仰げば尊し
(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo
1 仰げば尊し 我が師の恩 |
《蛇足》 ある年齢の人までは、『蛍の光』と並んで忘れられない卒業式ソングです。小・中・高校の卒業式で歌われたのは、昭和30年代後半あたりまででしょうか。その後は、文語で言葉がむずかしいとか、2番の立身出世主義が民主的でないなどの理由で、ほとんど歌われなくなりました。
「我が師の恩」意識が薄まったせいもあるかもしれません。『旅立ちの日に』とか『贈る言葉』『さくら』など、今、卒業式でよく歌われている歌は、在校時代の思い出や将来への希望を歌ったものがほとんどで、先生はあまり出てきません。
これも時代の流れでしょうか。
さて、『仰げば尊し』ですが、明治15年(1882)から同17年(1884)に出版された我が国最初の児童用音楽教科書『小学唱歌集』に載ったのが最初で、以後卒業式で歌われるようになりました(『スコットランドの釣鐘草』の注参照)。
この時代の唱歌の例で、作詞・作曲者は不明とされていました。作曲者については文部省音楽取調掛(東京芸術大学の前身)の責任者だった伊沢修二とも、スコットランド民謡ともいわれていましたが、正確なことはわかりませんでした。
ほとんどの人はこれを日本オリジナルの歌と信じて歌ってきました。
この問題に決着をつけたのが、一橋大名誉教授の桜井雅人さん。桜井さんは平成23年(2011)1月、この曲が1871年にアメリカ・ニューヨークで出版された曲集 『The Song Echo』のうちの1曲であることを発見しました。
出版者はヘンリー・S・パーキンスで、『A Collection of Copyright Songs, Duets, Trios, and Sacred Pieces, Suitable for Public Schools, Juvenile Classes, Seminaries, and the Home Circle.』という長い副題がついています。
曲名は『Song for the Close of School』で、ずばり卒業の歌です。8分の6拍子で、メロディも『仰げば尊し』そのまま、「別れめ」の「め」にフェルマータがついている点も同じです。
作詞者はティモシー・H・ブロスナン(1838.~1886)で、この詞を書いたころは校長でしたが、のちに実業界に転じ、生命保険会社の社長になりました。
作曲者については、H.N.D.としかわかりません。
ともかく『仰げば尊し』の身許が明らかになったわけで、唱歌研究史上画期的な発見といえます。
なお、『The Song Echo』は散逸してしまって原本はなかなか見つからないようですが、Google Booksに全ページ無料で公開されているので、関心のある方はそちらをご覧になるといいと思います。『Song for the Close of School』は141ページに載っています(下図)。
かつて日本の植民地だった台湾では、現在でもこの曲が卒業式ソングとして定着しています。侯孝賢(ホウ・シャオシェン)監督の名画『冬冬(トントン)の夏休み』では、冒頭にこの歌が流れています。
歌詞は台湾オリジナルのものですが、日本語の歌詞の影響が若干感じられます。
歌詞がむずかしいので、少しばかり注釈をつけておきます。
まず各聯の最後に出てくる「今こそ別れめ」ですが、多くの小学生はこれを「別れ目」、すなわち別れる瞬間と思って歌っていました。もちろん私もそうでした。
が、これは係り結びという文語独特の表現法です。普通の肯定文では述語は終止形で終わりますが、内容を強調したい場合には、前に係助詞を置き、述語を連体形または已然形にします。
係助詞が「ぞ」「なむ」「や」「か」の場合は、「姿ぞ見ゆる」のように述語は連体形で終わります。
いっぽう、係助詞が「こそ」の場合は述語は已然形になります。「今こそ別れめ」がその端的な例です。
そこで「め」の意味ですが、これは意志や決意を示す助動詞「む」が元の形です。したがって、「今こそ別れめ」は「さあ今別れよう」といった意味になります。
これ以外の言葉については、以下の通りです。
いと疾(と)し=非常に早い。
睦(むつみ)し=睦ぶ、または睦むが元の形で、仲良くする、親しく交わるといった意味。
やよ=呼びかけの言葉。やあ、さあ、やいなど。
蛍の灯火(ともしび) 積む白雪=中国の故事からきた言葉。晋(しん)の時代、車胤(しゃいん)は貧しくて灯す油が買えなかったので、蛍を集めてその光で勉強し、同じく貧しかった孫康(そんこう)は、夜は窓外の雪に反射する月の光で勉強していた。二人とも、学問がなってのちに朝廷の高官に出世したという逸話から。
(二木紘三)
コメント
お待ちしてました。先生のサイトにこの「仰げば尊し」がないので、不思議に思ってました。でも、今年の1月に楽譜が発見されたというニュースを聴いて、取り上げてもらう日も間近いと信じてました。有り難うございます。
この曲が卒業式で唄われなくなって久しいですが、本当に惜しい事ですね。文語体が難しくても、後々理解できればそれでいいのだと思います。
小生自身も中学生までは,歌詞の意味を全部は理解してはいませんでした。映画「二十四の瞳」、「ビルマの竪琴」でも使われていて、とても感動しました。メロディーを聴くたびに、胸が熱くなります。
投稿: かせい | 2011年7月 2日 (土) 19時59分
「仰げば尊し」大好きで、友達とカラオケに行ったときの締めに全員で合唱して終わります。ちなみに全員24才です(^-^)
ただこの歌が素晴らしい歌であるためには、その名のとおり「先生への尊敬と感謝の念」があることが必須条件です。
また、これはどうしようもないことではあるんですが、これを教師の側から生徒に教えたり「歌わせたり」することは構造的におかしさがあります。(じゃあ子供らはどこでこの歌の存在を知れっちゅうねん!と言われたらそれまでなんですが…)
僕の場合は、今まで出会った先生方は良い方ばかりでとても恵まれていたなと思います。この歌が本来の力を発揮するためには生徒からの自発的意志による合唱というのが必要不可欠になります。
って考えると、この歌が再び卒業式で流行するようになるのはやっぱり難しいことなんですよねぇ…
投稿: Fundosius | 2011年7月 3日 (日) 01時02分
今年の3月、娘の卒業式で「仰げば尊し」が歌われていました。やはり、厳粛な感じがしましたが、生徒はあまち大きな声では歌っていませんでした。大分県の高校です。
投稿: 上原 | 2011年7月 5日 (火) 08時02分
教員時代、「仰げば尊し我が師の恩」には抵抗がありましたが、「身を立て名をあげ やよ励めよ」のところでは子どもたちの先々に思いを込め大きな声で歌ったものでした。あの子達の今に、幸多からんことを今でも強く思っています。
投稿: 宮﨑 宏 | 2011年7月 7日 (木) 23時33分
「今こそ別れめ」は「さあ今別れよう」といった意味になるんですね。ああ、そうか、それでこそ、と合点がいきました。その他の解説も本当に素晴らしく勉強になりました。私は、多感で未熟な学生時代に「仰げば尊し」に値する先生にいかに多く出会うかでその人の人生というか人間形成が左右されると思います。昔はいい先生、恩師がたくさんいたと思います。昨今、学級崩壊のニュースを聞くと、この日本の将来はどうなるのだろうと暗澹たる思いにかられます。
投稿: SK2 | 2011年7月11日 (月) 20時51分
初めて訪問させていただきました。
仰げば尊しは、私の中学校の卒業式で歌われた曲ですが、今はあまり歌われていないとのこと、寂しい感じがします。
歌詞は難しくとも、その意味を後々理解できる時が来るのではないでしょうか。今後も歌い継がれていってほしい曲です。
投稿: yokohaha | 2011年7月13日 (水) 10時27分
みんなが云われるように、やっと載せていただきました。私の場合は、教師云々で無く、この曲が少年時代の思い出につながり、懐かしいのです。歌詞はそのようですが、先生を意識して歌ったことはありません。学校の校舎、グラウンド、今は疎遠になりましたが友達、いろんな出来事などです。それが正に、少年時代でした。
投稿: 羽田光利 | 2011年7月16日 (土) 01時38分
「仰げば尊し」がアメリカの歌だったとは驚きました。
昨年の秋、中学の担任だった先生の米寿を祝う会が高知でありました。宴たけなわの頃、恩師に祝辞を述べろ、との幹事の要請に、小生が「仰げば尊し」を歌い出すと、ほかの同窓生もつぎつぎに立ち上がり、ついには全員12名の合唱に。
でもそのうち先生ともども、みんな涙にむせんでしまい、終わりまで歌えませんでした。
まさに「二十四の瞳」を地で行く師弟愛の感動の一シーンではありませんか。
傍から見れば涙腺の緩んだ老人グループの乱痴気騒ぎにすぎなかったことでしょうが。
投稿: スンガリ河畔 | 2011年7月16日 (土) 17時01分
私の小・中学校の卒業式の定番といえば、やはり’仰げば尊し’と’蛍の光’でした。
どちらの曲もメロディーが美しくて、歌を歌っていると色々な学校時代の思い出が蘇って、心が感動で満たされたのを覚えています。
以前、新聞か何かの記事で、中学校時代の恩師が亡くなり告別式に教え子たちが集まったという記事を読みました。
最後に恩師の棺が霊柩車に運び込まれる時に、教え子のうちの一人が’仰げば尊し’を口ずさみ始めたそうです。
すると傍にいた友人達も皆一緒に歌い始め、恩師に対して最後に素晴らしいお見送りを出来たと書いてありました。
私はこの記事を読んで感動しました。
いつまでも生徒たちに親しまれる先生。そしてその先生に対して、最後のお別れに心を込めて’仰げば尊し’を歌った生徒たち。
今の日本もまだまだ捨てたものじゃないなと思いました。
投稿: 泉 | 2011年9月19日 (月) 18時36分
「仰げば尊し」は、大好きな歌です。
台湾でも「仰げば尊し」が歌われているそうですが、台湾での曲名は何というのでしょうか?
