« 森の小径 | トップページ | 無情の夢(戦前版) »

2012年10月 7日 (日)

アヴェ・マリア(シューベルト)

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作曲:Franz Schubert、ドイツ語詞:Adam Storck
原詞:Walter Scott、日本語詞:堀内敬三

1 アヴェ・マリア わが君
  野の果てに嘆こう 乙女が祈りを 
  あわれと聞かせたまえ
  御許(みもと)に安らけく 憩(いこ)わしめたまえ
  悩めるこの心 君に祈(ね)ぎまつる
  アヴェ・マリア

2 アヴェ・マリア わが君
  巌(いわお)の臥所(ふしど)にも 君が恵みのもと
  安けき夢はあらん
  君笑(え)ませたまえば 花の香(か)は絶えじ
  頼るべきなき乙女 君に祈ぎまつる
  アヴェ・マリア

3 アヴェ・マリア わが君
  禍(まが)つ日の恐れも
  君が御光(みひかり)に 雲と散りて消えん
  ひしがれし心を 君癒したまえ
  限りなき信仰(しん)をもて 君に祈ぎまつる
  アヴェ・マリア


(ドイツ語詞)
1. Ave Maria! Jungfrau mild,
   Erhöre einer Jungfrau Flehen,
   Aus diesem Felsen starr und wild
   Soll mein Gebet zu dir hinwehen.
   Wir schlafen sicher bis zum Morgen,
   Ob Menschen noch so grausam sind.
   O Jungfrau, sieh der Jungfrau Sorgen,
   O Mutter, hör ein bittend Kind!
   Ave Maria!

2. Ave Maria! Unbefleckt!
   Wenn wir auf diesen Fels hinsinken
   Zum Schlaf, und uns dein Schutz bedeckt
   Wird weich der harte Fels uns dünken.
   Du lächelst, Rosendüfte wehen
   In dieser dumpfen Felsenkluft,
   O Mutter, höre Kindes Flehen,
   O Jungfrau, eine Jungfrau ruft!
   Ave Maria!

3. Ave Maria! Reine Magd!
   Der Erde und der Luft Dämonen,
   Von deines Auges Huld verjagt,
   Sie können hier nicht bei uns wohnen,
   Wir woll'n uns still dem Schicksal beugen,
   Da uns dein heil'ger Trost anweht;
   Der Jungfrau wolle hold dich neigen,
   Dem Kind, das für den Vater fleht.
   Ave Maria!


(原詞)
1. Ave Maria! maiden mild!
   Listen to a maiden's prayer!
   Thou canst hear though from the wild,
   Thou canst save amid despair.
   Safe may we sleep beneath thy care,
   Though banish'd, outcast and reviled -
   Maiden! hear a maiden's prayer;
   Mother, hear a suppliant child!
   Ave Maria!

2. Ave Maria! undefiled!
  The flinty couch we now must share
   Shall seem this down of eider piled,
   If thy protection hover there.
   The murky cavern's heavy air
   Shall breathe of balm if thou hast smiled;
   Then, Maiden! hear a maiden's prayer;
   Mother, list a suppliant child!
   Ave Maria!

3. Ave Maria! stainless styled!
   Foul demons of the earth and air,
   From this their wonted haunt exiled,
   Shall flee before thy presence fair.
   We bow us to our lot of care,
   Beneath thy guidance reconciled;
   Hear for a maid a maiden's prayer,
   And for a father hear a child!
   Ave Maria!

《蛇足》 スコットランドの詩人で作家のウォルター・スコット(1771~1832)の叙事詩『湖上の美人(The Lady of the Lake)』から作られた作品。この中にある詩を、ドイツの教育者で歴史家のアダム・シュトルクがドイツ語に訳し、シューベルトが曲をつけたものです。
 1825年に作曲し、翌年発表されました。

 7曲から成る歌曲集『湖上の美人(Liederzyklus vom Fräulein vom See)』の6曲目で、エレンという女性を歌った曲の3番目であることから、"Ellens dritter Gesang"あるいは"Ellens Gesang III"とも呼ばれています。

