夕月の歌
(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo
作詞:寺尾智沙、作曲:田村しげる、唄:伊藤久男
1 ふるさとの 丘に来て |
《蛇足》 昭和27年(1952)10月発売。
NHKのラジオ歌謡と思われていますが、これは違います。ややこしいことに、同じ年の4月14日から、NHKラジオ歌謡として同名の『夕月の歌』が放送されました。こちらは、高橋掬太郎作詞、藤山一郎作曲で、藤山一郎が歌いました。
寺尾・田村版の『夕月の歌』がラジオ歌謡と思われているのは、曲調もさることながら、高橋・藤山版と混同されている面があるようです。
それにしても、昭和20年代から30年代半ばにかけて、NHKの音楽番組で寺尾智沙という名前を何度耳にしたことでしょう。「寺尾智沙作詞、田村しげる作曲……」というアナウンスを聞いただけで、ああまたロマンチックな歌だな、と思ったものです。
寺尾智沙という名前自体が、私の耳にはリリカルに響きました。きれいな詩を書ける人は得ですね。
寺尾智沙と田村しげるは夫婦で、『白い花の咲く頃』(唄:岡本敦郎)、『リラの花咲く頃』(同)、『さざん花の歌』(唄:鳴海日出夫)、『宵待草のうた』(唄:伊藤久男)など数多くの抒情歌を世に送り出しました。花をテーマとした名曲が多いですね。
(二木紘三)
コメント
綺麗な詞ですね。聴きようによっては、女性の歌とも取れますが、これが名曲なんでしょうね。今ではこう言う詞は横井弘くらいしか書けないでしょうね。
投稿: 海道 | 2013年7月24日 (水) 15時17分
私も女性の気持ちを歌った歌だと思います。思い出す人への懐かしさ、恋しさ、半世紀経っても消える事もなく青年のままの美しい面影が浮かんできます。この歌は夕月ですが、私は茜色の空に想い出を誘われます。浜松は気候が暑いせいか白樺の木肌が白くならないのだそうです。信州の白樺の木立の中を一度歩いて見たかったですね。
投稿: ハコベの花 | 2013年7月27日 (土) 18時58分
ハコベの花様 いつも素敵なご投稿で楽しく読まして頂いております この歌は伊藤久男が創唱しました 後 本間千代子が カバーしております netで聞きますと ハコベの花様が仰るように女性の歌と 思われます 伊藤久男で聞きますと 男性の歌とも聞こえます
投稿: 夢見る男 | 2013年7月29日 (月) 08時06分
夢見る男様 男性でもこの歌の様な感傷に浸る事があるのでしょうか。夫たちを見ていると感傷なんて全くありません。しかし我が家に来る最近の若い男性は、単身赴任で恋人と離れて暮らしているせいか、恋人の話をすると遠くを見つめた感傷的な目をして「ただ一人の人だ」と話します。とても素敵な男性に見えます。「これで別れるともっと素敵な女性になるのよ」というと真剣な顔をして「絶対にそれは出来ない」といいます。純情な若い人は良いものですね。心の奥に秘めた遠い日の白い花が私たちには若返りの秘薬かも知れませんね。
投稿: ハコベの花 | 2013年7月30日 (火) 20時42分
なんと直截なアドヴァイスをハコベの花さんは仰る。としつき万の甲羅を経た言葉。しかし真実です。恋/愛は別れて成就する。半世紀前、万葉の大家に教わりました。
投稿: minatoya | 2013年7月31日 (水) 06時36分
minatoya様 経験者のみが知る至福の感傷ですね。
投稿: ハコベの花 | 2013年7月31日 (水) 14時28分
ハコベの花様 私 皇后様とは1日違いの誕生でして ハコベの花様とは失礼ながら同世代かと拝察いたしますが この歌の感傷は身に沁みます エムズの片割れと云うホームページで伊藤久男 夕月の歌を是非共お聴きください 又本間千代子はyou tubeでは利用出来ないものもありますが 2013/02/05日アップロードされたページは利用できます これまた大変可愛い歌です
投稿: 夢見る男 | 2013年8月 4日 (日) 09時09分
昨夜からずっとこの歌を聴いています。聴くというより歌詞に思いを馳せています。先日ミニ同窓会があり女性が20人ほど集まりました。同年齢には見えないほど老けた人、まだ20歳は若く見える人など色々です、話す内容で外見が変わることに気が付きました。若い日に恋をした人は今も恋に憧れています。そして自分を持っています。
遠い日の憧れと夢を持っている人と話が出来てとても楽しかったです。別れたあの人に恥ずかしくない女性でいたいと思っています。夕月を見て涙ぐむ情感を、無くさないように生きて居たいと思いました。
