白いランプの灯る道
(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo
作詞:丘 灯至夫、作曲:古関裕而、唄:奈良光枝
1 通いなれた 歩きなれた 2 白いランプ 灯る道を 3 あの日あの夜 みんな夢の |
《蛇足》 昭和26年(1951)1月15日にコロムビアから発売されました。
奈良光枝の最大のヒットは藤山一郎と共唱した『青い山脈』ですが、それ以外では、『悲しき竹笛』『愛の灯(ほ)かげ』『新・愛染かつら』など、近江俊郎とのデュエット曲が多くなっています。そのほか、『雨の夜汽車』『赤い靴のタンゴ』などソロのヒット曲も数多くあります。
私見では、昭和の女性歌手では、3本の指に入る美人歌手だと思いますね。といっても、私は彼女の映画を1本も観たことがなく、小学校低学年のとき、大人の雑誌で1度写真を見ただけの超主観的は意見ですが。ですから、あとの2人は誰だと訊かれても困ります。
今だって美人歌手はいるという人もいるでしょうが、まったく別人になれるほどのメイキャップ技術の進歩や美容整形の普及した時代では、美人といわれても信用できませんね。
(二木紘三)
コメント
「昭和の女性歌手」の定義によっては...(蛇足の蛇足)
話を昔(天は二物を与えず、美声と美貌は両立せずと言われた時代)に遡って、歌謡曲の歌手を音楽学校卒に限定すれば、3本の指に入る1本は蛇足の通りに名指し出来るでしょう。残りの2本を敢えて求めるとすれば、宝塚音楽学校卒に求めるしか無いでしょうが、しかしチト無理なようです。
「音楽学校卒」を外せば、主観的には、あとの2本は高峰三枝子(但し彼女は女優が本業)と藤圭子あたりでしょうか。
投稿: 槃特の呟き | 2011年10月31日 (月) 00時09分
この歌の中で使われている「しき石道」「今宵かぎりのアンブレラ」「肩すり寄せて」「さよなら さようなら」などは綺麗で品格のある言葉ですね。なんとなく御令嬢の失恋のようですが。3番の最後の2行が切ないですね。蛇足:女優でもある倍賞千恵子をエントリーします。
投稿: 海道 | 2011年10月31日 (月) 16時43分
超主観的な意見ということでは、先日亡くなられた花村菊江さんも美人歌手であったと思います。あと、若いころの(もちろんいまでも)あべ静江さんもきれいでした。
投稿: 谷野力 | 2011年11月 2日 (水) 10時15分
歌い手は顔が重要ではありません。歌の上手さです。テレビで顔が写るようになってから、下手な歌手が多くなってしまいました。踊りも無用ですね。余分なものが付くと歌が本来の価値を失ってしまうようです。藤山一郎、伊藤久男並の歌手が現れる事を切に願っております。
投稿: ハコベの花 | 2011年11月 3日 (木) 21時46分
テレビの出現で歌い手に要求される音楽的素養の比重が低下したのでしょう。“多芸は無芸に通ず”と言われた昔、歌謡曲の歌手の多くは音楽学校卒でした。だから歌だけで一生涯勝負出来たのです。昨今では音大卒の歌謡曲歌手などごく稀で、多くの芸能人は「歌って踊れて」などと歌以外の芸も求めます。しかも今は見て呉れの時代、面造作が大いに物を言う時代、テレビ上のエンターテインメントを演ずるにはこれが強力な武器となり、歌が駄目になっても他の方面で潰しが効くように心掛けているのでしょう。歌を「聴く」なら映像は不要です。皆の心を沸かせた覆面歌手の誕生は昔語りです。
投稿: 槃特の呟き | 2011年11月 3日 (木) 23時02分
奈良光枝が”青い山脈”の共唱者とは知る由も無い音楽音痴。歌うのも音痴、SNMのお蔭でこちらを時々訪ね、ふるさとを偲んでいます。皆さん仰るように、素晴らしいサイトです。仁木さん人となりが伝わり、ほのぼのと致します。