投稿: ken | 2011年9月19日 (月) 21時33分
ken様へ
台湾での曲名は「青青校樹」です。
ネットで「仰げば尊し 台湾」で検索すればYou Tubeの動画で中国語の歌が聞くことができます。中国語の歌詞と日本語訳も掲載されています。
タイトル:「台湾で歌い継がれる仰げば尊し」
日本の植民地であった台湾で、このような素晴しい曲が卒業ソングとして定着しているのに、日本で歌われなくつつあるのは「政治、教育の退廃、人心の乱れ、情緒の欠落の故」と思うのは言いすぎでしょうか。
投稿: 歌の旅人 | 2011年9月21日 (水) 11時34分
歌の旅人様
「仰げば尊し」の台湾での曲名は「青青校樹」というのですかね ありがとうございます。
私もYouTube で検索しましたら、「華(田の下に華のような字)業歌」(式典唱歌 台湾篇2/2) と「青青校樹」という曲名を見つけました。
そして台湾の人達が、日本の「仰げば尊し」を歌い継いでくれていることに深く感動しました。
実は私が大学生の時(1970年代)に、二人の友人と共に三週間台湾を旅行しました。その時に台湾の人達が「蛍の光」(正確にはスコットランド民謡ですが日本語の歌詞で)と「竹田の子守唄」(何十年も経って分かった台湾の曲名は、「祈祷」)を歌っているのを聴きました。
それ以来「仰げば尊し」も、きっと台湾で歌われているのではないか、と思っていたのですが、二木先生の「蛇足」を読むまでは闇の中の状態でした。
疑問が解けて嬉しいです。 ありがとうございます。
投稿: Ken | 2011年9月24日 (土) 23時55分
半世紀も前に卒業してから殆ど行ったことがない故郷の中学校。CDで(仰げば尊し)を聞いていたら亡くなった先生を思い出しました。タイガーマスクの寄付が報道されていた時期だったので、郵便局に行って送金しました。
投稿: 妙義山のたぬき | 2011年12月23日 (金) 23時57分
60数年前を思い出す懐かしい曲です。
”こそ”が”め”に掛かる
「係り結びの法則」なんて分かって聞いている方は
幾人居られるでしょうか(;;)
投稿: 岡本良英 | 2012年1月19日 (木) 15時01分
最近は日本の学校の卒業式では長い間歌われてた「仰げば尊し」は歌われなくなったそうですが、大へん残念ですね。明治・大正期につくられた歌は―日本のオリジナル曲にしろ、外国から来た曲にしろ―歌詞がすばらしく、この歌も聴くたびに涙がでそうになります。台湾では、日本統治下にあった名残でも今でも歌われているようです。
ところで、二木先生のご説明にもありましたように、昨年の初めごろ、「仰げば尊し」は実は19世紀末にアメリカで作曲された曲であることがわかり、これまでスコットランド民謡ではないか、あるいは日本のオリジナルではないかとい論争に終止符が打たれたことは記憶に新しいところです。この歌は、アメリカで作られたにもかかわらず、アメリカでは完全に忘れ去られ、日本で卒業式の歌として明治以来日本人に愛され、生き残ってきたという珍しい経歴を持つ歌ですが、やがて、私たち古い世代が去っていくと、日本でも忘れ去られ、台湾にだけ生き残り、昔は日本でもこの歌は卒業の歌として歌われていたそうだ、などと語り継がれていくことになるのでしょうか?なんか寂しい気がします。以下、YouTubeにアップされている「仰げば尊し」の3つのバージョンのURLを挙げておきます。最初のバージョンでは日本の「仰げば尊し」を中国人の歌手Jade Yinが美しく歌っています。2番目が台湾で歌われている、中国語バージョンの「仰げば尊し」、そして最後がアメリカのある高校(?)で復活したオリジナルの「仰げば尊し」。(この忘れていた歌がアメリカで復活したについては桜井一橋名誉教授の発見が寄与しているのではないでしょうか?)興味のある方はこれら3つを聴きくらべてみてください。
http://www.youtube.com/watch?v=-4mssG1A_f4
http://www.youtube.com/watch?v=pWi93tYxXz4
http://www.youtube.com/watch?v=Nu_Uyej_1Do&feature=related
國府田 桂一
投稿: KeiichiKoda | 2012年2月28日 (火) 18時36分
大学の秋入学が検討されてるそうですが、となると、高中小も同じように秋入学ということに。桜の花びらに包まれての、「卒業式」「入学式」という
今までの日本の、当たり前の風景が消えて行くという事ですね。悲しいね。
木造三階建ての校舎がまた復活しそうです。廊下も教室の床も板張りで、
講堂もしっかり板張りで、木の香りに包まれて学校生活を送れば、慌ただしさもなく、急かるる思いもなく、思いやりの心を持った生徒が成長して、暖かい優しい「卒業式」になって、この「仰げば尊し」が再び歌われる事になるのではとおもっているのですが…。
投稿: かせい | 2012年3月 3日 (土) 01時28分
大好きな歌です。
色々と争議をもたらした今年の卒業式ですが、本当に復活させて欲しいのは、この曲です。
私は昭和44年の小学校卒業式で歌いました。
中学校は記憶にないけれど、多分歌ったと思います。
「やよ、ハゲめよぉー」と、まあ当時は悪ふざけしてましたが。
確かに、先生がこの歌を教えて歌わせるおかしさ、しかし、じゃあどこで習えばいいんだ、という矛盾も指摘されてはいましたね。
昔の日本は良い意味でおおざっぱでした。
歌詞の立身出世主義が取沙汰され始めたのは、私たちの時代ぐらいからだったような記憶がありますが、この部分は、教え子の将来の幸せを願う教師の心と、世間の尊敬を集める人間になって恩師と母校の名を高めようという生徒の心意気を表したものだと解釈します。
明治唱歌の多くがそうであるように、これも19世紀の所謂「パーラーソング」の1つだったわけですが、正直、原詩より日本語詩のほうが格調高く優れている・・・と思うのは身内びいきかもしれませんが。
このジャンルの流行歌は膨大な数の資料が残っているので、その中から1曲を特定するのはさぞかし多大な労力を要する作業だったことでしょう。
桜井教授に感謝します。
投稿: 通りすがり | 2012年4月 3日 (火) 13時39分
二番の歌詞が立身出世主義云々と、一度ならず二度も出てきたので、一言述べます。
身を立てるとは、親兄弟に頼らずに独立して生きること。 名を上げるとは、人に後ろ指をさされないようになること。 やよ励むとは、いつも一生懸命に生きるということです。
歌詞の解釈は、人それぞれで異なって良いのでしょう。 ただし歌詞や人の考え方に、反戦、非戦、軍国主義、立身出世主義などと、簡単にレッテルをつけることを、私は好みません。 同様に、過去を現在の尺度で批判せぬよう、自分を誡めています。
投稿: 寒崎 秀一 | 2012年4月 3日 (火) 18時22分
私がこの曲を卒業式で最後に歌ったのは、昭和49年でした。
その後に、この歌を聴いたのは、近くの小学校の卒業式です。
5年ぐらい前から、必ず、卒業生が歌っています。
私も毎年、近所の小学校に関わらせていただいていますので、卒業式への招待状をいただいています。
毎回、出席させていただいているのですが、いつ聞いても、涙が出ますね。
それにしても、この曲が、アメリカで作られていたとは、驚きです。
スザンヌハードも、この曲を、CD、リリシズムオブジャパンの中で歌っています。
投稿: 殿川 | 2012年10月 9日 (火) 20時33分
「仰げば尊し」の2番は歌詞の意味からして先生と在校生の思いを歌ったものではないでしょうか?
従って、1番と3番は卒業生が2番は先生と在校生が歌うのが適当と思いますが、いかがでしょうか?
