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2011年8月14日 (日)

あの素晴しい愛をもう一度

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:北山 修、作曲:加藤和彦、歌:北山 修・加藤和彦

1 命かけてと 誓った日から
  すてきな想い出 残してきたのに
  あの時 同じ花を見て
  美しいと言った二人の
  心と心が 今はもう通わない
  あの素晴しい愛をもう一度
  あの素晴しい愛をもう一度

2 赤トンボの唄を うたった空は
  なんにも変って いないけれど
  あの時 ずっと夕焼けを
  追いかけていった二人の
  心と心が 今はもう通わない
  あの素晴しい愛をもう一度
  あの素晴しい愛をもう一度

3 広い荒野に ぽつんといるよで
  涙が知らずに あふれてくるのさ
  あの時 風が流れても
  変らないと言った二人の
  心と心が 今はもう通わない
  あの素晴しい愛をもう一度
  あの素晴しい愛をもう一度

《蛇足》 北山修が作詞し、加藤和彦が作曲して、2人で歌ったフォークの名曲。昭和46年(1971)4月5日に東芝音楽工業のレーベルで発売されました。
 『神田川』『なごり雪』『贈る言葉』『学生街の喫茶店』などとともに、今なお繰り返し歌われるフォークソングのスタンダードナンバーです。

 はたち前後の男の子にとって、同年輩の女性の心は謎に満ちています。神秘的という言い方もできますが、心の動き方がわからず、振り舞わされる男の子が少なくありません。
 ほかに好きな人ができた、不愉快ことをいわれた、頭が悪い、ケチだなどなどこれといって思い当たる節がないのに、ある日突然連絡を絶ってしまう、あるいは連絡を拒否される……こんな経験をした男性はけっこういるようです。

 この歌はそんな状況をテーマにしています。何か理由があって仲違いしたような場合には、修復は可能ですが、理由もわからずに突然「心が通わなくなった」のなら、修復は無理だと思ったほうがいいかもしれません。

(二木紘三) 

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コメント

 いい歌ですね! 
フォークブームに乗って『ザ・フォーク・クルセダーズ』が一時代を築いたこと、加藤と作詞家・訳詞家・エッセイストの安井かずみとのこと、そして医学博士・精神科関連の著作家としての北山氏のもうひとつの顔で「帰ってきたヨッパライ」というとてつもない発想で作られたことなどを思い出しました。
 
 この歌を聴くとトワエ・モアの「空よ」がすぐに思い出されてきます。
今思うとある日突然ではなくそれぞれの未来へ向かってそれぞれが去って行ったあの頃の自分や友達、そして小さな思慕をいだいていたようなあの娘たちは・・・帰り来ぬ山深い田舎の少年の頃を思い出しました。

投稿: 尾谷光紀 | 2011年8月14日 (日) 17時37分

きれいなメロディーと一途な若さがあふれる歌詞だと思い、長年楽しく口ずさんで来ましたが、管理人さんの文章を読んで、まさに20歳の男性と交際していた頃を思い出し、当時私のほうが年上で、かなり気まぐれに振舞っていたことを思い出しました。でもいまさら反省しても遅いですよね。

投稿: Bianca | 2011年8月15日 (月) 22時20分

二木先生、いつも楽しく聴かせていただいてます。細かい事でお手を煩わせる事になるやも知れませんが、2番の「赤とんぼの歌を 歌った空は」のメロディは1番のそれとはちょっと異なります。つまりこの歌は、1,2,3,番の一行目のメロディが歌詞の文字数に合わせて作られているようです。表現が拙くてごめんなさい。要は、直して頂きたい所は2番の部分です。お願いします。

投稿: かせい | 2011年8月20日 (土) 01時36分

二木先生、申し訳ございません。現在では1,2番とも同じ旋律で唄われることも多いそうですので、夫直しになる必要はないかと思います。お騒がせしました。 お詫び申し上げます。

投稿: かせい | 2011年8月20日 (土) 15時36分

かせい様
いやあ、お恥ずかしい。1番と2番は同じメロディだとはなから思い込んで作ってしまいました。2番は「赤とんぼの歌を」と「いないけれど」の一部分は1番とメロディが違うんですね。
また、3番の「いるよで」の「よで」は楽譜では付点二分音符1つになっていますが、音数に合わせて八分音符+八分音符と二分音符のタイの2音に変えました。まあ聞いても違いはわかりませんが。
とにかくご指摘ありがとうございました。
(二木紘三)

投稿: 管理人 | 2011年8月20日 (土) 20時35分

二木先生、本当に有り難うございました。ぼくらフォーク世代は、やはり北山-加藤コンビバージョンのもので唄いたかったものですから,ご無理をお願いしてしまいました。 中学の教科書の合唱バージョンでは違った唄い方だったりとか…。これから覚えられる方もいらっしゃると思うので、細かい注文を付けてしまいました。願いをお聞き下さって、恐縮、感激です。カラオケでも多人数で唄う事が多い楽曲です。皆さん歌詞の内容にオーバーラップするものが多少ともあるのでしょうか。ノリノリになる曲です。

