お家わすれて
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1 お家(うち)わすれた 子雲雀(こひばり)は |
《蛇足》 詞・曲とも、雑誌『少女号』(小学新報社)の大正11年(1922)4月号に発表されました。
『少女号』は、大正5年(1916)の年末に創刊されました。昭和3年(1928)に廃刊されるまでに約140冊発行されましたが、残っているのは65冊ほどで、あとは散逸してしまいました。
『お家わすれて』が掲載された号は、日本近代文学館とさいたま文学館で見ることができます。
どうしてこの時代の童謡には、こうもの寂しい歌やうら悲しい歌が多いのでしょう。乳幼児の死亡率が高い、いいかえると早くに愛児を亡くす人が多かったり、苦しい生活を送る人が多かったりした時代の反映なのでしょうか。
そうかといって、現代のように子どもの歌が元気で明るい歌ばかりになっているのも、どうかと思いますね。人生の複雑な諸相を単純に割り切る子が増えはしないかと心配です。まあ、歌だけで情緒や人生観が培われるわけではありませんが。
私は、小学校の音楽の時間に習った覚えはありませんが、すぐに歌えました。たぶん、古賀さと子あたりの歌をラジオで何回か聴いていたからでしょう。
追記:Netflixで見た『ライオン』という映画を思い出しました。5歳のとき、インドの寒村で迷子になった少年が、路上生活、収容所生活を経て、オーストラリア・タスマニア島の夫婦の養子になり、25歳のとき、グーグルマップで生地を探り当て、母・妹と再会するという話です。実話に基づいているそうです。
(二木紘三)
コメント
この歌と「母さんたずねて」の歌は状況が似ているせいか、歌詞を取り違えて歌ったりしていました。小雀が子ひばりになったりで何と似ているのかと思ったものです。親が亡くなってしまったら自分はどうなるのだろうかという恐怖を覚えた歌でもあります。小学校4,5年生の時でしょうか。親のいない子、本当に貧しい子などへの思いやりも覚えた様に思います。そういう意味では悲しい歌にも大きな価値があると思います。歌詞が聞きとれない早口の明るい歌ばかりになってしまったら、人間として孤独や哀しみを覚えた時に癒す方法がわからいのではないでしょうか。一人ぼっちになってしまったら、今でも恐怖を感じます。
投稿: ハコベの花 | 2013年5月31日 (金) 11時40分
作曲の弘田龍太郎が生まれた安芸市は、「童謡の里」をアッピールしていて、市内の景色のいいところどころに可愛いい曲碑が建っており、メロデイが流れてくると思います。厚顔ながら、小生も安芸で生まれました。生後四日目か、南海大地震があり、直前に母が私を移し、箪笥の下敷きになるのを免れたそうです。小さいころ、「叱られて」にも歌われていますが、キツネがないている山道が怖かったことを思い出します。
投稿: 樹美 | 2013年5月31日 (金) 17時51分
この歌は、昭和20年代の幼い頃にお遊戯つきで母に教わった忘れられない歌です。その時以来初めてこちらで聴かせて頂き、あまりの懐かしさでコメントさせていただきました。この哀調おびた曲は、母子家庭で育った幼な心の私の胸に切なく響いてきました。母を喜ばせようときれいな声で振りも上手に…と思った記憶が甦ります。よく歌を唄ってくれた母でした。自分が子供の頃学校で習った歌やラジオから流れる歌など、小さい私によく教えてくれました。その影響か?私はずーと合唱団に所属し合唱歴50年以上です。大正生まれの母は33才で未亡人になり女手一つで4人の子供を育てました。8年前90才で亡くなった母を偲びながら50何年ぶりに再会したこの曲を口ずさみました。哀調おびた曲に触れるとなぜか心が落ち着く不思議さを感じつつ……
ありがとうございました!
投稿: コスモス | 2014年6月14日 (土) 00時21分
「お家わすれて」私がこの唄を知ったのは、大人になってからで、古賀さとこさんの歌を初めて聴いた時、童謡なのになんとも言えず寂しい詩だという印象を受けました!
昔「浜千鳥」を聴いた時、この作者について調べたことがあるのですが、鹿島鳴秋は6歳の時に父が家出をし、母は再婚して他家に嫁いだため、幼くして両親と生き別れになってしまった。
幼い頃に親から見捨てられてしまった深い悲しみは、大人になっても癒えることはなかったようだ。という記述を読みました。
「お家わすれて」
1:お家わすれた子雲雀は ひろい畑の麦の中
母さんたずねてないたけど 風に穂麦が鳴るばかり♪♪♪
「浜千鳥」
1;青い月夜の浜辺には 親をさがして鳴く鳥が
波の国から生まれ出る ぬれたつばさの 銀の色♪♪♪
上記二曲とも「親をさがす」子の寂しさとその悲しい想いがテーマになっており、そこに鹿島鳴秋自身の強いこだわりが感じられます。
「千鳥」と「雲雀」を主人公にして、自分自身の生い立ちからくる、その胸に秘めた寂しい想いをそれぞれの唄に込めたように私には思えてきます。
蛇足>どうしてこの時代の童謡には、こうもの寂しい歌やらうら悲しい歌が多いのでしょう。乳幼児の死亡率が高い、いいかえると早く愛児を亡くす人が多かったりした時代の反映なのでしょうか。とありますが、私は時代背景から想像してこの解説はとても意味深いものを感じます。
鹿島鳴秋の詩には「金魚の昼寝」のようなほっこりするような作品も稀にありますが、やはり私は「浜千鳥」や「お家わすれて」などの寂しい作品を想い描いてしまいます。
そしてこの唄は、作曲者広田龍太郎のそのメロディの素晴らしさを改めて感じさせてくれる作品でもあります。
投稿: 芳勝 | 2019年6月30日 (日) 16時36分