スコットランドの釣鐘草
(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo
スコットランド民謡
日本語詞:津川主一 1 かぐわしき 春の来たれば 1 こみどりの 森の下かげ The Blue Bells of Scotland |
《蛇足》 日本ではスコットランドの古い民謡とされていますが、実際に成立したのはイングランドのようです。
エジンバラの出版業者で民謡収集家のジョージ・トムソン(1757~1851)は、収集した民謡約200曲の編曲を、当時ウィーンに住んでいた"交響曲の父"ハイドンに依頼しました。報酬は1曲につきダカット金貨2枚だったといいます。
それとともに彼は、古語や方言で歌われていた民謡に当世風の新しい歌詞をつけるよう、10数人の作家や詩人に委嘱しました。そのうち『スコットランドの釣鐘草』を担当したのが、ラガンのアン・グラント夫人(1755~1838)でした。
ラガンは彼女の居住地です。当時、グラントという姓の著名な女流文学者が3人いたため、それぞれの居住地または出身地名をつけて呼ぶのが習わしになっていました。
こうして曲・詞とも一新された民謡は、1800年の初め、ロンドンのドゥルリー・レイン劇場で発表されました。歌ったのは当時の花形女優ドロシア(愛称はドロシー)・ジョーダン(1762~1816)でした。
余談になりますが、ドロシアは国王ジョージ三世の3男・クラレンス公爵の愛人で、20年間の同棲中10人の子どもを産んでいます。クラレンス公爵には、ほかに5人、つまり合計15人の子どもがいました。
ドロシアを離縁したのは、彼が裕福な大貴族の娘と結婚するためでした。
長兄、次兄が男子のないまま亡くなったため、クラレンスは晩年の6年間だけ、ウィリアム四世としてグレートブリテン・アイルランド連合王国の国王になることができました。
ウィリアム四世(クラレンス )は13歳で海軍に入り、最終的には艦隊の提督になったため「航海王」と呼ばれますが、ほかに「アホのビリー(ビリーはウィリアムの愛称)」とも呼ばれました。何かひょうきんなところがあったのかもしれません。
イギリスの王制は複雑怪奇で、イングランド王とスコットランド王が別にいたり、イングランド王がスコットランド王を兼ねたり、さらにグレートブリテン・アイルランド連合王国の国王になったりします。その結果、代数も複雑になり、イングランド王としてはウィリアム三世だが、スコットランド王としてはウィリアム二世といったケースもあったりします。
イギリス人でも、相当歴史に詳しい人でないと、こうした関係がわからないようです。
こうなったのは、スコットランド人に独立王国意識が強く、幾度となくイングランドと戦い、征服されたり、独立を回復したりといった歴史を繰り返してきたことによります。
この曲の原詞も、そうした戦争にハイランド地方から徴兵されていった恋人を思い、帰りを待つ健気な女性の気持ちがテーマになっています。
日本と関わりについてみてみましょう。
明治維新後、音楽教育の欧風化を図るため、文部省は「音楽取調掛」を設置し、欧米各国に留学生を派遣して、音楽教育を受けさせるとともに、曲の収集もさせました。
その最初の成果が明治15年(1882)から同17年(1884)にかけて出版された『小学唱歌集』でした(注)。この唱歌集に掲載された曲の大部分はイギリス、アイルランド、ドイツ、アメリカなどの外国曲で、それに日本語詞をつけたものでした。
『スコットランドの釣鐘草』も採用され、稲垣千頴(いながき・ちかい)と野口耽介(のぐち・とうすけ)が『美しき』というタイトルで詞をつけましたが、採用されたのは皇民教育の色彩の濃い稲垣版でした。詞としては野口版のほうがきれいだと思いますが。
下にその2つの日本語詞を載せます。
なお、稲垣千頴は『蛍の光』(スコットランド民謡)、『蝶々』などにも日本語詞をつけています。なお、『蝶々』は日本では永らくスペイン民謡とされてきましたが、近年の研究ではドイツ民謡で、それが各国に広まったものだそうです。
