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2012年10月20日 (土)

無情の夢(戦前版)

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:佐伯孝夫、作曲:佐々木俊一、唄:児玉好雄

1 あきらめましょうと 別れてみたが
  何で忘りょう 忘らりょうか
  命をかけた 恋じゃもの
  燃えて身を灼く 恋ごころ

2 喜び去りて 残るは涙
  何で生きよう 生きらりょうか
  身も世も捨てた 恋じゃもの
  花にそむいて 男泣き

《蛇足》 戦前に大ヒットした演歌の1つで、昭和10年(1935)にビクターから発売されました。

 演歌ついては、歌謡曲イコール演歌とする説や演歌は歌謡曲は別のジャンルとする説など、いろいろな考え方がありますが、歌謡曲のなかの1ジャンルとするのが、一般的な受け取り方のようです。

 歌謡曲は日本におけるポピュラー音楽の総称であり、洋楽的なものから日本調の歌まで幅広いジャンルが含まれます。そのうち、メロディや歌詞、テーマに日本的特徴がとくに強く感じられるものが演歌と呼ばれます。

 日本的特徴とは、メロディがいわゆるヨナ抜き(ファとシがない5音階)で、歌詞は七五調を基本とした短詩型が主流という傾向を指します。
 テーマは、人生もの、母もの、股旅・任侠もの、望郷ものなどさまざまですが、最も多いのが失恋ものです。ひと言でいうと、"陰の情念"が演歌の主要テーマであるといってよいでしょう。

 ヨナ抜きでも、古賀政男の『丘を越えて』のような明るく楽しい歌も少なくありませんが、こうした歌はあまり演歌とは感じられないようです。

 "陰の情念"を表現するために、酒、涙、女、雨、雪、北国、別れ、命、未練、泣く、むせぶ、港、諦め、運命(さだめ)などの言葉がよく使われます。

 以上の観点から『無情の夢』を見ますと、メロディはヨナ抜き、歌詞は七五調で、諦め、別れ、命、涙、男泣きなどがちりばめられた失恋歌で、まさしく演歌そのものです。

 演歌の歌唱法にも特徴があって、歌手によって多少異なるものの、いわゆる小節(こぶし)をころころ転がし、感情をオーバーに表現する傾向が顕著です。
 こうした傾向は、昭和30年代以降にとくに強まってきました。このころから、音大出身者でなく、のど自慢大会の優勝者とか流しなど、歌がうまいと評判になった人がレコード会社にスカウトされて演歌歌手になるケースが増えてきたことが関係しているようです。

 いっぽう、戦前から昭和20年代にかけては、藤山一郎、霧島昇、伊藤久男、淡谷のり子、佐藤千夜子、松原操(ミス・コロムビア)など、音楽学校で正統的な声楽教育を受けた歌手が人気を博していました。
 彼らは、演歌を歌うときにも、喉を締めず
、頭や胸に音を反響させ、それを喉からすっと出す歌い方、いわゆるクルーン唱法で歌っていました。 

 『無情の夢』を歌った児玉好雄は、アメリカのパシフィック大学音楽科やイタリアのミラノ音楽院でオペラなどクラッシック音楽を学んだ声楽家ですが、身につけた西欧音楽の歌唱法を和音階にうまくマッチさせた歌い方をして成功を収めました。

 同じ演歌でも、小節や感情表現を誇張した歌い方より、クルーン唱法のように自然な歌い方ほうが私は好きですね。
 コテコテのド演歌
歌唱法にも、それなりの味わいはあるとは思いますが。

(二木紘三)