 『湖上の美人』は1810年に出版され、8か月間に2万5000部が売れました。現代から見ると大したことはないように思われますが、当時は、それまで出版された韻文作品すべて記録を破る驚くべき売れ行きでした。この1作でスコットの名は海外にまで知られるようになりました。
 また、歴史的事実の上にフィクションを組み立てるという手法は、スコットが創始したもので、彼のもう1つの代表作『アイヴァンホー』も、同じ方法で書かれています。こちらは叙事詩ではなく、普通の物語ですが。

 『湖上の美人』では、次のような史実がベースになっています。

 1513年、スコットランド王ジェームズ4世はイングランドとの戦いで戦死、王妃マーガレットは有力者のアンガス伯爵アーチボルド・ダグラスと再婚しました。長男・次男は死亡していたので、三男のジェームズがスターリング城でジェームズ5世として即位しましたが、このとき彼は1歳5か月にすぎなかったため、アーチボルド・ダグラスが後見人になりました。

 ダグラスはジェームズ5世をフォークランド城に移して軟禁、政権を壟断(ろうだん)します。そのため、マーガレットと不仲になり、やがて2人は離婚します。
 ジェームズ5世は16歳になったとき、フォークランド城から脱出、スターリング城に入って親政を開始します。実権を握ったジェームズ5世は、ダグラス一門を全員追放しました。
 『湖上の美人』はここから始まります。

 なお、スコットランド王といっても、スコットランド全域を掌握していたわけではなく、ケルト系の多い北部ハイランド地方の住民は、王の治政に不満を抱き、何度か反乱を起こしました。

 『湖上の美人』は「狩」「小島」「集合」「予言」「決闘」「警備兵室」の6編から成り、各編は1日の出来事を描いています。粗筋は次の通り。物語では、追放されたのボスウェル伯爵ジェームズ・ダグラスとなっています。

 ジェームズ5世から追放されたジェームズ・ダグラスは娘エレンとともに、縁戚に当たるロデリック・デューによって、カトリーン湖上の小島にある館にかくまわれます。ロデリック・デューはハイランド地方の大勢力アルパイン一族の族長でした。

 第1編の冒頭でスノードンのジェームズ・フィッツ=ジェームズと名乗る謎の騎士が現れ、ダグラス親娘が潜む館を訪れ、歓待されます。ここではダグラスと顔を合わせなかったため、エレンが彼の娘だとわかりません。
 フィッツ=ジェイムズはエレンの美しさにたちまち魅せられ、恋に落ちますが、
ロデリックも彼女に恋しており、父ダグラスは世話になっているロデリックとの結婚を望んでいます。
 しかし、彼女にはマルカム・グレイムという相思相愛の騎士がいたため、2
人の求愛を拒みます。 

 フィッツ=ジェームズは短い滞在のあと去りますが、すぐに館に引き返してきて、エレンに金の指輪を与え、「何か困ったことがあったら、これを王に見せよ。王は必ず望みを叶えるだろう」といって立ち去ります。

 ジェームズ5世の軍隊がダグラスを捕まえるため襲撃してくると聞いたロデリックは、アルパイン一族を招集します。火をつけてからヤギの血で消し、呪いをかけた十字架が招集の合図で、その十字架が村々を回ると、結婚式中だろうが葬式中だろうが、人びとは指定された時間に指定の場所に集まらなくてはなりません。

 こうして一触即発の状況になりましたが、ダグラスは、自分の庇護者のロデリックに災厄が及ぶことを恐れて、スターリング城に自首して出ました。

 いっぽう、フィッツ=ジェームズは自城へ戻る途中、兵を率いたロデリックと遭遇します。恐れる色も見せないフィッツ=ジェームズの勇敢さにうたれたロデリックは、兵士たちを引き下がらせ、1対1で決闘しますが、敗れてしまいます。
 
フィッツ=ジェームズは、瀕死の重傷を負ったロデリックを馬に乗せ、帰途につきます。

 エレンはスターリング城を訪れ、王に面会したいと門番に申し出ます。フィッツ=ジェームズからもらった金の指輪を見せると、すぐに城内に通され、王に会うことができました。そして、フィッツ=ジェームズがスコットランド王ジェームズ5世だったことを知るのです。