三美人の章の、美人と言われても云々に同感。人は直ぐに美人と申される。美しいか否かは個人それぞれの好みですから、美人と聞いて疑義を唱えるのもはした無く思います。それにも拘わらず、やはり半世紀前の歌声を聞きたく訪れるYouTubeの書き込みに、「何処にもいない綺麗な人・素晴らしい美貌・何という美女か、絶世・絶品の女性」言葉が満ち溢れるのを見て、日本男子(同姓女子もいらっしゃる…)の美女願望に寒心かつうんざりせざるをえません。
王室史にも同じ現象を見ます。さる王妃や皇女が美貌をうたわれ、、、歴史家(≒歴史好き)が真面目な論や考証の間にチラッと入れるので、御愛嬌と言えばそれまで…。でも一寸情けない。彼女達はありとあらゆる手段で”化ける”ことが出来た。仁木さん仰る「メイキャップ技術の進歩や美容整形の普及した時代」に相似しています。同時代または絶対王政の臣民として、持ち上げねばならない理由がありました。今から見ればただのオバサン芋ネーチャンが殆どです。御用肖像画家は如何に倍や二倍修正して美しく仕上げるかに腐心致しました。財布に関る大問題ですから。クレーヴェからのアンを迎えてガッカリしたヘンリー8世の史実はその辺を伝えています。
美しいと言われる歌手芸能人は嬉しい気持ちになるでしょう、、普通の土台を懸命に造作した"化けの皮"であっても。それは彼女達の商いの手段ですから、正当な行為と言わねばなりません。ただし、商い用の厚塗り整形顔に惚れて、歌を二の次ぎにしてはハコベの花さん槃特の呟きさんのご意見通りですね。
もし褒めるなら、歌舞伎花道の掛け声並みの詩的なビジンボメがほしい… 奈良光枝の表情を仔細に眺めたことはありません。端整な顔立ちと言う印象だけを覚えていますので、仁木さんの”美人”観は普遍的、と言うか正統的クラシックなのでは無いでしょうか。
なおイモネーチャンと謙遜している女性に申し上げたい。現代のハイテックメイクアップ技術を駆使すれば、間違いなく絶世の美人になります。そして10年は若返って見えます。さようなメタモルフォーゼをするかしないかは心の問題と…、やはり経済の問題もあろうと存じます。
投稿: 丹後湊 | 2011年11月 4日 (金) 03時29分
なんといっても、美人は、三沢あけみ でしょう。
投稿: けいた君 | 2011年11月 5日 (土) 21時47分
いつもこのサイトで、過去を懐かしむとともに、こころ慰められています。また、二木様の解説や皆様方から寄せられるコメントに、共感と励ましをいただき感謝しています。
今回は、二木様の解説にあります「(昭和の)三本の指に入る美人歌手」の話題が、ブログをにぎわせております。これに対して、不快感を示されている方もおられますが、元来、下世話なネタに関心を持つ、軽薄なわたしとして、お叱りを覚悟の上で「淡谷のり子」を推薦します。「淡谷のり子」などと言うと、奇異に思われる方もいると思いますが、わたしは、この「ブルースの女王」こそ、昭和の美人歌手にふさわしいと思っています。ご存知のように、彼女は青森育ちのズーズー弁が抜けきらず(故意に使っていたきらいがある)、歯に衣着せぬ言動や若いころの奔放な行動が、彼女の美人のイメージを損なっているのですが、若いころの面貌は美人の範疇に十分入るのではないでしょうか。もちろん音楽学校の声楽科をトップで卒業しているのですから、歌唱力は折り紙つきです。もともと彼女はソプラノだったのですが、随分苦労してブルースを歌う際には低音で歌っていたようです。ただ彼女が「3本の指に入る美人歌手」に該当するか、否か自信はありません。
