面影橋
(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo
1 きみにはきみを 愛する人が |
《蛇足》 西島三重子『千登勢橋』との地理的つながりから、NSPの『面影橋』をmp3化しようと思い立ちました。奇しくも、この曲がリリースされたのは、『千登勢橋』と同じ昭和54年(1979)です。
山手線・目白駅から日本女子大の方向に歩き、千登世橋を渡りきったところに明治通りに下りる石段があります。都電荒川線を左に見ながら、明治通りを南に向かって歩いて行くと、やがて神田川に出ます。
神田川に架かる高戸橋を渡り、新目白通りに出たら、下流に向かって進むと、2つめの橋が面影橋です。そのすぐ近くに面影橋駅があり、次の駅が荒川線の終点・早稲田駅です。
昭和40年代以前、面影橋から上流・下流に向かって各数キロは、木造の住宅や下宿・アパートが建ち並んでいました。下宿やアパートには、勤労青年や学生が多く暮らしており、「窓の下には神田川/三畳一間の小さな下宿」というかぐや姫の『神田川』の歌詞そのままの情景がよく見られました。
私は昭和36年(1961)3月、大学受験に来たとき、面影橋のすぐ近くに下宿していた高校の先輩の部屋に泊めてもらいました。面影橋とはなんとロマンチックな地名だろうと思ったので、とくに印象深い場所です。
先輩の部屋も3畳間でした。この時代、地方から来た大学生の多くが3畳間に住んでおり、少し余裕のある家の子が4畳半、6畳間住まいだとお金持ちの子といった評価でした。私は4年間、3畳間でした。
あるとき、友人3人と深夜まで飲み歩いたあと、泊まるところがないというので、私の部屋で寝ることになりました。3畳間に4人寝るわけですが、机と本棚がありましたから、全員横向きになって小イワシの缶詰状態で寝るほかありません。
明け方、外で大きな地響きがしたので、ただ1人目を覚ました私が行ってみると、高架道からトラックが落ちた交通事故でした。しばらくようすを見たあと、部屋に帰ってみると、もはや横になれるスペースはありませんでした。
やむなく、彼らの枕元のわずかな隙間に膝を抱えて座り、彼らが目を覚ますのを待ったものです。
バブル期に東京で学生生活を送った私の2人の甥は、それぞれ2DKのアパートだかマンションだかに住まわせてもらっていました。
そういった生活、あるいはもっと贅沢な学生時代を送った者たちに、「お布団もひとつほしいわね」と歌う『赤色エレジー』や『神田川』的生活の情趣が理解できるかどうかは疑問です。
もっとも、これらの歌が流行った当時にも、ビンボーくさい歌としか思わなかった者もかなりいたようです。結局、時代や個人の生活状態にかかわりなく、心や情感に対する感度のいい人と鈍い人とがいるということになるのでしょうか。
さて、この歌は友人の恋人とキスするという話、女性の側から見ると、恋人の友人とキスするという筋書きです。潔癖な人は眉をひそめるかもしれませんが、このようなことは、自分の心をつかみかねている若い男女にはよくあるケースです。
青春期とは惑(まど)いの年の別名であり、惑いは通過儀礼の1つであるといってよいでしょう。私などはこの過程を通過できずに、数十年間惑いっぱなしですが。
NSPは天野滋、中村貴之、平賀和人が、岩手県・一関工業高等専門学校に在学中に結成した歌手グループで、卒業後の昭和49年(1974)に上京、フォーク・グループとして活動しました。
(二木紘三)
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コメント
『神田川』、『千登勢橋』に続いてコメントさせていただきます。池袋・目白・高田馬場周辺は高校時代の想い出の地であると同時に、現在の生活空間でもあります。ただ私はこの地域にずっと根付いていたわけではなく、大学は京都を選びました。私の京都の下宿は3畳間ではありませんでしたが、それより1畳多いだけの裸電球の灯る細長い部屋でした。まさに貧乏学生でしたが、周りも同じようなものでしたので、逆に食べ物を買う金もない日があることを何処か楽しんでさえいました。
我々日本人は豊かさと引き換えに大切なものを失ったという人がいます。ビートたけしはもう一度皆で貧乏になりたいと言っていますし、さだまさしは『風にたつライオン』の中でアフリカという後進地域で患う人達が美しい瞳を持っていることと、(そのアンチテーゼとして)我々日本人が大切なところで道を間違えたようだと語りかけます。私は“豊かさ”を決して否定しませんが、若い時期の“貧乏”は貴重な体験だと思っています。ただ私の場合は周りに同じような境遇の者がいて苦にならなかったのであって、最近の社会の中で自分だけあの当時のような貧乏だったらもっと惨めに感じたと思います。
