東京ナイトクラブ
(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo
1 (男)なぜ泣くの 睫毛(まつげ)がぬれてる (間奏) |
《蛇足》 吉田正は『異国の丘』の作曲者と判明したのを機にプロの作曲家になり、ヒット曲を連発しました。ところが、一時期スランプに陥り、新しい曲想が浮かばず悩んでいました。
そんな吉田を〝夜の世界〟に導いたのは、鶴田浩二でした。鶴田は昭和20年代から30年代にかけての大スターで、ブロマイドの売れ行きや人気投票でもダントツのトップを保っていました。最盛期には、他の主演級俳優の2倍近いギャラをもらっていたといいます。
吉田はもともと堅物だったのに加えて、20代初めに徴兵され、敗戦後はシベリアで抑留生活、帰国後すぐ流行作曲家になってしまったので、いわゆる〝遊び〟を知りませんでした。
そんな吉田を、鶴田は銀座あたりの超高級クラブに連れていきました。鶴田の友人で、吉田自身も有名人とあっては、モテないはずがありません。吉田は鶴田によって夜の悦楽の世界を知ったわけです。
吉田正独特の都会調ムード歌謡は、こうした体験のなかから生まれたものといってよいでしょう。
この曲もそうした作品の1つで、昭和34年(1959)7月に、フランク永井と松尾和子のデュエットで、日本ビクターから発売されました。松尾和子+和田弘とマヒナスターズによる『グッド・ナイト』のB面でしたが、両方とも同じように大ヒットとなりました。
タイトルのナイトクラブですが、キャバレーとはどう違うのでしょうか。酒を飲みながらショーを見たり、ダンスをしたりする場所という点は共通していますが、ナイトクラブは、正式には女性同伴で行く場所のようです。
しかし、実際にはナイトクラブに女性を連れていく人は少ないのではないのでしょうか。キャバレーよりナイトクラブのほうが少し上等な感じがするだけで、横にホステスが侍ってサービスするという点は同じです。
私は昔から紅灯の巷が苦手で、キャバレーやナイトクラブに自分の意思で行ったことは一度もありません。出版社の接待とか仕事がらみ、友人たちに誘われたときぐらいで、行っても、いつも(早く帰りたいなあ)と思っていました。
苦手とするいちばんの理由は、ホステスとどんな話をしたらいいかわからないことです。女性と話をするのが苦手なわけではなく、自分が好意をもっている女性や、私に多少なりとも関心か好意を抱いているらしい人とはいくらでもしゃべります。しかし、お金の反対給付として横に座っているにすぎない、何者とも知れない女性と何を話したらいいのでしょう。
そこで、ほとんどしゃべらずにいると、ホステスさんは「コチラ、お静かね」といって片手を私の膝に乗せ、体は反対側に座っている男のほうに向け、彼とだけしゃべっています。
これは静かでいい人ね、と褒めているわけではありません。昔からあるホステス隠語で、「おもしろみのないツマラナイ男ね」という意味です。それでも客は客ですから、あなたに気があるのよと錯覚させるために片手で身体接触をはかるのです。
私は、そうした風俗は多少知っていたので、ホステスさんの手を礼儀正しく外し、ひたすら宴果てるのを待ちます。これではモテるわけはありませんね。
直木賞作家の長部日出雄さんは、「コチラ、お静かね」と何度いわれたかわからないが、酒と夜の世界が好きなので、懲りることなくホステスのいるバーだかクラブだかに通った、と何かに書いていました。
ホステスや、さらにもっとディープなサービスをする女性たちは、女性の最も女性的なる部分で仕事をしているわけですから、彼女たちに好かれる男性がほんとうにモテる男性といえるかもしれません。
(二木紘三)
コメント
恋人以上のムードで「かけあい」を披露してくれた名曲だと思います。是非歌い継いで欲しい一曲です。
投稿: 海道 | 2012年5月24日 (木) 13時48分
二木先生の紅灯の巷についての記述を読んで思わず笑ってしまいました。というのも小生も先生と同じような経験や感想をずっと持ち続けていましたので。若い頃、会社の先輩等に連れられて行ったり、取引先の接待などで時折行きましたが、男は何が面白くてこんなところへ行くのだろうという疑問は現在まで続いています。勿論、擬似恋愛を楽しんでいるのだという事はわかりますが、金を払ってまでそんなことを楽しみたい気持はわかりません。人と酒を酌み交わすなら違った楽しみ方をしたいと思うほうです。とはいいながら、もしこの歌のような雰囲気で女性と酒を飲めるなら、それはそれで楽しいのかもしれませんね(笑)
投稿: うずらのたまご | 2012年5月24日 (木) 15時38分
いい歌ですね!
友人たちとのカラオケでのデュエットでは断然この曲!
音域は歌い易いように11度で狭く、もてない男もこのときだけはヨイショと主役にされていい気分に必ずなれます。
フランクは進駐軍でみかん箱いっぱいネクタイを貰ったと流行があってもずーと巾の狭いネクタイを、そして数々のヒット曲より寧ろ低いソフトな声でのスタンダード・ジャズがベリー・グッドだったと。
松尾和子はハスキー・ボイスと言われ「グッド・ナイト」「誰よりも君を愛す」よりも、鈴木章治とピーナッ・ハッコウの名演奏で一世を風撫してザ・ピーナッも歌っていた「鈴懸の径」が一番心に残っています。
関連するそんな忘れかけていた思い出を手繰り寄せられた「東京ナイトクラブ」を、ありがとうございました。
投稿: 尾谷光紀 | 2012年6月26日 (火) 23時22分
久しぶりに貴兄のHPを訪問させていただきました。全く同感で、上の方と同じで、思わず笑ってしまいました。
投稿: 林 藤孝 | 2012年6月28日 (木) 21時44分
先生のこのサイトで3人作詞家を選ぶとしたら、川内康範、佐伯孝夫、阿久悠をあげたい。3人とも詞に内容があり次に来る歌詞が想像出きると思えば意味は同じでも言葉使いが新鮮であり、見事です。作曲家にも恵まれたとは言え詞の強さは秀逸だと思います。
投稿: 海道 | 2012年12月29日 (土) 14時06分
今車にはフランク永井さんのCDがセットされています。この曲は好きな永井さんと松尾さん(再会が好き)の両方が聞けてグッドです。ナイトクラブとキャバレーはかって日本人には同じものだったと思います。昭和の40年代初め接待でよく赤坂のミカドに行きました。オーナーチェンジした後でしたが、広いホールで大体が和服のホステスさんと踊りました。11時近くになるとお客を送るため大手町のおなじみのハイヤー会社に電話をするのがペーペーの私の役目でした。ミカドも月世界もミナミの富士も皆跡形もありません。銀座や新地のクラブは踊るにもボックスしか出来ずナイトクラブとは呼びませんでした。坂の上の雲を見つめていた時代のことです。
投稿: しょうちゃん | 2015年4月 8日 (水) 22時44分