ところでハコベの花様は昨今の歌手が本来の歌唱力よりも、ご面相や振り付けなどで評価されている風潮を嘆いておいでですが、正統派歌手のコーラスグループがあるのをご存知でしょうか。「FORESTA」というコーラスグループ(現在男性6人、女性7人内ピアノ伴奏2人)は全員音楽学校出身で、「日本の美しい詞と旋律を歌い継ぐ」をテーマに活動しています。現在は毎月曜日22:00~23:00「BS日本 こころの歌」で視聴できます。その歌唱範囲は広く、演歌・歌謡曲から童謡・軍歌まであります。わたしとしては、軍歌にはちょっと違和感はありますが。演歌・歌謡曲に付きものの「こぶしまわし」もちゃんとやっていますよ。『人生の並木路』や『北国の春』など圧巻です。一度視聴されてください。もちろんYou Tubeでも見ることもできます。「FORESTA」で検索してください。
投稿: ひろし | 2011年11月 6日 (日) 14時00分
ひろし様 私はフォレスタの大ファンです。特に男性群の歌は素晴らしいと思います。女性群は吉田静が入ってから良くなったと思います。淡谷のり子の別れのブルースは淡谷の歌を超えて居るかもと思います。演歌は嫌いでしたが、名月赤城山を聴いた時、クラッシクに引けを取らない歌だと思いました。ただ、声は抜群ですが、音域の広い歌(イヨマンテや酒は涙かためいきかなど)になると伊藤久男、藤山一郎の音域にかないません。歌う歌が違うのかも知れませんね。
私も美男や美女は大好きです。恋の歌は美しい人に歌って貰いたいと思います。声が伴えばの事ですが・・・榎本美佐江さんが楚々として歌う姿は日本美人の代表歌手と言っても良いと思っています。
投稿: ハコベの花 | 2011年11月 6日 (日) 16時04分
蛇足の蛇足で火付けをしてしまった行き掛かり上、ひろし様に悪乗りさせて貰おうかと...
「蓼食う虫も好き好き」とはよく言ったもの、弘前出身の美人歌手(もちろん奈良光枝)に対するに、同じ青森県出身の淡谷のり子ですか。筋金入りの歌手として敬服すべき稀有な人柄であったようですが、千年昔の品定めだったら紛れもなく絶世の佳人入りでしょう。現代だから彼女は長命でした。現代の基準に照らしてみて、私流に動物に譬えるなら、淡谷のり子と奈良光枝、豚と麒麟となる訳ですが、如何なものでしょう。この辺のところは、日文研の井上章一教授あたりに聴いてみたいところです。
投稿: 槃特の呟き | 2011年11月 6日 (日) 23時52分
我も思う! 三沢あけみ やはり美人歌手だぁー
投稿: ごんさん | 2011年11月 7日 (月) 10時54分
バン(パソコンの不具合により漢字がヒットしないのでご免なさい)特の呟き様の悪のりによって、「淡谷のり子」という稀代の歌姫も「豚」などというトンでもない代物に喩えられて、さぞかし地下で柳眉を逆立てていることでしょう。同じ郷土の後輩歌手奈良光枝は「駿馬」(麒麟ですから。まさかキリンではないでしょうね。これなら奈良光枝はロクロ首女になってしまいます)で淡谷のり子が「豚」では、あまりにも取り合わせが酷すぎます。もっともバン特の呟き様に限らず、晩年メディアに登場した淡谷のり子のご面相や仮借のない審査評などから、とても「美人」のイメージにはほど遠いと思われる方が多いだろうと思いますが、知る人ぞ知る彼女こそ「昭和のモダン」時代(昭和初期)に生きたモガ(モダンガールの略)の草分けなのです。そのころの彼女の写真(スチール写真ですが)を見ると、バタ臭いなかなの美人ですよ。一説によると、日本で最初にマスカラやアイシャドーをつけた女性だとも言われています。経済的事情からやむなくヌードモデルにもなったのをみても、色白で肌の艶やかな美人だったことを証明しています。もっとも当時の社会情勢(その後軍国主義のカラーが強くなる)や伝統的な美人観(奈良光枝がその典型)が、淡谷のり子の美人的要素を消して行ったのではないかと思われます。
