその母の孤独に耐える気丈さを思うと、涙が滲むと同時にただただ驚嘆するばかりです。
母が生存している私も又、この曲を聴くと涙を抑えることができません。
私の胸を突き刺すのはやはり、「あなたに あなたに 威張ってみたい 来月で俺 離婚するんだよ そう はじめて 自分を生きる」のくだりです。そこに中年男の逆説的な意地を感じるからです。世間的には決して褒められたことでもない離婚が、本来の自分に回帰させ、新たな生き方を選んだことを、半分叱られながらも褒めてもらいたい、そんな作詞者の心情が伝わってくるような気が致します。
投稿: うずらのたまご | 2010年11月27日 (土) 18時25分
「来月で俺 離婚するんだよ」頭の中では理解出来ても
「すぎもとまさと」なら似合うでしょうが凡人には口に出して歌うと、どこか馴染まない気がします。私だけなのかも知れませんが。
投稿: 海道 | 2010年12月 4日 (土) 17時31分
淳風美俗に反すると思いますが、母親の息子への気持は恋人に近く、究極の理想は、息子が離婚して、夫も死んで、息子たちと自分だけで暮したいというものだと、ある中年女性から聞いたことがあります。(まさか、そんなことは信じられません。しかし、)そういう母親であればこの歌詞、「威張ってみたい、来月でオレ離婚するんだよ」には納得が行きます。私自身は子どもがいないので分かりませんけどね。
投稿: Bianca | 2010年12月 5日 (日) 13時03分
二木先生;
この歌を初めて聴いた時、三つの理由でどうしても好きになれませんでした。一つは自分の母親に何度も“あなた”と呼びかけることへの抵抗感。母親は“おかあさん”とか“おふくろ”と呼ぶものだろう…という気持ちから。もう一つはやはり「離婚」という語彙への違和感。そして三つめは、なによりもこの歌の持つ情感が、親不孝者であった自分の肺腑をえぐるようで、いたたまれない思いをさせられることからくる拒絶感からです。ちあき哲也・杉本真人のコンビでは、ちあきなおみが歌う「かもめの街」という、私の大好きな名曲があるのに…。
でもこの歌がこのたびアップされたのを機に、先生の解説を読んで少し考えが変わりました。歌詞としての「離婚」も理解できましたし、歌そのものもあらためて聴いているうちに拒絶感が薄れ、35年前に逝った母親への思いが今更のように溢れて涙が止まりませんでした。
母は一回り年の離れた兄の家族と同居していましたが、私が転勤で故郷を遠く離れて7年目に、長い闘病生活ののち亡くなりました。その間、この歌にあるように仕事と遠距離にかこつけてろくに帰省もせず、兄に任せきりで、ついには死の床にも間に合いませんでした。末っ子でただでさえ親子の縁が短いのに、なんと冷淡な息子だったことか…。
母が亡くなる一ヵ月半前に私に子供(娘)が生まれ、妻の母親が産後の手伝いに来てくれました。義母は手伝いを終えて帰る途中母を見舞い、赤ん坊の写真を見せたそうです。母はそれを見て、私の生まれたときの顔にそっくりだと言ってとても喜んでいたと、電話で話してくれました。戦時中の田舎生まれのため、私には赤ん坊の時の写真がありません。母が喜んでくれたこと、母の言葉で自分の赤ん坊の時の写真が娘のそれと重ね合わせることができたことが、今となっては唯一の救いです。
“髪に白髪が 混じり始めても 俺 死ぬまであなたの子供”
今はこのフレーズを悔恨とともに噛みしめています。
投稿: 中嶋 毅 | 2010年12月 9日 (木) 09時49分
二木先生お元気でしょうか。
感・極まりました。
投稿された方々に、私と似た感情を、お持ちの方が多くいらっしゃるのだということで少しは安心しました。
四人兄弟の末子の私は、、生前も親不孝だったし、この十年墓参りご無沙汰の生活でした。
