(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo
作詞:G. Clifton Bingham、作曲:James L. Molloy、日本語詞:近藤玲二
1 黄昏のともしびは いとしくもほのぼのと 薄れゆく思い出に 愛の光をともす あこがれの輝きを 過ぎしあの日のままに (*コーラス) 今宵もまた若き日の 夢を秘めて黄昏は 美わしくも懐かしき 愛の調べとなりて かえり来る
2 黄昏の調べこそ やさしくもはるばると 我が悩み疲れたる この心なぐさむ 永遠(とわ)に忘れじの 懐かしき愛の歌 (*コーラス)
Love's Old Sweet Song
1. Once in the dear dead days beyond recall . When on the world the mists began to fall Out of the dreams that rose in happy throng Low to our hearts love sung an old sweet song . And in the dusk where fell the firelight gleam Softly it wove itself into our dream (*Chorus) Just a song at twilight, when the lights are low And the flick’ring shadows softly come and go Though the heart be weary sad the day and long , Still to us at twilight comes love’s old song Comes love’s own sweet song
2. Even today we hear love's song of yore . Deep in our hearts it dwells for evermore Footsteps may falter, weary grow the way Still we can hear it at the close of day So till the end, when life's dim shadows fall Love will be found the sweetest song of all (*Chorus)
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《蛇足》 1884年に発表されて、英語圏で大ヒットしました。我が国でも、かつては合唱曲として愛唱されましたが、最近はあまり歌われなくなったようです。
この歌はよく知らないという人も、4分の3拍子に変わる後半のメロディを聴くと、何となく聞き覚えがあると感じるのではないでしょうか。
作曲者のJ. L. Molloy(1837〜1909)はアイルランド出身で、ダブリンのカトリック大学を卒業したのち、ロンドン、パリ、ボンで勉強を続け、1863年、26歳のときに弁護士資格を得ました。
しかし、弁護士活動は一度もすることなく、ひたすら音楽活動に邁進しました。当初はオペレッタを作っていましたが、のちにポピュラー音楽を多く書くようになります。
’The Old Cottage Clock’ ’Bantry Bay’’The Kerry Dance’等の曲で人気作曲家の仲間入りをしますが、彼の最大のヒット曲は、なんといってもこの’Love's Old Sweet Song’です。
イギリスはもとより、出身地のアイルランドでも多くの人に愛唱されました。彼はのちにアメリカに移住するのですが、そこでも大ヒットしました。
どういうわけかこの歌は船乗りの間でとくに人気があり、彼らが大ヒットの火付け役になったと伝えられます。
いっぽう、作詞者のG. C. Bingham(1859〜1913)は童謡作者として有名で、絵本用の童謡を多数作りました。そのいっぽうで、大人向けのポピュラーソングも作詞、その最大のヒットがやはりこの’Love's Old Sweet Song’でした。
(二木紘三)
コメント
私が子供のころ、NHKラジオの音楽番組(なんというタイトルだったか)の始まりにこの曲が流れていました。ゆったりとしたメロディに当時を思い出します。歌詞を口ずさみながら、聴いていました。
投稿: Bianca | 2011年3月29日 (火) 19時26分
郷愁を感じさせる名曲ですね。大好きな曲の一つです。
投稿: 三瓶 | 2011年3月31日 (木) 20時43分
わたしもNHKラジオ番組のテーマで覚えている曲です。「亡き王女のためのパヴァーヌ」「時の踊り」「パガニーニの主題による狂詩曲」などなど、いまでも聴くとあの頃のこと、そしてぼろラジオの形まで思い出します。でもそれぞれ何という番組だったのでしょう。
投稿: 林 一成 | 2011年4月 4日 (月) 09時51分
1950年、NHKラジオ番組「愉快な仲間」が始まった。藤山一郎と守繁久弥のトークショウが絶品で、受験勉強をそっちのけにして楽しんだものだ。「なつかしき愛の歌」は番組の始まりを知らせるテーマソングだった。この番組はそののち5年つづいた様に思う。
投稿: 三浦 光彦 | 2011年7月 2日 (土) 20時20分
忘れ掛ていた・懐かしき愛の歌・に再会しました。メロディーも歌詞もはっきり甦り同時に、この歌を唄っていた頃の出来事まで想い出す事が出来ました。私が23歳の頃ですから六十年前になります。その時分は山登りに明け暮れて山岳会の素晴らしい仲間にも恵まれ楽しい毎日でした。夏と冬に一週間程度の山行の他に月例日帰り山行、お花見山行、お月見山行や一泊コースを日帰り山行する羚羊山行、夏のシャワークライム、冬季のスキー等よくも仕事と両立出来たか不思議に思えます。仲間もそうですがスーツや洒落た服など皆無でした。テントの中や焚火を囲んで唄う為にソノシートを買って歌を覚えました。その中に此の歌が入っていました。少し寂しげな綺麗なメロディーが好で繰り返しソノシートを回し、ピアニカの音色が此の曲にピッタリで何度も聞いてはピアニカを吹きました。私は唄うのが不得意でどうしても、愛の光をともす、の処が上手く唄えないのです。そんな中、丹沢水無本谷で豚汁キャンプを計画して山岳会員以外の参加者を募り実行しました。参加者50人、テント3張りは女子用、野郎は青天井。大鍋3個、食料、燃料を車に積み先行4名、初秋快晴、石で竈を作りテント設営をしながら、鼻歌で黄昏の灯は・・・と、一緒に作業していた年上の女子会員がその歌知らないけど何の歌と聞いて来たので、ラブス オールド スイート ソングと教えました。何故下手な英語で言ったか、それは彼女が丸紅本社秘書部勤務の今で云うバイリンガルなので一寸イキガッタのかも。ちゃんと歌ってと言われて思い切って少し大きな声で最後まで唄いましたが、矢張り、愛の光をともす、が上手く唄えず胡麻化しました。彼女が綺麗な声で英語で歌う、ロッホローモンドやライ麦畑で出会った等は本当に素晴らしく自分が歌うのは恥ずかしかったけどラブコールだったのかも、彼女は私をヤッチャンと呼び私は彼女を和子さんと呼んでいました。二年後同じ山岳会の尊敬する先輩と彼女は結婚(和子さんも同じ先輩です)しました。結婚を期にお二人は退会、その後私も素敵な恋人と出合い結婚退会しました。お二人とは家族ぐるみのお付き合いがお二人が60代手前で亡くなる迄続きました。和子さんは綺麗で若い儘で亡くなりました。本当に残念です。山岳会では私が一番年下だったのでもう誰もいません、一人生き長らえています。今、懐かしき愛の歌を口ずさんで居ます。過ぎしあの日のままに・・・・帰りくる
矢張り、愛の光をともす、が駄目です。
投稿: じぃじ | 2024年3月20日 (水) 01時24分
じいじ様
「なつかしき愛の歌」のリクエストして下さり、ありがとうございます。
ずっと憧れていながら、結局この年まで果たすことのできなかった山への思いと、大切なパートナーを失った侘しさを癒してくれるような じいじ様のコメント…思わず、これまでの懐かしい思い出が、この素晴らしい名曲にのせてフラッシュバックしてきます。
私とほぼ同じ年代のじいじ様、素敵な人生を送ってこられまいしたね。
これからも、もう少し頑張って青春できればいいですね。
投稿: あこがれ | 2024年3月20日 (水) 11時40分
あこがれ様コメント有難う御座いました。交流掲示板をご覧頂けましたら幸いです。楽しい思い出も山ほどありますよね
此れからは、楽しい事だけ考えて過ごしませんか。
投稿: じぃじ | 2024年3月22日 (金) 17時12分