井上章一教授を持ち出すもまでもなく、「美人」なんて時代やその社会が産み出した産物であり、制度や文化によって様々に変化するものです。真面目に論ずるのも大人気ないのですが、淡谷のり子の一ファンとして、彼女の名誉のために一言付け加えました。バン特の呟き様失礼しました。
投稿: ひろし | 2011年11月 9日 (水) 15時55分
>美人といわれても信用できませんね
>>美声と美貌は両立せず
>>>淡谷のり子と奈良光枝、豚と麒麟
>>>>バタ臭いなかなかの美人
こんな談義が繰り広げられる本掲示板は洒落ておりますね。その折、`二木`を`仁木`と勘違いしたのはかつて女性推理小説家のせい、あらためて主宰/管理者ふたつぎさんにお詫び申し上げます。
このごろの若き日本女性は綺麗ですね。中年の方でもかなりのものと感じます。こちら同じ中年知りあい達は10~20才ほど年寄りに思えます。蛇足で仰るように、そちらMakeup技術革新が優れているのかも…。日本人は基本的に`四脚動物肉食`民族でなかったこと(四脚性の蛋白/脂肪が太りと老化を促す…?)と関係するのでしょうか。
白いランプと言う鹿鳴館時代のような``ランプ``が出てくる歌もUpdateされ聴くことができます。メロディーが聞こえる曲がドンドン増えているのですね。神サマ仏サマ有難く存じ候。
投稿: minatoya | 2014年3月17日 (月) 22時39分
もう20年以上前になりますか、ある番組で歌手を評論していました。八代亜紀のところで「彼女は歌唱力がある」との発言を聞き、頭をがつんとやられる感じで目から火花が飛んだことを思い出します。それまでは、てっきり、歌唱力のある人が歌手になるのだと思い込んでいたものですから。
投稿: dorule | 2014年3月23日 (日) 12時22分
若い日の別れを思い出して切なくなり、この歌を開けてみたら、何とここにも美女談義がありました。私もきつい事を書いていて驚いてしまいました。美男も美女も好きですが、本当はあらゆる物が総合されて自分とぴったりの人が一番ではないかと思います。別れにもいろいろな理由がありますが、若い時の別れにはさほどの悲しみがなかったのに年を経るごとに悲しみが増してくるように思います。「生きていたらまた会いましょう」でも結局会うことは叶わないないのですね。ボートを漕いでくれた貴方の手は絶対に忘れて居りません。いつの日かまた・・・その時は腕を組んで歩きましょう。
投稿: ハコベの花 | 2015年3月21日 (土) 00時02分
ハコベの花様
この歌が出たのはりんご5歳の時なので全くわかりません。歌詞が綺麗ですね。恋にしかも儚い恋に霧は似合いますね。
老いて尚、彼の君を胸に宿してらっしゃるハコベの花様。
思い出はますます美しく哀切になるのですね。
我が夫も私以外の誰かの胸に宿っているのでしょうね。
誰かの思い出のなかに、ボートを漕いだ手、甘い低音、一緒に観た映画等々。最近は息子の恋を見守るような気持ちになることもあります。「良かったわね。誰かの胸の中でも貴方は生きているのよ」などと。慈悲の心が芽生えたのでしょうか。
投稿: りんご | 2015年3月21日 (土) 07時30分
