森の小径
(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo
作詞:佐伯孝夫、作曲・灰田晴彦、唄:灰田勝彦
1 ほろほろこぼれる 白い花を |
《蛇足》 昭和15年(1940)10月に日本ビクターから発売。
淡い初恋の記憶を懐かしんでいる という設定ですが、メロディが闊達なため、感傷はあまり感じられません。淡々と往時を回想しているといった感じです。
前奏の後半と2番のあとの間奏にワンコーラス分のメロディが入っています。
作曲者の灰田晴彦は本名灰田可勝(よしかつ)で、勝彦(本名:稔勝〈としかつ〉)の兄。のちに灰田有紀彦と改名します。JASRACのデータベースには、灰田有紀彦の名でこの歌の著作権が登録されています。
(二木紘三)
コメント
大好きな歌が入ってとても嬉しいです。この歌が良いのは歌詞が短い事です。少ない言葉の中に恋をする喜びや嬉しさが一杯詰まっていることです。何にも言わずにいつか寄せた・・初恋のつつましさが表れています。胸がいっぱいになって涙ぐむ純粋さ、こんな素敵な青年が恋人だったら・・・もう一度若くなって出会ってみたいものです。
投稿: ハコベの花 | 2012年9月15日 (土) 00時01分
高原の旅愁と同じ昭和15年の歌ですがこの歌は生まれる前から知っていたように感じます。佐伯孝夫の格調高いそして歌い易い詞に洋風のメロデー鈴懸の径も好きです。
投稿: 海道 | 2012年9月15日 (土) 07時01分
この名曲がまだ載っていなかったのが不思議でした。
有難う御座います。懐かしい青春が戻ってきます。軍歌ばかりの時代の中で「高原の旅愁」とともにしみじみと唄えた名曲です。どうか今後も戦前の名曲を掘り出して掲載してください。
投稿: オールドファン | 2012年9月19日 (水) 16時49分
何年前だったか「燦めく星座」でコメントをしたと思いますが、この歌は灰田勝彦主演の『歌の明星』の中で服部富子か轟夕起子だったか記憶が曖昧ですが丘の上で盲目の彼女に灰田がこの歌を歌ったこと、またその昔『鈴木章治とリズム・エース』が「鈴懸の径」共にスイングジャズスタイルでの演奏に感動したこと、カラオケでも時々歌い全部覚えているほどグーな歌です。
そして彼のまたひとつ好きな歌「水色のスーツケース」は、
どこかで誰かが呼ぶような そんな気がして旅に出た
水色のスーツケースの中には 消えた悲しい恋の花束
あー大空に雲は白く流れて 果てしなく汽車は走るよ
この歌から旅行のシンボルは「水色のスーツケース」だとの思いが今でも変わりません。
遠い日、自分の方が失恋だったのか?彼女の方が失恋だったのか? 今夜は目が冴えそうで・・・・・。
先生、懐かしい歌をありがとうございました。
投稿: 尾谷光紀 | 2012年9月22日 (土) 23時24分
名歌ですが、小さな肩を「寄せる」というのが歌詞としては少し不自然ですね。肩は「寄せ合う」もので、子供同士ではないのですから、この場合,他動詞として男が女の肩をそっと「抱いた」となるべきところでしょう。恐らく、「抱いた」では検閲が通らなかったので、こんな表現にせざるを得なかったのではと思うのですが。
投稿: JAKUHAI | 2012年10月24日 (水) 00時26分