投稿: 景子 | 2013年2月11日 (月) 16時36分
1番は卒業生の先生に対する思い、2番は卒業生の同級生に対する思い、3番は卒業生の教室などに対する思い、ではないでしょうか。
今年、退職金問題で早期退職者が続発したことで先生の「聖職」論が聞かれました。戦後先生も「労働者」として基準法の適用を受けるようになったため「聖職」ではなくなったようです。
それはともかく、恩師のお陰で現在の自分が在ると仰る方に会うたびに羨ましいと思います。私はそういった先生にめぐり合いませんでした。それは多分私が見つけることが出来なかったのだと後悔しています。
投稿: 周坊 | 2013年2月15日 (金) 20時54分
このすばらしい歌が台湾でしか歌われないというのは本当に残念です。むかし、仕事の上でおつきあいがあった学校の先生が、「子供に”我が師の恩”などと言わせるのは気恥ずかしくて」と言っておいででした。まだ若いけれど立派な真面目な方でした。その気持ちは分かる、と言いたいけれど、教師の責任から逃げているようだなあ、とも思いました。
「今こそ別れめ」では愉快な話があります。国語辞典の面目を一新したと話題になり、その語釈がしばしばき引用されるほど権威を得た「新明解国語辞典」の第一版では、「目」の用例として「今こそ別れ目」を挙げていました。さすがに新しい版では削除されましたが。この辞典の編者となっておられるのはもちろん偉い国語学者でしたが、編集部との複雑な共同作業の中で目が届かなかったのでしょう、それにしても出版社の辞典編集担当者と言えば高度なインテリのはずですが、小学生の頃の思い込みは怖いですね。そう言えば私も、「思へばいと疾し」を、なんとなく「たいそう愛しい」のつもりで歌っていたような気がします。
投稿: dorule | 2013年2月16日 (土) 12時32分
周坊様、お返事ありがとうございます。
そうですね、2番は在校生に対する思いなのですね。
おかげさまですっきりしました、ありがとうございました。
当時は意味もわからずに歌っていましたが、今の若い人たちにはやはり難しいでしょうね。
投稿: 景子 | 2013年2月19日 (火) 15時41分
景子様
いえ、改めて詞をよく読み返えしてみると2番はあなたが仰言るように、先生の卒業生に対する思いと言うか教えではないかと思い直していますがいかがでしょう。
投稿: 周坊 | 2013年2月19日 (火) 20時50分
はじめて目にした英語の原曲の歌詞ですが、日本語以上に格調高いもので、この英語の歌詞、極めて完成度が高いと思います。
1番から3番まで完璧に韻を踏んでいるのは当然として、今では殆ど使われなくなった接続法による過去願望(回顧)と未来願望を交差させたり(1番と2番の後半部分)、教室や学友を表すのに、聖書などで多用されている二人称の古語(thyとかthee:日本語では汝などと訳す)を用いたりするなど、日本語でいうところの文語調で貫かれていて、英国国歌にも匹敵する格調があります。
しかし、それよりなにより、私が感動したのは、この歌は、単なる卒業式の歌というのを超えて、永久の別れを歌っているところです。
まず1番で、本日、ここに集った学友との思い出を胸に、これから自分達は一人で社会に出て生きていかなければならない、そしてやがて、神が皆の魂を故郷に呼び戻し、ついには天国で再会できる日まで、もう二度と相まみえることはないと歌います。
2番では、教室での楽しい日々や、朝礼の歌声、夕方の賛美歌など、もう二度と触れることはできないが、自分達の最も楽しかった思い出は、この教室とともにあり、生涯忘れることはないだろうと歌います。
そして3番では、学友達との絆が、ついに解かれてしまう瞬間がやってきたと、万感胸に迫る想いで、涙ながらに別離を告げるGood Byeで締めくくられます。
この歌が世に出た1870年頃、米国では国を挙げて最後の西部開拓に邁進していました。(カリフォルニアのゴールドラッシュが1849年ですから、それより更に20年後になります。)国は南北戦争(1861~1865)の痛手からようやく立ち直ってきた頃です。当時、東部の学校を卒業した学生達は、それぞれの希望を胸に広大な国土に散っていき、もう二度と再び故郷に戻ってくることもなかったのでしょう。新天地で、ある者は成功し、それこそ日本の歌詞にあるように、功成り名を遂げたかもしれませんし、またある者は西部の原野で野垂れ死にしたかもしれません。そういう時代背景に思いを馳せると、読んでいて思わず目頭が熱くなりました。
一方、台湾の「青青校樹」は、日本語の歌詞をベースに、更に国威発揚を強く打ち出し、国のために尽くしますというようになっています。次のリンクで、1番~3番が完全に翻訳されていますが、私はこの歌詞も大好きです。多分、日本統治時代が終了し、卒業式に歌っていた歌を中国語に切り替えようとしたとき、まさに国民党政府が台湾という国を形作って行く中で、(その過程では、いろいろと酷いこともあったのは事実でしょうが)故国という概念を台湾の人々とともに確立していった意気込みが感じられます。それまで台湾は、中国本土から見ると「人外の辺境」「東の海に浮かぶ野蛮人(夷)の棲む島」であり、その後は日本の植民地だったので、国民党政府ができるまで、国家や故国という概念があまりなかったものと考えられます。
日本の歌詞も台湾の歌詞も、ともに若い国が勃興する時代にできた曲という雰囲気が色濃く見えます。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm16956408
私事ですが、最近、中学や高校時代の恩師の訃報に頻繁に接するようになり、それどころか同級生でも、既に鬼籍に入ってしまった友人も何名か出始めていて、このような歌には、ことさら懐かしさが溢れてきます。
投稿: 「もう戦後ではない」と言われた時代に生まれたおっさん | 2013年8月28日 (水) 14時57分
二木先生、いつもありがとうございます。
私は昭和39年に小学校を卒業いたしましたが、当時すでにこの歌は歌われておりませんでした。「わが師の恩」のところがいけない、ひとはみな平等だから、というような妙な理屈を聞かされた記憶があります。それなら、そのように歌われるのにふさわしい立派な教師になればいいのに、と思ったのは、ずっとのちになってからのことでした。
「過去を現在の尺度で批判すべきでない」という寒崎さんのご意見、私もまったく同感です。
投稿: 川口雄二 | 2014年6月24日 (火) 07時22分
この曲も名曲ですね。時折歌っています。最近卒業式では歌われていないようですが、是非復活させたいものです。
以前産経新聞の読者投書欄に「卒業式には仰げば尊しを」
と投稿したのが掲載され、遠方の各地から賛同の声が寄せられました。
映画二十四の瞳の卒業式での斉唱を聞くと目頭が熱くなります。
日本ではすたれ気味のこの歌が、台湾の小学校の卒業式で現実に歌われています。
投稿: 栗さん | 2014年6月24日 (火) 11時51分
1番、2番、3番を卒業生が歌うのか、在校生が歌うのか、先生が歌うのか、についてのコメントをいくつか拝見しましたが、私はすべて、生徒が歌い先生に奉げる歌であると思います。全編、”仰げば尊し”という題名の趣旨に一貫している歌詞であると思います。
映画「二十四の瞳」での”仰げば尊し”の場面をyoutubeで観ることができます。歌っているのは卒業生だけです。先生たちはこうべを垂れてじっと聞いています。先生がこれを一緒に歌うのはおかしいです。
<2番について>
互(たがい)に睦(むつみ)し 日ごろの恩
別るる後(のち)にも やよ忘るな
身を立て名をあげ やよ励めよ
今こそ別れめ いざさらば
”互いに”とは、先生と生徒達の関係でしょう。
”やよ忘るな”、”やよ励めよ”とは、
卒業生の彼ら自身へ誓いの言葉であり、これがまわり回って、先生への誓いを表すものとなります。
”身を立て”とは自分で独立して生活できること
”名おあげ”とは社会に参加し、人の役に立つこと
”やよ励めよ”とは、人格、品性を高めなさい、
ということでしょう。
学園生活でのテニスやキャンプファイアー、恋、級友たちとの友情を懐かしむ歌はごまんとあるでしょうが、生徒が先生を賛歌する歌はこれ以外ないのではないかと思えます。素晴らしい歌だと思います。
義務教育で最も重要なのは生徒の先生に対する信頼です。
文部省の指導がなくても、それぞれの学校で「仰げば尊し」を復活させて欲しいと思います。もちろん、義務唱歌となることにも反対はしません。
投稿: yoko | 2014年6月24日 (火) 14時37分
懐かしさのあまりつい参入しました。私は間もなく70歳、昭和32(1957)年から1963年に至る間に小中高校を卒業、毎回歌ったように思います。ただ強烈な記憶は小学校だけですが。その際、歌詞の1番は卒業生、2番は対面する在校生、3番は全員で。なぜなら教師は生徒の仰ぎみるもので、師弟が「互いに睦む」関係は今日ではありふれているかもしれませんが(葬式ごっこと言ういじめに教師が参加する悪い例など)本来野蛮な子供に取り入るような姿勢では教育はできないのではと思うので。
投稿: Bianca | 2014年6月24日 (火) 15時18分
解釈についてもう少し説明させてください。
<2番について>
互(たがい)に睦(むつみ)し 日ごろの恩
別るる後(のち)にも やよ忘るな
身を立て名をあげ やよ励めよ
(私は次の様に解釈しました。)
=>
私たち(卒業生)は日々仲良く遊び、勉強し、先生のご恩をお受けしました。卒業した後も決して忘れることはありません。自分の力で生活でき、社会のお役にたち、立派な大人になるよう頑張ります。
(理由1)”日ごろの恩”とは卒業生の先生に対する恩だと思います。卒業生同士の恩、先生の卒業生に対する恩、卒業生の在校生に対する恩、あるいはその反対などありえないでしょう。
(理由2)「仰げば尊し」の趣旨は、卒業生が先生に感謝の気持ちをささげるためのものです。先生や在校生が卒業生に「忘れるなよ!」、とか、「立派になれよ!」とか励ますための歌ではないと思います。
ですから、「忘るな」、とか「励めよ」とかの言葉は、卒業生への要請ではなく、卒業生自らの決心であり、先生への誓いの言葉であると思いました。
<3番について>
朝夕馴(なれ)にし 学びの窓
蛍の灯火(ともしび) 積む白雪
忘るる間(ま)ぞなき ゆく年月
今こそ別れめ いざさらば
(私は次のように解釈しました)
(私たち卒業生が)毎日通った教室では、窓から差し込む蛍の灯火や積む白雪の明かりで勉強しました。年月が経ちましたが、決して忘れることはありません。今、別れる時がきました。さようなら。
(理由)これは卒業生にとって、過ぎ去った日々の回想です。このような思い出はまさに今学校から去ることになる卒業生であるからこそ懐かしく回想できることです。先生や在校生が卒業生とともにこのような回想をして一緒に歌うとしましたら、厚かましい、と言えるでしょう。