投稿: ハコベの花 | 2017年1月28日 (土) 14時00分
今年はじめて 涙をながしながら 書かせていただいております この 夕月の歌 もほんとうに いろいろな感情をひこおこしてくれる素晴しいものですね
田舎の冬 少年の秋 月見草の花 など 聞くと 自分の持っている 経験した 琴線をかならず気持ちよくかなでてくれる 有り難い曲たちです 心を浄化してくれるーー
ハコベの花さまの同窓会での思い出 肯きながらよませていただきました
僕の方は 昨年末 高校のシニアの同窓会にやっとのことでひっぱりだされてきました 高校の前身の 中学 女学校も合同の同窓会です ですから100歳に近い方から 65歳までの集会です
以前から仲のよい友(女性)が この会があると ちかくのテーブルに座っておられる高齢の方が いつも あなたの苗字を云っているのが 聞こえてくるのだけれどーー との連絡があり ちょっと聞き耳をたてて 悪い話ならスルーして もしよい話で話題になっているなら 僕の親友です と挨拶しておいてくださいと話したのです もちろん ひょっとして あの方だと思い当たる節はあったのですが
やはり そうでした 母の一番の親友 Hさんでした 現在92歳 お元気で同窓会にかかさず参加されていたのです
その会は平日ですので 普通は行けないのですが
Hさんから 休んででも出てきなさい とのお叱りと
友の 是非一度は行きましょう の強い勧めとで
代診をたてていってきました
最初の挨拶から 涙にかすみ 生きておれば考えうる母の姿が浮かび また 貴方がまだ生まれて1 2ヶ月の時に 僕の母か宝物を持つように捧げもって Hさんのお母様に貴方を見せにいらしたのよ など 知らされ涙と洟でひどいことになりました 同期のもの 12人との話もはずみ 楽しい時間でした ここ何十年 一番涙した日でした 友人たちは ほとんどがリタイア組 羨ましくもあり 日々忙しく働ける自分が有り難く思えたり
しかし 時には 旧友と 職業とは違う話がしたいものだとも思えました
投稿: 能勢の赤ひげ | 2017年1月29日 (日) 12時47分
能勢の赤ひげ様のコメントにはいつも涙を誘われます。
お母さまの親友との再会、赤ひげ様の心情が伝わってきます。私も涙が込み上げました。「宝物をささげもつように」~泣かずにはおられません。
ちょうど直前まで エムズの片割れ様のサイトで
「小雨の丘」服部良一作曲。サトーハチロー詩
コールド、ファーマーズの格調高い合唱に涙を流したばかりでした。母を偲ぶ美しい歌詞です。
投稿: りんご | 2017年1月29日 (日) 20時43分
北向きの小窓を開けると、玄関脇の小路に並べられたプランターに薄緑色のフリージャの葉が昨夜来の雨にうたれ、力なくしなだれかかるように横に倒れています。やがてあの鮮やかな濃赤色や濃い黄色の花を咲かせる季節を待ち焦がれているように寄り添っているのでしょう。
昨日 教会から帰宅して、久し振りにP/Cを開きました。
“ふるさとの 丘にきて
ひそかにも 君想う…”
何度も何度も 繰り返しこの歌を聞きまた。
仮想恋愛談義や友人達のラブレターのゴーストライターで忙しかったくせに、自分のこととなると好きな人はいても口に出して言えなかったもどかしい高校時代の自分の姿が懐かしく思い出されて、胸が熱くなりました。
「高原の旅情」「さざん花の歌」「母あればこそ」「白い花の咲く頃」どれをとっても寺尾智沙 田村しげる の名コンビによる抒情溢れる名曲は、生涯忘れ去ることのできない心のふるさとです。
それにしても、寺尾智沙 田村しげる 大倉芳郎 八州秀章 と聞くだけで、どういうわけか私はすぐ信州のゆたかな自然、遥かに見晴るかすアルプスの峰々、白樺の林であったり八ヶ岳山麓を走る高原列車、浅間山のたなびくけむりや河童橋から見晴るかす穂高の大雪渓等々が目に浮かんできます。この名作詞家や名作曲家にとって、日本の四季の移ろいや豊かな風景は限りなく胸を揺さぶる題材だったのでしょうね。
投稿: あこがれ | 2017年1月30日 (月) 15時24分
この切ない歌を聴いていますと、あのかたが思われます。昔父が母との初デートでベンチに座ったとき、ハンカチを出して母をその上に座らせたと聞いていたので、三坂峠という所でそのかたとデートしたとき、ベンチで私もハンカチをさしだしました。そのかたはその後遠い人になってしまいました。悲しく夢見てきたことは、じいさんばあさんになった後でもいい、あのベンチにまた二人すわって、すぎこしかたを語り合えたらということでした。じいさんになりました。お慕いする気持ちが薄らぐ事はありませんでした。