前回の投稿を確認しましたらビックリすることに、ちょうど一年前の昨日に、再三の病気・入院・失職などの投稿させていただきました。その投稿の52日後の2月1日からは、43日間の入院生活が待っていました。外科手術と術後合併症で長引いてしまいました。いつもの病院が故郷・実家のような感覚でありました。覚えていて声をかけてくれる看護婦さんもいてまるで連続してずーっと入院しているような感覚になりました。
お決まりのコースで失業し、再就職・再離職・再再就職をして365日経過して、今日にいたっております。
なんとか還暦をこの夏に迎えまして、ホットしています。10年前には急性心筋梗塞であの世の一歩手前で電気ショックで生き返ったのですから。
「自分を生きる」というのは大変いい言葉だと思います。
桜便りが聞こえてくる頃には、楽しい話題を投稿したいと思います。
先生に置かれましては、お元気で百歳まで曲のアップをお願いたしたいと思います。向寒の折、風邪など召されませぬように新年をつつがなく迎えられることをお祈り申し上げます。
投稿: 松村光三 | 2010年12月11日 (土) 21時11分
私は今、このサイトから流れる懐かしい曲を聴きながら、四国八十八ケ所霊場巡拝の折に使う「納め札」に住所、氏名を書いております。
でも、二木先生の「蛇足」や皆さんのコメントに感動し、その作業は時々中断しております。
私は、中学3年で父親を亡くし、その5年後に又、母親を亡くしました。 若い妻と4人の子供を残して48歳で一人旅立っていった父。 そして5年後、自分も又、夫と同じ48歳という若さで子供だけを残してあの世に旅立っていかねばならなかった母親の気持ちを思うと、46年経った今でも、私の胸が痛みます。
結婚し3人の子供、6人の孫にも恵まれた私も、今は又、夫と二人だけの静かな毎日に戻っています。
「あなたに、あなたに謝りたくて」のメロディを聴きながら、我がまま一杯で育ち、何一つ親孝行も出来なかった自分を悔いております。 親の年齢をはるかに超えた今だからこそ、当時の両親の気持ちが解かり過ぎるほど解かり切ないです。
今年は、夫と二人で「先祖供養・家族の健康・感謝の気持ち」を願って、四国88ケ所巡礼に出かけます。
「般若心経」の一つもなかなか覚える事の出来ない私。
かわりに「吾亦紅」の曲を口ずさみながら、お参りを続けるかもしれません。
投稿: ガーネット | 2011年1月15日 (土) 15時34分
俺 死ぬまで 貴方の子供・・・
この文句で自分を慰めております 働き盛りの頃は とても親の事などに気が廻りませんでした 頭をよぎるのはほんの一瞬です 親の歳を越した今 忸怩とした思いに目を閉じます 子供たちも同じ思い出で日々を送っているんだな~ 老境の親となった今 その辺の事情がよ~く解かります
投稿: 寅 君 | 2011年1月18日 (火) 11時46分
二木先生
動画サイトが多い今の時代においても二木先生の《蛇足》の文章が素晴らしく前からときどき聞かせていただいておりましたが、今回初めて投稿させていただきます。
「あずさ2号」、「池上線」、「ウナ・セラ・ディ東京」、「有楽町で逢いましょう」等の《蛇足》は何度も読み直し感傷にふけっております。
以前テレビ番組で、杉本真人さんとちあき哲也さんが出演したとき、ちあき哲也さんが書いた詞は「昔みたいに 灯りがともる」の部分が「昔みたいな 灯りがともる」だったという話がありました。(杉本真人さんはどうでもいいじゃんみたいな感じでしたが)
「昔みたいに」と「昔みたいな」では詞の無常観がまったく異なると思います。
万物は流転し、会者は定離です。昔みたいな情景はあっても、昔みたいに戻ることはあり得ないとを、ちあき哲也さんは云いたかったのだと思います。
ちなみに、私は二木先生より若干若輩の長野県人(長野市在住で東京出稼ぎ中)ですが、「帰省の前夜には、明日の夜は自分の家で寝るのだと思うと、うれしくて眠れず、休暇が終わって帰京する前夜には、都会の雑踏が恋しくて、わくわくしたものでした」という感覚は薄れはしましたが今でもあります。(ほぼ2週間に一度のペースで帰省)
楽しみにしている多くのファンのためお元気でご活躍されることをお祈りしております。