****
以上より、「仰げば尊し」は、先生への別れと感謝の言葉として、卒業生のみが歌うための歌である、と私は解釈しました。
投稿: yoko | 2014年6月24日 (火) 17時16分
「身を立て名をあげ」について
この言葉について、私は加地伸行先生の『<教養>は死んだか』で蒙を開いていただきました。
先生のご説明は50ページから55ページ辺りが中心と思いますので、ご関心の向きは参考にしていただくとして、私が理解したところでは、『小学唱歌集』は初編から第三編のことごとく儒教倫理の羅列である。
したがってこのフレーズは明治の人の教養からは当然に『孝経』の有名な文言「身体髪膚、これを父母に受く。敢えて毀傷せざるは、孝の始なり」に続く、「身を立つるには道を行い、名を後世に揚げ、以て父母を顕すは孝の終わりなり」を凝縮して表していることになる、というものです。
あと、『仰げば尊し』の関連では、上記書の第五章追悼<最後の経学者>が、加地先生と経学の泰斗吉川幸次郎先生との師弟の交流に充てられ、とくに「人たらし」の吉川先生の部分(150ページから154ページ)は私は涙なしには読めなかったことを申し添えます。
投稿: 昭和19年生 | 2014年6月24日 (火) 17時39分
昭和19年生様、 ご教示ありがとうございます。お勧めの書、購入して勉強してみます。私は「身を立て名をあげ=立身出世」の根源が意味することを否定するつもりはなく、そのまま方がよりよい精神性を含んでいるのではないかと推察します。陳腐な現代用語に置き換えるのにはためらいがあります。
投稿: yoko | 2014年6月26日 (木) 01時54分
yoko様
コメント有り難うございます。私は皆様の歌の解釈に異を唱えるつもりはなく、それぞれの方が自分の解釈で自分の思いを乗せて歌われればいいと思っています。
敢えてコメントを出させていただいたのは、寒崎さんのコメントにあったようにこの歌が立身出世主義のレッテルを貼られ、歌う価値のないもののように、貶められているのを残念に思ったからです。
≪仰げば尊し≫は、私にとっては卒業ソングに留まらず、人生のなかで、師の恩を感じた人への感謝の気持ちを、拙い私に代わって、代弁してくれる詩歌なのです。
投稿: 昭和19年生 | 2014年6月26日 (木) 13時26分
この歌によせる皆さんの熱い思いに、触発されて、一言。
戦後、日教組は「教え子を再び戦場に送るな」というスローガンをかかげて、教育の再生に立ち向かいました。軍国主義の一掃、民主教育の確立です。1951年のこのスローガンは、国民の大多数の支持があったといいます。
この教育運動の流れの中から「君が代」の否定、「日の丸」の否定、「元号」の否定、さらには立身出世を歌う「仰げば尊し」の否定が出てきました。私はかつて一組合員として、このような理念を議案書やビラなどで何度も見たことがあります。
「日の丸」くらいはいいだろう、「君が代」くらいはいいだろう、「仰げば尊し」くらいはいいだろうと、そこは個人の判断が、別れるところですが、運動体としては、ひとつの方向性を出さなくてはいけない。つまり、なるべくなら、すべてやりきれという方針です。出れば組合員はまもらねばならない。
「仰げば尊し」の歌詞「身を立て名をあげ」の中に、人を蹴落とし、自己の栄誉を図ろうという「立身出世主義」を見るのは、どう考えても無理がある、拡大解釈だと思います、。一種の言葉狩りですね。
しかし、運動体にとって、この歌の本来の意味がどうであるのかなど、どうでもいいのです。「立身出世主義」と「思いやりのある子どもを作る教育」を並べ、際立たせたかったのでしょう。そう考えれば、この歌は、イデオロギー闘争の犠牲になったといえます。
皆さんが触れられていない、もうひとつの問題点、この歌を式典に採用すれば、「先生が生徒をして歌わしめる」つまり、尊い師であると生徒に歌わせるわけで、「やらせ」であり、「自画自賛」であり、民主的な先生としては面映いのです。そういうところもあり、ボツになったという事情もありました。(私の分会の場合もそうでした)
しかし、この歌はたいへん人気があり、現在、じょじょに各学校で復活して歌われています。仕事柄、卒業式に何度も立ち会いましたが、この歌を聞くと、涙を流す先生や生徒が多いです。私自身も、すがすがしい気持ちになりました。
歌の復活を「仰げば尊し」のもつ力とみるか、日教組運動の衰退と見るかは、人によって違うでしょう。
投稿: まぼろし探偵 | 2014年6月26日 (木) 17時27分
上のコメントに、もう少し説明をさせてください。
戦前までは、教師は聖職であるという考え方が支配的でした。この考えに対し、日教組運動は、教師は労働者である、ただし子どもを育てるという崇高な仕事にたずさわる専門の労働職であるという考えに到達しました。
確かに教師聖職論では、労働運動は闘えません。賃金・労働条件・教育条件の要求などはできません。聖職であるなら子どものためにがまんしろと抑え込まれます。
そのため、日教組の組合員は、自らを教師といわず、教員、より改まった形では、教育労働者とよびます。
「仰げば尊し」には「わが師の恩」という教師聖職論を彷彿とさせる表現があります。この歌詞などは、現場の教師の拒否反応をまねきました。
昔の先生は立派だったという人は多いが、教師聖職論の時代には、体罰は、今より日常的にあった。親も「先生、うちの子が悪いことをした時には、遠慮なくたたいてください」といっていた。
また学級委員長なども、クラスの選挙によらず、担任の先生が恣意的に選んでいた。教師聖職時代に、聖職に値する人が多くいたかどうかは疑わしい。
だから教育労働者という位置づけをし、民主教育をすすめたのは、基本的に正しかったと私は思います。とはいえ、子どもを育てるという仕事は、労働者意識だけではなかなか勤まらない。献身的精神、使命感を必要とする仕事であります。「仰げば尊し」の復活は、そういう事実に皆が少しづつ、気づきはじめた証左といえるのではないでしょうか。
投稿: まぼろし探偵 | 2014年6月27日 (金) 00時07分
一時期、教職に身を置いた者の愚見です。この歌に寄せる皆様方の熱い思いは、十分過ぎるくらい分かります。また、何とか卒業式歌として復活させたいというお気持ちも分かります。しかし、次の理由で、わたしは復活は無理なように思います。
①昭和40年代から、卒業式がこども(児童・生徒)主体になり、その一環として、卒業式歌も再考され、その結果、『仰げば尊し』も歌われなくなったと思います。教員組合のイデオロギー闘争とは、直接的には関係ないと、わたしは思っています。
②歌詞が文語調で難解である。とくに、2番の「身を立て名をあげ」の立身出世主義が時代に合わない、という意見が多くなった。「立身出世」が、当初は「親に孝行をつくす」の意味であったのに、のちに「立身出世主義」に変わってしまったようです。くわしくは、昭和19年生様のコメントをご覧ください。
③現代の風潮は、あらゆるものにクレームをつける時代です。学校教育も例外ではありません。メディアの取り上げるケース(モンスター・ペアレントなど)は稀にしても、教育内容や指導方法について、教育委員会や学校、教員にクレームをつけることは日常茶飯事です。「師の恩」などは、もはや死語のように思います。
①については、今はあまりにもこどもの側に偏り過ぎてはいないか、もっと学校側が主体性を持ち、その中で伝統的に歌われて来た、この歌を復活させてもいいのではないか、というご意見もあろうかと思います。しかし、かつて、わたしたち(70代)が経験した、お仕着せの卒業式に問題があったことも事実です。入れ替わり立ち代わり、長々と祝辞を述べる多数の来賓、形式的な祝電の羅列など、主賓の卒業生の存在などないかのような式典が多かったのです。こうした経緯を踏まえると、②や③との関連もあって、『仰げば尊し』を復活させることは至難の技です。また、②が障害になるのなら、2番を謳わなければいというご意見もおありでしょう。実際、2番を省いた「仰げば尊し」も音楽教科書にあったのです。でも、時代の趨勢でしょうか。《蛇足》にもあるように、今は残念ながら『仰げば尊し』を歌う学校は、ごく少数派で、ほとんど絶滅危惧種です。これに代わって、今の小中学校では『旅立ちの日に』が、もっともポピュラーな曲として歌われているようです。この歌詞もなかなかよく出来ています。
「歌は世につれ 世は歌につれ」と言います。式歌とて、その埒外ではあり得ません。一大国民運動でも起こさない限り、無理なようにも思うのですが。皆様の顰蹙を買うようなコメントになり申し訳ありません。
投稿: ひろし | 2014年6月27日 (金) 11時49分
この歌が嫌いではありませんが、もっと嫌いなのが卒業式です。厳粛が優先で窮屈この上なく、ちょっとでも姿勢を崩すと教師の怒声がとびます。緊張で貧血を起こす生徒もいます。誰のための卒業式なのかさっぱりわかりません。私は高校の卒業式をさぼりました。息子も教えた訳ではありませんが、やっぱりさぼりました。あんな不愉快な式はいりません。卒業式は楽しく愉快にやれないものでしょうか。未来に向けての出発の日ですから。嫌いな教師との決別の日でもありましたね。涙を流して別れを惜しむ先生は残念ながら居られませんでした。ひろしさんよりもっと顰蹙を買いそうですね。でも本音です。
投稿: ハコベの花 | 2014年6月27日 (金) 13時03分
炎上気味だったので、投稿欄をしばらく休止していましたが、再開します。冷静なコメントをお願いします。
(二木紘三)
投稿: 管理人 | 2014年6月27日 (金) 21時51分
2011.7.5付けで大分県で歌われたように書いてあります 実はS17年生まれの私が卒業式で “仰げば尊し”と “蛍の光”を歌わなかったのはS45年の一度だけです だれぞや書いておられるように某教育関連団体の闘争が激しかった頃ですが、それでも私が勤務していた最も過激な分会を持つその学校だけが他の歌に替えたように聞いております 教師として務めたS40年から退職時のH15年まで上記1年を除いた37年間ほとんど問題なく歌って来ました
現在も県立高校ではすべての学校が間違いなく二つとも歌っています 別に県教委からの指示ではありません 学校の自主的判断ですが異論は全く聞いていません 東京都や大阪府などでは、国歌ですら起立しなかったり歌わなかったりする教師がいるなんて信じられません 書きたいことは山ほどありますが、もう退職した身ですのでご遠慮させて頂きます ちなみに大分県の隣県です 毎年感動的な卒業式が行われていますよ ただし、義務制は分かりません
投稿: くろかつ | 2016年4月 3日 (日) 18時08分
昭和20年に国民学校を卒業しました、先生は尊敬すべき立派な方々でした、卒業式でも「仰げば尊し」を歌いました、しかるに現在の教師達の行状はどうでしょうか、純真な教え子に猥褻行為をするなど教師の風上にも置けない者が多く、懲戒免職者が多数新聞などに報道されています。
