俺は待ってるぜ
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作詞:石崎正美、作曲:上原賢六、唄:石原裕次郎
1 霧が流れて むせぶよな波止場 2 どらの響きも やるせなく消えて |
《蛇足》 昭和32年(1957)にリリース。
大ヒットしたので、兄の石原慎太郎がこの歌のイメージで脚本を書き下ろし、蔵原惟繕(これよし)の監督昇進第一作として映画化されました。
石原裕次郎は前年の主演デビュー作『狂った果実』でも主題歌を歌っていますが、これはまあ中ぐらいのヒット。この『俺は待ってるぜ』と半年後の『錆びたナイフ』の大ヒットで、歌手としての座を不動のものにしました。
映画は波止場、酒場、殴り合い、拳銃などが出てくる昭和30年代日活の定番作品の1つ。このあと、少しずつ筋書きの違う似たような映画が量産されました。昭和30年代末から東映が始めたヤクザ映画路線もそうですが、この超マンネリズムがいいんですね。見る前から筋書きがわかるから、安心して見ていられました。
この時代、日活が名作とか問題作で話題になったことはほとんどありませんでした。
戦前から昭和20年代までは、松竹映画の主題歌から多くのヒット曲が生まれましたが、その後は日活の独擅場。東宝、新東宝の映画から生まれたヒット曲は、ほとんど記憶にありません。東映はヤクザ映画路線から生まれた高倉健や藤純子のヒット曲が少しあるくらい。
日活スターのヒット曲といっても、石原裕次郎と小林旭の歌った曲が大半。赤木圭一郎や渡哲也も歌っていますが、ヒットしたのは1、2曲。
石原裕次郎が弟分の渡哲也が歌った『くちなしの花』を聴いて、「こんな体育会系の歌い方ではヒットするわけないよ」といったそうですが、案に相違して大ヒットとなりました。
裕次郎の予言は外れたわけですが、「体育会系の歌い方」とは実にうまい表現です。赤木圭一郎も渡哲也も、よくいえば男っぽい歌い方ですが、精一杯楽譜通りに歌っているという感じで、深みや余韻があまりなく、ヒットは曲の良さに助けられたといった面があります。
赤木圭一郎や渡哲也のファンのみなさん、ごめんなさい。
それでも、今のアイドル歌手の歌に比べれば、2倍ぐらいはうまいといっておきましょう。アイドル歌手は1人ひとりではお金を取れるような歌い方ができないので、グループで歌うことでごまかしているのではないかと思うことがあります。
(二木紘三)
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コメント
裕次郎は確かに文化系の歌い方のせいか、殆どの歌がヒットしましたね。私の年代だと裕次郎のデビュー当時
の映画も歌も知らないのに歌えてしまうのはヒットしたからでしょうね。
投稿: 海道 | 2011年12月 9日 (金) 17時26分
作詞の石崎正美さんの「名前は後にも先にも、これ1曲でしかお目にかかれない。当時、数多くあった投稿雑誌に掲載されていたものが、たまたま目にとまったもので、タイトルの新鮮さが印象的」で、3番まであった原詩は・・・・二コーラスに縮められ」、「原詩になかった部分」の『かわいいお前にゃ、いつまた逢える』が加えられた。「『中島さん、ワタシは絶対にこの歌を映画化するからね』レコーディングに立ち会った、水の江さんは大ヒットを予測してか、自信いっぱいに断言」。
映画の主題歌がレコーディングされるのが通常のケースであり、オリジナルのレコーディング曲がテーマになっての映画製作となると、非常に希有なものであった。
・・・・中島賢治「石原裕次郎 過ぎ去りし日々」(角川文庫)
投稿: 考古学者 | 2011年12月12日 (月) 18時49分
先週「幕末太陽伝」のデジタル修復版を見てきましたが、これは映画全盛期の昭和32年の作品。若き日の石原裕次郎を見て、当時映画館をでると、自分が裕次郎になった気分で、「俺は待ってるぜ」「ジャックナイフが・・・」などと口ずさんだことを思い出しました。
投稿: nemukin | 2011年12月31日 (土) 14時27分
裕次郎のヒット曲はたくさんありますが、中でもこの「俺は待ってるぜ」は、エコー効果が素晴しく、裕ちゃんの胸の中で響くような歌声に男らしさと切なさを感じさせてくれました。裕ちゃんは、どこかいいとこの坊ちゃん風な雰囲気と爽やかさがありましたね。
投稿: 吟二 | 2012年1月12日 (木) 20時36分
このブログサイトを、友人から教示されて初めて訪問しました。一覧を見ると本当に多くの楽曲がアップされていて、又解説がすばらしい!なかなか唄の経緯や時代背景を解説音楽を聴いていても又今までと違った感覚で聞くことができますね。お気に入りに登録して時々訪問したいと思いますので宜敷願います。
投稿: jk8edv | 2012年1月25日 (水) 08時35分
偶然に見つけました。私の青春の想いが甦ってきました。有難うございました。
投稿: 木内久平 | 2012年4月11日 (水) 09時30分
私は高校時代(S33~S36)おとなしく真面目なほうでした