投稿: 出稼ぎ技術者 | 2011年2月 8日 (火) 23時44分
本当に立派な愛のある詞だと思っています。だからこそ、ちあき哲也さんのミスが残念でなりません。「さらさら」は水の流れる音の表現で、この場合は「さよさよ」か「さわさわ」でしょうね。「形見の言葉」はあり得ません。形見は物を指します。多分、「最後の言葉」と言いたかったのでしょう。「来月で俺」の「で」も文法的に使い方を間違っています。来月で結婚する、とは言いません。他にも、田舎に帰らなかった「杜撰さ」とは、言いませんね。また、「仕事に名を借りたご無沙汰」も変です。視察に名を借りた物見遊山、のように、「名を借りた」は一つの行為を対象に表現されるはずです。ここは、仕事にかこつけたご無沙汰、でしょう。最後に、「なじってくれよ」も愛のある親子の間では、使って欲しくない言葉です。私なら「叱ってくれよ」です。
投稿: 高松 | 2011年8月 5日 (金) 03時06分
高松様
言葉の使い方については、あなたのおっしゃるとおりです。しかし、詩や詞の場合はあえて辞書の定義とずれた使い方をすることで、独特の味わいが醸し出されるのではないでしょうか。
この詞をあなたの指摘するように正しい言葉遣いに変えてみたら、何かつまらない歌になってしまったように感じました。私だけの感覚かもしれませんが。
投稿: 我もこう思う | 2011年8月 5日 (金) 13時37分
二木先生。初めてメールしました。吾亦紅は紅白で鶴瓶の司会で聴きました。言葉使いの正確さは兎も角、胸にどんどん沁みこんできました。家内に唄って聞かすと嫌な顔をされました。妻である自分と夫の母親との感情の問題かと思います。この辺に男と女の違いを覚えます。何はともあれ素晴らしいブログで、多くの方に感動の輪を作って頂き感謝いたしております。
投稿: 琵琶湖 | 2012年5月27日 (日) 12時50分
メロディだけの素朴な音楽が好きで、先生のうた物語を録音し、毎日歩きながら聞いて癒されています。
現在はyoutubeに投稿している動画(スライドーショー)のBGM、挿入曲として勝手に利用させていただいています。
ウオーキングを趣味にしている私ですが、自身や仲間が歩いた大船渡、陸前高田、釜石、大槌の大震災の爪痕残るウオーキングの音楽にも利用させていただきました。
この「吾亦紅」は実際の詩の意味とは違っていますが、メロディは物悲しい感じですが、一方で明日に向けての「芭蕉布」の明るい感じも併せて利用させていただいています。
パソコンで nitoh8491 検索していただきで映像とともに二つの曲を聴いてくれれば幸いです。
投稿: いがべえの里親 | 2012年9月 6日 (木) 16時08分
「・・・威張ってみたい。」は、悲しい男の空威張り、空元気です。
若い時から母親には心配ばかりかけて来た。
またこの歳になって「離婚の報告」など、どれだけ心配をかけることか・・・・・。
昔から「後で恥じない自分を生きろ。」といっていたでしょ?そう、後悔しないために決めたんだから、何も心配しないで、むしろこの決心を褒めてもらいたい・・・・。
でも・・何を言っても、あなたは私の事はお見通し・・。
投稿: maverick | 2013年2月28日 (木) 00時12分
満80才になる私ですが、20年ほど各種、高齢者施設での愛唱歌による個人ボランティアを続けております。今まで、二木先生のこのホームページに、どれだけお世話になったことでしょう。本当に有難うございます。
この「ワレモコウ」は、一人で、真夜中に大声で歌っております。こんな、素晴らしい演奏で歌えるなんて!
満2歳で実母を亡くし、継母に実子と差別されて我ながら、本当に悲しい思いで、育ちました。でも、人生で一番尊敬していたのは、父です。お蔭で全うに育ちました!
この歌を、父と置き換えて歌っております。涙なくしては、歌えません。
なぜ、夜中なのに、大声で歌えるのでしょうか?