若い頃から聴いていた歌ですが、一度も「寄せる」に違和感を持ったことがなかったですね。「抱いた」となっていたら私はこんなにこの歌が好きになっていなかったでしょう。淡い思いが消えてしまうように思われます。抱かないと小さな肩かどうかわからないとは思いますが「そっと寄せた」の方がロマンを感じます。手と手が触れそうになった時ぱっと手を引いた経験はありませんか。手を触れることすら恥ずかしいと思う感覚がこの歌にはあります。プラトニックな恋を代表する歌だと私は思います。
投稿: ハコベの花 | 2012年10月24日 (水) 12時27分
男側から解釈すると「寄せた」は「抱き寄せた」を感覚的に想像させる佐伯孝夫独特のテクニックの様に感じます。
投稿: 海道 | 2012年10月24日 (水) 17時34分
言葉ではわかっているのですが、まだ17,8の少女のころに聴いたので、「寄せた」は「近づいた」止まりなのです。「抱きよせた」を使わなかった佐伯孝夫の感性が好きです。
投稿: ハコベの花 | 2012年10月24日 (水) 19時30分
山内 賢と和泉 雅子の唄った『二人の銀座』に「~肩を寄せて 指をからませ 二人の銀座」という使用例があることを思い出しました。
投稿: 越村 南 | 2012年10月25日 (木) 08時49分
とある駅で 突然の大雨に降り込められた女性がいたと仮定します。タクシー乗り場までが遠い。そこへ傘を持った一人の紳士が「私もタクシーです。乗り場まで、よかったらどうぞ」という。3分ほどの道行きですが、この時二人は 相合傘で肩を寄せる状態。もし この紳士が、手をまわして肩を抱いたら、エXオヤジに転落しますね。
よって冷徹に言えば「肩を寄せる」と「肩を抱く」は違うように思います。「肩を寄せ合う」はすでに双方の合意がある場合でしょうね。
ですが 親密度が増しておれば、境界線はあってないようなものかな。(最近多い、真昼の妄想です(笑))
投稿: 越村 南 | 2012年10月25日 (木) 14時39分
「肩を寄せ合う」男女の関係とは (それは、協調的な愛情表現だ!) ★意中の女性が自分のことをどう思っているのかは、接しているときの姿勢に現れている。好き嫌いという感情は無意識の中で姿勢に出てしまうからだ。と言う事らしいがこの詞では「ちいさな肩だった」となっていますので、お互いに嫌いではなかったのでしょうね。
投稿: 海道 | 2012年10月25日 (木) 16時07分
良い歌だなーとしみじみ思います。綺麗な短編小説が出来そうですね。頭の中では筋書きは出来ているのですが、文章が書けません。「結ばれなかった初恋の人の訃報を、半世紀を経て、訪ねてきた彼の息子から聞かされる。彼女の目からほろほろとこぼれ落ちる涙に、雪柳の白い花がにじむ。父の初恋の人を美しいとじっと見つめる青年」
この美しい人のモデルは私の上級生、抜けるような白い肌に大きな瞳、微笑んで見つめられると女でも背筋がぞくっとしました。越村さんの妄想の上をいっていますでしょうか。
投稿: ハコベの花 | 2012年10月25日 (木) 21時38分
1.なぜあなたは白い花を手に受けながら泣くのか?
2.森の小径での悲しいこととは何だったのか?
