ワシントン広場の夜はふけて
(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo
日本語詞:漣 健児、演奏:The Village Stompers
1 静かな街の 片すみに Washington Square 1. From Cape Cod Light to the Mississip, |
《蛇足》 アメリカのショーマンでソングライターのボブ・ゴールドシュテイン(Bob Goldstein) が曲作りに行き詰っていたとき、ふと高校時代に〝India"という曲を作ったことを思い出しました。楽譜を引っ張り出してみると、けっこういけそうです。
音楽仲間のデイヴィド・シャイア(David Shire)の協力を得て、この曲に大幅なアレンジを加えて仕上げたのが、〝Washington Square" です。
ゴールドシュテインの得意分野はデキシーランドジャズ(Dixieland jazz)、いわゆるデキシー(dixie)でしたが、このころ(1950年代後半~)フォークソングが高い人気を得ていたことを考慮して、その要素も加えた曲作りをしました。 これがフォークとデキシーがミックスされた新しい音楽ジャンル「フォーク・デキシー」の先駆けとなりました。
なお、デキシーランドは南部諸州の通称です。
こうしてできあがった曲は、1963年9月、当時まだ無名だったデキシーランドジャズ・グループのザ・ヴィレッジ・ストンパーズ(The Village Stompers)が演奏して、エピック・レコードのレーベルで発売されました。
A面が〝Washington Square"(日本語版題名『ワシントン広場の夜はふけて』)、B面は〝Turkish Delight" (日本語版題名『ウィーンの夜はふけて』)で、両方ともインストルメンタル曲でした。後者はモーツァルトの『トルコ行進曲』をアレンジしたものです。
発売されてすぐに評判になり、〝Washington Square"は『ビルボード誌』のランキングで2位になるとともに、グラミー賞のインストルメンタル部門にもノミネートされました。日本やオーストラリア、カナダ、イギリスなど各国でも大ヒットしました。
リリース後、両作曲者により詞がつけられ、翌年からジ・エイムズ・ブラザーズなど、非常に多くのグループや個人によって歌われました。
日本では、パラキンの愛称で親しまれた「ダニー飯田とパラダイスキング」の演奏と歌により、洋楽部門の売り上げで6か月間トップを維持するという大ヒットとなりました。
パラキンが歌った日本語版の歌詞は、冷たい風が吹く夜更けにワシントン広場の片隅で来ない恋人を待ち続ける切ない男心を歌ったものになっていますが、原詞はまったく内容が違います。
「オラ、カンザスいやだ、ミズーリもいやだ、ニューヨークさ行くだ。ニューヨークさ行たなら、ワシントン広場でバンジョーで曲弾くだァ」といったような陽気な内容です。
原詞の1番に出てくるフーテナニー(hootenanny)は、聴衆も参加できる形式ばらないフォーク・コンサートであり、2番に出てくるMOはミズーリのことです。
バンジョーといえば、上のmp3では歌詞トラックに最初バンジョーを使いましたが、音質が気に入らなかったので、ジャズギターに変えました。
日本語詞を書いた漣(さざなみ)健児は本名:草野昌一。 早稲田大学第一商学部在学中から父親の経営する新興音楽出版社(現:シンコーミュージック・エンタテイメント)で音楽雑誌の編集に携わり、のちに父親の跡を継いで同社の社長・会長を務めました。
経営のかたわら、アメリカンポップスを中心に約400曲の外国曲に歌詞をつけました。そのなかには、坂本九『ステキなタイミング』、飯田久彦『ルイジアナ・ママ』、中尾ミエ『可愛いベイビー』などの大ヒット曲が含まれています。
楽譜には「訳詞:漣健児」と表示されているものがほとんどですが、『ワシントン広場の夜は更けて』を見てもわかるように、その詞には原詞から大きく外れたものが多く、訳詞というより作詞といったほうが当たっていると思います。
『ワシントン広場の夜はふけて』は、前の歌詞の2行目を次の聯の1行目に使うというふうに少しずつずらして重ね合わせ、全体として1つの情景を表すというしゃれた構造になっています。
原詞に沿った訳詞だったら、日本ではあれほどヒットしなかったかもしれません。アメリカンポップスのカラッとした曲想を湿り気を好む日本人の感性に合わせるという点で、彼の右に出る訳詞(作詞)家はあまりいないでしょう。
平成17年(2005)6月6日没。
ワシントン広場(写真)は、正式にはワシントン・スクエア公園(Washington Square Park)で、マンハッタン島の南側、アッパーミドルクラスの住民が多く住むグリニッチ・ヴィレッジのほぼ中心にあります。
広さは約4万平方メートルで、約1900あるというニューヨーク市の公園のなかでは小ぶりなほうですが、知名度ではトップクラスです。北東側の正門近くにはワシントンを記念した凱旋門があり、中央付近に噴水が設けられています。