(昨秋まで「加藤」の名でつたない投稿をしておりました者です。ひょいとkazu の名に変えてしまいました。今後もよろしくお願いいたします。)
投稿: kazu | 2017年3月28日 (火) 05時26分
kazu様
貴方のお気持ちよくわかります。年老いても心の中は若い日と変わることはありませんね。
昨日の明け方、夢の中で昔の彼と会いました。初めて会った日と同じ学生服を着ていました。何も話をしませんでした。じっと私を見つめるだけでした。私も黙っていました。目が覚めた時、彼が亡くなったと思いました。多分10年以上病んで居られたと思います。別れて55年経ちます。浜名湖でボートに乗った人です。感というものをあまり信じない人間ですが、亡くなったという感は当たっているように思います。午前4時でした。でも私の心の中で彼は若い日の姿のまま生き続けるのです。良い青春だったと思います。
投稿: ハコベの花 | 2017年3月29日 (水) 13時24分
ハコベの花様
再会をお祈り申し上げておりました。もし本当に亡くなられたのだとしても、人と人の距離の大小は、生死を越えたものかもしれないと思います。夢においでになられたのですから。お気持ちが届いていたのだと思います。ご無礼をお許しください。
投稿: kazu | 2017年3月29日 (水) 23時39分
ハコベの花様 そのおかたがお元気でいらっしゃって、桜を楽しんでおられる事を願っております。
投稿: kazu | 2017年4月 4日 (火) 00時13分
年を取ってくると生きていることが少しずつ面倒になってきます。死ぬことと生きている事の区別がはっきりしなくなってくるように思います。私は8人兄弟でした。1番上の姉は長く病んだので亡くなっても悲しみはなく、長兄も87歳で亡くなったので全く悲しみはありませんでした。
もし弟妹が先に亡くなったら可哀想だとは思いますが、もうそれぞれ高年齢ですので亡くなるのは当たり前だと思うと悲しみは深くないと思います。ですからkazu様、私には彼が亡くなった事で私に近づいたように思えるのです。私も何年か後には亡くなります。そして自由になればいつでも会えると思えばいいのです。最も私はあの世とやらは信じていませんが、その事だけは自分勝手に思い込んでいるのです。後期高齢者になってから次第に生と死の境が無くなってきています。彼のために白い山茶花の花を一輪胸にしまって置こうと思います。別れる時、彼の眼にあった涙のために・・・・
投稿: ハコベの花 | 2017年4月 5日 (水) 23時34分
美しい詩と哀愁のメロディながらこの歌は
二木先生の演奏で初めて知りました。
ハコベの花様同様に
古希を迎えて以来あの世とこの世の境界が薄れてきました。「アメージンググレース」「月の砂漠」「ダニーボーイ」などを弾くとき,もう自分はこの世の人間ではないような不思議な感覚に襲われます。
それにしても 昨日は
見るに堪えない テロのニュースに胸が潰れそうでした。
又かの国の暴挙のニュース、理想の国だと 私を洗脳した党員教師が生きていたらどう釈明するのだろうか。
投稿: りんご | 2017年4月 6日 (木) 09時20分
ほんとうに いい曲です
必ず 涙がにじんでくるーー
脳の海馬の どこに刺激が伝わるのだろう
MRIも進歩し カラー映像で 何か考えたときには行動したときには どの部分が活動している ということまでは わかるようですが 曲からうける 感覚の違いまで細かな分析はできていないのでしょうね この曲を聞くと 寂しい 悲しい 趣のある 風情の有る 謙虚な 慎み深い つましい などの記憶の壺に行き着くような気がします 結果 自己反省につながり 涙して前をむけるのですね (単純な海馬の働きとはいえないでしょうが--)
りんごさまの 洗脳した党員教師 どう考えておられるでしょうね 敗戦時 戦犯となっても 知らぬ存ぜぬ 殺戮したのは下級士官 ととおした上級士官がいかに多かったか 人間の弱さは 死刑かどうかというような究極の立場にたたないと 現れにくいのでしょうか
教育は 子が成長していくに もっとも大切なことです なのに きっちりとした論議もなく 突然降って湧いたかのように まるで教育勅語が 金科玉条のような教育を 自分の考えに合うというーーの首相
口癖のように 日教組 日教組と やじる 政治屋