3.あなたの肩も僕の肩も前より小さくなっていたのは? 初恋のシンボルの白い花は夢だった・・・。
佐伯孝夫の綴る初恋のマイナーめいたはかなさが、灰田晴彦の明るいメジャーのメロディにより72年経っても今なおロマンを感じさせ、私の生まれた辰年につくられたいい歌ですね。
投稿: 尾谷光紀 | 2012年10月25日 (木) 21時45分
「いつか寄せた」の解釈、私は違ったように取ってました。
「何にも言わずに いつか寄せた」は彼が抱き寄せたのではなく「彼女自らが、彼に肩を寄せて来た」と、ずーと思って来ました。中学生の思春期の入り口辺りに居る頃ですね。それを感じた時の、彼の戸惑いと嬉しさ。彼女にしては一寸したアバンチュール。でも、向こう側の肩に手を置かないと、肩の大きさ小ささは判りませんよね。やはり男性側が能動的に抱き寄せたという事なのでしょうか。 私はこの歌は、灰田有紀彦の、ハワイアン調の、小気味の良いリズムとメロディに心地よさを覚えて聴いたり、歌ったりしてました。 あくまでも推測ですが、この歌は当時としては珍しい、「ハメ込み」じゃないかと…。 灰田有紀彦の曲が先にあって、佐伯孝雄が「後付」作詞を、そんな気がするのです。八 六 八 九の歌詞ってそうあるものじゃないと。〈あくまでも推測です〉 皆様のコメントを読ませていただいて、人それぞれ恋の体験が違うように歌詞の解釈も微々に違うものなのですね。勉強になりました。
投稿: かせい | 2012年10月26日 (金) 01時33分
この歌の4人目のコメントと「燦めく星座」のコメントでも触れましたので探しました。
『灰田勝彦歌の明星』
を入力→検索して映画のあらすじを見たら、戦後のどろどろした内容の中でほっこりとした丘の上でこの映画の挿入歌(いや主題歌?)の「森の小径」を歌ったシーンと灰田が雨の中で彼女の兄を拳銃で撃ったシーンが、クッキリと思い出されました。
そのような泥中のハスの花のようなこの歌と共に、皆さんそれぞれロマンもあるご意見もお宝として心にネガしておきます。
投稿: 尾谷光紀 | 2012年10月26日 (金) 15時10分
何度聴いてもいい歌ですね!
ほろほろこぼれる白い花・・・白といえば今は雪のシーズン・・・雪といえば山陰の田舎の情景が浮んできますが、正直にいえば雪はイヤでした。夜中、積もる雪の重さに家の何処かがミシッ!ミシッ!と、朝起きれば40~50cmの積雪でその日の始まりは先ず雪をかき道作り等等。その頃ラジオから流れていた灰田勝彦の「新雪」の“~若い人生に幸あれか~し~と・・・”に励まされて歌いながら2.5Kの山道を通学した小学4~6年生の頃。
近年実家の方は20cm以上になればすぐ除雪車が来るそうです。
投稿: 尾谷光紀 | 2012年12月30日 (日) 23時17分
大晦日、気持ちが落ち着かない一日でしたが、尾谷さんのお話でなぜか明るく若やいだ気分になれました。いつ聴いても切なく甘い気分になりますね。身体的には高齢者なのですが、気持ちは16歳と言ったら青年から笑われましたが、精神は年を取らないということを自分では実感しております。もうすぐ辰年が去っていきます。いつまでも恋する気分を失わないでいましょうね。
投稿: ハコベの花 | 2012年12月31日 (月) 20時43分
1月2日の今日も早く降ろすようにと家人から言われましたがめっきり純白が見られなくなった昨今、美しい“白”が支えている日の丸を掲げています。
純白=いま思えば私の青春前期の色だと、そしてハコベの花さんの「精神は年をとらない」「恋する気分を失わないで」のフレーズが、“純白”の糸を手繰り寄せさせ至福のひと時を演出させて下さいました。
投稿: 尾谷光紀 | 2013年1月 2日 (水) 11時17分