それは……「叫びの壺」を使っているからです。
2014年3月14日
千葉市 井尻 賤子 満80歳
投稿: 井尻 賤子 | 2014年3月14日 (金) 00時27分
井尻賤子様
私の母は晩年、辛いことや苦しいことがあると、決まって父親が夢に出てきた、といっておりました。下記は母の作です。
幻は晩夏の庭に顕(た)ちやすく花かげの亡父(ちち)に胸あつくして
(二木紘三)
投稿: 管理人 | 2014年3月14日 (金) 01時40分
二木先生、先生の「蛇足」で目が開きました。私ははじめ吾亦紅の歌が好きではありませんでした。先生のお見通しの通り、離婚することを威張ってみせる、が嫌だったからです。離婚って、どことなく隠したくなるような後ろめたさを伴うものであると思っているからです。でも、先生のご見識で歌の本当の心が理解でき、今は亡き母親に謝りたい、謝りたいと思っている自分の気持ちとも重なり合い大切にしたい歌となりました。そう思いつつ、歌詞を丁寧に噛み砕いていくと、気になる言葉に出合いました。「後で恥ない自分を生きろ」とあるのですが、「後で悔いない自分を生きろ」のほうが離婚との関係で分かりやすいのではないか、と感じたのですが・・・でも、私の考えは間違っていることに気づかされました。そして、歌のすごさ、歌の詞の持つ意味の深さに気づかされたのです。吾亦紅の母は、吾が子が倖せでない結婚生活を送っていることをそれとなく知っていたことでしょう。そのままの生活を送っていれば後で悔いの残る人生となることを予測もし、恐れてもいたことでしょう。でも、母は「後で恥ない自分を生きろ」と諭したのです。恥じない生き方の中には離婚をしない生き方もあるのですよねぇ。むしろ、離婚をしない生き方で今の泥沼化した夫婦関係を変えたとしたならば本当に恥ない生き方をしたことになるように思いました。そういう考えに至りましたら、ちあき哲也さんの詞は深く、そして作詞という仕事の持つ奥深さはすごい深さだと思いました。「後で悔いない自分を生きろ」と諭す母親と「後で恥ない自分を生きろ」と諭す母親とでは、人としての大きさや生き方さえ大きく違うのだと、ちあき哲也さんは教えてくださった気がします。たった数文字で母親の心の大きさや生き様さえ違えてしまうのですから詞のもつ力はすごいとしか言いようがありません。墓前で威張ってみせた息子に母は何と声を返したでしようか・・・?あと1ケ月あるよ、どうすれば恥ないことになるのか、よくよく考えてみてからでも遅くないよ、と諭すのかも知れません。
投稿: 前田英雄 | 2015年1月14日 (水) 22時31分
仕事にかまけて父の最後には間に合わず、まだぬくもりのある手を握って、窓の外に浮かぶ雲を眺めていました。
この歌は涙なしには歌えません。さすが曲もぴったりで好きです。最近この曲によく似たValse d'adieu サヨナラのワルツと言うフランス・アルザス地方のFolkdanceを踊っています。ちよっと歌詞にはそぐいませんが、何か関係があるのでしょうか?
投稿: Eichan | 2015年2月11日 (水) 22時27分
心に滲みる曲です。無理なく紡がれ高揚感を引き出している旋律と、それに乗って語られる中年過ぎた子供なら恐らく誰しも秘めているであろう親に対する心苦しさ。自身がが重なり自然に琴線を鳴らします。であればこそ、多くの方が、やはり最後の歌詞の部分に不自然さを感じるのだと思います。省略や飛躍・誇張・比喩は確かに常套手段ですが自然な想像力でストーリーの連続性を造形出来るのであれば納得の歌詞になったと思います。。(詩ではなく)流行歌の詞に求められるのは解釈ではなく感じさせ方ではないでしょうか?"離婚=自分らしさの回復"という伏線も隠れた主題だというのなら詞が言葉足らずだし、そうでないのならそれ以前の言葉がお涙頂戴に感じます。伏線の良し悪しではなくせっかくの感情移入の連続性が壊された、という意味で最後が残念な詞、という思いです。
投稿: Tony | 2015年12月27日 (日) 00時25分
しみじみと心に沁みいるいい歌ですね。私はBianca様の解釈にちかいです。作者の奥様と実のお母様との折り合いは良くなかったのかもしれません。二人の間に挟まって作者は盆にも正月にも実家に帰れなかったのかもしれません。また、たまに訪れてくるお母さんにも奥様の機嫌を慮って冷たくあしらっていたのかもしれません。作者は内心それを恥じて罪の意識を感じていたのではないかと思います。