 エレンの頼みにより、王はダグラスを許し、またエレンと騎士マルカム・グレイムとの結婚を認めます。城内にとらわれていたロデリックは、王とダグラスとの和解が成ったことを聞いたあと息をひきとります。

 ざっと以上のような筋書きですが、『アヴェ・マリア』の詩は、第3編『集合』のなかにあります。ダグラスとエレンは、王の追及を逃れるため、ロデリックの館を去って、"妖精の洞窟"として住民に恐れられている洞窟に身を潜めます。そこでエレンが父の罪が許されるように湖畔のマリア像に祈るのがこの詩です。

 舞台となったカトリーン湖(Loch Katrine:写真)はハイランドのトロサックス地方にある、東西に長い湖です。湖畔や湖上の小島には『湖上の美人』ゆかりの記念碑や記念館がいくつもあります。
 このあたりはローモンド湖
(Loch Lomond)一帯とともに国立公園になっています。Lochの発音については、『ロック・ローモンド』をご覧ください。

 『湖上の美人』はイギリス内外にさまざまな影響を及ぼしています。有名なのはアメリカの白人至上主義団体クー・クラックス・クラン(KKK)が集会の際、巨大な十字架に火をつけるという儀式で、これは『湖上の美人』の第3編からヒントを得たものといわれます。

 おもしろいことに、黒人奴隷解放運動に一生を捧げたフレデリック・ダグラスも、ダグラスという苗字を『湖上の美人』からとっています。
 彼は南部農場からの逃亡奴隷で、リンカーンなどと黒人参政権について協議したり、コロムビア特別区
(首都ワシントン)の裁判所執行官になるなど、差別が厳しかった時代に多大の功績をあげました。

 それはさておき、音楽の好きな人には、原作よりもロッシーニのオペラ『湖上の美人(La donna del lago)』のほうがなじみ深いかもしれません。1819年10月24日にナポリのサン・カルロ劇場で初演されました。
 登場人物はエレンがエレナ、ロデリックがロドリーゴ、ジェームズ5世がジャコモ5世などイタリア人名になっているし、筋書も若干変わっています。

 Ave Mariaのaveは、「幸福である、健康である」を意味するラテン語の自動詞avēreの命令形(幸せであれ、健康であれ)から来たもので、キリスト教では「めでたし」という意味で使われています。

(二木紘三)

« 森の小径 | トップページ | 無情の夢(戦前版) »

コメント

この曲を聴くと1957年のドイツ映画「野ばら」を思い出します。中学2年の時に見たのですが、ウィーン少年合唱団の合唱をバックに生死の境をさまよう主人公の少年のために美しい修道女が祈る場面でした。この生気はつらつたる演奏を聴くと、たしかに死の淵から蘇れそうな気がします。

投稿: Bianca | 2012年10月 9日 (火) 19時13分

Bianca  さんとは「天王星の第8衛星。1986年にボイジャー2号の接近によって発見された。名の由来はシェークスピアの「じゃじゃ馬ならし」の登場人物。天王星に3番目に近い軌道を公転する。非球形で平均直径は約50キロ。」の意味でいいのでしょうか。

投稿: 海道 | 2012年10月10日 (水) 19時50分

海道さん
天王星第8衛星…そういう意味もあるのですね。教えていただきありがとうございます。ほかにも船とかネズミとか、イタリアンレストランとか、いろいろありますが、私はある実在の少女からとりました。ブログに「私のBianca」という記事を書いてますのでよろしければ読んでください。

投稿: Bianca | 2012年10月11日 (木) 22時35分

I was suggested this web site by way of my cousin. I am now not certain whether or not this publish is written through him as nobody else understand such detailed about my difficulty. You are amazing! Thanks!