今から,35年以上前,この歌を山で設営したとき聞きました。テントを張り終えて隣のテントからグループで合唱するのが聞こえてきたんです。素晴らしいハーモニーが,日の落ちるまだ前に聞こえるんです。こちらは,単独行で,明日の予定をテントで検討していた最中です。老若男女のグループと推察しましたが,透き通るようなメロディーだったのが焼きついています。当初は,題名を知らずいい歌だなあと思っていて,何年かして,それが灰田勝彦さんの「森の小路」と判りました。この歌を聴くと,山の楽しみにもこんなグループだから出来る良さがあるんだなあ~と今でも思ったりします。山登りでへとへとだった一瞬の時間,癒されました。今でも思い出されるのはこの歌と同時に見た山並みはるかに夕日が赤かったあの景色です。素晴らしく純粋な歌だと思います。
投稿: 啓又 | 2013年2月 4日 (月) 01時35分
今日明け方夢を見ました。私も20歳前後、彼が我が家に訪ねてきてくれました。嬉しくて駅まで歩いて送っていきました。腕を組んで彼の肩に頭を寄せていました。胸の中は幸せで一杯でした。目が覚めてもずっと幸せな気持ちが続いていました。指先も触れていなかった人です。昨夜眠る前にこの歌を聴いていたお蔭です。もっとも私の服装は恥ずかしい様な可笑しな服でした。やっぱり夢ですね。今夜も聴いて眠ります。
投稿: ハコベの花 | 2014年7月18日 (金) 14時10分
26才の時転職しました。新しい会社には社員食堂があり、お昼と夜営業していました。食堂では一人の若い女性が働いていました。二十歳前後だったと思います。小さな女の子でいつもにこにこした笑顔で、社員とも快活に応対して、皆から可愛がられていました。食堂が閉められる夜8時ともなりますと、広い食堂も閑散としてきます。その夜はもう私以外誰もいなかったと思います。一人で夕食をしていた時、
小さな彼女が大きなやかんを抱えて私に近付いてきました。広い食堂の隅には大きなやかんが備えてあり、お茶を飲みたい社員は各自そこでセルフサービスで湯呑みにお茶を注ぐのです。彼女はそのやかんを抱えて私のところまで来たのです。そして私の湯呑みにゆっくりとお茶を注ぎました。彼女は何も言いませんでした。にこりともしていませんでした。私もびっくりして何も言えませんでした。彼女も私も目を合わせませんでした。彼女がお茶を注いでくれているとき、私はちらっと彼女の横顔を見ることができました。綺麗な横顔でした。お茶を注ぎ終えると彼女は、何も言わずに去りました。このことはしばらく私のトラウマになりました。僕はどうしたらよかったのだろう。どのように彼女に言葉をかけたらよかったのだろうと・・・。食堂ではその後もしばらく彼女を見かけていましたが、彼女には何の変わりもありません。いつものように他の社員らと楽しそうに笑顔で会話していました。僕は彼女との接し方が分からず、夜遅く閑散とした食堂に足を運ぶことはできなくなりました。当時は仕事のことで頭が一杯でした。気持ちの余裕はなかったのです。今当時を振り返って思い出すのは仕事のことではなく彼女のことです。幸せになっただろうか、もうお孫さんもいるのだろうか、などと・・・
白い布巾を頭にかぶって、白い作業着を着て働いていた彼女。やかんを抱えて去って行った小さな肩の小さな彼女。寄せ合うことのなかった小さな肩。
投稿: yoko | 2014年7月18日 (金) 22時35分
yoko様 一編の掌編小説を読んだような気持ちになりました。何にも言わないでチッラと見るだけで幸せになるような出会いが青春時代にはいくつかありますね。時々、あの時のあの人は今幸せに暮らしているだろうかと思いだします。言葉を交わさなくても印象が強く残っている人もあります。50年ぶりに偶然に出会った人が私には2人います。やっぱりじっと見つめるだけで言葉を交わすことなく行き過ぎました。人生は人との出会いだと思います。お蔭さまで今日も心豊かに過ごせます。明日はどんな人に出会えることでしょうか。楽しみです。
投稿: ハコベの花 | 2014年7月19日 (土) 13時25分