生徒たちは教師達に対し、尊敬の念を抱いているのかどうか疑問に思われます、こような現状で卒業式で「仰げば尊し」を歌うのはもう無理でしょう、
投稿: 武蔵 | 2016年4月19日 (火) 19時55分
くろかつさんの投稿を読んで大変嬉しく思いました。
二年ほど前にも思いを書きましたが、卒業式にはこの歌ほどふさわしいものはないと考えます。
難しい理屈などいりません。大分県と同様に多くの県で斉唱され引き継がれて欲しいと思っています。
投稿: 栗さん | 2016年4月23日 (土) 15時52分
教育の根源的なエッセンスとして、
① 教わる喜び
② 成長し、向上する喜び
③ 先生に感謝する喜び
があります。
本当は誰もがあるいは多くの人がその喜びを本能的に求めている、と私は思います。
「仰げば尊し」は、そのエッセンスをすべてを含んでいます。
しかるに、最近の「卒業ソング」は、
”翼を広げてこの広い大空に飛び立とう、未来に向かって・・・”、
とこのようなものなのだそうですが・・・
ここには教育のエッセンスをあえて除こうとする意図が働いていると思わざるをえません。
劣等生で、どの先生にも反発して近寄らなかった私に言わせれば、「翼なんか要らねえよ」、と言いたくなります。
私が求めていたのはやはり教育の①、②、③、です。
私は、「仰げば尊し」を歌いたいですね。
先生個人を嫌悪するしない、好き嫌いとは別のことです。
投稿: yoko | 2016年4月23日 (土) 19時57分
再三再四の投稿、お許しください。
また、しつこくて理屈っぽいかと存じます。
これもこの曲を愛し復活を願う者の勢いとして大目に見て頂けたらと思います。
前にも述べましたように、この歌は卒業する生徒が先生を仰ぐ歌です。ですから、卒業生だけが歌うべきであり、先生も在校生も歌うべきではないと思います。
2番を例にして説明してみます。
”互(たがい)に睦(むつみ)し 日ごろの恩”
=>先生自らが”日ごろの恩”を押し付けるべきではありません。
”別るる後(のち)にも やよ忘るな”
=>先生自らが”恩を忘るな”などと言うべきでではありません。
”身を立て名をあげ やよ励めよ”
=>先生が卒業生に”身を立て名をあげろ”と言うのは、いらぬお世話です。厚かましい。
”今こそ別れめ いざさらば”
=>古語辞典によりますと、”いざさらば”は、”さあ、それでは”という意味で、行動の主体者が行動を始める前に発する言葉だそうです。
したがって、この場合、「さあ、それでは、(・・・お別れいたします)」というように、去る側(卒業生)の言葉であり、見送る側(先生)の言葉ではありません。
私が中学校を卒業した時、5クラスの内1クラス、50人近くが就職クラスでした。”身を立て名をあげ やよ励めよ”の歌詞に、皆、心から励まされ、頑張るぞ、と燃えていただろうと私は思います。それと比べると昨今の卒業ソングの何と軽いことでしょう。確かに時代と共に歌のとらえられ方は変わるのでしょうけれど・・・
投稿: yoko | 2016年4月24日 (日) 23時45分
「最近の先生はなっとらん」という滑稽な意見をしばしば耳にします。最近の教師は、仰げば尊しに値しないみたいな論調です。その人たちは、今の生徒が、かつてのような礼儀正しい生徒だと思っているのだろうか。給食を食べていながら、給食費を払わない親(モンスターペアレント)がいることを知っているのだろうか。
生徒も保護者も変質しているのに、先生だけに時代を超えた尊厳性を求めるのは、バカバカしい。結局は、時勢の変化への不満を、文句を言いやすい先生や公務員にぶつけているだけだと思われる。
不祥事教師の報道が多いのは、マスゴミ記者のレベルの劣化と気づかないのだろうか。(そんなことしか、教育ネタがないのか!)
中世ヨーロッパでうまれた大学は、貿易商人など富裕層が、自分の子弟に教養を身につけさせるために賢人・知識人を雇ったのが、始まり。(つまり私立大学が、大学の原型)もし、大学教授がその要請に応えられなかったらクビにした。じつにわかりやすいシステムだ。保護者はしっかり教育内容などを監視していた。
「こんな子どもに育ててほしい」という要望があってこそ教育だ。学校を「子どもを預かってもらって、親が楽ができる」という保育所と同一視してるようではダメだ。
現在、地域の自治会、町内会でも、無関心やエゴが噴出して、合意作りが困難とか。保護者が、好き勝手に動いているのに、先生たちが、結局は当たり障りのない「事なかれ主義」で動いていくのも至極当然です。
『仰げば尊し』は、古きよき時代の遺産であって、もう二度と、もどってはこない歌だと思います。
投稿: 紅孔雀 | 2016年4月26日 (火) 14時26分
紅孔雀さん まさに目から鱗が落ちる御説です
でも一番最後だけは頂けません
2016.4.3付に書いているように、仰げば尊しを全く抵抗なく、全県立高校(多分私立高校も)が心から歌っている県もあるのですよ
関東・関西の都会地の学校こそ私たちから見たら異常そのものなのです
地方ではmonsterparentなる言葉自身話題にもなりません マスコミが勝手に流して騒ぎ、視聴率上げるためとしか思えません 全国津々浦々本県のように正常化されますよう祈っています
投稿: くろかつ | 2016年4月27日 (水) 13時40分
久し振りにこの歌に接しました その時期なんですね
連続投稿になることをお許しください
やはり、この歌詞のような生徒であり先生であって欲しいと強く願います
戦前生まれの退職教師より……
投稿: くろかつ | 2017年2月 5日 (日) 10時42分
くろかつさんの言われることに賛成です。
私も時折この歌を口ずさんでは子供の当時を思い出している昭和15年生まれのものです。
難しい理屈は入りません、今になると言葉の意味するところがよく理解できます。
卒業式には自信をもって仰げば尊しと蛍のひかりを斉唱する学校が増えて欲しいと思っています。
今分らなくても大人になれば子供たちはきっと理解できると思います。
投稿: 栗さん | 2017年2月 5日 (日) 11時26分
この曲はずっと気になっていた曲です。以前意固地になって書き連ねていた私のコメントは恥ずかしくて、消し去っていただきたいと思っていました。
今この曲は特に小学生の卒業にとって参加者全員への祝福であるように思います。ですから文言が意味することにこだわらず校長先生含め参加者全員で大合唱すべきであるように思えるのです。言葉の意味はいつか分かるかもしれませんし言葉の意味を超えるものもいつか分かるかもしれません。
小学校、中学校の卒業式では、何人かの女生徒がこの曲を歌いながら泣いていました。当時私は「なんだ、あいつ、泣いてやがる」、と冷ややかに見ていたものです。今、目を閉じて、山間の谷間の小さな木造の校舎からこのピアノ曲が聞こえてきますのを想像しますと、私の目からも涙が流れてきます。
投稿: yoko | 2017年2月 5日 (日) 12時32分
二木先生が「『仰げば尊し』…明治15年(1882)から同17年(1884)に出版された我が国最初の児童用音楽教科書『小学唱歌集』に載ったのが最初」と解説されていた通り、yoko様指摘の”身を立て名をあげ やよ励めよ”は、事の善悪はともかく、明治維新政府における、欧米列強に追い付き追い越せを国家目標とする殖産興業・富国強兵政策の一環だった訳です。
投稿: 焼酎百代 | 2017年2月 5日 (日) 14時26分
今、小6と小4が仰げば尊しを聞きたがっていました。そこでページをめくって曲をながして三人で歌いました。
投稿: konoha | 2017年3月11日 (土) 13時58分
家族で仰げば尊しを歌えるとは羨ましいかぎりです。
先日中学の校長先生と話した時には卒業式では歌われていないと聞かされてがっかりしました。でも校長先生は素晴らしい歌なので歌ってほしいとも言っていました。
もう中学校の卒業式は先週で終わり、つぎは小学校の卒業式です。何とか歌われてほしいのですが。
投稿: 栗さん | 2017年3月12日 (日) 13時20分
メロデーと歌詞とが一致したとても良い唱歌です。3月の卒業シーズンになると、いつもピアノで歌いながら弾いています。しかし、原曲の英語の歌詞には、恩師(先生)、友達、教室が登場していますが、日本語の歌詞には友達、教室が登場していなくてマッチしていません。そこで,歌詞を少し変えてみました。2番は一緒に学んだ学んだ教室のことを述べてます。「身を立て名をあげ」は最近は余りはやり(流行)ません。3番は一緒に学んだ友達のことを言っています。「忘るる間ぞなきこの年月」は1番と重複するので変えてみました。
2 互(たがい)に睦(むつみ)し 日ごろの友
別るる後(のち)にも やよ忘るな
遊びし、学びし この教室
今こそ別れめ いざさらば
3 朝夕馴(なれ)にし 学びの窓
蛍の灯火(ともしび) 積む白雪
学びし知を得た この喜び
今こそ別れめ いざさらば
投稿: 二松五男 | 2017年3月25日 (土) 11時08分
2番は、先生や父兄が巣立ちゆく卒業生に向かって諭しているように思うのです。
日ごろ親しくむつみあった友達への恩は、卒業後も決して忘れてはいけません。仮に出世して名をあげるようなことがあっても慢心することなく励みなさい。という風に私は理解しています。
3番は、卒業生の校舎や校庭に対する想い、だと思います。朝夕、四季折々校舎や運動場で学び遊んだことは、これから長い年月がたっても決して忘れることはないだろう。ということではないでしょうか。
投稿: 周坊 | 2017年3月25日 (土) 20時13分
桜満開の今、入学式、入社式を迎える人 おめでとうございます。学生最後は卒業式に参加され皆さまにお祝いされたことでしょう。
先日 私達 中高齢者の趣味の会でこの卒業式で歌われる「蛍の光」と「仰げば尊し」について大論争になりました。
○○博士で都内の私立高校教師をしていた仲間が「高校の卒業式では 〝仰げば尊し”も〝蛍の光”を歌わない。」と明言しました。
すかさず周りにいた仲間が「それは可笑しい。一時期歌わないこともあったが 今は歌っている学校が多い」と言った。
元教師は「私が在籍中 歌ったことがない」と激しく主張する。他の仲間は「私の故郷の県立高校では毎年歌っている。歌わない都内の高校生は可哀そうだ」と嘆く。
更に傍にいた台湾人は「台湾では蛍の光や仰げば尊しを卒業式に歌っています。両方とも心に染入るいい曲です。日本っておかしな国ですね」と言った。
私は最近の中学・高校の卒業式に行ったことがないが「蛍の光や仰げば尊し」は当然歌われているものと思っていた。卒業式といえば50年以上の前に歌った仰げば尊しや蛍の光を思い出す。若い人とこの歌でコミュニケーションをとれることもあった。
ユーチューブで偶然 下記の卒業式の動画を発見した。
・熊本高校卒業式2012 仰げば尊し
・熊本高校卒業式2013No.4(蛍の光仰げば尊し校歌)
流石 地方の有名進学校の熊本高等学校だと思った。
