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2011年11月12日 (土)

忘れな草

(C) Arranged by FUTATSUGI Kozo



作詞:Domenico Furnò、作曲:Ernesto De Curtis
日本語詞:音羽たかし・あらかはひろし

君の愛なくば
この世に生きるかいなし
忘られぬ 君の面影
やさしそのまなざしを
いつの日にか再び
忘れな草を その胸に
君に捧ぐ 忘れな草を
胸に秘めし
この想いとどけと
悲しきその別れの日にも
忘れ得ぬこの花を
その想いを
(繰り返す…2回目の最後に「ああ」がつく)

  Non ti scordar di me

1. Partirono le rondini
   Dal mio paese freddo e senza sole
   Cercando primavere di viole
   Nidi d'amore e di felicita.
   La mia piccola rondine parti
   Senza lasciarmi un bacio
   Senza un addio parti.

2. Non ti scordar di me
   Ila vita mia legata e te
   Io tamo sempre piu
   Nel sogno mio rimani tu
   Non ti scordar di me
   Ila vita mia legata e te
   C'e sempre un nido nel mio cor per te
   Non ti scordar di me


《蛇足》 『オーソレミオ』や『サンタ・ルチア』『帰れソレントへ』などとともに日本人に古くから愛唱されたナポリ民謡です。
 民謡といっても作詞・作曲者ははっきりしており、作詞は詩人のD.フルノ、作曲は『帰れソレントへ』のデ・クルティスです。
1959年に西ドイツ(当時)で制作された同名の映画の主題歌に使われたので、記憶している人も多いと思います。

 タイトルの"Non ti scordar di me"は「私のことを忘れないで」という意味。ハイフンでつなげてnon‐tiscordardi‐méとすると、忘れな草という草花の名前になります。英語のforget‐menot、ドイツ語のVergissmeinnichtと同じですね。
 それで日本語詞の作詞者はタイトルも内容も忘れな草としたのでしょう。

 ただ、原詞にはスミレは出てきますが、忘れな草は出てきません。燕
(恋人)が愛と幸せのある巣を求めて暖かい地方に飛んで行ってしまった、けれども僕の胸にはいつでも君を迎え入れる巣があることを忘れないで、といった意味です。切ない詞ですね。

 サワリの部分が音が高くて歌いにくいかもしれません。

(二木紘三)

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コメント

今朝、勿忘草の種を蒔きました。春になれば空色の可憐な花が咲きます。忘れられない人や、忘れてはいけない人たちに出会えた喜びと悲しみのために、咲いてくれるのだと思います。この忘れな草の歌詞は素ばらしいですね。「君に捧ぐ 忘れな草を」この想い、貴方に届かんことを願いながら・・・・

投稿: ハコベの花 | 2011年11月13日 (日) 10時54分

1994年のサッカーワールドカップ=ロサンゼルス大会の前夜祭として、三大テノールのプラシド=ドミンゴ、ルチアーノ=パヴァロッティー(故人)、ホセ=カレーラスの競演によるコンサートが催されました。そのコンサートでパヴァロッティーが『忘れな草』を歌いました。当時私は米国に住んでいましたが、このコンサートは大変な評判になり、すぐにCDが発売されましたので、何枚か買い求めて日本の友人達に送りました。今でも時々このコンサートのCDを聞きますが、パヴァロッティーの歌声は素晴らしいです。私はこの曲の短調から長調に変わる『さび』の部分が好きです。『さび』と書きましたがパヴァロッティーはイタリア人でしたので、イタリア民謡は我々にとっての演歌のようなものだったかも知れないと思っています。

投稿: Yoshi | 2011年11月19日 (土) 16時05分

ドイツ映画「わすれな草」は45年程前、高校の定期試験で早く帰ったときに、たまたまテレビで放映していたのを観ました。

父親でオペラ歌手のマリーノ(フェルッチョ・タリアヴィーニ出演)
可愛らしいデノー少年
美しい妻エリザベート
ハンサムなロドルフ青年

が織りなす愛情物語でしたが、私はエリザベートとロドルフの交際を知ったマリーノが劇場で「わすれな草」を歌っているときにロドルフのもとへ行くエリザベートが劇場を出て行くところでデノー少年やマリーノの気持ちを考えると胸がいっぱいになりそれ以上観ることが出来ずテレビを消してしまいました。
終わる頃にもう一度テレビをつけ、そのときにライン河(?)の辺の小高い丘でマリーノがデノー少年とエリザベートと一緒にいて、曲は忘れましたが明るく歌っているのを観てほっとした気持ちになったのを覚えています。

日本語の歌詞はこのとき何かで調べて覚えました。

また、曲は違いますがリタイアを機会に昨年から独学でピアノを始めましたが、youtubeで piopareさんのちょっと悲しげな優しい調べのリヒナーの「勿忘草」を聞いて自分でも弾いてみたくなり楽譜を探して「エリーゼのため」と併せて練習しています。

投稿: ねむねむムサシ | 2012年1月27日 (金) 09時57分

Vergiss mein nichtを30年ほど前、やはりTV放映で見ました。確かWDRで、溝口や小津の白黒フィルムなどと共に一種の名作シリーズだったようです。独字幕付きの東京物語がそのまま日本語ですから嬉しいです。映画等日本文化紹介を他国よりドイツが盛んにするように思います、気のせいでしょうか。