灰田勝彦さんの歌は、好きな歌が多いですが、その原点は、やはり、「森の小径」であろうと思っています。
投稿者各位のコメントを興味深く拝見しながら、私なりに、あれこれ思いを巡らせてみました。
全体的に眺めますと、まず、2番に、♪僕もかなしくて…♪とありますので、この歌は、男性側から詠んだ逢引き(今流にはデート)の歌と言えましょう。次に、1番と3番に、”白い花”が登場します。何の花かは分かりませんが、季節は春であろうと想像します。なぜなら、歌詞の文脈に対応する季節を考えるヒントとして、厳しい冬から心地よい春に移って、自然の優しさに触れるとき、人間は喜びばかりか、悲しさも感じるものと思えるからです(私の偏見?)。また、この歌が作られた昭和15年(大戦前)という時代背景を考えますと、デートのスタイルは、若い男女が手をつないで歩くなんてもってのほか、黙って並んで歩く位ではなかったでしょうか(特に初デートなら)。
以上を踏まえて、個別的に、私なりの受け取り方を試みますと、
1番では、春の日の、”ほろほろこぼれ(散る)白い花”に、自然の優しさを感じて、彼女は涙を滲ませた。
2番では、好天に恵まれた春のデート日和の”青い空”に、自然の優しさを感じて、僕も眼が潤んだ。
3番では、前述の時代背景のなか、彼女が”肩を寄せて”精一杯の愛情表現をし、それに応えて、僕も彼女の肩に手を置き、意外に”小さな肩だった”と感じた。(それまで女性の肩に触ったことがなかったので、新たな発見だった。) 最後の、♪白い花夢かよ♪は、遠い昔のデートとして回想している。
投稿: yasushi | 2017年12月25日 (月) 14時16分
前回投稿を少し補足したいと思います。
歌詞2番で、♪憶えているかい…♪と、身近にいる”あなた”に話しかけていることから、この恋愛はめでたく成就し、長年経った後で回想していると受け取れましょう。つまり、1番の”泣いていたあなた”も、2番の”僕もかなしくて”も、その後の”別れ”をもたらす要因のものではなかったと捉えるべきでしょう。
このように、失恋の情景を謳う歌が多い中、この歌は、ハッピー・エンド恋愛を明るく謳う、数少ない歌の一つではなかろうかと思う次第です。
投稿: yasushi | 2018年1月22日 (月) 13時37分
今日は風もなく穏やかで静かな春のような日になりました。朝からこの歌が口をついてでてきます。気持ちが優しくなる歌です。あの人と肩を寄せて緑の木々の下を歩いて見たかったなあと思うだけで気持ちが若返ります。
青春はいいものですね。恋をしておいて良かったと思います。白い花もそのうち咲くことでしょう。想像するだけでも幸せを感じます。良い歌ですね。
投稿: ハコベの花 | 2018年2月22日 (木) 12時19分
雨の日などで心が沈みがちのときでも、この歌を聴くと、心は明るくなり、元気が出てくるように思います。本当にいい歌です。
これまで、この歌に出てくる”白い花”は何の花なんだろうと、気になっていましたが、答えを見い出せないでいました。
不思議な符合ですが、最近思い出しました、同じ作詞者・作曲者による灰田勝彦さんの歌「男のいのち」(S31)〔交流掲示板[534]をご参照〕の出だしも、♪白い花が散る 誰の泪やら…♪と”白い花”が登場します。
二つの歌を照らし合わせて見ますと、”白い花”は”純粋・純真なもの”を表す言葉として用いられているのではなかろうかと、思ったりします。こじ付けでしょうか。
因みに、この歌の歌詞2番の出だしは、♪赤い花が散る 誰の想いやら…♪と”赤い花”が登場しますが、ここでの”赤い花”は”情熱”を表すのではなかろうかと…。
投稿: yasushi | 2018年11月21日 (水) 14時10分