他県の高校の「蛍の光、仰げば尊し」を歌う動画を発見し、都内私立元高校教師の主張は一部のことを言ってるのに気づいた。
投稿: けん | 2017年4月 8日 (土) 21時25分
仰げば尊し、蛍の光
二曲とも心に沁みる名曲と思われます。
特に仰げば尊しは厳かな気持ちになれます。
何故が聞くたびに胸が熱くなります。
かと言って、我が師に恩恵の念を抱いてたわけではありません。小学時代は、村の名士の子女、身なり、行儀のよい子がどうしても師に寵愛されました。
一歩退いて教師をみていたひねくれ者でした。
中学時代は担任教師に洗脳され恋心が芽生えました。
後に転向してわが師の恩に背きました。
高校時代は目標もなく授業をよくさぼる避校少女でした。
非行少女ではありません。
蛍の光はスーパーの閉店時に聴いてさえ感傷的になります。映画「哀愁」の哀切な場面に流れる「蛍の光」に結びつくのです。
時折手持ちの「哀愁」を観てはラストシーンに流れる蛍の光に滂沱の涙です。
けん様
人が集まるとそれぞれの思想信条も異なり不協和音も生じるますね。ましてシニアはそれぞれぞれの人生を背負ってるので自分を曲げられない面がありますね。
おそらく 元私立校の教師が強固に自説を曲げないのは
彼の思想信条に由来するものと思われます。
私事ですが、他県で教員をしている娘に「何かあった時に
守ってもらえるから教員組合に入ったた方がいいよ」と昔
言いました。これまた自説を曲げない性癖の娘は@音楽教師@なので式典のピアノ伴奏担当「入らない。入ったら
君が代歌うななどとうるさく言われるから」
おそらく 仰げば尊しも、蛍の光も 君が代と同類に考えて歌われなくなったのではないでしょうか。
投稿: りんご | 2017年4月 9日 (日) 08時33分
TVドラマの「仰げば尊し」をご覧になった方も多いと思います。少し荒れた学校のブラスバンド部を日本一まで持って行った民間から来た教師の物語で、拙息の出身高校、横浜の野庭高校の実話がベースです。野庭高は当初からの予定通りすでに廃校となっています。ドラマを制作した人達の年齢層は不明ですが、熱血教師ー仰げば尊しの構図はまだ生きているのでしょう。教師も大変な仕事ですね。
りんごさんが君が代に触れておられますが、長年素朴な疑問があります。大相撲、オリンピック、など若い人も抵抗なく(?)日の丸、君が代に接しているのに教師の一部の方たちはなぜ否定的なのでしょうか。信条の問題とは別に教育の観点からすると、グローバルなビジネスに身を置いたものとしてはやや危険を感じます。世界的に国旗国歌に対する意識は神聖なものがあります。異邦人であってもその国の国旗国歌には敬意をはらうことは常識です。国内で国旗国歌を否定しながら他国に違う対応をするという教育が成り立つのでしょうか。ただ今にして戦後教育の流れの責任の一端は我々世代にあると痛感しています。高度成長の時代我々の大半は企業戦士と呼ばれました。「oo,xx先生」という言葉があった時代です。「蛍雪時代」の時代でもありました。
投稿: しょうちゃん | 2017年4月 9日 (日) 11時28分
しょうちゃんの息子さんの出身が野庭高校とか、いい学校だったのですね。私は市内の緑ヶ丘の卒業ですが、卒業式には仰げば尊しと蛍の光を歌いました。また けん さんのコメントのように熊本高校、台湾での仰げば尊しの斉唱をユーチューブで知り、毎年3月頃には聞いて口ずさんでいます。
同様外国に行くとどこの国も国旗を堂々と掲げているのに日本にはそれが見られず、スポーツの代表選手が外国との試合で国歌も歌わずに下を向いているいるのを見ると残念でなりません。日本人はもっと国に誇りを持ってほしいと思っています。
投稿: 栗さん | 2017年4月 9日 (日) 12時49分
自分たちの郷愁を若い人たちに押し付ける必要はないと思います。若い人たちが新しい時代に向かって進んでいく精神こそが大事ではないでしょうか。国家は国民のものです。選択は若い人たちに任せるべきです。日本の何よりの誇りは国民の自由な精神が守られている事です。信教の自由と思想の自由があってこそ偉大な国家です。戦後の日本を私は誇りに思っています。日の丸を掲げなくても、心の中に日の丸を持って海外で活躍された多くの人たちがいたお陰で今私たちは豊かに暮らせているのです。それが本当の日本人です。苦労された方々にお礼を伝えたいと思います。
投稿: ハコベの花 | 2017年4月 9日 (日) 16時31分
ノーベル賞受賞作家の名作 “伊豆の踊子” の一節に……
「いい人ね。」
「それはそう、いい人らしい。」
「ほんとにいい人、いい人はいいね。」
そのまま “仰げば尊し” に置き換えてみてはいかがでしょうか
「ほんとにいい歌ね、いい歌はいいね。」
ただそれだけですよ
イデオロギー論争ははるか昔に決着しています
投稿: くろかつ | 2017年5月 5日 (金) 23時21分
くろかつさま
云われる通りだと思います
いい歌は いい歌です
映画 二十四の瞳 での 高峰秀子さんの あの表情 眼差し これぞ 日本の先生 お母さん といえますね
イデオロギーは関係ないです
でも 世情が あらぬ方向に向かっている現在 我々はどう対処すればいいのでしょうね 権力をもつものは
真摯で 誠実で 公平に あるべきだと つくづく思います
何時になれば 鬱々とした この圧迫から解き放たれるのか 早く 素直な 正直な声で 笑いたいです
投稿: 能勢の赤ひげ | 2017年5月 6日 (土) 01時24分
オペラ歌手の中島敬江は卒業式で、すぐ泣きだしてしまって、一度もちゃんと最後まで歌ったためしがないそうである。それで、中島のコンサートではこの曲を必ず取り入れて、自分が校長先生になって、お客さんに卒業証書を手渡すのだそうである1)原曲となっているブロスナンの歌の歌詞The song echoには教師は一度も登場していない。明治の唱歌導入の頃訳者が,原詩にあるThe Godを教師(先生)にして恩を説いたものである。ここら辺の事情は安田の著作に詳しい2)2番は友達、3番は学び舎を歌っているようにしたほうが良い。メロデーと歌詞がマッチしたとても良い曲である。私はこの季節になると口ずさみながら下手なピアノでこの曲を弾いている。
1)読売新聞文化部、唱歌・童謡ものがたり(岩波書店)
2)安田寛、唱歌と十字架(音楽之友社)
投稿: 二松五男 | 2019年3月28日 (木) 11時13分
3月の卒業式も、とっくに終わり、今はもう4月。新元号が発表され、入学式、入社式の時期になりますが、「仰げば尊し」について、このブログに、思いを書かせていただけるなんて幸せです。しばらくお付き合いください。
先日3/29の毎日新聞の声欄「みんなの広場」で、「『余禄』が紹介した校長に共感」と題して、読者の元小学校校長の声が載っていました。小生も、3/18の「余禄」とさらに、29日の「声」を読んで、胸を熱くした一人です。
作家の山口瞳さんのエッセーからのようです。「卒業式の日に、『仰げば尊し』を歌わせない学校があった。校長にとってあれほどつらい歌はないからだという。▲生徒たちを見送る時、その校長は後悔で胸がいっぱいになる。ああもしたかった、こうもしたかったのに。だから「仰げば尊しわが師の恩」と歌われるのには忍びないのだ。
その「仰げば尊し」を歌わせない校長は、校庭にポツンとたたずむ生徒を見ると、いても立たってもいられなくなる。家庭に恵まれなかったり、体が丈夫でなかったり、仕事を放り出して駆け寄った。
「教育とはそのことに尽きるのではないか」こうした教え子を一番に思う先生とめぐり合えた生徒は幸せだ。
山口瞳さんは校長の話に心を動かされ、小説を書いたとのことだ。
声欄に投稿した元校長は、「こんな先生がいじめから子供を守るのだと思う。適切な生徒理解と子供への温かな支援を、現役の先生に期待する。卒業式は、どの子も明るい笑顔で迎えさせてやりたい。」と、結んでいる。
物のない中で育った団塊の世代の私には、環境は決して豊かではなかったけれど、このような多くの先生は身のまわりにたくさんいたのではなかったか。その意味では、私たちは、本当に、豊かな環境の中で育ったと感謝していける。こんな校長先生に、どこかで出会っているはずだ。
「仰げば尊し」の歌は、自身の人生をちょっと立ち止まって見つめたときに多くの先生に心からささげられる歌の気がする。少し、硬くなりましたが、様々な方々との、めぐり逢いや、絆や、ふれあい、かかわりは、感謝することが多いのではないでしょうか。
投稿: 遠木 道程 | 2019年4月 3日 (水) 00時33分
今年のソメイヨシノは寒暖差と雨の少なさでとても長持ちしていますね。咲き始めている桜の下での卒業式、もしかしたら桜の花吹雪の中での入学式になるのではと想像しています。
子どもが成長していく過程の中で、一番影響が及ぶのは小中学生の時代ではないかと思われます。遠木 道程さまのコメントの中に「物のない中で育った団塊の世代の私には、環境は決して豊かではなかったけれど、このような多くの先生は身のまわりにたくさんいたのではなかったか。その意味では、私たちは、本当に、豊かな環境の中で育ったと感謝していける。こんな校長先生に、どこかで出会っているはずだ。」とありました。校長先生外、個々の先生方の中にも「天職」と思われて、児童や生徒に接していた先生が居られたと、私自身が振り返ってみてもそう思いました。
また遠木さまが書かれていましたように「卒業式の日に、『仰げば尊し』を歌わせない学校があった。校長にとってあれほどつらい歌はないからだという。▲生徒たちを見送る時、その校長は後悔で胸がいっぱいになる。ああもしたかった、こうもしたかったのに。だから「仰げば尊しわが師の恩」と歌われるのには忍びないのだ」 。
子育ての中、娘や息子が小中を通して、私が出会うことが出来た、そのように思われているであろう先生に出会うことを強く願ったことがありました。
何時の時代か定かではありませんが、「でもしか先生」と揶揄されていた時もありました。それでも揶揄されたことを自虐的に受け取りながら、真摯に子供たちに向き合っていた先生方を知っています。今のご時勢、「仰げば尊し」 を 「・・だから「仰げば尊しわが師の恩」と歌われるのには忍びないのだ。」 と歌う歌わないは別にして、胸に刻んでいる先生がどこかで子供たちと接していると思いますし、望んでもいます。 「仰げば尊し」には様々な思惑があちらこちらであるでしょうが、私はこのメロディと特に3番の歌詞が好きです。
投稿: konoha | 2019年4月 3日 (水) 09時38分
追記
また遠木 道程さまが書かれていますように、「仰げば尊し」は卒業式の歌でもありますが、長い人生を振り返ってみましたも、心に残るほど先達から様々なことを学びました。改めて思い起こして、感謝の念が湧いてきます。
投稿: konoha | 2019年4月 3日 (水) 10時02分
{仰げば尊し」この唄は、どんなに時代が変わろうとも卒業式には必ず歌い続けてもらいたい唄です!