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コメント

曼珠沙華抱くほどとれど母恋し   汀女
 
 いくつになっても亡き父母の面影は消えませんが、とくに母の面影が若いままなのは、こどもの頃の母との一体感が強かったせいでしょうか。
 母が生前よく口ずさんでいた歌をアップしていただきありがとうございます。
 厳父(今は死語になった用語かもしれません)は、こどもには絶対に流行歌を歌わせない主義でした。わたしが何の気なしに歌っていて頭をぶたれたり、どやされたりしたことが何回もあります。その分(か、どうかは分かりませんが)母は比較的寛大で、こどもたちが流行歌を歌っていても、とくに叱るようなことはなかったように思います。自分自身歌が好きだったせいかもしれません。それも戦前の、母の若かりし頃の流行歌で、水仕事や針仕事をしながら、よく口ずさんでいました。この歌もよく歌っていたので、直ぐに覚えましたが、とくに出だしの「あきらめましょうと 別れてみたが」の部分の記憶が鮮明なのは、母が繰り返しこの部分を歌っていたからだろうと思います。
 以前、別の歌で、父と結婚する前に、母には好意をもっていた従兄がいたとコメントしましたが、戦前の封建制度がまだ根強く残っていた新潟の田舎では、そんなことを口に出せるわけもなく、家長の命令一下泣く泣く結婚せざるを得なかった、母の心情を思うと、この歌のメロディも詞も、測測と身に迫るものがあります。

投稿: ひろし | 2012年10月21日 (日) 14時21分

 『お母さんの青春の歌って、どんな歌があるの?』と、高校一年だった私が聞きましたら、この歌だと答えてくれました。『どんな歌?』と聞くと、『諦めましょうと、別れて・・・』と歌い始めてくれ、歌詞を書いて、教えてくれました。大正6年生まれの母でしたから、この歌が流れ始めたときは、十八だったことになります。江田島の海軍兵学校に行っていた同郷の人が好きだったのだそうです。その人の写真を、アルバムの中におさめていた母が、見せてくれました。

 この人とは一緒になれなかったのですが、東京弁で話す、キリリとした父と、松江で出会って結婚をしたのです。父の子を四人産んで育て上げてくれました。週に一度は、父や子どもたちを送り出すと、必ず新宿まで買い出しに出かけ、デパート巡りをしていたようです。十四でクリスチャンになり、その信仰を守り通しました。

 兄たちや弟にケーキにローソクを灯して、今年の3月31日、95回目の誕生日を祝われた晩に、天に帰って行きました。私は、中国の地におりましたので、同席できず、「告別式」に家内と帰国しました。京都、山形、京城、山梨、東京と父にしたがって、共に生活し、早世した父と別れて、四十二年間、兄家族とともに過ごした母でした。時々、こちらの「優酷」というサイトで、児玉好雄版を聴くことができます。以前は、「二木紘三のうた物語」で聞けたのですが、なぜか最近は聞けないのが残念でなりません。

 明治の終わりに生まれた父との別れは涙を流したので、母の死の報を耳にした時にも、「告別式」にも、こちらに戻ってきてもなくと思ったのですが、なぜか泣きませんでした。海外にいる二人の娘は、おばあちゃんの死で父がきっと大変に違いないと、式に参列するためと私を心配して帰国したのですが、動揺していない父親の私を見て、意外な顔をし続けていました。母の「無情の夢」も意外でしたが、母も恋する乙女であったことを知らされて、なんとなく安心したのです。『さようなら』ではなく、『再見!』でした。

投稿: jimmy | 2012年10月29日 (月) 14時32分

 ふと、この歌を聞いて、ぐっと胸がつまりま
した。もともとこの歌は知っていますが、私は
いまちょうど「森鴎外とエリーゼの恋」につい
て、いろいろ調べて掲示板に書き込んでいます。

 鴎外の気持を考えると、感傷的な気持になり
年の性か目頭が熱くなりました。鴎外もきっと
「男泣き」をしたのでは、、、と思います。

投稿: かっちゃん | 2012年11月11日 (日) 11時37分

昨年このコーナーをしって、夕食前食前酒をいただきながら昭和の流行歌を口ずさんでおります。上さんには嫌がられますが、サラリーマン退職後の自由人生活エンジョイタイムとして大変喜びの時間を過ごせて有り難い限りです。投稿のコメントを読みながら同世代あるいは先輩諸氏昭和世代の連帯を感じております。末永くこのコーナーの充実を願っております。
長崎の自由人 60歳