教育という 威儀を正してとりくまなければいけない官僚たちの 天下りの酷さ また能力のなさ
閣議決定という名の下に 誰かさんが私人公人など おいおい
こんな 馬鹿げたことまで 内閣で決めて 国民に流布するの 自分たちだけで勝手に都合よくきめて それが法律だと?? -----
全く可笑しな幼稚な国です
怒り のエリアまで刺激が拡大されてきました
しゃれこうべと大砲 でコメントされた
konohaさま ハコベの花さま
我々が危惧するような 社会がきてはいけないのです 微力ながら 何かできないか 日々思っています 日本では 放射能被害の続く東北の方々 地震の復興も見えない 熊本の方々 基地問題で常に平静な気持ちではおれない沖縄の方方
何か手助けはできないでしょうか
個々人の 主義主張 宗教 政党 どうでもいいですね 皆で 苦しみ悲しみを分かち合う
足るを知って 惻隠の情をしめす
みんな 同じ人間ですよ
もちろん 中近東も アフリカも その他 圧迫を受けている 世界中の方々も同様です 何とかしたいですね
まずは 全く 国民のことを考えない 政府 官僚たちに
「天網恢恢疎にして漏らさず」
そういう日が すぐにでもくること 願っております
投稿: 能勢の赤ひげ | 2017年4月 9日 (日) 22時05分
2017年 10月 4日は 仲秋の名月
ここ能勢では 素晴しい月を見ることができました
5日は 吉田山から 満月を望むべく 計画しておりましたが 雲にかくれて見えずーー 残念!!
しかし 4日の残影を追いかけながらの 豊かな時間でした 人生さまざまなことがありましたが
その一瞬間に凝集した 幸せでした
これからも 生ある限り 毎日毎日 思いもよらない事象が おこってくるのでしょうね
自分の最善をつくす そう肝に銘じて進んでいきます
二木先生 先生のうた物語に コメントさせていただいて今日で 丁度丸十年 ほんとうに いろいろな名曲を数え切れないほど聞かせていただいて 有り難うございました 感情のおもむくままに勝手なことばかり書いて申し訳ありませんでした
この場所で りんごさま ひろしさま あこがれさま けんさま 越村さま たちと 古くからの知己のよう やりとりできたこと 有り難く思っております また 最近では お目にできなくなっておりますが
大場さま Sundayさま なつかしいです
炎上事件に関与したかもしれない こともありました
先生を含め 皆様のご多幸と ご健康をお祈りしつつ
筆を擱きます 有り難うございました
投稿: 能勢の赤ひげ | 2017年10月 6日 (金) 21時55分
能勢の赤ひげ様
当地の霊峰月山に5日初冠雪がありました。
5日の月はとても綺麗でした。
かぐや姫もかくやと見上げました。
幻の能勢の赤ひげ様との邂逅も束の間
お別れの時が来たのですね。
不覚にも涙が込み上げました。
真心の込もったコメントの数々にお人柄が偲ばれました。
隣接のりんご園では「ふじ」が日に日に紅色を濃くしています。
どうぞご自愛なされてお過ごしください。
追記
今の時期に最もふさわしい絵本を紹介させてください。当県出身の荒井良二著「きょうはそらにまるいつき」幼児から高齢者まで対応できる絵本です。
因みにこの3日間で8回読み聞かせました。
講談社おはなし訪問隊の協力隊員として2日間で
7回。学校の朝の読み聞かせで一回。
10日にまた保育園で2回読み聞かせます。
とても 心が温まる絵です。
声に出しても心地良い文章です。
投稿: りんご | 2017年10月 6日 (金) 23時39分
能勢の赤ひげ 様
このサイトを通していろんな方々と出会え、いつも学ばせて頂いていることに感謝をしながらも、いつの間にか私の大きな楽しみとなっていることをしみじみと感じていた矢先、出会って間もない能勢の赤ひげ様が10年の歴史に自らの思いで擱筆される・・・寂しくてたまりません。
最近では敬愛する先輩のひろし様からのコメントも途絶え気味で気になっていますが、私がやっと投稿し始めて僅か1年足らずの間に、とても身近に感じ支えにさせて頂いた先輩のお声が聞けないという現実に世の無情を感じます。
花に嵐のたとえもありますが、敢えてさよならは言いたくありません。二木先生がお元気で続けて頂いている限り、能勢の赤ひげ様のお声は聞けなくとも、暖かい眼差しでずっと見続けていて下さると信じていますし、長編小説の執筆を終え、取りあえず擱筆はされても、また新たなテーマに向かってチャレンジ再登場されることを信じてやまないからです。私の中でもう少し姿をとどめていて欲しいと願うのは果たして私だけでしょうか?