日本語詞:稲垣千頴 |
(注)初編の奥付けには「明治14年11月 出版権届」とあるのみで印刷日が入っていないが、伊沢修二『音楽取調成績申報書』によると、文部省から内容に注文がついたため、実際に印刷出版されたのは明治15年4月であった。
(写真はブルーベル。ヨーロッパ原産のユリ科の多年草で、春に鈴形の青い花が咲きます)。
(二木紘三)
コメント
母が子守唄代わりに歌っていたのをかすかに記憶している曲です。スコットランド民謡は日本人に馴染みやすいメロディーなのでしょうか。明治時代以来多くの曲が我が国に紹介されました。
二木先生がおっしゃるように連合王国(United Kingdom)の歴史は複雑です。ブリテン諸島は古くはケルト人の支配した地域でした。やがてローマ人が進出し、その後ゲルマン人、ノルマン人、時にフランス出身の王家などに支配されて来ました。しかしながらイングランドを除くスコットランド、ウェールズ、アイルランドは言語的にもケルト文化を色濃く残しおり、スコットランド・アイルランド・ウェールズをCeltic triangleと呼びます。スコットランド民謡とアイルランド民謡が似ていることは『真白き富士の嶺』のコメントにもありましたが、民族的起源に由来する可能性があります。司馬遼太郎は『愛蘭土紀行』の中で、あのビートルズでさえ、アイルランド移民の子孫たちであり、アイルランドの音楽の影響があると述べています。賛否のあるところでしょうが。
投稿: Yoshi | 2011年6月 5日 (日) 16時13分
中学生時代に習い一番大好きな歌でした。野口版の「美しき」でした。何やら哀しく切なくしかし温かい、美しいメロディと歌詞が心にしみてきます。初恋の人にめぐり会い思い出を楽しく語ったような気分になりました。ありがとうございます。
投稿: ゆでたまご | 2011年6月 7日 (火) 15時25分
懐かしい「スコットランドの釣鐘草」を嬉しく聴いています。いくつもの日本語詞があるのですね。子供の時に覚えた歌詞は、不確かですがこんなふうでした。
「空晴れて朝風吹けば ……(不明)…… 森の影の釣鐘草は ほのぼのと群れて匂うよ」
この歌詞が流れていたのは昔の札幌だけだったのでしょうか…。今はもう消えてしまったようなのです。
投稿: 眠り草 | 2011年6月11日 (土) 10時33分
眠り草様の歌詞は道北の中学で使用した音楽教本にもありました。ただ僕は〝空晴れて朝風ふけば、山川―(または)山々―に水音高く、森のかげの谷間の百合は、花白く、群れて匂うよ〟と覚えております。題は「谷間の百合」だったと思います。中学校二年のときに教わりました。白い百合は見たことがないので、どのような花なのかと想像したものです。ウェッブで画像を調べましたら、森でよく見かける花だとわかりました。二木先生の解説には、いつも感銘を受けます。それにしても『文部省唱歌集』は百二十年余に亙り、我々の情緒を揺さぶるものなのですね。ありがとうございます。
投稿: イサコフスキー | 2011年6月11日 (土) 22時50分
イサコフスキーさん、ありがとうございます。良く記憶していらっしゃいますね。私は学校で習った覚えは無く、実は(不明)とした箇所は、「谷川に水音高く」だと思っているのですが自信がもてなかったのです。二木先生ご紹介の日本語詞は、当時少しも知りませんでした。ですから、「スコットランドの釣鐘草」といえば、「空晴れて…」という思い込みがあり、ずっとこの歌詞を探していました。それにしても、「谷間の百合」とは良く似ていますね。大好きなこのメロディーを聴くうちに、私もはっきりと思い出せるとうれしいのですが……。
投稿: 眠り草 | 2011年6月12日 (日) 01時01分