筋を覚えていますが、ねむねむムサシさんがご覧になられなかった部分を含め、細部の勘所はすっかり忘れております。気の利いた台詞や女優の表情をしっかり覚えている名作もあるのですが…。ところで題名と草花との必然性はなかったような印象を受けました。メロディーは一寸せつなくて、戦前映画の雰囲気に溢れて好ましいですね。ナポリ民謡だとお聞きして、独伊枢軸文化なんてのを思いました。

投稿: TangoMinato | 2012年1月28日 (土) 05時00分

この歌詞でなく たぶん五十嵐キヨシ氏のものがあっつたと思います 65年ぐらい前 寒いこの国を 飛び立つツバメの群れよ すみれ咲く春を待たず 幸ある我が家求め 私を残してゆくの 別れの言葉もなく nonn ti scorudar di me 過ぎたあのころを 切ない思いを 胸に秘め non ti scrdar di me

投稿: 鈴木マリナ | 2012年3月25日 (日) 19時54分

暮れのある会合の休息中、サビナと言う知人が、母親がザビ-ネ・ベートマンのファンで、それをもじった名だと言いました。ベ-トマンは誰?と尋ねると、どうも、かつてTVで見た[忘れな草]の主演女優らしい。Sabineはドイツでしょっちゅう聞き、なるほどSabinaもありと納得。最もサビナの苗字はSnijdersですが…。

有名なイタリア・テノール歌手とザビーネの映画のハッピーエンドがおぼろに浮かびました。入室してきたザビーネを見てママと叫ぶ少年とザビ-ネに振りかえる太っちょの歌手、そんな場面だった。テノール歌手の歌う'古風'なオペラ絶唱に惹かれる古風な女優の表情。こんな古風な映画も珍しい、そんな印象の映画でした。 独伊の合作映画だったのかも…。

投稿: minatoya | 2014年1月 2日 (木) 08時37分

「忘れな草」は、まだYou-tubeでイタリア語版("Vento di Primavera")が視聴できますね(音がかなり小さいのが難ですが)。主題歌のイタリア民謡もルチアーノ・パヴァロッティほか、何種類かの音源があります。この映画にはこの年(1958)のドメニコ・モドゥーニョの大ヒット曲「ヴォラーレ」(アメリカではディーン・マーチン版で有名)も使われています。この作品は西独・イタリア・スイスの合作で、フィルムはドイツのアグファ・カラーではなく、やや赤っぽいトーンのイーストマン・カラーですが、いずれにしても、この時代のカラーは解像度では現在とは比べ物にならないものの、まるで絵画のような色彩美に酔わされます。場面をすべて掻っ攫ってしまうマッシモ(・ビビ)・ジュリアーニ少年(1951=昭和26年2月、ローマ生まれ)は当時の名子役の一人ですが、日本公開作はこれ一本きりでした。

投稿: 若輩 | 2018年2月12日 (月) 16時20分

「忘れな草」には、遠い昔の思い出と最近の思い出があります。
  もう、五十余年も前、社会人2年生のとき、私は会社の独身寮に同期生3人で起居を共にしていました。そのうちの一人が、熱狂的なカンツォーネ・ファンで、部屋でしょっちゅうカンツォーネを口遊んでいました。その中に、「忘れな草」もありました。歌詞はうろ憶えですが、♪寒いこの国を 飛び去る(立つ?)  燕の群れ すみれ咲く春を…♪という出だしで、前に、鈴木マリナ様がコメントされていた、五十嵐喜芳さんが歌っていた歌詞だったのだろうと思います。私も次第に感化され、幾つものカンツォーネを憶えたものです。
  時は経ち、8年ほど前、リタイア後の私は、地元の男声コーラス同好会で童謡・唱歌・歌謡曲・外国曲などを練習していました。そこで、男声2部合唱の「忘れな草」に出会いました。二木先生による記事の冒頭部分に記載されているとおりの歌詞で、先ず日本語で歌い、次いで、格好をつけて、原語(イタリア語)で歌いました。
  今は、コーラス同好会を退会していますが、「忘れな草」について思い出すとき、♪寒いこの国を 飛び去る燕の群れ…♪の歌詞の方が、なぜか、口をついて出てくるのです。

投稿: yasushi | 2018年2月14日 (水) 13時39分

昨夜から、ずっとこの曲を聞いています。
you tube で、タリアヴイーニやパヴアロッテイーも聞きました。
心が表われるような、澄んだ気持ちになっています。

ドイツの哲学者 マルテイン・ハイデツガーは、
『音は耳朶で聞くのではなくて心の耳で聴くのであり、色は肉眼で見るのではなくて 心の眼で観るのである。
そうすれば、聴くことと観ることは同じであり、そしてそれが考えること、すなわち思惟である。そして思惟することは感謝するすることである。』といってます。

今日も又 今から六甲に上がります。

心静かに、名曲を堪能できたことに感謝して・・・。

投稿: あこがれ | 2018年4月 5日 (木) 07時50分

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