また逢う日まで
(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo
1 また逢う日まで 逢える時まで |
《蛇足》 昭和46年(1971)3月にリリースされ、大声量とビートのきいた歌唱で音楽ファンを魅了、100万枚近い売り上げを記録しました。同年の第13回日本レコード大賞と第2回日本歌謡大賞でいずれも大賞を受賞。
この年はアポロ14号が月に着陸し、日清食品がカップヌードル第1号を発売し、「糸(繊維製品)と縄を交換した」といわれた沖縄返還協定の調印が行われた年でした。
尾崎紀世彦の長いもみあげとバタ臭い風貌が話題になりましたが、これは父がイギリス人と日本人のハーフ、母が日本人というクォーターのため。もっとも、ハーフやクォーターだからといって、バタ臭い顔立ちにはなるとはかぎりませんが。
平成24年(2012)5月31日、ガンのため、東京都港区の病院で亡くなりました。享年69歳。「昭和」がまた1つ去りました。
(二木紘三)
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コメント
昭和46年は私は流行に敏感な高校生。カップヌードルの試食販売時も友人と銀座の歩行者天国にわざわざ食べに行きました。尾崎紀世彦の歌は、知人の車の助手席で、8トラックでよく聞きました。このカセットはエンドレスに何度も繰り返し演奏する構造になっていたため、今でも何曲かが耳に残っています。それまでの歌手とは声量が違っていて、やはりクォーターは違う(?)と感じたものです。一度だけ知人に誘われて尾崎紀世彦のディナーショーを見に行きましたが、もう27年も前のことです。
投稿: Yoshi | 2012年8月15日 (水) 09時50分
本当にいい歌ですね。
6/5読売時事川柳欄に、友人の川柳作家・田中蛍柳氏の
また逢う日まで いい歌を ありがとう
が掲載されていたのを見て、6/21恒例の『蛍池福祉コンサート』のラストにこの曲を演奏して全員で歌いました。
当日は田中氏もお出でになり紹介をして、彼の川柳会のPRもされて大変盛り上がりました。
この句をヒントにして、6歳の男の子の臓器を提供されたご両親たちそしていただかれた方々のお気持ちを
ありがとう パパママぼくは 千の風
と詠んで秀句として6/19に掲載されました。
尾崎紀世彦氏・阿久 悠氏を思い浮かべ、そして筒美京平氏の更なるご活躍を念じております。
投稿: 尾谷光紀 | 2012年8月16日 (木) 22時11分
二木先生、早速、希望を叶えて頂き有難うございます。この歌のがヒットした訳は、歌詞が男女の別れという、ともすれば暗く湿ったものになりがちな題材を扱いながら、曲の持つリズムと尾崎の歌唱力によって、過去からの旅立ちを予感させる力強さを持っていることにあるのではないかなと思ったりもします。それとこれは僕の想像ですが、尾崎紀世彦という人物はその雰囲気もさることながら、何か人間嫌いなのではないか、特にドロドロした日本の芸能界などには馴染めなかったような気がします。
投稿: うずらのたまご | 2012年8月17日 (金) 01時33分
とても魅力的な記事でした!!
また遊びに来ます!!
ありがとうございます。。
投稿: 履歴書の学歴 | 2012年8月21日 (火) 11時21分
この曲は、盲学校同窓会100周年記念の祝賀会で演奏した曲の一つです。
編成は、ベース、サックス、フルート、トランペット、キーボード、リズムマシンでした。
私はそのうちの、キーボード(ピアノでバッキング)と、リズムマシンを担当しました。
曲を聴きながら、ドラムのパートを、なるべく忠実にコピーしようとがんばって見ました。
ローランドの、TR-909と言う、何年も前の機械です。
いくつかのパターンを個別に作り、それを組み合わせると言う、ちょっと骨の折れる作業でしたが、何とかなった見たいでした。
キーボードは、トランスポーズがあったので、ズルをして、全てハ長調にして、バッキングをやりました。
何回か、福岡のスタジオに集まって練習し、本番では、キーボード、スタンド、リズムマシンを抱えて、船とバスを乗り継いで、長崎まで行きました。
大変でしたけど、今は楽しい思い出になっています。
投稿: 殿川 | 2012年10月10日 (水) 00時29分
最初のビートで曲がった腰が踊りだし「尾崎さ~ん!」とメロメロに腰砕けです。
めざまし時計には危険でしょうか? 心臓も弱くなって、食事量も減りました。
気概は人が生み出したもの。リズム、呼吸は宇宙に備わっているもの。
この身が煙突の煙に変わるときは、このリズムでこの歌を歌いながら昇りたい。
投稿: クロモミジ | 2012年12月 3日 (月) 14時47分
20年ぐらい前に長野駅の近くの店で尾崎紀世彦さんに会いました。マスターの知り合いで「24時間テレビ」の仕事とのことで、カントリーを弾き語りで2曲ほど歌ってくださいました。偶然会った酔っ払いの私たちにも丁寧に接してくださいました。「また逢う日まで」の印象とは違った落ち着ついた雰囲気の方でした。
投稿: みなみいちろう | 2013年4月15日 (月) 16時42分
(文中一部敬称略)
今日、日本プロゴルフ界のレジェンド、「ジャンボ尾崎」こと尾崎将司(尾崎正司、1947~2025/享年78、以下「ジャンボ」)の訃報が飛び込んできました。