その後、何度も聴くうちに、やはり「谷間の百合」だったのかも……と思うようになりました。昔、ある神父様に聖書の中の「野のゆり」はカンパニュラ(釣鐘草)だと教わった事。そして[Lily of valley]はスズラン(ユリ科)の英名であること。とりとめも無くいろいろなことを思い出します。「空晴れて朝風吹けば 野に山に(または谷川に?)水音高く 森のかげの谷間の百合は 花白く(ほの白く?)群れて匂うよ」……私の淡い記憶はイサコフスキーさんの「谷間の百合」に、限りなく近付いていて参りました。
二木先生、懐かしさのあまり私信のようになり、また曖昧な記憶の歌詞を書き込んで申し訳ありません。どうかお許しくださいませ。
投稿: 眠り草 | 2011年6月12日 (日) 10時10分
二木先生の詳細なご解説を、ようやく少しずつ理解しはじめたところです。「美しき」が二通りあることも、私は知りませんでした。 稲垣千頴の詞は読んでいて辛くなりますが、野口耽介の詞は抑えたところがあり美しく感じます。
進んでは開かないかもしれないジャンルのページに、他の方のコメントに導かれて行き、素晴らしく深いご解説を発見して驚きながら拝読する事もあります。いつも本当にありがとうございます。
(前回の私のコメントで、Lily of the valleyとすべきところ、theが抜けていました。また、ひらがなを消し忘れて重複し見苦しい所があり、不注意をお詫びいたします。)
投稿: 眠り草 | 2011年6月14日 (火) 09時17分
二木先生、「スコットランドの釣鐘草」ありがとうございました。
どの歌詞を見ても、歌詞で歌った記憶は全くありませんが、おそらく、楽器(縦笛)で演奏するために、階名で覚えたのだと思います。とても懐かしい曲です。
昭和27年生まれ、沖縄の那覇でも、この曲は、教えられていたようです。
投稿: 上原 | 2011年6月16日 (木) 10時58分
40年ほど前、新潟県谷浜海岸で、偶然同部屋で泊まることになった人が、スコットランド人で、香港(当時英国領)を拠点に活動する写真家のMBさんでした。
ジェスチヤーを交えて、一生懸命、会話を試みて、何とか意思疎通が出来る用になりました。
翌日、長野県諏訪市に私の家に3泊して、観光地、景勝地を案内してのですが、彼は、道路脇の、神社、お寺の萱葺きの葺き替え、古民家、祭りの準備、等に関心があったようで、多くの写真を撮っておりました。
彼との会話で、大変驚いた事があります、それは、日本は、英国以上に、民主的で、自由だと言うのです。
民主主義の先進国が、何故?、彼と別れた後も、その疑問は消えませんでした。
その後、調べた結果、①職業が世襲制になっていて、自由に選べない、②階級社会が厳然として残っている。
の2点でした。
表面だけでは、解らない事が多いですね、世界は。
投稿: 月の輪熊 | 2011年7月 9日 (土) 16時56分
イサコフスキーさま
札幌出身で、長くコーラスを続けてこられた方に『谷間の百合』のことをメールでお聞きしてみました。どこで覚えたのかは分からないそうですが、イサコフスキーさんとほとんど同じ歌詞をその方は記憶していました。おまけに二番の歌詞の断片も記されていたのには、驚きました。「山川に水音高く」のようですね。違うのは「花白く」の部分が「ほのぼのと」と書かれていたこと。ですが……「ほのぼのと」は、あるいは二番の歌詞なのかも知れませんね。
イサコフスキーさん、本当にありがとうございました。おかげさまで霧が晴れたような思いです。
投稿: 眠り草 | 2011年7月16日 (土) 00時13分
こんにちは 二木先生のサイトと解説、みなさんの感想を読むのが大好きなものです。
現在、ニュージーランドにてヘルスケアを学んでいます。長年、美しい文化・言語や自然の残されているNZにあこがれ、また原発や死刑制度のない社会であることもきっかけとなり、来年の移民法厳格化の前にとおもいきって留学しました。こちらでは、スコットランド・アイルランドなどの音楽の演奏がさまざまなイベントで見られます。
