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2013年10月12日 (土)

千登勢橋

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:門谷憲二、作曲・唄:西島三重子

駅に向かう学生たちと
何度もすれ違いながら
あなたと歩いた目白の街は
今もあの日のたたずまい
指を絡めいつもと違う
あなたのやさしさに気付き
もうすぐ二人の別れが来ると
胸が震えて悲しかった

電車と車が並んで走る
それを見下ろす橋の上
千登勢橋から落とした
白いハンカチが
ヒラヒラ風に舞って
飛んで行ったのは
あなたがそっとサヨナラを
つぶやいたときでしたね

胸の想い言い出せなくて
遠くでカテドラルの鐘
思わずこぼした涙を拭いて
無理に笑った風の中で
心のすべて燃やした恋を
いつも見ていた橋の名は
千登勢橋です
あなたの淡い思い出に
こうして会いに来ては
一人たたずんで
あなたのくれた青春を
抱きしめ目を閉じます

千登勢橋から落とした
白いハンカチが
ヒラヒラ風に舞って
飛んで行ったのは
あなたがそっとサヨナラを
つぶやいたときでしたね

《蛇足》 西島三重子の8枚目のシングルとして、昭和54年(1979)に発売されました。代表作『池上線』と同様、恋を失った女性の心の痛みが切々と伝わってくる名曲です。
 女性の失恋歌ですが、青春期に恋に傷ついた経験がある人なら、男性でも
胸のどこかに共鳴する部分がきっとあるはずです。

 『池上線』でもこの歌でも、彼はなぜ別れを告げたのでしょう。留学か仕事で海外へ長期に行くことになった、あるいは家業を継ぐためとか老親の介護のために帰郷しなければならなくなった、しかし女性にはついていけない事情があった……そんなところでしょうか。
 少なくとも、男性の身勝手で彼女を捨てたわけではないと思いたい。別れを告げた男性のほうにも、心の傷は長く残るはずです。

 曲のタイトルは『千登勢橋』ですが、舞台になった地名の正式名称は千登世橋です。東京の目白駅を出て目白通りを東南方向に歩いて行くと、学習院大学のキャンパスが終わったところにあります。
 橋の下を明治通りと都電荒川線が通っている跨道橋
(こどうきょう)かつ跨線橋(こせんきょう)です。跨線橋の部分は、正式には千登世小橋というそうですが、見た目には一体の橋です。現在は、明治通りの地下を東京メトロ副都心線が走っています。

 目白通りは、学生時代によく歩いた道です。早稲田大学からめじろ台に登り、右に曲がって椿山荘のほうに行ったり、左に曲がって目白駅の方向に歩いたりしましました。目白駅から歩いたときは、めじろ台2丁目で不忍通りに入り、護国寺を訪ねたことも何回かありました。

 したがって、千登世橋は何度も渡ったわけですが、この橋に格別な記憶や思いはありません。
 ちょっとした思い出があるのは、目白駅の隣にあった喫茶店・田中屋ですね。床が板張りで、奥に入って行くと、途中に20数センチの段差があったと記憶しています。いちばん奥に窓があり、山手線の線路が見下ろせました。

 大学に入って2年目に、ここで、深刻というほどではありませんが、多少あとを引く話し合いをしたことがありました。
 後年、秋篠宮と紀子さんが、ここでよくデートをしたという報道を聞いたとき、そのことを懐かしく思い出しました。

 歌詞に出てくるカテドラルは、正式名称が東京カテドラル聖マリア大聖堂で、目白通りをはさんで椿山荘のはす向かいにあります。日本に3か所あるカトリックの大司教座聖堂の1つ(他の2つは長崎と大阪)
 丹下健三の設計で建設が進められ、私が大学4年だった昭和39年
(1964)に完成しました。上から見ると、建物全体が十字架の形をしています。

 変わった形の教会ができたというので、ある女性と2度見に行き、2度目には中に入りました。
 数年前、教会音楽談義の流れでその教会に触れたところ、彼女が私といっしょに見に行ったのをすっかり忘れていることがわかりました。今ウチにいる女性ですが。

(二木紘三)

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コメント

若いとかお嬢様の歌なんかと言われようとこの種の歌が恋愛ソングなんでしょうね。「白いハンカチがヒラヒラ風に舞って飛んでいったのはあなたが・・・・・」ここがポイントですね。楽しい事でも悲しい事でも思い出が沢山あった方の優雅な人生ですね。

投稿: 海道 | 2013年10月12日 (土) 21時47分

誰にでも想い出の場所とか道の1つや2つはあるものでしょうね。思い出すと温かな気持ちになる場所があるのは幸せです。私は結婚して夫の家族と同居しましたが、夫を含めてこの家族と合わない事に神経がすり減り毎日1キロずつ体重が落ちていきました。ある日、高校生の時大好きだった兄の友人と歩いた道を思い出しました。たったの300メートルでしたが、胸の中が暖かくなってそれだけでひと時幸せな気持ちになることが出来ました。その後、同居を解消し、見事に体重は戻りましたが、夫の言動が嫌になるたびに300メートルの青い街燈の灯った道を思い出しています。あの世に行く前に、今ひとたび彼と歩いてみたいのですが、かなわない夢で終わるのでしょう。二木様、奥様で良かったですね。お幸せな事だと思います。