投稿: かせい | 2011年8月21日 (日) 01時14分

北山修さんの詞はすばらしいです。二十歳そこそこの若者が、短期間であれだけ多くの優れた詞を書かれたのはたいしたものだと思います。天は二物を与えるのですね。自分が京都の大学に進んだ理由の1つは、京都のフォークに惹かれたことにあるのかもしれません。学生時代に、北山修さんの作詞集を友人と回し読みしたことを思い出します。一番好きだったのは「風」でした。何歳になって聴いても味わい深いものを感じます。

投稿: 本田雅生 | 2011年8月22日 (月) 23時15分

 私も京都の大学へ進学しましたが、私の在学中北山修さんは音楽界の第一線を退かれて英国留学されており、以降は精神科の診療に専念されていたと記憶しています。しかしその後も著作活動、作詞、時にTVや映画などで時々その名を見聞きしました。
 北山修さんは九州大学教授を退官された2010年に『母子像研究について』と題する講演をされています。この講演はDVD化され、『あの素晴らしい愛について―日本人の心はどこへ行った』という副題で発売されました。私はTVで偶然この講演を視聴しましたが、講演の中で北山修さんは浮世絵に描かれた約450組の母子像の研究から、「同じものを眺める姿」が日本人の心のつながり―「横のつながり」―であるという仮説を立てられています。そして「あの時同じ花を見て 美しいと言った二人の 心と心が 今はもう通わない あの素晴しい愛をもう一度」と歌われた「愛」とは、この「横のつながり」だったと結論されています。http://academic-theater.jp/dvd/theme.html

投稿: Yoshi | 2015年12月24日 (木) 15時35分

 この歌が世に出たのは、私が高校生の時でした。以後40数年ずっと『変わるはずがないと信じてきた男と男の友情の揺らぎ』を歌った歌である、と思っています。
 歌を聞いた人の、生い立ち、体験、感性乃至は人生観の違いに依って、その意味の受け取り方に差異が生じるものとは思いますが、男の友情と受け取る人は殆どいないのでしょうか?
 男女の愛情を歌うならば、こんな詩になるはずはない、と思っている者です。

投稿: 慎兵衛 | 2016年10月26日 (水) 23時55分

慎兵衛殿

歌詞の初めに手がかりがあります。
何に対し、命をかけるのか、ということ。

貴女を命をかけて愛します。と言うなら、男と女の恋仲のこと。

ある目的を達成することに命をかける、と言うなら、共にその目的達成を目指す仲間の同志愛ということになります。この場合、男同士でも成り立ちます。
ある組織を飛びだし、新しい組織を立ち上げる、なんて話を聞くと、元の場所の人達はきっとこの歌のような気持ちだろう、と思います。

どちらにしろ、別れた後、元に戻るのは難しい。二木先生のおっしゃる通り、修復は無理、と諦めるしかないのかも。

あの素晴らしい愛をもう一度、を繰り返し叫びつつ、それは叶わないことだ、と空しさを身体全体で感じる歌なのです。

投稿: 西 画八 | 2017年7月17日 (月) 01時13分

「あの素晴らしい愛をもう一度」17歳の時、私がそれまで貯めていた貴重な小遣いをはたいてまでもフォークギターを購入した、その一番のキッカケとなったのが、今も大好きなこの歌でした!

先日ネットニュースを何気に閲覧していたところ、偶然にもこの曲に関する興味深いエピソードが載っていました。

『・・・元ザ・フォーク・クルセダーズの二人に楽曲制作を依頼したレコード会社は、できた曲を新人の女性フォークデュオ、シモンズに歌わせるつもりだった。しかし、加藤が1日で作曲し、北山が1日で詞をつけた「あの素晴らしい愛をもう一度」はあまりにもよい出来栄えだったため、提供するのが惜しくなり、結局、加藤・北山の二人でレコーディングし、リリースすることになる。ザ、フォーク・クルセダーズ時代からのファンは喝采をもって迎えたが、頼んでいた曲を提供してもらえなかったシモンズやレコード会社は、内心おもしろくなかったに違いない。・・・』

この歌が制作されたのが1971年、当時北山修が25歳で加藤和彦が24歳、若いころとは云え身勝手なことをしたもんだと思うその反面、当時の二人の気持ちもまんざら解らないでもないかなと思う現在の自分がいます(笑)

「あの素晴らしい愛をもう一度」この歌だけに限らず、多かれ少なかれ、名曲誕生の裏には他の楽曲にも、もしかしたらちょっとした秘話が存在するのかも知れませんね!

投稿: 芳勝 | 2024年5月 8日 (水) 16時04分

昭和48年、このころは背水の陣で電子回路の設計・開発に明け暮れいました。小説の一冊すら読むこともなく、歌の一つだに唄うこともない生き様でした。シニア大学の講座でみんなが気持ちよく合唱しているのがうらやましい思いでした。この歌、見事に素晴らしいですね。60年前を思い返しました。楽譜を買い込みエレクトーンで歌を覚えています。英訳で「Love you again」として和訳にも挑戦しています。


投稿: 亜浪沙(山口 功) | 2025年2月12日 (水) 14時54分

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