不意にこの歌を聴きたくなって開けてみました。何と美女談議になっていたのですね。ロマンに浸りたくて読み始めたのですがいつのまにか笑っていました。男の方も美女の話になるとお若くなるのですね。彼とホームで別れた夕方、そのまま家に帰る気にならず、映画館に入って一人で『哀愁』を観ました。ヴィヴィアンリーは美女でした。別れはいつでも悲しいものです。美女との別れは格別でしょうね。男の涙は真実、女の涙はちょっと違うかもしれませんが、おそらくあの世に逝くまで後悔が付きまとうだろうと思います。でも年老いて汚くなった顔を見せなくて済んで良かったと思う気持ちもあります。美女談議は若返りのお薬です。無料ですから沢山してください。
投稿: ハコベの花 | 2016年12月 4日 (日) 22時43分
ハコベの花さん
いろいろな曲の中にあなたのコメントが出るたびに、その文章の軽妙な美しさに毎回楽しんでいます。
同世代と思いますが、考え方、時代の描写、風景の表し方など
など、若いころを思い出しながら、読んでは笑ったりしています。
他の曲でのコメントを楽しみにして待っています。
投稿: 栗さん | 2016年12月 5日 (月) 14時28分
暇があるとこの歌を聴いています。良い歌なのですが、歌詞の中の二人の関係がよくわからないのです。「夜が更ける」まで男性と肩摺り寄せて歩いて居るのですから,良家のお嬢さんではないでしょうね。「生きていたなら また会いましょう」ですからそれほど親密でもないようです。
この歌はとても品が良いのですが、別れの悲哀が感じられません。終戦直後の歌ですから、今ほど普通の女性が夜、出歩かなかったと思います。、私の考えすぎなのでしょうか。不思議な歌だと思います。
投稿: ハコベの花 | 2017年1月 1日 (日) 21時35分
この歌が流行った頃は、小学四年生のころ、当時はラジオ時代でもあり我が家にあったラジオは六級スーパーで時折ジージーと雑音が入っていたようです。
でも、学校から帰ると良くラジオを聴いていたようです。何年生の時だったか忘れましたがこの歌がラジオから流れてきたのが記憶に残っています。
女性の方の美しい声で心に染み入るようなメロディーの曲であったことだけが脳裏に残っていたようでした。
・・・話は現代に戻りますが、NHK朝ドラ「エール」で盛り上がっている昨今ですが、この曲が「古関祐而」が生みの親とは知りませんでした。
また、美しい女性の声の持ち主も「奈良光枝」さんとは初めて知りました。
ハコベの花さまがおっしゃられるように、歌詞にある二人の関係がよくわかりませんし、二人の別れの悲哀が感じられないように思われますが、諸般の事情があり別れに至ったのは一度だけだったのでしょうか?よくわかりません。
それにしても、この曲のしっとりとしたメロディー・・・心に深く染み入ります。落ち込んだ心を呼び起こしてくれるようなそんな思いもしますが。・・・
投稿: 一章 | 2020年5月24日 (日) 21時01分
一章さま 久しぶりに心に響く歌を有難うございました。この歌をすっかり忘れていました。年を取るごとに恋の切なさを感じなくなってきています。別れたあの人といつか会えると思っていたのに、もうそんな夢みたいなことは起こるこ事はないだろうと淋しさばかりが胸にあふれる様になってきていました。
でも会えるのですね。それは夢の中です。一緒に肩を並べて歩いていたのです。春の日差しの中を彼は笑顔で私をみていました。緑の芝生の広場に白い飛行機が一機、止まって、いました。
あれほどきれいな夢を私は見たことがありません。その夢を胸の奥底から時々取り出して青春に戻っています。ちなみに私の夢は色がついている時があります。緑、赤、青、黄色などです。幸せな事だと思っています。
投稿: ハコベの花 | 2020年5月24日 (日) 22時37分
美人論議に参戦するつもりはありませんが、ズーッと目を通させていただくと、私には到底美人とは思えない人が何人も挙げられて、蓼食う虫も好き好き、は本当だなと改めて思いました。