投稿: gucci mens | 2012年10月17日 (水) 15時56分

とても素晴らしいページを提供していただいてありがとうございます。このAve Mariaは中学時代に教わった曲です。なんと清らかな、純粋な音声かと感激したものです。
この曲を「お気に入り」に入れて何度も聴いています。
ありがとうございました。

投稿: 山中道宏 | 2012年10月20日 (土) 10時32分

長年、アヴェマリアのアヴェの意味を探していました。
それこそ「めでたし」ぐらいでは、殆ど意味不明と思っていました。今回なっとくのいく説明に出会いました。まことにありがとうございました。
プロテスタント牧師なので、ラテン語はまったく知りませんので。

投稿: 木下春樹 | 2012年12月10日 (月) 15時41分

私も詩の意味は知りませんでした。管理人さんの詳しい解説、ありがとうございました。
木下春樹さんはプロテスタント教会の牧師さんですか。私は若いころ、岩国海兵隊基地内のプロテスタント教会の聖歌隊に、2年くらい入っていました。クリスマスイブには、基地外のアメリカ人家庭に、聖歌隊で祝福に回った記憶があります。

投稿: 三瓶 | 2012年12月15日 (土) 14時48分

私は若い時にラテン語をほんの少し学びました。健康上の問題でやめることになりましたので、少し齧ったに過ぎないのです。難しいことは解りませんし、今ではほとんど忘れています。それでも、ふと疑問を感じることがありまして…。

Ave MariaのAveですが、これは動詞の「aveo」(幸福である、健康である)が基本形ではないでしょうか? そう思ったので、少し調べてみました。
aveo この動詞は、「一般に命令形ave,aveteおよび不定法avereの形でだけ使う」と羅和辞典に書かれています。
aveは「aveo」の命令形ということになります。そしてaveは挨拶の意味でのみ使われます。英語のHail、ドイツ語のHeilと同じだと、過去に学びました。なお、手元の英和辞典にも、aveや、Ave Mariaは載っています。

投稿: 眠り草 | 2013年3月26日 (火) 21時06分

眠り草様
ラテン語の不定法は語尾が-āre, -ēre, -ere, -īre のいずれかで終わり、この形はラテン語の後裔であるロマンス諸語(フランス語、イタリア語、スペイン語など)に多少形を変えて引き継がれています。これらの言語の辞典では、動詞は不定法が見出し語になっています。
いっぽう、ラテン語辞典では見出し語は不定法ではなく、語尾が-ōの直説法能動態現在第一人称単数で表示し、その後に不定法能動態現在および直説法能動態完了第一人称単数と目的分詞を併記する習慣になっています。
「愛する」という動詞を例にとると、辞典には
amōという見出し語の後にamāre, amāvi, amātumが並んでいるはずです。amōの後は語幹を省略して-āre, -āvi, -ātumと表示している辞書もあります。
この4つがわかると、その動詞の活用タイプがわかるので、基本形ということになるでしょう。
ラテン語の動詞は不定法の語尾が-āre, -ēre, -ere, -īre のどれであるかによって活用タイプが違ってきます。つまり動詞の活用タイプには4種類あるわけです。したがって、不定法が大本の基本形ということになります。
直説法能動態現在第一人称単数形が見出し語になっているのは、規則動詞ではどの活用タイプでも直説法能動態現在第一人称単数形は-ōで終わるのでわかりやすいからにすぎません(不規則動詞は非常に少ない)。ですからaveがaveōの命令形とするのは正確ではなく、avēreの命令形とするほうが妥当でしょう。
ちなみにヨーロッパ各国語の語源辞典では、ラテン語の動詞については不定法で引くようになっているものが多数です。Webster's Third New International Dictionaryでも、語源がラテン語の動詞まで遡る場合は不定法で表記されています。(二木紘三)

投稿: 管理人 | 2013年3月27日 (水) 00時14分

二木先生、大変詳細なご説明をありがとうございます。先ほど家に戻り、拝読いたしました。

ラテン語の名詞やamoその他の動詞の変化を努力して丸暗記していた若い日々、しかしそれはラテン語の大海のひとしずくにも満たないものと自覚しておりながら、大変僭越な投稿をいたしました。「基本形」と書きましたのは軽率なことで、例えばamoについて言えばamo,amavi,amatus,amare,どれも基本形ですね。羅和辞典以外のラテン語の辞典は持っておりませんので、amareが見出し語になることは存じませんでした。

二木先生のご解説に異をとなえたつもりはなく、ただ平均的な日本人がラテン語の意味を調べようとするとき、開くのは羅和辞典なのでは…と思いました。amoは知られていると思いますが、全くそれまで知らなかった単語(特に動詞)であれば、見当を付けて見出し語を見つけるのに迷うのでは…と思ったのです。
どのように弁解しようとも、私の無知があらわになったのは確かでございます。深く恥じ入りつつ、篤くお礼を申し上げます。