「城ケ島の雨」「初恋」「森の小径」と私の好きな歌が続いてくれました。「森の小径」は夫ではなく青春時代に出会った彼を思い出して聴いています。情緒が分かる人でした。きっとこの歌も好きな人だと思います。夫は全く静かな情緒が分からない人間です。私が買ったパソコンを散々けなして怒ったくせに。毎日私の大嫌いな艶歌を気持ち悪い声でこのパソコン相手に歌っています。パソコンが腐りそうで嫌でたまりません。困っています。夫が寝静まった後で、お清めの為にきれいな歌を聴いてから寝るようにしています。朝、清々しく目が覚めます。
投稿: ハコベの花 | 2018年11月21日 (水) 23時24分
大好きな歌です。
歌詞1番の出だしは、♪ほろほろこぼれる 白い花を…♪とあります。
はて、何の花だろう?季節はいつだろう?と自問しても、歌詞からは、答えは読み取れません。
こぼれ落ちる沢山の白い花なら桜?、そうであれば、季節は春?などと、あれこれ、想像を逞しくしております。
さて、好きな歌ゆえ、カラオケで歌ったり、口遊んだりすることが多いのですが、いつも、歌詞3番の出だしの部分で、どう歌うか、戸惑いを感じるのです。
歌詞1番から歌詞3番の出だし部分(灰田勝彦さんの歌唱)はつぎのように聞こえます。
1番 ほーろほろー▽こぼれるー
2番 おーぼえてー▽いるかいー
3番 なんにもいー▽わずにーー
つまり、歌詞3番で、”いわずに”部分が、”い”と”わずに”に、メロディ的に泣き別れしているようで、気になるのです。
そこで、私は、自然に、自己流で、次のように歌ってしまうのです。
3番 なーんにもー▽いわずにー
投稿: yasushi | 2019年4月11日 (木) 14時45分
yasushi様 またこの歌の季節がきましたね。私のこの歌の白い花は雪柳です。
皆様はそれぞれの花をお持ちでしょうね。
何故、白い花を手に受けて女性は泣いたのでしょうね。散ってゆく花の淋しさでしょうか。私は大好きな人とこうして歩ける喜びに泣いたと思います。もう一度若い日に戻ってこのような初々しい心を持ちたいものです。青春は永遠だと思いたいですね。3番の歌い方は私もyasushi様と同じです。
投稿: ハコベの花 | 2019年4月12日 (金) 10時56分
好きな歌「森の小径」について、熱心な投稿者であられる、ハコベの花様と交流できることは、大きな喜びです。
ハコベの花様には、”白い花”として、雪柳を思い起こされるとか、当地でも、昨今、清楚な雪柳の花を見かけます。
”十人十色”、「森の小径」の歌を楽しむとき、人それぞれに、いろいろな思いを抱かれるのでしょうね。
投稿: yasushi | 2019年4月13日 (土) 10時23分
恋の歌って悲しいメロディの物が多いですね。この歌は溢れるような幸せの涙の歌ですよね。恋は楽しくなくてはいけませんね。ああ、もう一度、幸せで胸が一杯になるような恋をして見たいものです。せめて夢の中ででも・・・・
投稿: ハコベの花 | 2019年4月13日 (土) 22時28分
先程「白い花 夢かよ」と口をついて出てきました。毎日コロナの心配や夫と息子2人の山ほどの洗濯物、3食の食事の支度や片付けに疲れ果てていました。この1節が硬直した気持ちを緩めてくれました。春なのですね。名前を知らない白い花が花壇に沢山咲いています。道端にハコベの白い花が咲いています。少女の頃の初恋の想いが甦ってきました。未来の明るさを信じていた良い時代でした。少しの間、その時の幸せだった気持ちに浸ることが出来ました。良い歌です。
投稿: ハコベの花 | 2020年3月15日 (日) 22時11分
前回の投稿から、早くも約1年が経過しました。
このたびの、ハコベの花様からのお便りを拝読しながら、「森の小径」を聴いていますと、改めて、詩情溢れるいい歌だなあと感じます。
ついでながら、私にとって、余りに歌詞の短い歌(例えば、「赤とんぼ」)や、余りにも歌詞が長い歌(例えば、「箱根八里)よりも、文章で言う”起承転結”が整ったスタイルの、適度の長さの歌(例えば、「早春賦」、「朧月夜」)に、より一層の美しさ、心地よさを感じる傾向があるのは、否めません。