投稿: ハコベの花 | 2013年10月12日 (土) 23時01分

 1979年は大学院生だった頃ですが、この歌は存じませんでした。しかし現在の生活空間に千登世橋があるので、コメントさせていただきます。
 目白駅から椿山荘までの目白通り沿いには学習院の他、川村学園、目白小学校、日本女子大、独協中高などがあり、朝夕の目白駅は学生でごった返します。その割に目白は学生街という感じがしませんが、山手線で池袋、高田馬場、新宿にも近いため、学生さんはそちらの方へ流れていくようです。泉麻人さんが、洒落た住宅街の要素として、坂、教会、私立女子校を挙げていますが、目白界隈はそれらの要素が揃っています。しかし他の人気スポット、例えば白金や原宿、青山などに比べると派手さはありません。逆におとめ山公園などの緑地が残されており、つい最近まで狸も目撃されていました。(現在は椿山荘へ引っ越したようです。)
 千登世橋にはおそらく架橋時のままと思われるような街路灯があり、東京で唯一の都電が下を走り、最寄りの駅は鬼子母神で有名な雑司ケ谷ということで、千登世橋周辺は何か懐かしい感じのする場所です。

投稿: yoshi | 2013年10月14日 (月) 18時33分

都電の屋根を見下ろせる`チトセ橋`を下宿のオバサンから聞いて知っていました。目白駅近くの勤め先と目白3丁目の下宿との間を歩いたのは数度だけ。歌詞のようなチトセ橋絡みの叙情/風景と無縁な朝10時前後のバス出勤、終バス後しばしばタクシー帰り。

土日も仕事で潰れがちな生活…、でも不忍通りの手前でタクシー降りてオデン屋の暖簾をくぐるのが楽しみ。遅いので近くに住む馴染のオッサン/オジン常連が出迎えてくれるんです。週末は混んでいて、お上さんが台所とカウンターの狭間に丸椅子を置いてくれ、ではらった`お通し`代りを見繕ってくれます。`名物`茶割焼酎が空腹にジンワリ沁みました。

`チトセ橋`のような失恋はこの街を離れる時、在ったような気がします。二木さんカップルが目白界隈を歩かれたやや後の時代だったでしょう。3年前に通り過ぎ、高層建築の谷間・目白通りの今様に眼を見張りつつ、ふっくらした明るい彼女を思い出していました。

投稿: minatoya | 2013年10月18日 (金) 00時24分

 三年ほど前、二木先生に「千登勢橋」のアップをお願いしたことがあります。無理かと思っていたら、思いがけないアップ、嬉しいです。
 西島三重子は目白駅近くの川村学園出身ですね。私の姉の後輩です。名曲「目白通り」の作詞者が作詞された詩なので、哀切きわまりなく、馬鹿な私は歌うたびに涙ぐんで歌えなくなることもしばしばでした。やっと今は歌えるようになりました。この橋の名前は、本当は先生が書いていらっしゃるように「千登世橋」です。作詞者はリアルではなく、夢の中のドラマを描くのですから、あえて少し変えたのでしょうね。だって、2番の歌詞、「胸の想い言い出せなくて遠くでカテドラルの鐘…」の、カテドラルの鐘は、実際にはずいぶん離れていて、実際の名前「千登世橋」からは聞こえません。千登世橋から丹下健三が作った関口大聖堂のカテドラルの鐘までは、歩いたら30分はかかるのですから。でも、詩人には橋に立ってその鐘が聞こえるのです。実際に千登世橋近くに住んでいた私には作詞者の心情がわかります。聞こえるんです、心の中に。
 カラオケでよく私はこの歌を歌います。そしていつも帰ります、あのときに。

投稿: 吟二 | 2013年10月23日 (水) 19時56分

 二木先生は、ロマンチックなところでデートをなさっていたのですね。センスが光る。しかも、その恋を成就なさった、うらやましい。
 30年前、院生だった私は、皇居の天主台の跡で、城の構造をとうとうと語り、見事に振られました。残念な人生です。

投稿: ブンブン | 2013年10月25日 (金) 12時11分

>途中に20数センチの段差があった
目白駅改札を出て左手は急傾斜でした。近道としてその斜面小道を危なっかしく伝い歩いたことを思い出しました。斜面上に立つ田中家はだからレストランど真ん中に段差を作らねばならなかったんでしょうね。美味しい黄鶏カレーライスを食べに、しばしば昼に行き、段を上がったような気がします…が、カシワカレーは100%確かでありません。

皆さんの書き込みに誘われ旋律を聴くたびに、40年ほど前の記憶がゆらゆらと踊ります。早稲田に通う学生二人と馬鹿騒ぎした三人下宿家さんは目白`台`3丁目で、台が抜けるのは40年の所為です。彼ら二人の表情は、なぜか、段差のように明瞭に刻まれています。