投稿: 眠り草 | 2013年3月27日 (水) 17時59分

 Biancaさんはこの曲で1957年のドイツ映画「野ばら」を思い出すと言われます。私の場合、「アヴェ・マリア」が結びつくのはオーストリア映画「未完成交響楽」です。1933年の公開ですから、日本の映画ファンの多くは戦前に見ていると思います。私は昭和22年に松本市で見ました。外国映画というものがかかれば夢中で見に行った時代でした。フランス映画「自由を我らに」「別れの曲」はいずれも7回通ったのを覚えています。「未完成交響楽」の回数は記憶にありませんが、一度二度ではなかったでしょう。貧しい音楽青年シューベルトの悲恋物語で、交響曲第8番が「未完成」に終わったのは貴族のサロンでの発表会で、第三楽章に入ったところで伯爵令嬢が笑い出したため、というフィクションの因縁話にしてあります。邦題を「未完成交響楽」としたのためはそのでしょう。原題は、セレナーデの Leise flehen meine Lieder です。「アヴェ・マリア」はラストに近く、野中でシューベルトがマリア像に出会う場面で、失恋の痛みとそれからの救いを歌い上げるように、次第にフォルテで、鳴り響くのでした。
 少年の私がこの映画で惚れ込んだのは、伯爵令嬢が足を踏み込むべきでない下々の居酒屋で、シューベルトの気を引こうと踊る場面で切々と訴える Sag mir's immer wieder でした。「私が好きだといつもいつも言っておくれ、たとえそれがうそであっても」というのですが、ドイツ語の勉強をしていた頃でもどうしてもわからない歌詞が1箇所ありました。このヒロインはMarta Eggerth といって大スター歌手なのだそうです。最近 YouTubeに出ていると知りましたが、それでも聴き取れません。どなたか歌詞をご存じでないでしょうか。
 Einmal bricht der Bann ich weiss nicht wann nach so viel Tagen
の次の句です。ご存じの方、教えていただければありがたく存じます。
 

投稿: dorule | 2013年3月30日 (土) 14時07分

シューベルトのメロディがとても美しく、「アヴェ・マリア」を聴くと、自然に心は鎮まり、荘厳な気持ちにすら、なります。
  もう、六十年以上前のこととて、記憶は曖昧ですが、「アヴェ・マリア」は、中学生か高校生の時、学校音楽で学びました。作詞(訳詞)者の名前はすっかり忘れてしまいましたが、歌詞の一部分ははっきり憶えていて、時々口遊みます。
    アヴェ・マリア 乙女(おとめ)
      ・・・・・・・・
      ・・・・・・・・   独り祈りを捧ぐ
    み光を仰ぎ  眼(まなこ)輝きぬ
    その祈りを聞かずや まことの祈りを
    アヴェ・マリア
  どなたか、記憶に留めておられて、作詞(訳詞)者や歌詞(空白部分)をご教示下されば、嬉しく存じます。    

投稿: yasushi | 2018年2月 1日 (木) 15時21分

 yasushiさまが のべられたように

 この曲がながれてくると 宗教的なことがらを考えにいれずとも 
 
 

 自然に心は鎮まり 荘厳な気持ちにすらなりますね

   
   まったく同感です

 この曲へのコメントを 時系列にあわせ読ませていただくと 実に 興味深いものがあります

 もちろん 二木先生の蛇足からはじまります
 ウォルター スコット(1771~1832)の叙事詩 湖上の美人  にシューベルトが曲をつけた   その叙事詩につき 詳しい内容説明  有り難いことです
 イギリス フランスの歴史は 王朝の衰亡もあり 日本の歴史と比べても なかなか 難しいですものね

 スコットの作品 アイヴァンホー もとても懐かしいものです  我々の子供のころには 英国の有名人という位置づけでしたね    アーサー王とともに

 この曲から 連想する 映画
  野ばら  未完成交響楽  
   Biankaさま  doruleさまのコメント
  高校時代のまだ すべてに恐れをいだいていた
   その時代がよみがえってきます