とは言え、「森の小径」は、歌詞が短いながらも、このような理屈を超越した、別格の存在で、大好きな歌なのです。
投稿: yasushi | 2020年3月16日 (月) 10時52分
今の時季にぴったりの懐かしい曲ですね。
白い花…はこべでしょうか? それともユキヤナギ? 春先にさく白い花は、水仙にしてもカーネーションにしても木蓮にしても、その花言葉からは、愛らしくて崇高で清潔なイメージを受けるものが多いですね。
この曲のキーワードは「白い花」ですね。愛らしくて清純な乙女を白い花にイメージさせているようです。
戦後日本の歌謡界を代表する作詞家の一人である星野哲郎が、作詞家としてデビュー当時“西條、佐伯と云わぬまでも、せめてなりたや横井まで…”と、言わしめたほどの《文学者》 佐伯孝夫の、多くを語らずとも短かいことばの中に込められた溢れるような想いが、軽快なメロデイーに乗せて伝わってきます。
投稿: あこがれ | 2020年3月16日 (月) 18時10分
周辺の大阪、京都より少し遅れましたが、当地・兵庫も、昨日、桜の開花が発表されました。
「森の小径」は、大好きな歌です。いつ聴いても、心明るく、青春時代が甦ります。
出だしの、♪ほろほろこぼれる 白い花を うけて…♪を、”ほろほろと舞い落ちる白い花びらを身に受けて”と捉えますと、やはり、桜の花を思い浮かべます。
この歌が出来た昭和15年といえば、日米開戦の一年前。戦雲が迫りくる重苦しさのなか、どうして、このような明るい歌が出来たのだろうかと、少し不思議な感があります。
逆説的に、重苦しいときだからこそ、歌の世界位は明るくしたいとの思いで、このような明るい歌が創られたのかも知れませんね。
顧みれば、わが身は、いつしか八十路へと馬齢を重ねていますが、歌の世界では、童謡・唱歌を聴けば子供の時代へ、青春歌謡を聴けば青春時代へと、瞬時にワープできます。
”歌”は、本当にいいものですね!
投稿: yasushi | 2021年3月26日 (金) 14時11分
先程、近所の家の垣根の向こうに小さな白い花をいっぱいつけた木を見つけました。歩きながらこの歌を口ずさみました。遠い少女時代を思い出しました。白い花の様な清々しい恋に憧れていた幸せはもう戻ってきません。淡い思いを寄せた彼の生死も分からなくなってしまいました。
でもあの時代の清らかな思いは忘れて居りません。少しだけでもいいのです。私を思い出して下さいね。
投稿: ハコベの花 | 2021年3月29日 (月) 16時24分
昨夜ふっとこの歌が口をついて出てきました。昼間、道端で今まで見たことのない小さな白い花を付けた雑草が目に焼き付いたからでしょうか。邪心が消え去り.あこがれの君だった人を思いだし、優しい気持ちになっていました。
白い花ゆめかよ・・・残り少ない人生を清らかな気持ちで過ごせたらいいですね。
あこがれ様 私はいつも素直な心をお持ちだった奥様を思いだします。白い花の様な心をお持ちだった方でしたね。
いつも思い出しています。
投稿: ハコベの花 | 2022年12月18日 (日) 12時20分
灰田勝彦さんの歌は、好きな歌が多いのですが、中でも、『森の小径』は、『燦めく星座』(S15)、『東京の屋根の下』(S23)と並んで、ベスト3です。
まあ、私にとって、『森の小径』は愛唱歌で、『森の小径』ときたら、何の迷いもなく、灰田勝彦さんの歌声を思い浮かべます。
最近、この歌を口遊んでいるとき、ふと、ある疑問が頭をもたげました。昔流行った他の愛唱歌、例えば『港が見える丘』のように、この歌も他の歌い手さんがカバーして歌唱しているであろうか。
早速、YouTube検索しましたところ、幾つか見つかりました(敬称略)。
・和田弘とマヒナスターズ(コーラス)
・フランク永井