少し恥ずかしい話ですが、昔我が家の姉から聞いたことのある話を書かせてもらいます。
昭和35年2月のことですが、我が家は隣町から引っ越してきたのですが、校区が変わったので、当時5年生の長姉と4年生だった次兄の転入手続きが必要でしたが、事情があり両親が動けず、長姉と次兄の二人で学校の職員室へ行ったそうです。
二人が職員室に入ると、M先生という方が対応してくださったのですが、見るからに大柄で目つきが鋭く、姉と兄は怖い印象で緊張したそうです。そして転入手続きが済み二人が帰ろうとした時、待ちなさい!と言われ立ち止まると、「今日はよく来たな!外は寒いしこれでうどんでも食べていきなさい」と言って、姉の手にズボンのポケットから取り出した50円玉をくれたそうです。ご両親には内緒にしなさいとも言ってくださったそうです。昨夜から何も食べてなかった二人は、おなかが空いてたので、校門を出た向かいにある食堂で一杯30円のうどんを二人で交互に食べていると、どうしても涙がこぼれてきて仕方がなかったそうです。
後年姉が昔話のこの話をしてくれた時、当時の私たちはよほどみすぼらしい服装をしていたんだろうね!怖い顔をしたM先生が私たちに50円くれた時、驚いたのと同時に内心は夢みたいに嬉しかった、そのM先生のことは絶対に忘れられないと言っていました。
人にはそれぞれに誰にでも恩師がいると思います、私は夜学に通った4年間ともS先生という担任の先生でしたが、一学年の秋に転入という形でこの学校に入りましたが、その時には途中から来た私にいろんな配慮をしてくださいました。そして4年生を終えて卒業式が終わった時、教室でいろいろお世話になりましたとご挨拶した時、S先生はよく頑張ったね!と涙ぐみながら握手してくださいました。その時のお顔は忘れることがありません。
「仰げば尊し」この素晴らしい唄を何処かの学校の卒業式で何としても歌いついでいってもらいたいと私は思っています。
投稿: 芳勝 | 2019年4月 3日 (水) 20時20分
芳勝さま、とても良い思い出話、ありがとうございます。幼いお二人とM先生が彷彿して来てしまい、胸が熱くなっていました。
投稿: konoha | 2019年4月 3日 (水) 20時31分
konoha様、芳勝様ありがとうございます。7年前に「雪の降る街を」の欄に(まだ消えなくて残っているようです)理科と、音楽の先生のことを書かせていただきました。
理科の先生は、近所に住んでいる私の同級生(先生の教え子)から、この話を聞き、好きだった短歌を詠み、地方紙の歌壇の欄に投稿し掲載されていました。その歌は、「『あっ雪だ』ひとり叫べば一斉に 外をふり向く午後五時間目」という歌でした。思わず、もう50年も前の出来事を、先生は覚えてくださっていたのだと、胸が熱くなりました。あとで知ったのですがその先生は今年の1月、まさに雪の降るころにご逝去されたそうです。
たくさんの教え子たちの、多感な頃の出来事を、私たちの人生にいつまでも消えることなく、心に残る思い出にして、感謝という気持ちに昇華させてくれているのでしょうね。
だからこそ、先生は、我が師は、仰げば尊しではないかと思えてなりません。
投稿: 遠木道程 | 2019年4月 4日 (木) 00時15分
今年(令和2年)の誕生日で満75歳となるおじいちゃんですが、私たちの世代では大変懐かしい歌です。
今では歌詞が難解ですとか、時代にあってないとかで卒業式の定番ソングからはずれているようですが、格調が高く大好きな歌の一つです。
つい最近、散歩中のラジオから流れてきたのがこの歌で、歌っているのが、ベイビー・ブーという若いコーラスグループでした。
私の孫のような世代が歌ってくれていることに何故かとても温かい気持ちになりました。
投稿: タケオ | 2020年4月 2日 (木) 22時25分
タケオさん仰げば尊しを取り上げてくださり有難うございます。私は間もなく80才になりますが、この歌は子供のころから大好きでした。難しい言葉など子供に理解出来なくとも、確りと覚えさせればよいと思います。後々に意味が理解できるようになります。立派な歌とはそういうものだと思います。 偶然私も名前はたけおです。
投稿: 栗さん | 2020年4月 3日 (金) 09時10分
栗さんへ
拙文をご覧頂きありがとうございました。
当時の卒業式の定番ソングは「蛍の光」とこの曲。どちらも原曲は外国の曲です。でもつけられた日本語詞は、とても外国曲を感じさせない仕上がりとなっています。
出会いと別れ、私たちの世代と現代の世代では価値観も・置かれている環境も全く違いますが、出会いの感動・別れの感傷の本質の多くは共通している部分も多いと思います。
埼玉県秩父の教師が作った「旅立ちの日に」は今の卒業式の定番ソングのようですが、これも時代が受け入れた素晴らしい曲と思います。
投稿: タケオ | 2020年4月 5日 (日) 10時15分
長崎のsitaruです。「仰げば尊し」は、小中学生の頃よく歌いました。小学校では、卒業式の時、五年生が「蛍の光」を歌い、六年生が「仰げば尊し」を歌う習わしでした。小学生には難しい歌詞で、意味をあちこち取り違えて歌っていました。多くの方が間違えていたという「今こそ別れめ」は、私も「分かれ目」ばかり思っていました。小学校は山の中の、全校生徒100人足らずの小規模校、中学校は長崎市街地にあった一学年300人以上の大きな学校で、子供ながら、人生の大きな「分かれ目」だと思ったものでした。ほかに、「いと疾し」は「愛しい」と同じような言葉、「忘るる間ぞなき」は「忘るる窓なき」と思い込んでいました。
この曲の歌唱は、今も多くの児童合唱団、成人合唱団の歌声で聴くことが出来ますが、私は森昌子さんのソロ歌唱が一番好きです。「せんせい」でデビューした後、昌子さんは様々な分野の曲をアルバム所収曲として歌っていますが、最初のアルバム『中学三年生』に「仰げば尊し」が入っています。私は90年代にまず中古のLPレコードを入手しましたが、チリチリ音が多く、あまり楽しめませんでした。多分カセットテープも発売されたのだろうと思いますが、入手することは出来ず、時間が過ぎて行きましたが、今世紀に入った頃、ネットオークションに嵌った時期があり、そこで昌子さんのテープを探していたら、たまたま童謡・唱歌だけを集めた昌子さんの8トラックのカセットテープが出品されているのに気づきました。8トラック用のカセットデッキは持っていませんでしたが、とりあえずソフトだけは手元に置いておこうと、入札に参加しました。そのテープには、既に先に入札している人がいて、二人の競争となり、終了時間の数分前まで争った挙句、幸いにも落札することが出来ました。落札価格は1万円に届く所まで来ていました。先に入札していた方には大変申し訳なかったのですが、大切にさせていただきますと手を合わせて、商品の到着を待ちました。そこで今度は8トラック用のカセットデッキです。もちろんその当時はもう販売されてはいません。そこで、これもネットオークションを覗いてみると、幸いにも一台出品されていました。価格は5000円だったと思います。すぐ入札しましたが、今度は競合者もなく、すんなり落札できました。送られて来たデッキに昌子さんのテープを入れ、祈るような気持ちでスイッチを入れた瞬間、雑音も無く、ステレオ感豊かな伴奏と、まだ中学生だった昌子さんの、のびやかで素直な歌声が飛び出して来て、本当に感動しました。普通のカセットテープは色々持っていましたが、比較にならない位良い音でした。森昌子さんが歌う童謡・唱歌は、「仰げば尊し」「蛍の光」「故郷」「浜辺の歌」「旅愁」「七つの子」など、どれも素晴らしく、今も毎日iPadで聴いています。
投稿: sitaru | 2020年8月15日 (土) 22時20分
長崎のsitaru様へ よろしければ本日投稿しました交流掲示板【1765】をご覧いただければ幸いです!