”親のことなど気遣う暇に
後で恥じない 自分を生きろ”
という母の形見の言葉は、「私の事は構わなくて良い、お嫁さんを大切にして自分の将来に生きろ」という気持であるように思えます。
これに対して、
”あなたに あなたに 威張ってみたい
来月で俺 離婚するんだよ
そう はじめて自分を生きる”
という返答は、母のへの贖罪の返歌であるように思えます。
・・・僕は来月離婚するんです。本当の自分に戻ります。そう、あなたの子供なんです。いつでも私の家に来て良いんですよ。
そんな風に私はこの歌を感じました。
投稿: yoko | 2015年12月27日 (日) 12時55分
私もこの最後の離婚というフレーズが理解できないでいました。
吾亦紅は漢方薬の材料になるんですよ。
私も過去の漢方の材料という題でブログに書きました。
地楡(ちゆ)=ワレモコウ
秋の高原でよく見ららる暗赤色の花です。
夏から秋にかけて茎の先端に小花がたくさん集まって卵形をした花穂を付けます。
秋の十五夜のお月見に ススキと一緒に飾られます。
効能効果は
●涼血収渋止血
アザミと同様に炎症性の出血に使います。
清肺湯(せいはいとう)、槐角丸(かいかくがん)などに配合されています。
ところで、すぎもとまさとの「われもこう」という歌をご存知ですか?
NHK紅白歌合戦に[最高齢初出場]とかで出演したあのロマンスグレーの男性です。
杉本が自分の母を亡くした時、友人の、ちあき哲也が彼女に捧げた詩を元に、曲を付けて歌った曲だそうです。
こんな感じです。
「お盆に帰れなかった彼はワレモコウが揺れる秋になって母親のお墓をおとずれます。
小さな町に嫁ぎ、家族も遠く、寂しさを気強く耐え、自分を生ききった母。
その傷が分かるようになった今、自分を生きろという形見の言葉は何一つ出来なかった。・・・。」
しかしここで思わぬ展開があります。
「 貴方に威張ってみたい 俺、来月に離婚するんだ はじめて自分を生きるために~~~」
というようなストーリーです。
えーっーーー。
なんだかなーという感じではないですか?
平凡な人生を送り、文学的なセンスが無い私には理解に苦しむラストです。
しかし・・・
「あなたに あなたに あやまりたくて~~~」
せつせつと歌うすぎもとまさとの渋い歌声と、インパクトのあるフレーズは実に印象的で、心に残る歌です。
一説によると、ワレモコウは「われもこうありたい」と、はかない思いをこめて名づけられたといいます。
すぎもとまさとの歌が一層意味深いものに感じられますね
投稿: 川手鮎子 | 2016年5月12日 (木) 09時40分
数日前、私の中学校時代の後輩であり、作者の母親でもある女性から、今月も下記のような歌を送ってきました。
吾亦紅今か咲くらむ心あらば病み臥す我の夢にこそ咲け
絶ゆる身の何か絶えせむ野辺に咲く小さき花に寄する思ひを
(いずれも、作者の了解を得た上での投稿です)
そうか、もうぼちぼち吾亦紅が、花をつけ始める時季がきたんだな~と、病床に伏す私の息子と同じくらいの作者の心情を想い、かなり感傷的になりながら「吾亦紅」を聞いています。
それにしても、この歌を聞くたびに二木先生の名解説が胸に沁み入り、20数年前に亡くなった母親のことが今更のように偲ばれて、涙が溢れてきます。
どなたのコメントも胸を打つものばかりですが、2010.12.9付 中島毅様のコメントが、私の思いを代弁して下さっているようで、母に寄せる思いはみんな一緒だな~と、改めて感じています。
投稿: あこがれ | 2018年9月21日 (金) 11時55分
結婚してから数年後に私は母が亡くなるまで同居していました。母が生前の頃は同居にもかかわらず、私の気持ちは遠く離れていました。しかしながら今は直ぐ傍に母がいます。不思議です、ほぼ毎日のように母の存在を感じ、母の気持ちに思いを馳せらせます。私が死ぬまで母は傍にいるでしょう。シングルマザーになった娘と暮らしているからなのでしょうか。
投稿: konoha | 2018年9月21日 (金) 16時26分
「吾亦紅」この歌を私が初めて耳にしたのは、永年行きつけの居酒屋で、10年ほど前に初めてお会いした初老の元刑事さんがこの曲を歌われた時でした!