また、多くの移民がアジアよりおしよせてもいます。人数的社会的事情もあり、多くはインドと中国の若者たち、中東や韓国の人々も(本国の人口の割りに)よく見かけます。今年は日本人も増えている様子。。。多くは自国の社会問題(戦争や紛争、政府の弾圧や社会的貧困、原発問題など)を避けて、移民してきているようです。
私も、日本の死刑制度や原発に反対する運動に微力ながら協力してきたのですが、力不足で、とうとうこの春の原発事故とNZ移民法改正予告を直接のきっかけにこちらに来ました。私も含めて多くの移民は、自国の両親と離れて暮らし始めますが、このスコットランドの釣鐘草の、野口氏の歌詞には、涙がこぼれました。また、日本の多くの若者が、自国に踏みとどまって、災害救助のため自衛隊への入隊を希望するようになったと言う記事にも、本当に心があつくなりました。
私の両親は、日本にいますが、こちらに来るときに(30代にもなった娘に)高価なトランクを買ってくれたり、経済的に助けてくれたりと、小学校のころにランドセルを買ってくれ生活の面倒を見てくれたのと変わらぬ愛情で外国に送り出してくれたのです。多くの若い留学生たちも、同じように家族の支援を受けています。
このような母国の愛情の深い人々や社会問題を無視することなく、国境を越えてしっかり恩返しと協力をし合えるよう、こちらでもこういったすばらしい日本の歌詞と世界の音楽を紹介するとともに、積極的なNPOなどとの協力活動を進めてゆきたいと思います。現在は、微力ながらクラスの学級委員長としてこのような思いを伝え、毎月、チャリティーバースデーの集まりを持ち、友人とその両親への感謝を、世界の歌の紹介とともに感謝状を贈りあって表し、パフォーマンスを楽しみ、代わりに小児科病院などへの寄付を募って送っています。
移民たちの母国の多くには、ストリートチルドレン・児童労働・紛争・暴力・大きな経済格差などの問題があふれています。私は、日本ではその改善支援NPOなどに参加していましたが、この福祉の進んだ国にきて、それらの問題を避けてNZにきた若者たちと日々接する中、人間のあり方をいっそう深く考えるようになりました。
私自身も世界の社会問題から逃げるばかりでなく、社会を支えてくれている人々に積極的に報いたいです。また、彼らにもそう呼びかけ続けたいと思います。そして今は、数百年前の英語・文化が(地方の英語なども含め)よく保存されているこの国から、その橋渡しになる文化を伝えたいと思います。(現地の人々の協力も得て、古い英語表現の民謡を、現代の若者も歌いやすい英語や日本語に翻訳していっております。)近い将来、日本のすべての原発が自然エネルギーに代えられ、死刑制度もなくなることを願っています。今は、関連NPOにオンラインで署名協力したりしておりますが、社会文化活動に関して、さらに協力し合えることがあれば教えてくださいね。
みなさまに感謝をこめて。
投稿: Kumi | 2011年12月 1日 (木) 08時51分
ネス湖周辺やラッガーン、エディンバラに咲くthe sweet blue bellsに詩人グラントは親しんでいたんですね。ヒヤシンス科ヒヤシンスモドキ属にnon-scriptaがあり、最近6~7月にさえ群生するのにお目にかかります。確かこの20年、移動も採取も激しく禁止され、大事な野生種のようです。北国の寒い土地にでるラヴェンダー・ブルー(だそうです)の植物。私には青色が勝ち過ぎるように感じられます。少し明るく薄ければ、恋人に寄せる歌に相応しい…そんな気分がします。
キキョウ科釣鐘草属(Campanula)にやはりブルーベルと言われる一群があり、最も親しまれるのは大陸側でクロッキェ(小さな釣鐘草チャン)などと呼ばれる種。20センチ高で小ぶりの草花。野生種に薄い青/青/薄いピンクまで花色があり、楢の根付近やオープンな野原に可愛く咲き誇ります。アン・グラントはこちらをイメージしているような…気がします。スコットランドのブルーベルと言うのがこちらに傾くようです。
