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2012年4月11日 (水)

カロ・ミオ・ベン

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:不詳、作曲:Tommaso Giordani、日本語詞:堀内敬三

わが夢 わが歌
そは君 ただひとり
君こそ つきせぬ 愛の泉
淋しきこの胸の
こよなき なぐさめ
暗路に見出し 光よ
わが夢 わが歌
そは君 ただひとり
心に抱きて
とこしえに 放たじ

Caro Mio Bén

Caro mio bén,
Credimi almén,
Sénza di te
Languisce il còr,

Caro mio bén,
Sénza di te
Languisce il còr

Il tuo fedél
Sospira ognór
Cessa, crudél,
Tanto rigór!
Cessa, crudèl,

Tanto rigór,
Tanto rigór!

Caro mio bén,
Credimi almén,
Sénza di te
Languisce il còr,

Caro mio bén,
Credimi almén,
Sénza di te
Languisce il còr

《蛇足》 アリアとしてもナポリ民謡としてもよく歌われる有名な曲です。
 作曲者は長い間ジュゼッペ・ジョルダーニ
(Giuseppe Giordani 1743-1798)とされてきました。しかし、『イタリア歌曲26曲集(26 Italian Songs And Arias)』を編纂したイギリスの音楽学者ジョン・G・ペイトンは、実際の作曲者はジュゼッペの兄のトンマーゾ・ジョルダーニ(Tommaso Giordani 1730-1806) であるとしています。’The Nanki Music Library’にTommasoの名前でその楽譜があるからだといいます。

 ’The Nanki Music Library’は、徳川頼貞(紀州徳川家の第16代当主)がイギリス留学中および帰国後に収集した音楽資料を収蔵した「南葵(なんき)音楽文庫」(正確には南葵文庫内の音楽資料集)のことで、第一級の音楽資料集として世界的に知られています。

 しかし、ほとんどの楽譜や演奏会のプログラムには、作曲者は今なおジュゼッペと書かれています。JASRACのデータベースには、ジュゼッペが作曲者だが、トンマーゾ説もあるといった感じで記載されています。

 ジョルダーニ兄弟はナポリの裕福な家に生まれ、父親も作曲家でした。父親の名前もジュゼッペだったため、次男はジョルダネッロ(Giordanello)と呼ばれていたそうです。小ジョルダーニといったところでしょうか。

 一家は1752年にロンドンに移住します。兄弟はそこで音楽活動を展開しますが、ジュゼッペはまもなくナポリに帰り、そこで作曲活動を行います。多くのオペラや聖歌、オラトリオなどを作曲し、当時のイタリアで最もよく知られた作曲家になります。
 いっぽう、兄のトンマーゾは、ロンドンのコヴェントガーデンやロイヤルシアターで演奏するほど成功しますが、1764年にアイルランドの首都ダブリン移住、アイルランド音楽界を主導する重鎮になりました。一時ロンドンに戻りますが、数年でダブリンに帰り、そこで生涯を終えました。

 ナポリに帰ったジュゼッペが兄の作曲した『カロ・ミオ・ベン』をコンサートで紹介したことから、それが彼の作品と思われるようになってしまったのではないでしょうか。

 さて、歌の内容ですが、Caro Mio Bénというタイトルだけを見ると、女性が男性に思いを訴える歌のように思えます。caroは男性名詞に係る形容詞、mioは男性名詞に係る所有代名詞であり、bénは善、財産、幸福、愛情などを意味する男性名詞béneの語末を省略したものだからです。 
 ところが、ここがややこしいところですが、男性名詞だから男性を意味するとはかぎりません。béneは要するに「貴重なもの」という意味ですから、女性を指すこともあるし、子どもやペットなどを指す場合もあります。

 詞のなかにIl tuo fedélが出てきますが、ilは男性名詞にかかる定冠詞、tuoは男性名詞に係る所有代名詞です。fedélはfedéleの語末を省略したもので、英語のgoodと同じ形容詞ですが、信者とか教徒を意味する名詞でもあります。男性名詞ですが、男性だけでなく、女性も含まれます。
 本来は一般的な信者ではなく、カトリック信徒を指す固有名詞的な言葉ですが、ここでは信奉者というような意味で使われていると見てよいでしょう。

 こう見てくると、私たちはCaro Mio Bénは当然男が女をかき口説く歌と思い込んでいますが、歌詞だけ見れば女性が男性の不実を嘆く歌ととることも可能です。そこで、お遊びに女性版を作ってみました。


   愛しい私の恋人よ
   これだけは信じてよ
   あなたなしでは
   私の心は衰えるばかりだって

   私の愛しい人よ
   あなたなしでは
   私の心は砕け散りそうなの

   あなたの信者は
   いつもため息ついているのよ
   やめてよ、残酷な仕打ちは
   あんまりひどいじゃないの
   やめてよ、つれないことは

   あんまりよ
   あんまりだわ
 (以下省略)

(二木紘三)

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コメント

高校の音楽の時間にわけも分らず「カロミオベン、クレディミアルメン」とうたっていました。男性の恋の歌とばかり思っていましたが、女性の歌とも取れるとは驚きです。女性がうたうとしたらとしたら、マリア・カラスの扮する王女メディアのような激情の女に似合いそうですね。