あなたに あなたに 見ていて欲しい
頭に白髪が 混じり始めても
俺 死ぬまで あなたの子供
真剣に歌っておられたその方は、最後のフレーズ「あなたに」にさしかかった時、声が上ずり始め、「俺 死ぬまであなたの子供」では嗚咽が混じり出し、その目には涙が滲んでいました。
その方はカウンターの隣の席にいた私に泣いたことを謝りながら、いろんな身の上話をされました。その中で特に印象に残っているのは、お父様をご病気で早く亡くされ、お母様が女手一つで自分を育て上げてくれたこと、刑事の職務中に大けがで入院したりして心配をかけてきたことなど、そして何にも恩返し出来ないまま、そのお母様を今日介護施設に預け、手続きを済ませ自宅へ帰る途中、居たたまれずこの店に突然寄ったとのことでした。「吾亦紅」を聴くと、質実剛健そうな元刑事だったその方が、涙声で歌われていたそのお姿が想い出されます。
投稿: 芳勝 | 2018年9月21日 (金) 19時23分
母の存在は不思議です。私ももう3年忌を過ぎましたが、母が亡くなってから身近に感じます。仏壇があるからだと思います。そういう感じがしています。この歌も時々聞いています。
投稿: 今でも青春 | 2018年9月21日 (金) 19時26分
私は母と同居していたとはいえ、嫁いだ身、母の遺言は自分が死んだら仏壇は兄へ渡すようにとのことでした。一周忌が済んでから、仏壇ごと父と母は兄の所へ行きました ・・・ 年数が経つにつれ、とても母が感じられます。
投稿: konoha | 2018年9月21日 (金) 21時21分
芳勝様のコメントに涙が込み上げました。
息子にとって母親は特別な存在。
この歌を聴くたびに自分が責められます。
東京からの疎開者で土ひと塊、柱一本の資産もない
姑を引き取って見送りました。末弟の亡夫だけがこの地で生まれ、長姉との差は20歳、長兄との差は10歳。7人兄弟の末弟は「公務員をしていて母を惨めにはできなかった」と晩年私に詫びました。亡夫は、利発で気丈な姑にタダの一度も見方をせず庇ってくれました。転勤の多い職場で当時は「出世に転勤はつきもの、老いた母を転勤させるのは忍びない。出世は諦めてくれ」と言われていました。それでも何度かは転勤しました。この歌を聴くたびに自分が責められるのは、腹の中では妻のわがままを諫め母親に味方したかったのではとの思いが年を経るごとに強くなるからです。
投稿: りんご | 2018年9月22日 (土) 07時40分
仲間の皆様のこの曲に対するコメントを拝読しながら、胸に迫る思いと同時に二木オケが奏でるしっとりとして流れるようなメロディーに今更ながら母のことが懐かしく想い出されます。
私は、兄・妹に囲まれ次男として東京で生まれ、昭和20年の東京大空襲の後、終戦となり両親の故郷である佐賀に帰ることになりました。
当時、父が病弱であったため、一家を支えるために母が自転車を稽古して郡部へ食苦料品などの行商に奔走していたことが頭の中をよぎっています。
数年たった後、母が考えたのは毎日家を空かすのは子どもために良くないとのことで、幸いにして自宅が幹線道路に面していたので、味噌・醤油・豆腐・竹輪・タクワンなどの食料品などと主に子ども向けの駄菓子・量り売りのピーナツなどの店を開きました。
兄と私は学校から帰ると交代で店番をすることになりました。
店番で一番嬉しかったことは、誰もいないのを確認し、好きなお菓子のガラス蓋を「じーと」開け少し戴いた後分からないように全体に平均になるようにしたことなど懐かしく想い出されます。
時は流れ、兄(大阪)・妹(名古屋)は結婚し家を離れることに。