眠り草さん、イサコフスキーさん問答の"谷間の百合"は仰るように[Lily of valley]を念頭にされた作詞でしょうね。[日本人に定冠詞発想はないのでthe抜きで充分、理解しております] 昔ユリ科(今はクサスギカズラ科に移籍)スズラン属仲間の主要3種は欧米日に上手に配分されて感心します。園芸種に青っぽいのがあり(困り)ますが、可憐な白い釣鐘草で、非常に親しまれています。ドイツスズランと和名を貰いながらも、上二つのように寒いスコットランドは言うまでもなく東のコーカサスあたりまで自生するそうです。やや湿り気のある林床に勢力を張り見事です。アンは触れていませんが、この白い谷間の百合も十二文に歌詞主題と、メロディーに合うのではないでしょうか。
投稿: TangoMinato | 2011年12月 9日 (金) 03時41分
Tango Minato様 ご教示に感謝申し上げます。勉強になりました。ところで、non-scriptaとは如何なるものですか。あいにく長期旅行中でもあり、辞書を持ち合わせておりません。お教えいただければ幸いであります。
投稿: イサコフスキー | 2011年12月 9日 (金) 05時10分
イサコフスキーさん ノン・スクリプタは文字通り"記述無し"で、ギリシャ神話由来のようです。ゼウスの息子アポロが愛した美しい少年ヒヤシンスが(アポロの恋仇・風の神による)事故で亡くなります。アポロは悲しみ、偲ぶよすがに彼の涙でヒヤシンス(Hyacinthus orientalis)他幾つかの草花(アヤメ種)を創造した。命名だけでなく、恐らく解説を付したのではないでしょうか。ところがヒヤシンスに似たブルーベルについては何の記述も残さなかった。リンナエウスは神話を尊び、そのブルーベルをHyacinthoides non-scriptaと命名したんですね。この草がイングランドのブルーベルとされ、対してスコットランドのブルーベルと一般に呼ばれるのは既述の釣鐘草(Campanula rotundifolia)のようです。アンの詠んだ花はやはり小さな可憐な後者だと思います。
イサコフスキーさんのHNから、恋の歌カチューシャを詠んだイサックのスラブ名Isakovskyと言う詩人を思い出します。良きにつけ悪しきに付け、共産ソヴィエト時代や、その影響を色濃く受けた戦後日本のイメージに重なります。そのころ、カチュウシャは世界ポピュラーソングになった趣がございましたね。イサコフスキーは彼自身にとって果報な時代を生きた人でないでしょうか…。
投稿: TangoMinato | 2011年12月10日 (土) 00時35分
Tango Minato様 早速のご教示に感謝申し上げます。やはり学名の名詞に後続する修飾語だったのですね。僕は”良きにつけ、悪しきにつけ」ロシアが好きで、歌謡「カチューシャ」の作詞者の名とは知らず、こう名乗らせていただきました。
投稿: イサコフスキー | 2011年12月10日 (土) 01時48分
TangoMinatoさま
お話により、スコットランドに咲く釣鐘草のイメージがイキイキしたものになりました。
私は釣鐘型の花が大好きで、ささやかに鉢植えを楽しんだり調べてみる事もありますが、こんなに詳しいお話を伺ったのは初めてです。non-scriptaも検索して画像を見ました。
「谷間の百合」についてもうれしく拝読しました。心よりお礼をもうしあげます。
この歌を聴いたり、カンパニュラを見るとき、私は昔から好きだった宮沢賢治の童話、「銀河鉄道の夜」のカムパネルラの名をいつも思い出します。釣鐘や釣鐘草に関係があるのかどうか…はよく知らないのですが・・・。
投稿: 眠り草 | 2011年12月10日 (土) 10時47分
眠り草さん わざわざ一言くださり、とんでもございません。一月ほど前、こちらを発見。歌については一切無知ながら、懐かしいメロディーたちが微かに心のどこかと共鳴するのです。蛇足の味わいは何処にもないグルメ、素晴らしい。そして皆さんの書き込み。見知らぬ人生の先輩/同輩/後輩の方々の生き様を教えられます。
眠り草さんの木本もミモザ仲間ですね。むしろ合歓の木に繋がっていくようで、皆さんそれぞれの思い入れを感じることが出来ます。