投稿: 芳勝 | 2020年8月16日 (日) 16時19分
大好きな曲です。
わが屋にはアルバムが残っていません。父のアルバムも、母のアルバムも、祖母のアルバムもありません。それだけでなく、私のアルバムもないのです。時とともになくなってゆきました。
いつだったか・・・私が高校生の時、私の卒業した小学校が閉校になり隣の村の小学校と統合され新しい小学校ができました。
そのとき新しい小学校の廊下に過去の懐かしい小学校の写真が張り出されたのです。過去の卒業生の写真も張り出されました。みんな見に行きました。私も見に行きました。
そして、ありました。ありました。卒業式の母の集合写真が。着物姿の可愛い母の少女姿が・・・懐かしくて泣けてきます。こんな少女姿の母だったんだ・・・
小学校の記録ってこのように全国津々浦々保存されているものなのでしょうか?
投稿: yoko | 2021年2月27日 (土) 08時34分
「何処が悪いのか」
卒業式のシーズンとなりましたが、コロナ禍のため今年も卒業式は来賓もなく、在校生もなく、保護者も少数でということとなりそうです。
特に私の出た小学校は、少子化のあおりを受け、統合のため、3月末で150年の歴史に幕を下ろすこととなり、寂しい限りです。
さて、先ごろもコメントがあった「仰げば尊し」に私も一言。
これまでの皆さんのコメントにある通り、この歌は調べといい、内容といい忘れられない素晴らしい曲だとおもいます。
昭和40年代以降、軍国主義、立身出世主義を煽ると、民主主義を掲げる人達によって排斥されたことは実に哀しいことだと思います。(反論はあることは承知です。)歌詞は確かに古めかしいが、見守り育ててくれた先生を大切に思うこと、渡る社会の競争に立ち向かえと言うのが何処がおかしいのでしょう。この歌は人生の応援歌でもあります。最近一部の地域で、「仰げば尊し」を復活させていると聞いて同じ思いの方のいることに安堵いたしております。
投稿: 伊勢の茜雲 | 2021年3月 2日 (火) 21時04分
そうです。そうです。素晴らしい歌です。もう一度、先生や、級友と一緒に小学校で大合唱してみたいです。だけど小学校はもうなくなってしまったし、先生も幾人かの級友ももう旅立ってしまった。この歌で思い出すのは私の近くの何人かの女の子が歌いながら泣いていたこと・・・ 映画二十四の瞳でもそんなシーンがありましたね。
投稿: yoko | 2021年3月 2日 (火) 22時16分
伊勢の茜雲さん、yokoさんに同感です。
投稿: 栗さん | 2021年3月 3日 (水) 10時12分
昔は小学校の卒業式の定番ソングで、中学校では「蛍の光」でした。
ブログのハーモニカ演奏に使わせていただきました。
投稿: ゆるりとまひらふ | 2021年3月12日 (金) 17時39分
卒業式の季節がまた巡ってまいりました。
小生がこの歌で思い出すのは中学時代です。
もうすぐ卒業という3学期のある日、当時番長と言われていた同級生K君が授業をさぼったかして、担任の女性教諭М先生に廊下で意見されていた。
ワルはスジ金入りのkで、男性教諭はほとんど放任していたのに、感情が高ぶったのかМ先生は番長に対し背伸びしつつもビンタを食らわした。
「ヤバい番長にぶっ倒される」とみんなは思ったが、番長は頬を抑えただけで頭を下げたのみだつた。
先生の顔は涙が溢れ出ていて、「怒りで叩いたのではない」と周りは理解しました。
「仰げば尊し」とする教師なんているものかなどというyoutube等のコメントをみると
そんなМ先生に巡り合えて本当に良かったと思います。
ただ成人した後風の便りに、kは宮城刑務所に入ったと聞かされ複雑な思いをしました。
投稿: 山ちゃん | 2022年3月 5日 (土) 22時41分
皆さんの後に今さら付け加えるまでもありませんが、今年も3月を迎えひとこと失礼します。
まったく中学生あたりといえば「しょうもない」連中で、親に対してもそうでしたが、先生に対してもいろいろアラ探しをして悪口を言ったり、陰では呼び捨てにしたりで、いわば自らを対等と考えたい年頃だったのだと思います。今思えば先生方はいろいろ俺たちのことを考えてくれたなあ、という思いがしきりで、いまお目にかかれたら深々と感謝しお詫びしたいですが、もはやそれはかないません。親と同じですね。
「仰げば尊し」は今のそのような気持ちにはぴったり合う歌です。当時はただ漫然と歌ったものですが。
もっとも当時はいざ先生に面と向かえば、皆やはり小さくなってしまう可愛げもありました。その後の時代にはさらに悪しき時期もあったようです。また今は親の関わりもあったりでどうなのやら。(もちろん学校にもより先生にも個人差はありましょう。)
投稿: しのあ | 2024年3月 1日 (金) 11時04分
「でもしか先生」、5年前のkonohaコメント以来、先月2/29の日経新聞のコラム交遊抄のタイトル『でもしか先生』があり、すっかり忘れていた言葉を目にしました。私たちの世代を挟んで教職に就いた先生を、教職を聖職と考えた世代の人たちがそう呼んだか、高度成長期に先生にでもなるかなという人たちが自虐的にそう言ったかわかりません。
前出の交遊抄『でもしか先生』の筆者は小5、6年生の時の担任との出会いが今の自分を形成したと述べています。私自身も小5、6年の時の担任の影響がこの歳になっても色濃く残っていることに驚いています。
大勢の子供達に接してきている先生や指導者たちの自身が気がつかないうちに一人の子供に与えた影響がいかに大きいものだったかです。
人生を通して来て、『仰げば尊し』を学校で歌って覚えていなければ、この意味するところが分からなかったでしょう。そう考えてみますと、心から歌いつなげていって欲しいと思うのです。
投稿: konoha | 2024年3月 1日 (金) 19時33分
konoha様、芳勝様、今年もまた3月が巡り来て、卒業式がやって来る。そう思いながら、5年前のこのブログの投稿を読み返してみました。
「蛍の光」につづられた同胞、後輩、学び舎への感謝への思い。それ以上に「仰げば尊し」に込められた師匠、先生への感謝と尊敬の思い。自分がもう、後期高齢になっても若き日の先生の面影や自分への一言、それら忘れがたく、なお一層まだ自分を育ててくれた思いが熱く湧いてきますね。今、生きていることへの感謝です。
いつまでも残しておきたく歌い継がれてもらいたい歌です。
投稿: 遠木道程 | 2024年3月 4日 (月) 16時41分
私(昭和12年生まれ)が小さかった頃、学校の卒業式で、卒業生が『仰げば尊し』を歌うのは、当たり前だったと記憶します。今はどうでしょう。
思い返しますと、小、中学校の卒業式では、セレモニーとして形式的で、義務感により出席していたという印象です。このような状況ですから、歌詞の意味も余り考えることなく、歌っていたと思います。
高校の卒業式は、大学入試の日程とぶつかり、残念ながら、出席できませんでした。
今、改めて、歌詞を眺めて、私なりの詩情を思い描いてみたいと思います。
<歌詞1番>
恩師に対する感謝と別れ
<歌詞2番>
級友に対する感謝と別れ。
”忘るな”、”励めよ”は、誰が誰に言っているのでしょうか。最初に、”互(たがい)に”とあることから、主人公(卒業生)が自分に言い聞かせるとともに、級友に語りかけていると捉えます。
平たく表しますと、”日頃、親しく交わり、切磋琢磨できたことを感謝する。卒業して進路が分かれても、お互い、このことを忘れないでいよう。お互い 、学校で学んだことをベースにして、一層励み、立身出世を目指そうではないか。今日は別れの日だ。さようなら。”
<歌詞3番>
学び舎(校舎)に対する愛着心と別れ
前述のように、高校の卒業式には出席できませんでしょたが。卒業式に向けて練習した歌があったことを思い出します。
『分袖』(黒川真頼 作詞、メンデルスゾーン 作曲)
投稿: yasushi | 2024年3月 5日 (火) 17時12分
この曲と「蛍のひかり」や「七つの子」等の唱歌と木下恵介監督の「二十四の瞳」、そして、その映画の舞台、小豆島の旅が、生涯の一つです。
タクシーを貸し切り、当時の撮影地に詳しい運転手さんのガイドでロケ地を巡りました。
、"なきみそ、小石先生とあどけない二十四の瞳をもつ子ら。まるで、どの地でも歌声や笑い声、涙がありました。
戦時の中、しかも、偏見の環境のなか、子らのため、身を挺して迄の師弟愛をこの曲などが見事に効果をあげています。「ビルマの竪琴」もそうでしした。
唄、歌、音楽の"強さ"を知る思いです。
この歌詞などの持つ日本語の美しさ、素晴らししさと、どんな教育論も寄せ付けない、現代この歌とともに忘れ去られそうな、唯の卒業歌だけでなく、日本人の気概、心情を持っていると思います。
教育に携わる方々には、是非、式や教本に取り上げて欲しいと思っています。
投稿: 築地武士 | 2024年4月24日 (水) 14時59分