・佐良直美
どれも初めて聴くものでしたが、それぞれ個性的で、このような『森の小径』歌唱・演奏もいいなあと、ここのところ、繰り返し聴いております。
投稿: yasushi | 2024年1月17日 (水) 16時08分
「時間ですよ」「寺内勘太郎一家」等々、TBSの人気ドラマのプロデューサーであった久世光彦さんは、戦前・戦後の歌謡曲や外国のホーム・ソング等に造詣が深い方だったようで、「あなたは最後に何を聴きたいか」をテーマに「マイ・ラスト・ソング」と題したエッセイを書かれ、戦前戦後の歌謡曲や外国のホーム・ソング等に纏わる氏の思い出等を綴った単行本(文芸春秋社)が5冊出版されました(最後は1995年)。
その第3集の中に、仲間であった小林亜星氏が「森の小径」「鈴懸の径」「青い小径」を”灰田勝彦の3大小径”と言う…という件りがありました。いいですねえ、このネーミング。これらの5冊の本、小生があの世に行く際に棺桶に入れて欲しいほど気に入っております…。
投稿: ジーン | 2024年1月17日 (水) 19時34分
ジーン様のお便り(’24-1-17)を楽しく拝読しました。
そのなかにありました、”『森の小径』、『鈴懸の径』、『青い小径』を”灰田勝彦の3大小径”と言う… ”は、愉快です。”小径”なのに”3大”とは、これいかに?、ですね。(笑い)
次いでながら、ジーン様には、久世光彦さんによる『マイ・ラスト・ソング』と題したエッセイ集 を5巻所蔵されている由、さすが、歌を愛好される方だなあと、感服しきりです。
思い返しますと、私が『マイ・ラスト・ソング』に初めて接しましたのは、約6年前でした。〔『港が見える丘』の’18-3-29拙投稿をご参照〕
当時、『マイ・ラスト・ソング』(全5巻)を買い求めようとしましたが、既に絶版となっており、入手できましたのは、これら5巻に収録された作品を再構成したとされる、(文春)文庫オリジナルの『ベスト・オブ・マイ・ラスト・ソング』(久世光彦 ’18-4-10 第3刷)で、今もときどきひも解いております。
少し話がそれましたが、ご勘弁のほどを。
投稿: yasushi | 2024年1月18日 (木) 10時31分
yasushi様、
”灰田勝彦の3大小径”への書き込み、有難うございました。同好の士がおられたこと、とても嬉しく思っております。貴兄が手に入らなかった『マイ・ラスト・ソング』の単行本、近くにお住まいであればお貸しすることもOKですが、事情が事情だけに気持ちだけお受け取り下さいませ…。
これ以降も、本ブログへの貴兄の書き込みを楽しみにしております…。 ジーン拝
投稿: ジーン | 2024年1月18日 (木) 20時08分
”『マイ・ラスト・ソング』の単行本、近くにお住まいであればお貸しすることもOKですが、…”との、ジーン様からのお便り(’24-1-18)、身に沁みて有難く受け取らせて頂きました。
実は、これらの本は、行きつけの図書館で閲覧・借り出しができますので、ご安心くださいますよう。
投稿: yasushi | 2024年1月19日 (金) 09時47分
1940年12月生まれ、満洲からの引き揚げを経験した禿頭です。「老犬トロイ」のメロディと歌詞を確かめたくて何年か前このサイトを知りました。以来度々訪れては二木様の演奏、解説そして皆様の投稿を拝読させて頂き時には涙腺を緩めて居ます。何時この歌と出会ったか思い出せませんが大好きな曲の一つです。私の乏しい経験からの鑑賞です。まず季節は初夏五月、こぼれる白い花はチシャ(エゴ)のたわわに咲く白い花と青い空そして上着を脱いだ白いシャツとブラウスの未だ好きとは言えない若者二人が肩を寄せる様に歩く森の小径、他には誰もいない幸せなひと時です。肩は触れても肩に手を回したりはしないのです。如何でしょうか、お笑い下さい。
投稿: じぃじ | 2024年2月 3日 (土) 13時45分