音楽演奏やジャグリングなどのパフォーマンスが日常的に行われており、周辺住民の憩いの場になっているとともに、観光客も多く訪れます。
公園の周りにはニューヨーク大学の校舎や施設が建ち並んでいますが、そのうちの多くには、以前はビート世代の作家や音楽家、画家などがスタジオや住居を構えていました。今でも公園周辺には、それらのアーティストたちが多く住んでいます。
そんなことからアメリカ内外のアーティストたちの憧れの場所になり、観光名所にもなったのでしょう。
(二木紘三)
コメント
日米の文化、というより感性の違いが良くわかる二つの歌詞だと思います。私はこの曲の日本語の歌詞しか知りませんでした。二木先生、ご教示ありがとうございました。
原詞1番のCape Codはマサチューセッツ州、San Franciscoは言うまでもなくカリフォルニア州です。イギリスからの移民が着いた場所から西部開拓の終着点、つまりアメリカ全土という意味だと思います。バンジョーが登場する点でも全体としてカントリーソングの歌詞のようですが、New Yorkを称えている辺りはあまりカントリーらしくありません。
一方日本語の歌詞は、この曲の哀愁感にしっくりしていると思います。しかし、そう感じるのはおそらく私が日本人だからでしょう。歌詞の違いに起因すると思うのですが、この曲のロマンチックな雰囲気に惹かれて実際にワシントン広場に行き、がっかりした日本人は多かったようです。
投稿: Yoshi | 2012年11月13日 (火) 12時28分
NY観光で行ったことがありますが、確かに日本語の歌詞のような情緒はなかったようです。このブログで始めて読んで見ましたが、この歌詞も素敵だと思います。広大な米大陸を自由に放浪する人々が目に浮かびます。キング牧師の20万人を集めたワシントン大行進(これも1963年ですね)を連想します。
投稿: Bianca | 2012年11月19日 (月) 14時57分
日本語の歌詞は64年の平凡パンチ創刊号に載っていて覚えました。 63年のケネディ暗殺、この歌と平凡パンチのアイビーリーグがアメリカに興味を持つきっかけでした。 79年から6年間ニューヨークで生活しましたが最初に行った場所はWashingtong Square Parkでした。
その後は時間取れるときに車で英語の歌詞にあるUS route1をニューイングランドまでIvy Leagueの学校によりながらCape Codまで何回か行きました、最後に訪問したのは06年ですがマンハッタンの下は変わっていましたがビレッジは昔のままでした。 この曲は今でもよく聴きますし、携帯の着信音はthe Village Stompersの曲です。
投稿: Ken | 2013年5月 2日 (木) 18時02分
投稿: 山下輝明 | 2013年7月18日 (木) 21時33分
勉強になりました、首都に存在する公園とばかり思っていました。
投稿: mesato | 2014年3月 5日 (水) 22時03分
大学に入学しですぐに入手した平凡パンチ創刊号に歌詞が載っていて心に残りました。 以来何度も歌を聴いていました、79年にニューヨーク駐在になり最初に行ったのがWasington Squareでした。 今でもよく聞きますが好きなのはThe Village Stompersの演奏とデュークエイセスの歌です。
投稿: 湧井 一浩 | 2017年7月28日 (金) 15時44分
ワシントン広場も、五番街もニューヨークの地名です。
ライザ=ミネリのボーカルで有名な映画の主題歌『ニューヨーク、ニューヨーク』は、後にフランク=シナトラがカバーしています。地名を繰り返している様に聞こえますが、ニューヨーク州ニューヨーク市という意味もあります。言ってみれば、京都府京都市ということと同じですが、ニューヨークの非公式な市歌とも言われます。
また、デューク=エリントンのJAZZのスタンダードナンバー、『A列車で行こう』は、ニューヨークの地下鉄A系統を謳っていると聴くと、やや拍子抜けしますが、何かにつけて、地名が使われるのは、歌謡曲における東京と同じです。
投稿: Yoshi | 2022年8月 2日 (火) 16時59分
(文中敬称略)
この曲をモチーフにした邦楽はたくさんありますよね(同類でダイアナ・ロス&シュープリームス「恋はあせらず」)。
私なりにざっと挙げてみました。
「花と小父さん」(1967、歌唱:伊東きよ子と植木等の競作、作詞・作曲:浜口庫之助)
「小さなスナック」(1968、歌唱:パープル・シャドウズ、作詞:牧ミエコ、作曲:今井久)
「おばちゃんのブルース」(1969、歌唱:笑福亭仁鶴、作詞:岡本武士(仁鶴)、作曲:田中正史)
「待つわ」(1982、歌唱:あみん、作詞・作曲:岡村孝子)
「居酒屋」(1983、歌唱:五木ひろし&木の実ナナ、作詞:阿久悠、作曲:大野克夫)
「もしも明日が…」(1983、歌唱:わらべ、作詞:荒木とよひさ、作曲:三木たかし)
「夜がくる(人間みな兄弟)」(1968、作詞・作曲:小林亜星、サントリーオールドCMソング)
投稿: Black swan | 2024年2月10日 (土) 15時36分