投稿: 谷口 修 | 2013年1月17日 (木) 18時52分

数年前よりこのサイトの虜になっております。
二木先生の素晴らしい選曲と蛇足に感銘をいたしております。
それに皆さんからのコメントを拝読するのが何よりの楽しみです。
この曲「無情の夢」は、SP盤収集の折偶然に手に入ったものです。曲名は知っておりましたが、オペラ歌手で活躍された児玉好雄さんの見事な歌唱には心を揺さぶります。
また、作詞・作曲の佐伯孝夫、佐々木俊一のゴールデンコンビによる逸品だと思います。

投稿: 一章 | 2015年8月29日 (土) 22時47分

「無情の夢」は、私の大好きな「燦めく星座」(S15)を作詞・作曲した、佐伯・佐々木コンビによる歌で、 児玉好雄さんによる豊かな歌唱力と相まって、聴く人を惹きつける名曲であろうと思います。
  そもそも、男性側から歌った失恋の歌として、「酒は涙か溜息か」(S6)、や「影を慕いて」(S7)のように、短調の歌が多数派を占めるなか、「無情の夢」は少数派の長調の歌の一つと言えましょう。そのため、何ともやるせない内容の歌詞でありながら、重苦しい湿っぽさが幾分か緩和されて、失恋の歌の割には、からっと、構えることなく歌えるように思います。この辺りが、魅力を感じる一要素でありましょう。
  なお、二木先生が《蛇足》で論じておられる歌謡曲/演歌論は、大変参考になりました。学校音楽が歌の原点であると自認する私にとって、演歌にもいい歌が多々あることは知りつつも、相対的に、”歌謡曲”という言葉により引力を感じ、童謡・唱歌、戦前・戦中歌謡曲や戦後歌謡曲黄金期の歌々の方に、自然と心が向いていることは否めません。

投稿: yasushi | 2017年12月27日 (水) 14時42分

久しぶりに、 「無情の夢」を聴いております。

男性側から謳った失恋の思いは、失恋を経験した同性として、心に深く響くものがあります。
ただ、辛くやるせない内容の歌詞でありながら、長調であるせいか、湿っぽくならずに、すっと聴けるところが救いではなかろうかと思います。

歌詞の中の、別れの原因は何だったのでしょう。家の事情?、はたまた、相手の心変わり?
♪あきらめましょうと…♪(歌詞1番)や、♪喜び去りて 残るは涙…♪(歌詞2番)のフレーズから、何とはなしに、”家の事情”によってと、受け留めたくなります。こちらの方が、まだ救いがあるように思います。

そして、末尾の、♪花にそむいて 男泣き♪は、さすが詩人、素晴らしい表現力だと言えましょう。”本来なら、我が青春(=花)を謳歌して、明るく晴れやかに振舞いたいのに、失恋に打ちひしがれて、僕は泣いている”、という心情が伝わってくるように思うのです。

投稿: yasushi | 2020年5月 9日 (土) 13時38分

77歳喜寿を迎えた老人です。夜散歩中、ふと口ずさんだ歌で題名は何だかわかりません。病弱で3歳くらいまで歩けなかった私を母が抱いて子守唄のようにいつも歌っていて、最初のフレーズと旋律は今でも覚えていますが、曲名が分らないまま現在に至っていました。母は私が小学2年の時34歳の若さで亡くなりました。その後聞いた話では母が一度実家に帰り他家に嫁ぎ、その後また、復縁して私の父と再婚したと聞いています。今晩、ネット検索して、題名もわかり詩を読ませていただき母自身の心情が歌と重なる思いに、母の短い人生の儚さを共有できました。この企画を編集された関係者に心から感謝申しあげます。

投稿: きょうちゃん | 2022年3月31日 (木) 20時39分

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