野球の長嶋茂雄(1936~2025)、サッカーの釜本邦茂(1944~2025)に続いて「戦後80年」のスポーツ史にその名を刻んだスターの訃報には私も絶句するばかりです…。
さて本題に入りますが、「ジャンボ尾崎と尾崎紀世彦(1943~2012)は同姓だけで何も関係ないやろ」と思われる方もいらっしゃるでしょうが、不思議なことにジャンボと紀世彦の人生にはなぜかリンクしている箇所が結構あるような気がしたので、私の思いつくがままに以下のようにまとめてみました。
【1964】
ジャンボ:徳島・海南高校3年。同校が春夏通じて甲子園初出場となった第36回センバツにエースとして登板し同校を初優勝に導く。
紀世彦:当時「ヒロ・ハワイアンズ」というアマチュアハワイアンバンドに在籍。かつて紀世彦の母親がダンシングチームの一員として立った東京有楽町・日本劇場(日劇)のステージを踏む。
【1965~67】
ジャンボ:65年西鉄ライオンズ(現・埼玉西武ライオンズ)に入団するも2年後自らプロ野球生活に見切りをつけ退団。
紀世彦:65年「ジミー時田(時田圭介、1936~2000)とマウンテンプレイボーイズ(★1)」の一員として芸能界デビューするもこちらも2年後時田の渡米に伴い解散。
【1970】
ジャンボ:JPGAプロテストに合格し正式にプロゴルファーとしてデビュー。
紀世彦:『別れの夜明け』(作詞:山上路夫(1936~)、作曲:筒美京平(渡辺榮吉、1940~2020))でソロ歌手としてデビュー。
【1971】
ジャンボ:第39回日本プロゴルフ選手権(会場:宮崎県宮崎市・フェニックスCC(★2))で初優勝、同大会を含めJPGAツアーで5勝を挙げる。
紀世彦:2ndシングル『また逢う日まで』で史上初となる『輝け!(第2回)日本歌謡大賞』(会場:東京新宿・京王プラザホテル、テレビ中継:東京12チャンネル(現・テレビ東京)・名古屋テレビ(★3)・毎日放送(★3)(★4)など)&『(第13回)輝く日本レコード大賞』(会場:東京有楽町・帝国劇場、テレビ中継:TBS・CBCテレビ・朝日放送テレビ(★4)系)のW受賞及び『(第22回)NHK紅白歌合戦』(会場:有楽町・東京宝塚劇場(★5)、放送中継:NHK総合テレビ・NHKラジオ第一放送)初出場。
【1987】
ジャンボ:「アサヒ生ビール」(アサヒビール)CMにライバルであり盟友でもある先輩・青木功(1942~)と共演。
紀世彦:同年リリースの28thシングル『サマー・ラブ』(作詞:なかにし礼(中西禮三、1938~2020)、作曲:井上大輔(井上忠夫、1941~2000))が上記「アサヒ生ビール」CMソングに使用される(同曲はジャンボ尾崎及び井上(セルフ)もカバー)。
【2012】
ジャンボ:日本人ゴルファーとしては樋口久子(1945~)、青木、岡本綾子(1951~)に次いで史上4人目の「世界ゴルフ殿堂入り」を果たす。
紀世彦:5/30死去(享年69)、同年12/30開催の『第54回輝く日本レコード大賞』(会場:東京渋谷・新国立劇場、テレビ中継:TBS・CBCテレビ・毎日放送系)にて「特別功労賞」を受賞(同賞は森光子(村上→岡本→村上美津、1920~2012)、ザ・ピーナッツの伊藤エミ(伊藤→澤田日出代、1941~2012)、ハナ肇(野々山定夫、1930~93)とクレージーキャッツの桜井センリ(桜井千里、1926~2012)、ぴんから兄弟の宮史郎(宮崎芳郎、1943~2012)らも同時受賞)。
他にも両尾崎が転身するきっかけとなった人物の下の名前がどちらも「悠」(ジャンボ:花井悠(1932~2007/元西鉄外野手、朝日放送テレビ・ラジオ野球解説者)、紀世彦:阿久悠(深田公之、1937~2007))だったり、ジャンボ擁する海南高校Vから8年後(1972)、紀世彦の『また逢う日まで』が開会式入場行進曲(編曲:辻井市太郎(1910~86))に起用された第44回センバツで初優勝した東京・日大櫻丘高校の長身エース・仲根正広(1954~95/のち近鉄→中日)が尾崎将司に肖って「ジャンボ仲根」と呼ばれるなど、ジャンボ尾崎と尾崎紀世彦にまつわるエピソードにはいとまがありませんが、この辺りでやめたいと思います。
最後に、尾崎将司さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。
【★注】
(★1)紀世彦の加入前には、寺内タケシ(寺内武、1939~2021)や、のちザ・ドリフターズのいかりや長介(碇矢長一、1931~2004)もメンバーだった時期あり。
(★2)初優勝から四半世紀後(1996)、ジャンボは同コースで開催の『第23回ダンロップ・フェニックストーナメント』(テレビ中継:毎日放送・宮崎放送・CBCテレビ・TBS系)で同大会初の3連覇及びプロ通算100勝を達成。
(★3)当時、テレビ愛知とテレビ大阪は未開局。
(★4)1975年3月30日までは、毎日放送がNETテレビ(現・テレビ朝日)・東京12チャンネル系、朝日放送テレビがCBCテレビ・TBS系だった(いわゆる「腸捻転ネット」)。
(★5)初代(1934~97)。『NHK紅白歌合戦』では、第7・8(1956~57)・10(1959)・12~23(1961~72)回にて使用。
投稿: Black Swan | 2025年12月24日 (水) 22時35分