「白いランプの灯る道」「雨の夜汽車」はカラオケでよく歌っています。こういう触るれば落ちなんと思われるような繊細な女性の歌を、小汚い後期高齢者が歌うのはみずから省みて不適切、と思わないでもないのですが、心の中で奈良光枝さんにお許し願って歌うのです。
昔の女性歌手は皆、絹糸のような繊細で澄んだ声を持っていました。
中古CDを漁って集めて聴きえた範囲では、小唄勝太郎、市丸、小笠原美都子、ミス・コロムビア(松原操)、二葉あき子(百合子ではありません)、新橋喜代三、四谷文子、豆千代、美ち奴、榎本美佐江等々、皆磁器の肌のように艶やかな美しい声の持ち主です。
この人たちの歌が全部カラオケで歌える訳ではなく、歌えない方が多いくらいですが、それでも「明治一代女」とか「十三夜」「夕日は落ちて」「並木の雨」「十九の春」「悲しき子守唄」「古き花園」などは歌えます。
二葉あき子の「牡蠣の歌」が歌えないのは迚も残念です。
今は女性歌手も結構野太い声だったり、また唸ったりして、それが好きな人にとってはこたえられない快感なのでしょうが、私のような「終わった人」にはちょっと別な意味で「こたえます」。そういう歌を聴いているとついつい「今様は無下に卑しくこそなりゆくめれ」(徒然草22段)を思い出してしまいます。
奈良光枝さんに戻ると、彼女は「雨の夜汽車」を生涯大事にし、また「白いランプの灯る道」は「私のレパートリ-のなかでも、一番大切な宝物です」と語っていたそうです。幼児から身体虚弱でオペラ歌手志望だったのですが、体に負担の少ないマイクで歌う歌手に転向。されど美人薄命の諺のごとく、昭和52年5月14日、聖路加病院で永眠。55歳でした。
投稿: 中川秀夫 | 2020年10月 9日 (金) 15時40分
暑い日が続き身体が言う事を聞いてくれなくなってきました。ふとこの歌が口をついて出てきました。ああ、こんな青春時代もあったと、しばし心が現世と離れてこの歌を聴いていました。ロマンスとは縁がない年になってしまったと思っていたのですが、歌は私を若い昔に返してくれました。昨年よりたてつづいてお医者様にお世話になったのですが、私が可笑しいのか、興味を持ってくれたお医者さんもあって、楽しい入院生活も経験できました。ロマンは年齢とは関係ないのですね。年相応の話が出来てとても楽しいひとときを過ごすことが出来ました。私の息子より少し若い人でしたが、一緒にこの歌を聴いてみたくなりました。改めて良い歌だと再認識させられました。心にロマンを持っている事の楽しさを味わう事が出来ました。
投稿: ハコベの花 | 2021年8月 1日 (日) 17時27分
私の年代では生で奈良光枝を見た経験は有りませんが、引退して通った温泉施設でこの歌を憶えました。歌い方が古風でテンポも良くすぐ持ち歌になりました。こう言う名曲をマスコミで取り上げない。リクエストする人がいなくなってしまったのでしょうか。
投稿: 海道 | 2021年8月 1日 (日) 18時50分
今更、美人談義に参戦したくなりました。
奈良光枝さんの名前を記憶したのは
小野田少尉の帰還で、
好みの女性は奈良光枝さんと彼が答えましたね。今のようにネットもなく調べる手立てもありませんでした。全く知らない名前でした。
YouTubeで見る、聴くが可能になり、その美貌と美声にビックリです。さて
残る2名
高峰三枝子
西田佐知子
藤圭子確かにか美人ですが
彼女の逸話が美人度より強烈すぎるので敢えて4番目に入れてください。
先日、YouTube
笑っていいともに晩年の淡谷のり子さん。
中々の美人と思えました。あのお年で、
投稿: りんご | 2021年8月 2日 (月) 10時51分