 また ラテン語の変化を
  二木先生  と 眠り草さまが

 投稿数は少ないのですが 中身の濃い 内容ですね

 僕も 教養時代 ラテン語は一年学び 単位はもらったのですが  全く忘却  教科書も残っておらず
 何のための勉強だったのか 不思議な気持ちになります
 
 独英は必須科目でしたが  ラテン語 フランス語は
自由科目で とる必要はなかったのです
 今となっては とった意味もなく 恥ずかしいかぎりです

 心鎮まる曲をきいているのですが
 
 日本の国会に 怒り心頭です

   嘘のオンパレード
   どんな事実がでてきても 知らぬ存ぜぬ 
   息をはくように嘘をいう

 どうしてくれようぞ A という気にさせられます

 子供たちを どう教育すればいいのでしょうか
  嘘もつき通せば それでよし  と話し 示すのでしょうか   恥を知れですね


 この シューベルトのアヴェ・マリア と セレナーデ
  を聞きながら 気分を落ち着けることといたします

投稿: 能勢の赤ひげ | 2018年2月 2日 (金) 20時29分

ウォルター スコット、どこかで聞いた名前、思い出しました、『アイヴァンホー』ですね。中学の時、偕成社の子供向けの本で何回も繰り返し読みました。挿絵のユダヤのお金持ちの娘さん(名前わすれました)きれいでとても気に入っていました。本らしい本が戦後始めて出た時です。
赤ひげ様思い出させて下さって有難うございました。そこからシャーロック ホームズに興味が移行しました。残念ながら音楽には興味がなく、高校は音楽を取りませんでした。シューベルトはセレナーデです。私のお葬式に流して貰いたいと思っています。音楽も勉強しておけば良かったと今頃思っています。

投稿: ハコベの花 | 2018年2月 2日 (金) 21時12分

ハコベの花さま

 そうでしたね

 この アイヴァンホー という文字は 何か 特別な力を持ったようなものでした

 今日はじめて 二木先生の アヴェ マリアの蛇足を読ませていただき 
 おー アイヴァンホーだと 驚いた次第です

 ひとつの字句が 何十年も前に心にひびいた感情 感覚を呼び起こしてくれる  いいものですね

 人間の脳の働き 不思議な 素晴しいものです

 いつまでも 若い気を持ち続けたいものです
 そうだ 怒ることも忘れてしまわずにーー

 ちなみに 僕も 高校では音楽をとらず
   書道の授業をうけておりました

投稿: 能勢の赤ひげ | 2018年2月 2日 (金) 22時18分

   doruleさま  Biancaさま

 外国映画に お詳しいと印象をもっております

 よければ 教えていただけないでしょうか

 シューベルトの音楽映画についてです

 先のコメントで  邦題を「未完成交響楽」
 とされた 映画の中だったと記憶しているのですが


 シューベルトと貴族の令嬢が 
  貴族の館から飛び出し  戯れながら
  背の高い草が生えている草原を走り
   芝生?? 丈の低い草地で 寝転び
     青空に目をやる

 そんなシーンはなかったでしょうか

 夢のような さわやかな 美しい情景  
  この BGM が  シューベルトのセレナーデだったと思うのです
  

 シューベルトのセレナーデをきくと
  きまって この情景が頭にうかびます

投稿: 能勢の赤ひげ | 2018年2月13日 (火) 00時43分


二木先生

  こんばんは

 今日は このすばらしい演奏を聴かせていただきたくて
 うた物語に入ってきました

 隣国で まこと 喜ばしいことがおこりましたね

 <南北首脳会談> ついこの間まで 核戦争の危機まで
 過大に喧伝されていたのに  不思議といえるほどあっけなく 
  会談が 板門店(パンムンジョム)の
 韓国側施設「平和の家」 で執り行われています

    両国が平和に向かう途に就いた

 会談での両首脳の顔  もちろん 喜ばしいだけではないでしょう  
 相手が何を考えているかの腹のさぐりあいもあるでしょうね 

  しかし 平和を善しとして同席したことは 間違いないことです   
   紆余曲折はあるでしょうが
  人間 大儀をもって進めば何かがおこってくる
    そう思っています