カッコつける不良っぽい悪ガキ(?)たちが裕次郎をはじめマヒナスターズ、フランク永井などの曲を歌っていました そんな連中を羨ましくも思っていたものです
社会人になってふとこの歌に接し、当時覚えなかったけどとても懐かしくすぐに飛びついたのです 音程の幅が小さくて歌いやすいのと、カラオケで歌っても2番までしかないので早く終わるから楽だったのです と言いながら70歳に手の届いた今となっても口ずさめる歌の一つになっています
ちなみに私は理科系でしたが、歌を文科系・理科系・体育系的に分類するなんて興味深く拝読しました
投稿: くろかつ | 2012年7月 4日 (水) 07時00分
日活映画スター全盛期の石原裕次郎の映画は見たことがない。というのは私は一世代ずれている年下の世代だからです。しかし彼の「いかすぜ」とか「オレはまってるぜ」という口調はおぼえています。
小学生当時、私は長屋に住んでいて、隣に由美ちゃんという きれいな中学生のお姉さんがいた。通学路が途中まで同じなので、毎日30分ほど一緒に話をしながら通うのが楽しかった。淡い恋心がめばえていたのかもしれない。
その由美ちゃんがある時、お父さんからこっぴどく叱られ、叩かれて、泣いていたことがあった。長屋だから隣のいさかいは、つつぬけです。裕次郎のファンだったらしく、「この不良娘が、出て行け!」とののしられていた。映画を見に行ったのか、ブロマイドを集めていたのか、こまかい事情はわからない。由美ちゃんの家は、お母さんが再婚で、お父さんは本当のお父さんではないと聞いていた。それで、私は義理の子だからきつく当たるのか、それとも裕次郎のファンになることがそんなにいけないことか何日か考え込んだことがあった。
今となっては映画俳優のファンになることが不良だなんて、笑うしかない話だが、そういう時代があったんですね。その由美ちゃんは結婚して、遠く和歌山に住んでいると風のうわさに聞きました。裕次郎といえば思い出す話です。
投稿: 音乃(おとの) | 2012年11月23日 (金) 03時18分
昔は俳優と歌手の線引きが今よりはっきりしていました。
だから歌う銀幕スターなどと言われました。
裕次郎さん、渡さん、赤木圭一郎や藤純子、梶芽衣子などに共通するのは音符の高低が少なく、曲が1オクターブ内で収まっているから安心して聞こえ、また、誰もがまねてそれなりに歌う事ができたのがヒットの1要因だと考えます。
投稿: 星野ヨシヒロ | 2015年2月12日 (木) 08時18分
二木先生が本曲『俺は待ってるぜ』の一つ手前『俺はお前に弱いんだ』の解説で「俳優としてよりも、むしろ歌手としての成功…トップクラスの歌手も顔負けするほど多くのヒット」と書かれていた通り、石原裕次郎が戦後歌謡史に残した足跡は大したものです(好みの曲は『赤いハンカチ』です)。
本曲を始め、『アキラのダンチョネ節』『ギターを持った渡り鳥』『さすらい』『南国土佐を後にして』『ダイナマイトが150屯』・・・昭和30年代は日活の独断場でした。邦画五社・六社(五社+新東宝)全盛と言われた時代は遠い昔話です。
投稿: 焼酎百代 | 2016年11月18日 (金) 23時35分
高校生のころ、裕次郎が流行りました。同じ寮に大学生がいて、「石原裕次郎はうまい。」と言い合っていました。私はあまり興味がなく裕次郎よりほかの人に関心がありました。
もうそのころから裕次郎は人気を博していたのだと思います。昭和35~37年の頃です。
投稿: 今でも青春 | 2016年11月19日 (土) 20時44分
東京豊島区音羽にあった三流小屋(映画館)は、少し遅れた映画を安く、三本立てで上映していました。ある日、当時人気が出ていた丸山明宏(現在の美輪明宏)が幕間に出て「メケメケ」を歌いました。細い体に眉と美しく化粧した眼が印象的でした。心は女なんだろうけど、ある意味で男らしい凛としたゲイだなという印象でした。そんな頃だったと思いますが、映画の幕間に必ず裕次郎の歌が流れました。「霧が流れて 咽ぶよな波止場…」。この歌を聴くと、あの日の三流小屋が思い出されます。
投稿: 吟二 | 2021年2月13日 (土) 23時38分
「俺は待ってるぜ」私が物心ついたころにはすでに大スターだった裕ちゃんのこの歌は、幼いころからの名残りなのか、長年が経った今でも昔の幼いころを想い出しながらつい口遊んでしまう私の大好きな一曲です!
『全国からテイチクに寄せられた投稿の中に「俺は待ってるぜ」という詞があり、萩原四郎文芸部長が筆をいれて字脚を揃えた。”裕ちゃんにこれを歌わせるんだ”と言うとデレクター連中が猛反対、”責任は俺が負うから”と説得、新人の上原賢六に作曲させた。結果は見事、起死回生の一発となり、上原の出世作となった。しかし石崎正美の詞はたった千円で買い取られた。・・・』(石原裕次郎の世界より抜粋)
「俺は待ってるぜ」当時中学生だった我が家の長兄は、幼い私をつれて歩きながらいつもこの歌を口遊んでいました。私が生まれ故郷の伊万里に住んでいた四歳のころのことですが、当時の光景は今でもハッキリと憶えています。
投稿: 芳勝 | 2023年3月 8日 (水) 17時08分