“シエーン カムバック!”の心境です。
投稿: あこがれ | 2017年10月 7日 (土) 11時25分
能勢の赤ひげ様
いやあ、何を突然おっしゃられるのですか、いったい何があったのですか、という心境です。
「筆をおきます」は今日はこれで終わりますという意味かなと・・「擱く」という字を見過ごしていました。
村上春樹のノーベル賞はどうでもいいが(ファンの方には深謝です)、赤ひげ様には、高校の先輩としてしみじみとした文章で、もう少し楽しませていただきたいと思います。何かある種のご決断でもあったのでしょうか。
私も68歳でベトナムの会社で務めをしているので、現役の赤ひげ様には人生の先導役を見て励まされてきました。
決断の人というのは「心頭滅却すれば火もまた涼し」といったきっぱりとした辞世の句を残します。かっこいい。しかし、名前は忘れましたが辞世の句を求められて「死にたくない」とつぶやいた禅僧がいた。弟子たちがあわてたそうですが、そういう生き方も、透徹した面白さがあると思います。人生に決断など、とくにいらないような気もします。
見当違いのたわごとかもしれませんが、赤ひげ様のこれからのコメントが楽しみでしたから(日野原先生も最晩年の言葉が滋味深く、面白かった)どうか、ご一考を。
投稿: 越村 南 | 2017年10月 7日 (土) 15時53分
「夕月の歌」ここで初めて知ったこの歌ですが、今では我が心の唯一の愛曲になりました!
六年前、ここでじっくりと歌詞を見つめながら、二木先生が奏でるこの切なげなメロディを聴いていたその瞬間、思わず私の脳裏には今も忘れられないでいる、十九歳の時にやむなく別れた人との数々の想い出が走馬灯のように目まぐるしく浮かんできてしまい、柄にもなくしばらくは感傷に浸ってしまった、私にはそんな記憶が今も残っています。
この「夕月の歌」も「さざん花の歌」も「リラの花の咲く頃」もそして、あの永遠の名曲「白い花の咲く頃」もきっと作詞者:寺尾智沙と作曲家:田村しげるという、固い絆で結ばれていたであろう、この名コンビの二人でなければ、こんなにも純粋無垢な心に残る秀逸の作品は、もしかしたら生まれることはなかったのではないのか、七十歳の今そんなことを仄かに思う自分がいます。
投稿: 芳勝 | 2024年8月15日 (木) 22時53分
(文中一部敬称略)
曲名に「夕月」の語句が入る曲というのは本項や二木先生が挙げられている藤山一郎(増永丈夫、1911~93)版以外にも下記の2曲が有名ですが、
島倉千代子(1938~2013)『夕月』↓
(1961、作詞:菊田一夫(菊田数男、1908~73)、作曲:古関裕而(1909~89))
https://www.uta-net.com/song/160258/
黛ジュン(渡邊順子、1948~)『夕月』↓
(1968、作詞:なかにし礼(中西禮三、1938~2020)、作曲:三木たかし(渡邊匡、1945~2009))
https://j-lyric.net/artist/a000d5a/l005d82.html
※書くまでもないですが作曲者の三木は黛の実兄です。
藤山版についてはWeb検索しても歌詞が載っていないのでわかりませんが、それ以外の3曲に共通する項目として「主人公が夕月を眺めながら遠く離れた、若しくは別れた異性に想いを馳せる」という主旨がよく読み取れます。
また、伊藤版と島倉版には「雲」、島倉版と黛版には「影」という文字が入ってますがそれも主題である「夕月」を引き立てる役割をしていることがよくわかります。
しかしJ-lyric.netのサイトは何で黛版『夕月』の作詞・作曲者(島倉版の菊田&古関になっている)を修正しないのでしょうか。
思わず♪お~しえてほし~いの~、誤植のわけを~♪、なんて歌いたくなってしまいます。
話は変わって、作詞者が妻で作曲者が夫というパターンは悠木圭子(藤田佳子、1936~)と鈴木淳(藤田順二郎、1934~2021)、高畠じゅん子(中川諄子、生年非公表)と中川博之(1937~2014)、安井かずみ(1939~94)と加藤和彦(1947~2009)、阿木燿子(福田→木村広子、1945~)と宇崎竜童(木村修史、1946~)、山下達郎(1953~)と竹内まりや(竹内→山下まりや、1955~)といったところが有名ですが、言うなれば寺尾智沙(寺尾→田村富子、1917~67)と田村しげる(田村茂、1908~80)がそのルーツ、ということになるのでしょうか。
投稿: Black Swan | 2025年2月19日 (水) 22時52分