投稿: Bianca | 2012年4月18日 (水) 19時56分

「カロ・ミオ・ベン」といえば、高校の音楽室から聞こえたやや硬いソプラノを思い出します。ある時期の放課後、毎日のように練習しているのを聴いて、意味も解らないままこの歌を覚えました。その人は「闇路」(ほととぎす)も歌っていました。女子生徒の少ない高校でしたのに、その歌声のぬしが未だにわかりません。謎が謎でなくなるとつまらないので、確かめずにおくのが良いのかも…と最近は思っています。

投稿: nobara | 2012年7月 4日 (水) 09時19分

先ほど「闇路」と書きましたが、『暗路(やみじ)』が正しいようです。失礼いたしました。

投稿: nobara | 2012年7月 4日 (水) 10時06分

「追憶」の美しい歌詞を書いた古関吉雄…エスペラント…「Ekirinte al Bembaŝa」(古き愛の歌)…その歌詞の一部の「 Bonan tagon, karulin'」「mia kara」…カロ・ミオ・ベン。
散漫な私の頭の中では、深い意味も解らないままCとKの区別もなく、連想ゲームのように繋がってこのページを開いてしまいました。本当に余計なことですが、明治生まれの祖母の愛犬の名は「カロ」。愛しいものとして呼んでいたようです。

投稿: nobara | 2012年7月13日 (金) 20時06分

私は高校の音楽の独唱テストで歌いました。当時は教会音楽か同種の歌だと思っていたのでできるだけ重々しく歌ったのですが、歌詞を見て・・・疲れました。

投稿: oTetsudai | 2012年7月14日 (土) 05時14分

懐かしいです。高校の教科書にありました。あのころのことがよみがえってきます。毎日91才になる父に電話をして、おしゃべりをして、最後に歌をうたってもらっています。昨日の歌は、洒落男でした。そこで、歌詞をわすれたというので、このサイトに到着。父には友達にプリントをお願いして歌詞をおくりました。年をとってもコンピューターがつかえるとたすかりますね。

投稿: お正月 | 2012年8月17日 (金) 02時19分

>・・・当時は教会音楽か同種の歌だと思っていたのでできるだけ重々しく歌ったのですが、歌詞を見て・・・疲れました。

無茶ですが教会音楽っぽく歌詞つけました。

我が子よ
主を信じよ
主よ、あなたなしで
生きて行けない

我が子よ
主を信じよ
あなたなしで
生きて行けない

僕(しもべ)は
弱音を吐き
悲しいかな、道迷い
ただ厳しく
だだ果てなし

ただ厳しく
だた果てなし

我が子よ
主を信じよ
あなたなしで
生きて行けない

我が子よ
主を信じよ
あなたなしで
生きて行けない

投稿: oTetsudai | 2012年8月22日 (水) 07時31分

 相変わらず、毎晩、お世話になって、素晴らしい伴奏で、歌わせて頂いております。
 カロ・ミオ・ベンを久しぶりに、イタリア語で歌ってみました。 
 2番目の歌詞が、一行、抜けていることに気が付きました。一節目と全く同じでよいと存じます。
 いつも、間違いの指摘ばかりで申し訳ございません。
 毎晩、一時間、お世話になっていることでお許しください!
       千葉市 井尻 賤子 80才

投稿: 井尻 賤子 | 2014年8月 1日 (金) 15時35分

井尻 賤子様
お知らせありがとうございました。
しかしながら、2種類の楽譜をチェックいたしましたが、歌詞に落ちはありませんでした。また、ホセ・カレラスの歌とも照合しましたが、やはり落ちはありませんでした。
(二木紘三)

投稿: 管理人 | 2014年8月 1日 (金) 17時10分

井尻 賤子様
追伸:
第1節の最後「il còr」のあと、4拍分待ってから第2節の3行をお歌いください。そうすれば伴奏と合うはずです。
(二木紘三)

投稿: 管理人 | 2014年8月 2日 (土) 00時29分

私も、「カロ・ミオ・ベン」を、学校音楽で学びました。Bianca様やnobara様と同様、意味も分からずに、イタリア語で歌っていました。(教科書には日本語の歌詞は載っていなかったと記憶)
 その後、社会人になってからは、この歌に接する機会は殆どなくなってしまいましたが、二木先生のブログに掲載のイタリア語の歌詞を辿るうちに、当時習った歌詞が甦りました。

投稿: yasushi | 2018年5月10日 (木) 13時25分

高校で、歌詞の意味は全く知らないまま、老教師のピアノにあわせてカタカナ書きイタリア語で何回か歌いました。

 それから十数年後、よほど気分がのっていたのか、この曲を鼻歌で歌いながら仕事をしていたことがありました。
「鼻歌までクラシックなんて、さすが文化課!」 とアルバイトにきていた女の子が言ったと、あとで聞きました。彼女はモディリアーニが描いた少女のようにほっそりしていて、バレエ団に属していたとのこと。 ほかの歌が思い浮かばなかっただけですが。

ただそれだけです。お恥ずかしい。

投稿: Kirigirisu | 2022年9月25日 (日) 21時59分

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