カミニート
(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo
日本語詞:藤沢嵐子
カミニートよ 愛の小径 |
《蛇足》 アルゼンチンタンゴのスタンダードナンバーの1つ。
1903年に発表されたガビノ・コリア・ペニャロサ(Gabino Coria Peñaloza)の詩に、ファン・デ・ディオス・フィリベルト(Juan de Diós Filiberto)が曲をつけたもの。1926年にブエノスアイレス市主催の歌曲コンクールに応募して優勝し、以後、世界中のタンゴファンに親しまれてきました。
日本には昭和8,9年ごろに入ってきました。淡谷のり子、藤沢嵐子、高英男、芦野宏、グラシェラ・スサーナ、冴木杏奈など多くの歌手が歌っています。
藤沢嵐子は、昭和20年代半ばに起こったタンゴブームのときに、"タンゴの女王"と呼ばれた人。彼女が『カミニート』につけた日本語詞は、原詞の意味と情感を簡潔に表現したみごとなものです。
カミニート(caminito)は小道という意味で、ペニャロサはこの詩を、故郷チレシートでの思い出の道をイメージして書いたと伝えられます。
今はカミニートというと、ブエノスアイレスの海側、ボカにあるカミニート通りを指すようになっています。
ここは、もとはリアチュエロ川に流れこむ小川でしたが、埋め立てられて近くの港に貨物を運ぶ鉄道が引かれました。港が衰退し、貨物線も廃線になると、一帯は荒廃した街になりました。
フィリベルトの親友でボカ生まれの画家、キンケラ・マルティンは、成功すると、得た資金でボカ一帯に幼稚園や学校、美術館などを建てました。
カミニートには、地元の人たちと相談して、大胆なカラーリングを施した建物をいくつも建てました(写真)。
ボカを中心とするブエノスアイレスの南東部地域は、タンゴ発祥の地とされます(『エル・チョクロ』参照)。『カミニート』の大ヒットもあって、このあたりはタンゴの聖地のようになっています。
今ではブエノスアイレスを代表する観光名所になり、大道芸人が本場のタンゴを踊り、画家の卵たちが自作を売るために集まって、観光客たちを楽しませています。
(二木紘三)
コメント
カミニート・・・懐かしいタンゴ曲です。
藤沢嵐子が現役時代に地方巡業のコンサートを聴きました。やや彼女のピークを過ぎてはいましたが、円熟した歌声は絶品でした。
その時舞台の前座を務めたのが学生服姿の菅原洋一です。学生服はおそらく舞台衣装ではなかったかと思われますが、まだほっそりとした姿が初々しくよく似合っていました。またその歌声の若若しく魅力的だったこと。無名の彼の素晴らしい歌唱力に酔いしれた思い出があります。
投稿: おキヨ | 2013年7月17日 (水) 11時51分
懐かしいですね。高校の音楽の時間に覚えたか、歌声喫茶で覚えたか今や思い出せませんが、この歌を歌うときいつも、クラス仲間として集団で付き合っていたものの、こちらの貧しさと成績の悪さが壁と思い、思いを伝える機会がなかった同じクラスの女生徒を、思い描いていました。
投稿: ケン | 2013年7月26日 (金) 22時17分
1950年代頃、ダンスの習い始めに藤沢嵐子のカミニートのレコードを買い、タンゴを踊った事を思いだします。
十年程前に亡くなられたと思いますが、一寸上のお姉さまと言う感じで忘れられない女性です。
ついぞコンサートに行く機会が無かったですが、あの美貌と美声にこの身を奉げたい位でした。
改めまして彼女のご冥福をお祈り申し上げます。
投稿: けいちゃん | 2019年4月13日 (土) 22時01分