なおブルーベルについて仁木さんサイトからいただいた衝撃と共に、我がつまらぬブログに先の駄文をコピペしてそれぞれ画像を添えてupしています。’欧州の雑史雑草’でググリその12月9日分です。植物ファンの方にお目を通していただけたら幸と存じます。
投稿: TangoMInato | 2011年12月11日 (日) 10時45分
イサコフスキーさんにも眠り草さんと同じ一言を戴いています。また主催者二木さんを仁木と誤植したこと、合わせて失礼をお許しください。
投稿: TangoMInato | 2011年12月11日 (日) 11時22分
北海道在住の方々が『谷間のゆり』の思い出を書いておられますが、私にとっても懐かしい曲の一つです。気になって手持ちの資料で確認したところ、昭和35年発行の中学1年生の音楽教科書(教育出版社)に、『谷間のゆり』という曲名で掲載されていました。おそらく、多くの方は音楽の授業を通してこの曲(のよさ)に触れられたのではないでしょうか?歌詞は以下のとおりです。
1.そらはれて あさかぜふけば やまかわに みずおとたかく もりのかげの たにまのゆりは ほのぼのと むれてにおうよ
2.やまざとは ほろほろばとが なくこえも かすかにこもる あさもやに たにまのゆりの はなしろく なつの日はあける
投稿: MCEH | 2014年8月27日 (水) 11時57分
MCEHさま
懐かしい「谷間のゆり」の歌詞、ありがとうございます!
北海道の清涼な空気、すずらんの咲く野山がよみがえる歌詞です。
もう50年以上前の記憶…自力では確かめようもない事柄なので、
調べてくださったMCEHさまに篤くお礼を申し上げます。
札幌の教育大学には昔の教科書が保存されているのでは…と
思ったりしていましたが、私は北海道を離れて長く、
何しろ飛行機で移動する距離にいます。
そのうえ札幌の、家から歩いて行ける所にあったその大学(昔は
学芸大学と言いました)は、とうに移転しているとか…。
故郷を失った私ですが、久しぶりに心に光がさすような幸せに浸りました。
投稿: 眠り草 | 2014年8月28日 (木) 00時52分
眠り草さま
早速のご返信ありがとうございます。実は、私も≪眠り草さんの家から歩いて行ける所にあった・・≫教育大札幌分校の卒業生の一人です。全くの偶然ですが、とても親近感を感じております。
さて、札幌はこのところ最高気温が25℃以下の爽やかな季節となり、♪夏の日もいつか過ぎ 空も海も秋です・・という懐かしいフレーズが思わず浮かんできます。ただ、曲名がなかなか思い出せず、ちょっともどかしい昨日・今日です。
投稿: MCEH | 2014年8月29日 (金) 01時15分
『スコットランドの釣鐘草』といえば、直ぐに、♪うつくしき わが子やいずこ…♪という、美しいフレーズ、メロディが口を衝いて出てきますが、私が学校で習ったのは、別の歌詞のものでした。
これまで断片的に憶えているのは、♪山の上 はるかな空よ♪、♪母に綴る 長きたより♪位で、どういう題名だったかは思い出せませんでした。
このたび、”山の上 はるかな空よ”をキーワードとして、ネットで調べましたところ、”おけら歌集(index)/うたごえサークル「おけら」”のなかに、この歌が掲載されていることが分かりました。
『遠き山川』(勝承夫 作詞、スコットランド民謡)…「六年生の音楽」昭22年
1 懐かしき ふるさとの空
山の上 はるかな空よ
そよ吹く風に 思いはわきて
母に綴(つづ)る 長きたより
2 聞こえ来る ふるさとの歌
山川(やまかわ)よ 過ぎこし月日(つきひ)
夕日は赤く 雲はもえて
空に母の 姿えがく
今、改めて、歌詞を眺めていますと、ふるさとを遠く離れた地で、ふるさとの歳老いた母を思う心情が謳われていて、原詩とは大分趣きが異なるものの、詩情溢れるいい歌だと思います。
小学6年生に立ち返ったようで、懐かしさいっぱいです。
投稿: yasushi | 2021年10月 8日 (金) 11時33分