投稿: minatoya | 2013年10月25日 (金) 20時19分

田中屋とはなつかしい。もう一軒「ボストン」という喫茶店がありましたね。よく帰りに寄ったものでした。ちょっと遅くなって小腹がすいた時は道の反対側の中華料理屋「華天」でラーメンを食べたり。もう半世紀も昔のこと、駅周辺がすっかり変わってしまったのも無理ないことですね。

投稿: boriron | 2013年10月25日 (金) 21時54分

 あらためて西島三重子さんの曲を聞きました。最近では聞けなくなったリリカルな曲ですね。目白界隈が登場する曲は他に聞いたことがありません。
 ご存知の方も多いと思いますが、目白の地名は、江戸の五色不動(黒白赤青黄の不動尊)の一つ目白不動に由来します。また目白駅に近いおとめ山公園は、江戸時代は将軍家の狩場であり、大田道灌の有名な山吹の故事の舞台になったとされる場所です。『神田川』でも書かせていただきましたが、更に時代を遡ると、目白から目白台、関口へと繋がる台地の南側はかつての大河、平川が流れていた場所にあたります。目白通りの南側が神田川へ向かって急坂になっているのはそこがかつての川岸だからです。歌詞に『電車と車が並んで走る それを見下ろす橋の上』とありますが、千登世橋は、都電荒川線と明治通りが南に向かう急勾配を緩和するために造成したスロープに架けた、目白通りのための立体交差橋と思われます。
 青年が恋人と歩くと、もっと違った情景になるのでしょう。青春時代は遥か遠くに去りました(T_T)。年齢柄、散歩の達人の蘊蓄になってしまうのをご容赦していただくと幸いです。

投稿: yoshi | 2013年10月26日 (土) 23時16分

 二木先生、西島三重子の曲で「目白通り」という曲があります。この「千登勢橋」同様、甘く悲しい青春の思い出を歌った曲で、実に名曲と私は思いますので伴奏と共に歌いたいのですが、残念ながらカラオケ3社のどこにも登録がありません。
 また、その目白通りを早稲田のほうに下りて行くと下を流れる神田川へ枝垂れる桜が実に美しい面影橋がありますね。フォークのNSPが歌った歌で「面影橋」という曲がありますがご存知でしょうか。この曲は、私は高齢になってからたまたまユーチューブで知った歌ですが、甘く悲しい青春ソングとして私にとって忘れられない曲になりました。
 いつか上記2曲ののアップをして頂けたらありがたく、お願いたします。

投稿: 吟二 | 2013年10月27日 (日) 11時57分

早稲田大学出身の皆さまへ
「早稲田小唄」という歌をご存知ですか。目白駅から目白通りを飯田橋方面に進むと、左に川村学園、右に学習院を見て、千登世橋を渡り、しばらくすると左に日本女子大、少し進むと右に田中角栄邸、椿山荘、左に関口教会(東京カテドラル聖マリア大聖堂)と続きます。このあたりを右折して面影橋などを過ぎた一帯が早稲田で、キャンパスもこの周辺にありますね。

早稲田出身の人達でも知らない方が多いと思われる「早稲田小唄」を後世に伝えるという意味で、ここに書かせていただくことを許して下さい。

1.稲は稲でも早稲田の稲はヨイヨイ 自治と自由のア、チョイと味がするヨイヨイ リャリャスコリャンリャン
2.きのう女子大明日は早稲田ヨイヨイ 中をとりもつア、チョイと千登世橋ヨイヨイ リャリャスコリャンリャン
3.おいらの親父は大隈さんだヨイヨイ 自由を唱えた ア、チョイと偉い人ヨイヨイ リャリャスコリャンリャン
4.腰の手ぬぐい伊達には下げぬヨイヨイ 魔よけ垢よけア、チョイと女寄せヨイヨイ リャリャスコリャンリャン

昔の学校には裏歌として「~小唄」がよくありましたよね。私の高校、日大豊山にも「豊山(ぶざん)小唄」がありました。なつかしいです。

投稿: 吟二 | 2015年5月27日 (水) 08時08分

私は前に書いたことがありますが、昔、千登世橋のそばに住んでいました。最近、雑司が谷という地下鉄の駅の構内を歩いて「雑司ヶ谷地域創造館」というところに行きました。外に出てみたら千登世橋のたもとでした。びっくりしました。あれから土地代は随分上がったことでしょう。今でもここに家があり、それを売ったら俺もお金持ちになれたのに、とちょっと思いました。でも、千登世橋は何も変わらず、都電も下を通っており、不純な私の心を洗ってくれました。

投稿: 吟二 | 2016年1月31日 (日) 22時56分

ここでの「蛇足」とても心にしみる文章でした。深くてあたたかい文章でした。若者にも歳を重ねた者にも。最後の文章の落ちも素敵でした。

投稿: えっちゃん | 2024年6月26日 (水) 09時42分

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