  隣国に真の平和が訪れることを強く願います


 我々も 中国 朝鮮 に対して行ったことを 記憶を正しく 新たにし 
 世界の平和のため 東アジアの安定のため 
 考え行うことがあるのではないでしょうか

  <南北首脳会談> という歴史上の大きな転換点を目の当たりにして 
  驚きと 喜びと 感動が混ざりあった
  不思議な興奮につつまれています

  現在 戦争の最中の シリア ソマリア イエメン
 などの国々にも 平和が訪れることを願い

    アヴェ・マリア をきいています

投稿: 能勢の赤ひげ | 2018年4月27日 (金) 20時49分

能勢の赤ひげ様
 2月13日付のお問い合わせに気づかず失礼しました。今日、「赤とんぼ」の欄でご注意いただいて知り、そちらに書きましたけれど、確かにそのすばらしいシーンはありました。そちらには書きもらしましたが、あの草の穂はススキみたいに見えました。しかしハンガリーにあんなススキの原は想像できないので、コムギ畑でしょうか。また、映画の原題であるセレナーデ「わが歌は静かに流れる」は、あのシーンには流れていませんでした。

 なお、2013年に私が分からないと書いたマルタ・エッゲルトの居酒屋での歌の:
 Einmal bricht der Bann /ich weiss nicht wann/ nach so viel Tagen (いつかしらないが遠い先の日に禁止が解けるだろう)
の次の句は:
 Einmal wirst du mir / und ich werd' dir/ die Wahrheit sagen.(いつかあなたが私に、私もあなたに、本当のことを言うだろう)
というものだと判明しました。もし気にかけてくださった方がいらしたら、ご休心ください。(あるドイツ語学者に「聴きとれんね」と言われたところでした。)

投稿: dorule | 2018年8月24日 (金) 12時06分

 doruleさま

   こんにちは

  
  僕のつたない記憶にのこる  一場面につき
   早速の お返事 (赤とんぼで) 有り難うございました

  胸のつかえ  が下りていくようで
     嬉しく 楽しく なっております
          感謝  感謝です

  僕には  シューベルトの音楽映画というと
   この場面の記憶しかないのですがーーー

  doruleさまは  よく覚えておられるのですね
   草原の場面のあと  シューベルトの決定的失恋
   にいたる  過程まで
           驚きです

  是非  未完成交響曲 のDVDを手に入れて
   シューベルトの 伝記を見直してみたいと思います

   ほんとうに  有り難うございました


    大阪のチベット  大阪のてっぺん

   能勢で  いい医者かどうかは??? ですが

   できる限り  こだわりの うるさい医者でいよう
      と思っています

投稿: 能勢の赤ひげ | 2018年8月24日 (金) 12時17分

そうでしたね

 doruleさまは  
  2013年に居酒屋のシーンで歌う 
  貴族令嬢の  ドイツ語の歌詞にまで
      言及されていましたね
 
  こんなの とても分からない 知らない
    と スルーしていた自分がいました

  ドイツ語を 必須科目として  学んだのですが
    不勉強が恥ずかしいです

  医学用語の ドイツ語の単語だけです
           少し残っているのは
     文章 文法 会話 などは とてもとても
          駄目ですね


  ラテン語は
   こんな文章を勉強したな

   シーザーが ルビコン川を渡る 史実に関した
     文章でした
    ラテン語は 全く記憶なく
   シーザーの この文章を習ったという事実だけの
       思い出です