その後、父が70歳で病気で急死、母はそのショックで体調をこわし私が身の周りのことをすることに・・・
やがて私も結婚することになりましたが楽しいことばかりではありませんでした。
いわゆる嫁姑問題で頭を痛める日々が続くようになりました。
ある日、母が大腿部を骨折し入院、退院後、リハビリを嫌い寝たきり状態に・・・それでも妻はほんとによく面倒を見てくれたと感謝していました。
そんなある日、大阪の兄が佐賀の状況を見かねて、母を大阪の方に迎えてくれましたが、これまた嫁姑問題で・・・暫くして病院へ入院し、結局母は83歳で亡くなりました。
葬儀は大阪の方で執り行われ、私と妻・子ども二人(当時は小学生でした)で参列しましたが、これまで私を可愛がってくれた叔父さんからは、なんで妹を佐賀の家から出したのかと罵られました。
妹そして、兄嫁の身内からも白い目で見られました。
当時のことを思い出すたびに、今さらながらやるせない気持ちなります。
最近、食事の折などに妻と当時のことの昔話に触れることがありますが、妻から「私の見方には一度もなってくれませんでしたね」といわれるのがとても辛く思います。
その当時、母には何度となく妻のことを話しましたが、「すぐ嫁の方を味方するといわれ何も言われませんでした。
これまで私は、時折、母を恨んだことはありましたが、しょせん親子は親子、戦後の動乱を乗り越え私をこれまで苦労の末、成長させてもらったことに感謝すべきと改めて強く思っている次第です。
これからは、今まで以上に妻を心から労りたいと思います。
この曲を聴きながらしみじみとそう思えてきました。
大変長文になり、また、くどくどとなり申し訳ございません。
お許しくださいませ。
投稿: 一章 | 2018年9月22日 (土) 10時28分
《吾亦紅》の花言葉には〈変化〉〈うつり行く日々〉〈愛慕〉〈もの思い〉〈明日への期待〉〈あこがれ〉〈移ろい〉等々とあり、そのいずれも今の私の心模様になんとなくマッチしているような気がして…蒲の穂によく似た吾亦紅の花を祭壇に生けてみましたが、天国の妻から“パパあんまり変な花飾らないでね?”と、言われそうです。
投稿: あこがれ | 2021年9月18日 (土) 10時21分
先生、ご無沙汰しています。
ずっと以前お世話になりました川手です。
確か私と同じ年と記憶していましたので相変わらずお元気でご活躍のことうれしく存じます。
以前、ブログに漢方の材料の特集を書いているときにワレモコウの意味が分からなくて先生の記事を知り、投稿させていただいたことがあります。
最近の歌は、意味不明のものが多く、テレビを見て、字幕を呼んで初めてわかるののが少くありません。
よく読むと意味深長な、現代の若者の心情が分かるものも多いのですが、、、
今回「香水」という歌を調べようとしましたら先生のページに行きつきました
所で私は私は「心と体がととのう漢方の暮し365日」という本を9月29日に出版いたしました
この本は二年前に企画がとおり、夫と出版を心待ちにしていたのですが、残念ながら5月に83歳で夫が亡くなりました。
生前から本の出版を二人で心待ちにしていたので残念です。
出版が遅れた理由は、編集長さんの肝いりで全ページにイラストを入れるという大規模な作業があったのです。
出来上がった本を見て、予想以上のすばらしさ(本のないようではありません)にビックリしています。
以前先生が本の出版の難しさを教えていただきましたが、本当に大変な作業といことが分かりました。
お陰様で次の本のオファーをいただき、毎日頑張っています。
私と同じく、多分来年は傘壽を迎えるのではないでしょうか?