さて面影橋ですが、この辺りの神田川両岸は桜の名所で、春には多くの人が花見に訪れます。神田川は随分整備されましたが、つい最近夕刻にコウモリが飛び交うの目撃したことがあります。ある種の生態系が成立している証であり、川は生きているという事を実感します。
投稿: yoshi | 2013年11月 3日 (日) 23時11分
二木先生、「面影橋」アップありがとうございました。さっそく曲に合わせて歌ってみました。私の記憶違いの個所が2・3ありましたので、それがわかって良かったです。しかし、2回歌いましたが、一度しみついた記憶はすぐには訂正できないので、まだ、もっと歌いこみたいと思います。
先生の説明を見て、この曲がリリースされた時を計算したら私が38歳の時でした。バリバリの会社人間の時ですが、この頃アフターファイブに私が歌っていたのはど演歌ばかりで、フォークにはあまり関心がありませんでした(ところで、この曲はフォークですよね?)。それなのに高齢になった近年はフォークやバラードやポップなどの名曲がどんどん好きになってきています。進歩かどうかわからないけれど、何十年か遅れて自分も変化しているんですね。
できましたら、いつか「目白通り」(西島三重子唄)のアップも期待しています。
投稿: 吟二 | 2013年11月 4日 (月) 07時49分
天野滋は52歳という若さで、脳内出血で亡くなったそうです。大腸がんも抱えていたようですね。NSPのリーダーとして活躍していたまだ若い頃、およそ朗々とした歌い方でない、弱く素朴な歌い方が、逆にナイーブな若者のこころを感じさせます。「ルールも、友だちも、約束もみんな捨てて」君を抱いていたい面影橋で、というフレーズは、青春期のノスタルジアとともに、社会の掟にがんじがらめになっている我々社会人が、ひそかに皆んな持っている気持ちではないでしょうか。
この曲を聞いたことがない方も、ぜひ一度ユーチューブで歌声とともに聴いて見て下さい。そしてもっと世に知って貰いたい曲だと思っています。
投稿: 吟二 | 2016年2月25日 (木) 14時59分
これはこの二人がどうなったか分かりませんが、恋の芽生えなんでしょね。面影橋と言う用語には魅力があります。水森かおりの「荒川線」にも出て来ますが「面影橋で別れた彼のくれた旅のハガキ捨てることなどできなくてずっとずっと宝物」初恋に似合う場所ですね。
投稿: 海道 | 2021年10月17日 (日) 09時37分
「面影橋」「八十八夜」「夕暮れ時はさびしそう」NSPの数あるヒット曲の中でも、上記三曲が特に私は好きでした!
NSPグループの全盛時代は、私が最もフォークギターに夢中だったころで、まさに私の青春時代そのものでした。
想い出すのは、1974年にヒットした「夕暮れ時はさびしそう」私はこの曲が弾きたくて、当時フォークギターでスリーフィンガー奏法を猛練習しました。今では懐かしい想い出です。
あれから長年が経った今、私が改めて思うのは、NSPのボーカル・天野慈の曲作りのセンスと、ナイーブで切なさいっぱいの透き通るような、彼のそんなかぼそい歌声に、私は当時何とも云えない魅力を感じたものでした。
「面影橋」ここで久しぶりにこの曲を聴いた時、自分の若かりしころのそんな想い出が一気に蘇ってきました。
投稿: 芳勝 | 2021年10月20日 (水) 17時56分
ふと「面影橋」にたどり着きました。恥ずかしい話私は今まで全く知りませんでした。只面影橋は何度もとおり、確か橋の角にある下宿屋さん?に通いました。
60年以上前の事です。
綺麗なお部屋でした。床の間まで付いていました。窓を開けると神田川がゆっくりと流れていました。
この歌がリリースされたときにも同じような情景だったのでしょうか。私が足しげく通っていたころと変わらないようです。昔は時間がゆったりとしていたのでしょうね。
「面影橋」今日から覚えましょう、歳よりの何とやらですが、、、、
投稿: かずえ | 2022年2月20日 (日) 17時48分
面影橋の近くのお寺「金乗院」は、別名「目白不動尊」としても知られています。私の親の墓がそこにあるので、私は年に2~3回はそこへ行き、面影橋を通って帰ったり、新宿に行ったりします。面影橋は、桜の時、本当に美しいです。神田川の左右から桜が枝垂れて見事なので、その時期は「桜観光ツアー」の観光バスも止まります。橋のたもとには、「七重八重花は咲けども山吹の実の(蓑)ひとつだになきぞ悲しき」という太田道灌の碑があります。この歌を詠んだ場所は、こことは別に埼玉県越生駅近くの「山吹の里歴史公園」が有名ですが、複数説あるようですね。
面影橋を飯田橋方面に歩いていくと「肥後細川庭園」やその先に「江戸川公園」などの大きな公園があり、それらの上の方に「椿山荘」や「田中角栄邸」、丹下健三による大カテドラルを持つ「関口教会」(カトリック大司教区)や、独協高校などがあり、散策コースにおすすめです。ただし、結構歩きますが。桜の季節に一度行ってみてください。
投稿: 吟二 | 2022年9月28日 (水) 22時01分