    これも  恥ずかしいの一言です

投稿: 能勢の赤ひげ | 2018年8月24日 (金) 14時32分

シューベルトのアヴェ・マリアは昔から大好きな曲です。
大正生まれの母は、東京の叔母の家を頼って上京し、薬学部へ進学し薬剤師になったので、その大学時代の思い出でもある映画「未完成交響楽」の話をよくしていました。
私は今年になってDVDを手に入れ、ようやく願いがかなったのです。
令嬢との最後の会話、そのあとにシューベルトはかって令嬢の願いにより、完成させるべく書きかけた楽譜の数ページを破り捨て、「わが恋の終わらざる如く この曲も終わらざるべし」と楽譜に書くのです。この場面も印象的でした。
邸を後に失意のうちに野中(畑中?)の道を歩いて行くと、小さなマリア像が立っていて、シューベルトはそこでしばし立ち止まり……アヴェ・マリアが流れます。曲想はこの時に生まれたかのように私は感じました。
かつて「アマデウス」を観た時に、モーツゥアルトが妻の母に長々とヒステリックに叱られる場面がありました。はじめはシュンとして聞いているのですが、そのうちにモーツァルトの目がイキイキと輝き初め、難渋していたオペラの、ソプラノの魔女の歌が出来上がっていくのです。
天才とは、どのような場面をも、素晴らしい力を与えられているように感じました。
(私は一時、眠り草を名乗りましたが、nobaraに戻しました。鋭い棘で皆様を傷つけないようにいたします)

投稿: nobara | 2018年10月23日 (火) 11時48分

すみません。ミスをしました。
最後のほう、「天才とはどのような困難をも、素晴らしい作品に昇華させる力を与えられているように感じました」と書くつもりでした。
一部抜けたまま送信してしまいました。

投稿: nobara | 2018年10月23日 (火) 12時01分

nobara 様
「アヴェマリア」の場面は、初見当時の少年には場違いに感じられたと前に書きましたが、それはアヴェ・マリアとはただ聖母を讃える宗教歌という先入観のためでした。二木先生の「蛇足」で歌詞の全文を味わい、失恋の傷心を慰め励ましているのと知って、nobara 様の感じられたことをふくめて、ラストシーンがよく理解できました。
映画「幻想交響楽」には、本当に印象的な場面が多かったですね。私の目に浮かぶ印象的な場面の最初は、とことことギターケースをかついで行く先は質屋で、そのカウンターで、「ギターですか」という娘に楽器を見せながら、大事そうに一本の弦をポロンと鳴らしてみせるところでした。この娘が初対面の時からシューベルトに心を寄せてくれるのですが……
「我が恋の終わらざるごとく この曲も終わらざるべし」は、曲名を解釈するフィクションとして、実によくできていますね。てっきり、ああそうなのか、と感心したものでした。
「アマデウス」を引きあいにしたnobara様の天才観に教えられました。

投稿: dorule | 2018年10月24日 (水) 08時02分

dorule様
ご丁寧に……恐縮に存じます。
私は下書きもせず、その時思ったことを直接書き込むものですから、アマデウスの件でもミスをしました。
魔女の歌というのは、正確にはモーツァルトが生涯の終わりが近づいたころ書き上げた、「歌劇『魔笛』の夜の女王のアリア」のことです
映画「未完成交響楽」はおっしゃる通り、本当に印象に残る場面が多いですね。質屋の娘さんのことは、私も最後まで気にかかりました。とても一途でいじらしくて。
映画はフィクションを数々織り交ぜて作られているのでしょうが、なぜ未完成交響楽と呼ばれるのか、納得させられるような、よくできた脚本だと思いました。
マルタ・エゲルトの歌声は、本当に素晴らしかったですね。

投稿: nobara | 2018年10月24日 (水) 21時54分

二木先生 こんばんは
  ご無沙汰いたしております

 また 勝手なことを 書きたくなりました
   なぜ この アヴェ・マリア(シューベルト)なのか
  近年 無惨にも 亡くなられた 被害に遭われた方たちへの
  追悼 慰め の気持ちを表したかったのです

(これ以降は『交流掲示板』に移しました。ご了承ください。管理人)

投稿: 能勢の赤ひげ | 2019年2月21日 (木) 22時25分

私が楽しみにしている3時からのNHKのドラムの旅でよく見るのがヨーロッパ各地の古城と協会です。ステンドグラスと尖塔の素晴らしい建物。中には芸術の粋を凝らした造形の美しい装飾ため息が出るほど魅了されます。文化の高さ違いを感じずにはいられません。2つのアベマリアを弾きますがどちらも大好きです。グノーのアベマリアも。今日は聖夜クリスマスイブ♪きよし~この夜~星は~光~♪特にフランスの湖岸に建つ古城と古い協会が印象的でした。ジャンヌダルクを思い出します。

投稿: kazuyo | 2023年12月24日 (日) 09時56分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 森の小径 | トップページ | 無情の夢(戦前版) »