何と言われようとこの様な歌詞が昭和なのでしょうね。ちょっと控えめに歌う奈良光枝もいい。新しい演歌を競って歌うカラオケ教室で昭和の歌にこだわっている私は古い爺さんなのですかねえ。
投稿: 海道 | 2023年4月 7日 (金) 19時19分
海道様 貴方の投稿を読んで久しぶりに心が青春に戻る事が出来ました。夫の自分勝手な文句を朝から聞かされて疲れ果てて居りましたが、この歌の投稿を読んで少し心が明るくなりました。青春て良いものですね。良い歌が沢山ある時代に青春があって良かったと思いました。
頭も心もすっきりと青春に戻った様な気がしました。明日の朝の顔が少し若返っているでしょう。「生きていたならまた会いましょう」心が元気になりました。有難うございました。
投稿: ハコベの花 | 2023年4月 7日 (金) 21時44分
過去のコメントで
槃特様とひろし様の応戦に笑いが止まりません。笑うことのない日常でこんなにも笑えたのは何年ぶりでしょう。
ひろし様のコメントはいつも光ってました。
今は夜空の星となって光ってるのでしょうか。寂しいです。
世はイケメンブーム。
殿方が美人を好むように女達もイケメンにうっとりするご時世。うっとりして何が悪い。
佐田啓二や児玉清の残像に囚われていたが今は日替わりで若きイケメンに見惚れています。
ディーン藤岡、吉沢亮、生田斗真、山崎育三郎、佐藤健、他多数。
それにつけても古関裕而の数々の曲の素晴らしに感動、朝ドラ エールを懐かしく思い出します。
投稿: りんご | 2023年4月 8日 (土) 11時38分
久し振りにこの歌が登場し、迚も嬉しいです。
探し求めてやっと入手した中古CDの歌詞集のアルバム解説の1部を紹介します。(「既読」の方はご勘弁下さい。)
「発売盤の大多数がB面にカップリングされているのにも甘んじて来たこの歌姫は、出演控室でも、いつも控え目で、慎み深く、先輩後輩の誰からも、尊敬され、慕われていたのでした。芸能人に有り勝ちな自己顕示欲を毫も示さなかった彼女の純白のドレスに、鈴蘭を連想したのは、私ばかりでなく、野村俊夫は彼女のために「鈴蘭咲く頃」「鈴蘭かなし」を作詩し贈っています。」所謂B面歌手だったようですが彼女は意に介さなかったのでした。
「控え目で」「慎み深く」「自己顕示欲を毫も示さない」女性などは、今や絶滅危惧種かもしれません。尤も、女性だけのことではありませんね。常に自己主張していなければ無能と見做されるのがグローバルスタンダードですから。
作曲者の古関裕而は「映画の録音で、夜大船の撮影所のなかを、スタジオまで白い道が続いている。その淋しい静けさから生まれたメロディです」と語っています。
古関裕而の歌は大抵演歌っぽくなく、歌曲に通じる雰囲気があり、私は古賀政男より好きです。
「生きていたならまた逢いましょう」
馬齢を重ねると共に年年歳歳、益々、惻惻として胸を打ってくるようです。
投稿: ナカガワヒデオ | 2023年4月 8日 (土) 13時33分
ハコベの花様
3月7日朝日新聞天声人語欄にハコベの花が主題として綴られていました ペンネームの真意が一知半解かもしれませんし 又貴女様に失礼かとも存じますが 得心出来た思いです 夢見る男
投稿: 夢見る男 | 2023年4月 8日 (土) 14時27分
夢見る男様 我が家も朝日新聞ですが、昨日の新聞読みましたがハコベの話は載っていませんでした。東京本社発行なのですが残念です。私の勝手な想像ですが花は優しくても強くて手に負えないほどの花と書いてありませんでしたか。自分でもそう思って暮らして居ります。楽しいです。心は強くて気にいらない事をする夫を時々泣かせます。
投稿: ハコベの花 | 2023年4月 8日 (土) 17時52分