これからもご活躍をお祈りいたします
投稿: 川手鮎子 | 2021年12月19日 (日) 12時55分
私はこの歌を一度も歌ったことがありません。なぜなら「あなたに あなたに 威張ってみたい 来月で俺 離婚するんだよ」というフレーズが、引っかかるからです。曲と、このフレーズ以外はとても好きなのですぐ歌いたいんですが、本当にここだけなんです。離婚する理由なら、いろいろなことを想像できますが、それは「残念ながら」と言う事であって、何でこれが母親に「自慢」する事なのか。
「お母さんも知っての通り、ひどい嫁に長年耐えて来てお母さんにも心配かけたりしたけど、ぐずぐずと離婚できずにここまで暮らしていた。だけど俺、やっと決心がついて離婚することにしたんだよ」と言う事でしょうか。しかし、それなら自慢するものではないし…。
私なりに、この詩の意味を考えてみたのですが分かりません。どなたかこんな私が納得できるような明確な理由を教えて頂けないでしょうか。もちろん推測や想像で構いませんので…。
投稿: 吟二 | 2023年5月10日 (水) 15時45分
吟二様
男の感情としては同感ですが、前のコメントでBiancaさんに女性の受け止め感を頂いています。ご参照下さい。
投稿: 海道 | 2023年5月11日 (木) 11時32分
「母親の息子への気持ちは恋人に近い・・・」きっとこの感情は姑としての立場に立たされた母親の気持ちなのでしょうね。
私自身、不器用で馬鹿さ加減を懐抱しているせいか、男の子、長じて男となってもその不器用さと馬鹿さ加減を秘めている心うちが切なく愛おしく思います。親に心配をかけた息子は50を過ぎました。彼が内蔵する不器用さに母親である私はハラハラの仕どうしです。そして、きっと私が逝く時、彼の号泣する姿が見えてきそうな気がしてきます。
投稿: konoha | 2023年5月11日 (木) 12時47分
海道様、konoha様、コメントありがとうございます。お母様の息子への愛情は理屈じゃないのはわかります。でも、「何故これが母親に自慢する事なのか」と言う私の疑問は解けません。いっそ、情ない男の甘ったれたい台詞なら分かりますが…。
投稿: 吟二 | 2023年5月11日 (木) 21時06分
「吾亦紅」・吟二様の疑問『自慢』について!
『・・・誰しも多かれ少なかれ、思い通りにならない人生を送っています。この主人公も同じで、ままならないことの中に結婚生活があったのでしょう。泥沼化した夫婦関係が生活全般に重い影を落としていたのかもしれません。にもかかわらず踏ん切りがつかず、惰性で日々を送っていたと推測されます。
しかし、彼はついに決心しました。「あなたには後で恥じない自分を生きろ、常々いわれていたけれど、やっとけじめをつけて、自分本来の人生を取り戻すことにした。胸を張ってそういえるようになったよ」と、亡き母に報告しているのです。
これが「威張ってみたい」という言葉として表現されているのでしょう。・・・』
<蛇足>に記されている、二木先生の『上記ご意見』に、私は説得力を強く感じているのですが、恐れながら吟二様は如何でしょうか・・・
投稿: 芳勝 | 2023年5月11日 (木) 23時49分
芳勝さま
ご意見ありがとうございます。うかつにも私は二木先生の解説を忘れておりました。そうですね。私も何となくそういうことなのかなと感じてはおりました。世の中にはどうしようもないことがありますから。それを打開しようとしても踏ん切りがつかないまま惰性で過ごすことはよくあると思います。それをこの男性は相当な年になってからやっと踏ん切りをつけた。やっと自分の意思をはっきりと貫くことができた。母親はいつもこんな性格の自分を心配してくれていたが、母さん、俺はやっと決断したよ。あんまり人に自慢する事じゃないけど、母さんにだけは褒めてもらいたい。そんな感慨を「あなたに、あなたに威張ってみたい」と言ったんでしょうね。わかる気がします。天国の母さんなら「そうかそうか」と褒めてくれるかもしれません。ちょっと情けないけど、本音だから世間の同感を受けたのでしょうね。有難うございました。
投稿: 吟二 | 2023年5月12日 (金) 05時52分
この母親の人生は、楽なものではなかったけれど、それでも子供のためにと耐えてきたのでしょう。「それでも母を生ききった」のですね。
自分は出来なかったけれど、だから尚更、息子には思うように生きてほしい、形見の言葉は親心だと思います。
息子は離婚することによって「そう はじめて自分を生きる」ということでしょう。
この歌詞を読んでいると「帰らんちゃよか」という歌を思い出します。帰らなくてよいという意味です。
熊本県出身の役者のばってん荒川さんが歌い、その後、同県出身で歌手の島津亜矢さんも歌っています。
お時間のある時に一度聞いてみてください。、
投稿: 12月の旅人 | 2023年5月12日 (金) 13時20分
辛い話が続きますね。
今回はこの辺で止めておきませんか。
投稿: 田主丸 | 2023年5月12日 (金) 16時16分